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藩国国民紹介SS・5 歩露さんの場合

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takanashi

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【歩露さん紹介SS】
作:小鳥遊(ワカ)


 思えば、どんなことでもきっかけは些細なことに過ぎないものだ。
 例えば、仕事帰りに廊下を歩いていると、石で組まれた壁の内の一つだけが薄汚れていることに気づいてしまったり。
 そんなもの無視すればいいものの、気になって色々いじくっている内に、その石がガコンと沈んで、地下への隠し通路が見つかってしまったり。
 すぐに藩王や摂政に報告するべきなのに、好奇心に負けて中を探索してしまったりと、一つ一つは些細なことばかりなのだ。
 そんな些細なことが一つでも起きていなければ、こんな事態には陥らなかったはずなのに。
 小鳥遊の胸中に「好奇心猫をも殺す」という言葉が浮かんだ。
 苦い気分で今度からは気をつけようと固く心に誓う。

「ク……くっくっくっく……まさかこの場所が見つかってしまうとはな……
 残念だがこのままただで返すわけには行かなくなってしまったようだ、小鳥遊君」

 小鳥遊の背後からは、ヒーローショーの悪役のような高笑いが響いてくる。

 小鳥遊は、溜息を一つついた。それが全てを表していた。



 元来、小鳥遊は感情の起伏が激しい猫である。
何かに驚けば声を上げるし、悲しければすぐに泣く。
 そんな小鳥遊が声もなく立ち尽くしているのは、単にどう反応すればいいのか分からないからだった。

 深呼吸を一つ。どうにか頭を落ち着けて、小鳥遊は口を開いた。

「あの……歩露先輩?」
「何かね? 畏怖と尊敬と憧憬と思慕の念をこめてMr.バイザーと呼んでくれても構わんよ?」

 とりあえず思慕は嫌だなあ、と頭の中のやけに冷静な部分から声が響いてくる。
 というか、歩露先輩ってこんなキャラだったッスかね、と心の中で呟いた。

 歩露は、国内の歴史や物語を一手に引き受ける文族の中心人物である。
 現在は新米吏族として働いている小鳥遊だが、元々は文族志望だったこともあって、仕事についての様々な手ほどきを歩露からは受けている。小鳥遊にとってはもっとも親交の深い先輩の1人だった。
 この先輩、良くも悪くも自由人な面があり、時折藩王に追い掛け回されている姿を見たことがある小鳥遊だったが、それは半分じゃれついているようなものだと小鳥遊は思っている。
 その程度には歩露に対しての理解をもっている小鳥遊だったが、こんな一面を小鳥遊は知らない。
 自分は人間関係はそんなに希薄だったのだろうかと考え、バイザー姿の歩露先輩を眺め、知っていたら知っていたでそれはどうだろう、と思って考えるのをやめた。
いろんな意味で悲しくなりそうだった。

「いえ、申し訳ないッスけど遠慮させて頂きますッス。それより……」

 小鳥遊は改めて視線を前に向けた。
 王城の地下室、それも隠れるようにして作られただけあって、四方の壁や床、天井は土がむき出しで、中は明かりも少なく、薄暗かった。
 広さは5メートル四方くらいだろうか。
薄暗くてあまりよく見えないが、それくらいの大きさの部屋の中に、山のように「何か」が積まれている。

 半ばその正体を悟りつつ、小鳥遊は尋ねた。

「『これ』は、一体なんッスか?」

 小鳥遊は目の前にうずたかく積まれた何かを指差して尋ねた。
 待ってましたとばかりに歩露は胸を張って高らかに答える。

「バイザーさ!!」

 そう嬉しそうに叫ぶ歩露の目元にも、大きなバイザーがつけられている。
 そして目の前に浮かべたどう少なく見積もっても500は超えるであろうバイザーの山を見て、小鳥遊は反応に迷い、辺りを見回した。

「……はあ」
「そのあからさまに興味のなさそうな反応は頂けないな……。小鳥遊君はまだバイザーの素晴らしさが分かっていないと見える。
いいかね? バイザーとは物をよりはっきりと、より正確に見るために生まれた、人間と機械の融合形のひとつ!
 いわば理想のアイテム。マジックアイテムなど物の数にも入らない、世界の全てだ!!」
「あの、そのバイザーが、なんでこんなに……?」

 このまま放っておくと延々とバイザーの素晴らしさについて説かれかねないので、小鳥遊は質問を挟み込んだ。
 嫌な顔をされるかと思ったがそんなことはなく、歩露は上機嫌で、「いいところに気がついた」と前置きした。
 そして両手を広げ、大仰に告げる。

「ここに貯めこまれたバイザーを使って、私の長年の夢がついに実現するのだ!」
「夢……ッスか?」
「そう、私の夢……『国民総バイザー化計画』が!!」

 狭い室内に歩露の声がわんわんと響き渡る。ハウリングにもにたその振動に、小鳥遊は思わず耳を塞いだ。
 固められた土でできた天井からパラパラと塵が落ちてくる。
 心なしか、ひびが入っているようにも小鳥遊には見えた。
 怖いことを考えてしまいそうなのでそこで思考を止め、振動がやむのを確認してから、恐る恐る口を開く。

「えと……なんだか聞くのが怖いッスのでその計画については聞かないッスけど……どうやってこんなに数を集めたんスか?」

 小鳥遊は辺りを見回した。
狭いとはいえ部屋に山と積まれたバイザーの数は半端なものではない。
バイザーというものがいくら位するのか小鳥遊には見当もつかなかったが、それでもこれだけの数を集めるともなれば、それなり以上の費用がかかるはずだった。
 まさか、という思いが顔に浮かんでしまったのだろう、歩露は怒ったように眉根を寄せた。

「これはちゃんと私がコツコツと貯金して買い揃えた物だよ」
「す、すみませんッス」

 これだけ集めるのには苦労したんだ、と愛しそうにバイザーをなでる歩露。
 色々苦労したらしい。小鳥遊は素直に謝った。

「えと、ということは、まさかこの部屋も……」

 小鳥遊は辺りを見回した。薄暗く、土がむき出しになった小さい部屋。
 歩露は当たり前のように頷く。

「もちろん、私が掘ったものだ。当然隠し通路も」

 小鳥遊は歩露先輩がスコップとつるはしを持ってひたすらに穴を掘る光景を想像した。
 夢をかなえるためにはたゆみない努力が必要なんだなあ、などと真理じみたことを思う。
 歩露も今までの苦労を思い出したらしい。幾分しみじみとした表情になって、山の中の一つのバイザーを手に取った。

「いやあ、これだけのバイザーを集めるのには苦労したよ。特にこのバイザーは、コレクターの人に三日三晩頼み込んでようやく譲ってもらった逸品でね、装着すると5人にバイザーを装着させない限りはずせなくなるんだ」
「なんかチェーンメールとか不幸の手紙じみてるッスね……」

 思わずこめかみに一筋の汗を流す小鳥遊に、歩露は笑って見せた。
 なんとなくその笑顔に威圧感を感じて一歩下がる小鳥遊。嫌な予感を全身に感じていた。
 歩露はその呪われたバイザーを持って小鳥遊へと一歩近寄る。

「さて、小鳥遊君、これでも私は藩王に目をつけられていてね、この場所が漏れると困るんだ」

 笑顔のままもう一歩進む歩露。

「そ……そうッスか。だ、だだだ、大丈夫ッスよ。俺、これでも口堅いッス」

 ぎこちない笑顔で一歩下がる小鳥遊。

「それに、そろそろ計画を実行しようかと思っていたところでね」

 笑顔のまま更に一歩進む歩露。

「え、えと、俺は協力しては挙げられないッスけど、陰ながら応援させていただき増すッス」

 笑顔に一層の堅さをこめて退く小鳥遊。

「いやいや、そんな寂しい事は言わないで。痛くしないから」

 満面の笑顔で一歩進む歩露。

「あ、歩露先輩なら1人でも立派にやってけるッスよ」

 もはや笑顔というより泣き顔になって退く小鳥遊。
 壁に背がぶつかる。逃げ場はもうなくなった。

 笑顔で一歩進む歩露。距離がだんだんと縮まっていく。

「さあ、すぐに終わるからね……」

 穏やかな口調なのが更に小鳥遊の恐怖心を駆り立てる。
実際には単にバイザーをつけられるだけで、害も何もないのだが、歩露から感じられる得体の知れないプレッシャーに、小鳥遊はパニック状態になっていた。

後一歩で距離が0になるというところで、小鳥遊の恐怖は臨海を超えた。

「た、助けてッスーーーーーーーー!!!!」

 悲鳴を上げる小鳥遊。
それが引き金だった。

「「……え?」」

 天井からパラパラと土が落ち始めるのに、二人は気がついた。

 元来、手掘りで作られた地下室である。
強度設計などがなされているわけでもなく、石材や木材で補強されている訳でもない、ただ土を掘っただけの地下室は、その振動に耐えられなかった。
 崩落の前兆が始まっていた。

「に、逃げないとまずそうッスね……」

 目の前に歩露の持ったバイザーを突きつけられていることも忘れて、小鳥遊は天井を見あげた。
 土で固められたそれに、次々とひびが入っていく様は恐怖を煽るのにこの上ない役割を果たしている。
 二人の心に恐怖と焦燥が生まれ、急速に肥大化していく。

 ああ、しかし。
 歩露はバイザーを愛していた。
 そしてそのことを、なにものにも変えられぬほどに誇りとしていた。
 故に。

「ば、バイザーを置いて逃げるなんて事はできない!」
「あ、歩露さん?!」

 その誇りゆえに、歩露は己1人だけ逃げ出すことなどできなかった。
 脱出しようと出口付近に移動していた小鳥遊が、驚きと共に振り返る。

 あろうことか、歩露は山と積まれたバイザーを必死になって抱えていた。
 バイザーと一緒でなければ脱出などできないと、その背中が語っている。

 だが、500を超えるバイザーを一度に運ぶことなど不可能。
 このままでは間違いなく崩落に巻き込まれてしまうだろう。
小鳥遊が歩露を、先輩を救おうと手を伸ばしたその瞬間、二人の間に一際大きい岩石が落ちた。
 一瞬で、人が通り過ぎるだけの間が消失する。

「あ、歩露さあああああああああああああああん!!!!」

 小鳥遊は必死になって歩露の名を呼んだ。
 もう届くことはないと分かっていながら、土砂の隙間から必死になって歩露へと手を伸ばす。
 それを、歩露は優しい瞳で見つめていた。
 ゆっくりと、首を横に振る。
 愛するバイザーと共にいるという決意を秘めた瞳だった。

 崩落は進む。

 次の瞬間には、小鳥遊の視界から、歩露と、歩露の愛したバイザーの姿は、土砂にさえぎられて見えなくなった。

 これが、歩露の計画した「国民総バイザー化計画」の、終焉であった。






 なお、翌日には歩露は何事もなかったかのように王城に出仕した。
 歩露と共に会ったはずのバイザーの行方は、誰も知らない。
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