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■1958(昭和33)年:00歳

  • 1958年05月22日:唐沢俊一:北海道札幌市に誕生
  • 札幌駅近くの薬局の長男として誕生(現在その店は義弟が経営)

■1959(昭和34)年:00〜01歳


■1960(昭和35)年:01〜02歳


■1961(昭和36)年:02〜03歳

  • 1961年10月21日:弟・直樹(唐沢なをき)誕生。

■1962(昭和37)年:03〜04歳


■1963(昭和38)年:04〜05歳

  • 1963年5月31日:生まれて初めて落語を聞く
母親の里帰りで東京に来た際、祖母に連れられて於東宝名人会で桂文治の「好きと恐い」を聞く。その面白さに興奮し、帰宅してから母や祖母にそっくり再演してみせて驚かせる。これは後に中学時代のキャンプでも披露した。1回聞いただけでこれなのだから、若い頃の記憶力というのは凄い。(「変なまんが」P155)
  • 1963年10月20日:アニメ「鉄人28号」放送開始

■1964(昭和39)年:05〜06歳


■1965(昭和40)年:06〜07歳(小学1年生)


■1966(昭和41)年:07〜08歳(小学2年生)

  • 1966年1月2日:特撮番組「ウルトラQ」放送開始〜7月3日
  • 1966年5月25日:アニメ「鉄人28号」放送終了

■1967(昭和42)年:08〜09歳(小学3年生)


■1968(昭和43)年:09〜10歳(小学4年生)



■1969(昭和44)年:10〜11歳(小学5年生)


■1970(昭和45)年:11〜12歳(小学6年生)

  • 夏休みの読書感想文でジェロームKジェロームの『ボートの三人男』獅子文六の『てんやわんや』『朝鮮童話集』など(「カルトな本棚」より)

■1971(昭和46)年:12〜13歳(中学1年生)

  • 星新一「妄想銀行」を読み、もの書きになりたいと思う。
  • 友人たちに星新一を啓蒙し、ガリ版刷り同人誌を友人と作り始める
  • 読書委員に任命され星新一などを学校図書館に置こうと運動

■1972(昭和47)年:13〜14歳(中学2年生)


■1973(昭和48)年:14〜15歳(中学3年生)

  • 中学の時に蔵書がすでに1000冊を超えていた

■1974(昭和49)年:15〜16歳(高校1年生)

  • 1974年10月「宇宙戦艦ヤマト」放送開始。〜1975年3月

■1975(昭和50)年:16〜17歳(高校2年生)

  • ドイツの大長編SF「ペリーローダン」ファンクラブを結成。雑誌「SFマガジン」にファンクラブ結成の広告を出し、ドイツ「ペリーローダン」の出版元にまで許可を得る
    • 当時の「SFマガジン」にはそのような広告が一切なく、この発言は虚言と考えられる。
  • 自分の読書傾向は特殊らしい、と気がつく(「カルトな本棚」より)

■1976(昭和51)年:17〜18歳(高校3年生)

  • 1976年:高校3年で「宇宙戦艦ヤマト」と出逢う(本放送の時、人気無くて...と先見の明がある事を何度も語る)
  • 高校時代に「スターウォーズ」のファンクラブを作ろうと画策するが、会員があまり活動しないのでポシャる(「スターウォーズ」のアメリカ公開は1977年5月なので実際にはそれ以降の話、日本公開は1978年)
  • 札幌テレビSTVに古本屋「リーブルなにわ」で出来たサークルで「ヤマト再放送嘆願書」を送り、再放送される(唐沢曰く、その後ヤマトが評価されたのはこの活動が大きい)
    • 実際には1974年に「宇宙戦艦ヤマト」が放送された直後から雑誌『SFマガジン』内では「ヤマトはSFか?」という議論が熱く交わされており、その直後から兵庫県などで「ヤマト再放送運動」のサークルが立ち上がっている。唐沢のサークルはかなりスタートが遅い。もしかしたら唐沢は再放送を見てファンになったクチかも知れない。
  • 北海道でヤマトの再放送率が高い、ヤマト関連のレコードが異常に売れるという事で、古本屋リーブルなにわの上にあるレコード店が発売元コロムビアレコードでも話題になる。
  • 角川書店の営業マンが古本屋のサークルの伝言板に書かれた密度の濃い伝言を見て「これそのまま出版すれば売れますよ」と興奮するが、その伝言板の書き込みは捨てているというので、意気消沈して帰る。その営業マンが現在の角川書店社長、角川歴彦。
  • 1976年12月:ヤマトのプロデューサー西崎義展がオールナイトニッポンのパーソナリティを務めており、この段階ですでに宇宙戦艦ヤマトが大ブームになっており、アニメとしては異例のアルバム『交響組曲宇宙戦艦ヤマト』が発売され、翌年TV版の再編集映画が公開されることが決定していた。

■1977(昭和52)年:18〜19歳(浪人時代)

  • 1977年:1浪:札幌で「宇宙戦艦ヤマト」のファンクラブを運営。本人曰く「ファンクラブ活動をするためにワザと1浪した」
  • ヤマトのプロデューサー西崎義展を札幌に呼ぶなど活動
    • 西崎義展は当時、編集版映画の公開を控えており、日本各地のイベントに顔を出しており、特別な事でもなかった。
  • 東映「長靴をはいた猫」「大陽の王子ホルスの大冒険」自主上映会
  • 1977年8月6日「宇宙戦艦ヤマト」映画版1作目が封切り。日本の映画で実写・アニメを含め公開初日に徹夜組が出た最初の作品となった。

■1978(昭和53)年:19〜20歳(青学1年目)

  • 1978年:1年浪人後、青山学院大学へ入学・下宿は阿佐ヶ谷
  • 実家の仕送りは月7万円(かなり裕福な学生)
  • 入学式の日、紀伊国屋ホールで「紀伊国屋アニメフェス」でベティーブープなどを見る。海外アニメに感動し、代表者の並木孝に長文の感想を送り「アニドウ」に入会
  • 上京して初めて「ぴあ」という情報誌の存在を知る。この時期「年間365本以上映画を見る」を目標に映画館めぐり


■1979(昭和54)年:20〜21歳(青学2年目)

  • 1979年:池袋の文芸座などにかかるB級映画館に入り浸る。
  • この時期、志水一夫とニアミスしていたかもしれないと
  • 1979年4月「機動戦士ガンダム」始まる

■1980(昭和55)年:21〜22歳(青学3年目)

  • 1980年:雑誌『ぴあ』12月19日号 (12/5 発売) の投書欄「YOUとPIA」に山賀龍一という人の書いた「望怪獣論」という投稿が載る。内容は、昔のゴジラやラドンみたいな、大人のための怪獣映画を望むというもの
  • 雑誌『ぴあ』1月16日号 (12/27 発売) の投書欄に、唐沢の投稿「新怪獣論」が載る。内容は、「怪獣ファンたちが揃いも揃ってゴジラの復活だけを望んでいるのはいかがなものか」「我々が望むのはまったく新しい怪獣でなくてはいけない」とか。

■1981(昭和56)年:22〜23歳(青学4年目)

  • 雑誌『ぴあ』1981年2月13日号 (1/30 発売)
  • 『ぴあ』投書欄に、DSC-桜井という人の「今もよくある、『怪獣は子どものため』論の典型」(by 唐沢) の投稿が載る。「リアリズムもファンタジーも、子どもの、邪心のない目で感じ取れればそれでいい」「大人だって子どもの頃に戻りさえすれば」「楽しめる映画なのです。」
  • 唐沢の下宿に、差出人『東京ゴジラ団』の封書が届く。安全カミソリの刃が入っていて、「『2月号の桜井氏の言う通りだ。貴様に怪獣映画を語る資格はない』というオドシ文句が書かれた紙が一枚。」「これで、僕はキレた。これ以降、僕の『ぴあ』への投稿の筆致はどんどん嫌味になり、皮肉になり、攻撃的になっていく。」
  • 雑誌『ぴあ』1981年3月13日号 (2/27 発売)
  • 『ぴあ』投書欄に、唐沢の再反論が載る。「子供向けの作品が大人に面白くないのは仕様のないことなのでしょうか。いや、それより田中小実昌氏の名言があります。“僕はガキだからガキ向けの映画は面白くない”。ガキが、いや子供が、本当に面白がって見るのは大人向けの作品なんですよ」「そして、かのゴジラが問題意識を売り物にした最大の弊害が、そう言った思想とかテーマをもった作品こそが本当に優れたSF(!)なのだという誤謬をファンに与えたこと。センス・オブ・ワンダーもへったくれもあったものではない。第一、この誤謬はかなり危険なものであるのです。」んで、ここから『機動戦士ガンダム』の、批判というか罵倒に「横すべり」、と。
  • 「今度映画化されるという、あの『機動戦士ガンダム』、あれくらい日本のSFファンの気質を嫌らしく具現化した作品を僕は知りません。」「ストーリーはハインラインの『宇宙の戦士』のエピゴーネン、お定まりの美形キャラ、ハデハデしいメカの行列、SF用語の羅列、反吐をつきそうな気障ったらしいセリフ。」「これだけなら単に陳腐というだけで別に取り立てて騒ぐ程のものでもありませんが、それを“戦争とは? 人類とは?”といったいかにもそれらしそうなテーマで飾って高級そうに見せかけているのが中・高生のSFファンにああまで奉られている理由です。」「こういった作品にファンが集まることが日本SFファンの思想好き、テーマ好き、深刻好みの性癖を如実に表しています。そしてその元凶とでもいうものがゴジラであるとするならば、桜井さん、僕がいいたいこともわかっていただけますまいか」
  • 雑誌『ぴあ』1981年4月10日号 (3/27 発売)5月22日号 (5/8 発売)6月19日号 (6/5 発売)
  • 『ぴあ』投書欄には、ガンダムファンによる擁護は載らず、日本SF映画に希望はあるかないかの話が「以前とほぼ同じ論調で」続いた。
  • 雑誌『ぴあ』1981年7月17日号 (7/3 発売)
  • 『ぴあ』投書欄に、ガンダムファンの投書が一挙2通掲載。その1通が「横浜の鴨打大輔という人」の『ガンダムへの誤解・一SFファンとして一言』。「思えば、ガンダムの不幸は、西崎義展に踊らされた“ヤマト”ブームとの酷似、さらには俗悪高千穂遥(この点はあなたに賛成)を筆頭に、アニメ誌や一部のファンの馬鹿騒ぎにあると思います」「とにかく見て下さい。『ガンダム』はもともとTV用ですからTVのガンダムを見て下さい。ご一報くだされば、私のところでご覧にいれます。見た上で、けなすなり何なりして下さい。しかし、そんな風にはならないはずです。自信を持って言えます」
  • 雑誌『ぴあ』1981年7月31日号 (7/17 発売)8月14日号 (7/31 発売)8月31日号 (8/14 発売)
  • 『ぴあ』に、唐沢の反論、唐沢への他の人からの反論や同意論などが掲載。ちなみに、唐沢の反論は「TV版ガンダムの、動画と呼ぶのもためらわれるような動きの極端にない場面を指摘して、“こういうのを優れたアニメとはどうしても呼べない”ことを再度提唱した」もの。
  • 当時のぴあの編集長だった増淵氏が「あれは唐沢という人が最初にゴジラとガンダムの比較論を投書してき、“ゴジラはいいがガンダムはダメ”ということになっちゃって」という「いい加減な要約をしていた(笑)」(by 唐沢) とのこと。「論争があると、投書の数は増えるが、一般の読者のお便りを載せるスペースがなくなりますからね」
  • 雑誌『ぴあ』1981年8月28日号 (8/14 発売)9月11日号 (8/28 発売)
  • 『ぴあ』に、論争総括のコーナーが組まれる。“特集「YOUとPIA」”という題名で、2号連続で見開きページを取っていた。「どういう特集かと言うと、プロのアニメ関係者に話を聞いて、『ガンダムは是か非か』という回答をあおぐ、というものである。」
  • 「アニドウ代表のなみきたかしは、『ぴあ』からの電話に唐沢という名前が出た途端に『ああ、あの男はうるさいですから相手にしないほうがいいです』と電話を切ったと言う」
  • 「大森・森のお二人は、今のテレビアニメは面白くない、と口を揃え、『ケバケバしいリアリティのないロボットはやりたくない』(大森)『ガンダムには悪いけど、血が通っているのかどうかわからない』(森)と僕の意思に賛同してくれている」
  • 「松本氏は、『(筆)言っていることはわかるけど、アニメを作るのは本当に大変なんだ。文句言うなら自分で作ってからにしてほしい』」
  • 「手塚氏に至っては、『見る側にあれこれ要求はしたくないが、マニアというのはどうしてあんなに圧力をかけたがるのか。こういう場を借りて、自分の意見を押し付けようとしている』」
  • 「そして、いちばん老獪だったのは、やはり当事者の富野氏だった。彼は、『極端な意見というのは、他人の意見として聞く場合には決して悪いことじゃないと思います。わかりいいからです。私見なんていうのは、独断と偏見という風なまやかしの言葉で飾るんじゃなくて、当然持ってしかるべきなんじゃないかと。むしろ、状況論は半分以上は事実でこれは中庸なことなんである、って示し方をすることの方がよほど危険だと思う』と、こちらの本当に言いたいことを先取りしてしまっている。このとき、心のどこかで『待てよ』と踏みとどまらねば、僕は大学卒業後、富野氏の門を叩いたかもしれない。」

■1982(昭和57)年:23〜24歳(青学5年目)


■1983(昭和58)年:24〜25歳

  • 1983年3月(6年いたとされる話より)卒業

■1984(昭和59)年:25〜26歳


■1985(昭和60)年:26〜27歳


■1986(昭和61)年:27〜28歳

  • 1986年11月:池袋西武・スタジオ200でのイッセー尾形の公演の前説を担当し、観客を怒らせる。

■1987(昭和62)年:28〜29歳

  • 1987年頃:文筆業としてデビュー(地域ICT未来フェスタのHPによると)

■1988(昭和63)年:29〜30歳

  • 1988年01月07日:唐沢商会「鋼鉄人間28号」平凡パンチ掲載}
  • 1988年5月:唐沢商会「諸国怪態物語・河童の味」月刊ガロ
  • 1988年6月:唐沢商会「ミミヅク小僧のバウケン」月刊ガロ
  • 1988年6月9日:唐沢商会「漫才バスカビル家の犬」平凡パンチ
  • 1988年6月18日:唐沢商会「新撰組始末記」月刊少年キャプテン
  • 1988年7月:唐沢商会「諸国怪態物語・段吉の怪」月刊ガロ
  • 1988年8月:唐沢商会「電気傾城」月刊ガロ
  • 1988年9月:唐沢商会「大塚署長自身の事件」月刊ガロ掲載}
  • 1988年11月:唐沢商会「原子馬鹿襲来」月刊ガロ掲載}
  • 1988年11月5日:唐沢商会「しのびのもの」週刊漫画サンデー


■1989(昭和64〜平成元)年:30〜31歳

  • 1989年1月3日:唐沢商会「2001年宇宙の正月」週刊漫画サンデー
  • 1989年3月28日:唐沢商会「宗田村殺人事件」週刊漫画サンデー掲載}
  • 1989年10月:唐沢商会「ぐるっと回ってジャガーの眼」月刊ガロ

■1990(平成02)年:31〜32歳

  • 1990年2月「ようこそ、カラサワ薬局へ(徳間書店)」(→薬局通)
  • 1990年8月:唐沢商会「あわびねこ」月刊ガロ
  • 1990年10月「近未来馬鹿(青林堂)」唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)

■1991(平成03)年:32〜33歳

  • 1991年1月頃:俳優の潮健児氏と出会う(脳天気教養図鑑」の『甘党の怪人』より)
  • 1991年4月:単行本「ZORO-ZORO(青林堂)」唐沢商会
  • 1991年7月:単行本「マンガ年金入門」原智徳(監修)、鹿野景子(画)、唐沢俊一(作)

■1992(平成04)年:33〜34歳

  • 1992年2月:単行本「脳天気教養図鑑(青林堂)」唐沢商会
  • 1992年9月:単行本「ギロチン女(スコラ)」鹿野景子(画)、唐沢俊一(作)
  • 1992年10月号〜雑誌「UTAN」で薬の秘密連載:〜1994年1月号
  • 1992年12月「と学会連絡誌:創刊号」

■1993(平成05)年:34〜35歳

  • 1993年5月:単行本「原子水母」唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)
  • 1993年5月「と学会連絡誌:第2号」
  • 1993年9月:単行本「星を喰った男」潮健児(著)、唐沢俊一(編集・構成)
  • 1993年09月19日:潮健児氏死去
  • 1993年11月:単行本「まんがの逆襲」唐沢俊一(監修)
  • 1993年11月「と学会誌:1号」
  • 1993年:この年、叔父から引き継いだ芸能プロ「オノプロ」を閉じる

■1994(平成06)年:35〜36歳

  • 1994年4月:単行本「森由岐子の世界」唐沢俊一・ソルボンヌK子(監修)
  • 1994年8月「と学会誌:2号」

■1995(平成07)年:36〜37歳

  • 1995年:岡田斗司夫・眠田直と、おたく芸人ユニット「オタクアミーゴス」結成
  • 1995年2月:単行本「女性自身ってば!?」唐沢俊一と『女性自身』広告審議会(著)
  • 1995年5月:単行本「んかノ花園 原子水母2」唐沢俊一(作)、唐沢なをき(画)
  • 1995年5月1日:単行本「トンデモ本の世界(と学会編)」と学会1冊目
  • 1995年6月:単行本「ガメラを作った男」唐澤俊一(編著)
  • 1995年8月:単行本「美少女の逆襲」
  • 1995年8月「と学会誌:3号」
  • 1995年10月:単行本「薬の秘密」
  • 1995年10月:単行本「Kamidas」稲葉益巳(監修)、唐沢俊一・毛髪探検隊(著)

■1996(平成08)年:37〜38歳

  • 1996年7月:文庫「薬局通(ハヤカワ文庫)」ようこそ、カラサワ薬局への改題
  • 1996年3月:単行本「怪体新書」唐沢商会(作)
  • 1996年3月:単行本「古本マニア雑学ノート」
  • 1996年4月:単行本「トンデモ本の逆襲」と学会(編)
  • 1996年4月:単行本「カルトホラー漫画秘宝館 かえるの巻」
  • 1996年4月:単行本「カルトホラー漫画秘宝館 みみずの巻」
  • 1996年4月1日:単行本「トンデモ本の逆襲(と学会編)」と学会2冊目
  • 1996年6月:単行本「復讐医バロン」唐沢俊一(作)、新巻ゆたか(画)
  • 1996年7月:単行本「蒸気王」唐沢商会(作)
  • 1996年8月:単行本「トンデモ怪書録」唐沢俊一(著)、唐沢なをき(イラスト)
  • 1996年8月:単行本「大猟奇」唐沢俊一(作)、ソルボンヌK子(画)
  • 1996年8月「と学会誌:4号」
  • 1996年12月:単行本「トンデモ超変態系」Brenda、Love(著)、船津歩(訳)、唐沢俊一

■1997(平成09)年:38〜39歳

  • 1997年02月:単行本「唐沢俊一のカルト王」
  • 1997年03月:単行本「オタクアミーゴス!」岡田斗司夫・唐沢俊一・眠田直(共著)
  • 1997年08月「と学会連絡誌:97年夏号」
  • 1997年08月:単行本「カルトな本棚」同文社
  • 1997年09月「と学会白書Vol.1」と学会3冊目
  • 1997年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「聖なるカワ」掲載 ;
  • 1997年12月「と学会誌:5号」

■1998(平成10)年:39〜40歳

  • 1998年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ある超常現象」掲載 ;
  • 1998年07月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「日本人よサッカーをやめよ!」掲載 ;
  • 1998年08月「と学会誌:6号」
  • 1998年09月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ハリウッド墓石観光」掲載 ;
  • 1998年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「前門の虎、コーモンのハムスター」掲載 ;
  • 1998年12月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「味の創造力」掲載 ;


■1999(平成11)年:40〜41歳

  • 1999年01月30日:単行本「トンデモ本1999(と学会編)」と学会
  • 1999年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「あるレスラーの死」掲載 ;
  • 1999年06月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「だらしない未来」掲載 ;
  • 1999年08月「と学会誌:7号」
  • 1999年09月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「コンドールマンとリカちゃん人形」掲載 ;
  • 1999年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「バケ猫映画の最高傑作」掲載 ;
  • 1999年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ねばねばの謎に挑む」掲載 ;
  • 1999年12月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「人生訓屋」掲載 ;

■2000(平成12)年:41〜42歳

  • 2000年02月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「恐怖のカマキリ女」掲載 ;
  • 2000年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「Qは永久欠番なのだ」掲載 ;
  • 2000年08月「と学会誌:8号」
  • 2000年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「玉」掲載 ;
  • 2000年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「マジックマッシュルーム」掲載 ;

■2001(平成13)年:42〜43歳

  • 2001年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「お鼻が長いのねぇ」掲載 ;
  • 2001年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「おふくろの味」掲載 ;
  • 2001年06月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「壁に耳あり」掲載 ;
  • 2001年08月「と学会誌:9号」
  • 2001年09月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「プロレス怪人物列伝」掲載 ;
  • 2001年10月2日:単行本「トンデモ本の世界R(と学会編)」と学会
  • 2001年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「名言」掲載 ;
  • 2001年11月00日:単行本「社会派くんがゆく! (アスペクト)」村崎百郎との共著

■2002(平成14)年:43〜44歳

  • 2002年02月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「有名人奇行集」掲載 ;
  • 2002年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「毎日毎日」掲載 ;
  • 2002年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「進化するミニチュア」掲載 ;
  • 2002年07月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「フロイトの葉巻」掲載 ;
  • 2002年08月「と学会誌:10号」
  • 2002年08月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「ちょび髭」掲載
  • 2002年10月07日:深夜番組として『トリビアの泉』が放送開始される(〜2003年3月17日)
    • 一般的に唐沢俊一の「トンデモ1行知識の世界」続編「〜の逆襲」が番組の元ネタのような扱いを受けているが、実際にはこの本から使われた知識は極少ない。というものどうやら、番組で放送するにあたって検証した所、使えない雑学ばかりだったのではないか?と囁かれている。
  • 2002年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「アタマのよくなるクスリ」掲載 ;
  • 2002年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「妄想力」掲載 ;
  • 2002年12月「と学会誌:2002冬の増刊号」
  • 2002年12月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「大阪粉食文化」掲載 ;

■2003(平成15)年:44〜45歳

  • 2003年03月00日:単行本「社会派くんがゆく! 激動編(アスペクト)」村崎百郎との共著
  • 2003年03月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「スパゲティの食べ方」掲載 ;
  • 2003年06月「と学会誌:11号」
  • 2003年06月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「チワワ伝説」掲載 ;
  • 2003年07月2日『トリビアの泉』がゴールデンで放送開始(〜2006年9月27日)
  • 2003年07月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「一点集中」掲載 ;
  • 2003年12月「と学会誌:12号」
  • 2003年10月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「帽子と人格」掲載 ;
  • 2003年11月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「共産主義のヒロイン」掲載 ;

■2004(平成16)年:45〜46歳

  • 2004年02月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「なぜハゲは、セックスが強いか」掲載 ;
  • 2004年02月24日:単行本「社会派くんがゆく! 死闘編(アスペクト)」村崎百郎との共著
  • 2004年04月号「モノ・マガジン」お怪物図鑑「機械たちの顔」掲載 ;
  • 2004年06月13日:単行本「トンデモ本の世界T(と学会編)」と学会
  • 2004年06月13日:単行本「トンデモ本の世界S(と学会編)」と学会
  • 2004年08月「と学会誌:13号」
  • 2004年09月05日:単行本「お怪物図鑑×物々冒険記」弟との共著
  • 2004年12月「と学会誌:14号」
  • 2004年12月19日:単行本「社会派くんがゆく!逆襲編(アスペクト)」村崎百郎との共著

■2005(平成17)年:46〜47歳

  • 2005年5月:週プレ連載『名も無く美しいニュースたち』始まる
  • 2005年5月14日:唐沢日記にバーバラ・アスカ初登場
  • 2005年6月「トンデモ本白書2005」
  • 2005年8月「と学会誌:15号」
  • 2005年10月:ラジオ「ブジオ! (TBS)」始まる
  • 2005年11月10日:バーバラとのトークイベント「古書と新刊の話」
  • 2005年12月「と学会誌:16号」
  • 2005年12月22日:単行本「社会派くんがゆく! 維新編(アスペクト)」村崎百郎との共著

■2006(平成18)年:47〜48歳

  • 2006年3月:ラジオ「ブジオ! (TBS)」終わる
  • 2006年4月:ラジオ「唐沢俊一のポケット(TBS)」始まる
  • 2006年5月2日:週プレ連載『名も無く美しいニュースたち』終わる
  • 2006年6月「と学会アーカイブス・1」
  • 2006年8月「と学会誌:17号」
  • 2006年9月:「知るを楽しむ (NHK教育)円谷英二 特撮の神様」
  • 2006年12月「と学会誌:18号」
  • 2006年12月22日:単行本「社会派くんがゆく!乱世編(アスペクト)」村崎百郎との共著

■2007(平成19)年:48〜49歳

  • 2007年2月「唐沢俊一の雑学王(広済堂)」
  • 2007年3月1日「三丁目の猟奇」唐沢俊一 (著), ソルボンヌK子 (イラスト)
  • 2007年3月30日:ラジオ「唐沢俊一のポケット(TBS)」終わる
  • 2007年4月「史上最強のムダ知識(廣済堂出版)」
  • 2007年4月「と学会年鑑ORANGE(楽工社)」
  • 2007年4月23日「オタク論! (創出版)」唐沢 俊一と岡田斗司夫 の対談
  • 2007年5月『新・UFO入門(幻冬舎)』
  • 2007年6月「と学会アーカイブス・2」
  • 2007年6月4日:『新・UFO入門』の文章盗作が被害者ブロガーによって発覚漫棚通信ブログ版「これは盗作とちゃうんかいっ」
  • 2007年6月5日:唐沢、裏モノ日記で言及
オノからメールで、サイト『漫棚通信』の運営者さんから『新・UFO入門』の一部が、当該サイトの文章に酷似しているとの抗議があったとの知らせ。これにはショック。山川惣治氏の作品の紹介部分で、まったく思いもよらなかったが、確かにあのサイトは参考にしている。ストーリィ紹介の部分なので、つい文章に、コピーと取られる類似性を持っていた。すぐさまその意の無かった旨返信をし、謝罪。しかしこういうときにメールがなかなか送れぬのは踏んだり蹴ったり。担当編集にその旨を知らせ、善後策検討。サイトにも大至急、その旨を書いてアップする。
http://www.tobunken.com/news/news20070530155748.html
論旨の方にばかり気をとられ、紹介部分の原稿チェックを怠っていたのが原因。迷惑をかけたことに対してはひたすら陳謝のみ。向後はこういうことのないように厳につつしまないとと自分を諌めることしばし。
  • 2007年6月6日:産経新聞で報じられる
「トリビア」生みの親・唐沢俊一さんが“盗作”
06/06 17:44
 「トリビア」ブームの生みの親としても知られる作家、唐沢俊一さん(49)が先月発売した著書『新・UFO入門』(幻冬舎新書)の一部に、ブログ「漫棚通信」の文章と酷似した記述が掲載されていることが6日、わかった。
 “盗作”を指摘したのは、同ブログの運営者。『新・UFO入門』を読んでいて、自身が一昨年11月にブログに書いた内容とよく似ていることに気づいた。これを受け、同ブログ4日付の書き込みで、ほかのUFO関連文献の要約の言い回しや引用箇所について、6カ所を挙げて類似性が見られると主張。唐沢さんと出版元の幻冬舎に対し、抗議のメールを送付した。
 唐沢さんはいち早く同ブログの運営者にメールで謝罪するとともに、自身の公式サイト上でも報告。記述の類似について「大いに参考にさせていただいたことは事実」と認めた上で、「『漫棚通信』の記述より多くのものを得ているということを明示していなかった」として同サイトで謝罪した。“盗作”との見方については「悪意または盗用という意はまったくありません」と否定した。今後増刷分の当該記述の扱いについては、現在運営者と協議中という。
 唐沢さんは、いわゆる「トンデモ本」と呼ばれる、荒唐無稽な学説などを唱える書籍を品評する会「と学会」のメンバーで、サブカルチャーやオタク文化などをテーマに執筆活動を展開。今年4月からは、朝日新聞書評委員を担当している。(イザ!編集部)
  • 2007年8月「と学会誌:19号」
  • 2007年10月10日:単行本「トンデモ本の世界V(と学会編)」と学会
  • 2007年10月10日:単行本「トンデモ本の世界U(と学会編)」と学会
  • 2007年11月28日放送:テレビ朝日系「Qさま!」で、ワシントンを殺す
  • 2007年12月15日:単行本「トンデモ版・ユーチューブのハマり方(白夜書房)」
  • 2007年12月20日:単行本「社会派くんがゆく 復活編(アスペクト)」村崎百郎との共著

■2008(平成20)年:49〜50歳

  • 2008年1月、『創』2月号で唐沢俊一が自分の盗作を棚にあげネットでの批判を批判
  • 2008年1月30日、読売新聞にいじられる
  • 2008年8月23日:大阪・岸和田で開催された「DAICON7」に参加。帰り際に藤岡真に声をかけられたが逃走。
  • 2008年9月25日:コンビニ本「(禁)盗作コピペ病」茜新社で盗作事件について書かれる
  • 2008年10月8日:オモロイドからの盗用をJ-CASTに報じられる
  • 2008年10月:オモロイドからの盗用発覚を受けて山本弘「と学会」会長が唐沢俊一に処分を下す。しかし、その後、会員からの反対に遭ったため撤回した。この騒動に関係して植木不等式が「と学会」を退会。
  • 2008年11月:『創』12月号で『オタク対談』終了。
  • 2008年12月:『トリビア名誉教授唐沢俊一のビジネス課外授業。』が『PRONTO PRONTO?』VOL.15で終了。
  • 2008年12月18日:「パクリ・盗作 スキャンダル事件史」宝島文庫で5Pに渡り盗作事件が書かれる

■2009(平成21)年:50〜51歳

  • 2009年2月:『熱写ボーイ』4月号から『世界ヘンタイ人列伝』連載スタート。
  • 2009年3月:『フィギュア王』№134で「座敷浪人の壺蔵」からの盗用が発覚。
  • 2009年3月:朝日新聞書評委員の任期が切れる。
  • 2009年5月:単行本『オタクアミーゴスの逆襲』(楽工社)
  • 2009年5月:単行本『昭和ニッポン怪人伝』(大和書房)
  • 2009年6月6日:「日本トンデモ本大賞2009」開催。大内明日香の参加をめぐって揉める。
  • 2009年6月8日:入院。これに伴い18日に予定されていたジュンク堂書店池袋店でのトークセッションは中止に。
  • 2009年6月:単行本『博覧強記の仕事術』(アスペクト)
  • 2009年8月16日:「コミックマーケット76」開催。唐沢俊一、kensyouhanから『唐沢俊一検証本VOL.1』を直接手渡しされる。ドラゴン山崎がkensyouhanのブースに押しかけようとしたのを容認。夕方からは大阪に移動して寄席に出演した。