映画 『処刑人』 The Boondock Saints @ wiki

Audio Commentary Ch. 05 - 08

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Chapter 05: I Come To Kill You


映画が勢いに乗ってますます面白くなってくる部分にだんだん近づいてきたな。これがその始まりだ。このシーンを脚本に書いていた時のことなんだけど、俺は問題を抱えてしまって、俺の弟にこう訊いたんだ、「もし自分がトイレに鎖で繋がれてるときに、下の路地で弟が殺されるとなったら、どういう方法で彼をそこから逃すことが出来ると思う?」ってね。俺は、手首をへし折って手錠をはずしたりとか、何か行動を起こすのに、その方法をあれこれ何百万と考えていたんだ。すると、俺の弟はこう言ったよ、「トイレを床から引っこ抜けば良いじゃないか」ってね。それで、俺は「そいつは良い考えだ」みたいなことを言った。後で出てくるけど、そっちの方がここでは重要な意味を持つことになるからね。


このちょっとした表情、One ……


Two ……、俺にとっては胸を締め付けられるような瞬間だな。俺はこの役者たちにこう言ったんだ、「ここがふたりが非常停止ボタンを押すべきか押さざるべきか選択を迫られる場面だ」、「どんなに怯えていようが、恐怖を感じていようが、兄弟はここから脱出するつもりなんだ。それがどんなことであれ、お互いを救い出すには何だってするんだ」って。そういうのを彼らに表現して欲しかったんだ。


このショットは大好きだね。


そして、ドーン! このショットもすごく気に入ってる。上から撮ったのが効いてると思うな。今から出てくるシーンは全部スタント技をやった訳だけど、すべてスローモーションで撮った。この日撮影した分を会社に持ち帰ると、会社の連中は、「なんだこれは? ダフィーは気でも狂ったのか? どうなってるんだ? 全部スローモーションじゃないか!」なんて言うんだ。俺はそこで雇っていた編集担当者とこの部分を急ごしらえで編集したんだけど、今にもクビになりそうだったよ。連中はこの部分を編集してつなぎ合わせるなんて出来っこないと思っていたからね。それで、こんな風なテクノの曲を使って、編集してつなぎ合わせて、今見ているような感じにまで持って行ったんだ。俺は、「オーケー、これで万事良し」って言ったな。でも、こんなことは数あるうちのほんの一例だ。俺は映画を撮影しなきゃいけないってだけじゃなく、みんなの質問に答えたり、役者たちのモチベーションを維持させたりとかもしなきゃいけないし、それに、まぁ、自分の職を失わないよう気をつけないといけない。何てったって、これは低予算のインディー映画だ。例えば、「俺は5~600万ドルも使えるんだぜ、やったな! どっか上等なレストランにでも行こう!」なんてことを初日にしてたら、後でとんでもない目に遭うよ。

と、まぁ、映画はこのスタントをきっかけに盛り上がり始めるんだ。つまり、ちょうどここが映画の流れをスピードアップさせたかったところなんだ。


撮影監督のアダム・ケインがここで素晴らしい仕事をやってくれたよ。シャッタースピードを変える手法でより一層必死さを出したり、いくつか別のアングルからも撮ったりしてね。こういうことを俺たちは全部楽しんでやっていたよ。


そういえば、ノームには「兄貴を担ぎ上げろ!」って言ったな。「誰も彼に手を貸すなよ! このシーンは本物っぽく見せる必要があるんだ!」ってね。そこで、彼は180ポンド程もある大の男を掴んで、さっと勢い良く肩に担ぎ、バッグを掴み取って、一緒に逃げ去ったって訳だ。それが終わったところで、みんなが拍手をし出したよ。彼はこれをたったワン・テイクでやってのけたんじゃなかったかな。

兄貴を担ぎ上げて路地を抜け出すシーンで、彼はあんな風に盗みのシーンなんかもやり、俺たちはそれをいくつか別のアングルからも撮影した訳だけど、とにかく彼は上手くやってのけた。


それから、ふたりはここで色んな言語を使って話し始める。目の前にいる人物に対して反体制的な会話をするためにね。彼らがお互いのことを気に入ってるってのが多分見て分かるだろ。つまり、スメッカーとマクマナス兄弟はお互いを本当に気に入ってるってね。これは、俺が映画で描きたかったことのひとつなんだけど、この兄弟のやってる行為に賛成出来るか出来ないかとか、それが嫌か嫌じゃないかに関わらず、彼ら自身は誰もが味方に付けたいと思うような人物なんだよ。彼らってのは、良い友であり、良い人であり、一緒につるんだり、飲みに行ったり、楽しいひとときを過ごしたりとかね、友達になりたいって言われるような連中なんだ。俺にとってはとても重要なことなんだけど、彼らは人から愛される資質を持っている連中なんだよ。


この警官がそれとない雰囲気を察知する……。


これは誰しも子供の頃聞いたことのあるセリフだろうね。[※]

   ※訳注 … "Well, we'll have to check with your mom. But it's OK with me if your friends sleep
          over. (「あなたのママにも相談しないとね。私なら、お友達がここに泊まってもOKよ」)" という
          スメッカーのセリフのこと。

みんなが気付いてるかどうか分からないけど、この署長は『グッド・ウィル・ハンティング』でバーテンダー役をやった人でね。彼を雇った後にそれが分かったんだ。彼はボストン出身だから、彼の訛りは本当に自然だね。彼に関しては、完璧に着飾って、お役人らしく見えるようにしたかった。ボストン警察がテレビに出る時ってのは、今にもパレードを先導しに行くぞってな風に見えるからね。


ロッコが兄弟の服やら何やらを持ってやってきた。心配事のない気ままな奴だ。それと、彼らが親友同士だってのが分かるよな。




Chapter 06: The Calling


これは洗礼の儀式を象徴するような感じのシーンだ。脚本では書いていても、実際には撮影を実行できなかった箇所が沢山あったんだけど、ここは夢の中のシーンとして表現した。これはビリーの語りをかぶせたもの。この部分は随分編集したよ。編集していると分かるけど、映画ってのは、『一に脚本書き、二に撮影、三に編集』なんだ。この昔からある言い習わしは全く正しいね。実際のところ、ビリーはこの語りの部分をコメディー・ショーでオーストラリアに行っている間にやったんだ。俺は彼にセリフなんかを送って、電話で話をして、目一杯不気味な雰囲気に聞こえるようにやってもらったんだ。彼は本当にさらりとやってのけたよ。


ここ、この表情を見てくれよ、これ。ここが兄弟にとってターニング・ポイントとなる場面だ。彼らは今や何かが変わったと気付く。洗礼の後のこの沈黙の瞬間でね。お互いの目を見つめ合い、何かが突然変わったって気付くんだよ。

で、ノームについて、映画は出来上がると送られてくるから、彼が出演した作品も前もって見たことがある訳だけど、ノームを映画で見るたびに思うのは、「一体こいつは何を考えているんだろう」って思わせるような特徴が彼にはあるってことなんだ。彼は、ジェームズ・ディーン的なものを持っている。何も語らずとも、ただ座っているだけで存在感があると言うか。カメラ映えするんだよ。

対して、ショーンの方はもっと訓練を積んだ俳優だな。一度、彼にこんなことを言ったことがあるんだ。母親が亡くなったという設定で、ステージに出てきて、立ち位置に立った後、ロケ車に戻って泣き出すというのをやってみてくれってね。全くもってプロフェッショナルな演技だったね。彼の信念を揺るがすことなんて出来ないよ。俺の考えでは、彼はハリウッドで今最も光っていて才能あふれる若手俳優のひとりだと思う。彼がもっとこの手の作品をやって、つまり、自分の持つ演技の幅とか、自分が成し遂げられるものを見せられるようになれば良いのにと思うよ。この映画を見た後に、「こいつの訛りは完璧だ。こいつは正真正銘すごいヤツだな」とか言う人たちもいたんだ。俺は、「彼は本当に天賦の才があるヤツなんだ」みたいに答えたよ。


このシーンでなんでロン・ジェレミーを使ったのか、何人にも聞かれるね。ちょっとした目的があったんだ。まぁ、彼はこのシーンでは本当に嫌なヤツなんだってのは俺にも分かってるさ。彼はちょっとエルヴィス・プレスリーにイカレ過ぎなところがあるから、こんな見かけにしてやったんだけどね。で、俺はロンを選んだ訳なんだけど、ロンはこの映画をやることを本当に喜んでいたよ。彼は色んな人の映画やミュージック・ビデオにもたくさん出演しているんだ。ところが、腰掛けてじっくりこの映画を見ている時、例えば、ガールフレンドと一緒に家で見ている時とか、二人とも彼が誰だか知ってるって場合もあるだろ。でも、見終わった後、二人でその話を出来ると思うかい?[※] これは一例で、まぁ、多分、映画そのものの本質からは外れていることなんだろうけど、俺は気にしないさ。こんなのが好きなんだよ。

   ※訳注 … ロン・ジェレミーはポルノ男優なので。

ここの彼は、カーロ・ロータ。このイタリア訛りを聞いてみてくれよ。彼は役に入ると突然イタリア風になるんだ。台本を通してずっとね。タフなイタリア系の男って役だ。彼はトロントで見つけたんだけど、『神があなたをお捜しです』ってな状況なのに、返ってきた返事が『ほらよ、あんちゃん!』ってな具合だったな。役にはぴったりだったね。人目を引くほど印象的で、邪悪で、イタリア訛りが上手いヤツ。実は、彼本人はイギリス人なんだよ [※1]。これは奇妙だったな。「こんにちは、ダフィー君」、「ごきげんよう」、「紅茶でも一杯いかがかね?」 [※2] とか言ったと思ったら、突然、イタリア訛りになれるんだからね。素晴らしかったよ。彼は、俺が望むに、ロサンゼルスに移って、そこでの映画に出て欲しい人のひとりだね。彼にはすごく才能があると思うよ。


   ※訳注1 … Carlo Rota (日本での表記は『カルロ・ロタ』が多い) はイタリア出身の両親の元、1961年、
         ロンドン生まれ。父親は著名なイタリア料理のシェフで、そのため世界中を移住し、1981年
         からトロントに定住。『処刑人』の撮影の後、ハリウッドに拠点を移し、FOX TV の大ヒット作
         『24 -TWENTY FOUR- 』の第5シーズン (2006年) から、クロエの元夫モリス・オブライエン
         (Morris O'Brien) 役で準レギュラー出演を果たしている。
   ※訳注2 … Pip, pip, cheerio. Would you like a spot of tea?
         トロイなりにイギリス英語を真似て喋っています。ここに出てくる表現はアメリカ人が
         イギリス人の物真似をするときによく使うイギリス英語風フレーズ。


ところで、俺はこのオフィスの装飾の仕方も気に入ってるんだ。そこら中のものがイタリア風で本物っぽいだろ。どこかの奥事務所みたいだな。そういうところにこんな装飾は本当はないんだろうけどね。でも、俺にしてみれば、キャンティのボトルや、くだらないイタリアっぽい彫像や、それにグレープが必要なんだ。本物っぽく見せるためにね。

このロッコに言わせてるジョークについても、何度も質問されたよ。その理由ってのは、ロッコのキャラクターをもっと見せるのに、ある種の張りつめたシーンを入れたかったからなんだ。彼がジョークを言う時ってのは、こんな感じなんだよ。ジョークを言い出すと、5分も期待させて、それでいてオチを忘れるみたいな。それじゃあ、あまりにもイライラさせられるだろうから、ここでは、彼のことをだんだん可哀想に感じてもらえるような流れにしたかったんだ、「あー、あの人、本当にオチを忘れて、話の筋が分からなくなってるな」ってね。まるで、ちゃんと演技しているみたいに見えるだろ。今にも不合格の鐘が鳴らされそうだな。それでも、オチを言うと、おっとどっこい、爆笑もんだ。


ここで尻すぼみだな。「ギブ・アップ」って言ってるようだ。


はは、このジョークは今でも来るね。俺がこのような人種差別的なユーモアを使ったのはなぜか聞かれるってのも、みんなにはお見通しだろうね。思うんだけど、面白いものは面白いんだよ。それが分からないヤツのことなんて知ったこっちゃないさ。だから、ジョークってものを受け入れられないようなヤツは、ビデオデッキからテープを引っこ抜いたりすりゃ良いんだよ。つまり、人種差別云々は関係ないんだよ。人種差別的なことばを抜きにしたって、世の中にはクズみたいな問題がもう山ほどあるだろ。




Chapter 07: We Need Rope


ここの場面は一番最初に撮影したショットなんだ。実際に、まさしく撮影初日だったんだよ。事実、俺たちは『デイ・ゼロ』と言ってた。ふたりはアイリッシュの銃器商人に例のロシア人から奪った物を買い取って交換してもらっているところだ。ここでの音楽は、最初はビートルズの曲を流していたんだ。使ってた曲は……、思い出せないな。あ、そうだ、『オー!ダーリン』だ、思い出した。当然のことながら、それを使うにもまた1,700万ドルもかかるっていうんで、最終的に使う気はなかったけどね。代わりに、どっかから引っ張って来た安っぽいサントラを入れて、同じような雰囲気を出した。彼らが買い物気分に浮かれて、何でも手に取って楽しんでいるようなのをね。当然のごとく、彼らは一番大きな銃を選ぶんだ。銃器担当のヤツが銃でいっぱいの部屋を見せてくれたとき、俺がしたのと全く同じさ。でっかい、対空機関銃みたいのがあってね。凄く格好よかったよ。最終的に、悪ふざけをするところを入れながら、それをこのシーンで使うことにしたんだ。その銃が凄かったからね。

このロープってのは後の場面でとても重要になってくるんだ。


ほら、この銃が俺の愛しのベイビーだ。これも場面的にうまく効果が出ていると思うよ。


ここにはジョークを沢山入れたよ。映画に関係したアメリカの大衆文化のね。例えば、弟のことをランボーって呼んだり、チャーリー・ブロンソンを想像してみたり、後の場面では、現実の世界ではあり得ないバカみたいなことがテレビでは起こるという例とかね。これは、よく考えを練って作ったものなんだ。俺は、娯楽として楽しめる映画を作りたかったってな感じなんだよ。俺の場合、映画を見に行く度に8ドル分を損するってのにはうんざりしてるからね。だから、俺としては、ゆったり腰掛けて、見て、笑って、楽しい時間を過ごすことの出来るようなものとか、ドラマ的な要素が少しあって、格好いい銃撃戦があるようなものにしたかったんだ。そう、その通り。この映画をアーティスティックなものにしたかったんだ。彼らにとって象徴となるものや宗教とか、彼らに関して劇中のあらゆるものに気を遣ったり、まとまりのあるストーリーにして、ユニークなセリフを使ったりとか。でも、大方としては、観客がこの2時間の間楽しめる映画を作りたかったんだよ。


このショットは背後から撮ったんだ。マジックミラー越しに撮ってるみたいだな。


ということで、正解! 俺たちの主役はゲイなんだ。前の路地のシーンで彼が男の肩に手を載せてただろ。それに、ボストン警察の連中も気付き始めてたよな。もし視聴者のみんながたった今気付いたばかりだとしても、ご覧の通り、もう疑いの余地はないよな。とにかく、彼はゲイなんだ。俺はこんなちょっとしたジョークが大好きなんだ。ちょっと待っててくれ。


こいつのこの傷ついた表情は最高だな。見てくれよ。彼は完璧だね。とにかく、ウィレムのキャラクターをゲイにしたんだ。その理由は、第一に、俺はこの人物をそういう風に見ていたからなんだけど、後になって、脚本を書き終えるとすぐに気付いたことがあるんだ。彼は超ヘテロセクシャルなボストン警察の連中とは不仲だし、その誰よりも優れている。それと、脚本中ずっと、自分がホモセクシャルであるというのを、この警官たちに対しては、どうでもいい取るに足らない問題へと変えてしまっている。彼らはそれを避けて上手くやって行くことが出来る。彼らにとっては最もタブーとすべきことであるにも関わらずだ。それに、彼こそが優秀な捜査官だと尊敬し、彼こそが男だと認識している。こういうのが、彼のキャラクターをゲイにしたことについて、俺が本当に楽しんだ点なんだ。


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本日の失言だ [※]。 これは撮ってて楽しいシーンだったね。ここは全部作り物のセットなんだ。このひと部屋に予算をうんとつぎ込んだよ。どれだけ重要か分かっていたからね。で、ウィレムが来て、リハーサルをしたんだけど、彼はこのシーンに不満を抱いたんだ。「間隔が問題だな」って言うんだ。役者が監督にそういうようなことを言うってのは……、つまり、俺が「これをどうする?」って訊いたら、彼が言うには「間隔が問題だ」と。俺の方では、「じゃあ、どうしたいんだ? 部屋をもっと大きくしたいのか? 何のことを言っているのか分からねーよ!」となった。そこで、俺は一息ついて、椅子に座ってウィレムの言うことに耳を傾けたんだ。この時、彼が教えてくれたんだけど、彼ほどの優れた人物と一緒にいる場合は、時にはただ黙って耳を傾けて問題に当たるべきなんだ。そして、俺が再び出て行って、最終的にはそれ以上のものになったんだけど、「ソファーの上を歩くのも良いんじゃないか」って言ったんだ。そこで、彼がその場面を仕切るような形になってね。彼はそれを気に入ってたよ。それから、俺たちは今の場面で彼がやっていたリバーダンスのジョークを考え付いたんだ。その時はそれが効果的に行くかどうか分からなかったけど、俺は自分の弟にやってみせたんだ。そしたら、あいつは笑い転げてセットの椅子から落っこちた。凄いジョークを手にしたなって思ったよ。


   ※訳注 … ゲイであるスメッカー捜査官の面前でダフィー刑事が殺されたロシアン・マフィアのボスを指し
         て "The fag man" (このホモ野郎) と言ったセリフのこと。


ウィレムのやり方は情け容赦ないな。ボストン警察の連中を小馬鹿にしてる感じだ。見てて分かる通り、捜査をしている間、身なりがだんだん崩れて行ってる。これは、彼がしまいには考えあぐねて途方に暮れてしまうまで、この映画全体を通してのテーマになるんだ。分かったけど、何かの創造を始めて、その創造力を完全に使い切るということをすればするほど、優れたアーティストなんだ。ますます汚く、ますます不潔になり、些細なことはますます気にしなくなる。だから、俺たちは自分自身や、着飾って良い香りを漂わせて洗い物をしてなんて生活を脇に追いやっているようだ。そういう訳で、俺はウィレムのキャラクターについて、だんだんと品位が落ちて行くのが見えるようにしたかったんだ。捜査のクライマックスに至って、身なりが一番汚くなる時までね。


ここで場面転換で回想シーンに移る。そういう時はいつもこんな風に一瞬白く光ってね。




Chapter 08: A Prayer For The Dying



このシーンを続けるよ。時間軸が交差して、まずウィレムが現場を捜査し、次に兄弟がどういう風に事件を起こしたのか分かる場面だ。ここは面白いから脚本から映画化する際に映画上でも残しておこうと思った箇所のひとつだ。見てて本当に熱中した場面のひとつだね。それに、「ここで彼は間違っていたのか、正しかったのか」って、振り返って考えを巡らすことも出来るだろ。こうすると、観客の立場では実際に何が起きたのか分かるからね。


こう思ってる人が沢山いるんだよな。ここでしゃべっているあのデカい太ったロシア人、彼は不格好なカツラを被っているって。しかし、妙な話だな。だって、あれは彼の本物の髪であって、ただ随分と……、まぁ、単に随分と不格好な見た目に見えるってだけなんだよ。俺はこう言ったんだけどね、『髪には触るな。そのままにしとけよ。今日終わったら、話のネタにするから』ってさ。


さて、これはまさしく俺と俺の弟だな。重大事の真っ最中に兄弟喧嘩を始めるってのはね。


これはアドリブだったんだけど、フラナリーが懐中電灯で弟の頭をガツンと殴ったんだよ。最高だったね。弟をキレさせて、ふたりは本当にケンカを始めたんだ。


ドカーン! このショットは本当に最高だね。


ところで、ここの部分は細切れに編集させられたんだ。ここは全部スローモーションで撮って、格好いい場面を沢山入れたのにな。当然のことながら、レイティング委員会はそれを映画に全部収録するのを許可しようとはしなかった。だから、みんなが見るのがNC-17バージョンだったら、そうだな、多分、このDVD用かどこかでは何とか出来ると思うよ。俺が本当はどういう風にしたかったのかそれで分かるよ。


さて、ここで祈りの場面だ。白黒になるけど、それ以外の選択肢は考えてもみなかったね。彼らにとってここの場面は白と黒なんだ。実際に現場で起きたことと比べると、今や彼らは戦場を歩くふたりの聖職者のようだからさ。白黒にする時ってのは、ちゃんとした理由がなくちゃいけない。スローモーションにする時にも理由が必要だし、銃弾の場面を使うにも理由が必要だ。俺にとって、その理由とは、白黒の場面が彼らにとってそれぐらい必然的なものだったからだ。悪人やギャングであれば、死ぬ運命にあるのと同じようにね。

この祈りの言葉は本当のところは……、みんな聖書の中にその文句が載っていると思っているようだから、この場で教えてあげるよ。あれは俺の創作なんだ。だから、どこに載っているか探し回ったっていいけど、見つけられないよ。実際は、俺の親父も手伝ってくれたんだけどね。


彼のネクタイが今はどれだけ弛んでるか分かるかい。シャツのボタンをはずして、髪型がさっきより少しグシャグシャになってるだろ。ますます気がかりになって、自分のことに没頭しているようだ。再度言うけど、彼の品位がだんだんと落ちて行くにつれ、気も立って行くんだ。


それからドーンと。再び回想シーンだ。


これは劇中で俺が気に入っているジョークのひとつだな [※]。なんたって馬鹿馬鹿しいからね。テレビをつける度に、ドラマでは男たちに小さな部屋で一時間半も撃ち合いをさせてるよな。こんなのは本当インチキだ。でもやっぱり、俺たちはこういうのも楽しんでやったね。男がふたり天井を破って落っこちてきて上下逆さまになりながら相手を皆殺しにするってのを最後に見たのはいつだった? こうした方がちょっとは見応えがあるだろうと思ってさ。

   [訳注] … TVドラマの銃撃戦を引き合いに出した兄弟の一連の台詞のこと。現実の世界では起こり
         えないことが起こるというTVドラマの世界を茶化したトロイなりのパロディー。


これが俺がロッコを使った理由のひとつだな。彼のこの表情がその理由だ。こいつのことが大好きでね。ほんの一瞬の表情ひとつで何百万もの物事を伝えることが出来るんだ。凄い役者だよ。


これは、まぁ、もしこんなことになるとしたらってやつだ。むしろ当然の成り行きだな。確かに残酷だよな。でも、彼は言い訳をして何とか逃れようとする。

そうだな、じゃあ、未経験の監督とはどういうものかとか、それに伴う困難は何なのかってことについてちょっと話をしよう。確かに、この業界に入るのは非常に困難だし、映画を監督するってのもとても難しい。でも、未経験の監督であれば、技術連中も俳優もみんなそいつのことを注目するからね。実力を証明するのを彼らは待ってるんだ。映画作りに関して楽しみってのは、まぁ、俺の場合だけどね、セットでは常に笑いの渦だったな。みんな大いに楽しんでいたよ。みんなとは俺の残りの人生ずっと知り合いでいるだろうな。彼らは自分たちの愛するものに取り組んでいたからね。彼らはね、俺のオフィスにやって来て、理由を探そうとしていたんだよ。俺が彼らを納得させられるのか見ようとしていたんだ。彼らはそれまで自分たちがあまり信念を持てないようなものに取り組んでいて、『処刑人』みたいな脚本も読んでいた。そういう時に、俺の脚本をとても気に入って、大爆笑してくれた。そして、俺のところにやって来て、俺が彼らを納得させられるのか試したがっていたんだ。俺はそれに応えてやった。でもそのようなはずかしめは、『アクション!』の一言を叫ぶまでは本当に消えることは決してないよ。撮影の初日で、俺は自分の実力を十分に証明してみせたと思う。それ以降は、本当に楽しくて素晴らしかったね。こういう素晴らしい話が出てくるようになると、つまり、こういう人生で得た達成感やその瞬間瞬間ってのは、永遠に心に残るよな。なぜか困難の中には魔法が秘められているもんだよ。どういう訳か、誰しもチャンスを掴んだり、誰しもちょっとは苦労を経験するもんだね。そうだな、これが人生ってもんだと思うよ。リスクを覚悟で行動するってのもね。

そういえばこういうことがあったな。ある日、バルコニーでタバコを吸っていると、犬を連れた小さな黒人の少女がやって来たんだ。彼女は上を見上げると、俺の家の壁に貼ってあった『処刑人』のポスターを見て、「あなたはあの映画と何か関係があるんですか?」って訊いて来た。俺は彼女に、「そうだよ、俺が脚本と監督をしたんだ」って言ったんだ。すると、彼女は気が動転しちゃってね。この映画が大好きだったんだな。このような人は、この映画を買って見てみる平均的な購買層には当たらないって例だね。ちょっとびっくりしたよ。これまでにこのような些細なことが沢山あったんだ。思ってもみなかったようなファンもいるのが分かったってことがね。こういうファンの人たちはインターネットでDVDを探してても、カナダや日本なんかから注文しなくちゃいけなかったんだ。



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