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蕎麦屋の蝗三十五 - (2008/01/22 (火) 21:00:49) のソース

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<p><u>蕎麦屋の蝗三十五</u> 作者:清水光</p>
<p>「蝗君ッ! モロウィンだ、モロウィンなんだ! 早急にヤツラを見つけだせ!」<br>
 十一時過ぎ昼食前の散歩がてらに、編集部へと顔を出したら、とんだ歓迎を受ける羽目になった。つつしみなんてカケラも知らないダミ声が、俺の体を打ちのめす。ついでにその中年親父の口からツバが、孤を描いては俺に向かって飛んで来る。よけたはよけたが、まったく汚いことこの上ない。<br>
 蝗ってのはこの俺の名字。変わっているとはよく言われる。俺が、じゃない。名前が変わっているだけだ。何代か前、この名字を決めた先祖は、それはもうとち狂ったやつだったに違いない。その奇人変人生み出しまくりの血統は、俺こと蝗三十五に至ってようやく、ごくごく薄められた。ただし、この俺が血筋に対してまともすぎる反動のせいだろう、かわりに俺の周りには変な人ばかりが集まってくる。<br>
 霧生ヶ谷在住変な人代表、カンフル編集長。丸々ふとった体に、丸々っとした頭をのっけた、マンガみたいなおっさん。生命力がだだ漏れして、顔面なんかもうてかてかに脂ぎっている。スチール扉を開けて縦に広がる編集部の、一番奥の席にでっしりと構える。なぜかやたらと血走った目で、俺のほうを睨んでいる。心臓に悪い。<br>
 考えたくはないがあの人はまた、不穏なことを言っていた気がしてならない。モロウィンとかなんとか……。幻聴ならいいのに。だったら俺はこのまま踵を返して、病院を訪れよう。自身の精神が病んでるのだと、認めることになったとしても、俺は平和に暮らしたい。暖かな午睡とかそうゆうのを楽しみたいんだ!<br>
「モロウィンを知っているな? 知らないわけがないだろう? あのモロウィンだ、あのだぞ?」<br>
「ええと、あのというと平和裏に静かにモロモロを愛するという、あの?」<br>
「そんなわけがなかろう! ヤツラだ! 今日も今日とて覆面かぶった過激なヤツラ!」<br>
 いつもいつも小さな希望は、あっさりと崩れ去る運命にある。モロウィン過激派――霧生ヶ谷で暮らしていて知らない人間はまずいない。全身タイツにモログルミ、かててくわえて蝶マスク。いったいそれはどうゆうコンセプトなんだ! と問い詰めたい。でも実際に関わろうとする馬鹿はそうそういない。俺の頭の中にある関わりたくない集団リストでも、上位のほうにランクインするツワモノども。<br>
「わかったか蝗君、過激派だ。モロウィン過激派を草の根分けても見つけ出せ!」<br>
「はあ、また今日はどうゆう病気なんです、編集長? もとい、何を考えているんですか?」<br>
「モロウィン独占密着取材を敢行せよ! 月刊霧生ヶ谷万歳!来月号の巻頭特集はこいつで決まりだ!」<br>
 君は月刊霧生ヶ谷万歳!を知らないに違いない。知ってるわけがない。簡単に説明する。月刊霧生ヶ谷万歳!は、種々雑多情報ごっちゃ煮系、霧生ヶ谷近接密着型月刊誌だ。毎月一日に発行している。霧生ヶ谷新聞というのがあるが、あれとはまったく別。こっちはあっちのスキマを狙って、なんとかかんとかやっている。そしてこの場所こそが夢の一大プラント、月刊霧生ヶ谷万歳!編集部なのだ。所属はたったの三人きり。俺は編集者にして記者にして、自分で写真を撮ってるからカメラマンにして、配達もやってるから運送業者にして、とにかくなんでもこなすハイパーな人材だ。<br>
「何をぐずぐずしておるか! 今こうしている間にも、モロウィンは街のどこかで不埒な行為をつづけておる。至急、現場に急行せよ!」<br>
 げんなりとしかしてくれない体に鞭打ち、俺は入ってきたばかりの扉をくぐる。雑居ビルの廊下を歩き、とぼとぼと階段を降りてゆく。コンクリート打ちの床が、無意味に反響を繰り返す。なんとなくわびしい気持ちがする。足音に混じって聞こえてきた声が、追い討ちをかけてくれる。今日も今日とて編集長は編集長だ。<br>
「がんがらがっきーんと一発、ぶっぱなしてやろうじゃないか! がははははのはは」<br>
 バスに乗って一路北区へ。そこにいけばモロウィンに会えるとか、そんなうまい話はない。いやモロウィンにでくわすのが、うまい話なのかどうかはさておき。憂鬱前の腹ごしらえ。食わなきゃやっていられない。うどんロードを渡り歩き、馴染みの店、銀河系一霧生ヶ谷饂飩へとたどりつく。カウンター席に座り込んだ。<br>
「なんで俺、この街に住んでんだろう?」<br>
 俺はここ霧生ヶ谷の生まれじゃない。近くの大学に入学したからやってきたというだけ。はじめはそれだけの理由。それがあれよあれよと転がって、気づいてみたら霧生ヶ谷で職を得て、そしてそのまま居ついていた。ツユを碗へとよそぎながら、整えられた髭の影で、店主はふっと笑った。ダンディーな笑みが妙に似合う。この人は冴えないうどん屋より、寂れたバーのマスターのほうがよっぽど向いている。<br>
「あんたの場合は霧生ヶ谷というより、就職先に問題があるんじゃないのかい?」<br>
「親切な忠告をありがとう。ついでに新しい職場を見つけてくれると、助かるけどな」<br>
「気持ちはよくわかるが、申し訳ない。その名のとおり銀河系一! うちは店員の募集はしてないよ」<br>
 わかっちゃいねえ、まるでわかっちゃいねえよ、あんたは。俺はうどん屋になりたいなどと一度も口にしたことはないし、思ったことすらない。なんでこう自分に都合のいいように解釈をねじまけていくのか? ぽんと出されたモロ天うどん。生粋の霧生ヶ谷っ子でない俺には、べったべたの郷土料理は厳しい。尻込みしてしまう。衣をがしがし噛み砕いては、ずるずるうどんをすすりあげた。<br>
 腹の中が満たされる。これでいくらか人心地がついた。今日がダメでも、明日はいい日だ。今日はダメだもうあきらめるとして、でもきっと明日はいいことがあるから。いつもどおりの代金を、碗の横に乱雑に置く。さて仕事なんだが、どうしたものか? 俺という超霧生ヶ谷級の敏腕記者をもってしても、モロウィンの尻尾はつかめない。気まぐれに、素人意見を尋ねてみた。<br>
「おっちゃん、モロウィンの居場所、知ってっか?」<br>
「過激派のヤツラなら、あそこの店を狙ってるって話だなあ。みはってりゃ、そのうち出くわすんじゃないか?」<br>
 うどん屋ひしめく商店街唯一の蕎麦屋の前に、俺は立っている。そこの店名は水路。霧生ヶ谷蕎麦水路に、モロウィンが出現したという情報は、某うどん屋店主から手に入れた。それにしてものっけから、こんな重大情報を手に入れるとは、俺はどんだけすごいんだ? 優良情報のほうから俺によってくる。某うどん屋店主が情報通であったからでは、決してない、絶対に違う。<br>
 中に入って待つわけにはいかない。類稀なる俺のジャーナリストオーラが、モロウィンをも萎縮させる。ひっそりと影にしのんで、待ちつづけねばならない。昼飯前だったなら、あんぱんと牛乳を用意したところ。今日のところは必要ない。夕飯前には帰るつもりだから。そんなに俺が待ってやる義理はない。<br>
 退屈しのぎに、とうの蕎麦屋を観察していた。外観はなかなかいい。近頃改装したらしいが、古い時代の味わいも残されている。綺麗に磨かれた分、その妙味が映える。古さと新しさとが競合せず、互いを高めあい、調和している。伝統が過去に縛られず、現在に花開く。店外にはかすかに蕎麦が香る。昼飯直後でなければ、食欲をそそられたことだろう。それこそが俺を陥れる罠であり、致命的な油断を誘ったのだ。<br>
 薄く、それでいて鋭利な殺気が、あたりに漂っていた。ただものではない。俺の本能がそう告げる。振り返る。どこにいる? 姿が見えない。依然として裂帛の気合は、俺の神経を軋ませる。落ち着くんだ、蝗。モロウィンが来たのか? なに、やつらなどおそるるに足りぬ。真の敵はそのようなものではない。心の眼で見据えろ。考えろ、感じるんじゃない――違う、逆だ。ふっと落とした視線の先に、そいつは轟然と構えていた。<br>
 緑色をしたプレートが首の下で揺れる。それ以外の見た目は、なんということのないただの黒猫。だが内面からにじみでるものは、凡百の猫をはるかに超越している。細い眼がきゅっと光った。次の瞬間、黒猫は空を跳んでいた。地を蹴り、俺に向かって一直線に。曲々しい爪先が振るわれる。結果はさらに一瞬あと、頬に走った痛みが雄弁に物語っていた。<br>
 という以上が、だいたい後になってから、考えてわかったことである。実際はなんかぼうっとしていたら、目の前を黒いものがよぎっていって、遅れて顔が痛くなり、ぎゃあああと叫んで腰をぬかした次第。いやいやだって、俺、格闘家とかそんなんじゃないから。期待されても無理ですから。まずったなとは、とっさに思った。俺の声を聞きつけ、勢いよく引き戸が開かれる。<br>
「どうしたんだ、ブラ――じゃなかった、クロ!」<br>
 のれんをくぐって現れたのは、それなりに精悍な顔つきをした青年だ。二枚目半。一歩間違えれば二枚目なのに、逆のほうに間違えている。むくわれないというか、うまくいかないというか。いやこいつが悪いんじゃないんだ、世間が悪いんだよ。いいヤツなんだろうけど、きっといまいちなんだろう、色々と人生とか。<br>
 そんな二枚目半は、蕎麦屋の店員というのが妥当。今は呑気に鳴いてる黒猫は、ここの飼い猫みたいだ。あるいは番猫? どうしてか店員さんが俺のほうに向ける目は、冷たい。落ち着いて考えてみる。俺は今どういう格好をしている? 頬をおさえて、地面に座り込んでいる。通りすがりの被害者らしさに、プラス十ポイント。服装は? 何日も洗濯していないよれよれスーツに、ノーネクタイ。髪のほうも長い間、整えた覚えがない、ぐちゃぐちゃ。どう見ても怪しい不審者らしさに、プラス五百ポイント。つまりはそういうことか。<br>
 店員のじりじり視線攻撃は激しさを増してくる。そうなってくるとすごくあせるわけで、頭の中があわあわしてくる。通報されたらしゃれになんない。いや僕は不審者じゃないですヨ? まあ勝手に張り込みとかしてたけど。何かないものか? 俺の身分を証明するものが。ポケットに手を突っ込む。指先に紙の感質が触れる。慌てて俺はそいつを店員に差し出した。<br>
「ワタクシ、こうゆうものです!」<br>
 俺自身なんだか知らない紙片を、男は受け取ると眼を細める。なんだったか俺は思い出す、名刺だ。就職したとき、気まぐれに何枚か作った。心の中でひとり呟く。こんなこともあろうかと……ふふふふふ。どうも俺はそのときテンパっていた。余計なことを口走るのは必然だった。<br>
「月刊霧生ヶ谷万歳!編集部? 蝗三十五?」<br>
「そうそれ正解です。大正解。ザッツ、ライトォッ!」<br>
「なんすか、それ?」<br>
「知らないの、君? 近頃噂の地域密着型月刊誌といえばこれじゃないか! 大人気も大人気! うどんロードの店主連からそこらの小学生まで、みんな大好き、霧生ヶ谷万歳さ!」<br>
 もう自分でも何を言っているのか、ほとんどわかっていなかった。だのにうまくいったのは、やっぱり俺の分析どおりに、話を聞いている青年のほうも、ちょっとダメ波長だったからなんだろう。店員は名刺と俺の顔を見比べると、店内へと取って返す。店長! 外にいても聞こえてくる。店の前に、雑誌記者さんが来ています。どうも巷で話題の雑誌らしいです。きっと――! 余韻が響く。男の大きな声に対して、返事のほうは伝わってこない。中ではどうなっているのか? 今のうちに逃げるというのが得策か? 無理だ、黒猫がこっちを見ている。<br>
「どうぞこちらへ」<br>
 さっきと同じ店員が出てきて、俺を店内へと招きいれる。仕方がない、流れに身を任せよう。そうこうしているうちに、カウンター席に座らされる。台をへだてて一人の女性が、そこには立っていた。一目見て美人だと感じさせる。どことなく気品が溢れている。洋服よりも和服が似合いそうだ。ここの店長の奥さんか何かだろうか? ずいぶん若い。こちらはまだなにがなんだかわかっていないのに、彼女はゆっくりと頭を下げた。俺は自然と背筋を正す。<br>
「クロが迷惑をかけたようで、すみません」<br>
「いえ、とんでもございません! ワタクシがクロ君の気に触ることを、してしまったのでしょう。こちらこそ申し訳ありません」<br>
「申し遅れましたが、私は霧生ヶ谷蕎麦水路店主、水路志穂と申します」<br>
「自分はバイトの諸井翔です」<br>
「蝗さんは雑誌記者の方だそうですね、うちにどのようなご用件でしょうか?」<br>
 俺は自分に向けられた瞳に、最早退くことはかなわないと悟った。強迫観念というより、純粋な強さがそこにはあった。彼女は店主を名乗った。納得した。その凛とした佇まいに、俺はひきつけられる。もうどうにでもなっちまえ、毒を喰らえば皿までだ。さっと身なりを整えると、俺は静かに口を開いた。<br>
「こちらのお店を当雑誌にて、取材させていただけないでしょうか?」<br>
 そんな気はこれっぽっちもなかった。口からでまかせだ。でももうなんかそういう感じだったんだ。だって諸井店員の顔に、くっきり書いてある。そこを、俺はモロウィンの取材に来ました、ちょっとヤツラがやってくるまで、待たせてもらえませんかね? とは到底いえない。無理だ。店長さんは姿勢をなんら崩してないけど、諸井店員のほうはあからさまにガッツポーズしてるし。<br>
「お代はきちんと支払わせていただきますし、取材料も少ないながら出させていただきます。原稿は発行前に一度こちらのほうに持ってきますから」<br>
「わかりました」水路店長はゆるやかに頷く。<br>
「ここの蕎麦は絶品ですから!」諸井店員はこちらに握手まで求めてきた。<br>
 予感はしていた。でも同時に回避は不可能だということも感じ取っていた。もう一度言おう、俺はここの出身じゃないんだ。水路店長はすっと調理にとりかかる。あんまりディープな霧生ヶ谷メニューは、苦手なんだ。助けてくれ、俺は霧生ヶ谷生まれじゃない。いつのまにか例の黒猫が、入り口の前に座り込んでいる。退路を物理的にもふさがれた。だめだ。やめてくれ。あああ、モロモロのすり身でました! たっぷりと投入されます。香りのほうがこちらにも、ぷんぷん漂ってきますね。体が霧生ヶ谷に拒否反応を起こしている! 目の前に黒塗り碗がある。水路店長は暖かくて柔らかい、雪解けの微笑を浮かべていた。アーメン。<br>
 編集部に戻ったのは、結局夕方すぎだ。よろよろしながら、扉を押し開ける。いつもどおりに鳥ちゃん一人が、仕事をしている。俺は無言のまま倒れるように、椅子になだれこんだ。また珍奇なものに向ける視線で、正面の席から鳥ちゃんが見ている。ふふ、語ってやろう、今日という日の出来事を。カンフル編集長の無茶な命令からはじまって、銀河系一霧生ヶ谷饂飩を経由し、霧生ヶ谷蕎麦水路にいたりなにが起こったのか? 俺は一気にその結末までを語りつくしてやった。<br>
「んでさ、その最終的に食べた蕎麦っていうのがな――これがもうべらぼうにうまかった。モロモロと蕎麦とが渾然一体となって織り成す、ハーモニー。あの味はほかではどうやっても、味わえないものだ。替えがきかない。まさしく天下無双。いやほんともうあれは素晴らしいね。霧生ヶ谷の神髄ともいうべきだよ」<br>
「それはよかったですね。六ページほどでまとめておいてください。来月号の巻頭にもっていきましょう」<br>
「え、あ、うん。なにその理想的展開?」<br>
 鳥ちゃんは短く息を吐くと、積み重なった原稿の整理に戻る。都合がよすぎてどこかに穴があるとしか、俺には思えない。モロウィンを探しにいった先で、いやいや入った蕎麦屋のことが記事になるとは。できすぎている。ちょっと不安になってくる。なんかトゲみたいなものが、心の奥のほうにひっかかるというか。もしかしたら、俺は案外損な性格をしているのかもしれない。<br>
 蕎麦がうまいというのは、もともと理解していたことだった。ただ理性が、霧生ヶ谷テイストを拒む。うまいものはそんなものを飛び越えて、いつだってうまい。えーとまあその論理でいくと、いいことというのはどうあってもいいことなんだから、喜んどけばいいということになる。ならやっぱり素直にひゃっほう! 今月はもう、ざっと記事をまとめりゃいいんだから。さくっと書き上げてしまえばいい。もしかしなくても、俺はわりと得な性格をしているのかもしれない。どうでもいいさ、今日はいい日だ。明日も明後日も、多分。</p>
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