シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

死神と不死者の夜

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 神と不死者の夜 作者:化野

  霧の夜道。アスファルトは濡れ、鼻をつままれたように何も見えない。
 午前三時、丑三つ時だ。その中を車椅子の男が息をつきながら進んでいる。天は見えず、地も白い闇に包まれるばかり。あるのは地面だけ。
 男はふと思う。自分は車輪を回して進んでいるのか。それとも、地面が回っているのか。
 滑車の中でいつまでも回り続ける鼠、紙の表と裏を永遠に行き来する蟻。彼らの気持ちがわかるような気がする。
まるで、まるで檻だ。ここの霧は檻のようだ。行けども進めども変わらない。斬っても殴っても散る事を知らない魔性の霧。
 そう、そして何より今は逢魔ヶ刻じゃあないか。

「逢魔ヶ刻という言葉を、知っていますか?」

 どこかから、そんな声がした。女の声だろう。かなり若いという事が察せられる。
奇矯な訪問者だ。都会ならば犯罪者、田舎ならば狐狸妖怪。ではここでは?都会でもなく、田舎でもない。どこでもないここでは?
誰でも構わない。誰であろうと、やることは変わりない。そう、自分の感性のままに。

「存じております。逢魔ヶ刻は昼と夜の境目。堺の乱れる時は魔が現れるとされていますね。昼と夜の堺は陰陽の堺。節分に鬼が現れるのも同じ理由です。寒暖が入れ替わる事は陰陽が入れ替わる事。豊穣神たる春と厄神の冬が入れ替わるから鬼が現れるのです。境界が乱れる時は異界からの何者かの進入を許してしまうのですよ」

くすくすと女が笑い、男も低く笑う。

「呆れた人ですね。あなたはよほどの暇人なのですか。随分と取ってつけたような知識ですけど…そんなに物知りなら、知っているでしょう。あなたは自分が何者か知っているますか?」

 霧の中からゆらりと声の主が現れる。長い黒髪の若い、高校生くらいの女だ。黒い外套を羽織ったスカート姿だ。
凛、と空気が澄んだ。夏の夜霧でさえ、彼女に道を開けた。

「私は死神と言ったら信じますか?あなたはご存知でしょうか、死神は人を殺さないのですよ。死神が死神たる所以は、神に死を突きつけられるからです。そして死神とは木偶でもあります北欧や中央アジアにおいては死神は死ねない者に死を齎すためだけに存在します。自身は死ねないというのにね。さて、こんな所で満足でしょうか」

 少女は、やや驚き、そして期待をしたように言葉を重ねる。

「一つ足りません。あなたの名前は?死を運ぶという役割で作られたならば、あなたには名付け親がいるはずでしょう?」

 死神は静かに、そして朗々と歌うように名乗る。

「私は黒瀬礼一と申します。あるところではカーティス・ライアンともいいますし、カーター・ラウとも名乗っておりました。つまるところ、私は常にイニシャルがK・Rでなければなりません。理由は存じませんが、そういうものなのでしょう。さて、では私もあなたに尋ねさせていただきます。あなたは何者ですか?夜道で死神と嘯く男につきあってくださるあなたは」

 僅かに少女は失望したようだ。なぜかは解らない。なぜなら彼はそれを知るために来たのだから。

「あなたにも、名前の意味を知らないのですね。私は柚木一葉。吸血鬼と言ったら信じてくれるかしら」

 黒瀬は静かに笑った、死神と吸血鬼。なんと皮肉な取り合わせか。

「信じますよ、だから私はここに来たのですな。あなたのような者がいるならば、当然それに対処する者もいて然るべきと思いませんか」

 凛とした空気が刃の如く張り詰めたものに変わる。

「柚木一葉さん。OO高校*年生、クラスはB組。生徒番号はS19876634。20**年式王子市より住民票の転出届を出されておられですね。ですが、あなたはそれよりもっと前から霧生ヶ谷市におられる。その上式王子市にあなたの住民票など存在しておりませんでした。そしてあなたは夕方になると、度々不在のようですね。同時期に貧血で病院を訪ねられた女性が何人もおられます。首筋の傷跡に記憶の混乱という症状もありました。あなたのDNAが検出されましたよ。染色体が26個、人間ではありえない配列ですな。なるほどあなたは確かに吸血鬼のようだ」

言霊のように発せられたおびただしい個人情報が夏の大気をさらに歪める。まるで、血のように生臭く、熱気を孕んだものに。

「あなたは死神ではなくストーカーだったのですか。ここでずっと待ち伏せていたんですね。付きまとわれて、しかも私の正体を知っている人間をただで帰すと思っているのですか」

「DNA検査が個人で出来るとお思いですか。科学者ならば可能でしょうが、あいにくあなたが人でないように私も真に死神なのですよ。疑うというのならば証拠を見せましょう」

「戯言を」

 吸血鬼は言葉と同時に一撃を発した。しなやかな肢体は豹のようにしなり、鉄拳を以て車椅子を破壊する
 そう、車椅子は破壊できた。だが、そこには死神の姿は無い。
 遠く、霧の向こうから地面を蹴る音が響く。その足音は馬の蹄のような軽快なリズムと銃撃のような強さを持って吸血鬼の周囲を回る。

「私は一人も殺していませんよ。ただ血を吸っただけ」

 時に袖が触れ合うほどの近さで足音が響いたかと思うと息もつかぬ間に遥か背後から聞こえてくる。
 死神は目にもつかぬ速さで吸血鬼の回りを走りまわっているのだ。

「存じております。実際に殺していたのは澄川みなもでしょうしね」

 そしてその声は吸血鬼のすぐ背後、耳元で響いた。
 振り返った先には異形がいた。兎のようにくの字に曲がり、スキー板ように薄くしなる義足を持ち、黒いインバネスを纏ったものが黒瀬だった。異様に長い義足のために身長は2mにまで達し手に握られた短刀は吸血鬼の首筋に当てられている。

「黒い外套、意趣返しですか?」

 吸血鬼は露ほども気にせずに氷のような視線を死神に投げかける。
ただ死神は静かに笑った。

「納得していただけましたかな?」

 不死者は死神を退けた。死神の細長い体に食らわせた当身によって。死神はあっけなく張り飛ばされ地面に叩きつけられる。

「あなたが死神なら私はあなたを倒してここから出ます。私でも死にたくはありませんし、守りたいものもありますから」

死神の予想外の脆さに不死者は勢いづき倒れこんだ死神に容赦なく蹴りを当てる。

「すばしっこいだけで私よりも体力は下ですか?死神が聞いて呆れますよ」
彼は自分の非力さを知っていた。自分の戦い方は特定の状況でなければあっさりとやられるものだと知っていた。
「一人でできることではないと、私はそう言ったのをお忘れですか?」

 吸血鬼の足に胡桃ほどの硬球が当たり、怯んだ一瞬に死神は姿を消す。
遠ざかるギャロップと共に第三の男が現れた。

「よう、お二人さん、そのへんにしときな。黒瀬、そんなザマで参戦するんじゃあねえ。お嬢ちゃんもちょいとオイタが過ぎるぜ」

 霧の中から現れたのは煤けた色のハットにコートを着た男だ。手には先ほど放ったものと同じゴルフボールが握られている。

「仲間を呼んでいたんですね。死神とは、一人で女も殺せない臆病者だったのですか?一人だろうが二人だろうが、私には引き下がる選択肢は無いんです」

 死神の足音がする。規則正しく、ビートを刻むように鳴っている。
吸血鬼は、再び身構えた。ボールの投擲による痛みは無い。手加減されていたようだ。

「待ちな、手前にいくつか聞きてえ事がある。事と次第によっちゃあ、お互い無事で帰れるかもしれないぜ?」

 新たに現れた男、小島勝一は戦う意志がない事を示すかのように手に握ったボールを落とし、その手で煙草に火をつけ、優雅に煙を吐き出す。

「信用できるとでも?」
「できなきゃここで手前はお終いだ。38口径の一斉射撃を食らってみるか?」

 小島が後方を指差す。その先には朧ながら、十数人の人影が銃を構えた姿勢でいるのが見える。

「解りました。ならば聞きましょう。もう一人二人どうにかしたても無駄なようですし」

 吸血鬼は新たな闖入者に対し戦いの構えを解いた。
 小島はゆっくりと、カウンセラのように問いただす。

「なあ、なんで手前は血を吸うんだ?何をそんなにガッついてるんだ。人の飯だって食えるんだから、血を吸わなきゃ死ぬってわけでもねえだろうが。それとも何か?手前の能力が何か解らねけかどな、何かとんでもねえ事をしでかそうってんじゃあねのか、このヒョロノッポはそれを気にしてるんだよ」

 吸血鬼は男の問いに長くなりますよ、と前置きすると静かに己を語り始めた。蝶がその翅を羽ばたかせるように言葉が羽ばたいていく。

「私は自分で名前をつけました。名前は存在の本質を現します。まして妖魔ならばなおさらの事です。私には、魂がありません。ですから、生きるために、ほんの僅か魂の欠片を食べなければならないのです。心の温みを。人の世界で暮らすための知識を。あなたに答えられますか?この私の、生まれてきた意味を、妖魔だというのに名前の無い私の価値を」
 
 静かだが、悲痛な訴えだった。彼女は妖魔と言っても年若いのだ、自分が何者か解らず混乱するのも無理は無い。だが死神も、小島も、彼女を知らない。彼は彼女が刈り取るべき魂か否かを調べに来たのだから。

「あのな、そんなもん鼻っから知ってる奴なんざ、誰もいやしねえよ。自分が何ができるか、何が好きで何が嫌いか、色々試して努力しなきゃ解るもんも解らねえだろうが」
 
 小島の熱弁に対し、吸血鬼はただ白々と絶望を述べる。

「ご高説耳に痛いですけど、あなたも私の望む答えをくれないのですね。あなたには解りません。人の心の欠片を食べて生きる者の空白など」

 小島が何か言いかけた事を黒瀬がさえぎり、霧の彼方から声を届ける。
「今度は境遇のせいにしますか。甘えるのも大概になさい。生きる者誰もがそれぞれの境遇を背負っているのです。自分一人が不幸などと言う顔をしない事ですな。それでも人として生きられぬというのならば、あなたはもはや人の世界で生きることを許されないものなのですよ」
 
 死神の言葉が容赦なく突き刺さる。
 不死者は僅かに怯み、反論を返した。

「奇麗事を言わないで下さい。話はそれで終わりですか?」

 吸血鬼はこの場で死ぬわけにはいかなかった。なんとしてでも脱出しなければならない。死神は倒せない相手ではない。拳銃も耐えられるだろう。ならば目の前の無力な人間を人質にとってこの場から脱出しよう、そう思いゆっくりと小島との間合いを詰める。死神の挑発のおかげか体は熱い。いつでも全力を出せる自信があった。

「お待ちなさい」

 吸血鬼の足が止まった。言葉によって止まったのではない。彼女の影の中から腕が出ているのだ。まるで水面から出るように何本も。

「私は何もあなたを殺すとは一言も言っておりません。私の本来の仕事というのは、社会の存続を脅かす存在を世界の摂理の一つとして倒す事です」
 
 足音が、近づいた。目の前に現れた死神は両腕がなかった。断面は石膏のように白く、無機質だ。
 彼の腕は今や影の中から吸血鬼を掴んでいた。彼女は、漠然と死を意識する。
「だから、私を殺しに来たのでしょう?危険な存在だと」
 
 だが、死神は近づくことなく彼女の間合いの外で立ち止まり我が意を得たりと語りかけてくる。ようやく本題に入れると言う顔で。

「さて、そこなのですよ。問題は。あなたは社会の存続を止めてしまう可能性はあります。ですが、あなたが自分から社会を変え、あるいは滅ぼす者になる意志があるのかどうか、それを試しに来たのですよ」
 
 とてつもない脱力が吸血鬼を襲った。なんの事は無い。奇怪な術も、狙撃隊も、大掛かりな仕掛けも、たったそれだけの質問をするためのお膳立てだったのだ。
 そんな事ならば、彼女はいくらでも答えられる。

「やれやれ、そういう事ですか。僅かな“食事”を許してもらえるのなら、いくらでも大人しくさせていだきますよ。自衛以外の話ですが」

 死神は情報を奪う力はあまりに危険だと考えていた。自ら出てきてその力を悪用する意思があるのか知らねばならないと思うほどに。
 だが、それはたった一言で片がついた。彼女の迷える心以外は。

「それは重畳。ですが、下手に取り繕うとトラブルを招くものです。今回のようにね。あなたのその頑なさこそが危ういと私は思いますがね。あなたは見張られているということをお忘れなく」

 死神は自らの体を分解し、影より粒子となって出でて体を再構成する。彼は、空に浮かぶ目であった。

「あなたこそ社会人を自認するなら、状況には気を使ってほしいものです。脅しておいて次は恩を売りつけるのですか?これでも乙女ですから、夜道の来訪では歓迎できませんよ」
 
 もはや驚きもせずに吸血鬼は歩き出す。影から出ていた手も、今はもうない。
 死神は去り行く吸血鬼に語りかける。そのあまりに寂しい背中に。

「この街は…あなたが思うよりあなたの同属は多い。人生の指標となる方々を探しなさい。探す意思さえあるならば、あなたならば必ず会えるでしょう」
 
 死神は空へと飛んでいく。吸血鬼は、ゆっくりと歩いていく。

「再三の忠告どうも、少なくとも貴方ではないみたいですけどね。次あなたに会う時は私を殺しに来る時ですか?」
 
 そして、残された人に吸血鬼は問いかける。それは死神と吸血鬼、両方の立場を知れる人間だからこそ解る事だった。それは曖昧で、それこそ死のように付きまとう判然としない概念だった。

「そりゃ、あんた次第だろうがよ。なあ、お嬢ちゃん俺が思うに、あんたが悩んでるのは、吸血鬼だからじゃねえ。きっと…」

 吸血鬼は耳を貸さない。いつものように、霧の中を歩く。
 死神は塵芥となり風に混じって空を飛ぶ。もう少女も、男も見えない。
 彼が何を言ったのか、少女がそれを聞き届けたのかも解らない。
 人を迷わせ魔を引きつける霧も飛び出した。
 そして彼は見る。霧生ヶ谷を。無数の人々の生活が見える、影に蠢く者達が見える。迷い、自らの道を探る者たちが。世界を巡り、答えにたどり着いた者達が。それは、束の間の幻のようであり、荘厳な知の光のようでもあった。
 あの少女は、いつか答えにたどり着くのか。
 その答えを彼は待だろう。どんな結果が訪れようとも。

 

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