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ある旅行者達の一日 - (2007/08/09 (木) 00:02:51) のソース

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<p><font size="middle"><u>ある旅行者達の一日</u> 作者:弥月未知夜</font></p>
<p><font size=
"middle"> バスを降りた瞬間、熱気が優美を襲った。これでもかというくらい冷やされたバスの中から外に出たものだから、すぐに額に汗が浮かぶ。まだ日はそんなに昇っていないというのにひどく暑い。<br>
 バスターミナルの上には高層ビルがそびえていた。ただでさえ暑いのに頭上をビルに阻まれて、こもった排気ガスがそれに拍車をかける。<br>
 バスターミナルは霧生ヶ谷市のほぼ中心にある。市電と私鉄の駅も併設され、なかなか便利がよい。バスターミナルはいくつかの路線バスの出発点になっている他、都市間高速バスも日々運行されている。優美の地元の鷹城市からこの霧生ヶ谷市に訪れるのに一番便利がよいのはその都市間高速バスだったのだ。<br>
 一泊二日の予定だし、夏だから荷物はそんなに重くない。クリーム色のボストンバックを肩に優美はきょろきょろと辺りを見回し、待ち合わせ場所を探した。<br>
 優美をこの町に誘ったのは、サークルの先輩である湊だ。友達が彼氏と行くはずが寸前で彼氏が骨折して行けなくなったから、宿泊チケットを安く売ってもらったそうだ。キャンセル料を払うより、友達に売った方が得だとその人は判断したものらしい。<br>
「明日現地集合ね。鷹城からは高速バスがあるみたいだから、それに乗るといいから!」<br>
 優美に否やを言わせないうちに湊は瞬く間にそう決めてのけた。彼女は彼女で地元からバスや私鉄を乗り継いで、最終的にはバスターミナルに近い霧生ヶ谷駅に降り立つ計画を立てていて、実際に今朝は五時に起きて移動を開始しすでにターミナル内のコンビニで待っているらしい。送られてきたメールに添付された見慣れぬロゴマークを優美は程なく発見した。<br>
 ミストマートのバスターミナル店はバスを降りてすぐ、緩やかにカーブする歩道を三分ほど歩いたところにあった。掃除はしてあるのだろうが、バスから排出されるガスで前面ガラスがひどく汚れている。<br>
 自動ドアをくぐり広くない店内を一周したが、待っているはずの湊の姿がない。優美が不審に思いながら雑誌コーナーから外を覗くと、今来た道をさらに少し進んだところでそれらしい人の姿が見えた。何も買わずにコンビニを出るのも申し訳なくてレジ前に陳列された期間限定キャンディを幾つか買って優美は外に出る。<br>
 少し歩いたところで、湊が子供と話しているのが見えた。声をかけていいものか悩んでいる優美に気付いたのはその子供で、湊に声をかけながら指差してくる。気付いた湊が大きく手招きをしたので、優美は遠慮なくそちらに近寄った。<br>
「おはよー、優美ちー」<br>
 にかっと笑う湊は今日もご機嫌のようだった。<br>
「おはよう湊さん」<br>
「今日はいい天気でよかったわねー。霧が生まれるって書くくらいの町だから、ちょっとしっとりしてる気はするけど」<br>
「慣れたら大丈夫だよー」<br>
「うーん、問題は一泊二日では慣れそうにないことよねー」<br>
 普通に会話に混じってきたのは、湊となにやら話していた女の子だ。Tシャツにジーンズ、なまずに似た形のポシェットを斜めがけにし、両の手に帽子とメモをそれぞれ持っている。<br>
「帰るのは明日の夕方?」<br>
「特に決めてないけど」<br>
「なるほどー」<br>
 ふんふんとうなずきながら、女の子はメモに視線を落とした。<br>
「湊さん、この子は?」<br>
「え、ああ。いや、コンビニがそんなに大きくなかったから、いつまでも店内にいるのなーって思ってちょっと外に出たら、ね」<br>
「ね、って」<br>
「急に旅行が決まったじゃない? どこを見て回ろうかなって思った時に観光案内所って文字が見えたから、近づいてきたらなんか声かけられた?」<br>
 湊が「そういえばなんで声をかけてきたの?」とその子に聞くものだから優美は驚いた。彼女らしいといえばらしいが、気付くのが遅すぎる。<br>
「おねーさん、この町がはじめてっぽいから」<br>
 女の子は自分も待ち合わせだけど張り切って早く着きすぎて時間をもてあましていること、だからこの近辺にある観光案内所をはしごしていることを二人に話した。<br>
「観光案内所って……どこも同じものがあるんじゃないの?」<br>
「パンフレットとかは一緒かなあ。でも、係の人はいろんな情報持ってるから、お話を聞こうかなって」<br>
「情報ー?」<br>
 素っ頓狂な声を出す湊に女の子は真顔でこくりとうなずいた。<br>
「待ってても不思議はやってこないもん。情報は足で稼がなきゃ!」<br>
 優美は呆然として女の子を見た。湊も同じく言葉を失っている。<br>
「ふしぎ?」<br>
「そう。もしかして、おねーさん達何にも知らずに来たの?」<br>
 先に気を取り直した湊が尋ねると女の子は驚いたようだった。それから「じゃあラッキーだったね! 私が少し教えてあげる」と嬉々とした声を上げ、案内所のカウンターからパンフレットを手に取る。<br>
「霧生ヶ谷はね、いろんな不思議なことがある町なの。はい、不思議マップ。まだまだ内容はありきたりだけど、初心者にはおすすめかなあ」<br>
「初心者、って」<br>
「……へえ、面白い趣向ねえ」<br>
 女の子が言ったとおりの文字が手にしたパンフレットに印字されている。発行は市役所観光企画課――まじめな役所のイメージと手にしたパンフレットの落差に優美はくらりとした。湊は面白そうにパンフレットに見入っている。<br>
「一泊二日だと、あんまり回れないかもだし。あ、モロモロキップは買った?」<br>
「あー、なんかポスターが貼ってあったわねえ」<br>
 湊が呟きながら少し離れた壁を見た。女の子のポシェットに似たなまずを中心に、モロモロキップなる文字が躍っている。<br>
「すっごいおすすめ! 乗り放題だよ。市電とバスだけでいいならモロキップでもいいけど。期間限定のルートバスもあるけど、本当に面白そうなところは回らないしなぁ」<br>
「詳しいのねぇ」<br>
 ポスターを見た後、優美は不思議マップのパンフレットを開いた。どこまで真面目にやっているのか判断できない名前のオンパレード。<br>
 さらには実在しないという市営バスの噂を堂々と載せている。「交通局は否定しているが真偽のほどは果たして……!」という結びに茶目っ気があると思う人間がどれほどいるのだろう。同じ市の職員がそういうふざけたことをしていいのかと考えてしまう人間は、おそらくパンフレットの名称を見た段階で中を見ることはしないのだろうが。<br>
 湊は確実に面白がる人なので、優美と同じくパンフレットを見ながら面白がってあれこれ女の子に尋ねている。初対面の相手にでも屈託がない先輩と女の子の姿をうらやましく眺めながら優美は話が落ち着くのを待ち、話を聞きながら案内所のカウンターから他のパンフレットも手にとってみる。不思議マップで不安に思ったが、ごく普通の観光マップもあったのでほっとした。<br>
 女の子が楽しそうに話すのを湊がうなずきつつ聞きながら、もらったパンフレットにペンでメモしている。十分から十五分くらいの間、湊と女の子は真面目に不思議話に花を咲かせていた。<br>
「あっ、そろそろ時間だ!」<br>
「あら残念。ありがとね」<br>
 女の子が不意に叫ぶと湊はパンフレットから顔を上げた。<br>
「ううん、私も暇だったし。一泊二日じゃ満足できないと思うから、また来るといいよ」<br>
 にこっと笑みを残して女の子は慌しく駆けていく。それを見送る湊も満面の笑顔だ。<br>
「湊さんまさか、不思議めぐりをするとか言いませんよね?」<br>
「あら、駄目?」<br>
 恐る恐る問いかける優美に答える湊の口ぶりは、無茶を言い出す時の彼氏の口調によく似ていて、表情は何かに向かって一直線に駆け出す寸前の妹のそれによく似ていた。その両方ともに最終的に折れることが多い優美が双方兼ね備える湊に勝てることなどほとんどない。<br>
「水路の町並み見物とか、どうですか? えーと、諸諸城に金のモロモロっていうしゃちほこがあるらしいです。一見の価値ありだって書いてあります」<br>
「あのねえ、優美ちー」<br>
「はい」<br>
 まくし立てる優美の言葉をうんざりしたように湊はさえぎった。<br>
「何で敬語になるのかな。罰として今日は私に付き合うことー」<br>
「え、だってそれは!」<br>
「うどんは今晩の宿で食べれるって友達が言ってたし、水路はあちこちにあるみたいだから嫌でも見れるわよ。でも、不思議ってヤツに真正面に向き合うのはこういう地図なんか作ってるこの町でしかできないんじゃない?」<br>
「えーっと」<br>
「いいノリだと思わない?」<br>
「正直ちょっとどうかと思うんだけど」<br>
「真面目だなあ、優実ちーは。ダメだぞ、若いんだから。夏休みくらい羽目をはずすべきよ。ってことで、そうねえ、とりあえず――」<br>
 湊はつと指をパンフレットに滑らせた。<br>
「あー、その何とかキップとやら、かおっか」<br>
 結局とっさに絞りきれなかったらしく、湊は誤魔化すようにそう言うと「どこで売っているのかしら」ときょろきょろした。それに否やはないので優美はやがて歩き始めた彼女に素直に従った。<br>
 夏休みだからか、バスターミナルのあちこちに様々なポスターが貼ってあった。ほんどいつ祭りとやらのポスターは夏らしく百鬼夜行の絵が細かく描かれ、もし湊を気にしなくて良いのなら優美はそこでしばらく立ち止まったに違いない。キップ売り場を探す湊のあとについていきながら、一人ならもっとじっくりと見るのになあと思わずにはいられなかった。<br>
 途中で発見したコインロッカーに旅行カバンを預け身軽になって、二人は無事にキップ売り場を発見しモロモロキップを手に入れた。これさえあれば市電、バスを皮切りに渡り舟、人力車、電車、ロープウェー、セスナにまで乗れるという代物らしい。<br>
「一日でそんなに乗れるのかしら」<br>
「乗れるのか、じゃなくて乗るのよ!」<br>
 裏面の事細かな説明に思わず見入る優美の背中を湊はばしっと叩いた。</font></p>
<p> </p>
<p><font size=
"middle"> 純和風から西洋風、ホラーなものからほのぼのとしたものまで節操なく様々な不思議を嬉々として巡る湊に付き合って、優美はその一日で市内のあちこちを見て回った。<br>
 「夜にしか咲かない桜って言っても、さすがに夏には咲かないわよね……」とか、「夜道を女連れで出歩くのは杉山さんが出ないとしても危険だわ」とか、「アンティークショップって行ってみたいけど……月が綺麗な夜ってなんて限定されてるのよー」とか道中湊はさんざんぼやいていたが、いつどこでどのように起こるか正確にわからない不思議が多いのが優美にとってはまだ幸いだった。<br>
 霧生ヶ谷市は優美のよく知る地元や大学のある町と似ているようでどこか違った。時折見るマンホールに描かれているのもこの町に来て見慣れたキャラクターでどこかユーモラス。デフォルメされたイラストのキャラクターが描かれているのが優美にとっては新鮮だった。この町が他と違うように思えるのは、鷹城にはない路面電車や電車用の線路のある道路があちこちにあるからだし、それに加えてそこかしこに水路が流れているからだろう。<br>
 なにやら秘密があるらしいワニやカエルやカメを探してひたすら水路の側を歩いたのも、散歩としたら一応許せる。目的が果たせなかったことに湊は不満そうだったが、見慣れない光景は優美の好奇心を満足させた。<br>
 特に中央公園は綺麗に整備されていて、木陰が夏の暑さをゆるめてくれたことだし。<br>
 チョコレートのなる木とやらを求めて洋菓子屋に行ったのも、目的は正直どうかと思ったがチョコレートの精の友人だと噂されるパティシエが作ったとあって、買ったチョコレートは絶品だった。優美はそれを土に埋めてココアをやると育つなんてとても思えなかったが、あまりにおいしかったので実家に二十四個入りを一箱冷蔵で送ることにしたくらいだ。気が向けば妹が面白がってチョコレートの木とやらを育てようとするかもしれない。<br>
 夕方になってからは、夜な夜なピアノを弾く少女とピアニストを見に行こうと息巻いた湊だったが結局は宿から遠いということでそれを諦め、宿泊チケットの住所を頼りにやってきたのは霧生ヶ谷駅から歩いて五分ほどの不思議荘だった。<br>
 創業二百余年にしてこの名前はと呆れる優美とは対照的に、すでに不思議にかぶれていた湊はどんな不思議があるのかしらときょろきょろしている。<br>
 結局、目に見えて不思議なことはなにもなく名前だけの不思議荘だったけれど、サービスはまずまずだった。女の二人連れでも安心できる清潔感と丁寧な対応。部屋まで夕食を持ってくるような宿ではなかったが、食事は個室形式の別室に仲居が一品ずつ持ってきてくれる。話し好きの仲居が仕事の合間に湊の好奇心を十分に満足させてくれた上、食事のあともじっくりと話してくれているから、優美は一足先に部屋に戻り一人浴室でゆったりと一日の疲れを落とした。<br>
 障子と窓を開けて外を見ると緑の向こうにライトアップされた城が見える。仲居が湊に金のモロモロ伝説とやらを語っていたので、おそらく明日は城に向かうのだろう。仲居がどこかで聞いたような怪談をだめ押しで二つ三つ語っていたので間違いない。<br>
 美味しいものを食べてぐっすり寝たら彼女だって多少トーンダウンするはずだ。近くにある諸諸城を見て、あとはお土産を買えば十分旅行を楽しんだことになる。<br>
 湊が昼間からせっせとパンフレットに書き込んでいた不思議情報のうち、今日見たのは半分以下……その事実に優美はあえて気付かないふりをして、日中覗いた土産物屋の情景を思い出した。机の上にこれ見よがしにパンフレットが開いてあるのは単にしまい忘れだと自分に言い聞かせつつ、閉じて端っこに置く。<br>
 荷物になるからあまり買えないが、さてお土産は何にしよう――そう思いを巡らせながらなかなか戻ってこない湊を待たずに優美は先に布団に潜り込んだ。<br>
 霧の月に蛙煎餅、霧生ヶ谷うどんパイにモロモロール、ベタなものからよそでは見ない名産品を使ったものまで多種多様。今日ちらりと覗いた中で一番目を引いたのは、日本中の杉山さんが同じ名前であることを後悔しそうな杉山さんグッズだ。<br>
 ポップには噂で聞いた通りの白髪白衣の老人がコミカルに描かれたイラストに吹き出しで「買わなきゃダメじゃなーい!」と描かれ、その下に様々なグッズが並んでいる。饅頭はお腹に入れたら忘れれば済むが、キーホルダーはボタンを押すと耳障りな声で「駄目じゃなーい」とか「ヒヒヒ」とか叫ぶので、形が残る上に忘れられない思い出になりそうだ。まあ、グッズよりも食べ物の方が家族は喜ぶだろうから買う気はないのだが。<br>
 父と祖父には何かお酒でも買えばいいだろう。付喪神百年午睡に霧の竜殺し、河童の溺れ水に酒都の霧、土産物屋に並ぶ日本酒の数々を見てもさっぱりわからないが、小さいもの一瓶なら当たりでも外れでも一晩で飲み尽くすに違いない。<br>
 翌朝、数ある不思議をそっちのけに仲居が語ったできのいい恋愛成就の神様の体験談を信じ、湊が実在も危うい神様を求めて報われない暴走することなんて想像もせずに、優美はいつの間にか心地よい眠りに落ちた。<br></font></p>
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