映画 『処刑人』 The Boondock Saints @ wiki

Audio Commentary Ch. 13 - 16

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Chapter 13: Firefight


この銃撃戦のシーンは全部大好きだね。ほら来た。これは、衣装と銃撃戦の究極のコラボレーションだな。衣装担当のご婦人と銃器担当の男を一緒の部屋で作業させるってのは、災いの元と言っても良いくらいだ。でも、彼らは協力してこの仕事を仕上げる必要があった訳だ。蓋を開けてみたら、結局、三日間くらい、俺はあのすんごいベストを着て制作オフィス中を歩き回っていたよ。でも、誰も脱がせることは出来なかったな。銃器を身に付けて歩き回ってもらった訳だけど、とても格好良かったね。


よし行くぞ。これは俺が本当にやりたかったことのひとつだ。ジョン・ウー的なものを拝借したってな感じだな。音を全部フェードアウトさせたら音楽を挿入するってのがね。彼はこれを『フェイス/オフ』の中で『虹の彼方に』を使ってやってたよ。俺の場合、ここでは俺たちの最高に素晴らしい作曲家ジェフ・ダナの書いたスコアを使ってやったんだ。彼がこの映画のスコアを書いてくれたんだよ。この場面で使われているのも彼の作品で、まさしくこのシーンのためにこれを書いてくれたんだ。俺はこの荘厳さがとても気に入ってるよ。バイオレンスの真っ最中でも、こういう美しさが出ているからね。それに、ウィレムが演じるキャラクターが前面に出て来ているし。スモーク越しに明かりが差しているけど、まるで教会の中にいるみたいだと思うことがあるよ。


ここでウィレムが中空めがけて銃を撃った。これはあらかじめ計画していたものじゃなくて、別の経緯があるんだ。彼が、「みんなが銃を撃ってるんだから、自分も撃ちたい」って言ったんだよ。そこで俺は、「そうだな、でも、君は誰も撃っちゃいけないんだぜ」みたいなことを言った。つまり、「ビリーに向かっても兄弟に向かっても銃は撃てないんだ。空めがけてだったら撃っても良いけどね」ってね。そうしたら、彼は、「それは良い!」ってなことを言ってね。で、実際、彼はそうしたよ。口を開けて叫びながら、それをやったんだ。最終的に最高のモノが出来たね。まるでほとんど『プラトーン』だな。彼が『プラトーン』の中でやった両膝を突いて両手を上げた時のシーンみたいだ。


それから、ここで突然、必死の様相になる。音が戻って来る。もう大混乱さ。


そう、ここが銃撃戦をやる時にビリーを家族連れから引き離さなきゃならなくなった住宅街だ [※]。外に出て見学してる人たちが沢山いたな。この家の表側に爆竹を何千も仕掛けていたからね。みんなそれに興味津々だったよ。たった今出て来たウィレムの周りをカメラが追いながら撮っているシーンとか、銃撃戦を背景に彼が指揮者になっているところなんかでは、アングルが二ヶ所写っていないんだ。つまり、彼の右側と左側なんだけど、そこには300人くらいの人がいて、遠巻きにじっと見ていたんだよ。俺が撮りたかったのは後ろ側、つまり、彼の後ろにいる兄弟、それから彼の後ろにいるビリーだったから、両脇はどうでも良かったんだ。ラッシュを見て笑えたね。スローモーションでウィレムが指揮者になっているショットの中に、見学者がみんな写ってたからね。自転車に乗った子供が立ち止まって見ていたりね。

   ※注 … この時のオフスリーン・ショットはドキュメンタリー "Overnight" で一部見ることが出来る。


あぁ、これは面白かったな。日本に行った時のことだけど……、この映画の日本での公開に当たってそこに行ったんだよ。日本では実際に劇場公開された訳だけど、彼らの政治に対する物の見方はアメリカとは違うんだ。実際、他の沢山の国でも劇場公開されたよ。けど、日本のは規模が大きかったうちのひとつだね。で、そこに行って、地面に落ちていた指が映った時、日本の観客は笑ったんだよ。アメリカの観客はショックを受けて "Oh, my God!" って感じだったけど。こことの文化の違いを垣間見たな。彼らがこれをどういう風に感じ取ったのかとかね。


このシーン、ここで一体何が起きてるんだって感じだよな。一体どうしたら怒りや失望や狂乱ってものが、残酷なやり方でお互いを介抱することに繋がるのかってね。それは実際に彼らがここでやっていることだからね。彼らは、お互い助け合って傷口を塞いでるんだよ。辛い荒療治だよな。それに、血まみれで残酷で。でも、同時に、俺はこの背景に音楽を入れたかった訳だけど、再びダナがこの素晴らしいサウンドで期待に応えてくれたよ。俺たちは、「彼らはお互いをちょっとは愛してるんだよ」って言いながら、彼らを見てるなんて、残酷だよな。


このショットは大のお気に入りだ。こんな兄弟のショットはとにかく最高だな。思うところは沢山あるんだけど、このふたりの兄弟はちょっとした……、俺の弟ってのは、俺の1歳半年下で、俺たちは自分たちの目的をやり遂げるために LA にやって来た訳なんだ。で、思うんだけど、これはちょっとしたファンタジーなんだよ。このふたりの兄弟、このふたりのキャラクターは、俺たちの関係がいかに親密なものであるべきかって、俺が望んだファンタジーみたいなもんなんだ。俺と弟のテイラーとの関係についてね。で、弟と俺はこれについて話し合ったんだ。それから、弟と俺は……、さぁな。俺たちの関係がこうあって欲しいというファンタジーを色々と考えてみたんだよ。俺たちには人を殺した経験はないけどね。断じて、したことないからな。他の人の知る限りにおいてはだけどさ。

ともかく、俺とテイラーが住んでいたのは……、カネなんて全然なかったからね、本当にネズミの巣みたいなところに住んでいたんだ。麻薬の取引に使われるような廃屋さ。俺の部屋の左側には、廊下を隔ててヘロイン野郎が住んでいた。銃とかそんなもんが廊下にあってさ。そんなバイオレンスが俺たちの周りでは起きていた。俺たちの住んでいたハリウッドで、俺たちの部屋の窓の外の路上でね。言ってみれば、俺はそんな状況に対して何かが出来ればと考えていたんだ。この映画はそんなのに対する俺からの抗議なんだよ。俺が自分の家の中にいても犠牲者のような気分にさせられること、俺の車やバイクがブチ壊されること、俺や周りの人間に被害が及ぶこと、それに、俺の愛する人たちが苦しめられること、この映画はそのようなことに対する俺からの抗議なんだ。そうだな、やっぱ間違ったことだと思うぜ。

これまで『処刑人』は何度も比較されて来たと思うし、まぁ、実際に比較されて来たのを知ってるんだけど、それについてここでちょっと意見を言ってみようかな。そういうのは全部、インターネットとか、雑誌のインタビューやレビューで読んだよ。それで、常に取り沙汰されてるんじゃないかと思えるのがふたつあるんだ。クエンティン・タランティーノ、それと『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』、こっちの監督はガイ・リッチーだ。『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』については何も言うつもりはない。というのは、単純に、『処刑人』の撮影と編集は、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』がヒットする前に、既に終わっていたからね。この映画は大好きさ。でも、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』は、簡単に言うと、『処刑人』のモデルとなった映画なんかじゃない。だから、比較は全部無意味さ。タランティーノについてはまた別の話だ。偶然にも、俺はクエンティン・タランティーノが本当に好きなんだよ。彼は、インディー映画に "cool" ってものを復活させたと言えるんじゃないかな。正直に言っても良いけど、俺はね……、一番厳しい比較記事はこういうのだったな、「『パルプ・フィクション』でも人を殺す前に聖書の祈りを唱える」ってやつ。それから、「この映画でも同じことをやってる」と。次に、「僕はこいつの頭を間違って銃でぶち抜いた。そして、君は猫を間違って銃で吹き飛ばした」と。まぁ、けどなぁ……、分かんねーや。だからつまり、オマージュとかそんなんじゃないんだ。そんなことは思ってもいなかったよ。猫のところで説明したようなことをただ書いたってだけさ。俺は大の猫好きってな訳じゃなくて、例の四匹のクソみたいな猫に延々と拷問を受けていたってことだ。俺の身勝手さが出たシーンだった訳なんだよ。みんなはちゃんと分かってると俺は思うけどね。それから、タランティーノが新作を出した時、俺はその映画を観に行って、ジグを踊りながら家に帰って、そして次の日、新聞を読んでみたら、みんなこんなことを言ってたんだ、「彼はこの映画やあの映画からパクった」とか「『シティ・オン・ファイア』から一部盗んだ」ってね。俺もその映画をレンタルはしたけど、ちゃんと観てなかったよ。俺からすれば、「だからどうした?」って感じだったね。俺たちクリエイターってのは、能力の限りを尽くして作品を作り上げるもんなんだよ。類似点だって出て来るし、相違点だって出て来るさ。それに、みんながそれについて意見を述べる余地だってあるんだ。けど、まぁ、こういう状況は最悪って訳じゃないだろうな。本当に気に入ってる人と比べられてるとね。ジョン・ウーや彼の手法なんかと比較された記事も読んだことあるな。まぁな、もっと最悪な連中と比較されなかっただけマシだろうな。このふたりは俺のお気に入りの監督だよ。それから、コッポラとスコセッシも好きだな。俺のお気に入り、最高さ。


けど、相違点について言えば、一際目立った違いってのは……、今このシーンに来てるからちょうど良いな。ここがウィレムのキャラクターが変化して、兄弟を助けようと決意するところ、兄弟のやってることが正しいと思うところだからね。相違点については……、この映画ってのは、コメディー的要素はあるし、馬鹿みたいなことは起きるし、信じられないシナリオだし、やり過ぎの部分はあるし、でも、それでも、非常にシリアスな点が裏にはあるんだ。それにはちゃんとした訳があるんだよ。つまり、死刑ってことさ。自警行為はひとつの権利だってことなんだ。まぁ、分かんないけど、その答を見い出すには、みんなが自分の心の奥底を各自掘り下げてみなきゃいけないと思うよ。でも、タランティーノ作品にあるようなシリアスさってのは……、そうだな、全員が最後には銃弾の雨あられの中で死ぬこともあり得そうで、それがまた格好良いって感じもするよな。それが上手く行ってるのは、彼がそういう風に作ろうとしたからさ。けど、俺の場合、俺はロッコが死ぬのを見たくない。兄弟が死ぬのも見たくないし、ウィレムが死ぬのも見たくない。俺が大切に気に掛けているキャラクターなんだ。これがこの映画が反響を呼んでいる点だろうな。これほど沢山の反応をもらっている理由がここにあると思う。映画を見て愛してくれているファンからね。だから、まぁ、誰の作品についても、パクリも沢山あるだろうし、オリジナリティだって沢山あると思うよ。誰が監督したかに関わらず、映画の中のあらゆる点について、他と比較したって良いんだよ。だから、もっと最悪な連中と比較されないだけマシじゃないかな、と俺は思うってことさ。


ここの彼、聖職者のジミー・ティングル、彼は正真正銘のボストン人なんだ [※1]。俺は、この訛りでちゃんと喋れる人が何人か必要になるってことぐらい分かってたよ。ジミーはまさにそんなひとりだね。彼は最終的には、この映画の後で『60 ミニッツ [※2]』に出て、しばらくの間、『第二のアンディ・ルーニー [※3]』って感じの役どころになったんだ。今でもやってるのか分からないけどね。

   ※訳注1 … Jimmy Tingle。1955年、ボストン生まれのコメディアン。
   ※訳注2 … 60 Minutes。1968年放送開始のCBSの長寿報道番組。但し、ジミー・ティングルが出演
         していたのは、正確には "60 Minutes II" と言って、本家 "60 Minutes" とは別枠で
         放送されていたスピンオフ番組。
   ※訳注3 … Andy Rooney。1979年から "60 Minutes" のコメンテーターを務めるCBSの名物放送
         作家。ジミー・ティングルは "60 Minutes II" で、アンディ・ルーニーと同様、コメンテーターを
         務めていた。

ここもまた、このアクションを撮って、それから、ここの懺悔室で男たちが5分間ただ喋ってるだけみたいなのを撮って、ってな感じだな。全体のスピードをダウンさせてる部分だ。でも、こうやった理由ってのは……、冒頭でのトイレのスタントの直後では、前に言ったみたいに、狂ったようなスピードを出したかった、観客には何も見逃して欲しくなかった、って理由があった。ここでスピードを落とした理由は……、このシーンに時間を割いたのは、ここがどうしても必要だと感じたからだな。このように倫理上の決断、道徳上の決断を下そうしている男がいる。ジレンマさ。物凄い物議を醸しそうなことをやろうとしている。彼は主役でもあるし、ゲイでもあるし、それに、ウィレム・“ファッキン”・デフォーでもあるんだぜ。ここは時間を掛けなきゃ、格子越しに輝く彼の青い瞳を観客の中にいるアート心のある人たち全員に見せなきゃ、彼が受けている責め苦や拷問をじっと見てもらわなきゃ、なぜ彼が行動に出ようとするのか理解してもらわなきゃ、ってな感じだな。彼は、法の目をかいくぐってシャバに出て来る犯罪者に凄くフラストレーションを感じているんだから。

で、今や彼らは突然、同じ側に立って連絡を取り合ってるって訳だ。この日、ウィレムがやってる電話のシーンは面白かったな。俺は、彼の下でブランケットに寝そべって、映画とは関係のない会話を大声でしてたんだよ。


で、ここ。カマーインが、「ザ・デューク [※1] はクソたっれのフーディーニ [※2] みたいな奴だ。姿をくらます役どころだ」 [※3] って言ってるけど、これは彼のアドリブなんだよ。彼って男は……、何て言うか、ギャング連中を相手にしていたことのある奴なんだ。トラック運転手だったんだ。だけど、どのくらいやっていたのかは神のみぞ知るだな。40年代、50年代、60年代、ロードアイランドとマサチューセッツからメーンやニューハンプシャーまで。この手の話をよくしてくれてね。それがまた、ギャング連中についてよく知ってるんだ。それが本当に良い感じだったんで、俺は、「セリフに何か入れたかったら、入れてみなよ」みたいなことを言ったんだ。前にも言ったように、役者は常に誰よりもキャラクターに近付くことになるからね。

   ※訳注1 … The Duke。カーマイン扮するアウグストゥスは一貫してイタリア語の『イル・ドゥーチェ
         (Il Duce) 』を同語源の英語である『ザ・デューク (The Duke) 』と呼んでいる。
   ※訳注2 … Houdini。ハンガリー生まれのアメリカの奇術師、ハリー・フーディーニ (Harry Houdini)
         のこと。19世紀末~20世紀初頭、縄抜け、箱抜け等の脱出奇術で一世を風靡した。
   ※訳注3 … "The Duke's a fuckin' Houdini. He does a disappearing act."
         日本版字幕では「すべてが謎だ」、同吹替では「すべて謎なんだ」となっている部分。




Chapter 14: Don't Ever Stop


このショットもお気に入りだ、バーン!


で、ここ。そういや、俺はこの日みんなをムッとさせてたな。兄弟が苦境に立たされ、椅子に手錠で縛られながら、屈強なギャング連中に滅茶苦茶にブッ叩かれてる訳だ。けど、最初の何回かは上手く行ってるように見えなかった。本物っぽさがなかったんだ。それで、俺は彼らに向かって名前を呼びながら叫び出したんだよ、「何やってんだ、オカマ野郎! 一体、どうしたんだ?!」って。彼らを怒らせそうになった。そしたら、彼らが凄くムッとしちゃってね。でも、一度やってしまったら、これが功を奏した訳だったんだけど、彼らの方も、「そうか、オーケー、彼の言ってることが分かったよ」みたいな感じになったよ。それと、時には……、時にはだけど、ちょっとは人を騙してみなきゃいけない時もあるよな。人は焦らせると上手く行く場合もあるんだ。


そう、これ……、ドーン!ロッコの別の指を撃ち落とした。これはちょっと胸クソ悪いよな。多分、ここがこの映画の中で一番残酷なシーンのひとつじゃないかな。みんな血まみれだ。前にも言ったように、俺たちはこいつらが死ぬのを見たくない。少なくとも、俺はね。分かるかな。俺は、言ってみれば、彼ら側の人間なんだよ。


そして、とうとうロッコが死ぬシーンが来る。彼はこのシーンをやるのをずっと待ってたんだ。これは面白かったんだけど、彼はこれほど最高な奴だからね、現場の衣装担当の女性とかメーキャップ担当の女性は、これぞ彼が死ぬ時だって分かってて、カメラからはずれたところでじっと見ていたんだ。そしたら、そのうちの三人が泣き出して、どうにも我慢出来なくなって部屋から出て行ったんだよ。これが全部フェイクだっていうのに。どう見たって演技してるだけなんだけどな。でも、彼女たちは彼と絆のようなものを築いていたから、現実と切り離すことが実際には出来なかったんだ。俺は彼女たちを呼び戻して、抱きしめてあげたよ。「大丈夫だよ。 彼は生きてるよ。 そこにいるよ」みたいなことを言ってあげてね。ロッコはこっちに来て、「全然大丈夫だよ」って言ってあげなくちゃならなかったね。


それで、これが……、ほら、俺はコナーを……、ショーンのキャラクターをまだ椅子に座ったままにさせておいて、ノーマンの方をロッコのところに行かせたんだ。彼らはお互いに別の人間だからね。この兄弟は瓜二つのキャラクターで、お互いにそっくりだと思われているところがあるよな。コーヒーを飲むにもふたり同時に口に持って行くし、例の言葉遣いだってふたりとも知ってるし、動作だってふたり同時だしね。でも、彼らにもお互い別の面があるんだ。それは何かと言うと、ショーンのキャラクター、コナー・マクマナスは、ある意味では、兄貴の方なんだ。ふたりが双子であってもね。実際、そういう風に書いた訳だけど。まぁ、彼は兄で、彼の方がリーダーシップを握っている。それに対して、ノームは……、ロッコが「ここから逃げなくちゃ!」って言いながら突然家に帰って来て、彼のガールフレンドが猫についてグタグタ言い出すみたいな場面があったろ。ノームのキャラクター、マーフィーってのは、「そんなのクソくらえだ!」、「新入りの仲間が入ったぞ!」、「やっちまおうぜ! 最高だな!」って言いそうなくらいクレイジーなんだ。彼はクレイジーさが好きなんだよ。一方で、コナーはロッコをなだめようとする。これは、これまでの俺と俺の弟の関係みたいなもんなんだよ。俺が物事を上手く行くように取り仕切って、全体像に目をやる役目。そして、テイラーは……、彼は、まぁ……、ファッキン・クレイジーだな。ただのファッキン・クレイジー野郎さ。でも、だからこそ、俺は彼のことを愛してるんだけどな。


それと、ここのカーロ、いきなりイタリア訛りに切り替えの出来る奴。彼が一体全体何を言ってたのか分かんなくてね。「××××××××××」[※] ってな感じで何か言ってたんだけど、俺にはサッパリだ。まぁ、彼が何かを言ってるってのは分かるよ。そういう意味不明な言葉やら何やら、よく知ってる奴だよ。

   ※注 … カーロ (カルロ)・ロータの口まねで適当に意味のない音を発音しています。


またしても残酷な場面だな。こういうのを見せなければ……、俺は酷いことをしてるって感じだけど、こういうのを見せなければ、ゲス野郎がアイリッシュの兄弟ふたりに殺される映画なんて見られないさ。そう、手錠を外すために彼の手首を折るんだ。


ここでまたダナのスコアだ。本当に素晴らしいね。


あぁ、何てこった! これをジミーに……、このシーンをジミー・ティングルに見せた時のことだけど、彼はこう言ったんだ、「この女を知ってるぜ。 ボストンの女だ」って。もちろん、これは……、これは女じゃないんですよ、紳士淑女のみなさん。


そう、ウィレムが屋敷に入れてもらうために売春婦の格好をしてるんだ。この気の毒な奴、名前はジョー・ピンゲって言ったかな。すんごい役者だな。で、これが彼にとっては映画で初めてのキス・シーンなんだ。彼はそれまで映画で女の子にキスなんてしたことなかったんだよ。すっかり興奮して、頭がおかしくなってる。気の毒な奴……。そして、とうとう、彼にやってもらうことにした。ウィレムにここの唇のやつをやって相手をメロメロにさせるよう言ったんだ。彼は俺のところにやって来るや、「あぁ、ダフィー君、僕に出来るかな? 出来るかな?」って言ってたんで、俺は彼を落ち着かせて、心の準備をさせてやった。で、俺が、「これは神の御手に委ねられてる事なんだ」って言ってね。すると、彼は上手くやってのけたよ。それと、これについては、俺は忘れたことはなかったけど……、これからも忘れないだろうな……、俺が「カット」って叫んだ直後、多分、キャストとスタッフ全員かな、向こうの暗闇の中で座って見ていたんだけど、150人くらいが笑い声や歓声で叫び出したんだ。彼はヒーローになってたね。


これは俺の友達、チャッピーだ。ボストン出身のケヴィン・チャップマン。最高の奴さ。役者になるために LA から出て来たんだ。とても才能のある奴だよ。人間的な魅力のある奴らのひとりさ。


あぁ、ちょっと気分が悪くなるな、このショットは。で、ここの彼のセリフ……、ジョーのセリフで、「リングサイドだ。タイトルに挑戦したいか?」[※] っていうのは全部彼のアドリブなんだ。面白いと思ったよ。

   ※注 … "Ringside. You want a shot at the title?" … shot = 「挑戦」と「一発 (ヤル) 」を掛けている。
        日本版字幕では「相手になってやるぜ」、同吹替では「よーし、デカイの入れてやる! 股を開
        け!」となっている部分。


そして、本作品中、一番の不気味なショットへようこそ、紳士淑女のみなさん。ゲッ、見てみなよ! こいつは気持ち悪いぜ。ウィレムが……、ウィレムがアイディアを出した訳だけど、俺はスローモーションで撮るって言うと、彼は、「その後、唇を震わせたらどうかな? そうすれば、何か動きが出て来るだろ?」ってなことを言ったんだ。最終的にこんなにキモくて最高のモノが出来上がったよ。


そういえば、この部分の脚本を書いていた時のことだけど……、こんな風に、"It's on now, It's on now. This is too far. It's on now. It's on now." [※] って言ってるようなシーンを誰かが書いているとして、俺が思い付くのは、やっぱりこのセリフくらいなもんだな。というのも、彼は FBI 捜査官だし、ここでは彼はヤバい場所に潜入して、自分の信じるもののために危険な行動に出ているんだからね。で、こういうことがあったんだけど、俺の弟がじっと見ていて、こんなことを言ったんだ、「なんでこの人は "It's on now." って言ってるんだい? ヅラのことを言ってるの?」ってね。

   ※注 … "It's on now" はここでは、「さあ、やるぞ、続けるぞ」と「(カツラが) はまったぞ」と二通りの意味
        に取れる。


ここでチャップがまるでズタ袋のように倒れた。最高だったよ。このアホみたいなシーンを10テイクくらいはやったんじゃなかったかな。思うように壁に血飛沫が飛ばなくてね。この屋敷はトロントにある大邸宅なんだ。最高のロケーションだったね。


さて、マクマナス家の祈りがまた出て来た。けど、今回は……。みんなも気付くだろうけど、この言葉は、悪人を殺すと同時に、親友の魂を自らの手で天に送り届けるという言外の意味も含んでるって感じなんだ。同じ意味……、ふたつの意味を祈りの言葉に持たせているんだよ。


このショットも大好きだね。


で、ビリーが入って来て、祈りの言葉を締めくくる。「彼は謎の失踪した父親なり」[※] と。彼はとってもクールに見えるね。ビリーは、この日、セリフに手間取ってたよ。こんなことを言ってたな、「そこに座って鏡の前で1万7千回も練習したのに、もう忘れて行ってるよ!」ってね。俺は彼を落ち着かせてあげなきゃならなかったよ。実際、これは面白い光景だったけど、ノームとショーンが彼と一緒に腰掛けながら祈りの言葉を教えてて、彼がちゃんと覚えて行ってるか確かめていたんだ。

   ※注 … トロイがビリーの物真似で祈りのセリフに被せるように喋っています。


そして、ここで、あらゆる残酷さ、ユーモア、それにこの映画で見る側が味わって来たこと全てが終わり、この作品中で反響を呼ぶ一番重要な部分が今から出て来る。例の男が裁判所にいるところで、マクマナス父子が現れ、まもなく自らの法廷で彼を裁くんだ。




Chapter 15: Fathers & Sons


こいつのことはみんな嫌いだよな。誰がどう見たってロッコを殺したのは彼なんだから。死んだ原因とか殺人は全部彼のせいだ。それにちょっとな……。俺たちはここで黒幕を目にしてるって訳だ。身の安全が確保されたとっても厳重な場所でね。最近じゃあ、法廷ってのは、殺人犯が刑を免れるための場所ってな感じのところになってしまった。公正な判決を下す場所というよりもね。俺はここの法廷をそういう感じにしたかったんだ。満員で沢山の人が目撃出来るようなのにしたかった。ヤカヴェッタの家族や彼に殺された犠牲者全員の家族を居合わせてね。それと、リポーターも。


さぁ、ビリーがこれからスピーチをするところだ。これぞ、役者としてのポテンシャルだな。これはほんの氷山の一角で、彼は凄く本物っぽい。つまり、まるで神みたいだろ。見てみなよ。


ほらな。ビリーってのはまだ能力が未開発の人材だと思うよ。俺が思うに、彼は何だって出来るね。世界中で一番のコメディアンにもなれるし、この映画みたいな正反対のキャラクターも演じられるし、とにかく、本物になり切れるんだよ。


そしてここで、この若い娘に優しさの片鱗を見せる。彼女はあのマフィア野郎に何らかの酷い仕打ちを受けたんだよ。それが何かは分からないけどね。


それから、バーンっと。警察が彼の手助けをするんだ。彼らが進入するのに手を貸し、最後には脱出の手助けもする。


ここが彼らが自分たちの信条を述べる場面だ。ここな。


最後の「お前達が望むどんな神の元へでも送ってやる」[※] ってのは、つまりだ、そうだな、俺にしてみれば、前に説明したセリフのひとつと同じようなもので、ホモセクシャルの人に対するタブーとかそれ以外の俺がこれまで踏みにじって来たことの数々なんかは重要ではないってのを示しているんだ。彼らにとって唯一重要なのは、公正さなんだ。

   ※注 … "We will send you to whatever God you wish."


ドーン! さっきのシーンは気に入ってるよ。それぞれの顔が映る度にフレーズをひとつずつ。"In nomine patris" [※1] ではビリーが。"Et filii" [※2] では彼の息子、ショーンが。そして、"et spiritus sancti" [※3] はノームだ。俺はノームの……、もう一度見てみなよ。俺はノームのジェームズ・ディーン的な資質を使ったんだ。

   ※注1 … 「父の御名において」
   ※注2 … 「そして子の」
   ※注3 … 「そして聖霊の」…… 3フレーズ合わせると日本語で「父と子と聖霊の御名において」。


さて、ここは本当は……、まぁ、結局、この最後の部分にしみったれた安宿のシーンを挿入した訳なんだけど、本当は別の夢の中のシーンがあったんだ。都合で撮影出来なかったけどね。だから、ここは彼らが夢から覚めたところだったんだ。で、ここでビリーが全てを締めくくる。


それから、彼の最後の言葉が終わると、この部分、映画の最後の部分に入る。俺が200ドルかけて俺の友達とロサンゼルス周辺でベータ・カムみたいなニュース・カメラで撮ったんだ。ここに出て来るのは、みんな俺の友達とか街角で偶然出くわした人たちなんだよ。


これは俺の近所の人、というか、昔、近所だった人。素晴らしい女性だよ。こっちは別の近所の人。


左にいるのが CB のガールフレンドで、隣が彼女の友達のメアリー。


このふたりは俺の友達、クエンターノとライアン・パークス。再びエリカの登場。いっぱしの女優さんだよ。


これはたまたま出くわした女の人。凄いね。役にのめり込んでるよ。


これは俺たちの広報担当のアル。これはトニー [※] だ。

   ※注 … 後にトロイの栄光と挫折を綴ったドキュメンタリー "Overnight" を発表するトニー・モンタナ。


それと俺のコロラド時代の学友。これはビル。


これはスケルティ。俺の親友のひとりだ。ここの彼ね。




Chapter 16: Credits



彼女は最高だったな。


これはゴードン。デイヴィッド・ゼーア。


これは俺のエージェントだ。

俺たちはみんなに……、みんなに頼み込んだんだ。「こっちへ来てくれよ。 ピザをおごってあげるからさ」みたいなことを言ってね。背景を見ると、パームツリーとかが見えるだろ。けど、俺はこれをそのままに……。


マイケル・スキャンランだ。マイティ・マイティ・マイケルだ。で、俺はそのまま世論を二分させたままにしたかったんだ。


マーク・ブライアン・スミス [※]、俺の親友だ。このわずかなショットでも良い仕事をしてくれたよ。

   ※注 … トニー・モンタナと共に "Overnight" を制作した人物。


これは俺の元・女房、リサ。もう一度、マーキーの登場だ。

俺はね、みんなに抗議の態度を取って欲しかったのと同時に、彼ら側にもついて欲しかったんだ。それと、コメントの拒否もして欲しかった。そんな感じさ。


これは俺の親友のひとり、マーク・マルセーだ。


最後に、俺はちょっと笑える場面で終わりにしたかったんだ。このスケルティのね。

さてと、そうだな、何て言うか、『処刑人』のファンみんなに言いたいことがあるんだ。君たちみんなは気付いてないだろうけど、みんなは俺に多くのことをしてくれたよ。俺の映画を好きになってくれたり、友達に話してくれたりしてね。例のコロンバイン事件の後、一生懸命やったのに本当に参っちまって、俺は信念も失い、希望も失いってな時を過ごしていたと思う。そこで、突然インターネットで情報を知らされたり、みんなが俺のところに来て話しかけてくれたりね、それと、みんながこの作品を観ていてくれたってこと、みんなが見てとても気に入ってくれたってことを知った。それは俺にとって、決して忘れられない、それに、感謝しても決して感謝し尽くすことの出来ないことのひとつだね。何たって、今、俺はじっくり腰を据えて、次の映画に取り掛かれるよう希望を抱きながら、黙々と脚本を書いているんだから。この作品を誇りに感じているんだから。君たちのお陰さ。感謝しているよ。

(END)



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