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これが私の生きる道





「はぁ……はぁ……」

 微かな潮の香りは、埃塗れの冷たい空気が鼻孔へと運んでいった。それを少しずつ摘まむように吸い込みながら、荒ぶる息を必死に押し殺す者がいる。
 空の蒼茫を塗したような青いチャイナドレスを纏った、齢二十に届くか届かないかの美女である。女性としてはやや高い身長とスタイルは、整った容姿と合わせて、さながらモデルのようであったが、彼女が選んだ道は、その美貌を売る道ではなく、その格闘の才能を発揮する道であった。

 この美女──春麗は、インターポールの捜査官なのである。
 中国拳法を極め、その実力は並み居る屈強な男性職員が、手加減抜きで挑んでも誰も敵わぬほどだった。一目見ただけならば華奢にも見えるが、脚部──特に大腿部──を見る機会があれば、いかに彼女が鍛え上げられた肉体をしているのかは判然とするだろう。
 彼女は、足技の達人であった。長い足から放たれるキックは猛獣すらも昏倒させるほどだ。腕も華奢には見えるが、これもやはり体重を軽々支えるほどの筋組織が、細い腕の中に綺麗に収まっているというだけだった。

 しかし、そんな彼女も、今回は普段と違って、能動的に事件に首を突っ込むわけでもなく、事件の方に招かれてしまった為、些か状況判断が遅れたらしい。
 いきなり、変な仮面の娘の襲撃に遭い、こうして倉庫群の間をすり抜け、無様にも逃げ回った結果、その中の一つに姿を隠したわけである。
 生半可な不意打ちならば返り討ちにも出来たはずが、相手も相当の格闘の達人であったらしく、おまけに春麗のよく知った武器を装備していた。
 それから先は、何の面白味もない防戦一方という状態で、何とか逃げおおせたものの、袖ごと破れた左腕の外皮からは、既に鮮血が流れ落ちている。春麗は、そんな左手を抑え、流血が床に痕跡を残すのを避けながら、一時休息している訳だった。

「はぁ……はぁ……」

 彼女自身、わけもわからぬまま飛び込んだこの倉庫群の一角。
 大麻のシンジゲートを追っていた春麗にとっては、こんな港を張りこむ時間は警察署の机に向かう時間よりも長い程お馴染みの場所だ。
 大凡、どの辺りにどういった物資が並べられているのかは察しが付く。
 ここに逃げ込めば、後は視界に入る物を巧みに利用して、追跡者の攻撃を撒く事も出来るかもしれない。
 ……尤も、背中に襲撃者の視線を残したままここへ逃げ込んだわけではないし、春麗も一時の休息を得る為にここへ入りこんだに過ぎない。
 左の二の腕あたりを見下ろすが、怪我はさほど深手でもない。これまでの戦いでも負うのも珍しくないような傷口である。しかしながら、敵の実力を見るに、今の状態では春麗の分が悪いと見えた。

「……はぁ……はあ……」

 そっと、音を殺すようにゆっくりとデイパックのファスナーに手をかけ、中の物を取りだしていく。必要なのは、灯や地図や名簿などではない。
 目当ての物──ペットボトルを掴み取ると、キャップを回す。そこからは、少し乱雑に左腕にさらさらと中の水を塗した。消毒薬も包帯もないが、血液を垂らしたままというのも気が引けたのだろう。

(何もないよりは……ちょっとマシよね)

 止血できるような物を探した所、出て来たのは女性用のパンティストッキングである。こんな物を一つの武器として支給した意図は春麗にも理解しかねたが、とにかく、今は止血という用途において、意外にも活躍しうる状況になっている。
 春麗は、それを少し引きちぎり、左腕に巻いて、口で端を加えながら結んだ。少々恥ずかしい気持ちになったが、案外、それを腕に巻いた外見は大きな違和感もなく、怪我を止血する布として、却って本来の用途が判然とし難くなっていた。
 それから、春麗はこのパンティストッキング以外に何らかの装備が無いかとデイパックを探る。
 そう……敵は既に、武器を装備していたのである。

(あのマスク……確か、シャドルーの幹部──バルログが身に着けていた物と同じだわ。
 もしかして、あんなのが流行ってるのかしら? それとも……)

 彼女を襲撃した人物は、春麗同様に中華民族衣装を纏った娘のようだったが、その相貌は両目の位置だけを細く繰り抜いたその白面に隠されていた。そして、右腕に装着されたサーベルタイガーのような鉤爪。──あれは、憎き犯罪組織シャドルーの幹部・バルログが愛用している物と全く同じであった。
 故に、パンストの下に隠れた春麗の左腕の傷口も、三本の縦線型のひっかき傷だった。
 あれを早速もって見事使いこなし、春麗を翻弄したのだから、あの襲撃者は、武具の使用に慣れているか、あるいは余程順応性が高い人間であると言えよう。
 春麗は、考えながらも自分のデイパックから、武器を取り出した。

(……こんな状況だもの。こっちも得意なモノで対抗させてもらわないとね)

 春麗の手で、カチャリと音が鳴る。
 先ほどは一時撤退させて貰ったが、捜査官としての誇りと正義感は、あの手の危険人物を野放しにして、自分だけ平然と逃げのびるのを許してはくれなかった。
 格闘で真っ向から勝負させて貰えるシチュエーションではない今、一介の捜査官として、使用できる武器は懐に入れさせてもらう事にしよう。
 射撃が得意な春麗も、支給された、このオートマチック式拳銃“グロック17”を上手く扱えるかは微妙であるし──相手によってはリュウたちのように易々と弾丸を避けてしまうかもしれないが、ひとまずそこに弾薬を込める音を聞くとともに、彼女の中には覚悟の意思が溢れたのだった。
 まさに──この倉庫群の光景など、シャドルーを追いかける仕事をしている時の自分ではないか。
 鋭利な武器を持った敵と、少し対等な状況になった気がした。

「よしっ……」

 軽く自分の気持ちを奮い立たせるように言った。
 それから、大量に積み重ねられた麻袋の影を、春麗は屈む事さえなく進んだ。
 敵もまだ倉庫内への侵入は果たしていないであろう今、本来ならば警戒する必要があるはずなのだが、麻袋は所によっては春麗の身長くらいまで高く積まれており、そこまでする必要はないように思った。
 とはいえ、まだあの仮面の娘が付近にいた場合、先に姿を見せるわけにはいかないが……。
 ──などと、考えていた時である。

 この薄暗い倉庫の入り口を、ランタンの小さな灯が倉庫の一角を照らす。無警戒に歩を進める足音がコツコツと響く。
 春麗の目の前では、壁に大きな影が映ったり、映らなかったりしていて、相手のランタンを右へ左へ動かし、何かを探そうとしている仕草を容易に想像させている。

 ──来た!

 仮面の娘は、倉庫の中を順に探索していたのだろう。
 春麗を追う影は思った以上にしつこく春麗を捜索していたらしい。付近に人影がなかった為、一度見つけた獲物を逃がさぬよう心掛けたに違いない。本格的に勝ち残りを目指す場合、敵を泳がす訳にはいかないようだ。
 しかし、春麗の準備は既に万端である。
 最後に、タイミングを見計らって再び麻袋の陰から少しだけ顔を覗かせ、その人物の姿を目に焼き付けた。──そこにあるのは、間違いなく、先ほど春麗を襲った仮面の娘だ。右腕は三本の刃を尖らせ、切っ先には微かな血の痕がまだ残っている。
 恨みは充分。理由も充分。

 そして、先に姿を見せた方が──今は、不利!

「はぁぁぁぁっ!!」

 春麗は、高く声を上げながら飛び上がると、麻袋の真上に右手を置き、跳び箱の上を撥ねるように、両脚でその上を飛び越えた。
 恐るべきはその軟体で、足は綺麗に一本の横線を作るように開いている。いわば真横に果てなく広がった跳び箱の上を飛び上がるような物だ、それくらいの芸当が出来ずしてここから不意打ちを浴びせる事は出来まい。
 力がなかったのなら、とうに逃走の道を選んでいる。

「!?」

 完全に不意を突かれたらしく、仮面の娘が少し遅れて春麗を見上げ、愕然としている。
 仮面の下が美人かどうかはわからないが──その下の目玉を広げた表情を想像して、春麗は勝気に微笑んだ。
 そして、次の瞬間、着地よりも早く、目の前の仮面のど真ん中に、左足を叩きこんだ!

「ぐぅっ……!」

 仮面の真下からの呻くような声が、春麗に手ごたえを与えた。
 それから、春麗は自分の耳に着地音が鳴ると同時──仮面に叩きつけた左足を軸に速度をつけて背中から回転する。
 右足を高く上げ、その踵が仮面の娘の右腕に激しく叩きこまれた。

 ──回し蹴り!

 相手の弱点を二か所、ぶつけたような物だった。
 最初に、顔面。あの白面がいかほどの防御能力を持っているのかはわからないが、ああして密着しているという事は、そこに攻撃を受ければ、当然ながら、盾ごと押しつぶされるような痛手を追う事だろう。
 相手が娘であるのはわかっているので、同じ女として心苦しいところだが、先に仕掛けてきたのは向こうだ。
 次が、攻撃の拠点である右腕。あの鉤爪攻撃を予め封じておく事が出来る一撃。上手くすれば、一撃で骨が砕けるようなキックであるが、そんな手ごたえはなかった。余程頑丈な身体をしていると見える。
 しかし──確かに効果的だった。
 ここからは、攻撃の隙も与えず、更に攻めるのみだ。

「えいッ!」

 よろけている敵に、まるで床を滑らすようにして左足の蹴りを叩きこみ、確実にバランスを崩す。──相手は春麗の奇襲と猛攻に、かなり怯んでいるようであった。
 あまりに一方的にやりすぎて、少しは手加減もしてやろうかと思った矢先、敵は渾身の力で右腕を動かし、その研ぎ澄まされた三本の刃を春麗に向け構えた。
 それが、春麗に思い浮かんだ躊躇を完全に殺した。

「イヤァーーッ!」

 春麗は、そう叫んで、アクロバティックに身体を回転させながら、仮面娘の頭上を飛び上がる。人間の身長を優に超える高さを軽々飛び越える、人間離れした身軽さ──。
 弱った仮面娘の揺れ動く視界が、それに気付けるはずもなかった。
 これで敵に充分すぎるほどの隙が出来たわけだが、あまり激しく痛めつけまくるという程でもない。
 ──しかし、少なくとも、地面には伏してもらう。

「百裂脚!」

 そのまま、敵の真後ろに立った春麗は、片足だけを軸に立ち、恐るべきスピードとバランスで、何発もの蹴りを敵の背中に放った。
 幾つもの脚が、見る者の瞳の中に残像として焼きつけられるほどである。
 ダダダダダダダダダダダダダ……!
 仮面娘の背を、尻を、髪を、何度も叩きつけるキックの連打。
 一瞬で、百に届きかねないほどの蹴りを放つ事もできるが、春麗自身の疲労も大きく、あまり無理に百回の蹴りを叩きこむ必要もなかった。
 その四分の一でも過剰なほどであったが、多少過剰なくらいでなければ犯罪者を捕縛する事は出来ない。──そして、そのボーダーラインが、見事に敵の限界だったようである。

「ぐぁ……っ!」

 仮面娘も、後方からの連撃に耐えられず、あっけなく沈んだ。──春麗の脚が止まる。
 倉庫の床にマスク越しに叩きつけられるように倒れた仮面娘の右腕第二関節を、春麗の右脚が踏みつける。体重は強くはかけなかったが、それでも充分に右腕の自由を奪える力加減であった。
 スチャ、と音を立て、春麗が懐から銃を取り出し、仮面娘の背中に銃口が向けられた。手際は見事である。

「ふぅ、一件落着──『やったぁ!』って、両手を上げて喜びたいところだけど」

 この娘の殺意を春麗は感じ取った。故に、ここまでの行為に容赦はない。
 ──だが、これ以上は、あくまで職務を逸脱しない尋問である。

「くっ……」

 不覚を取り、奇襲とはいえ敗北を喫した仮面娘は、悔しそうな声をあげている。
 じたばたと抵抗を続け、右腕が未だ必死に動かされようとしているのを、春麗の右脚はブーツ越しに感じ取れた。
 どうやら、この娘の殺意は簡単には拭い去れない物らしい。
 一応、事情を訊こう。

「インターポールの春麗刑事です。公務執行妨害及び傷害の現行犯で簡単に事情聴取をしておきたいところですが──その前に、まず、その仮面を取ってもらおうかしら?」

 形式的な敬語の挨拶を即座に取りやめ、少々横柄に仮面娘に尋問する春麗だった。
 仮面を身に着けた相手というのは何ともやりにくい物で、会話ともなると透明な壁と戦わされているような気分だった。
 その前に、まずは仮面を取らせようとする。
 春麗自ら仮面に手をかけるより、彼女の空いた左腕に頼った。右腕の自由が奪われ、床に伏し、銃を背中に突きつけられている手前、普通の犯罪者ならばここで指示に従わない事はほぼありえない。
 ──が。
 彼女は、その“ほぼ”の例外に属する人間だった。

「春麗、か……。覚えたある。……ならば、春麗! 私を甘く見るな……!」

 そう啖呵を切ったかに思われた次の瞬間──仮面の娘は、拘束されていない左腕を胸の下に潜ませ、そのまま、左腕を思い切り伸ばした。床を蹴とばして飛ぶように、彼女は、左腕だけで、身体を飛ばしたのである。
 そして、彼女の右腕もまた、身体に釣られるようにして少し持ちあがった。──いや、春麗の身体ごと、持ち上げたのだ。力なき右腕ならば、当然ながら持ちあがる事もなく、左半身だけが寝返りを打つように天井を向くだけである。

「えっ!?」

 ──伸びきった仮面娘の右腕は、まるで、胴体と繋がった鉄骨のようだった。
 勿論、春麗は、それが宙に浮くとともに、そのままバランスを崩した。
 仮面の娘は、春麗の拘束を逃れて、宙に飛んだかと思いきや、そのまま後方に回転して見事、着地せしめたのである。

「──!」

 嘘でしょ、という春麗の心の声は、声にならない。
 愕然としたまま、少女に向き合う。

 少女の背中に突きつけていた拳銃の引き金を引く事は、結果的にはなかった。
 もしその引き金を引いてしまえば、春麗はこの少女を“殺害”する事になってしまうのが明らかだったからだ。──致命傷となりうる場所に銃を向けたのは、“威嚇”の為であって、“殺害”の為ではない。
 この少女は、おそらく、その躊躇を読んでいたわけではないが、おそらく、春麗が発砲するリスクも読んだ上で、拘束を逃れようとしたのだろう。

(半端な実力じゃない……!)

 やがて……構える春麗の前で、少女はその白いマスクを取った。
 春麗の要望に応えたわけではないのは、状況を見て明らかだ。もはや彼女の言う事を聞く必要は、拘束を逃れたこの少女にも皆無だ。
 それを取り去ったのは、彼女自身の都合による物である。

「……!」

 春麗も、その姿には驚きを隠せなかった。
 真っ直ぐに春麗を睨むその大きく円らな瞳も、仮面に隠されていた顔の輪郭も、幼い少女のようでありながら、大人びたようにも見えてしまう、不思議な色気のある美少女であったからだ。
 よもや、こんな少女の顔面に蹴りを叩きこんだのか、と春麗も思う。
 しかし、その瞳は憎悪に満ち、春麗への殺気立った思いを隠さなかった。

「ちょっと……あなた……」

 思わず見とれた春麗は、こちらへ向かってずけずけと速足で歩いて来る彼女を前に構えたが、それに対して、全く構う事なく、彼女は歩み寄ってくる。
 しかして、攻撃の気配がなく、それが春麗の反撃を躊躇させた。何かが彼女にストッパーをかけているような気がした。
 仮面をつけた時以上に、彼女の雰囲気は不気味に映った。

 そして──その仮面の少女は、春麗の眼前すれすれに立つと、思いもよらぬ行動に出た。

「──!?」

 春麗の顎に左手をそっとかけると、そのまま、春麗の頬に唇をつけたのである。
 所謂、キスだった。
 女同士である故、彼女が突然にそんな行為に出た理由は春麗にもまるでわからない。しかし、唇と唇で行うのではなく、頬に向けてそっと行うのは、何か挨拶や儀式のような“意味”を感じさせた。

「……」

 彼女は戦いを通して同性の春麗に惚れこんだわけではないらしい。──宣戦布告、と捉えるのが普通だろう。
 柔らかい感触を頬で味わい、まだ少し濡れた左の頬をゆっくりと拭った春麗は、“接吻”を終えた少女の、凛然とした瞳を見つめた。やはり、思った通りの意味であるらしい。
 そして、その気になれば本当のキスが出来てしまうほどのこの距離──何かとてつもない恐怖を覚えた。

「お前も覚えておくね、私の名はシャンプー」

 中国娘は、自らの名前を名乗る。
 ぶっきら棒で、不良めいた言い回し。黙っていれば大人しく無邪気な少女に見えるだろうが、闘争の場に相対した時、彼女の存在は悪魔にさえ見える。
 そして、彼女は即座に、再び三本の刃をぎらつかせた。仮面を外させる事に対して、この鉤爪を奪うのは格段に難易度が上がる。故に、まだシャンプーの右手は刃に覆われたままだった。
 ──殺気。
 春麗は後ろに飛ぶ。

「春麗……おまえ、殺す!」

 シャンプーの声が響くのと、鉤爪が春麗のチャイナ服の胸の下を横一文字に裂くのは、ほぼ同時だった。──今度は、肉体へのダメージはないが、少々嫌な所を破られたらしい。
 胸と腹とを繋ぐ空洞の“段差”のあたりに穴が開く。
 春麗は、もう何歩か後ろに飛び、先ほどより固く構えた。

「──フゥッ! ……あなた、やっぱり勝ち残りを望んでいるみたいね」
「……お前は違うあるか!」
「ただの格闘大会なら喜んでそうさせてもらうわ……でも、生憎、人の命を奪う趣味はないのっ!」

 春麗は、グロックを構え、シャンプーの脚を狙って引き金を引く。まずは無力化を狙った。春麗はこれでも捜査官の中で指折りの射撃の名手である。格闘戦だけでなく、警察官としてのあらゆる能力において、男性にも引けを取らない名刑事だ。
 胴のように、ずぶの素人でも命中させられるわかりやすい的を狙う必要はなかった。
 たんっ! と、銃声が鳴る。──しかし、シャンプーは、それが命中するよりも早く、右方に回避し、速度を増して春麗に肉薄した。

「アイヤァッ!」

 春麗の胸があった場所に向けて鉤爪の切っ先を向けながら、シャンプーは駆けだす。
 だが、それよりも早く、春麗は足を地面の上に置くのをやめ、飛び上がった。──シャンプーは、空中で膝を曲げる春麗の真下を駆け抜けていく。

 猪突猛進に春麗を狙ったシャンプーの一撃は、そのまま、春麗の背にあった麻袋へと突き刺さった。腹立たしそうにそれを思い切り引き抜くと、麻袋には相当大きな穴が開いたらしく、真っ白な粉が大量に零れて落ちる。
 どうやら、春麗の背にあったのは、小麦粉の山だったらしい。

「──……理由は何かしら? それだけ実力を磨きながら、こんな戦いに乗る理由は……!」
「教える必要はないあるっ!」

 再度、シャンプーの背後にいた春麗に向けて、鉤爪は空を掻く。
 春麗に接近し、一振り、二振り、鋭い刃たちが空ぶった。
 シャンプーの攻撃の角度やタイミングを読み始めていた春麗が、軽いフットワークで回避に徹したのだ。
 対して、春麗にはまだ幾つか使用していない切り札もあった。

「教えてくれなきゃ、困るのはあなたの方だけどねっ!」

 言いながら、春麗は二つの掌を床につき、倒立をするように自分の体重を持ち上げた。しかし、倒立と決定的に違うのは、両脚を開いている事である。
 そして、その手を放し、そこから繰り出されるのは、腕を床の上で回し──全身を駒のように回しながら、回転蹴りを何度も敵に叩きつける荒業。

「スピニングバードキック!」

 なんとこの技、本来なら手を一度地に着かなくてもやってみせるというのだ。
 何発もの蹴りがシャンプーの頬に命中する。春麗の脚線を見れば、まるで丸太の直撃を受けるほどのダメージを受けるのではないかという心配をする者も現れるだろう。
 シャンプーが動機を秘匿する限り、春麗も“理由なき殺人者”として、シャンプーを冷酷に追撃しなければならない。──同時に、説得も不可能になってしまうと来ている物だから、シャンプーにとってはデメリットの方が大きい。
 こんな荒業をぶつけるにも躊躇がなくなる、というわけである。
 シャンプーの身体は、その攻撃の勢いのあまり、地面を離れ、勢いよく車にでもはねられたかのように、麻袋の山に向けて叩きつけられた。

「くっ」

 吹き飛び、晴れた右の頬を左の手の甲で拭いながら、まだ戦意を喪失しないシャンプーであった。──どうやら、負けられない理由でもあるようにさえ見える。
 だが、たとえ理由がどうであれ、人を襲うスタンスである限り──そして、自らに敵対する限り、春麗はシャンプーと戦い続けなければならない。
 シャンプーは、ずきずきと痛みの残る右の頬をしきりに拭った。

「……今のは、さっきのキスのお返しよ!」
「“死の接吻”の事あるか」
「死の接吻……?」

 どうやら、先ほどの接吻にしても、何か物騒な意味があるらしい。
 そう、やはり儀礼的な何かであるようであった。──「死」という意味の。

「私たち女傑族の村の掟──もし、よそ者の女に負けたら、その相手、地獄の果てまで追いかけて殺すべし! 死の接吻はその証かし!
 中国の村の掟、絶対ね! 中国人のお前にもわかるはずある!」
「全然わかんないわよ! あなた、どこの田舎者!?」

 中国の悪い噂がまた広まってしまいそうだと思った春麗は、少し頭を抱えつつも、シャンプーの殺意は偽物ではないのを実感する。
 根本的に彼女が殺し合いに乗った理由はわからず終いであるが、いまどき殺戮の掟がある部族である以上、下手をすれば、この殺し合いに乗る事もまた宗教的な理由や儀礼的な理由による物である可能性は否めない。
 となると、真正面からの対話は不可能と見ていい。現代社会の法律を逸脱する常識が刷り込まれている以上、説得にはかなりの時間を要する事になってしまう。
 ここは、春麗も体力を消費するよりは、──手早く、自由を奪うのが良いと決定した。

「──」

 春麗は、グロックを構え、狙いを定める。
 敵は銃撃を恐れていない。──しかし、銃口の向きで回避を企てている。
 と、なると。
 ──命中率は僅か。
 だが、それでも。
 いや、だからこそ──。
 ここで決める!

 たんっ! ──と。

「──!」

 銃声が轟き、弾丸は目の前の物体を抉るように突き進んだ。──視認できないほどに素早く、それは、春麗の手の中の物体から離れて行く。

 だが……シャンプーには当たっていない。

 それどころか、シャンプーは、回避という手段さえ取らなかった。
 春麗は、全く的外れな所に弾丸を命中させたらしく、彼女が避ける必要は皆無だったのだ。それは、銃口を見ても明らかだった。
 シャンプーの脚と脚の間をすり抜けるようにして進行した弾丸は、シャンプーの真後ろにあった麻袋の山に命中した。
 何段目の麻袋かはわからないが──いや。
 しかし。
 それこそが、春麗の狙いだったのだ。

「……どうした、外したね。──撃たないならば、こっちからいくある!」
「どうぞ──」

 さらさらさらさら……。
 小麦粉が、床に零れていく。まるで砂時計が時を刻むように。
 焼けこげた小さな穴は膨れていき、下から三段目の麻袋は、形を歪ませて萎んでいった。
 四段目の麻袋が傾く。
 五段目の麻袋はそれにつられて傾いて行く。
 六段目も、七段目も……もっと大きく──。
 中身がさらさらと落ちていくのを見つめながら、春麗はニヤリと笑った。

「──ご勝手に!」

 一歩を踏み出そうとしたシャンプーの背後で、大きな影が崩れだした。
 それは、積み上げられていた小麦粉の麻袋の山であった。

 下の麻袋が形を変え、穴の開いた方から崩れていった時──その上に積み重ねられていた麻袋はどうなるか。
 自らを支えていた麻袋がそれまで保っていたバランスを崩した時、真上にいっぱいに小麦粉を詰め込んだ麻袋の山は、当然ながら──小麦粉の量が減ってしまった方に傾く。
 そして、それが春麗の身の丈ほどまでに積まれていたのならば、元々のバランスも決して良い物ではない。
 ──結果。

「なっ……!?」

 シャンプーが一歩を踏み出しながら、奇妙な崩落音に気づいた時には遅い。
 それは、振り向いたシャンプーの視界を覆い、そのまま彼女の上に重たい豪雨として降りかかった。──一つあたり何キロというほど、ぱんぱんに膨らんだ袋だ。並の人間ならば首の骨を折ってもおかしくない。
 一斉にそれが全身に叩きつけられ、シャンプーは悲鳴をあげる事もなく、地面に倒れ込んだ。中には、今の衝撃で破れた袋もあったので、下敷きになったシャンプーは小麦粉まみれである。
 粉塵となった小麦粉はその一角にだけ真っ白な霧を作る。

「やったぁ!」

 春麗は、今度こそ両手を挙げて大喜びをした。
 見事──シャンプーをノックアウトできたようである。
 まあ、たとえ勝利せしめたにしても、警察組織のバックアップがないので、小麦粉まみれで伸びたシャンプーをどうするかという所まではいかないが、ひとまず無力化したわけだ。
 手錠もない現状、ひとまずは武器を奪い、例のパンストを両手にでも巻いて拘束するくらいしか出来ないが──それは絵面的にどうかと思い、春麗も内心では躊躇を禁じ得ない。
 が、それくらいしか拘束方法はない。
 仮にも危険人物であるシャンプーを前に、あまり迂闊な行動はとれないだろう。

「えっ……!」

 と、大量の麻袋の下敷きになった、小麦粉まみれのシャンプーに近寄った時である。
 鉤爪を装備したシャンプーの右手が、微かに動いた。
 ──ぴくり、と。
 そして、彼女の瞳は、──はっ、と、突然に開いた。

「──ッ!」

 まるで何かに揺り起こされたかのように、彼女は、力強く起き上がった。
 全身を結構な重量で打ち付けられ、挙句に真っ白の粉塗れになったシャンプーは、苦渋に満ちた表情で、肩を大きく上下させた。
 しかし、春麗としては、それだけでもまるでゾンビを目の当りにしたかのような憮然とした表情で見つめるしかできなかった。

「嘘……あなた、まだ戦えるの!?」
「忘れたあるか……。──私に勝った“よそ者の女”、地獄の果てまで追いかけて、殺す!」
「そんなくだらない掟の為に……なんて執念なの……!?」

 優位な春麗でさえ、そんな彼女には悪寒がした。
 ストリートファイターならば、かなり敬意を表せる相手であると思う。
 並々ならぬタフネスと執念。それは、既に彼女を人間の実力を越えた格闘者に育て上げていた。
 だが、彼女は、格闘の力を使い、“戦う”のではなく、たとえ誰であっても“殺す”道を選択した。──ならば、春麗も、捜査官としての顔を見せなければならない。
 おそらく、春麗よりも年は下だが──本気を出させてもらう。

「──」

 ここでは狭い。
 春麗は、ちらりと自らの後ろを見ると、急いで倉庫の外へと駆け出す。
 ──シャンプーは、よろよろと身体を揺らしながらも、春麗を追うように倉庫の外へと出た。それはさながら、亡霊であるかのようだった。
 冷えた潮風の香りは、より一層きつくなる。
 まるで世界そのものが広くなったかのような、暗い港。

「はぁ……はぁ……──でやぁぁぁぁっ!!」

 早速だ。
 シャンプーは、春麗を仕留めようと、鉤爪の切っ先を向けたまま駆けだしてきた。前と同じく、猪突猛進に──。
 春麗はそれを回避するが、タイミングは些かずれ込んだ。シャンプーの攻撃が、疲労によって大きく鈍っているせいで、却ってタイミングが崩れてしまったのだ。それくらいの事も読めなかったのは不覚であったかもしれない。
 次の瞬間、彼女が我武者羅に決めた、突き上げるようなアッパーは、春麗の胸部を盾に引っ掻いた。──春麗の衣服は、胸の部分だけ、T字を逆さにしたようにめくれ上がり、真っ白な両乳房を露わにする。

「──あっ!」

 ……いや、シャンプーの疲労が読めなかったのではない、と春麗は思った。
 自分も、彼女との激戦で想った以上に疲労を蓄積したのだ。やはり、シャンプーは相当な実力者である。こんな物を使わなくても春麗を渡り合えるだろう。

「アイヤァッ!!」

 シャンプーもまた、脚を振り回すように春麗に蹴りを叩きこもうとする。
 だが、それが命中するよりも前に──。
 春麗は、シャンプーの頭上を飛び越えるように、高く飛び上がり、シャンプーの後ろに立った。──そして。

「百裂脚!!」

 先ほどと同じく──春麗のつま先から、何発もの蹴りがシャンプーの身体にめり込んだ。
 シャンプーは直前に春麗に振り返ったが、反撃の余地はない。待っていたのは、無数のキックの嵐である。──そして、それは、シャンプーの顔面にも、胸にも、腹部にも、等しく向けられた。
 しかし、賛辞であるのか、それとも、春麗が恐怖を抱いたという事なのか、先ほどよりも過剰な連撃が、シャンプーに浴びせられたのだ。
 そして、シャンプーの背には、今度は、海があった──。
 彼女は、ついに力を失い、背中から、海に向けて、吹き飛ばされて落ちていったのである……。



──K.O!!──



 やりすぎただろうか、と、水面を見下ろしながら春麗は思った。
 ……しかし、揺れる水面を見つめる春麗の前にあったのは、驚くべき光景だった。





 倉庫群の陰には、そんな中華美女二人の争いの一部始終を監視している者がいた。
 彼の名はスチュアート大佐。
 かつてまで軍人であったが、今やテロリストという汚れた役職で呼ばれて然るべき男だった。──彼は、目的の為に民間の旅客機を一機、巧妙な手段で撃墜した程である。彼の上司であるエスペランザ将軍と共に、おそらく半世紀は語り継がれる悪魔の名となるであろう。
 彼も格闘技においては軍部でも右に出る者がないほどの実力者であったが、だからこそ倉庫の中で繰り広げられていた恐るべき闘争に絶句せざるを得なかった。

(あのアジア人の娘たち……かなり腕が立つ。いや、かなりという次元じゃない)

 スチュアートは、垂直跳びで人の体重さえも超えてしまうような女の戦いを目の当りにしていたのだ。それは、手から砲撃を出したピンク色のワニの死(スチュアートはこれをあの光景をあまり過信してはいないが──)よりもずっと、身の危険を実感させる光景となった。
 とはいえ、スチュアートには、この殺し合いで勝ち残らなければならない理由が存在している。
 今の光景はスチュアートの大義を揺るがす決定打とはなり得なかった。

(──私は勝ち残って遂行すべき任務がある。
 故に、彼女たちもターゲットの一人として抹消せねばならない)

 そう。彼の目的は、エスペランザ将軍の奪還。
 その為に、大勢の部下を従え、ダレス国際空港において、空港の管制中枢を乗っ取って、その機能を麻痺させた。
 そのダレス国際空港も、どういうわけか日本の東京タワーやイタリアのコロッセオなどと共に、この場に同名の施設があるようだが、彼としてはそれがそのまま存在している事実には懐疑的である。
 その座標に存在する物に関する何らかの暗号、あるいはコードネームとして「ダレス」、「東京」、「コロッセオ」などのシンボル的名称を用いていると解釈している。
 何にせよ、彼の目的は、多くの部下を従える一介の軍人としての“勝ち残り”。──その為ならば、如何に冷徹な手段も厭わない。

(ジョン・マクレーン……貴様も同様だ)

 たとえ、あの有名なニューヨーク市警(いや、今はサンフランシスコ市警だったか)が相手であっても同様である。
 奴には、空港で多くの部下を殺された。
 我々の作戦を妨害しようとしていた男だが、おそらくスチュアートが真正面からぶつかれば敗北するような相手ではないだろう。

(だが、いかにこの私といえども、今の連中と正面からの戦闘で勝ち残るのは分が悪い)

 問題は、マクレーンではなく、春麗やシャンプーのような、スチュアートも及ばないレベルの超常的な格闘能力を持った連中だ。
 これまでに見て来た中国人の兵隊たちを凌駕したその格闘の実力を見るに、この殺し合いに呼ばれた連中は、「驚異的な戦闘能力」あるいは「卓越した知力」など、何らかにおいて優秀な能力を持つ者たちであろう。

(……だとすれば、ひとまずは、マクレーン以外の連中は上手く仲間として取り入るのが最善の策か)

 あの春麗という娘──奴もインターポールなどという素性を明かしていたが、だとすれば、スチュアートも安易に接触するのは不味い。
 ひとまずは、この場からは上手く去り、彼女たちと戦闘にならないように心がけ、周囲の連中を利用する。
 ──そうだ。
 それより前に、倉庫に残っている筈の、シャンプーの支給品を奪っておくのが得策であろう。武器は多い方が良い。幸いにも、このデイパックは何故か重さを感じない。
 戦場とは違い、武器を持ちすぎる事が首を締める事にはならない筈だ。

「──」

 スチュアートは、春麗の方を見た。
 彼女は、どうやら、シャンプーを追って水面まで飛び込んだようである。──ならば、ひとまずは、彼女の目はないわけだ。
 彼は、急いで倉庫内に立ち入り、彼女たちの戦闘が繰り広げられていた場所へと駆けつける。──思った通りだ。
 シャンプーのデイパックと、彼女が装着していた仮面が残されている。
 武器類があるか確認するのは後だ。春麗と遭遇しない内にこれらを回収してここから出て、不要物を捨てて武器を得る。
 これが得策と見た。
 彼は、すぐに倉庫から外を見たが、春麗はまだ陸に上がってこないようなので、すぐに倉庫の外に出た。

「にゃー!」

 と、その瞬間、真後ろから、変な鳴き声が響いた。
 流石のスチュアートも心臓が飛び出そうだったが、どうやら、ただの野良猫のようである。
 水でも被ったかのように全身びしょ濡れだったが、スチュアートは、そんな野良猫を小声で追い払おうとする。

「なんだ、猫か……あっちに行け! シッ! シッ!」

 そう言って、発情期のようにうるさく泣きわめく猫を背に、スチュアートは走りだした。番犬に吼えられている泥棒の気分だ。だが、少しでも早く逃げなければ、目立って春麗に見つかってしまう。
 その猫は、少しだけスチュアートを追いかけようとしたようであったが、どうやらその猫も相当の疲労に参っていたようで、すぐに追い払った。
 幸いにも、春麗にも見つからずに済んだようである。






 一方、春麗は、港を見下ろしながら、自分が一つのミステリーを目の前にしているのを実感していた。

「……どこに消えたのかしら」

 春麗は、海を見つめていたが、そこに浮かんでいるのは、シャンプーの着用していたチャイナ服と、鉤爪だけだった。
 彼女が逃げのびたならば、何故、彼女は服を脱ぎ、武器を捨てたのだろうか。
 それは春麗にもわかりかねる。
 まるで脱皮したように──というか、シャンプー自身の身体が、まるで水の中に溶けて消えてなくなってしまったようだった。
 春麗が目を離したのもそんなに長い時間ではなく、シャンプーが水に落ちてすぐにそこに目をやったはずなのに、既にそこに彼女の姿はなかったのである。
 ……ただ。

「……これじゃあ、流石に表を歩けないもんね。悪いけど、ちょっと貸してもらおうかしら」

 春麗は、その豊満な両乳房を覆っていた服が引き裂かれて、手で押さえなければ乳房が曝け出されてしまうような状態にある。こんな状態で歩いていれば、まるっきり痴女だ。
 小麦粉の白色がこびりついた上に、びしょ濡れであるものの、後で乾かしてどうにか着替えとして使わせてもらおう。
 ……体格も違うし、やはりサイズに無理があるだろうか?
 しかし、まずはそれを深く考えず、春麗は、海に飛び込み、シャンプーの衣服とバルログの鉤爪を回収する事にした。






 一匹のびしょ濡れの猫が港を歩いていた。
 首輪はサイズが縮小され、猫の首についている。
 この雌の猫もまた、この殺し合いの“参加者”の一人である。

(あの男……最低の泥棒ね!)

 スチュアートが“自分の”デイパックを持ち逃げするのを、この猫は見ていた。
 必死に罵倒したが、それは猫の声帯では鳴き声以上の何にもならない。──言ってしまえば、彼女はこの“体質”のせいで全部、失ってしまったわけである。
 これも、何もかも春麗のせいである。

(ああ、これで全部なくなってしまった)

 この猫はもう素寒貧だ。
 支給品なし、武器なし、服なし。
 さて、この猫の正体──それは、何者か。

「くちゅんっ!」

 くしゃみする猫は、つい先ほどまで、冷たい水の中に浸かっていた。
 あの春麗に突き落とされたのである。
 ──そう、この猫の正体は、勿論、あの仮面の格闘家・シャンプーであった。
 一見すると愛らしい猫のようでありながら、それは、この殺し合いに乗り、春麗の命を狙う中国の刺客なのである。

(やはり──乱馬以外の者、皆邪魔者……! 殺す!)

 スチュアートに支給品を奪われた事で、彼女の中の覚悟は風船のように膨らんだ。
 ああして巧妙に人目を盗んで武器を強奪する者もいる。──やはり、このバトルロイヤルに乗っている人間は自分以外にも大勢いるのだ。
 元々、性質の悪いあの手の参加者は、殺害を躊躇する必要はない。
 ……今も同じだ。早乙女乱馬以外、全員殺してみせる。

(見ていろ春麗。すぐにまたお前を殺しに行くね……そして、天道あかねも)

 女傑族の彼女には、「殺人」の掟もある。
 かつては天道あかね、そして、今、春麗にその口づけを施した。これから先、シャンプーは、掟に従って彼女たち二人を殺す為に戦わねばならない。
 それに限らず、ここにいる者たちは容赦なく六十五人殺し尽くし──そして。
 早乙女乱馬を、優勝させる。

(待っててほしい、乱馬……。私は、女傑族の戦士ね……これが、忘れかけていた私の本質──)

 彼女にとって、殺し合いの始まりと、二人の人間の死は、自分の本当にあるべき姿と目的を思いださせてくる起爆剤となった。
 勿論、あの説明を聞いた時は、誰が言う事を聞くものかと思った。
 しかし、その直後、何故自分は──誰かを殺す事を忘れてしまったのか、ふと考えてしまった。殺し合いに忌避や嫌悪の念を抱く自分に気づいてしまった。
 そして、二人が死んだ時に、彼女は思った。

 ──自分は、こうしてあかねを抹殺しなければならない、女傑族の一員なのだと。

 絶対の掟を忘れ、あかねやムースと親しくなりつつあった自分──それは武闘民族の一人の女として、本来ならば恥ずべき姿だった。
 女傑族の長たる曾祖母も見逃していたようだが、そうであるようで、もしかしたら戦士としての何かを忘れて行くシャンプーを見張っていたと言えるのかもしれない。
 法治国家日本──まともに殺し合う事は許されず、武闘ではなく労働で暮らし、掟もなく自由に恋愛をする大都会。その甘美な蜜を吸い、だんだんとシャンプーの心は甘くとろけてしまっていたのかもしれない。
 だが、本当に殺し合わねばならない今──それを再び、正す必要がある。

(あかねも、殺す……)

 いつの間にか、天道あかねの顔を見ても殺そうなどとは思わなくなった。
 ただ、乱馬との仲を引き裂ければそれで良いと──シャンプーは、あかねに対してそう思い始めていた。
 しかし、掟に従うならば、それは決定的な過ちとしか言いようがない。
 死の接吻を施した相手に、何故甘い顔を見せようか。

(それに、ムースも……)

 幼馴染のムース。
 最低の男だが、今も共に働いているほど付き合いは長い。仮にも、一図にシャンプーを想い続けている馬鹿な男だ。
 彼も、乱馬の為に消さなければならない。
 いずれにせよ、彼は掟によりシャンプーとは結婚する事が出来ないのだ。

(最後には、私自身も……)

 そして、仮に乱馬以外の全てを殺したとして──最後には、乱馬と自分だけが残る。
 その自分も、結局、“最後のターゲット”になるわけである。
 勿論、二人で上手に生き残れるならば、どんなセコい手を使っても、シャンプーはその手段を使うつもりだが、逆に二人以外の存在は抹殺するしかない。
 自分が女傑族である事を、思い出す為に。
 自分の本来の目的を、忘れぬ為に。
 それを試されている気がした。

 あの場には幼い子供もいた。シャンプーも、実のところ、女傑族という枷を外せば、子供をかわいがるような側面も持っている普通の少女だ。
 ──しかし、そんな子供たちも今は敵だ。

 いつか、こんな日が来るかもしれないとは、シャンプーも薄々思っていたのかもしれない。
 いかに、これまでの日々にシャンプーが少なからず楽しいという感情を抱いていたとしても、結局は、シャンプーの目的は元々、乱馬を殺す為だったし、一時はあかねを殺す事も考えていた。
 今は、かつての自分に戻っただけだ。
 感傷に浸る暇はない。

(乱馬なら、しばらく放っといても平気ね。私は邪魔者を消していくだけある……)

 乱馬は──早乙女乱馬は、初めてシャンプーに勝てた男なのだ。
 中国の村の掟は、絶対だ。

 女傑族の娘がもし余所者に負けた時、その者が女だったならば、殺すべし。
 しかし、男だったならば、夫とすべし。

 シャンプーに勝利した男・乱馬はシャンプーの婿として迎えなければならないのが掟だ。──そして、そんな掟に縛られる事もなく、シャンプーは純粋に乱馬を愛している。自分の命さえ投げ捨てて奉仕できるほどに。
 日本での日常に呑まれて忘れかけていた掟。
 それを、“ノストラダムス”は思い出させてくれたのだ……。

「あら? 子猫? びしょ濡れじゃない……」

 と、色々考えながらとぼとぼ歩いていたシャンプーに、ふと、聞き覚えのある女の声がかかった。
 慌てて振り向くと、そこにいるのは春麗である。
 春麗もまた全身に水を被ったように濡れていたが、それは、おそらくシャンプーをあの水の中で探していたせいだろう。
 随分馬鹿な事をするものだが、シャンプーは何も知らない春麗に向けて唸る。自分が目の前の猫に嫌われている事も知らず、呑気にシャンプーの身体を持ち上げる春麗。

「……うん? この猫も、私たちと同じ“首輪”が巻かれているわね」
「ニ゙ーーー!!!」

 シャンプーは思いっきり、春麗の手の甲を引っ掻いた。
 流石に、あれだけシャンプーの攻撃を回避し続けた春麗とあっても、この一撃からは逃れる隙が無かったようである。
 春麗は、先ほどより小さく作られた三本のひっかき傷に冷たい息を吹きかけながら、赤子にでも言い聞かせるようにシャンプーを咎めた。

「いたたたたた……! 駄目よ! 引っ掻いちゃ……めっ!
……でも、この猫、小麦粉塗れね……。うろうろ歩いてて、あれを被っちゃったのかしら」

 早速以て、春麗の心の油断が見て取れる。
 どうやら、猫の子一匹殺すつもりはないらしい。日本ならばともかく、中国では猫料理など珍しくないので、彼女も猫くらいならば殺してしまうと思っていたが……。
 まあ良い。こんな女に抱かれるよりは、

「──……と、風邪ひいちゃう……こんな所にいられないわね。早くお風呂を探さないと」

 ふ、と。
 その時、シャンプーは、春麗の手から逃れようとする手を、ぴたりと止めた。
 春麗は、冷たい水の中に入ったせいで、びしょ濡れなのである。このままでは風邪をひいてしまうリスクがあると恐れたのだろう。これ以上夜風に晒されていては、お互い危険というわけである。
 どうせ、この姿では春麗を殺す事も出来まい。
 それならば、上手に利用して彼女に温かいお湯に入れてもらおう。

「……この子も一緒に入れてあげようかしら。びしょ濡れみたいだし……」
「にー♪ にー♪」

 ご機嫌を取るように、先ほどまでの態度とは打って変って、春麗の胸の中にうずくまるシャンプー。
 春麗もそれを見て妙な猫だとは思ったが、気にする程ではなかった。
 だが、春麗は知らない。この猫こそが、シャンプーそのものだった事。
 彼女は、“水を被ると猫になり、お湯を被ると元に戻る”という不思議な体質であり、今まさにその変化が行われていたという事など……。

(ふふふ……私がお湯につかった瞬間、お前を殺す事になるとは知らずに、馬鹿な女ね)

 シャンプーは、胸中で元の姿に戻り、春麗を殺すチャンスが巡って来た事で、胸中、爪を研ぎ始めていた。



【H-3 港町/1日目 深夜】

【春麗@ストリートファイターシリーズ】
[状態]:疲労(中)、ダメージ(小)、左二の腕に切り傷(パンストで)、左手の甲に猫のひっかき傷、全身びしょ濡れ
[装備]:バルログの鉤爪@ストリートファイター、グロック17(15/17)@ダイ・ハード2
[道具]:支給品一式、ランダム支給品0~1、シャンプーのチャイナ服(びしょ濡れ)、パンスト@らんま1/2、シャンプー(猫)
[思考]
基本行動方針:ノストラダムスを倒す。
0:まずは猫を連れてお風呂に入ろう。
1:殺し合いには乗らないが、危険人物には対処を。
2:シャンプーの行方が心配。
[備考]
※参戦時期は「Ⅱ」の最中。少なくとも、シャドルーを壊滅させてはいません。
 また、口調や性格などは「ZERO」シリーズ以降の設定も踏襲し、パラレルワールド扱いの「ZERO」シリーズとも一定の相互関係がある物とします。
※春麗のチャイナ服は、シャンプーとの戦闘によって胸元が大きくはだけて露出しています。

【シャンプー@らんま1/2】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(中)、猫化
[装備]:なし
[道具]:なし
[思考]
基本行動方針:殺し合いに乗り、乱馬の優勝を目指す。
0:猫のフリをして春麗についていき、風呂で元に戻って奇襲。
1:天道あかね、春麗を優先的に殺す。
2:最終的には自分の死もやむを得ない。乱馬の優勝が絶対の目的。
[備考]
※参戦時期は、本編終盤。
※「死の接吻」を春麗に対して施しました。
※自らの女傑族としての覚悟が弱まっていた事を実感し、殺し合いに乗る事でかつての誇りを保とうとしています。その一方で、良牙、ムース、子供などを手にかける事に対しては一定の抵抗もあるようです。

【スチュアート大佐@ダイ・ハード2】
[状態]:健康
[装備]:バルログの仮面@ストリートファイター
[道具]:支給品一式×2、ランダム支給品1~3、ランダム支給品0~2(シャンプー)
[思考]
基本作戦方針:どんな手を使ってでも帰還し、任務遂行に戻る。
0:奪還したシャンプーの支給品の確認。
1:正面からの戦闘は避け、上手に武器を確保しながら敵を殺害。
2:マクレーン、及び春麗のように国際警察の手の者との接触は避ける。
3:また、勝ち残る以外の術が見つかればそれに乗る。
[備考]
※参戦時期は、少なくともダグラスDC-08機の大破を確認した後。
※「ダレス国際空港」、「東京タワー」、「コロッセオ」などの存在は座標に位置する別の物のコードネームであると解釈しています。そこに現物があるとは思っていません。



【支給品紹介】

【バルログのマスクと鉤爪@ストリートファイターシリーズ】
シャンプーに支給。
バルログが使用している白いマスクと鉤爪(片手用)。
鉤爪は攻撃力やヒットを上げ、マスクは「ZERO3」では防御力を上げる効果を持っている。
ただし、いずれも攻撃を受けすぎると装着が外れる。

【パンスト@らんま1/2】
春麗に支給。
パンスト太郎が武器や包帯代わりに使用するパンティストッキング。
作中では複数のパンストを結んで繋いでいるように、一応複数枚支給されている物とする。

【グロック17@ダイ・ハード2】
春麗に支給。
グロック社が開発した自動拳銃。装弾数は17発。テロリストたちが使用。
この出典の「ダイ・ハード2」の作中では、「強化プラスチック製である為、X線に映らない」などと言われているが、実際にはこれは誤った情報。しかし、この作品によってこの銃もまた大きく知名度を上げた。
また、警察署長がマクレーンに「アンタの給料全部投げ出しても買えない」と言われているシーンなどから、高価だと誤解される事もあったりするらしい。



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