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「メイ、何ですの、その書類?」
「ああ、フェブ。えーっと……新兵共なんだけどさ。訓練隊を決めるんだ。この時期の風物詩って奴さね。見るかい?」
「いいんですの? 勝手に部外者に見せて」
「部外者ってこたぁないさ。アタシたちは姉妹なんだし、誰がお前の隊に所属することになるか、先に知っとくのも悪くないだろ?」
「そうですわね……うーん、この方と、この方と、この方は絶対私の隊に回して下さるかしら? 後、この方と、この方も」
「また男だけか。むさ苦しいな、おい。女性隊員がいないのはお前の隊だけだぜ? 大体、お前の隊が何て呼ばれてるか知ってるのか?」
「『督戦隊』ですってね、この間小耳に挟みましたわ」
「ああ、『後ろは見せたくない』って意味らしいけどな。ところでフェブ、あんた暇かい?」
「やることはありませんが、暇ではありませんわね」
「それを暇だってんだよ。ジャニアリーとジューン、オーガストを呼んで来てくれないか? 残りをあいつらに振り分けようと思ってな」
「あら、面倒になりましたの?」
「面倒見のいい奴を選んだだけだよ。おっと、ジュライのことは口にするな。エイプリルったら、名前だけで不機嫌になるんだからな」
「大変ですわね、右腕も……呼びましたわ、すぐに来るって言ってますわよ」
「ありがとさん。さてと、新兵共を分類しとくかね。今回は何別に並べようか」
「顔の良さとか」
「黙ってな」
「はーい、メイお姉様」

*  *  *

熱い。暑い。どっちも、現況を表す言葉としては合っていた。日差しは僕の肌を焼くだけに留まらず、気温さえも上昇させているからだ。
だが僕は汗を垂れ流しながらも、しかし心は冷え込んでいた。それは今日この日が、僕にとりとても大切な日であるからという理由の他、
説明のしようが無い。僕はマルチアーノ十二姉妹隊の兵士候補生として、選び抜かれた八百二名から、何度もの体力テストや射撃テスト、
白兵戦や分隊指揮のテストなど、あらゆる戦闘に関する知識を二ヶ月間も試され続けて尚残った、三十八名の幸運な兵士の一人だった。
そう言うと僕がとてつもなく凄い戦争マシーンのように聞こえるかもしれないが、実際には叫びながら飛んで跳ねてぶっ放してただけだ。
残れたのが不思議なほどだったが、兎に角僕は、夢にまで見た栄誉と喜びを享受する立場にあった。そして、もう一つの喜びもあった。
選抜試験日程全終了後、僕と三十七名の戦友は話し合ったものだ。何処の隊に配属されることを希望するか。出所の怪しい噂によれば、
僕らは全て求めた希望を叶えられるということだった。つまり、ジャニアリー様の隊を志願すればそうなり、セプ様の隊なら、そうなる。
そういう話を聞いていた。そして僕は戦友たちと後に教えあった。噂通り配られた希望調査票に、どの隊の名前を書いたかということを。
僕はオーガスト隊と書いたと言った。瞬間、場は二つに割れた。一つは僕を同胞と呼ぶ何だかやけに馴れ馴れしい奴ら。もう一つは、
小児性愛者だの何だのとからかって来る子供っぽい連中。どっちもはっきり言ってアレな感じだったが、僕らは非常に仲が良かったので、
お互いのことを貶し合って騒いでその場は終わった。それで今日が来た。僕は候補生用宿舎に眠る生物の中で、最も早く目覚めただろう。
きっと僕のベッドの下にある穴で生活している鼠一家よりも早起きだった筈だ。それどころか、眠ったかどうかに関する記憶が無かった。
起きた後は、三十八名が誓った早朝訓練であった。僕らは姉妹兵となる。ならば少しでも高い身体能力を維持しなければならないだろう。
そう考えた末がこれだった。朝、昼、夜、深夜、いつでも僕たちは必要な時に訓練をしたし、しばしば必要でない時でさえ訓練を続けた。
昼食時などが正にその必要でない時である。この時はスープの入った皿をひっくり返すという醜態を演じた為、僕らは控えることにした。
そうこうしている間に皆が起き始め、朝の挨拶代わりの訓練を始めた。僕は先に始めた分先に終わったが、少し多めにやると決定した。
思えばこのような少し多めにという考えが、試験官が僕を三十八名中に見出す遠因となったのかもしれない。そう思えば、やる気が出る。
その後、今がやって来ていた。僕はカレンダーを見た。日捲りの奴で、仲間の几帳面な奴が毎朝捲ってくれているので、確実である。
二月だ。でも熱かった。はっきり言ってこれは夏の気候だった。でも僕は驚かなかったし、皆も驚かなかった。もうとっくに慣れていた。
そういうところなのだ、ここは。仕方ないじゃないか。エアコンは壊れているので使えないと知った時には流石に顔を歪めはしたが、
僕を含めて皆の諦めは早かった。それに今日に関しては、そんなことを言っていられない話があった。今日こそが、訓練隊への配属日。
つまり、見習いの姉妹兵としてではあるが、一応、隊員名簿に名前が載り、装甲服にも姉妹隊のマークを付けられる、ということなのだ!
どの隊で訓練をするのかというのも僕らの噂にするところだった。これもまた出所の怪しげな噂では、訓練隊が正式配属隊になるらしい。
なるほど、兵士が求めたところで働けるというのは、確かに士気を上げるには手っ取り早くて確実な方法である。尤もらしい感じだった。
ただ実際にそういうことをすると、誰かの隊に偏るということがある。一方では隊員が超過し、一方は過疎化が進んでいるということも、
起こり得ないこともあるまい。それを防ぐ為に、例え原則は訓練隊イコール正式配属隊としても、ある程度は希望を無視されるだろう。
だがあれこれ考えてみても僕の心配事は一つだけだった。訓練隊はオーガスト様の隊なのか? 正式配属隊もそうであるのだろうか?
それはもうすぐ明らかになる筈だった。それまで、当直の番だったので、その仕事を片付けたりして時間を潰し続けて、昼過ぎになった。
昼食は手早く済まされたのは、当然のことだろう。何が次に起こるのか皆、はらはらしている。食事なんてしている余裕は欠片も無い。
考えてみればそれこそルーキーの証なのだが、僕にも誰にもそんなことは思い浮かばなかった。僕らのヒヨコっぷりは、明白だった。
「当直! 当直はいるか!」
突然、ドアが開く音と、僕を呼ぶ声がした。その時、僕は自室にいた。他にやることも無いし、食後に訓練して腹痛に悩むのは嫌なので、
僕は本を読んでいた。勿論、放り出して部屋から飛び出たとも。すると僕の前には背丈二メートルはありそうな男が一人立っていた。
横幅も結構なものだ。第一こっちとは、雰囲気からして違う。ベテランとはこういう男か女のことを言うんだろう。その場に立つだけで、
勝手に体が敬礼しようとするくらいの凄みだった。しかし、彼は別段怖い顔をしているのではないのだ。寧ろ、優しげな顔をしていた。
彼みたいなごつい人がそんな顔をしているのは意外だったので、僕はどんな風に振舞えばいいのか分からなかったが、問題は無かった。
「当直、候補生たちを連れて来るんだ。どの隊で訓練するか、知りたいだろ?」
「はい!」
この時が来たのだな、と分かった。僕は声を荒げて走り回り飛び回って叫んで叩き起こしたりして回った。集合に一分も掛からなかった。
三十七と僕一人がぴたっと列を乱さず並ぶまでが集合である。よって、僕らは普通を基準にして考えたら、凄いことをやったのだった。
「優秀だな。当直、名前は……としあきか。としあき、上手くやれば分隊長どころか小隊長も夢じゃないな」
ベテランが言う。僕は焦る。名前をいきなり呼ばれるなんて今までに何度もあったことじゃない。しどろもどろになりそうなのを抑えた。
僕の隣にいたお調子者で通っている赤毛の男が、敬礼して発言許可を求めるとすぐ、彼の得意な冗談のネタ元である、規定を持ち出した。
「規定によれば自分よりも階級が下の者を呼ぶ時は、姓と階級名で呼ぶことになっていると記憶しておりますが」
「そんなもんはゴミ箱に突っ込んじまえ。俺は八年前にそうしたぜ。じき、お前もそうするよ」
彼は真面目な顔になった。お、何か来るぞと僕は思った。焦りの反動で冷静に物事を見られるようになっていたのかもしれない。
「俺は他隊を知らん。他所にいたのは随分前のことだからな。だが、ここでは姓と階級をくっつけて相手を呼ぶような真似はせんのだ。
 分かったか? お前らが言っていい階級と役職名を教えておいてやる。『新兵』『お偉いさん』『分隊長』『小隊長』それから一番、
 一番に重要な奴は何か分かるな? そう、『衛生兵』だ。分かったら俺について来い、新兵! 十二姉妹を待たせる気じゃないだろ?」
僕はこの大ベテランであり後に僕の親友となった男──エルネスト“エル・メディコ”イ・オルバネハ──のこの言葉を聞いた瞬間、
かつて、もう遠い昔に思えるあの昔日に、名誉ある十二姉妹隊を目指したのは絶対に間違いではなかったのだと、心の底から確信した。

*  *  *

「……よりヘンリー・アンソニーまで、ジャニアリー隊。ジョージ・ガムメルからロバート・ルドウィクまで、マーチ隊。
 ケネス・スコットから……」
僕らには番号が振られている。整理番号みたいなもので、希望調査票の回収後暫くして、与えられたものだ。その時には既にきっと、
訓練隊は決まっていたのだろう。ヘンリーの奴、嬉しそうな顔で歩いて行ってる。あ、前方不注意で壁に激突した。馬鹿だあいつ。
「……までジュライ隊。マーガレット・マリーから……あれ、番号がバラけてるぞ。くそっ、いい加減な仕事しやがって、誰だ?
 まあいいか。ええっと、オーガスト隊は、オーベッド・マーシュ、ホール・カットナー、ジョン・ディー、ロイ・ウィタカー、
 ケイシー・コリンズ……それだけか?」
僕は愕然とした。
「あ、いや、すまん。としあき、お前もだ。次、セプ隊は──」
がくっ、と膝を突く。オーガスト隊に配属になった他の仲間たちが、良かったじゃないかと口々に言うが、心臓が握り潰されたような、
あの失望感を感じもしないでそんなことを言って欲しく無いものだ。が、候補生に訓練隊を伝え終わった大ベテランのエル・メディコが、
心底申し訳ないという顔で謝って来たのには流石に戸惑った。上の人間が下に謝るのは、珍しいことである。残念なことながらだが。
それを目の前で僕相手にやられたのだから挙動不審にもなるというものだ。僕は慌てて彼に謝る必要はないのだと言った。彼はその顔に、
音をつけるなら『にかっ』というような笑いを見せた。それから彼と、僕と、オーガスト隊の仲間たちは、揃って次の目的地へ向かった。
自分と僕とはとことん縁があるようだ、と彼は言った。オーガスト隊を訓練隊にする人間の案内が、彼に任されていた仕事の一つらしい。
そう言えば確かに、さっきまで僕たちがいた何やらだだっ広いだけに思えた部屋には、他にも彼のような風格の男や女が何人かいた。
彼ら彼女らは、姉妹隊の各隊から派遣された現役の姉妹兵だそうだ。因みに今は姉妹兵は全員休暇らしく、彼ら彼女らエル・メディコは、
休日出勤扱いによって出る賞与が欲しくてこういうことをやっているらしい。倍率は結構高いそうで、彼はこの任務を得る為の努力を、
饒舌に語ってくれた。彼は話し好きなのだろう。口が止まることも、舌を噛んでしまうことも一切無い様子であった。僕らは楽しく、
暢気に話しながら、会議室Aと書いた札のある部屋の前へと到着して、入った。僕は多分、エル・メディコが悪いんじゃないと思う。
間が悪かっただけなのだ。運が悪かっただけなのだ。だって考える訳が無いのだ、中でオーガスト様が手榴弾を積み上げてるだなんて。
「オーガスト様、新兵を連れて来ました!」
あ、いや、やっぱり彼も悪かったかもしれない。大声出さなかったら、部屋のソファーに座り、テーブルの上でバベルの塔を作っていた、
我らが隊長オーガスト様がびくぅっ! と体を震わせたりしなかっただろうから。しかしまあそういうことが結局は起こってしまった。
バベルの塔は神話通り完成されることは無かった。ばらばらと崩れて行く人類の自惚れの象徴。オーガスト様は固まっていた。僕らもだ。
どんな反応をすればその場を収められるか、新兵連中では誰にも分からなかった。エル・メディコは僕らを退出させた。鈍い音がした。
ドアが開いてオーガスト様がにこにことしながら出て来て、僕らを先導すると言う。僕はエル・メディコが出て来ないので部屋を覗いた。
彼は……何か、股の間を押さえて転がっていた。これは、僕を含む新兵たち全員が、後に体験することになる、最もキツい罰であった。
図体のでかさが僕に教える通り彼は重かったが、何とか肩を貸して立たせると、先を行ってしまった仲間たちとオーガスト様を追う。
訓練場が彼らと彼女の向かった先だった。エル・メディコがそのことと、道を教えてくれた。僕らは遅れて入って行ったけれども、
責められたのはエル・メディコだけだった。寧ろ、オーガスト様は僕のことを褒めまでしたので、後で僕は、仲間に飲み物を奢らされた。
オーガスト様は僕らが座学や基礎訓練を十分にやり込んでいることを指摘、実戦的訓練に最初から入ることを告げたが、それはどの隊も、
同じことだった。三十八名からオーガスト隊に配属された六名の兵士は、銃を撃ち、手榴弾を投げ、土嚢を積んで陣地を設営したりした。
途中から、休暇の筈のオーガスト隊兵士たちが幾人かやって来て、訓練教官代わりになったので、実に為になる時間となった。
訓練熱心な方らしく、オーガスト様はロイに手取り足取り教えまでしている。いいなあ。僕も手榴弾投げる姿勢について注意されたいぞ!
まあ、わざと手を抜くなんて出来ないから真面目にやるんだけど。そうこうしていると、見たことのある特徴的な銀髪が近づいて来た。
メイ様だ。反射的に訓練の手を止めて敬礼してしまった。呆気に取られた彼女を見て、僕は何か間違ったことをやったんだと知った。
顔を赤らめないで済んだのは、普段の性格からは分からないが聡明だと言われるメイ様が、楽にしろ、と僕にとって分かり易い形で、
敬礼を止めさせてくれたからだ。僕は腕を下ろし謝罪したが、彼女はさっきの僕がそうだったように謝る必要が何処にあるのかと言った。
それから、彼女は僕の訓練中ずっと教導してくれた。オーガスト様は複雑な顔をしていたが、それは自分の新兵を取られるのではという、
可愛い考えがあったからじゃないだろうか。そうだといい。本当にそうだといい。彼女は僕の射撃の腕は平均レベルだと言ったけれども、
白兵戦に関しては感じるところがある、と言った。どうも僕は気に入られたようで、何だか知らない内に、毎日の訓練後、彼女の指導で、
様々な訓練を受けさせられるということになってしまった。他の奴らは可哀想にと僕を評したが、しかし己を高めるのは重要なことだ。
選抜試験に費やした二ヶ月が、僕を訓練狂にしてしまったのかもしれない。トレーニング・ジャンキーという奴だ。僕は見たことがある。
その経験からすると、僕はまだあれではない。あれは人間ではない。ミュータントとかそういう、何かが変異してしまった成れの果てだ。
オーガスト様による訓練は、午後七時二十分に終わった。但し、メイ様の気が変わったとの理由で、明日から始める筈だった特別訓練は、
今日からもう始めることになった。午後八時だそうだった。うん、やっぱり僕はトレーニング・ジャンキーではないようだ。安心した。

*  *  *

一週間が経過した。オーガスト隊の正規兵たちの休暇も既に終わってから四日が経っており、その関係で僕たちはもう仲良くなっていた。
驚いた訳じゃないが、この隊には女性が多い。六対四で男性が六だが、他の隊では一部の例を除いて四を超えることは無いと聞いている。
因みに、一部の例とはエイプリル様の隊とジュライ様の隊らしい。頷ける話である。詳しく理由を聞かれたら黙秘するしかないけれども。
十二姉妹では、オーガスト様のみならず、メイ様とも仲良くなった。と同時に、エイプリル様ともある程度の面識を持つようになった。
そして、エイプリル様からの派生でジャニアリー様とジュライ様に僅かな面識を持ち、更にはジャニアリー様からの派生でセプ様と、
ジュライ様からの派生でジューン様とも名前や顔ぐらいなら知っているという関係に到った。怒涛の一週間であったことは言を俟たない。
特にメイ様とは随分仲良くなったような気がする。彼女がまるで、同期の兵士みたいに話し掛けて来るので最初はそりゃ、戸惑ったが、
慣れてみればこれほど話し易い相手はいなかった。こういうところに、メイ隊を希望した幾らかの友人は惹かれたのだろうな、と思った。
毎日のオーガスト様がする訓練では、射撃、格闘、爆発物取り扱い、陣地建築、脱出&回避、細やかな知識、それに兵器取り扱いを学び、
夜にメイ様が行う特別訓練では、僕は映画に出て来る諜報員もどきの格闘術や知識を教わった。キッチンにある道具で爆弾を作る必要が、
どんなシーンで発生するのかと思って尋ねたら、彼女はDVDを二本貸してくれた。なるほど、乗っ取られた戦艦や暴走する特急の中で、
必要になるらしい。更に言うと、メイ様が僕に合っているとして教えた格闘術は、格闘術の中では珍しく一対多数を念頭に置いているが、
オーガスト様の訓練中に使ってたら冷たい声で「とっしー変な動き」と言われた。愛称で呼んでくれたことを喜べばいいのか、それとも、
変な動きと言われたことにダメージを受ければいいのか分からなかったので、喜びつつ落胆しておいた。これで正解だったならいいけど。
後、スコップを投げて的に刺したりする訓練は、楽しいし役に立つだろうけど、標的の周りを十二姉妹の写真で覆うのは勘弁して欲しい。
でもそういう点を除けば、午後八時からの訓練はどれも興味深くて楽しいものである。メイ様も教官役を根っから楽しんでいる様子だ。
今現在もそうである。と言っても訓練は終わり、訓練後には付き物となりつつある二人のコーヒーブレイクタイムを楽しんでいるのだが。
「なんつーかさー、としあきは教えてて面白いんだよ」
「はあ、と言うと」
と、ここまで言って、僕は口を止めた。ジト目でこっちを見て来るメイ様に気付いたからであり、その原因は僕の言葉遣いにあった。
彼女は言ったものだ──十時以降は勤務時間外だ! と。十二姉妹は仕事じゃないんだから無茶ですよと言ったが、彼女は聞かなかった。
堅苦しい喋り方をするのもされるのも好きではないのだろう。兎に角、僕らはこの十時という訓練終了の時間からは、対等の関係として、
振舞うことにした。でも言葉遣いやら何やらを変えるのは僕だけだ。その上、ジト目で睨まれまでする。あれ、損ばっかりしてないか?
「って言うと、どんなところが面白いんだ?」
これが正しい現時刻における喋り方、言葉遣いだ。メイ様はコーヒーを口に運んで唇を湿らせてから、その面白いところを並べ始めた。
僕の吸収力は大したものだというのが彼女の評価の大約で、少々買い被り過ぎなところもあったが、僕の耳には優しい言葉ばかりだった。
一週間前にオーガスト様がエル・メディコを蹴り上げたあの会議室Aは、僕とメイ様のプライベート空間であったと言ってもいいだろう。
色んな話をしたものだが、決まって後からメイ様には「あんたはオーガストのことばかり喋っても飽きないんだな」と言われるのだった。
そんなにオーガスト様の話をしたのだろうか? 僕はその日あったことや、オーガスト様と話した内容や訓練中の彼女のことを話したり、
大して細かい話やほぼどうでもいいような話はしていない筈なのだけれども、メイ様によればオーガスト様の話が八割を占めるらしい。
が、そうだったとしても責められることではない。僕はオーガスト様に惚れ込んでいると言っても良い。小さな少女であることは認める。
ロリコンと言われても傷つかないだけの図太さもある。さあ、聞こう。恋した女性のことをあれやこれや喋っても、足りるということが?
無論、無いに決まっているのである。僕はそう熱弁したがまともに取り合って貰えなかった。無念である。誤解は残ってしまったのだ。
話題を変えようと思って、僕は訓練終了日のことを口にした。一ヶ月で実戦的訓練を施し、その後は正式所属隊で必要な訓練を実行する、
というのが姉妹隊の方針である。僕は当然、訓練隊の人間は正式所属隊の人間になると思っていた。メイ様は片方の眉を上げて否定した。
これこそ青天の霹靂であった。彼女が言うには、そうなることが多いが、時に人員調整があるといい、そして現在、ジュライ隊の兵数が、
二十数名ほど不足しているそうだった。僕は、終わったな、と思った。でもその日のコーヒーブレイクが終わって別れてから思い直した。
メイ様の冗談に違いない! そうとも、そんな馬鹿げたことがあってたまるか、だ! 僕はまだ起きていたエル・メディコと話した。
「いや、本当だ。そういうことがある。証明出来るぜ」
「本当なのか」
「俺ジュライ様の隊志願で訓練隊もそこだったんだよ。俺も調整を聞いた時は悲しかったなあ。まあ今はオーガスト様万歳なんだけどね」
僕は黙って寝た。

*  *  *

毎朝六時が、私の訓練が始まる時刻だ。一週間に一回の休みは無い。流した汗一クォートは、一ガロンの流血を阻止出来るのである。
ということは、二ガロンも流せば、一ブッシェルの流血を阻止出来る訳だ。オーガスト隊の流血が無くなる日は近そうね。私は微笑んだ。
今日も、新兵たちは並んで射撃を始めるところから訓練する。マラソンだの体操だのは、そこまではやらない。やっても意味が無い。
メイお姉様がまた来てるのを見つける。自分の部隊の訓練はどうするんだろうとふと思ったけど、ちゃんとやることはやってるんだろう。
何せエイプリルお姉様の右腕と呼ばれるメイお姉様なんだから……なんだから。どうしよう、やっぱり不安だ。大丈夫なのかな、メイ隊。
「頭じゃなくて下腹部を狙って撃って。狙撃兵になりたいなら、まず的に当てる練習からしなくっちゃ駄目なんだからね」
「はい、オーガスト様」
ケイシー・コリンズの射撃成績は秀、と。その調子でやってたら分隊狙撃手になれるよ、と励ますと、彼は子供みたいに喜んだ。
その無邪気さはオクト、ノヴェ、ディッセに似ていた。メイお姉様が私の傍を通って、とっしーの……としあきのところに向かった。
ちょっとだけ、『変な気持ち』になる。でも、それがいけないものだって思えて、私はそれを押し込めた。別の候補生のところへと行く。
暑いから、と装甲服のヘルメットを外しているとしあきの、指導して貰えないことが残念そうな横顔が、心に小さな痛みを感じさせた。
彼は問題ないから指導しなくてもいいんだと自分に言いながら歩き、ロイ・ウィタカーの伏せている場所まで来る。彼の成績は優だけど、
引き金の引き方にまだまだ直せるところがある。それを二三指摘するとより良くなった。うんうんと頷きながら次の被指導者のところへ。
ホール・カットナーの射撃技量は、姉妹兵の基準を下回っているが、その優れた医療技術と立ち回りの上手さがそれをカバーしている。
けど、技量が向上することについて悪いということは無い。彼の小銃の保持方法について助言を幾つか与え、落ち着いて撃つように言う。
彼は指切による三点バーストで撃っているが、正確にバースト射撃することを求める余りに、銃撃自体の精度が下がってしまっている。
それから何人か巡って、残ったのはとしあきだけになった。私は内心いい気分ではなかったが、メイお姉様と並んで伏せる彼のところに、
ゆっくりと歩いて行った。メイお姉様はとしあきの撃った的を見ている。私もそれに倣った。十数発の命中と失敗を見た後に、告げる。
「とっしー、下を狙い過ぎだよ。幾ら銃弾が放物線を描くからって、それじゃ当たらないよ」
「はい、修正します」
彼は構え直し、狙いをつけて撃った。弾丸はマンターゲットの右の太腿辺りに当たった。これでは駄目だが、まだ一発目だ。待とう。
それからまた十数発、撃たせた。心持ち多めに適切な場所に当たっているようだが、彼の射撃成績は姉妹兵の基準値では到底無い。
私は苛々して、自分でも口調にそれが出ているな、と頭か心の何処かで冷静に自分を観察しながら、としあきに対して注意した。
「修正出来てないじゃない」
「頑張ってます」
「アタシが保障するけど、すぐ出来るようになるよ、としあきならな」
かちん、と来た。マズい、と思った。けど、もう止まらなかった。私の口はこんなことを言う為にある訳じゃないのに、口が止まらない。
言葉が止まらない。『変な気持ち』が大きくなる。ああ、もう駄目だ。私は言葉を止めることを放棄した。冷たい言葉が喉を通って行く。
「頑張ったって当たってなかったら無駄じゃない。ちゃんとやってるの?」
「申し訳ありません」
「謝っても意味がないでしょ!」
メイお姉様が私を呼んで、肩を掴んで揺さぶった。それで私はとしあきを睨みつける目をお姉様に向けて、自分の言ったことを理解した。
私は慌てて謝った。でも私はとしあきの目を見てしまった。私には、彼の目が私を責め立てて、苛むようなものに見えていた。私は思う。
彼はそんな風に思ってなどいないのだろう。そうに違いなかった。短い間だが、それでもその程度のことくらいは分かった。でもだから、
だからこそ、私は私のことを許せなかった。周囲の視線が私たち三人の周りに集まっていたが、メイお姉様が手を振って訓練に戻らせた。
「おい、オーガスト、落ち着けよ。どうしたんだ?」
「ううん、何でもない。何でもないの。何でもないから……」
私はそう言って、何も答えずに、ただメイお姉様に、調子が悪いから後はいつも通りに訓練させて欲しい、と頼んで、そこから逃げた。
……私は──最低だ。

*  *  *

エイプリルは彼女の姿を見るや否や、すぐに、有無を言わせずに、意気消沈した自分の妹を自室へと連れて行った。それは彼女の妹が、
特に彼女を慕っているということを知っていたからでもあるが、しかしそうでなかったとしても、彼女は何らかの手立てを講じただろう。
それはエイプリルの性格に起因していた。オーガストも微かにその性格に期待していたが、しかしオーガストの期待は最終的には外れた。
暖かい紅茶を出されたので、オーガストはシルクハットを脱いでそれを一口飲んだ。その温かみが、彼女の落ち着きを加速させた。
姉は妹に詳しいことを問い質したい気持ちに駆られたが、それを抑える自制心が、彼女を十二姉妹隊のリーダーたらしめているのだった。
彼女はオーガストが自分から話してくれるのを待つことにした。オーガストがそうしたいと思っているからこそ、ここで紅茶を飲み、
体と心を暖めて落ち着きを取り戻そうとしているのだと彼女は思っていた。それは正しかった。オーガストはカップを空にして、やっと、
口を開いた。彼女は嘘を言ったりはしなかった。あったことをただ正直に徹して話し、エイプリルはそれを何も言わずにじっと聞いた。
全てを聞き終えてから、オーガストは何か言われるのだろうと直感したが、エイプリルは何も言わなかった。聞きたいことがまだあった。
「それで、あなた自身はどう思っていますの? このことに関してではなく、このことの後にどうするかに関しての話、ですわよ」
「私は……」
彼女は言葉に詰まった。どうすればいいのだろう? 彼女は考え込んだ。エイプリルは急かさなかった。その心遣いがオーガストを、
追い詰めもしたが、考える時間があったのはオーガストにとって幸いなことだった。しかし、彼女の理性は何も囁かなかった。
どうするべきかを最後に教えたのは彼女が持つ感情であった。謝るべきだと彼女は思って、エイプリルに言った。彼女は頷いたが、
それは同意の頷きではなく、相槌のようなものだった。エイプリルは、謝った後にどうするのかを尋ねた。オーガストは、再び詰まった。
浅い考えしか持てない自分を責めるオーガストだったが、姉はそんな彼女を優しく励ます。エイプリルは深い信頼を彼女に寄せていた。
決して、そう、決して、彼女は、自分の愛する妹が、間違った選択をする筈は無いと思っていたし、もし間違えそうになっていたなら、
自分がその時は間違いを教え、気付かせればいいと思っていた。そして妹は、実に見事に、姉の期待と愛情に応じたのであった。
「謝った後なんて分からないよ。受け入れてくれるか分からないのに、考えられる訳が無いんだから。でも謝らなくっちゃいけないって、
 それは分かるの。お姉様、やっぱり、私は何よりもまず、謝らなくちゃいけないと思う。例えそれが間違ってたとしたって、謝りたい」
「それがあなたの決めたことなんですのね?」
姉は妹を優しく見つめた。妹は意気消沈していたのを引き摺っていたせいで弱々しい感じではあったけれども、にこりと、笑いを見せた。
答えはそれだけで十分だった。今度は同意の意味を含んだ頷きを返して、エイプリルはオーガストのカップにまた、紅茶を注いであげた。
彼女は砂糖を少しと、ミルクを同じように少し入れて、それを口に含む。それから、どうしてこんなことになったのかということへの、
姉の意見を聞きたく思い、それを直接尋ねた。エイプリルは、すぐにではなかったけれど、オーガストの独占欲が第一の要因ではないか、
と推測した。他にもメイの構い過ぎだって原因の中にはあっただろうが、オーガストには自分の独占欲が問題だったのだ、というのが、
一番しっくり来る、この事件の発生原因だった。エイプリルはくすくすと声を立てて笑った。オーガストは何故笑われたのか分からず、
首を可愛らしく捻ったが、それも姉の微笑を生まれさせる理由になった。元気をほぼ完全に取り戻して、彼女は膨れっ面を作って見せる。
「何だか……それ、独占欲が強いのかなあ、私。だって、エイプリルお姉様が誰かとお話してるのを見ても、変な気持ちになるんだもん」
「あらあら、オーガストったら」
優美な微笑みを見て元気付けられ、オーガストは紅茶を飲み干して席を立った。エイプリルは妹の成長を喜んでいることを隠したけれど、
それは彼女がちょっぴり恥ずかしかったからだった。妹は姉に抱き付いてお礼を言ってから、部屋を出て通路を駆け出して行った。
入れ替わりに、ノックの後、メイがやって来る。彼女はオーガストがさっきまでそこにいたことを知っており、それで問題は解決し、
もう自分たちに出る幕は無いようだと考えていた。エイプリルも概ね同じ考えだった。どうやら、メイはとしあきを担当したようだ。
何を言ったのか、興味本位で尋ねてみた。メイは、滔々と語ったが、大体において、単なる励ましの言葉を羅列しまくっただけだった。
後は独占欲のこと。そこだけが、メイとエイプリルの話したことで共通した点だった。
「メイ、あなた本当に適当ですわね」
「失礼だな、アタシだってあいつらが仲直りしてくれりゃいいって思ってるさ。エイプリル、お前もそれは同じだろ?」
「当たり前でしょう? あの子は私の妹ですのよ?」
「おいおい、アタシの妹でもあるんだぜ」

*  *  *

オーガストは僕のところまで、走ってやって来た。僕は一人っきりで会議室Aにいた。一人で飲むコーヒーは、全然美味しくなかった。
メイ様は励ますだけ励まして何処かへ行ってしまったし、特別訓練も今日は無しだそうだ。だから僕は一人で、温い飲み物を啜っていた。
そんなところに、駆け足でやって来たら、その足音が僕に聞こえない筈が無かった。とたとたとた、という音がこの部屋で止まったので、
僕は余計にその音の持ち主が誰かを理解させられた。その後ドアが開き赤と黒が目に入って、僕は彼女に微笑まねばならなかったのだが、
どうも引き攣り気味で上手く行かなかった。オーガスト様も同じだった。僕らはすぐに、無理をすることを止めた。笑うよりももっと、
重要なことがある。自分から切り出したものか、それとも相手から切り出したものか、お互いに同じことで悩んでいたんだろう。
僕ら二人は黙り込んで見詰め合った。五分か、それ以上か。いたたまれなくなって、僕は彼女の分のコーヒーを淹れることにした。
その間に彼女は会議室の椅子に座った。僕の隣だ。それは、相手を見詰めることでお互いの身動きが取れなくなることを恐れてのことだ。
賢い行動だったが、僕はどぎまぎすることになった。オーガスト様は僕が淹れたコーヒーにミルクと砂糖を入れてから、一口飲んだ。
甘党なのか、コーヒーの苦さが嫌いなのか、砂糖を多めに入れていたのが印象的だった。彼女は一口飲んで、美味しいね、と言った。
恐らく嘘だ。そのマズさは僕がとうに知っているところであった。だから彼女は優しい嘘を吐いたのに違いなかったが、僕は首肯した。
「ごめんね」
僕は彼女が何を言ったのか、ちゃんと聞いていなかったので分からなかった。それにそれは、美味しいね、の後に来る言葉ではなかった。
彼女は繰り返して言った。聞いてなかったことが分かったからじゃない。繰り返したのは彼女が、一回言った程度では、と思ったからだ。
「ごめん、としあき」
「いいんですよ、オーガスト様」
「良くないよ!」
大声を出してから、また、訓練場の時みたいな表情を見せる。激情が冷めた時の、あの表情だ。僕はそんな顔をしていて欲しくなかった。
女の子には笑顔が似合う。でもそんな歯の浮くようなこと、僕がオーガスト様に言っていいようなことじゃなかった。特に今の状況では。
彼女は僕に語った。恥ずかしいのか、様々なことをぼかして語ったが、彼女が言いたいことを本当に大雑把に要約するとしたのならば、
自分の隊員、それも自分とそれなりに仲のいい隊員を姉に取られる気がして気に食わない上にその隊員も鼻の下伸ばしてるのムカつく、
と言ったところだろう。独占欲である。メイ様の言った通りなところがあったので、僕はそこまでびっくりはしなかったが、代わりに、
にっこりと微笑んだ。誰のところにも行きません、誰のものにもなりません、自分は、オーガスト様の隊員なのですから。そう言う。
これだって大体歯の浮くような言葉ではあるが、さっきのよりはマシだと思う。僕の感性はズレていると良く言われるから不安だけど。
彼女は恥ずかしがった。それで、独占欲でないと否定しまくった。僕は思いっきりにこにこしてあげた。しまいには叩かれる始末だった。
「いいんですよ、オーガスト様。それは誰にだってあるものなんです。僕にも、オーガスト様にも、メイ様にも、エイプリル様にも」
「それでも、私は恥ずかしいの!」
「あの、その答えは独占欲が原因であると告白しているようなものなのですが」
「あああっ! としあきーっ!」
頭を抱え込んでしまう。僕は彼女の小さな肩を抱きたい気持ちに襲われたが、何とか我慢した。それから、オーガスト様の優しさを褒め、
再度、独占欲が恥ずかしいものではないのだと言い、最後に、実は僕も、オーガスト様が他の隊員たちと話してると、変な気持ちになる、
と言った。これは効果覿面だった。実際にまあ少しだけ、ほんの少しだけだけど、僕にも話し掛けて欲しいなあ、と思ったりするけどさ。
彼女は顔を上げた。顔はほんのり赤かったが、僕の言葉に耳を傾けてくれるようだった。僕は、僕も同じように感じるんですから、
心配しないで下さい、と言った。あなただけじゃないんですよ、と。それは自分の心を中々表せない少女には、嬉しかったらしかった。
「ありがとう」
彼女は言った。僕は頷いた。でもそれだけじゃ何か気に入らないようだ。自分に出来ることは無いか、と彼女は聞いて来た。僕は考えた。
それから、言った。
「また、とっしーって呼んでくれたら嬉しいです」
「……とっしー!」
そうして、僕らは仲直りして、前よりもっと仲良くなったのだった。

*  *  *

約三週間が経った。僕や僕以外のオーガスト隊所属新兵、それに他の姉妹の下で訓練されている三十数名の同期たちもようやくのことで、
十二の文字と羽のマークが入った装甲服を着こなせるようになり、姉妹兵らしい振る舞いと言う奴も板に付いて来た。だが僕は凡そ、
一週間前からずっと、憂鬱な気分が離れなかった。僕はいつまでもオーガスト隊ではいられないのだ。ジュライ様の隊に回されるのだ。
このことを知っているのは、少なくともオーガスト隊にいる新兵の中では、僕だけだ。それが僕を余分に苛むのだった。オーガスト様は、
それを知っているのか知らずにか、教練中しばしば会いに来ては、僕の体調が悪そうだ、と心配するのだった。僕は力なく笑ってみせる。
だって、それ以外に何が出来た? どうして、僕らの正式な配属先が決まっていたにも関わらず、訓練を受ける隊は自由希望だったのか。
分からなかった。何かの拍子に、溌剌とした笑顔の、シルクハットを被った少女の幻影が、瞼の裏に張り付いて離れなくなってしまう。
そんなことを繰り返して──その末が、今日だった。二月最後の日だ。明日、僕ら新兵は、単なる新兵などでは無くなる。姉妹兵になる。
本物の姉妹兵だ。十二姉妹隊正規兵となるのだ。理由は分かっていたが、それだというのに、僕は明日という日が来るのを悲しんでいた。
オーガスト様の横で迎えられない任命式に何の意味があるだろう? 十二の文字と羽──その羽に、八ではない数を表す記号が入るなら、
その部隊章に、どうして喜びを感じられるだろう? 全教練課程が終わったことを祝し、訓練場では迫撃砲を使った花火が上がっていた。
僕はそれを、ある程度距離がある、屋外射撃場から眺めていた。目を凝らせば兵士たちを見て取れる。それに射撃用のスコープがあった。
相変わらず一人で飲むとマズいコーヒーを飲みながら、僕はパイプ椅子に座って、ぼんやりと彼らを見つめる。向こうは馬鹿騒ぎだった。
ジャニアリー隊とマーチ隊は空に空砲を撃ちまくっている。実包でない辺りが彼ら彼女ららしい。ジューン隊、ジュライ隊の兵士たちは、
この馬鹿騒ぎの為に用意された食事の給仕に回っていた。何故かは良く分からないが、交代制ででもあったのだろう。だがしかし彼らは、
既にアルコール飲料を摂取していた為に、スープ類のものを求める者は漏れなく、服に染みを作ることになってしまっている様子だった。
騒ぎまくっている連中の中に、ちらほらと十二姉妹の姿も見ることが出来た。ジャニアリー様はべろんべろんに酔っ払ってしまっている。
四方八方に撃ちまくっているのは誰かと思ったが、マーチ様だった。彼女も酔ったら酔ったで、それなりに『開放的』になるらしい。
フェブ様は彼女の隊の男たちと『楽しんでいる』らしかったが、絶えずその目は兵士たちの各部位に注がれているので、居心地悪そうだ。
ジューン様は、ジュライ様と、ちょっと離れたところから喧騒を楽しんでいる。あ、こっちに気付いた。手を振られる。僕は会釈した。
酔っ払った一群が大挙して突撃した先にはエイプリル様がいる。流石の十二姉妹隊リーダーと言えど、これには即応出来なかったようだ。
あっという間に彼女は囲まれ、平伏した彼女の兵士たちに何やら叫ばれ始めた。「我らが女神!」「じゃなくて天使!」「そうだった!」
とか聞こえる。僕は目を閉じて、音をシャットアウトして、ゆっくりと一人っきりで涙を流しでもしようかと考えていた。続けるならば、
思ったのみならず、泣く寸前まで実際に行った。それを止めたのは背中に掛けられたメイ様の声だった。シャットアウトは不完全だった。
振り返って敬礼する前に、時間を確かめる。十時は過ぎている。つまり、敬礼も敬語も必要は無い、ということだ。振り返り、夜の挨拶。
彼女は僕の傍にやって来た。彼女のお祭り好きは誰もが知り、また誰もが認めるところなのだが、それがどうしてここに来たのだろうか?
「一人で過ごすのがそんなに好きなのか?」
「嫌いじゃない」
彼女は軽く笑った。明るい笑いだった。僕はそれが羨ましかった。明るくやってられるということが、最早僕にとっては羨ましかった。
「便利な表現だな、それ」
「それを言いにここまで来たのか?」
怒るなよ、と彼女は言った。僕は、そう取られても仕方の無いような物の言い方をしていたことに気付き、彼女に謝った。彼女は許した。
彼女は肩を軽く回すと、僕の前に椅子を持って来て、こう形容するのは何だが、どっかと腰掛けた。彼女と過ごしたのは四週間だけだ。
それでも、その感情の動きを少し読み取ることは出来た。彼女は何かに苛立っているか、不安であるか、気に入らないものがあるようだ。
僕は率直に尋ねた。本来の性格からすると回りくどい尋ね方をするのがいつものことなのだが、今日はそんな面倒はしていられなかった。
メイ様は答えを渋らず、待っていたかのように答える。というか、待っていたんだろう。僕が気付き、そのことについて尋ねて来るのを。
彼女が淡々と告げるには、自分が手塩に掛けて育てた兵士の一人が、何かに悩んでいる。それが気に入らないのだ、ということだった。
勿論それは僕のことなのだろう。それ以外に誰がいる? これは自意識過剰ではなく僕のことだ。僕は三度、彼女をはぐらかそうとした。
だがメイ様は逃げようとする僕の肩をがしりと掴んで離さず、目には真剣な輝きを灯している。僕はとうとう、観念させられてしまった。
全て話す。明日配属される隊の話を出した時には、彼女はエル・メディコに対しての一言二言の文句を呟いたが、後は黙って聞いていた。
オーガスト様に言わなければならない言葉の話もした。僕はその時にはもう、それを言うのをすっかり諦めてしまっていたのだけれども。
今日の教練、最後の訓練で、僕は何も、言わなければならないことを言えなかったからだ。メイ様は上手くやってやると言ったが、僕は、
それを信じなかった。そうして少しの間、花火と馬鹿騒ぎを、僕らは眺めていたが、やがて彼女は立ち上がって僕の肩を優しく叩くと、
射撃訓練場を後にした。再び一人だけになる。再び涙がやって来る。結論から行くと、それはまたも止められたのだが、今回は遅かった。
ちょっぴり遅かった。涙の攻勢が始まったのが、メイ様が去って十分後ほどで、止まる原因が来たのが十分と三十秒ほど後だったからだ。
僕の目から幾粒かの涙が零れ落ちていた。大の男が泣かないというのは、大嘘だ。僕は泣いていた。振り返った先に、メイ様が十分前に、
そうであったことよりも不可解なことにそこにいたオーガスト様は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、僕の前に立ち尽くしていた。
僕の涙は瞬間、引っ込んだ。無様なところを見せた、見られてしまったものだと思って、とても恥ずかしく感じ、バツが悪くて下を向く。
「こんばんは」
微笑を浮かべて、僕はそう言った。ちゃんと作れていた筈だ。顔には微笑があった筈だ。オーガスト様も笑った。僕らは挨拶を交わした。
その頃には僕も冷静になっていたので、彼女が何故ここにいるかの理由を確信していた。メイ様だ。その他に考えが一つも浮かばない。
彼女がオーガスト様をここに来るように仕向けたに違いない。しかしどうやって? 僕は少しばかりの好奇心を抱いた。どんな理由で?
もう十時は過ぎ去っているのだ。幾ら第三世代の中では一番大人に近いとしても、今の時間帯は彼女が起きているのには向かないだろう。
「どうしてここへ来られたのですか」
「来ちゃいけなかったかな?」
否定で返す。そんな訳は無い。彼女はメイ様がそうしたように腰掛けたが、彼女がすると『どっか』ではなく、『ちょこん』だった。
僕のすぐ前に、彼女がいる。運が良かったのは、もう真っ暗だったということだ。彼女の顔は殆ど見えない。僕の顔もそうだといいけど。
だって、赤くなっている。その顔を見られるのは、泣いている顔を見られるのと同じか、それ以上に、恥ずかしく避けたいことだった。
「オーガスト様」
彼女はこっちを向き直った。はっきり見えなくとも、その動作は分かった。
「──僕は、心配していました」
「何を?」
「僕が所属する隊……十二姉妹隊の兵士として、一人前になれるかどうかです。自信が持てませんでした。でも」
僕は空を見上げた。星が光っている。迫撃砲の花火の光があっても、星々の輝きは僕の網膜に薄く焼きつくほどの光だった。
「明日僕は、この隊を離れて、別の隊に所属するようになります。正規兵として。一人前の兵士として」
実を言ったなら、こんなことを言いたいのではなかった。僕には、彼女に、このような戯言よりももっと先に、言うべきことがあった。
だが僕は、非常に臆病なのだった。伝えたいことが伝えたいように伝わるとは限らない。だから、思ったように伝わるよう、気をつける。
それがこのどうでもいいに等しい話だった。言うなれば会話のレールを敷いたようなものだ。それで、終着点はもうすぐのところだった。
「だからそうなる前に言っておきたいんです。隊長、オーガスト様。“あなたのお陰だ”と……ありがとうございました」
僕は深々と頭を下げた。僕が言いたかったのは最後の一言だけだった。それがどんな伝わり方をするか、僕には知る術は一つも無い。
ここまで鍛え上げてくれたことにありがとうなのか? ここまで良くしてくれたことへのありがとうなのか? 何もかもへの言葉なのか?
どう取られるかは問題ではなかった。僕がそれを彼女に言ったということが重要だった。独り善がりな考えだと、心の中で自嘲した。
この時の彼女の顔、僕の顔は一体どうなっていたのか。メイさんが『上手くやって』くれなかったら、きっと一生悩んでいたに違いない。
迫撃砲の発射音がして、数秒後に赤や黄色の光が暗い空を飛んだ。だから僕は、彼女の表情を見ることが出来た。愛らしいその顔を。
「多分それは」
彼女は、大変な勢いで発射され続ける迫撃砲の光を見つめながら、呟く時の声で言った。その小さな囁きは、空に吸い込まれていく。
微笑んでいた。彼女は微笑んでいた。何かを知っているような微笑みだった。炸薬の破裂音がして、ほんのコンマ数秒、世界が瞬く。
「それはとっしーの努力の賜物っていうもので、“私のお陰”じゃあないと思う」
二つ目の破裂音は、照明弾のものだった。パラシュート付照明弾の強い光は、オーガスト様の横顔をはっきりと照らして見せてくれた。
「けど」
彼女は下を向いて、何だか照れ臭そうにしたが、すぐに僕の方を向く。
「それでもとっしーが“私のお陰”だと言うのなら、私も言おうと思うの。……ありがとう、としあき」
にこり、と彼女は笑った。僕もやっと、力なく笑うのではなく、心からいい気分で、笑うことが出来た。明日を迎える覚悟が出来ていた。
僕らは暫く、迫撃砲弾の花火を見つめていた。程なく、オーガスト様は椅子から立つと数歩歩いて、僕を見て、手招きをしてから言った。
「帰ろうよ、とっしー。もう遅いよ?」
「そうですね、隊長。眠いでしょう」
彼女のベッドへの道を歩き始めるが、それは生憎すぐそこにあるものだった。だから僕たちに最後の会話を楽しむ余裕は、ほぼ無かった。
「私、子供じゃないもん。全然眠くないもん」
「ふかふかのベッドに柔らかい枕」
「ふわぁ……」
「ほらやっぱり」
「ね、眠くないよ! 条件反射だよ!」
「はいはい」
部屋の前に到着する。僕は足を止める。彼女はドアを開けて、振り返り、今日一番の笑顔で、言った。
「お休み、としあき」
「お休みなさい、オーガスト様」

*  *  *

そこから先は覚えていない。僕は帰って眠ったらしい。起きた後には、即刻事務室へ全員出頭を命じる書類が、ご丁寧に届けられていた。
事務室にはエル・メディコがいて、以前新兵だった者たちに悲報を与えていた。彼は不愉快そうな顔だったが、部屋に僕が入って来ると、
幾分かはその顔も和らいだ。彼は仕事をする前に、僕に愚痴を散々言った。ジュライ隊への人数合わせの配属が、愚痴の九割だった。
そう言えば、僕も九割の話の内なのだった。でも僕はもう、それで憂鬱になりはしなかった。昨日、覚悟出来ていたからだと思う。
エル・メディコは、あれこれの文句──エアコンが壊れたまま修理されていない、ペンのインクがどれも切れ掛けなど──を言ってから、
彼の本来の仕事に取り掛かった。僕の名前を探してくれている。何しろ、彼のファイル整頓術はどうしようもなく乱雑なものなので、
たった三十八名のファイルからだって、探すのに数分を要するのだった。そのことはもう知っていたので、僕はそこまで苛つかなかった。
「えーっと、としあき、としあきと……おお、あったぞ、これだな。オーガスト様の部隊だ。次呼んで来い」
「何ですって?」
僕は耳を疑った。そんなことがある訳が無かった。他の殆ど誰もがジュライ隊へと配属されたのだ。だというのに僕だけが何故そこに?
「聞こえなかったのか? オーガスト様の部隊だ。考えられるのは、ジュライ様の隊の欠員が丁度埋まったんだろうな、お前以外の兵で」
「何故です!」
エル・メディコは大げさに溜息を吐いた。半目で、にやにやしながら、彼は僕に突き放すような口ぶりで言った。
「知らんよそんなこと。とっとと案内役と一緒に挨拶しに行って来いよ、正規兵。きっとお前を、『お待ちかね』だぞ」
何てことだ、知ってたんだ。彼女は知ってたんだ。くそ、何て恥ずかしいことをやってしまったんだ! 彼女の微笑はこれだったんだ!
彼女の……メイ様の言葉は嘘じゃなかった。彼女は本当に、『上手くやっ』たのだ! ちくしょう、一体なんだってこんなことが起こる?
思いとは裏腹に僕は喜びに体を震わせていた。足は崩れ落ちそうになっているかのようであり、がくがくと音でも立てそうなほどだった。
僕はしかし部屋を飛び出すと、大いに喚き立てながら走り出した──愛しいあの少女の許へ。そして彼女は、きっと笑ってくれるだろう。