124 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 23:37:47.49 ID:WCE2gmw+0 [16/22]
『河川敷』


「レントゲンとMRIの結果が出ましたよお。こりゃあ頸椎椎間板ヘルニアですね」 
「第5・第6頸椎の髄核…ホラこれね。これが剥がれて神経を潰しかけてるんですよ。症状は結構深刻な部類なんで、出来れば手術の後にリハビリ含めたひと月程度の入院を…」
「ん~、致し方ないですねえ。どうにか早いうちにこれ治したいんで合意しますわ」

 不承不承頷く俺を見た医師はこちらが怯んだとでも思ってか、ニヤリと意地悪気な笑みを浮かべる。
「あ、手術自体はそれほど面倒じゃありませんから安心して。…けどね、少し腑に落ちないトコがあるんですよねえ」
「え?、何でしょう」

 再び眉間に皺を寄せた壮年の医師が言うには、
「いえね、通常ここまで病状が進行するまでにはもっと長いスパンがかかるもんなんですけど…本当に自覚症状が起きたのはたった1ヶ月前だったんですか?他に何か心当たりは無いの?」
「ええ。まあ…無いっちゃー無いっつーかあるっちゃーあるかも知れなかったり…」

 心当たりは確かにあった。整形外科医に語ったところで一笑に付された挙げ句、そう遠く無い精神病院への転院を勧められそうな心当たりが…。

 話はひと月ちょいと前に遡る事にしよう。

 梅雨も終わりに近いその頃、俺は郊外にある二級河川のほとりで孤軍奮闘していた。
 河川管理業者の下請けである伐採屋の友人から極秘裏のうちに頼まれ、本来の仕事が週休であるにも関わらずこの河川敷の雑草刈りに駆り出されていたのだ。

125 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 23:39:07.13 ID:WCE2gmw+0 [17/22]
 じっとりと額に滲む汗を拭い、刈り払い機を手に天を仰ぐ俺。
 何しろ梅雨時ってのは雑草どもが最も活性化するシーズンだ。一日おきくらいに雨天と晴天が繰り返された時には最後、奴らは目に見える程にすくすくざわざわ繁茂する。
 ギュルギュル唸る丸鋸の主軸の先端へ執拗に絡みつく葦だの蔦だのに悪戦苦闘しながら、ようやく何とかノルマの半ば過ぎに差しかかったその時である。
「バンッ!」
 漫画や小説、時代劇でよく見聞きする「スパッ」「サクッ」ってな聞き心地の爽やかなそれでは無い。大口径の発砲音にも似たこの響きは、紛うかた無く刈り払い機が草藪の
中にある異物をかけた手応えだ。手首に伝わる軽い衝撃が何よりもその証左である。
「つまらぬものを斬ったか…」
 何処かの誰かみたいな独り言を呟き、足下の刈草をおそるおそるかき分ける俺。その眼前に見えたのはいつものヘビでもカエルでもテニスボールでも無い、およそこちらの
予想をちょいと躱した代物だった。
「へ?何でこんなのがここに落ちてるの?」

 日本人形。

 象牙色にくすんではいるが端正な顔貌の日本髪には花簪、薄紫の和服に纏われた桜模様のだらり帯…おそらくは芸妓さんがモデルなのかも知れぬ。
 その人形が、事もあろうか刈り払い機の一撃でふた目と見られぬ無残な姿を俺の眼前に晒していたのだ。
 本体の左脇から右肩にかけて、それこそ逆袈裟に…俺の手で斬られていたのである。
「うわあ…」
 恐る恐る彼女を手に取る俺。着物の布が厚手のせいか完全には寸断されていないものの、上半身が「く」の字に曲がり掌の中でガクガク揺れるその様は、見ていて気持ちの
良いものでは無かった。日が高いにも関わらず、まだ朝露が残っているかの如くしっとりと湿った顔に浮かぶ水滴が、あたかも涙の様にも思えて…。
「悪い事しちまったねえ」
 ゆるやかに流れる河岸の岸辺にその人形の身を置いて、心中で形ばかりの詫びを入れた俺がその日の作業を終えるまで、小一時間とかからなかった様に思う。

126 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 23:41:07.34 ID:WCE2gmw+0 [18/22]
 それから二日と経たぬうちに、俺の左肩を名状し難い感覚が襲った。
 左首筋から肩胛骨にかけて、肩こりにも似た鈍痛が支配し始めたのである。
「久々の草刈りで疲れが出たのかね?それにしちゃあイヤな痛みだな、取りあえず湿布でも貼っとこ」

 その痺れを伴う感覚は二の腕を経て肘を経て、またたく間に左手指の先端にまで降りてきた。
 多忙な日々に追われつつ、それでもまだ「どこ吹く風」とばかりに暢気な俺。その後も病状は改善を見せず、遂には肘から先は痺れを通り越して千枚通しを刺されても何も感じぬ神経マヒ、
それとは逆に寝返りどころか仰向けに寝ても耐えられぬ程の激痛が左肩を蝕んだ時点で初めて、俺は冒頭の整形外科へと赴くために重い腰を上げたのである。

 先生の執刀は完璧だったものの、何故か術後の経過がよろしく無い。ガラパゴスゾウガメの歩みにも劣る回復速度。リハビリに至っては、術後二週目を過ぎてもたかが1㎏程度の鉄アレイ
ですら30秒垂直に掲げるだけで額に脂汗が滲む体たらくである
「先生も首傾げてましたよ。困りましたねえ」
「実を言うとね、あんたと別れる日を迎えるのが辛いからこうして居座ってんのさ」
 すっかり気のおけぬ会話を交わす仲となった看護師の娘にそんな冗談で応じてはみたが、心中ではどうしようも無くいらついていたものだった。

 入院してから三週目を数えた頃だろうか。病室の窓を叩く夜半の風雨と雷鳴の音で俺はまどろみを侵された。かねてから囁かれていた台風擬きの爆弾低気圧が、どうやらこの地を直撃した
模様なのだ。
 窓ガラス越しに時折瞬光する稲妻に照らされながら、今まで左肩を痛めつけていたものがスッと何処かに昇華していく感覚を、真夜中のベッドの上で俺はかすかに、しかし確かに感じたものである。

127 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/29(土) 23:42:15.77 ID:WCE2gmw+0 [19/22]
 何のはずみかどうした事か、そこから先の事態は目を見張るばかりの急転直下、俺の体調はそれまでの雌伏の期間がまるで嘘であるかの如くメキメキと快方へ
と向かっていった。 首を傾げて左肩に耳をつけたら「メキメキッ!」ってな音が聞こえたくらいである、ウソだけどw
「一週間前の握力測定左腕18㎏の人が今日は56㎏って…どういう事です?」
「何て言うか、あんたの可愛い顔もいい加減見飽きたからねえ」

 それから程無くして、俺は病院を辞した。退院したら、手に掛けたあの日本人形を手厚く葬る…ってワケでもないけど、せめてちゃんとした所に持ってって供養したい
とも思い彼の地に向かったのだが、それは結局叶えられぬ願いとなったものだ。
 近所の婆さん曰く、件の河川敷はどうやら丁度あの夜の豪雨で氾濫し、ほとりにあった刈草を初めありとあらゆる岸辺の雑物を綺麗さっぱり流し尽くしてしまったみたい。
 久々に訪れた俺を迎えてくれたその河は、付近数十戸を床上浸水に巻き込んだとされる鬼の形相はどこへやら、ゆるい陽光を浴びながら長閑に水浴びを楽しんでいる
数羽の鴨をその面に抱きつつ、さわさわと流れ続けているばかりであった。


 長々と書き連ねたけど、『後日思い返してそう言われてみれば…』的な思い込み以外の何物でも無いよね、人間ってもんはひとつの事象を何かと己の因果にこじつけ
たがる生き物だし。
 けどさあ、やっぱ時々思うんだよ。あの人形、今どこに居るのかな?大海に辿り着いて紺碧の波上に漂っているのかな?それとも下流の澱みに引っかかりながら濡れ
そぼった目で未だにこっちを恨めしげに見つめているのかな?ってね…。


【了】
最終更新:2016年05月29日 04:55