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白日邂逅。あるいは、これで勘弁してくれない? - (2008/03/29 (土) 19:32:37) のソース

<div style="line-height:2em;" align="left">白日邂逅。あるいは、これで勘弁してくれない?:しょう
<p> 休日、祝日の何がいいって、時間を気にせず寝倒せるってことに尽きる訳だ。<br />
 特にここの所、文華の機嫌が最悪に悪くて、連日連夜悪夢のオンパレードだったんで尚更だ。原因はといえば、これがまたどうしようもないくらいに明白で、およそ一ヶ月前の二月十四日に何の因果か受け取る破目になった一つのチョコレートだ。断っておけば、それは一個十円のチョコレートで、義理どころか偽装の意味しか持っていない単純極まりない正真正銘ただのチョコレートだった、筈な訳だ。なのに、文華の奴ひたすら機嫌が悪くなって、こっちの言い分なんざ欠片も聞いてくれないどころか、嫌がらせなのか腹いせなのかホラー映画だの恐怖映像集だのを借りてきて、止めときゃいいのに観る訳だ。で、俺は悪夢改変に走り回る破目になったと。<br />
 その意味じゃ、これほど十円のチョコレートが恨めしく思ったこともなかった。よっぽど憂さ晴らしに送り主の美樹本春奈の夢で暴れてやろうかと思ったりもしたが、確実に後で酷い目に会うのが分かっているんで止めた。ついでにもう1人の原因の南高最強の勘違い馬鹿、布施稔への八つ当たりも考えたが、こちらも正直面倒なんで、止めた。まず夢を探すのが大変だし、見つけても布施稔の場合、何を見せた所でポジティブに捉えてこちらの方がダメージを受けかねない。<br />
 そういう訳で、悪夢を狩りに奔走したというか、現在進行形で奔走中。もっとも、中には本当に悪夢かと首を捻りたくなるようなものもあったんだが。例えば、唐突に浮かび上がる擬人化されたモロモロの顔とか、枕元に立つモロモロとかはどちらかと言えば笑い話に分類するべきなんじゃないだろうか。厄介な事に変わりはないんだけど。今朝も結局なんだかんだで、再び黄泉還った枢六禍衆の面々とチャンチャンバラバラ活劇を繰り広げる破目に陥ったし。しかし、あれはどちらかというとホラーというより本当に文字通り活劇のような気がする。文華主演、俺助演、そのほか色々という感じの……。まあ、約束なんでとにかく駆けつける訳なんだけどさ。<br />
 それでも、いい加減限界が近かったりするんで、ゆっくり休めるのは非常にありがたい。とか言いながら、十時前にはのそのそベッドから抜け出してテレビの前に陣取っていたりする訳だ。<br />
 画面の中では機甲天使が光刃剣を手に『エニグマ』を蹴散らしている。『機甲天使』文字通り装甲に覆われ、鋼の翼を持った天使のことで、『霧幻戦士ミスティエンジェル』のヒロインが変幻、所謂変身する姿だったりする。脚本家の親父が関わっている特撮番組で、結構人気があるらしく、四シリーズ目を数える。<br />
 元々魔女っ子モノとして企画されたらしいのだが、紆余曲折を経て今のフォーマットに収まった。なので、ぬいぐるみに降臨した天の御使いのマスコットがいたり、変身するのが普通の女の子だったりとか微妙に魔女っ子モノの定番を守りつつ、人の心の隙間に憑依する化け物『エニグマ』を浄化する為に格闘を演じたり、街が破壊されたりと特撮のエッセンスが入り混じって妙にアンバランスな番組に仕上がっている。そのアンバランスさが受けたらしいのだから、世の中良く分からない。<br />
 まあ、インタビューなんかだと『定石に風穴を開けたかった』みたいな格好の良い事を言っていたりする訳だが、本当のところを知っている身としては苦笑を禁じえない訳だ。なんせ、家に集まってへべれけに酔っ払ったスタッフ連中が、『実写で魔女っ子モノなんか痛々しくてやってられるかぁ』とか叫んでいたものなぁ。当然のように他言無用を言い渡されている。それとは関係無に、おれ自身結構気に入っていて、起きられる限りはこうやって視聴している訳である。そろそろストーリーも山場で、敵の一人の正体がかつて機甲天使だった女性だと判明した所だ。次回予告を見る限り、それに関連してパワーアップするらしい。来週起きられたらまた観る事にしよう。<br />
 さて、二度寝でもしようかとテレビを消したら、親父が顔を見せた。珍しい事もあるモノだ。この時間には大抵打ち合わせとかで家を出ているというのに。やな予感がひしひしする。<br />
「なあ、夢人。ひとっ走り九十九酒造まで行って付喪神百年午睡買ってきてくれ」<br />
 どうやら原稿に詰まっているらしい。何故なのか良く分からないが、親父は原稿が進まなくなると一杯引っ掛ける。そうするとなんか色々降りて来るそうだ。何処まで本気なのか知らないが、『霧幻戦士』のアイデアが出てきた時も、飲んでいたからまったく根拠がない訳ではないんだろう。俺は呑まないから知らないけど。<br />
 しかし、だからって、高校生に買いに行かせるなっての。<br />
「お袋は?」<br />
「町内会の旅行だ。昨日言っただろう」<br />
 言われてみれば、聞いたような気もする。大分、眠くてうろが来ていたから記憶がかなり曖昧だ。<br />
「だったら自分で言ってきたらどうなのさ」<br />
「一口飲んだからな、もう出かけられん。知っているか、自転車だって飲酒運転が適用されるんだぞ」<br />
「それは知ってる。だったら、朝っぱらから飲まなきゃいいだろ」<br />
 親父の顔を見ながら思わず溜息が出た。<br />
 なんだろう、異様に若く見えるんだよな、親父って。どう見ても精々二十代後半にしか見えないし。お袋も大概若く見えるけど、親父ほどじゃない。あんまり若く見られるからって似合いもしない髭を生やし始めたもんだから、お袋には不評のようだ。当たり前だよな、髭が生えた夢魔なんて聞いた事がない。まあ、そもそも若く見えるのが夢魔だったからなのかどうかも分からないんだけど、仮にそうだとしたら、俺にはどんな風に遺伝しているんだろうね。願わくば、この女顔が遺伝でない事を祈る。このまま変わらなかったら俺本気で泣くぜ、まったく。<br />
 そんな感じにのらりくらりと話題をずらしてとか考えていたら、いきなり親父の奴ネタバレを始めやがった。<br />
「実は裏切りの戦士というのが第二シリーズに出ていた……」<br />
 あーあーあー、聞こえねぇ。聞きたくねぇって言うか、そういう社外秘的な守秘義務の生じるような情報を軽々しく口にすんな、親父。具体的には、ネタバレ禁止!<br />
「で、結局買い出しに走らされていると」<br />
 ぶつぶつ言っても九十九酒造が勝手に寄って来てくれる訳もなく、自転車のペダルを漕ぐスピードを緩められる筈もない。もっとも、外の風に当たるのも悪くはないし、大分多めに残る予定の釣銭は、シュネーケネギン限定で自由に使用が許可されている。ひょっとして、その為に使いっ走りをさせられたんだろうか? 一応用意はしてあるんだけどなぁ。<br />
 可能性としては、その線が五割、偶々が七割、親父が自分で食べたいだけが六割というところだろう。余裕で十割突破しているが、本人曰く確率に囚われない男らしいので良いという事にしておく。<br />
 まあ、シュネーケネギンのチョコクッキーは文華の好きなもの上位五位に入るから買っておいてもなんら問題はないだろう。寧ろ、今の現状を考えると買っておいたほうが無難かもしれない。北区に行ったあと、東区経由で帰ることになるから距離的にはとんでもない事になるが、酒瓶担いで路面電車に乗ることを考えればまだ楽だろうし、適度な運動は充実した睡眠を与えてくれるそうだし。ここの所、そういうのとは本当に縁遠いけどね。そんな感じに散策気分でのんびり遠乗りと洒落込むことにした。<br />
*<br />
 んだが、それがどうして、こうなっているんだろうか?<br />
 まず、空気が辛い。呼吸するだけで舌や喉がヒリヒリしてくる。次に、視界が赤い。俺の前にはお冷しか置かれていないけれど、向かいに座っている相席者の前には丼に入った真っ赤なうどんが存在感を存分に発散して下さっている。辛いものがまるっきり駄目な俺としては今すぐ席を立ち全面的に即時撤退を遂行したいところだ。そういう訳にもいかないんだけど……。<br />
 ズズズッと相席者が真っ赤に染まったうどんを啜る。うん、音を立てて麺類を食べるのは正しいと思う。が、その十分以上に真紅に染まったうどんに更に七味唐辛子散布するってのはどういう了見だ。俺もう本気で寒気さえしてきたぞ、おい。とっとと本題に入ってくれ、頼む。<br />
 俺の願いが通じたのか、汁の一滴まですっかり飲み干した相席者は涼しい顔のままでこちらを見た。汗一つ掻いていない様は既に人間じゃないが、『御代わり』とか抜かしてくれると色々なものを超越していると思いたくなるのだけど、どうだろう。<br />
「やっぱり極辛は美味しいね。君も食べればいいのに」<br />
「冗談。そいつは煉獄の業火で調理して、常世のスパイスで味を調えた一見さんお断りの隠しメニュー。口にしたが最後、文字通り辛苦に染まるうどんだぜ。俺なんかが食べたら一口食べる前にぶっ倒れるっての」<br />
「それは残念。けどそれを見るのも面白いかな?」<br />
「な訳あるか。寝言は寝てから言ってくれ」<br />
 頼むから、くれぐれも俺は巻き込まないでくれよ。<br />
「つれない事を言うね」と続ける年上の優男に冗談じゃないと返す。まるでイヌ科の肉食獣みたいな笑顔が浮かんでいたのはあえて無視しよう。こいつは世界からズレた存在なのだから、何処か変わっていたとしても仕様がない。ああ、そうだ。こいつ、サトルと名乗った背の高い優男もまた柚木一葉と同じ自称吸血鬼なのだった。<br />
 俺とサトルの間に面識はなかったはずなのだが、九十九酒造へ急ぐ俺の目の前に突然飛び出てきて、片手で自転車を止めやがった。結構なスピードが出ていたにも関わらず、生じた衝撃をほぼ全てやんわりと受け止めた。そんな真似ができるとしたらそれは確実に普通の人間じゃない。で、開口一番。<br />
「やあ、守屋夢人君、だよね。僕はサトル。久しぶり」<br />
 ときた。<br />
「だれ?」<br />
「酷いなぁ、祭の時に春名ちゃんたちと一緒に顔を合わしたっていうのに」<br />
 ちょっと待て、あの時いたのは美樹本信也と鬼と悪魔だけだったような……。いや、でも。<br />
「ああ、いたかもしれない?」<br />
「あははは、話に聞いた通りだね。うん、丁度いい。一度君とゆっくり話してみたいと思っていたんだ」<br />
 何が楽しいのか、ニコニコしている。なのに、怖いと感じるのは纏っている雰囲気が俺の知っているある人物と酷く似通っているからだ。何より、いまだ自転車は止められた時と同じ状態で後輪が浮いたまま微動だしない。<br />
「いや、俺のほうはそんなつもりはサラサラないし。出来ればそのまま手を離して俺を解放してくれるととっても嬉しい」<br />
「つれないねぇ。折角誘っているんだから付き合ってよ」<br />
「だからそんな義理ないし」<br />
「そうでもないんだけどね」<br />
 サトルがニヤッと笑った。唇が捲りあがる位に凄絶に。不自然なくらいに鋭く長い犬歯が垣間見える。それで察した。ここまでヒントを出されて察せない方がどうかしている。つまり。<br />
「アンタも自称吸血鬼か」<br />
「そういう事。だから縁がないという訳でもないんだよ。君の事は一葉ちゃんから色々聞いているからね」<br />
「そりゃ、どうも。一体何を吹き込まれたかは知らないけれど、俺は人畜無害な半夢魔なんでね。役に立てるとは思えないけど」<br />
「北区の方にいい店があるんだ。そこでお茶でもどう?」<br />
「聞けよ、人の話」<br />
「じゃ、行こうか。色々聞きたいこともたくさんあるんだよ」<br />
 ブレーキを目一杯かけているってのに涼しい顔で引き摺られていく。<br />
「分かった、付き合えばいいんだろ付き合えば。だから手を離せっての」<br />
「それは十全。それじゃさ、後ろに乗せてもらってもいいかな。流石に日中、出歩くとシンドくてね」<br />
 ……だったら昼間に出歩くなよ、自称吸血鬼。<br />
 という感じで今に至る。いい店ってのが『辛亭』だって分かってたら絶対に来なかったけどね。<br />
 で、本気で本題に入ってほしい訳なんだけど。サトルの野郎は、配膳された二杯目に挑みかかっていたりする訳だ……。<br />
「なんでお茶の一杯が、うどんになるんだ?」<br />
「そりゃあ決まっているじゃないか。霧生ヶ谷の住人ならうどんだろう。そしてうどんと言えば辛亭だ」<br />
 部分的には賛同できるけど、後半は確実に賛同しかねる。寧ろかなり偏ってるんじゃないかそれは。<br />
「こうやって一緒に食事をするという行為は、親愛の情の表現としては最上に位置すると思うのだけど」<br />
「うどんも辛亭も関係ないってそれ。与太話するだけだったら俺帰るよ、用事も立て込んでるから」<br />
「おお」という感じで、サトルが箸を置いた。名残惜しそうに時々視線が極辛に落ちているが。傍から見ているとかなり挙動不審だ。<br />
「食い終わるまで待ってるから、食うか喋るかどちらかにして下さい。なんか視線が痛いから」<br />
 半分は俺の所為だろうけどさ。わざわざ辛亭まで来て何も注文しないってのも珍しいだろうし。<br />
「そうだね」<br />
 どちらに対する同意かは考えないことにしておく訳だ。精神衛生上も。<br />
「さてと、そろそろ本題に入ろうか。君は『彼女』のことをどう思う?」<br />
 また随分曖昧な。『彼女』って誰だよと感想を抱きつつも、共通認識する『彼女』を推測し返答する。<br />
「正直に言えば、怖い、ね。性格がとか、能力がというレベルじゃなくて、その本質としての生き方が何より怖い。自分って殻は内側には無限だけど、外に向けては脆くて弱い有限だ。他から余計なものを抱え込めば容易く限界を迎えて破壊される。それを変化といえば格好はつくけど、本質的にそれは自分の崩壊だよ。そんなもの一生に一度あるかないか、それで十分過ぎるような出来事だ。だというのに、目一杯以上に抱え込んでいるのに、崩壊もせずかといって抱え込んだものを切り捨てるでもない。それどころか抱え込んだ様々なものが一つの方向性を持って纏まっている。あれは引っ付いているなんてもんじゃない。溶けて混じって融合したキメラみたいなもんだ。核にある想いが純粋なだけに、余計に異形だよ。純粋に過ぎるものは綺麗だけど、異常なんだよ。純度百%の酸素は何もかもを酸化させるし、食塩だって純粋な塩化ナトリウムはただしょっぱいだけで口に出来たものじゃないだろ。他の微量なミネラルが混じる事で旨味を感じるのさ。ここのうどんだってそうさ。かつてのただ辛さだけを追い求めたそれは、あまりに異常で常軌を逸していたが故に二度と作らないとレシピごと封印されたんだから」<br />
「ちょ、ちょっと待ってくれないかな」<br />
「なに?」<br />
 そこで初めて、サトルの表情が微妙に色々なものが入り混じっているのに気がついた。具体的には基本の笑顔に、好奇心とそれを必死に抑えている自制心、それから若干の苛立ちというところか。実際には他にも色々あるのだろうけれど俺にわかるのはこの程度だ。<br />
「柚木一葉の事なんじゃないの? アンタもてっきり自分探しをしているクチかと思ったんだけど」<br />
「君からすると『彼女』という表現はそういう認識になるわけか。まいったね、意図もしていなかったのにミスリードに引っ掛ける事になるなんて。これじゃ、春名ちゃんのことを笑えない」<br />
 今度は明らかに困惑の表情をサトルは作り、「いろいろ興味深い話ではあるんだけどね」と前置いて、それからまったく違う方向、明後日どころか明々後日位の方向へ話題をブッ飛ばした。<br />
「君はチョコレートを誰に貰った?」<br />
 はっきり言って話のつながりはまったく理解できないままに、条件反射的に機械的に答えていた。この辺り、同級生の鬼と、一つ上の悪魔に色々脅された所為に違いない。絶対にそうだ。<br />
「文華に、部長に美樹本春奈……」<br />
 途端、爪先から脳天まで突き抜けて全身の毛が総毛立つ程の殺気というか、プレッシャーが来た。サトルの顔は相変わらずのニコニコ顔が張り付いているが絶対にアレはコイツのだ。無事だったからいい様なものの、普通に人間だったら良くて不整脈、下手すりゃ心肺停止だぞ。まあ、お陰で色々繋がったからいいけどさ。ヴァレンタイン当日に美樹本春奈がこの店に入っていったって噂、本当だったんだなぁ。<br />
 思わず深い溜息が出た。最近増えたよな、溜息……。<br />
「何をどう誤解しているのかは知らないけれど、俺は美樹本春奈とは何にも関係ないよ」<br />
 学校で顔会わすのも怖いから、避けているってのに、ってのはただの愚痴か?<br />
「だけど、気合の入った包みのチョコを貰ったんだろう?」<br />
 頭痛がした。それも盛大に。ついでに脳裏には悪魔の角と尻尾が生えた無表情の長髪美人の姿が見え隠れした。誰に聞いたか知らないけれど、いや、大体想像がつくだけに余計に、あー本気で頭いてぇ。<br />
「アンタが聞いた話は、一番重要な部分がスッポリと、文字通り丸ごとごっそり意図的に削除されているんだけど? その辺りどう思う。聞きたいなら補足説明ってことでキッチリガッチリ余さず話すけど?」<br />
 答えは言わずもがなだったんで、およそ一ヶ月前、要はヴァレンタイン・ディ前後からの俺が巻き込まれた碌でもない状況を粗方告げた。まあ、流石にその所為で被っている被害は黙っていたが。そもそもあれは俺の方の都合だしなぁ。<br />
「そー言う訳だから、俺が渡されたのは見掛けだけの十円チョコだよ。納得してくれたんならとっても嬉しいけど、どう? って何笑いを堪えているのさ」<br />
 そう、話が終わると同時にサトルは俯き加減で肩を震わせていた。時折洩れ聞こえてくるのは、く、だの、ふ、だの、ひ、だのと噛み殺し損ねた笑い声で、下を向いているから見えないがきっと中々に愉快な表情になっているに違いなかった。<br />
「いやー、もう笑うしかどうしようもないって感じかな。どうも柄にもなく浮かれ過ぎていたみたいだ。君には悪いことをしたね」<br />
「なんにせよ納得してくれたってんならそれでいいけどね。ついでにどうでもいい事かも知れないけど、かなり素の様に思うけど? その性格」<br />
「さあ、どうだろうね。しかし、春奈ちゃんらしいなぁ。ますます惚れそうだ」<br />
「へいへい、ま、なんか喜びそうな物でもお返しに送ってあげて下さい」<br />
「それなんだけど、君は何がいいと思う?」<br />
「知らないって。俺は基本無関係なんだから。あー、でも、メリケンサックなんか喜ぶかもしれないなぁ」<br />
 なんせ、自称前衛的美少女だしって、どうしてそこで目を輝かせながら身を乗り出しますか。<br />
「どこで買えるかな?」<br />
 うっかり口にしそうになった『おもちゃのモロモロ』なら置いているんじゃないか』の科白を飲み込んで、止めてやる。<br />
「止めとけっての、冗談なんだから。そんなん送ったら本気で殴殺されるよ?」<br />
 で、その後に撲殺されるのは多分俺ね。甚大な被害が容易く予想されるから絶対に実行しないように。<br />
「最悪、自分にリボンでもつけてプレゼントだって言い張るんだね」<br />
 どこのギャグマンがか知らないけどさ。いい加減切り上げたかったんで適当言ったら真面目に頷かれた。<br />
「それは一考に値するね」<br />
 いや、絶対に値しないから。その場合も多分後で俺の方に被害が飛び火するから勘弁して。そんな感じで、どうして話をしているだけでこんなに疲れるんだか。とにかく早くこんなコントじみたやり取りにケリをつけたいというのが先に来ていた。だから、うっかりなんだよなぁ。<br />
 懸案事項が解消して好奇心の赴くままに動けるようになった自由気侭な自称吸血鬼の口元にそれまでと違う笑みが浮かんでいたのに気付かなかったのも、その後に続いた問いかけに素直に色々答えちまったのも。ああ、本当にどうにかならないのか。この碌でもない時に限って口が滑るというかうっかりをやらかす癖は。既に起きてしまった事はどうしようもないとは言え、そろそろ何らかの対策を講じないとそのうち『うっかり』で命をなくしましたとかいう事になりそうで本気で怖い。実際、これの所為で鬼と悪魔に面識が出来てしまった訳だし……。<br />
「一つ気になってることがあるんだけどいいかな」<br />
「どうぞ、俺が分かる範囲でよければね。もうとっとと全部終わらせてくれ。俺がアンタに聞きたい事はないんだから」<br />
「ありがとう。うん、ついさっきの事なんだけど、封印されたレシピがとか言っていたよね、あれはどういう事なのかな」<br />
「ああ、あれは言葉通りの意味だよ。ここの店主が昔作った文字通り、ただ辛い、それだけのうどん。アンタが今食べているソレはある意味辛味と旨味の調和が取れていると言えるけど、アレはソレとは正反対の辛苦に辛苦を重ねて辛さだけを追求した純粋極まりない、呪われた代物さ。名前は確か『禁・極辛』だったな」<br />
「随分と詳しいね」<br />
「昔ちょっとね」<br />
 正直喋り過ぎた。だからもうここで話を切り上げたいと思った訳だ。<br />
「もういいだろ。それじゃ失礼」<br />
 何も頼んじゃいないからそのまま席を立つ。じゃ、と片手を上げて背を向けた。呼び止められても振り返るつもりなんざ更々なかった。故にその言葉は、冷静さを剥ぎ取り、うろたえさせてくれるには十分に過ぎる程はっきり言って不意打ちであった訳だ。<br />
「なるほど。いつからいつまでか、は分からないけど、辛亭の店主の記憶が君の中にあるって事だ。いや、一人だけじゃなく、もっと大勢の人間の記憶が、と言うべきなのかな」<br />
 それは、俺が半夢魔だと知っている文華にだって言っていない俺自身の他には親父しか知らない事だ。守屋夢人にとって出来るならば思い出したくない過ちの一つだ。そんなものを提示されたら振り向かざるを得ない。ニコニコした笑顔で手招きしているサトルの前に再び座る。せめてもの抵抗にワザと乱暴に椅子を引き不機嫌であると主張する。<br />
「それで、どうするつもりだよ」<br />
「どうって。どうもしないよ。ただ確認したかっただけ。だから、ほら。一葉ちゃんが興味を持つなんてよっぽどだからね、色々推測をしてた訳だよ」<br />
「俺の魂喰らうんじゃないのかよ」<br />
「それこそ、真逆、だよ。僕は、一葉ちゃんみたいな規格外の生き方は目指していないからね。さしあたっては暫く楽しく過ごせればいいのさ」<br />
 柚木一葉が俺に興味を持っている? 何の冗談なんだか、基本的に俺は玩ばれているだけだと思うけどね。それよりも。<br />
「随分刹那的だな、アンタ」<br />
「そりゃあ、密度が違うんだから仕様がない。人間とまったく同じ生き方をしていたらこっちが壊れてしまうさ。尤も、そんな無謀な試みを本気で実践している娘もいるみたいだけど」<br />
 ともすれば揶揄しているようにも聞こえる言い方だったが、そこに何かしら憬れじみたものを感じたような気がするのはそれこそ気のせいだろうか? まあ、わざわざ本人に確認する気にもならないので、気のせいって事にしておくが。<br />
「ああ、そうかもね。だけど、それはそれで悪くないと思うけど」<br />
「ははは、本当に想像通りだね」<br />
 想像ね……。<br />
「想像だけにしてはあまりに的確過ぎだって俺は苦情を言いたい所なんだけど」<br />
「そうでもないんだけどね。判断材料は意外に沢山あった訳だし。最初に言った筈だよ。『一葉ちゃんに色々聞いているよ』って。君は、自分で思っている以上に色々な事を口にしているって事だ」<br />
 言われてみればそうかもしれない、でもそれにした所で。<br />
「確かにそれだけだと不十分だったけどね。ここでの会話が色々補完してくれた。辛亭の主人に詳しすぎる事とかね。そもそも辛いのが駄目だって言っているのに、常連でも知らないような事を知っているって時点で色々暴露しているようなものだよ」<br />
 つまりまたやっちまったって訳ね。後悔しても反省が足りないと言うべきなのか、それとも最早諦めろという事なのか、どちらにした所で今はもう後の祭りという訳だ。<br />
「色々勉強になったよ。ありがとうって言うべきなのかな?」<br />
「いやいやそんな事はいいから。勉強になったと思うのなら、授業料代わりに一つ僕のお願いを聞いてくれるかな?」<br />
「ものによる」<br />
 少なくとも美樹本春奈の夢の中へ連れて行けってのは断固拒否させてもらうからな。<br />
「簡単だよ。さっきの『禁・極辛』だっけ。それを食べてみたいんだ。君なら出来るだろう。花火大会を再現できる位なんだし」<br />
 そりゃ出来るけどね。料理一つ再現するだけなら、現実に限りなく近づけた所でそれほど負担もない訳だし。だけど。<br />
「人の話聞いてたか、アンタ。俺は確か『辛苦に辛苦を重ねた、ただ辛いだけの代物だ』的な事を言ったと思うんだけど?」<br />
「だからこそだよ。この極辛だって、感覚が壊れていなければ味わえない位には限度を超えている。まさしく真紅な辛苦だ。それを遥かに超えていると言うのだろう。辛亭のファンとしては一度は口にしてみたいと思って当然だ」<br />
 当然なのか……? 本気で正気の沙汰じゃねぇと思うんだが。そこまで言うなら構わないけどね。どうなっても知らんぞ、俺は。<br />
「了解。何時がいい? 流石に今此処で、だと何か起きた時に厄介だから、どこか別の場所がいいんだけど。出来れば夜」<br />
「夢にはどうやって入るんだい? よく迷うって聞いたけど」<br />
 煩い、余計な事は忘れてくれ!<br />
「対象になる奴が傍に寝てれば問題ないよ」<br />
「それなら僕が君の家に行こう。それが一番確実そうだ」<br />
「住所知ってんのかよ」<br />
「色々聞いたって言ったろ」<br />
「勘弁してくれ」<br />
「ははは。明日伺うよ、よろしく」<br />
「歓迎せずに待ってるよ」<br />
 そんな風にして別れて、俺は用事を済ませて無事帰宅した。まあ、少々遅くなったんで、親父に小言を言われたがそれは些細な事と片付けていいだろう。<br />
*<br />
『禁・極辛』の事について少し補足めいた事を、と言っても大した事がある訳じゃない。どこにでも転がっているような極々ありふれた話だ。<br />
 昔、もう二十年以上前、一人の料理人がいた。男には友人と呼べる相手がいて、互いに腕を競い合い、辛さの極限を目指していた。それが二人の思う究極の形だったからだ。それぞれの方法でその一点を目指し、それゆえに二人は道を分かった。やがて、男はかつての友人が止めるのも聞かず、『それ』を作り上げ、結果友人は命を落とす。そこで初めて男は己の過ちに気付き、一つの到達点である『それ』を封印し、友と目指したもう一つの究極を模索し始める。ただそれだけの、物語にもなりえない話だ。けど、それは辛亭の主人にとってかけがえのない思い出の一つで、それを俺は好奇心のままに暴き、己の体験の一部とした。ああ、本当になんて胸糞悪い餓鬼だったんだろうと思う。どこかに答えが転がっているなんて思い込んで、人の大切なものを掠め取っては不満を洩らしていたんだから。正直な所忘れてしまいたい間違いではあるし、実際問題綺麗さっぱり忘れてしまう事はできる。が、俺はこれから先もずっとしないだろう。それを含めて文華が守屋夢人であると認めてくれた俺だからね。<br />
*<br />
 さて、次の日やって来たサトルがどうなったかと言えば、実の所そこで伸びていたりする訳だ。だから止めとけって言ったんだ、俺は。<br />
 うう、大分経つってのにまだ頭ん中が痺れているような気がする。どうしてこんな事になっているかと言えば、実に簡単だ。夢の中で、絶好調にご機嫌なサトルの前に記憶にあるままの『禁・極辛』を極めて忠実に再現した。気合を入れたんで、夢の中とは言え味覚、嗅覚、触覚その他諸々現実とほとんど狂いなく感じられたはずだ。サトルに尋ねても同意してくれるだろう。尤も本人はぶっ倒れている訳だけど。で、そのまあ、辛苦を超えた辛苦の極限を口にした途端、煙を吹いたと言うか、解脱しかけた。寸前の所で感覚だけは共有して半分近くを肩代わりしたんでお互いなんとか無事ではある。でなければ、悟は今頃天国の門をノックしていたことだろう。尤もそんなものが本当にあるかどうか寡聞にして俺は知らない訳だが……。<br />
 そもそも極限に行き着き、行き過ぎてしまった故に辛苦の先にあるのは辛さとは概念からして異なる全く別の何かだ。俺は何の因果か二度も味わう破目になったが、そのどちらも途中退場しているので『何か』がなんなのかわからない。が、一つだけ言えるとしたら、アレは俺たちには理解の出来ないものだという事くらいだ。まあ、悪魔のような女吸血鬼ならば、積み重なった辛苦の城砦を切り崩し何もかもを殲滅して、『何か』に到達できるかもしれないと思わなくもない。今は関係ない話だし、気も向かないんで試すなんて事もないだろうけど。理解できるかどうかは別問題だし、仮に理解できたとすると多分それは普通から外れた根本的に俺たちと異なる存在に成り果てるって事と同意だ。それは俺を含めて誰も望まない結果だと思う訳だ。根拠なんてありなどしないけどね。<br />
 話を戻せば、目が覚めた後、倒れたままのサトルを連れて念の為前もって聞き出しておいた住所まで送り届けたという事になる。で、ベッドの上に放り出して現在に至る。土の入った棺桶が見当たらなかったので少し戸惑ったとは言わないけど、見てみたかったと思ったのも事実。実際にあったら引いていた可能性も否定はしないけど。<br />
 さて、大分楽になったから帰るか。サトルは……、呼吸は落ち着いているし、うなされてもいないんで、放っておいても大丈夫だろう。明日手は打つつもりだからそのままにしておく事にした。<br />
*<br />
 眠い……。<br />
 結局帰ってから、文華の夢に呼び出されて悪夢と対決させられた。一時噂になった吸血鬼が出演していらしたが、幾つかの噂がごちゃ混ぜになっているらしく、黒のコートのショートカットで背の高い女が、何故か片手にうどんを持っていた。途中、俺の認識も混じりかけて補修修正が掛かり、悪魔な吸血鬼に変わりかけ本気で冷や汗をかいたりして、結局明け方近くまで立ち回りをやらかす破目になった。唯一の成果といえば、漸く文華に機嫌を直してもらえた事ぐらいだろう。色々約束させられたけど。<br />
 だから、眠いんだよっ。<br />
 授業なんか殆ど自動書記だったんで、先生のどうでもいいような雑談まできっちりノートに取っていてかえって訳の分からない代物になっているし、放課後には気の重いイベントが待っているしで散々だと愚痴っている内に放課後になった……。寝ぼけていれば当たり前という気もするが、その辺りは無言で却下する。世の中にはやむを得ない事情というものがあるんだから仕方がない。<br />
 委員会がある文華にお返しのモログルミのストラップとシュネーケネギンのチョコクッキーを手渡した後、重い足取りで美樹本春奈のクラスへ向かった。<br />
「ごめん、美樹本さん呼んで貰っていい?」<br />
「いいわよ。はるちゃーん。彼氏さんが―――」<br />
 多分『来たよ』とでも続いたんだろうと思う。首根っこ引っつかまれて非常階段へと拉致られたから推測でしかないけれど。<br />
「なに考えてるのよ。わざわざ名指しで!」<br />
 目の前に怒り心頭の美樹本春奈がいた。<br />
「やあっと嫌な噂が消えてきたってのに」<br />
「大丈夫だって。七十五日、七十五日」<br />
「法事がどうかしたっての!」<br />
「いや、それ。四十九日……」<br />
「……勘違いしただけでしょ」<br />
「…………」<br />
「なにか言いなさいよっ』<br />
「コメントは控えさせて頂きます」<br />
 親指と中指を合せられたんで両手を挙げて全面降伏しました。<br />
「一応お返しをと思ってね。三十倍返しとか言ってたし」<br />
「そう言えばそうだったわね」<br />
 頭痛を堪えているみたいに眉を顰めている美樹本春奈に持っていた携帯電話より少し小さい位の包みを渡す。白の包み紙に黒のリボンでラッピングしてみた、今朝方眠いの我慢して。<br />
「小さいじゃない」<br />
「三十倍でも幾らだと思っているのさ。三百円だろ。こんなもんだっての」<br />
 一応シュネーケネギンのマドレーヌだぜ。一個だけだけど。<br />
「じゃ、三千倍返し」<br />
「無茶言うな。十円チョコでどんだけボッタくるつもりだ」<br />
「さっき私が被った精神的苦痛に対する賠償も含んでいるわよ」<br />
 明らかに俺の方がいろんな面で被害を被っていると思うのですが?<br />
「ああしないとまた付き纏われるよ?」<br />
「なんでよ。勘違い馬鹿は卒業したでしょ」<br />
「本人はね。けど、一年に弟がいるって話だし、連絡取ってる後輩もいるって話だけど?」<br />
 あからさまに嫌そうな顔をする。正直その表情はどうかと思うけど、まあ、相手が悪かったと思うよ、本当。<br />
「新学期までは諦めるんだね。九州の方に行くらしいから、そうしたら大丈夫じゃない」<br />
「随分余裕よね。あんただって色々拙いでしょうに」<br />
 残念ながら。<br />
「俺のほうは漸く納得して貰えたんで心配いらな、い―――」<br />
 弾かれましたさ、思いっきり。<br />
「むかつくー。やっぱりアンタ三千倍返しよ、三千倍。今すぐ返せ、さあ返せ」<br />
 逆切れして無茶苦茶言い始めた。理屈も理性もぶっ飛んだって感じ?<br />
「人に暴力振るっといて言う事それかい」<br />
「もう一発行っとく?」<br />
 ニッコリと笑う鬼がいました。あー仕方ない、切り札切りますか。<br />
 本当を言えば恩に着せるような形にしたかったんだけど、諦めよう。早めに今の分相殺しとかないと今後の学校生活が確実にヤバイ。<br />
「分かった。分かったから、とりあえず手、下ろしてさっきの包みを開けてみなって。あ、紙破くなよ」<br />
 中身よりそっちの方が重要なんだから。不審げな表情を作りながらも素直に従ってくれる美樹本春奈。この当たり悪魔な柚木一葉にも見習って欲しいと思う。そうすると、色々平穏無事な日々が送れるんじゃなかろうか、主に俺が。<br />
「なにこれ」<br />
 包みを開けきった美樹本春奈が疑問を投げかけてくる。ぱっと見単なる住所が書いてあるだけだしねぇ。因みにマドレーヌはきっちり美樹本春奈の鞄の中に納まった。残念。<br />
「それ? サトルんトコの住所」<br />
「は? なんでアンタがアイツの住所知ってんのよ!」<br />
「まあ、色々ありまして。で、本題ね。今サトルぶっ倒れて寝てるから、看病に行ってやってくれるかな? 喜ぶと思うよ」<br />
「な、な、な」<br />
 豆鉄砲食らったハトか、壊れたレコードみたいに言葉に詰まっている美樹本春奈に重ねて言葉を掛ける。<br />
「それがどれだけの値打ちがあるのか知らないけどさ、とりあえず三千倍返しはそれで勘弁してくれない?」<br />
 サトルの奴は放っておいても多分大丈夫だろうから、俺としては美樹本春奈がサトルの所へ行っても行かなくてもどちらでもよいし。要は美樹本春奈がどんな形であれ納得さえしてくれればそれで義理は果たしたようなもんだし。<br />
「なんてこと言い出すのよっ!!」<br />
 そういう訳なんで、悲鳴みたいな美樹本春奈の追求の声から全力で逃げ出した。</p>
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