【五話】『手』猫虫 ◆5G/PPtnDVU


20 名前:猫虫 ◆5G/PPtnDVU @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 19:31:17.64 ID:rKZkpF2O0 [4/40]
【手】

小学校に上がった年の夏、じいちゃんの家へ泊まりに行った時の話だ。
その夏は親戚内での祝い事があり、親戚の大半がじいちゃんの家に集まっていた。
俺は集まった親戚の子供達の中ではKという男の子と一番年が近く、その時が初対面だったにも関わらず、悪ガキ同士あっという間に仲良くなった。
俺の家族もKの家族もじいちゃんの家にしばらく泊まる事になっており、俺はそこで過ごす間は毎日Kと二人で夏の冒険ごっこに勤しんだ。

じいちゃんの家は海のすぐ近くにあり、子供の足でも徒歩2分とかからずに浜辺へ出られた。
ただ、海は砂浜の少ない岩だらけの磯で、とがった岩が多い上に潮の流れも複雑なため、泳ぐ事は禁じられていた。
その代わり干潮になると岩伝いにかなり沖の方まで行く事ができ、磯遊びには最適の場所だった。
俺達は潮だまりで魚やカニを捕まえたり、うじゃうじゃいたアメフラシを雪合戦の如く投げ合ったり、こっそり泳いでいるところを見つかって親にゲンコツをもらったりと、実に悪ガキらしく夏の海を満喫していた。

じいちゃんの家に来て四日目。
その日は大潮だったのか、これまでよりさらに沖まで岩場が顔を出していた。
俺はバケツを、Kはタモ網を片手に、海面にほんの少しだけ出ている岩を飛び石のように渡りながら未開拓の岩場へと向かって行った。
いつもは海中に没している大きな潮だまりに近付いた時、俺の前を進んでいたKが急に足を止めた。
「見ろよ、あそこ、手があるぞ!」
Kの肩越しにそちらを覗くと、潮だまりの縁から1mくらい先の水中に人間の手のような物が沈んでいた。
行ってみようぜ、と促され、俺はKに続いて潮だまりの縁を回り込み、その物体へと近付いた。

21 名前:猫虫 ◆5G/PPtnDVU @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 19:34:25.76 ID:rKZkpF2O0 [5/40]
その潮だまりはそれなりの深さがあり、近くまで寄っても水の屈折に邪魔されて見えにくかったが、それが人間の右手の形をしている事だけは分かった。
指を軽く曲げた形の手に10cmほどの腕が付いており、手のひらを下にする形で沈んでいるようだ。
俺達から見て、指先が左、腕の端が右を向いている状態だった。
「マネキンかなぁ」
「分っかんねーよ、もしかしたらバラバラサツジンかも」
俺達は腕の断面がどうなってるかが気になり始めた。
マネキンなら均一な肌色に見えるだろうし、もしも本物なら赤い肉と白い骨が見えるはずだ。
だが、手に一番近い位置からは断面がよく見えず、断面の方の岩場に回り込むと今度は遠くてよく見えなかった。

手に一番近い位置まで戻ってくると、俺達は再びしゃがみこんでそれを眺めた。
人体の一部かも知れない物体が目の前にあるというのはひどく気味が悪かった。
同じ事を感じていたのか、いつもはガキ大将気質で強気なKが、ためらいがちに口を開いた。
「網で…獲ってみる…か?」
「うん…」
ビビリの俺はあれを間近で見る事になるのは怖かったが、獲るのはKがやってくれそうな流れだったので、俺はその提案をとりあえず受け入れた。
同意を得て決心がついたのか、Kは「よし、やるぞ」と気合を口にしつつ、恐る恐るタモ網を差し入れた。

だが、しゃがんだ姿勢では腕を精一杯伸ばしても目標までは届かず、タモ網の先端は手の少し手前の砂地を引っ掻いただけだった。
届かないなぁとぼやきながら、Kは水を揺らして手を転がせないかと砂地を引っ掻き続ける。
舞い上がった砂で濁っていく水の中で手はかすかに揺れているようだったが、転がるほどには動かない。
諦めてタモ網を引っ込めながらチラリと俺を見ると、Kは俺の腕を引っ張って自分の腕と長さを比べたが、ほんの少し自分の方が長いと分かるとガックリとうなだれた。
「どうすっかなー、水に入ったら母ちゃんにぶったたかれるしなー」
濁った水を睨みながら、俺達はしばし思案に暮れた。

22 名前:猫虫 ◆5G/PPtnDVU @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 19:40:47.25 ID:rKZkpF2O0 [6/40]
「…そうだ!うつ伏せになって手ぇ伸ばしたら届くんじゃない?」
俺の案をKはすぐに試そうとしたが、岩場は潮溜まりの水面に向かって落ち込むように下り坂になっており、腹這いになって手を離したら頭から水に突っ込んでいってしまいそうだった。
「お前、ちょっと俺の足押さえてろ」
そう言われ、俺はアシカみたいな体勢になっているKの足をまたいで足首あたりに腰を下ろし、ヒザの裏あたりをしっかりと押さえた。
ズリ落ちないのを確かめると、Kは再びタモ網を水に入れた。

肩近くまで水に浸けながらKが腕を伸ばすと、タモ網の先端は今度は手を軽々と越えて向こう側の砂地を突いた。
意を得たKはそのまま手前に引き寄せながら手を網の中に入れようとするが、向きが悪くてなかなか入らない。
しかも岩に押し当てられているヒザが痛かったらしく、いてーやべーもうムリだーと喚きながら飛び起き、デコボコに岩の痕が付いたヒザを押さえて悶絶し始めた。
「近いとこまで転がったから、あとお前やれ!」
げぇー、と露骨に嫌な顔をする俺に、Kは容赦なくタモ網を投げてよこした。

仕方なくタモ網を水の中に入れると、Kの言った通り、手はしゃがんだ体勢の俺でも十分に網が届く位置まで転がってきていた。
網の中に入れ易いようにつついて向きを変えていくと、気になっていた断面がこちらを向いた。
網を止めて目を凝らすと、幸いそれは肉の赤と骨の白ではなかったが、マネキンの断面とも違っていた。
断面は手や腕の部分と同じ色をしていたが、マネキンのような真っ平らではなく、イボのような丸っこい形状のもので一面びっしりと覆われていた。

あまりの気持ち悪さに怖気づいて一向に網を動かせない俺の背中に、「何ビビってんだよ、早く上げろよー」とKの不機嫌そうな声がぶつけられる。
そりゃこんなキモイの見たらビビるだろ、と思いながらも、口で説明するより見せた方が早いと判断して作業を再開する。

輪っかになっている網の縁で指の先を引っ掛けて持ち上げ、水中に全体が浮いたところで網の中にすくい取る。
そのままの勢いで水から引き揚げたが、水面を出た瞬間の予想外の重さに耐えかねて、半ば取り落とすような感じで自分の左側の岩場に網を下ろした。

23 名前:猫虫 ◆5G/PPtnDVU @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 19:43:54.04 ID:rKZkpF2O0 [7/40]
「おー、獲れた獲れたー!」
テンションの上がったKが真っ先に網先へと駆け寄った。
続いて俺も網先に近付き、網の中に入ったままの手を見た。

置いた拍子に網の輪っかから半分飛び出した断面を見て、Kは顔をしかめた。
「うわ、気持ちわりぃなー…なんだこれ」
親指以外の指はクシャっとなった網に隠れてよく見えなかったが、だからといってとても触る気にはなれず、俺達はしゃがみこんだ状態で様々な角度から覗きこみながら観察を開始した。

見た感じは若い男の右手で、マネキンのような無機質さは全くないが、妙に青白い肌をしていた。
親指には関節のシワも爪もあり、腕には全体的にうっすらと毛が生えていた。
イボのようなもので覆われている断面部分には毛がないようだったが、他はまさに人間の皮膚そのものだ。

見れば見るほど気味が悪く、俺は立ち上がって二三歩あとずさった。
「これ、なんかヤバイ気がする。大人に見せた方がいいんじゃないかな」
難しい顔で謎の手を見つめながら、Kも立ち上がった。
「そうだな、じゃあじいちゃん呼んでくる。海のこと詳しいし。お前、ここで見張ってろ」
「ちょっ、やだよ!」
地元民で元漁師のじいちゃんを選んだ事には何の文句もなかったが、こんな所にこんなモノと取り残されるのは御免だった。

「でも潮が満ちてきてるし、これが波にさらわれちゃったら意味ないだろ。それにお前、足遅いじゃん。俺が行くからお前残って見張れって」
「やだよ、やだってば!じゃあ持っていこうよ、これ網ごと持って二人でじいちゃんのとこに持っていこうよ!」
俺の言葉にKはタモ網の中の手と半泣きの俺の顔を交互に眺めると、怒ったような顔をしてしゃがみこんだ。
「ああもう、分かったよ!じゃあせめてお前も一緒に持てよな」
「やだよ、Kが持ってよ!」

24 名前:猫虫 ◆5G/PPtnDVU @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 19:49:45.93 ID:rKZkpF2O0 [8/40]
丸投げしたい俺と丸投げされたくないKとでケンカになりかけた時、立ち上がろうと一歩踏み出したKの足が偶然タモ網の柄を蹴ってしまった。
二人とも一瞬ハッとしたが、幸いにもタモ網は水に落ちるほどには動かなかった。
一応の確認のつもりで二人そろって手の方に視線を向けた、その時。

ガランガランと網の縁を岩にぶつけながら、手が、暴れ出した。
それは手首を支点に、おいでおいでをするような動きで激しくのたうちまわっていた。
あまりの事に茫然とそれを見つめていた俺は、Kが腰を抜かして尻餅をついた事で我に返り、わあああああ!と叫びながらKを置いて逃げ出した。
が、数歩も行かない所で蹴躓いて転び、結局はKと同様に腰が抜けて動けなくなってしまった。

声にならない悲鳴をもらしながら、体をよじって手の方を振り返る。
がくがく震えているKの向こうで、手は動きを少し緩めて指を複雑に動かし、ちょうど網から抜け出したところだった。
自由になった手は、指と手首を器用に動かして潮だまりの縁を登りきり、ドプンという音を立てて海へと飛び込んだ。
数秒の沈黙の後、俺達は大声を上げながら一目散に逃げ出した。
二人とも足がもつれて何度も水に落ちたり転んだりしたが、もうそれどころではなかった。

じいちゃんの家に帰り着いた俺達は今見たものを必死になって大人達に説明したが、子供の戯言と笑うばかりで取り合ってはもらえなかった。
ただ、俺達の忘れてきたタモ網とバケツを回収しに行ったじいちゃんだけは否定も肯定もせず、こう言った。
「海にはいろんなもんが棲んどる。わしらの知っとるもんなんてほんの一部にすぎん。それが何かなんて事は考えても埒が開かん。忘れろ」

夜になってKは高熱を出し、その日のうちに家族に連れられて自宅へと帰っていった。
俺はそれから二日間じいちゃんの家にいたが、もう海へは出なかった。

【了】
最終更新:2015年10月15日 23:18