32-00635-01:黒埼紘
ターン15は、長い冬であった。
第一世界において、その期間は11月中旬から3月末。私が住む北海道の冬と、ほぼ一致する。
「アイドレスは長い冬と短い夏のゲーム」とは宰相の言。長きに渡って準備を重ね、成果の実感と喜びは一瞬、という意味であろう。
双方の意味で、私にとってT15は冬であった。
「アイドレスは長い冬と短い夏のゲーム」とは宰相の言。長きに渡って準備を重ね、成果の実感と喜びは一瞬、という意味であろう。
双方の意味で、私にとってT15は冬であった。
歳のせいか、日頃の不摂生故か。ここ数年、私は冬になると気管支炎を患う。気管支炎の咳と痰にまみれながら進めたのが、太元の開発であった。
太元はアイドレス用の部隊評価計算ツールである。僭越ながら、私はこれに「夢の」と冠したい。事実、私にとって積年の夢だったからだ。
太元の構想はシーズン1まで遡る。太元の最初の名前は「文殊」であった。元々、文殊は部隊評価計算ツールとして始まったのだ。
しかし、アイドレスのルールはあまりに複雑で、この構想はあっさり挫折。文殊はキャラクター&根源力管理システムとして成長する。
シーズン2にてi言語が登場するまで、太元は実現の見通しすら立たないただの空想として、胸の内に秘める事となる。
しかし、アイドレスのルールはあまりに複雑で、この構想はあっさり挫折。文殊はキャラクター&根源力管理システムとして成長する。
シーズン2にてi言語が登場するまで、太元は実現の見通しすら立たないただの空想として、胸の内に秘める事となる。
太元の前提はi言語だけではない。VisさんのVCCを参考とし、アイドレス定義の「新書式」整備、そしてこれを機械解釈する「持堅」コンパイラの開発。更に言えば文殊による個人所有アイテム・個人職業管理も、最終的には太元で利用するための布石であった。
その全てが整ったのはT14半ば。公共事業開発を認めてもらうためのプロトタイプ太元のお披露目がT14末。
T15はまさに、太元開発の最終フェイズとなった。
その全てが整ったのはT14半ば。公共事業開発を認めてもらうためのプロトタイプ太元のお披露目がT14末。
T15はまさに、太元開発の最終フェイズとなった。
そしてT15は、越前藩受難の日々でもあった。
長年保っていた情報戦優位が破られ、手紙・電話などの通信保安対策を期待されるもこれを達せず、私は咳に苛まれ、藩王はPCが壊れ、度重なるクーリンガン襲撃への対応で太元開発が滞り、新規アイドレス実装もまた遅滞した(事実、ネットワークエンジニア(職業)実装からこちら、越前藩は何一つアイドレス実装を提出できていない)。
政策プレイングもろくに手を出せず、その間、クーリンガンの襲撃で国民の多くが命を落とした。地獄バーガーが流行ったりもした。
私は越前摂政として、その責を負う。
長年保っていた情報戦優位が破られ、手紙・電話などの通信保安対策を期待されるもこれを達せず、私は咳に苛まれ、藩王はPCが壊れ、度重なるクーリンガン襲撃への対応で太元開発が滞り、新規アイドレス実装もまた遅滞した(事実、ネットワークエンジニア(職業)実装からこちら、越前藩は何一つアイドレス実装を提出できていない)。
政策プレイングもろくに手を出せず、その間、クーリンガンの襲撃で国民の多くが命を落とした。地獄バーガーが流行ったりもした。
私は越前摂政として、その責を負う。
春が来て、太元は一応の完成を見た。ユーザーの反応は上々、暖かくなって私の咳も止まった。
今こそ私は摂政の責を負い、敵に今迄の責を負わせよう。
今こそ私は摂政の責を負い、敵に今迄の責を負わせよう。
のっぺらぼうがなんぼのもんじゃい。
(998字)