東山高校の近くに、生徒の集まる店がある。その名も重食喫茶店『満腹亭』―――『軽』食ではなく『重』食。
 食べ盛りのスポーツ少年、少女をターゲット層にしたレストラン――というより食堂だ。
 サンドイッチが厚めの文庫本と同じくらいのサイズだという事実と、その店名からどんな店かは一目瞭然だろう。
 かつて倉庫だったものを改築した店内は広く二階建て。しばしば打ち上げなどの場所になる。
 優希も頻繁に利用している、リラックスできる気安い場所だった。
 そのいわゆるホームで、今日の優希はアウェーにいるかのように緊張していた。
 胸を必要以上に張り、肩は上がり、手は膝の上で握りこぶし。
 擬態語をつけるならカチンコチン。
 彼女が硬化している理由は、四人用のテーブルを挟んで反対側に座っている人物だった。
 性別は見まごうことなく女。その豊満なシルエットを男と思うことなど不可能だ。しかし、いやらしい印象はなかった。皺のないレディースのスーツとシックな夜会巻コームでまとめられたロング。化粧は濃いはずなのに上品。
 言わば大人の女性【完全版】。それだけでも優希には慣れていないタイプなのに、もう一つ絶対的に彼女を緊張させる要素がある。
 ブロンドの髪とエメラルドの瞳。
 彼女は明らかに日本人ではない。海外からいらっしゃったお客様―――外人さんだ。
 苦手科目英語の血統書付き日本人の優希には、鬼門というべき相手。
 対するレジーナには緊張は見えない、というよりむしろリラックスした、どこか嬉しそうな表情を浮かべて話しかけてきた。

「私、United Statesから来まシタ、レジーナ・セルジオと言いマス」
「えっ!アメリカじゃないの!?」
「……ユーキ。United Statesはアメリカだよ。それと何でアメリカだと思った?」

 返事を返したのは優希の隣に座る薫だった。先ほど優希に殴られた額に氷入りのグラスを当てている。返された質問に優希は戸惑いつつ応える。

「えっ、だって外国から来たならアメリカからかなって…」
「君の脳内世界地図には日本とアメリカしか存在しないのかね?」
「うっ、煩いなぁ!
 えっと、ふぇ、ふぇあ、あーゆー、けぇいむふろぉむ?」
「Oh my。ゴメンナサイ、ユーキタン。私、英語と日本語以外にはFrenchとChineseしか喋れまセン」
「ユーキ、彼女は語学には堪能だが平仮名英語は喋れない。日本語で頼む。あと正しくWhere do you come from?だと思うぞ」

 申し訳なさそうに言うレジーナと中学生レベルのミスに明らかに呆れたように言う薫。


 優希は自分の英語力の不足を思い知らされながら、とりあえず言い直す。

「えっと、セルジオさん。その「ゆないでっとすていつ」ってアメリカのどの辺り?太平洋側?大西洋側?」

 その質問にレジーナは目を見開く。それからゆっくりと目尻を下げ蕩けるような笑みを浮かべながらユーキを指差し

「カオル、ヤバイデース。抱きしめてもいいデスカ?」
「ダメだ。と言うよりもわざわざアメリカではなく合衆国と言ったのは確信犯かね?」

 薫の指摘にレジーナは子供のようにペロっと舌を出し

「Sorry。なんと言うかリアクションが一々可愛くてつい…」
「まぁ、気持ちはわからんでもないがね」
「……えっと、馬鹿にされてる?僕、馬鹿にされてるの?」
「NO!むしろその小動物的可愛さを褒め称えているところデスヨ、ユーキタン」
「ああ、獰猛な野生動物も小型な種は可愛い場合があると言う事を話し合っている」
「誰が獰猛だ!あとセルジオさんもその変な呼び方やめてください!」
「OK、ユーキ。その代わりユーキも私のことレジーナって呼んでネ」
「わ、わかりました。レジーナ…さん」

 呼ばれたレジーナは嬉しそうに頷く。

「それはそうと、何でユーキは、私の出身地にこだわるんデスカ?」
「えっ?べ、別にこだわってないけど…」

 思わぬ指摘に優希は鼻じろむ。優希がレジーナの出身について聞いたのは、自分の英語力で聞けるのがその程度の内容だったからだ。
 まあ、相手は日本語喋れるからそんなの気遣う必要ないとか、喋るべきことがないなら黙ってればいいとかいう説もあるが、初の生外国人との遭遇で、優希もそれなりにテンパっていたのだ。

「けれど聞いて―――Gee!そういう事デスカ!?
 オネーサンちょっと困っちゃうデス!」
「そういうこと、て…?」
「Ah me!照れちゃって!ユーキは…私に気があるんで「あるわけなかろう」Ouch!」

 優希の否定の前に、薫の突込みが入った。薫のでこピンがレジーナの額を捕らえ良い音を立てる。


「珍しいね、薫が突込みなんて…」
「不本意だがね。しかしレジーナは放っておくと一日中ボケ倒す。君も外国人という属性に騙されずに、相手をコテコテ大阪人とでも思い、容赦なくドツキ突込みを入れたまえ。息の根を止めるつもりで頼むよ?」
「Yes!むくつけき男にでこピンされるより美少女に『なんでやねん』ってされる方がはるかに気持ちいいデス!なんならピンヒールで踏んでくれてもかまいまセンヨ?」
「えーっと、ごめん、薫。これ、僕には手におえそうにないよ。
 …っていうか、学校につれた来たのって、僕に突っ込みを入れさせるため?」
「いや、それだけでもない。彼女は仕事で日本に来ているのだが、今日は休日でね。旧知である私を訪ねに来たのだが、その際、今日の演舞を思い出したのだよ。
 レジーナは普段はこんな感じの異常者だが、「異常は酷いデース!」普通の異邦人と同様アキバ系以外の日本文化への興味があってね。ちょうど良い機会だから見せてやろうと思ったのだ」
「Uh-huh!無視デスカ?シカトデスカ?コレがいわゆるJapanese I・ZI・ME!?」
「人聞きが悪いな。別にイジメは日本特有の物ではない」
「イジメのところは否定なしないデスカ!?」

 子供っぽく頬を膨らませながら不機嫌そうに言うレジーナと、面倒くさそうに辛らつな事を言う薫。だがそれほど怒っているようにも見えなければ、本気でうざったく思っているようにも見えない。
 口ではなんのかんの言いながら、気安い感じだった。
 それを見て…

 ちくり

(あ、あれ?)

 痛みが胸の奥に生じた。そして痛みの後、妙な感じの胸騒ぎがした。
 気持ち悪く、居心地悪く…

「こういうわけだが、理解してくれたかな、ユーキ?」
「あ、うん。仲がいいんだね。どういう経緯の知り合い?」
「うむ。一昨年まで霞がアメリカ留学をしていたろう。そのホストファミリーがレジーナの叔父だったのだよ。その繋がりだ。」

 薫は優希の内心の変調には気付かなかったようで、続きを言う。


「小学高学年から中学の始めころまで、頻繁に学校を休んでいたろう?」
「ああ、確か霞さんに呼び出されて…」
「そうだ。毎週のように味噌やら梅干やら納豆やらをもってこいと言われてね」

 頭痛でもするかのように、薫は顔をしかめる。

「…小学生単独で国際便に乗った回数では日本屈指の記録保持者だと自負しているよ」
「大変だったんだねぇ…」
「けれど、私は嬉しかったデスヨ、カオル」
「えっ?」

 優希が見ると、レジーナが能天気な笑顔とは一転した、穏やかな笑顔で言う。

「私にとってカスミはもちろん、カオルも大切なFamilyみたいなものデス。
 特にカオルは弟が出来たみたいで嬉しかったデスヨ?
 カスミが帰って、カオルも来てくれなくなって、私、すっごく寂しかったんデスカラ」
「レジーナ…
 ―――単に私が一緒に持ってくる漫画がなくなって残念だっただけではないのかね」
「いや、それもありマスけど~?」

 薫の冷めた言葉に、レジーナは再び一転。HAHAHAという擬音が似合いそうな表情に変わる。
 冷たい視線を照射する薫。その隣で、優希は言い知れぬ嫌な感情を覚える。
 理由はレジーナの表情と、言葉。
 レジーナが先ほど浮かべた表情は、同性である優希から見ても魅力的なものだった。まして異性である薫から見たらどんなものか。薫はいつもどおり口では突き放している。けれども本心では?
 さらにレジーナの言葉が優希の不安を増す。レジーナは薫の事を弟のようなものだと言っていた。だけれど、それは本当だろうか?弟以外の存在としてみていないだろうか?
 例えば…異性として。

「やっぱり聖地で買ってきてもらったのと、通販で買ったものじゃあ違うじゃないデスカ、オーラとか」
「同じだ。というかオーラなぞ知らん」

 軽口を交わす二人。薫とあんな風に話せる女は、自分と霞くらいなものだった。けれど、目の前で近い位置で言葉を交わしているのは、自分でも薫の姉でもなく、新たに来た飛び切り魅力的な女性。

「―――ユーキ?」
「えっ?」

 呼ばれて、はっとする。薫が不審そうに言ってくる。

「どうしたのかね?レジーナの巨乳でも見てエロイ妄想でもごぼっ」
「しないよ!薫こそなんだよ!鼻の下伸ばしてデレデレしてさ!
 レジーナさんも気をつけたほうがいいよ?コイツはムッツリスケベなんだからね」
「…スケベは認めるがムッツリではないのだがね?
 とりあえず、トイレに言ってくるよ。ユーキはレジーナが何かしないように見張っていてくれ」
「Muu、信用ないデスネ」

 不服そうに言うレジーナを置いて、薫は店の奥のトイレに入っていった。


 薫がいなくなると、自然と会話がなくなる。困るのは優希だった。

(ど、どうしようかな…)

 もちろん、最初の頃より大分緊張はなくなっているが、それでも何かを話すべきかわからない。優希自身は人見知りするタイプではないが、それでもいきなり国際派になれるわけでもない。

(英語でしゃべらナイトをもっと見とくんだったなぁ)

 益体もない事を考えているときだった。

「ユーキ?つかぬ事を聞くですがいいデスカ?」
「ん?何?」

 向こうから話し掛けて来てくれたことに安心しかけたが、それは罠だった。

「薫とは肉体関係デスカ?」

 ぶびゅ!

 飲みかけたアイスティーのほとんどが噴出し、一部が気道に入る。

「Oh,ダイジョーブですか、ユーキ」

 激しく咳き込む優希に、レジーナは心配そうにハンカチを差し出す。アイロンがかけられ綺麗に畳まれた―――メイド服を着た犬耳少女がプリントされたハンカチ。

「……ありがとう」

 一瞬躊躇ってから、優希は受け取って顔を拭く。

「イエイエ…で、どうなんデスカ?」
「どうって…そんなんないよ、僕は」

 ほとんど条件反射で首を横に振る優希。恥ずかしいと言う感情がまだ強いのだ。


 だが、優希はその判断を後悔することになる。

「そーデスカ!良かったデス」
「――っ?」

 レジーナの言葉に、優希は凍りつく。

「うむ、待たせたね」

 どういうことかと優希が問う前に、薫がやって来て席に着く。

「お帰りカオル、早かったデスネ?いわゆるソーローという奴デスカ?」
「……用法の間違えだとは思うが、酷く傷ついたよ?あと普通に用を足してきただけだ.
 で、さっきと言い今と言い、どうしたのだね、ユーキ。顔色が悪いが?」
「…何でもないよ。なんだよさっきから」
「―――そう、か」

 優希は、内心の動揺を抑えて返事をする。その中に僅かに余人には感じられない程度の違和感が出る。そして、薫はそれに気付く。
 問い詰めようと思ったが、しかしどう切り出していいか思いとどまる。
 その微妙な雰囲気に気付かず、レジーナが切り出した。

「カオル?ちょっといいデスカ?」
「ん、何かね?」
「実は今日来たのは観光以外にも理由がありマス」
「というと?」

 レジーナは、にへら、とした笑顔を引き締め、背筋を伸ばし襟を正す。

「アメリカに来て欲しいんです。
 私のパートナーとして」

 レジーナの、奇妙な語尾を廃した誠意を感じる言葉。
 その響きと内容に、優希は頭の芯が凍りつくような感じがした

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最終更新:2007年10月08日 00:22