時速は百キロ。
これがこのバッティングセンターでは一番の速い球だ。
コキンッ
しかし金属バットが奏でる小気味いい快音は、先程から僅か一球たりとも途切れたりしない。
コキンッ
だがその素晴らしいバッティングを披露している女の子の顔は、ち~~っとも嬉しそうではなかった。
このぐらいは女の子からすれば当然なのである。
時刻は六時過ぎで夕飯前なのだが、こんなものは朝飯前という奴なのだ。
ま、とはいえ。
コキンッ
こうしていればオナカは減るわけだし、気分だって、そりゃ慣れているとはいえ、決して悪くなるもんじゃない。
コキンッ
なのに今日は表情が冴えなかった。
「あのさ」
「うっさい黙れ」
その理由を少女は知っている。
気づかないふりをしてはいるが、気づいても認めやしないだろうが、ちゃ~~んと少女はわかっている。
「そんなに悔しいの?」
「なに言ってんのか全然わかん……ないっ!!」
スカッ
今日初めての空振り。
サイズの合ってないぶかぶかのヘルメットが、クルンッと、漫画みたいに頭で回ってすっぽ抜けた。
「ギャグ?」
「うっさい黙れっ!!」
バットを握ったまま振り向いた顔は、夕焼けに負けないくらいに、耳の先っぽまで真っ赤に染まっている。
大胆に短くしている髪。
思いっきりキッと睨まれても、思わずほにゃっと微笑んでしまいそうになる、まだまだあどけない可愛らしい顔立ち。
制服をまったく盛り上げてないフラットな胸。
女性らしさは全然ないけれど、見事にきゅっとくびれている腰。
こちらもいささか脂質は足りないが、スカートから伸びてる健康的に日焼けした脚。
巧野真緒。
この年頃にしかない魅力を持ってる少女だった。
「ぼくがまっちゃんを抑えたのは、今日が初めてなんだしさ、気にすることはないと思うよ?」
「む」
バックネットから眺めてる男の子は、そんなことを言いつつも、真緒にはどこか得意気に見えてしまう。
勿論そう見えるだけで、そう見えてしまう自分に、またまた真緒は腹が立ってきた。
そんなわけないのは自分が誰よりも良く知っている。
福屋春彦。
薄々は真緒も幼馴染の変化に気づいていた。
中学に入ってから急に春彦は、身体つきが男らしくなってきている。
昔は自分より背が低かったのに、今でもほとんど変わらないのに、二人の間には、確実に残酷に男女の差が出始めていた。
もう勝てそうもない。
三打席三球三振。
認めたくはないが思い知らされた。
「機嫌直してよ。今日は夕飯、まっちゃんの好きな甘口カレーにするからさ」
「むむ」
真緒の片方の眉がぴくりとする。
二人の両親は同じ職場で、週に一度は泊まりの日があるので、二人はどちらかの家に行って自炊を(主に春彦が)したりしてるのだ。
そしてそのまま泊まって学校に行く。
二人は知る由もないことだが、さすがに《そろそろやばいのでは?》と、思春期の子供を持つ両親同士は話し合っていた。
でも《そうなったら結婚すればいい》と、しっかり結論も出ていたりする。
両親同士のご挨拶はすでにさらっと済んでいた。
二人の全然知らないところで。
「御飯食べ終わったら、宿題も手伝ってあげるし」
「むむむ」
「まっちゃん、数学苦手でしょ?」
「…………」
真緒はぷいっと拗ねたみたいに、春彦から目線を逸らすと、カランッとバットを置いた。
「プリンはある?」
「あるよ」
春彦はにこにこしてる。
「ぷっちんプリン?」
「ぷっちんプリンだよ」
何だか真緒はその笑顔にむかむかしてきた。
自分の悩みがはたして、わかっているのかいないのか、横目で窺うと、春彦はのほほんと、お気楽に幸せそうな顔である。
あたし、どうしちゃたんだろう?
「じゃ、……帰る」
春彦の顔をまともに見ることができない。
負けて悔しいのはそりゃあったけれど、淋しいというのも、やはり正直あったけれど、この気持ちはそれだけではない気がする。
とまらない。
「うん? どうしたの?」
「…………なんでもない」
経験したことのない痛みに、真緒の胸の奥はむかむ、いや――ドキドキとドキドキと、甘く切なく高鳴っていた。
最終更新:2007年10月07日 23:35