170 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 00:53:48.82 ID:ujnfAOrg0 [11/23]
『ウォータースライダー』


 唐突な話で面目ないけど、皆さんは『夏』と言えばまず何を思い浮かべますかな?
 まあ人それぞれとは思うけど、『海』『プール』とかの回答がやはり多いかも知れない。
 実は大学時代、夏休みに帰省した際に必ずお世話になるバイトがあった。いわゆる『プールの監視員』というやつである。市から管理委託されたファミリープールの運営団体のお偉いさんが
顔見知りで、毎年書き入れ時になると声をかけて貰っていたものだ。
 じりじりと肌を焦がす炎天下での2時間×3セット、端で見るよりもかなりハードな仕事なのだが、貧乏学生にとって時給900円の実入りは当時なかなか魅力的だった。
 そんな遠い夏の日のお話である。


 お盆の最中だったろうか。前日までの猛暑もどこへやら、その日は雲行きも怪しかったせいかシーズンの割にはお客が少なかった。いつもはけたたましいばかりに鼓膜を襲う子供たちの喧噪も、
この日はさほど苦にならない。俺はいつもの様にウォータースライダー(流水滑り台)の櫓の最上に陣取り、次から次へと登ってくる子供たちを2本あるレーンに誘導し、頃合いを見てスタートの
ホイッスルを鳴らすルーティンワークを続けていた。『あ~、次のローテーション交代まであと何分だよ。冷たいスイカバーが食いたいな』

 気だるさの中でそんな事を考えていたところ、ふと何者かの気配が…いつの間に登って来たものか、右側のレーンにちょこんと座っている小さな姿が俺のすぐ足下にあった。
「う、ごめんね。ボケっとしてたよ。…じゃあ、準備はいいかな?」
 見たところ小学4~5年と言ったところか、他の児童が皆こんがりと日焼けしているにも関わらず、その痩身の少年はなぜか透き通る様に真っ白な肌だったのが印象に残っている。 そして彼の
被るスイミングキャップには、もう十数年前も前に統合合併により廃校となって久しい、付近の小学校の校章が見て取れた。
『お兄さんか誰かのお下がりかな?しかし最近には珍しく物持ちのいい家の子だなあ』

171 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 00:54:51.18 ID:ujnfAOrg0 [12/23]
 不躾な俺の興味もどこ吹く風とばかりに、無言のままレーン上で脚を伸ばす少年。
 大抵の場合、今まさに滑ろうとしている子供はテンションが上がりまくりでウキウキソワソワせわしないものなのであるが、その子は無表情な顔貌を崩す事無くスロープ下の着水プールを、
切れ長ではあるが妙に虚ろな眼差しでぼんやりと見つめているばかり。
 確かに緊張して固くなる子も居るには居るが、その少年の醸し出す雰囲気はそれらともまた異なった、名状しがたい違和感と言ったらいいものか…紙ヤスリで擦られたかの様なザラついた
感覚が俺のうなじを不気味に撫でる。

「じ、じゃあ、行くよ」
 心中にじわりと広がる不可解な何かを振り払うかの如く、勢いよくホイッスルを鳴らす俺。それと同時に、少年は無表情のままで約12メートル下にあるひさご型の着水プール目がけて音も無く
滑り出していった。
 少年がスロープ半ばにさしかかるのを認めた直後に管理棟の大時計に目をやる。錆び付いたフレームに縁取られた年代物の時計の針は、14時45分を指していた。
「あと10分で最終ローテか、もうすぐだな」
 ここで本来であれば、プールに着水する際の豪快な水音と共に稚気を孕んだ歓声が沸き上がるはずであった。

 はずであったのであるが…「?」

 とっくに着水しているタイムであるにも関わらず、水音も何も聞こえないのである。慌てて目をやった着水プールでは、湿りつく風に煽られたさざ波だけが、まるで何事も無かったかの如く
かすかに水面を彩っているだけ…。
「ま、まさかスロープの途中でコースアウトして下に落ちたって事は無いだろうな!」
 勿論、スライダーには両脇に危険防止のための柵が張り巡らされている。しかし万が一のことを考え、慌ててスライダー下のプールサイドを確認する俺。幸いにも…と言って良いものか、
眼下のプールサイドには安物のビーチボールがただ一個、あても無くタータンエリア上を転がっているのみであった。

172 名前:スヴィトリアーク ◆CQ0ZL4vfUw @転載は禁止[sage] 投稿日:2015/08/30(日) 00:56:39.71 ID:ujnfAOrg0 [13/23]
『どういう事なの?俺が目を離した2秒ちょっとの間に一体、何があった?』
 訳が判らず、流水プールのほとりに配備された同じバイトの地元学生に向かい、インカムのマイク越しに俺は絶叫にも似た金切り声を叩きつけたものである。
「おい!今滑った男の子、どうした!」
 そんな俺の焦燥感を逆なでする様にイヤホンから聞こえてくる、同僚の呆けた声。
「何言ってんすか?さっきから誰も滑って来てませんよお。俺なんか、誰も居ないのにあなたが上でいきなりホイッスル鳴らすもんだから、どうしたんだろと思いましたもん」
「う…、ホントかよ」

 そうこうしているうちに小雨がぱらついて来た。早めに休憩せよとの本部からの指示を受け、俺は釈然としない思いを残したまま櫓を降り始める。ビーチサンダルと階段に
敷かれた鉄板とが織りなすパタパタと軽い足音までもが、何故か自分をせせら笑っているかの様に感じられたものであった。
『頭が暑さで沸いちまったかねえ…』
 半ば強引に自分を納得させつつ、翌日以降もスライダーの櫓上に俺は佇む。気の早い風が、刺す様な熱波にさんざん痛めつけられた赤銅色の肌をくすぐり始めてバイト
期間が終了するまでの数週間、あの少年に再び相まみえる事は無かった。

 北国の夏は短くバイトも既に最終日。お世話になった礼もそこそこに、俺は現場を仕切る齢60絡みの管理主任の爺さんに件の話を軽く振ってみた。爺さん曰く、
「ああ。そんなしょっちゅうじゃないけど、たまにあるよ。昔はここで心臓マヒになって可哀想な事になった子も居たもんさ。以前は夜中のプールで笑い声を聞いた人も居たし、
誰も居ない更衣室の防犯センサーがひっきりなしに反応したりなあ…。まあ、お盆時期なんだからそんな事もあるわな」

 屈託無く、笑みすら浮かべながら話すその爺さんの顔を見て、俺は別の意味で背筋が寒くなりましたよ、ええ。


【了】
最終更新:2016年06月24日 00:11