「次の患者さん、どうぞー」
 マーティンは医者である。この小さな診療所が彼の仕事場だ。
 待合室の扉が静かに開き、女が入ってきた。そのまま、黙って椅子に座る。
「今日はどうされましたか」
 マーティンは顔もあげず、先程診察した患者の書類を書いていた。
「よぉ」
 だから、愛しい愛しい幼馴染みの声が聞こえてきて心底驚いた。
「パ、パメラ!もう動いて大丈夫なのかい!ね、熱は?」
「下がったよ。どっかの誰かさんがくれた解熱剤のおかげで」
 そう言うとパメラは山盛りのパンが入った紙袋を机の上に置いた。
「今日はそのお礼」
 パンの甘くて芳ばしい香りが診察室に拡がった。
「パン屋に行ってきたのかい」
 マーティンはパメラの顔をおそるおそる窺ったが、予想していたのと違って、パメラの表情はすがすがしかった。
「あぁ」
「ウィルトスさんに会いに?」
「ちげーよ!」
 パメラは溜め息をついた。
「お前の勘違いだ。確かにあたしは失恋したよ。けど、相手はあの男じゃない。大体、あたしはああいうヘラヘラした笑顔を女に振り撒ける男は嫌いだ」
「じゃあ、まさか…。でも、パメラ、マッチョは嫌いだって…」
「言っとくけど、その男でもないぞ。っていうか、あんな見るだけでも恐ろしい男、友達にでもなりたくねーよ」
 ということは。
「パメラ」
 マーティンは唾を呑み込んだ。
「君って、もしかして、レズ?」
 その瞬間マーティンの視界が一転した。
「い、痛いよ」
 マーティンは頭を抱えて抗議した。
「テメェがくだらねぇこと言ってっからだ。あたしはノーマルだ。変態じゃない。どう考えたらそういう発想になるんだよ」
「だ、だって…」
「だっても糞もねーよ。それ以上くだらねぇこと言ったらぶっ殺す」
 マーティンは口を閉じた。
 パメラはそれを見ると紙袋へと手を伸ばし、苺ジャムパンを取り出した。いとおしそうにパンを眺めると、整った口にそれを運んだ。
 マーティンは黙ってその様子を見ていた。
 パメラは美味しそうにパンを食べている。とても幸せそうだ。
 しかし、マーティンはそうでもなかった。
 胸が痛い。先程の頭の痛みよりも、もっと。
「あのさー。あたしさー」
 口の端にジャムをつけながら、パメラが言った。
 舐めたい。いっそのこと食べてしまいたい。
 マーティンがそう思っているのを知ってか知らずか、パメラは自分の舌でジャムを舐めとった。
「諦めきれない。今日、あの人を見て、そう思った。あの人があたしみたいな女を好きになるはずないのは分かってる。でも、ただ、今まで通り見てるだけでいいんだ」
 パメラは少し苦しそうな顔でマーティンを見た。
「こっちが勝手にあの人を好きでいるのは、別に構わないよな?」
「いいと思うよ」
 マーティンは微笑んだ。
 僕も君と同じだから。
 マーティンはパメラと同じような気持ちを共感しているのを少し嬉しく感じて、パンにかじりついた。

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最終更新:2007年10月08日 02:26