『師匠』

 それは、安田桃子の女生徒の間でのみ通じる通称だ。
 中学の時点で脱処女。その後、相手とは解れ現在は別の彼氏と交際中。しかも高校に進学してから既に二人目。
 その経歴だけ見れば、いかにも遊び人な人物像が連想されるが、その実体は三つ編みメガネの委員長だ。
 成績も優秀な部類で、お洒落だってさりげなくセンスが良い。真面目だが気さくで人当たりも良い。
 着やせするタイプなので男子共で気付いている者は少数だがスタイルだって平均以上。

『師匠』

 それが彼女の実体を知る友人達が使用する、彼女の呼び名であり、その名の通りしばしば相談ごと――特に恋愛関係を持ちかけられる。
 そのアドバイスがまた的確で、最近では上級生が相談を持ってくることすらあるほどだ。
 そして今日もまた、迷える少女がその経験にすがるべく、相談を持ちかけてきた。



「―――つまり…優希ちゃんは彼が中出ししてくれないのに不満って事?」
「べ、別に不満ってわけじゃ―――って言うか僕の事じゃなくて僕の友達の事だよ!」

 桃子の確認に相談者の優希は真っ赤になって言い返す。
 ああ、昔の私もこんな風に素直な頃があったなぁ、とおばさん臭いことを桃子は思った。

 彼女の隣で赤い顔で座っているのは優希――桃子の友人だ。
 クラスで隣の席になったことが縁。
 タイプは一言で言ってボーイッシュ。
 小柄で細身。やや太めの眉と勝気な瞳。胸はAとBの中間で、自身は『ちっちゃい』とコンプレックスに思っているようだが、桃子に言わせて貰えば程よい上に形も良くて羨ましい。
 今の優希の服装は着物―――剣道で使うような袴姿だ。
 その袴の裾を弄りモジモジしながら、優希は『トモダチ』の事で相談をする。

「不満って言うか…不安なんだよ、その子は。
 その子の恋人って、普段はそんなそぶりはないんだけど、二人きりになると…なって言うか、真面目な素直クール系?でね。
 初めての(ゴニョゴニョ)した後すぐに『結婚しよう』って言って来てさ。その時は出来なかったかったんだけど。
 それで、まあ、二人は付き合い始めたんだよ…その、結婚を前提にね」
「ふんふん。それで?」
「それでね、その後、何回か…その…したんだけど…安全日だよ、って言ってもコンドームをつけるんだよ。
 アイツも僕―――じゃなくて友達も初めて同士だし、病気とかもないのに…。
 だからさ、その子、不安なんだよ。…なんていうか、つまり、えっと…」
「その彼が、生でしてくれないのは、自分のことを本当は好きじゃないんじゃないかって?」
「う……うん」

 桃子に言われて、優希は赤い顔で頷く。
 桃子は、呆れながらため息を付く。
 当然のことながら、優希の相談内容は友達のことではなく、優希自身のことだ。


 秋の初め頃、優希は彼女の幼馴染の薫と付き合いだした。
 本人達は秘密にしているようだったが、傍から見れば一目瞭然――ではなかった。
 表面上、二人の関係が以前と変わらなかったからだ。

(そもそもあの関係で二人が付き合ってなかったのが異常だったのよね)

 かなりの確率で一緒に登下校し、ほぼ毎日一緒にお弁当を食べ、普段から呼び捨て。
 しかしお互い照れ屋なのか、人前ではキスは愚か手すら繋がない。
 唯一解る表面上の違いは、歩く時の距離が少し縮まった事ぐらいだ。

 閑話休題。

(正式に付き合いだしたんなら教えてくれても良かったのに)

 なんとなく、秋ごろから二人の様子が違うと思っていたら、もうこんなに進んでいたのか。
 自分は二人の間を積極的に取り持ったはずなのだが、それなのに、正式に付き合い始めたのを報告しないなんて。

「も、桃ちゃんはどう思う?」

 固唾を呑んで回答を待つ優希。
 一瞬、『あ~、アンタ、そりゃ分かれたほうがいいわよ』と、某もんた風に言ってからかってやろうかとも思ったが、

(それじゃ、可哀想かな)

 と思い直す。優希は初心な上に真面目であり、下手な事を言うと拗れてしまう可能性もある。
 結局、真面目に応えてやる事にした。

「う~ん。多分、それはその子の勘違いだと思うよ?」
「勘違い?」
「うん。だってその彼氏さん、真面目で優しいんでしょ?
 だったら避妊するのは当然よ。だって妊娠したら、困るのは女の子のほうよ。
 安全日だって絶対安全、って訳じゃないし」
「で、でも…結婚まで考えてるって…」
「それならなおさらよ。結婚するってことは、産んで育てるってことなんだから。
 経済的な理由とか進路とか、しっかりお互いの将来の事を考えているから避妊をしっかりするんじゃないかな?」

 桃子は、それとも、と言ってから眉根をひそめる。

「ひょっとして…その子、彼氏の事、信用してないの?」
「し、信用しているよ!」
「そうかなぁ?ひょっとして…子供出来ちゃったの、承認してね、とかいって無理やり繋ぎとめようとしてるんじゃ…」
「桃ちゃん!いくらなんでも怒るよ!?」

 流石に険しい表情で睨んでくる優希。
 しかし経験値の差か、桃子は一転して表情を笑顔――それもチェシャ猫のような笑顔に変える。

「あれ?何でそこで優希ちゃんが怒るの?優希ちゃんのことを言ってるんじゃないのに」
「そ、それは………っと、友達のことを悪く言われたら怒るのは当たり前じゃないか!」
「はいはい。そういうことにして置いてあげる。
 けど…よかった。薫君とは上手く言ってるみたいね」
「!……!?…!!!」

 どうやらバレていないと思っていたらしい優希は、いよいよ真っ赤になって、口をパクパクさせる。


 優希が何かまともな言葉を放つより早く、

「東三条!準備できたぞ!」

 先生の声が飛んできた。

「~~~~~~~っ、い、今、行きます!」

 先生に返事を返してから優希は泣きそうな顔で両手を合わせる。

「も、桃ちゃん!この事は誰にも…!」
「はいはい。了解。ほら、行こう」

 こんなにカワイイ女の子を捨てるような男はいないと、桃子は思いながら手を取った。



(流石桃ちゃんだな…あんな簡単にばれちゃうなんて…)

 校庭で、優希は『師匠』の実力に慄いていた。

(まぁ、今日までばれなかったんだから、よくやった方だよね)

 実はとっくにばれていたのに気付かずに、自分を納得させる優希。
 そんな彼女の耳に、マイク越しの声が聞こえた。

『それでは、東三条優希さんによる東三条流剣術演舞です』
「さぁ、頼むぞ」
「はい」

 隣に立っていた教師に応えてから、優希は進み出た。右手には木製の黒漆塗りの棒―――鞘。
 落ち葉が掃き清められた校庭には人垣根が出来ており、その中には三本の巻き藁が立っていた。


 東高――公立東山高校はスポーツ、特に武道が盛んである。
 『健全な肉体に健全な精神が宿るとは限らんが、肉体が健全なのはいいことだ』
 というのが、校長の言で。
 だが、やはり今日この頃の風潮ではやはり入学希望者は増えない。
 おまけに数年前に設立された私立西川高校に圧され、今年はついに定員割れが危惧されるまでになった。
 そこで企画されたのが、生徒による武術の実演である。
 そしてそのメイン企画として、優希の演舞が企画されたのだ。


(あんまり、見世物にするような物じゃないんだけどなぁ)

 苦笑が浮びそうになって、しかし引き締める。
 どんな理由で振るうにせよ、これは真剣だ。
 下手に振れば怪我をするし、礼を欠く。

(薫がいなくて良かったよ)

 今日、薫は遠くから来る友達を迎えに行くといって、先に帰ってこの場にはいない。

(もしいたら、気が散っちゃうからね)

 もし薫がいたなら、格好良く見せようと意識が向かっていただろう。
 一応、ギャラリーを見回してみる。
 見物人の半分はブレザー姿の東高の生徒。残りは学生服やセーラー服の、多分中学生。
 そしてちらほらと一般人。中には金髪の外人の女性や、目の部分に穴を開けた紙袋を被った不審人物までいる。
 どうやら、全員あまり武芸に詳しい面子ではないらしく、結構好き勝手に騒ぎている。
 戸惑いながら愛想笑いを浮かべて周囲を見ると

「かわい~~~!」
「がんばって~~~!」
「あれって男?女?」
「Oh!袴美少年Moe~~~!」

 無視決定。
 重要なのは薫の姿はないことだ。そのことに残念半分安堵半分。

「さて…切り換えよ」

 優希は呟き目をつぶる。そして小さく息を吐き、吸い、目を開く。

 切り換わった。




「あ、スイッチ入ったわね」

 ギャラリーの中で桃子は呟く。
 その横で金髪の外人の女性が

「Wow!Cuteデース!持ってるニホントーが巨大サイズなところが萌pointsデース!
 けど、ちょっと大きすぎじゃないデスカァ?」

 と感想を漏らしている。
 そのコメントの後半部に、桃子は少し感心した。
 優希が持っている剣は柄まで入れておよそ6尺近く――刀身だけでも4尺以上ある。
 少し解説してあげようかと思ったがそれより先に、桃子がいるのと反対側の隣から、解説が入った。

「ユーキが持っている通常の日本刀よりはるかに長大な大太刀と呼ばれるものだ。
 東三条流は特殊でね。作法が緩いだけでなく、あのような巨大な剣を使うのが特徴なのだ。
 鞘の鯉口近くに数十センチの切込みがあり、抜きやすくなっている」
「Hum~、詳しいデスネ。アリガトウ、カオル!」
「えっ!?」

 優希は驚いて、声のしたほうを見る。
 そこには、目の部分に穴を開けた紙袋を被った、長身の男がいた。
 優希が剣を抜いたのは、その時だった。


 右手で鞘、左手で柄を逆手で持つ。
 抜刀。
 涼やかな音がすると、白刃が現れる。
 喧騒が、一瞬で静まる。
 優希の静謐な表情と動作、そして日本刀特有の神秘的な輝きが、まるで神事のような印象を与える。
 神秘性すら感じる雰囲気に、全てが飲まれていた。
 誰もが自然と息を潜める沈黙の中、霊を降ろした神子の様に左手に逆手の日本刀、右手に鞘を持って、優希が進み出る。
 校庭の中央に巻藁――藁を束ねた試し切りの相手――が三つ、正三角形の配置で並んでいた。
 優希が立ち止まったのはその中央。
 背後に一本、前方左右に一本。
 構える優希。張り詰めた空気に、観客達はまるで物言わぬ試し切りの藁が生きた敵であるような幻想を持つ。
 だが、その仮想の敵たちは、自分達の領域に踏む込んできた人物に打ち込めない。
 それほどまでに、優希の構えは隙がない。
 数秒の拮抗の後、優希の切っ先が僅かに揺れてから―――優希は、背後に向けて山形に鞘を投げる。
 多くの者の視線が鞘に集まった瞬間――

 ――優希が疾った。

 方向は左。すれ違いざま、逆手に持った刀で、巻藁が斜め下から斜め上に斬り上げる。
 真っ二つ。
 立ち止まる優希は右斜め後ろに一歩。それと同時に頭上に上がった柄に空いた右手を添え、左手に持ち帰る。
 振り下ろす。
 二本目を、斜め上から斜め下に切断。
 鞘に気をとられた観客の大多数が優希が動いたのに気付いたのは、その頃だった。
 最初に斬った巻藁が地面に落ちた音がする。
 優希は振り下ろした刀身の重みを足腰のバネで支え、その反動で跳躍。
 後方に向けて身を捻らせつつ、空中で放物線の頂点に差し掛かった柄を追い抜く。
 視線の先にあるのは最後の巻藁。
 一足飛びに最後の一本の前に立つ。その時点で、刀は腰ダメに構えられている。
 震脚、紫電一閃。
 最後の巻藁が、真横一文字に両断された。


 優希は空いている左手を宙に。
 そこに測ったかのように鞘が落ちてくる。
 当然キャッチ。手のひらと鞘が当たるぱしっ、という音と最後の巻藁が落ちるどさっ、という音が同時に聞こえた。
 優希は深く、ゆっくりと息を吐きながらそれを受け止め立ち上がる。
 それから右手で刀を逆手に持つと、鯉口から先端に向けて入っている切れ込みに被せるようにして、鞘に戻す。
 かちん、と音がして、刀身が完全に鞘の中に飲み込まれる。
 その後、優希は刀をもって振り向き、ゆっくりと礼をする。


 歓声が爆発した。


「すげぇぇぇぇっ!」
「きゃぁぁぁぁぁっ!カッコイイィィィィッ!」
「こっち向いてぇぇぇっ!」
「私…ここに入学してよ」
「あ、あたしも。そしてあの先輩と…キャッ?」
「抱いてぇぇぇぇぇっ!」
「つきあってぇぇぇぇっ!」
「兄貴って呼ばせてくれぇぇぇぇぇぇっ!」
「いや、東三条って女だぞ、あれでも?」
「はぁっ!?マジか!?」
「だ、騙されたぜ…!」
「剣道美少女キタ―――(゚∀゚)―――!!」
「えっ、女の子!?……けどそれもありかも…」
「本場のJapanese美少女!激Moeデェェェェェス!」

 何やら突っ込みどころが無茶苦茶あったが、とりあえず無視する。
 一々突っ込んでいたらきりがない。
 目立つのもイヤなのでさっさと帰ろうとするが、その途中、紙袋覆面の言葉が聞こえた。

「ふむ、相変わらず見事なものだなユーキ」
「…!?」

 思わず刀を取り落としそうになりながら、怪しい紙袋男を見る。
 私服のそいつが紙袋越しに伝えてくる声は落ち着いた―――というより棒読みに近い無感情なハスキーボイス。

「薫!?」
「ふむ、ようやく気付いたか」

 謎の覆面男は紙袋に手を破る。

「こんにちは、ユーキ」
「な、なんでそんなもん被ってたんだよ!」
 
 紙袋から出てきたのは、予想通りの無表情。
 文句を言いつつも、優希は顔が緩むのを感じた。
 さっきの演舞は中々いい出来だった。それを薫が見てくれた。
 だがそんな良い機嫌も、薫の余計な一言によって帳消しになる。

「変装に決まっているだろう?」
「どこが変装だよ?そんなの小学生の工作じゃないか」
「今目の前に、その小学生の工作で見事に騙された人物がいるのだが?」
「ぐっ…け、けど何でまたそんな不審な格好を…」
「気遣いさ。小学生の変装に引っかかる、幼稚園児並みにお子ちゃまな君の事だ。
 知り合いが見ていると知ったら格好をつけようとしてミスをするかと…」
「するわけないだろ!っていうかなんだよ―――」

 と、近づいていつも通りの一撃を咥えようとして…

「美少女GEEEEEEEEEEEEEEEEET!」
「うわぁっ!」

 唐突に、柔らかいものが優希の顔面を覆った。

「本物デェス!本物の生美少女デェス!Ah…美少女の体臭ハァハァ(´Д`)」
「にゃ、うわゃ!うわぁぁっ!?何だ!?何だよこれ!?」

 頭の上から降ってくる日本語っぽい何かに一層混乱しながら、どうにか顔に当たるそれを手で力任せに引っぺがす。
 何とか数十センチの距離をとり、優希はようやく、自分の顔に押し付けられたものの正体に気付く。
 それは―――おっぱいだった。

「デカ!?」

 それも特大サイズ。
 生乳ではない。それはスーツに包まれていた。冬物レディースのスーツ。
 だがその厚手の生地すら圧倒する、ボリュームとインパクト。
 その未体験の存在感に、優希は畏怖し、恐怖し、狂乱する。
 ありえない!こんなもの人間が持っていていいもんじゃない!
 恐る恐る見上げると、そこにいたのは金髪碧眼の…

「な、南蛮人!?」
「そう言う君は何時代人かね?」

 混乱する優希に、冷静な薫の突っ込みは届かない。

「ほ、ほ、ほ、本物!?これ、本物!?パックンやケント・デリカットみたいな偽者と違う!?」
「Yes!手術なしの天然デスヨ?」
「わっ、マシュマロが!マシュマロが!」
「Aha!ハクチュードードー揉むなんてイヤデェス。あ、もちろんコレは日本語特有の『イヤもイヤよも好きのうち』という奴デスヨ?」
「うわわわわっ…」

 もう一度抱き寄せる外人さん。香水の程よく甘い香りにくらつく優希。
 抵抗できない優希を撫でながら、外人さんは背後で無表情に立っている青年に問う。

「カオル?お持ち帰りはありデスカー?」
「なしだ。落ち着きたまえ」
「Muu…いつにもましてColdネ、カオルゥ…」
「かかかかか薫!?こ、このオッパイさんとしりあいデスカー!?」
「君も落ち着きたまえ、ユーキ。口調が感染しているぞ?」

 応えながら薫は状況を確認。
 隣を見てみると、怒涛の展開で硬直している桃子。
 うむ、黒田君は使い物にならんね。
 薫は自分で何とかしなくてはならないと確認すると、重々しく頷く。
 こういう場合は仕方ない。目の前の優希に抱きつく友人の冥福を祈りつつ、

「ユーキ、この場合は仕方ない。殴って止めることをゆす。得意のメガトンパンチで解決したまえ」

 言われた優希はとりあえず、条件反射で薫を殴った。


 ともあれ、コレが優希と困った金髪美女――レジーナ・セルジオとの出会いであり、ちょっとした事件の始まりだった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年10月08日 00:19