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桜娘準備編、またはAくんの受難

『桜娘準備編、またはAくんの受難』


「い、いやぁぁぁー!」
辺り一帯に響きわたる男性の悲鳴。
書類仕事をしていた吏族の何人かが顔を上げたが、「ゴッドスピード、ヒロキ」と呟いて仕事に戻った。

今年の桜娘の衣装はメードスタイルであり、そこへ至る経緯には紆余曲折があったわけだが、ここでは割愛する。

とにかくその結果、かくたとヒロキもメードスタイルになることが決定し、二人は仕事の合間を縫って採寸や試着などの準備を行っている。
もちろん二人は男性である。

今日もヒロキは仮縫いの衣装の試着に呼び出され、衣装制作に当たっている桜祭実行委員会衣装制作部に出向いていた。
制作部のメンバーは映画の衣装制作も手掛けるプロである。

が、問題は「ヒロキを一人前のメードにしてやってください」とかくた本人から頼まれたという本職のメードさん方だった。

衣装合わせと平行してお辞儀の仕方から歩くときの姿勢、正しい箒の持ち方・使い方などが軍人さんもびっくりのスパルタで教えられた。
ヘッド・ドレスが曲がっていれば即座にメード長のチェックが入る。
エプロンは常に清潔な白いものを。
ご主人さまは笑顔でお出迎え。

可愛いメードさんに囲まれてちょっとラッキー、とか思ってたのが遠い昔のよう。
「あら、ヒロキさん。背中が曲がっていますよ」
「お盆は水平に。お茶がこぼれてしまうわ」
「ヒロキさん。さあにっこり笑って」
「エプロンの紐が縦結びになってますよ、ヒロキさん」

…メードさん方は容赦なかった。



「ヒロキさん」
「はい。メード長」
疲れた顔は見せてはいけない。
だってメードだもん。
ヒロキは精一杯の力で表情を作った。
すると、これまでにこりともしなかったメード長が微笑んだ。
「あなたには立派なメードの魂が宿りました」
メード長の手が、モデルのようにきれいとは言えないけれど働き者の手が、ヒロキの手をとった。
「よく頑張りましたね」
「メード長…!」
「おめでとう。ヒロキさん」「おめでとう」「おめでとう!」
メードさんたちから拍手が起こる。
「皆さん…っ。ありがとうございます…っ」

室内は感動に包まれた。


コンコン。ガチャ。

ノックと共に入ってきたのは桜祭実行委員会の腕章をつけた少女だった。
「あのー。ヒロキさんの準備を進めたいんですけど、いいですかー?」
メモを確認しながら話す少女。
「あ、はい」
感動で涙目になりつつ返事をするヒロキ。
「では、無駄毛の処理をお願いしますー」
「は?」
「無駄毛の処理、です」
少女は持ってきた荷物からカミソリとクリームを取り出した。
メードさんの一人がそれを受けとる。
「どうぞ」
笑顔で差し出すメードさん。
周りのメードさんもみんな笑顔だ。
メード長を見る。
メード長は真面目な顔で言った。
「メードに無駄毛は許されませんよ」


「い、いやぁぁぁー!」
ヒロキが無駄毛を処理したのかは、ロングスカートと紺のソックスに阻まれ定かではない。


(文責:グラジオラス)