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恋する乙女に、俺はなる」(2007/10/08 (月) 00:28:24) の最新版変更点

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誤解を恐れず言えば、俺は、純粋だったのだろう――― ガキの頃から腕っ節が強かったのが、災いした。 近所の気に食わないガキ共を叩きのめしていたら、 気がつけば、近隣の県にまで、その名を轟かせてしまっていた。 確かに、調子に乗っていたとは思う。 髪を赤く染めて、刺繍入りの特攻服を着て、悦に入っていた頃もあった。 そして、俺は最強の座を手に入れた。 だが、どうだ。それのなんと、虚しいことか。 俺だって……俺だって……  男 に ち や ほ や さ れ て み た い ん だ っ !!!! ・・・ うふっ♪ きょうは~、わたし、さゆりの、高校入学の日ですっ♪ 新しい学校、新しい生活、いったい、どんな素晴らしい出会いが待っているのかな~♪ よしっ! 丸文字書き取り100ページ、只今達成ッ! 「くっくっくっ」 俺は、真新しい制服の袖に腕を通しながら、書き上げた一筆入魂の大学ノートを満足げに見つめる。 結局、今日、入学式の日の朝までかかってしまった。 このくねくねした字体を見つめ続けたせいで、目眩と吐き気を催した夜もあった。 書かれた内容の気恥ずかしさに、身悶えと戦慄を覚えた朝もあった。 だが、俺は、やるとなったら、やり遂げる女だ。 感慨深げに、ノートをパラパラとめくる。 ページは全て、真ん中に横線が引いてあり、上下に分かれている。 上半分は、幼なじみの松木多恵の字だ。 彼女は俺のためだけに、この「乙女ノート」を作成してくれた。 文学少女の彼女でなければ不可能だったであろう、この奇跡のノート。 乙女の恥じらい、夢、希望、まだ見ぬ白馬の王子様へのきゅんきゅんな想いが詰まっている。 不良仲間に囲まれ、喧嘩に明け暮れていた俺。 そんな中で、変わらず友人でいてくれた普通の少女は、多恵だけだった。 “普通の女の子のような、恋愛がしてみたい” 仲間に聞かれたら、三日三晩は笑われ続けたであろうこの悩みを、彼女は真摯に取り合ってくれた。 それからしばらくして、彼女はこのノートと共に、俺の前に現れたのだ。 「はい」 「……なんだ? これ?」 「あのね、上半分はね、私が書いたの。女の子の気持ち、女の子が想うこと。  女の子の喋り方、女の子の好きなもの、女の子の字で書いたの」 「もしかして、これで俺に“女の子”を勉強しろと?」 「うん。でね、下半分は空けてあるから、そこにさゆりちゃんが同じ文章を書いていくの。  書くと覚えるっていうし。あっ、字も真似て書いてね。そうすれば……」 「そうすれば?」 「……そうして、全部書き終わったときには、さゆりちゃんも、  女の子らしい女の子になれるんじゃないかなって思うんだけど、どうかな?」 三つ編み眼鏡の彼女の顔を見つめる。 こんな漢字の書き取りのようなことで、本当に女らしくなれるのだろうか? ページをパラパラとめくっていくが、終わりは見えない。 「何ページあるんだ……」 「100ページ」 「えっ」 めくってもめくっても、彼女の手書きの丸文字に、揺るぎはない。 俺がとりとめもなく口にした、現実味などまるでない夢のために、彼女はこれを書き上げたのだ。 眼鏡の奥の彼女の目元には、少しばかりクマができている。 俯いて肩を震わせるだけの俺に、多恵が問うてくる。 「さゆりちゃん、どうしたの? やっぱりこんなの、バカみたい?」 俺は乱暴に、彼女を抱き寄せてしまう。 「きゃっ」 「多恵……ありがとう……俺、俺、やってみるよ。  多恵がここまでしてくれたんだ。これでやらなきゃ、女が廃るってもんだ」 「……うん……さゆりちゃん、頑張ろうね」 「ああ。頑張ろう」 それから俺は、猛勉強した。 多恵と同じ高校に入るための受験勉強と、このノートによる女の子の勉強だ。 期間は十分ではなかったが、俺は俺なりに頑張った。 多恵は、自分の受験もあるというのに、どちらの勉強も、俺の面倒を見てくれた。 初めのうちは、受験勉強の方がキツかったが、 ある程度わかってくると、こちらの方がすいすい進んだ。 普通の勉強は、基本を押さえれば、あとはそれの組み合わせだ。 矛盾なく知識を積み上げていけば、自然と答えは出る。 それに対して、女心というのは、結果に理由がない。 矛盾を矛盾とも思わない、なんともやっかいな代物だった。 勉強の合間に、多恵と二人で、俺の部屋の模様替えをした。 木刀は片付けて、熊のぬいぐるみを飾った。 特攻服は押し入れの奥にしまい込み、二人で店を回って、少女らしい洋服を揃えていった。 合格発表の日。手を取り合って、抱き合って泣いた。二人とも合格した。 そして、入学式の朝――― 玄関のチャイムが鳴る。多恵が迎えに来たのだ。 俺は、今から乙女になる。 男どもを腕っ節で平伏させるのではない。優雅な微笑みでかしずかせるのだ。 俺が欲しいのは、喧嘩のための兵隊ではない。白馬に乗った王子様だ。 猿山のボスになりたいのではない。きらびやかなドレスを着たお姫様になるのだ。 さあ。俺は、一歩を踏み出そう。 ・・・ 私は玄関のドアを開け、優雅な微笑みを作り、多恵ちゃんに挨拶します。 「おはようございます、多恵ちゃん。今日も、いいお天気ね」 「うん。おはよう、さゆりちゃん。いいお天気ね」 満足そうに、笑顔を返す多恵ちゃん。 爽やかな春の風が、二人の間を駆け抜けていきます。 「では、行きましょうか。二人の新しい学校へ」 「ええ」 今日から毎日通うことになる通学路を、二人、ゆっくりと歩いていきます。 「ねぇ。さゆりちゃん、気づいてる?」 「えっ? なにを?」 私は反復練習により、脊髄反射レベルで身についた、“肩までかかる髪をかき上げる” 可憐な動作をしながら、多恵ちゃんに問いかけます。 「みんな、さゆりちゃんのことを見てるよ」 「げっ、マジかっ!」 「さっ、さゆりちゃんっ!」 「はっ! えっ、ええと、ごっ、ごめんなさい。取り乱してしまって」 「もう……」 思いっきりガニ股で、きょろきょろと挙動不審になった私を、多恵ちゃんが咎めます。 「そうじゃなくて、みんな、“可愛い子がいるな”って目で、さゆりちゃんを見てるのっ」 「ほっ、ほんとっ!?」 私は落ち着いて、周囲に視線を送ってみます。 確かに、行き交うおじさんや男子生徒と目が合いますが、すぐに、視線を逸らされます。 あまり、以前と変わりがないような……。 私は、多恵ちゃんの耳元に囁きかけます。 「そ、そうなのかな……今の男、気まずそうに目を逸らしたぞ、よ」 「かわいい女の子と目があったら、恥ずかしくて逸らすんだって。赤い顔してるじゃない」 「そ、そうか?」 今すれ違った男子の胸ぐらを締め上げて、私をかわいいと思ったかどうかを ゲロさせたい気分に駆られましたが、ぐっと我慢します。 握りしめた私の拳を見ながら、なぜだか多恵ちゃんは、くすくすと笑いました。 駅から出て、しばらく歩くと、校門が見えてきました。 緊張で、足が震えます。決して、武者震いじゃないです。 ・・・ 「それでは、本日は皆さんに、自己紹介だけしていただきましょうか」 妙齢の上品そうな女性教師が、教卓を前にして新入生に語りかけています。 入学式自体は、問題なくクリアしました。 黙って突っ立っていればいいだけなので、問題も何もありはしませんが。 それに、運も味方してくれました。多恵ちゃんと同じクラスだったのです。 もし一人きりだったら、心細くて一暴れしてしまいそうだったので、嬉しいです。 新しく級友になった方たちの顔を、それとなく見回します。 皆、善良そうです。髪を染めた子もいないし、きちんと制服を着ています。 私は、皆さんの間に、とけ込めているでしょうか。 今朝、鏡で見た自分の姿を思い出します。大丈夫だとは、思うのですが。 「では、次の、高原さゆりさん」 自己紹介は進んでいるようですが、私は回りの視線が気になってしかたありません。 「高原、さゆりさん?」 「へっ? はっ! はいっ!」 私は慌てて立ち上がります。心拍数が上がります。私は、呼吸を整えます。 今から、真剣勝負です。 「初めまして。高原さゆりと申します。  何も取り柄はありませんが、皆さん、仲良くしていただけると、とても嬉しいです。  よろしくお願いします」 乙女のために、その1。 発話に必要なのは、明瞭さと流麗さ。この短い挨拶を、流れるようにはっきりと、 近くの人にうるさくなく、遠くの人にも聞こえるように、声に出します。 言い終わると、何度となく練習した微笑みを顔に浮かべ、深くお辞儀をします。 なんのひねりもない挨拶ですが、多恵ちゃんと議論に議論を重ねた結果です。 乙女のために、その2。 本物の美少女は、特に変わった言動をする必要などない。 ただ笑顔でいるだけで、花が咲いたように、存在感を示すのだと。 自分が本物の美少女だとは思えませんが、確かに、激しい自己主張は無用なのでしょう。 私が今までいた世界では、少しでも弱みを見せれば、立場は悪くなる一方でした。 が、ここはそういう場ではないのです。 挨拶を終えて不安になった私は、多恵ちゃんの方にすがるような目を向けてしまいます。 多恵ちゃんは、指で小さく丸を作ってくれました。 私は胸をなで下ろします。良かった。とりあえず、第一関門はクリアしたようです。 ・・・ 私は自宅の玄関の扉を開け、多恵ちゃんを家の中に招き入れてから、扉を閉めます。 「うっ、ふぃーー」 「あはは。なんて声出してんの」 「うぁー、つっ、疲れたーー」 玄関先で、ばたりと大の字に倒れ込んでしまう俺。 本当に、疲れた。 こんなに疲れたのは、武器を持った七人を一人で相手にした、あの夜の死闘以来だ……。 「ほらほら、こんなところで寝ころんじゃ、はしたないでしょ?」 「すまん……今日はもう、勘弁してくれ。これ以上は、体が持ちそうにない」 「そうね。今日はお疲れ様でした」 しゃがみ込んだ多恵が、俺の顔を覗き込みながら、苦労をねぎらってくれる。 「で、どうだった? 俺、ちゃんと女の子だったか?」 「うんっ! それはもう、自己紹介の時なんて、ほれぼれするほどだったよ」 「そっ、そうか?」 「私の隣の席の男の子なんか、絶対、さゆりちゃんに見とれてたね」 「ほんとかっ!?」 しばらくは起き上がれないと思っていたくせに、つい、体を起こしてしまう俺。 「ほんとほんと。あの分じゃ、一人や二人なんてもんじゃないよ。  もう、クラスの男子全員の視線を釘付けだったよ」 「よっ、よせやい」 「だって、さゆりちゃん、女の子の中で、一番かわいかったんだもの」 俺はまた、大の字に寝ころんでしまう。 「さすがに、それはないだろ。他の子も、みんなかわいらしかったよ」 「そんなことないよ。さゆりちゃんが、一番だよ」 見上げた先にある多恵の頬に、手を伸ばす。 「俺は、多恵の方がかわいいと思うけどな」 彼女の三つ編みをもてあそびながら、思ったことを素直に述べる。 知的で穏和で清楚な彼女は、その心根も澄んでいて、それが表情に表れている。 「もう、ばか……」 頬を赤らめたあと、ぷいと横を向いて、彼女は廊下を奥へと歩いていこうとする。 「ちょっ、待ってくれっ! その技を教えてくれっ!」 俺は勢いよく起き上がり、彼女の背を追いかけた。 ・・・ それから、一か月。乙女擬態は、順調に進んでいる。 もう、考え事をするときの口調の切り替えだって思いのままです。 何度か、危ない場面はありました――― 女の子らしく教室の花瓶の水を換えようとして、うっかり落としそうになったのを、 得意の瞬発力で、通常の三杯の速さで掴んでしまったり、 つい授業中にうたた寝をして、よだれ付きの寝顔を晒してしまったり。 多恵ちゃんのフォローがなければ危ないところでしたが、 周囲の私に対する“清楚で可憐な乙女”評価は、着実に高まっていきました。 「さゆりちゃんも、だいぶ、慣れてきたよね~」 「そうかな? 私、まだまだだと思うけど」 指をもじもじさせながら、多恵ちゃんに返事をします。 今日も多恵ちゃんには、学校帰りに、うちに寄ってもらいました。 「でさ。そろそろ、良い頃じゃないかと思うのよ」 「えっ? なにが?」 「だから。お・と・こ・の・こ」 「きゃっ。もう、やだ~」 「ねぇねぇ。さゆりちゃんは、誰か“いいな”って思う男の子は、いないの?」 「やだ~」 「ねぇってば~」 「……あー、問題はそこなんだよな」 腕を組んであぐらをかき、頭をひねる俺。 「そもそも、ここまで頑張ってきたのも、“俺だって恋愛をしてみたい”と、  それが、俺の夢であり希望であり、目的であるわけだ」 「うん。白馬の王子様は、女の子の憧れよね」 「なあ、多恵。俺は結構、女の子らしくなったと思うが、多恵の目から見てどうだ?」 「それに答えてほしいなら、その口調はどうかと……」 「ねぇ、多恵ちゃん。私、ちゃんと女の子らしくなれたかな?」 「同じ人間とは思えなくらいよ」 うんうんと頷く多恵に、俺も頷く。 「そうか。だが俺には、まだ解らんのだ」 「解んないって、何が?」 「男の善し悪しというか、どういう男がかっこいいのか悪いのか、イイ男なのかダメ男なのか。  もちろん、多恵がレクチャーしてくれた“白馬の王子様”学は、それなりに理解したつもりだ。  ただ、頭ではわかっているのだが、どうも心情の方がついてこないというか……」 歯切れの悪い俺に対して、多恵の口調はよどみない。 「サッカー部の青山君とか、格好良くない?」 「確かにあいつは、芸能人並みに整った顔をしているとは思う。思うんだが、どうもなぁ……」 「じゃあ、大阪から来た中川君は?」 「ああ。あいつの話は面白いな。退屈しないのはいい。が、それと恋愛とは違う気がする」 「背が高くて、いつも本読んでる斉藤君は?」 「あの文学青年なら、むしろ、多恵の方がいいんじゃないか? 文学好き同士、話も合いそうだ」 「私? 私は吉田君かな~」 眼鏡のレンズを光らせる多恵。獲物を狙う獣の目だ。 「えっ! あのムキムキマッチョ!? 多恵はああいうのがいいのか?  あれは白馬の王子様って感じじゃないだろう? むしろ馬を担ぎ上げそうだぞ?」 「最近、ああいう筋肉系もいいかなぁ~と思うようになって」 「やめておけ。あんなのに抱きしめられたら、多恵の華奢な体がもたん」 「あはは。ご心配どうも。じゃあ、いつもマンガ読んでる長田君は?」 「ああ。あの非力そうな男な。あれなら多恵にも安心だ」 「そうじゃなくて、さゆりちゃんによ」 「俺に? うーん、まあ、悪い奴じゃないとは思うんだがな」 「ちなみにね、今、名前を挙げたみんな、さゆりちゃんのことが好きなんだよ」 さらりと、とんでもないことを言う。 「へっ? まっ、まさか」 「ふぅ……さゆりちゃん、そのあたりはまだ全然ね。目を見れば、すぐに解ると思うけど」 「目を見るだけで解るのか?」 「まあ、そろそろ来るんじゃないかな」 「来るって、何が?」 「告白とか、ラブレターとか」 「まっ、マジかっ!」 「まじまじ」 「誰から!?」 「誰だったら嬉しい?」 「えっ。うーん」 俺はまた、考え込んでしまう。 俺は、男と付き合ってみたい。恋愛をしてみたい。 しかし、それは、誰と――― 翌日。昼休みも終わろうという頃、俺の席の前に、青山が立った。 「青山君、どうしたの? なにかご用?」 乙女のために、その3。質問は、首を傾げながら。 もう慣れた仕草だが、昨日の多恵の話のせいで、首筋に冷や汗が流れてしまう。 「高原さん、話したいことがあるんだけど、放課後、時間とってもらえないかな?」 爽やかな笑顔全開で、青山が誘ってくる。これは……。 「えぇと、私、いつも多恵ちゃんと一緒に帰ってるから……」 「私のことは気にしないで」 振り返ると、いつからいたのか、笑顔の多恵が青山に話しかけていた。 青山から死角になるように、脇腹をつついてくる。 「松木さん、ごめんね。すぐにすむから。で、どうかな、高原さん?」 「えっと、その……」 「お話ぐらい聞いてあげれば? 私、校門のところで待ってるから」 「えっ? うっ、うん」 「じゃあ、放課後、屋上で待ってるから」 「あっ、はい。屋上ね」 去っていく青山の背中から、横にいる多恵に視線を移す。 多恵よ。光っているのはお前の眼鏡か、それとも、その奥の瞳なのか。 乙女のために、その4。風が強い日、屋上では、はためくスカートの裾を押さえる。 「単刀直入に言うとね、ボクと付き合ってほしいんだ」 俺は青山の告白を聞いていた。 今日までの努力は、この瞬間に報われたらしい。 自分では、その実感はなかったが、青山の目には、俺は好ましい女の子と映ったのだろう。 少しだけ長く息を吐いて、俺は苦労の日々を思い出す。 「どうかな?」 促されて、青山の顔を見上げる。 決して悪くはない。 青山は、自分の容姿が他人より優れていることに自覚的だが、それを鼻にかけたりはしない。 それは、自分の本音を見せないタイプということかもしれないが、俺が他人に言えることではない。 そう。悪くはないのだ。悪くは――― 「あの。少し、考えさせてもらってもいいかしら」

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