初期仏教(しょきぶっきょう)とは、
釈迦が生きていた時代を含み、釈迦の死後およそ100年から200年間までの間の
仏教をいう。この時代の仏教を原始仏教または根本仏教とも呼ぶことがあるが、「原始」・「根本」という言葉にはさまざまな価値的な判断の意味が含まれるため、ここでは中立的な”時間的に先であることを示す”「初期仏教」という用語を使用する。
仏教の教えは歴史的に展開・変容を繰り返してきたが、
根本分裂によって
部派仏教に分かれる前の仏教をとくに「初期仏教」と呼ぶ。
当初の仏教は、長い間記憶で継承されており、多聞(釈迦の教えを多く聞いた)などが褒め言葉になっていた。
文書化された時代には、初期経典群を分析すると、既に釈迦の教えが様々に理解されていたことが分かる。
例えば、最初期経典『
スッタニパータ』も今までは釈迦の教えに近いとの説が強かったが、「これは隠者文学でありインド伝統的な思想の傾向が強い、本来の釈迦の教えは、伝統的な僧集団が伝えた
相応部経典の方に含まれる」という説も起こっている。
ただし、学問的には「釈迦の基本思想は
縁起又は
因縁、
四諦、
八正道などである」ことは合意されている。
また、釈迦の死後、その教えは広くさまざまな地方に広まったが、釈迦の死後約500年経った西暦紀元前後になると、「
大乗(大いなる救いの乗り物)仏教」と自ら宣言をする集団が現れる。大乗仏教は論敵とした
説一切有部などの
部派仏教を「専門的な煩瑣な哲学論議に陥ち入り、自己の解脱を中心にしている
小乗(自分しか救わない小さな乗り物)仏教」として批判し、多くの新しい経典を生み出していった。これも大乗仏教の立場からは「釈迦の本来の/当初の教え」に戻る運動として自覚し信仰されていた。
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最終更新:2009年12月29日 11:59