シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

郷土愛のかたち

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郷土愛のかたち 作者:弥月未知夜

 蓮川茂は驚いた。人生でこれほど驚いたことはなかったのではないだろうか。
 初めは耳を疑って、その後に夢だと自分を納得させようとしてみた。だが見回す周囲の現実感は本物で、夢のようにあやふやではない。
 だから現実なのだろうと渋々蓮川は認める。
 人生長く生きていれば同じくらい驚いたこともあるが、これほどの驚きを覚えることはこれまでもこれからもないだろう。
 新居を建てる折りに蓮川の愛すべき妻である加世子が「お家を建てるんなら、私やってみたいことがあるの!」とうきうきした調子でとんでもないことを言い出した時も多少は驚いたが、ここまでではなかったと思う。自宅で趣味で作り出した雑貨を販売するなんて、まあ――驚いたが。
 蓮川は驚いたもののその際は反対しなかった。市販品と見まごうほど加世子の作品の完成度は高かったし、家の中に溢れる様々な雑貨の置き場に困っていたからだ。インターネットで販売という方法もあるのだろうが、蓮川も妻もハイテク関係にはとんと疎い。
 かくして、蓮川家は妻の趣味で形作られたナチュラルテイストの自宅の一角にて、「手作り雑貨Lotus river」を週に三日ほど開店している。
 ごく普通の住宅地の中にある普通の民家で運営している割には客の入りはよいのではないだろうか。蓮川の仕事中に開店しているため実際の様子は分からないが、収支がプラスなのは帳面管理を手伝っているので知っている。経費にあたる材料代や電気代など諸々を引いてプラスなのでたいした額ではないのだが、妻が生き生きとしているのには金額以上の価値がある。
 ただ、店の為に多く時間を割くようになった妻が弁当を作ってくれなくなったことにはいささか閉口したが。
「あのー、課長。課長ー?」
 蓮川は部下の声でハッと我に返った。耳にした言葉が現実だと理性が認めたくなかったのか、現実逃避していたらしい。
 時計を確認すると、十二時半を少し回ったところだ。先ほど見た時とそうは変わっていないので、長いこと現実逃避していたわけではないらしい。
「ん」
 バツが悪いのを咳払いで誤魔化して、目をそらしたかった現実に蓮川は目を向ける。
「――上手く聞き取れなかったんだが、今なんて言った?」
「なんか悩み事ですか、課長」
 目をぱちくりとさせた本田真介が心配そうに聞いてくる。誰のせいだ誰の――言い返したくなるのを蓮川はぐっとこらえた。
「いや、そうじゃない」
 そーっすかと本田は呟いた。
「あのですね、課長は投資信託に興味あります?」
「……投資信託……か……」
 二度目の衝撃を蓮川は静かに受け止めた。
 投資信託――これほど本田に似合わない言葉もあるまい。この部下が資産運用なんて言葉を知っているかさえ危ぶんでいた蓮川なので、その衝撃たるや大きい。
 しかも興味があるか、だと?
 自問しつつ、蓮川は興味津々にこちらを見る本田を観察した。
 本田は、良く言えば子供の心を忘れない青年だ。悪く言えば年齢だけ大人になったような青年。
 タバコを嗜むわけでもないし、酒豪と言うほど飲まないし、ギャンブルに手を出すわけでもない――だがその代わりにテレビゲームに費やしているようなのでほとんど貯金が出来ていない様子だ。
 金遣いが荒いというわけではないが、あればいい気になって使うのだろう。時折休憩の時に近所のATMに走っている。
 その図体だけがでかい子供のような男が、投資信託なんて言葉を口にするなどとは。
 空から槍が降ってきたりするんじゃないだろうか――いや、本田が聞き込んできた不思議話を信じるとするなら、うどんかもしれないが。
 混乱する頭でそんなことを思ってしまい、蓮川は不思議話に頭が毒された自分を叱咤した。
「なんだ、その、本田――お前……その」
 自分を鼓舞してもなかなか次の言葉が見つからない。思わずちらりと見やったのは観光振興課の春林敦子だ。
 本田と春林がお互いに想いあっているくせにすれ違っているのは観光局で周知の事実だった。誰もがそれを見守っているのはくっついて欲しいような欲しくないような微妙な心持ちだからだ。
 愛だけでは生きていけない。図体だけがでかい子供のような本田と、ふわふわとして地に足が着いていないところのある春林がカップルになったら――それがまかり間違って結婚なんて事になればその家庭の未来が怖い。
 人の恋路に口を出す気のない蓮川は「春林とうまくいったのか?」なんて直接には聞けず、咳払いをして言葉を止めた。
「性根を入れ替えて、貯金でもする気なのか?」
 うまくいったから結婚を考え始めたのか、とも聞けない。恐る恐る口にした蓮川を見て本田はきょとんとしている。
「貯金?」
「貯金のようなものだろう。元本割れする可能性はあるが、ものによっちゃ銀行の利息よりも戻りはいいはずだ。長期で運用することによってリスクは――」
 蓮川は本田が言っていることを欠片も理解していないことを悟って言葉を止めた。
「お前、投資信託が何のことか分かっていて聞いてるのか?」
 本田が首を横に振ったので、蓮川は安堵の息を吐いた。蓮川の見込み通り、本田は資産運用に興味を持つような男ではなかったようだった。
「そうか」
「課長は詳しいですねえ」
「そうでもない。少しかじった程度で、専門家には及ばない」
「はあ。それでも俺よりは詳しいですし」
「――当たり前だ、馬鹿者」
 ふうと息を吐いて蓮川は頭を振る。
「全然知らんくせに、何だってお前投資信託なんぞと言いだしたんだ?」
 呆れつつも安堵した後で次に沸いたのは疑問だ。
 本田が突然知らない言葉を使い出したのには原因があるはずだ。蓮川は眉を寄せて考える。
「――なんだ、そんなゲームでも出たのか?」
「課長、俺のことをなんだと……」
「どうせそんなことだろうと思ったんだが、違うのか?」
 本田は全力で蓮川の言葉を否定した。ちょっと待ってくださいと言い置いて自分のデスクからなにやらとってくる。A四用紙の全体に、新聞がコピーされていた。
 蓮川は目を細めて記事を見るが、それを蓮川に差し出した本田が指さしたのは記事ではなく広告。訝しく思ったものの、蓮川は一瞬で本田の意図の一端を掴んだ。
 霧生ヶ谷地方ファンド。その商品名は明確でわかりやすい。
「霧生ヶ谷新聞の、昨日の広告です」
「そうか」
 今日の新聞でなく昨日のものであるところが手落ちだが、本田が新聞に目を通しているところは評価してやってもいい――ハードルの低い評価だがと思いつつ、蓮川は広告に目を通す。
 名前の通り要するに霧生ヶ谷に本拠を置く企業に投資するファンドだ。
 あなたも霧生ヶ谷の発展に力を貸しませんか――広告内で存在を誇示するキャッチコピーに容易く本田は引っかかったのだろう。霧生ヶ谷への愛を声高に語る彼らしいと言えばらしいが。
「霧生ヶ谷の発展のために力を貸せるなら貸したいと俺は思うんですけど、どういう事なのかさっぱり分からなくて」
 広告に目を落としていた蓮川はそう呟く本田をじろりと見た。
「分からないなら手を出すモノじゃないと思うがね」
「でも、地域の発展にって」
 蓮川の迫力にめげず本田はボソボソ言う。大げさに息を吐いて、蓮川はどう言うべきか迷った。あまり突っ込んだ話をするのもどうかと思うのだが、はっきり言わなければ本田は訳の分からないままおそらくは少ないであろう全財産を元本保証もない投資に突っ込みそうだから――怖い。
「本田、お前セールストークを鵜呑みにするな」
「鵜呑みにしてるつもりはないんですけども。ほら、この銘柄ってヤツに有力企業が載ってるじゃないですか」
「――お前、貯金はどれくらいある?」
「は?」
 もう一度ため息を吐いて問いかける蓮川に間の抜けた顔を見せて、それでも本田は指を折り始める。
「えーと、確か……って、いくら課長にお世話になっててもそういうことは軽々しく言うもんじゃないと思うんすけど!」
「お前の収入がどれくらいなんて、私も歩いてきた道だから想像が付く。物価の変動で多少は変わってるかもしれんが」
「だからって言えるもんじゃないでしょー!」
「軽々しく言えないくらい使い果たしているであろうことも想像できるな」
 ぐっと本田が押し黙ったところをみると、やはり予想は正しいらしい。蓮川はバツの悪そうな本田に構わず話を続けることにした。
「投資は余剰資金でするものだ。銀行に預ければ必ず利子が増えるが、株やら投資信託やらは目減りすることがある。ほら、お前だって株価が増えたり減ったりするのは知っているだろう?」
 不承不承本田は首肯した。
「投資信託ってヤツは、株よりはリスクが低いだろうな。分散投資――つまり、いろんな所に分けて株やら何やらを買って運用する。上がるものもあれば下がるものもあるだろうし、プロの手で売買されるからそう大きく目減りすることはないってことになっている」
「なっている?」
 そう、と蓮川は深々とうなずいた。
「プロだからって失敗がないとは言えないだろう。プロのスポーツ選手だってミスをする。投資のプロだって未来が見える訳じゃない」
「あー、なるほど」
「投入した全財産が大きく減る可能性があってもなお霧生ヶ谷の発展に寄与したいというのなら私も止めないが」
「……く」
「運用によっては銀行の預金より増えるかもしれないから毎月少しずつ買うのも手かもしれないが、当地ファンドはリスクが高いと私は思う。そのリスクは長期間運用すれば低くはなるが――あまり貯金がないならいざって時に取り崩すことになるだろうから、その時に価値が低ければ大損だろうな」
「まさかこんな形で郷土愛を試されるとは!」
 本田は蓮川の話を半分くらいしか理解していない顔で拳を握りしめる。
 蓮川は呆れた顔で部下を見やって頭を振る。時計を見るともう休憩時間が終わりそうだった。
 上司の机の前で真剣に郷土愛に悩む本田は時間など気付かず延々と悩みそうな気配を見せている。どうしようもない部下に蓮川はこの日何度目か数えたくないため息を漏らした。
「あー、本田」
 蓮川はコツコツと机を叩いてしばし悩んだ後で、とりあえず部下を悩ませるコピー用紙を問答無用で背後のゴミ箱に投げ捨てる。ああっと声を上げてそれを目で追う本田の視線を怒り顔で遮断する。
 まずいと思ったのか本田は直立不動の体勢になった。
「郷土愛を金銭で示すのは、なんだ。俗物的じゃないか?」
「そ、そーっすか?」
「お前は方向性はどうあれ霧生ヶ谷のために頑張っているんじゃないかと……思うぞ?」
 いまいち自信がない物言いになったのは、本田の突っ走る方向性が方向性なので仕方ない。それが悪かったのか本田は説得されきらず難しそうな顔で腕を組んで首をひねった。
 しまったと思ってももう遅い。蓮川は時計の長針が天を差しつつあるのを横目で見てさらなるため息を生産した。
「お前に投資信託は向かないから止めておけ。俗物的に郷土愛を示したいなら別の方法がある」
「え?」
「霧生ヶ谷市債でも買っておけ」
「きりゅうがやしさい、ですか?」
「そうだ。財政局財政課市債係が担当している。五年だか十年だか預けっぱなしになるが、霧生ヶ谷市に直接的に協力できるんだから願ったりかなったりだろう。なにより、利子が付くから目減りはしないしな」
 聞いた瞬間に走りかける本田の服の裾を引っ張って蓮川は彼をぎろりと睨んだ。
「なんですか課長、俺話を聞いてこようかとッ」
「休憩時間は終わりだ馬鹿者。資料なら明日の休憩時間にでももらってこい」
 慌てて時計を見た本田はうわあと叫んで、自分のデスクに戻っていった。

 

 その後、郷土愛を確かな形で示すために本当に霧生ヶ谷市債の購入を計画、自分に出来る最大限で実行し――あまりに張り切りすぎて十年債にかなりの額を突っ込んだためにしばらくの間新作ゲームが買えなくなり、寮の隣人相手に盛大に嘆くことになる。

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