高学歴プア・低学歴リッチ

1.まず、この記事(論説)の構成について考えましょう。どのような構成内容になってますか。

序論:低学歴リッチと高学歴プアという現象の問題提起をしている。

  • 内容要約
日本の経済が高成長だった時代、自分の子供への期待が教育による「末は博士か大事か」だった。
どころが日本の経済が低成長になった今、学歴と収入の関係が繋がらない高学歴プアと低学歴リッチという逆転現象が起こっている。

本論:逆転現象について自分なりに原因を分析、実際の例を挙げている。現場の人事担当者とのインタービューで更に負の相関を強調している。

  • 内容要約
少子化などの理由で大学進学率は上がり続ける(量的増加)
その一方、経済の低成長の今の現代社会では
1)既存の制度や文化が見直しされる。学歴もそのうちのひとつである。
2)産業構造が変化し、ITを中心とした新しい産業では学歴より適性のあるなし、即戦力が重視される
3)ゼロベースで社会のシステムが構築され、学歴と関係なく、早く走りはじめたものが先行者利益を得られる。
現場の人事担当者によると
1)学歴と関係なく自己評価の高い人の方が仕事ができる
2)転職が当たり前になった現在は学歴より職歴が信頼できる
3)世間知らずでお高くとまった高学歴より仕事を取りにいく低学歴の方が求められる

結論:「教育」という 低学歴リッチと高学歴プアが発生した根本的な問題への問い掛け

  • 内容要約
本来教育では 正当な自己評価と、努力の成果を信じ続けることを 学ぶべき
各自がそれぞれの生き方をもって学習するのが教育の本質
高学歴プア・低学歴リッチという言葉は教育の本質への問い掛けをはらんだ現代社会の課題である

2.ここで紹介されている高学歴プアと低学歴リッチの実例をまとめて話しましょう。

  • 低学歴リッチ

A:高校中退で職を転々してたが、知り合いのツテで入社して現在はスマホゲームアプリ制作のディレクター、
今の職は自分の適性とぴったり、軌道に乗っている。
学歴にコンプレックスがある。それで同世代にはできない高級レスに通い、ブランド家具をならべるなど、劣等感を隠してる。
今の職種のバブルが弾けると予想しながら何もしてない、ただそのときはまた別の仕事をすればいいと張り切っている。
(この人は作者が言った「正当な自己評価ができる」「生き方をもって学習する」に当たる人とは思われない。この人はただ運がよかったかもしれない。)

C:落ちこぼれの高校卒業生。高校の時「このままではダメになる」と感じて自分が進むべきの道を探しはじめ、探した自分の道をこつこつと歩いてる。今も成功しているが、もっと高いところに向かって頑張っている。
(この人は勉強ができなかったげど、自分の生き方について悩んだ。それで自分の道を探せて、成功までした。ある程度成功したにもかかわらず自分の仕事に取り込みつづけている。これをみると 作者が言った「努力の成果を信じ続けること」「生き方を持って学習する」が出来る人と考えられる。)

  • 高学歴プア
B:28歳で博士号を取得した優秀なポスドク。非常勤講師のバイトもしているが月収は20万弱。毎月約3万の奨学金も払ってる。研究をしつつき、教授を目指すが自信はない。それで別の就職を探そうとしても、博士号は足かせになってる。自分のことを貧困、挫折とかで表現する。Bさんのような人が日本では現在1万8000人もいる。
(「この人は覚悟の上で踏み出した」と言うけどこの「覚悟」というのが全然見えない。奨学金返済をしてからの月収は約17。日本の社会初年生と比べて同じぐらいの収入だといえる。生活できない状態とは見えない。更に言うと、この人は仕事をしているのではない。自分のために研究をしながらお金をもらう。この人は何のために研究者になったのか。この人からは「正当な自己評価ができる」「努力の成果を信じ続けること」「生き方をもって学習する」全部見えない。)

D:法科大学院を卒業したエリート。司法試験に3年連続不合格。法科大学院出身でハローワークに通うのを恥ずかしいと思う。お見合いサイトに登録したが、相手の学歴や年収を見て「親に紹介できるかどうか」だけ考える。
(エリートだった自分が3年連続で試験に落ちたことで自身をなくしたように見える。でも自尊心はある。何をしても親の顔色を伺う。 自分の人生を生きていない。この人からも「正当な自己評価ができる」「努力の成果を信じ続けること」「生き方をもって学習する」全部見えない。)

3.作者は、なぜ「自己評価の低い高学歴と高い低学歴」のような負の相関が生まれるといっていますか。

作者は学歴と収入も負の相関だと言っている。それをみると自己評価の低い高学歴と高い低学歴だけが負の相関ではない。ではこの人が言ってる「負の相関」とはなんだろう。作者はそう言う。“プアになるか、リッチになるのかを左右するのは学歴ではなく、本来教育で身につけるべき正当な自己評価と、努力の成果を信じ続ける姿勢にあるのではないか。”“高学歴プア・低学歴リッチという言葉は、実体を伴わない学歴なるものではなく、各自がそれぞれの生き方をもって学習するという、教育の本質への問い掛けをはらんだ現代社会の課題である”これはつまり「今の教育は間違ってる」ということで作者が言いたいことを解釈すると、「成功するか失敗するかを決めるのは学歴ではない。学歴とそれに伴う知識だけでは自分がやりたいのをやりとげられない。正当な自己評価と努力の成果を信じ続ける姿勢が必要だ、 正当な自己評価は‘今まで自分がして来たのを客観的に判断してこれからはどうするべきなのかを考える力’でこれがないと自分への評価ができず自分が今何をすればいいのかわからなくなる。もし何をするか決めたとしても正当な自己評価ができなかったら、誤った道を進んで失敗する額率がたかい。また、努力の成果を信じ続ける姿勢は‘今までの一所懸命やってきたことを、そしてそんな自分を信じて、これからも一所懸命進むこと’で、自分を信じるためにはそれほど一所懸命生きることが必要。つまり、一所懸命生きるべきってことで、私たちは本来教育でこういうことを身につけるべきではないかという。」また後ろの部分を解析すると、「高学歴プア・低学歴リッチという言葉が生まれた自体が現代社会の課題である。どんな現代社会の課題なのか。これは学歴が実体(職とか富とか)を伴うか伴わないかの問題じゃない。各自それぞれの生き方を持たないのが問題ということだ。それができってないから学歴にこだわって高学歴はリッチになるべきって肯定観念を作ってしまった。本当に私たちは自分の人生を自分で生きているのか。自分を他人と比較して自分はこうなるべきだと考えているのではないのか。」それを踏まえると、作者は「学歴で‘ものことを考える自体’が負の相関を生み出した」と言ってると考えられる。
でも問題なのは、作者が言ってるのはただの観念的なもので、いくら作者が主張してる教育ができても「高学歴プア・低学歴リッチ」「自己評価の低い高学歴と高い低学歴」という実際存在する逆転現象から逃げられない。私たちは‘なぜ逆転現象が起きたか’をこの記事から分析した。
経済の低成長の今の現代社会では、制度や文化が見直しされる。学歴もそのうちのひとつである。そこで社会のセーフティーネットであった学歴はその機能を失う。 従来の産業構造も変化し、ゼロベースで社会のシステムが構築され、学歴と関係なく、皆一緒によーいどん。
そこで、 例のような低学歴リッチと高学歴プアという逆転現象が起き始める。採用のあり方が多様化し、個人が企業との接点を持ちやすくなったことで、この逆転現象はさらに加速化される。それを見た高学歴者は学歴が高いことだけでは自信を持つことができなくなり、逆に低学歴者は自分も何でもできるという自信感が生まれるという。
なお、高学歴者は自分が学業に励んでいる間、低学歴者は既に社会で活躍している。学業が終わって社会にでると、すでに社会で活躍している低学歴者に比べて、自分には何の経験も実力もないことに気が付く。早く走りはじめたものが先行者利益を享受する世界で遅れた気がする。(다정さん、大丈夫?)
その上、教育に問題がある。教育で私たちが見につけるべきなのは「正当な自己評価」と「努力の成果を信じ続ける姿勢」だ。学歴そのものが自己評価の基準になってはいけない。各自がそれぞれの生き方をもって学習するという教育の本質がちゃんと働いてたら、学歴ではなく、本当の自分と向き合うことになり、このように学歴を中心に考えることはなかっただろう。

4.職の価値は収入で決められるのか。

作者は高学歴プア・低学歴リッチという言葉は教育の本質への問い掛けをはらんだ現代社会の課題であると言いながらもプアとリッチの概念にこだわっている。そこで私たちは職の価値は収入で決められるのかという疑問を持つ。
職の価値は収入で決められないと考える人が3人いました 。その理由として1)職というのは自分の夢をかなう過程だと思う。だから自分の夢にどれほど役に立つかが職の価値だと思う。2)お金より自分が幸せになれる職を選びたい。楽しく仕事する人はそうじゃない人より幸せになれるはずだ。自分がどれほど楽しく仕事できるのかが職の価値だと思う。(다정さん、大丈夫?)3)人々に色んな価値を与える職に就きたい。自分の仕事で人が幸せになると私も幸せになる。人間は一人で生きられない。共に生きるもの。それができる職が価値あると思う。(민정さん、大丈夫?)その反面、お金が大事だという意見もありました。その理由は自分が楽しくできる仕事でも収入がなさすぎると自分が自分でいられなくなる。一人前どころか親離れもできない。いつも金に困って、他の人の助けを求める。その状況で本当に自分がしたいことができるのか。本当に幸せになれるのか。職の価値は収入で決められるとは思わないけど、収入も職を選ぶとき重要なもの。(옥태さん、大丈夫?)
一人を除いて私たちは収入は職の価値ではないという結論を出しました。けれども、今、大学4年生で就職活動をしようとすると、自分が思ったより世界は厳しい。自分かしたいことだけ考えると生きていけない。という声もありました。
その意見は、1)親戚とか周辺から就職について言われると、出来れば収入のいい職に就けないと(?)て考えてしまう。2)就業市場が厳しいので、一応、就職することだけを考えてしまう、それで自分がしたいことより、自分の強みを生かすことだけ考えてしまう。(?)3)他の人に就職についてアドバイスされると、自分が思った人生じゃないけど、就職の圧迫で揺るいでしまう。などがありました。(?)(修正、追加お願い!)
収入と夢の妥協の例もありました。
自分の友達の中では、未来の夢のために大学院に行きたがる人がいる。その人は大学院を進むため、今ただお金のために高収入の職に就いている。ある程度お金を集めたら仕事をやめて、院に進む予定だそう。(다정さん?)
そこで、私たちは理想と現実の差を実感しました。その差を呼んだのはなにか。私たちが下した結論は作者と同じく「教育」でした。でもこの理由は作者とちょっと違います。
理想と現実の差が生まれるのは、考える力が足りないからだと思う。理想を設定する考える力が足りない。現実を分析する考える力が足りない。だからその間に広い差ができる。また、その差を合わせる考える力も足りない。それで結局生きて行くために直前に見える利益にもとめる、自分のことを信じてなくなり、他人の意見に自分の人生を任す。それを正解だと思う。
私たちが今まで経験した韓国の教育は「ただ試験にいい点数を取ることを目指す」のである。それでただ効率てきに試験で選ぶ「正解」を機械のように覚える。「いつも正解は決まっている。」
でも本当にそうなのか、今私たちが正解だと思うのは本当に存在してるのか。今私たちが正解だと思っているのも昔は誰かの理想にすぎなかったはずだ。それでもあの人は現実と合わせて実現した。それで正解になった。だったら今、正解と思われるのは虚像かもしれない。もっといい正解がどこか存在しているかもしれない。それを私たちが今持っているかもしれない。でも私たちは気づいていない。「いつも正解は決まっている」から。
では、本来教育で何を学ぶべきなのか。
「考えること」それで充分じゃないか。考えて考えて夢中になって考えたら、真相が見えてくる。理想と現実の間が狭くなる。それで下した答えを楽しむ。時間がどれだけかかっても構わない。決まった正解では早く行けるけど、それはどんな意味を持つのか。それは他人の人生の代理人じゃないか。自分の人生を生きるより大事なものはない。
でもそれ以前に、自分が何を考えるべきかが問題。韓国の教育システムでは、私たちはを選ぶ機械になったため、本当に自分がしたいことを見つける余裕すらない。 自分が何をしたいのか、何が好きなのか、いろんなことを経験して自分がどんな人なのか、自分はどんなことをする時楽しいなのかを分かっていくのが教育の始まりじゃないのか。(다정さん、ヘルプ!)
それで私たちは思う。「世の中に決まった正解はない。自分で一所懸命考えて、答えを下す。自分で下した答えを信じて、自分の道をあるく、実現する。正解を生み出す。楽しい。それが人生というもの」そうするとプアだとかリッチだとかを超えて、職の価値って何か分かるだろう。

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最終更新:2015年09月27日 00:36