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山脈よりの声」(2008/02/10 (日) 00:35:49) の最新版変更点

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山脈よりの声:しょう 「『アレ』を探してみようと思う」 「『アレ』って『アレ』か?」  久遠寺の言葉に疑問符を飛ばしつつ、俺は昼食のB定食を口に運ぶ。うん、うまい。今日はどうやら当たりの日だったらしい。  うちの大学は基本、近所のオバちゃんがパートでメシを作りに来ていたのだが、流石にそれだと不満が大きかったのか、今では日替わりで近所の飲食店から手伝いという形で料理人が調理に来ている。それはいい。美味いものが食えるなら、アルバイトでもプロでも関係ないから&html(<div style="line-height: 2em" align="left"> ) な。問題はいつ何処の店料理人が来るのか学生には知らされていないと言う点だ。以前、何故か北区のうどんロードにある筈の『辛亭』の主人が調理に来ていたらしく、(うちの大学は中央区の南の外れにある。言うまでもなく、うどんロードからはかなり離れている)メニュー全てが激辛に変貌した事があった。あん時は確か、デザートのお汁粉まで真紅な辛苦に染まったんだったけか。喜んで食っていたのは目の前にいる久遠寺くらいだったように思う。  後は、何食っても、それこそ飯も付け合せのキャベツも味噌汁も全部モロモロの味しかしなかったA定食って日もあったな。モロウィンの仕業だって話題になったが実際はどうだったんだか。  と、話がずれたんで元に戻すと。 『アレ』とは、ここ最近、真密やかに囁かれる噂話の元凶の事だ。なんでも夢に出て来るとか言うのだが、自分のことを『我』と呼び、モンゴルの方で騎馬隊を率いていたとか戦国武将に仕えていたとかのたまうらしい。あと空を飛ぶとか、固有結界を展開するとか色々詳細不明の『ナマモノ』だとか。  一応、『アレ』がなんなのかは一目でわかるし、時々名乗りもあげているそうだが、誰もそれを口にしない。呼ぶとやってくるとか、懐かれるとか諸説色々だが、好んで近寄るものではないようだ。 「でもよ、お前『アレ』自分で漬けてなかったけか。わざわざそんな奇怪なもん探さんでもいいだろうに」 「確かに漬けてはいるんだけどな、中々上手くいかなくてなぁ。湿度管理がまずいのかと思って家の中に入れると妹が煩いし、かと言って庭に出したままというのも、少々不安でなぁ。その辺りを聞いてみたいと思った」 「さよけ。ま、妹さんが嫌がるのはわかる気がするよ。普通『アレ』は家の中には漬けんだろうし、高校生の女の子にはあの匂いはきつかろうて」 「そうか?」 「そうだよ」  この久遠寺という男、髪を金に染めているんだが、これがまた良く似合うんだ。背高いし、目鼻立ちもハッキリしているし。黙っていれば美青年で通るだろう。ただ、趣味が料理なんで口を開くと大概食い物の事が出てくる。シュネーケネギンの新作がどうとか、安寿の羊羹の味の秘訣はどうとか。ついでに異様に凝り性なんで、ケーキやクッキーを焼くのは極日常で、カレーはスパイスの調合から始め、ローストチキンを焼くなら鶏を絞める所から始める。ある意味掛け値なしの馬鹿だ。所謂料理馬鹿。  しっかし、外見と中身がここまで食い違っている奴も珍しいだろう。本当、黙っていれば美男子で通ると思うんだがなぁ……。 「ま、その辺りは有珠ちゃんとよく話し合ってくれ。けどよ『アレ』ってわざわざ探さんでも呼べばやって来るんだろ?」 「それなんだがな、何度か試してみたんだが来る気配がなくてなぁ」 「そりゃいねぇってことじゃねぇの『アレ』。でなきゃ、上月にでも聞いてみたらどうだそういうのに詳しいぞ呆れるほど」 「もう聞いて、『アレ』を出す店を教えてもらった」 「……だったら上月と行けよ。わざわざ探すとか言ってないで」 「それがなぁ。シュウの奴なんか白いワニと出会える歌ってのを聞いたからリベンジしてくるって朝から地下水路行った」 「あーそう」  ……いやちょっと待て。うっかり流す所だったが今、かなりろくでもない事言わなかったか、こいつ。 「止めろよ、お前も」 「んー、絶対リベンジだって張り切ってたしなぁ。あいつ一人なら大丈夫だろうし、白いワニってのも一度食べてみたいと思ったし」  駄目だ、こいつ。食い物が絡むと正常な判断て奴がどっかに行っちまう奴だった。まあ、上月なら一人でも大丈夫だろうって部分には大いに同意する所があるんだが。一応携帯に掛けてみるか、電波届くかどうか怪しいけど。 『はい、上月です』 「おう上月」 『只今白いワニと格闘中なので、電話に出ることが出来ません。御用の方は発信音の後に伝言を入れてください』  わざわざ吹き込んだらしい。 「あ、上月。俺、石動。無事だったら、連絡くれ」  用件だけ吹き込んで切ろうと思ったら繋がった。 「ん、分かった」  で、切れた。とりあえず無事らしい。後ろで水の飛沫く音がしていたのが聞こえたのは、きっと想像通りの意味なんだろう。深くは考えまい。覚えていたら、アラトに救援頼んでやるから。 「どうだった」 「取り込み中だったよ」 「そうか、楽しみだな」  どっからそういう考えに思い至る、おい。何で俺の周りには天野兄弟を含めこんなのしかいないかと嘆息つきつき、B定食を片付けた。  かく言う訳で、賛同する理由はないが、さりとて拒否する理由も特に思いつかなかったので、久遠寺に付き合う事となった。『アレ』に興味がなかった訳ではないしまあそういう事だ。  で、路面電車に揺られてうどんロードの始まりの町、オドロキ商店街の中を歩いているのである。とにかくうどん屋ばかりで、呑気に通りを歩いていると普通客引きの店員に取り囲まれて身動き一つで出来なくなるのだが、こいつ‐久遠寺晶がいると事情は少し変わってくる。  こう、見守るというのか、期待に満ちた目で注目を集めるというのか、さざめきに似た囁きが広がり、まるで映画の十戒でモーゼが見せた奇跡の如く、商店街のメインストリートに道が開く。 「いつ見ても異常な光景だな、これは……」  なんでこうなるかというとそもそもは一年ほど時を遡る。  更なる町興しを、ということでうどんロードの店を出すうどん屋総数百八店が協力し合ってあるイベントを行った。スタンプラリーだ。それだけならまだ普通に聞こえるが、正気の沙汰じゃないのは一店一スタンプでスタンプ用紙がA2サイズという、四十八ヶ所参りと張り合うのかというような代物だった事だろう。無論開催期間は半年と長めに取られていたが、それにしたところで、殆ど毎日昼食をうどんにして達成できるかどうか微妙な線だ。  実際、終わってみれば百八店全て回り切ったツワモノは二十人にも満たなかったと言う。まあ、普通に考えたら、毎日昼食がうどんで満足できるか? 以前の問題に金がもたんよな。と、まあ、大体予想がついたんじゃないかと思うが、その数少ない達成者の一人が久遠寺晶だ。それも僅か一ヶ月足らず全店制覇を成し遂げた漢(ばか)である。霧生ヶ谷新聞にも取り上げられたので、少なくともうどんロードの関係者で知らないものはいない状態。お陰である意味一緒にいる俺は晒し者だ。 「相変わらず人気者だな」 「そうでもない。最近は全店全メニュー制覇や辛亭の裏メニュー常連なんかがいるらしいからなぁー」 「どこの化けもんだ、それは」 「さあ? 直に会った訳じゃないからな。聞いた話だと一人はゴスロリ少女で、もう一人はモデルみたいな大学生らしいが」 「なんだよ、その漫画みたいな組み合わせは」  いい加減奇妙な出来事には慣れたつもりだが、それにしたって奇妙というか珍妙に過ぎるだろう。大食いのゴスロリ少女に激辛好きのモデルってのは、おい。  とか考えていたら、目の前を文字通り目を疑いたくなるような美人な男が横切って、そのまま辛亭へ入店していった。ああ、確かにあれは目立つわ。薄暗かったら女と間違えそうなくらいだし。こりゃ本気でゴスロリ少女と遭遇してもおかしくないかもしれない。と、えーと。 「辛亭じゃ、ねぇの? 『アレ』つぅからそうかと思ってたんだが」 「俺もそうかと思っていたんだけど、違った」 「じゃ、ばあさんとこか」  一口で地獄が味わえると評判の店をあげる。 「いや、そっちも違う。あっちだ」  久遠寺の指差した店を見て眩暈と頭痛と立ち眩みに襲われた。そこには、ビラを配るメイド(無論言うまでもなくモログルミ装備済み)の姿があった。看板は永久凍土に覆われた山脈のデザイン。店名は『冥土喫茶狂気山脈』‐別名、誰が呼んだか霧生ヶ谷の超えねば為らぬ山。実際超えるには相当量の、並々ならぬ努力と忍耐と鉄の胃袋を必要とするが。メニューの一部を列記すれば、練乳苺ミルクうどん、うどんにキウィを練りこんだクリームキウィうどん、既にうどんでも何でもないだろうと言いたくなるコスモうどん。どんなかというと、一口サイズに油で揚げたうどんの塊の山の上に星型に抜いたニンジンとインゲンが乗っかっていて、ポン酢で食べるというものだ。これだけでも十分狂気の縁に片足立ちしているようなものだが、量がまた半端じゃなく多い。一品が確実に五人前はあるだろう。一人で食べきれば、狂気に肩までどっぷりと浸かれる事請け合いだ。  それでもそれなりに店が繁盛しているのは、モログルミ装備のメイドさんのお陰なのか、まともな味付けのメニューが存在するからなのか、それとも罰ゲームに最適だからなのかさっぱり分からない。この辺り霧生ヶ谷七不思議の一つだとか言うが、七不思議自体が増えたり減ったりするんでどうなんだか。とにかく、どう考えても『アレ』とは結びつかない狂気山脈の店内へと足を踏み入れた。 「お帰りなさいませ、ご主人様」  にこやかな笑顔と穏やかな声に迎えられる。あー、なんか首筋がぞわぞわする。でも、目の前のメイド二人は為り切っているんだろうなぁー。前、バイトで執事喫茶のウェイターやった時俺もそうだったし……。俺の場合は、アオイに無理やらされたから為り切らにゃやってられんかったってのもあるんで、ちょっと事情が違うって言えば違うんだが。 「お食事の準備が出来ております。こちらへご主人様」  店内は普通に品のいい調度品で飾られた喫茶店といった風で、それが余計にテキパキ動いているメイドが持っていたり、テーブルについている客が啜っているのがうどんという、チグハグなものだという事実を浮き上がらせていた。もっとも客にそんな事を言っても、『それがどうした』というような答えが帰ってくるのが関の山で、下手をすると『ひゃっほう』の叫びと共に何かが飛んでくる可能性さえあるから俺も口にしない。  大人しく席に着く。手の空いているメイドが何人か久遠寺に視線をやり、うっとりとした感じになる。黙っていれば美人だもんな、こいつ。口を開くと基本食い物の事がメインで残りの殆どは妹の事だよなぁ。後は……、なんかあったっけ?  うーん……。  で、すぐにメニューとお冷が持ってこられたのだが。はて? なんか見覚えのあるような? すると向こうも同じような事を思ったようで、暫し動きが停止する。無言のまま視線が交差。多分傍から見たら怪しい光景。モログルミに殆ど隠れているが、日本人にはありえない銀色の髪。そもそも瞳の色からして明らかに違う。顔の造詣は凛々しく深く、男装でもしたら道行く女性の半分以上が振り返らずにはいられないだろう。視線を下に落とせば、存在を主張して止まない我儘な胸がフリルの付いた布地を押し上げていて、押し上げられた布地の部分にはカタカナで『ユキ☆』と書かれたネームプレートが付いていた。顔を凝視したんで誰かは分かったんだけど、言うべきかどうか迷ったんで少し観察してみた。  さてはて、一方でその見覚えのあるメイドさんは「あ、ああ……」と洩らしたっきり、思考停止といった具合で固まっている。なので、 「あー、お久しぶりです。スノリさん」と、挨拶を取り合えずしてみた。いや俺もどういったらいいか思いつかなかったんだって、これが。  だからなのか、気まずーい空気が満ちる。例えると、沈黙と沈黙がガチでストリートファイとしているようなって、これだとかなり騒々しいな。むしろ、上月が黙って黙々と何かやらかしている嫌な緊張感といった方がしっくり来るかもしれない。とにかく妙なバランスで成り立ってしまった場の雰囲気はそれゆえに自壊する可能性はゼロに等しく、外部からの何らかの力を必要としていた。かといってこういう場合わざわざ話しかけてくるような特異なやつも少ない。 「修羅場かな、ヒカリちゃん」 「きらりよ? ……でも、どうかしら。ユキちゃんも恋愛に興味ないって言ってたけどスミに置けないわ」  こら、そこのメイド二人組み。妙な想像を働かせている暇があったら何とかしてくれ。スノリさん、卒倒しそうだぞ。  で、まあ、こういう場合空気を読まないというよりは読むつもりのない奴が一番強い。 「ツカ。知り合いか?」  流石久遠寺、そこに痺れもしないし、憬れもしないけど、助かった。 「前に言ったろ。杉山さんに追いかけられた時に助けてもらったって。この人だよ」 「ああ、なるほど。しかし確か男装の麗人という話だったと思ったが?」  うん、俺も疑問だった。けど、ワザと触れないようにしていたんだけど。空気読めよ。 「という事なんですが、なんでです?」  仕方がないので、はっきりと明確にわかりきっている地雷を目一杯踏みつけた。それはもう地雷源発見、全力全身突撃ーって感じで。青ざめていたスノリさんの顔が目に見えて引きつった。視線が不自然に宙を彷徨う。どう言ったらいいのか、それとも言わないほうがいいのかって感じで思案しているというのか、それとも単に動揺しているだけと見るべきか。 「込み入っているんでしたら別に無理しなくても」  助け舟のつもりで出した一言がどんと背中を押したらしい。 「いや、大丈夫だ。……実はここの所仕事がない所為で懐具合が寂しいんだ。それで、キリコ女史に何かないかと聞いたところこの店に連れて来られたと言う訳なんだ」  スノリさんの収入源と言うか仕事は、実際目にした今でもいまいち信じがたい面が多いのだが有体に言ってしまえば化け物退治だ。実の所、霧生ヶ谷では、俺を含めた住人は気付いていないだけで、怪奇現象と呼ぶに相応しい事象が頻繁に起きているらしい。でっかいチョコレートの木が生えるのもその内の一つに入っているんだろうか。あれの原因はこれ以上ない位にハッキリしているんだが? それは置いておくとして、その内の殆どは市役所の職員によって、事前にもしくは人目に触れぬよう事後処理されるらしいが、時々手に負えないほどの怪異が生じる。そんな時、声が掛かるのがスノリさんのような怪異退治を生業とする者達だ。驚いたことに結構な人数がこの街にはいるらしい。大抵は表の職業を持っているそうだが。調伏だけでは日々の生活に必要な糧を手にするだけの金額は手に入れ難いということなのだろう。そういう意味では、スノリさんは退魔一辺倒の表向き無職のフリーターさんなのであった。  と言うものの、この間杉山さんから助けてもらった時結構な報酬がキリコ女史から支払われるような事を言っていたように思うのだが……。そのあたりの事を聞いてみた。 「いや、その、現金ではなく……、現物支給ということで……」 「はあ、で、一体何貰ったんです」 「シュネーケネンギンのチョコレート食べ放題」  ……うん。俯き加減で顔を真っ赤にして恥らうように体の前で手をモジモジさせているメイド姿のスノリさんは確かに反則的なまでに可愛いと思う。思うが、かなり問題ありませんか、所謂社会人として。食欲優先させるなよ、久遠寺じゃないんだからさぁ。  何よりさっきからメイド二人組みの視線が痛いのですが? 「言葉攻めよ、言葉攻め」「キャー、ユキちゃん大胆」  こら、そこ更に突飛に飛躍した想像を勝手にしない。許可取ったらいいってもんでもないけどな。 「確かにシュネーケネギンのチョコレートはすばらしい。一級品のカカオを使用しているのは当然として、それを十全に生かすパティシエールの腕もまた一級だ。欠けてはいけない両輪をきちんと備えた店と言えるだろう」  言いたい事はそれだけか、久遠寺? 自分の興味だけで発言してんじゃない、ほれスノリさんだって困って……ねえよ、おい。 「やはり貴方もそう思うか。あの甘みと苦味の絶妙なバランス。口の中で絹がほどけていく様な柔らかな口どけ。どれをとっても筆舌に尽くし難い素晴らしい物だと思う!」  力説してくださった。しかも、目にはハートか、もしくは天使でも降臨なさったような恍惚とした光さえ生まれている。そのまま、久遠寺とチョコレート談義を始めちまった。寧ろシュネーケネギン談義か? とりあえず人の少ない時間帯でよかったな。そこのメイド二人組みもこっち見て妄想膨らませてる暇があったら注文取りに来るか、スノリさんまともに戻すかしてくれ。何が、二股だ。修羅場だよ!  なんか俺もう疲れた。なんでこんな所まで来て晒し者にならにゃならんのだよ。 「おーい。注文しなくていいのか? しないんだったらお冷だけで帰るぞ」  その後の反応は実に対照的だが。全く変わらない久遠寺と、羞恥で真っ赤になって半分パニクリながら「お、お伺いします、ご主人しゃま」とスノリさん。  なんか噛んでるし。この人本当に日常生活大丈夫だろうか? 人事ながら少し心配になる。 「では、『アレ』を。ツカはどうする?」 「じゃ俺は、……アイスコーヒーで」  ちょっと躊躇しながら注文を決めたのは、何か一品必ず注文するのが山脈での暗黙の了解なのだが、下手なものを注文すると地獄を見るのと,量が半端じゃないんで軽く死ねるからだ。俺が注文したアイスコーヒーにしたところで、ピッチャーに入ってくるのだから大差ないとも言えるが、他のものに比べれば味が普通な分ずっとかマシだ。俺は正直、あんこと生クリームに塗れたうどんを美味しく頂く自信は全くない。そういう訳でアイスコーヒーだ。チキンと言うな、一度チャレンジしてみれば俺の気持ちがよく分かるから。  それはともかく、久遠寺が『アレ』と口にすると店内のメイド達がざわついた。「『アレ』よ」「ついに『アレ』が……」「ご主人様が『アレ』をご所望よ」「えーあたし怖い」などなど。  おい、『アレ』ってなんなんだと言い出したくなるくらいの無秩序っぷりだ。暴れんのかよ、危険なのかよ。喋って踊るだけじゃなかったのか? ズーンと重くなる気分に追い討ちを掛けてくれたピッチャーに入れられたアイスコーヒーをストローでチューチューやりながら『アレ』が来るのを待つ。  俺と久遠寺はとりあえず無言。店内も妙に静まり返ってしまい、居心地が悪い。 「なんか妙な事になってないか?」 「ま、こんなもんだろうそう注文されるのもでもないようだしな」 「久遠寺。言う事はそれだけか?」  おかしいとは露ほども思わないんだろうなぁ。こりゃあ、もう他の事は目に入っていないんだろう。諦めてコーヒーを啜る。ああまったく。全然減りやしねぇ。  やがて、問題のブツが運ばれてきた。蓋のついた丼に入っているらしいのだが、何か異常だ。すぐに判明したが、スノリさんが抑えていた蓋から手を退けると、途端に蓋が勝手に踊りだした。持っているスノリさんの手が震えているのではなく明らかに中身が暴れて蓋が飛び跳ねている。テーブルに置かれるとよりそれがハッキリした。  カタカタと踊る丼の蓋の隙間から時折覗くのは紅い影だ。メイド達の怯えた視線が集中する中へ以前と蓋を取る久遠寺。お前のその神経が羨ましいというか、信じられんというか、とにかく呆れていいか?  果たして丼の中では『アレ』が蠢いていた。急に明るい光に晒されたからなのか、派手な動きは息を潜め、まるで様子を伺うように丼のそこに張り付いている。時折威嚇なのか、それとも丼の外に飛び出るための前段階なのか、全体をたわめてもいる。  断っておけば、それは確かに『アレ』の名を聞いた時、日本人なら真っ先に思い浮かべるであろう一口サイズに刻まれた白菜だった。 「……」  俺はといえば言葉を失い、と言うか思考停止しそうになるのを堪えながらスノリさんを見た。頭が痛くなった。  スノリさんは『アレ』に全神経を集中させていた。少しでも可笑しな動きを見せたなら即座に『アレ』と久遠寺の間に割り込む事ができるだろう。手にしているのがお盆って言う時点でかなり微妙でもあるが。そんなに危険なら始めっから出すなよ。今更言うのもなんだが。まあ、出て来たものはしょうがない。  問題はこれをどうするかなんだが、普通ならこのまま廃棄だろう。こんな得体の知れないモノはそうするに限る。が、久遠寺は一言『頂きます』と口にして『アレ』にフォークを突き刺した。その時生じた音を文字にするなら、『キシャー』だったか、「テケリー」だったか、とにかく人間には発音できないだろう異音であり、聞いたものを不快にさせずにはおかず、聞き続けたならば、いつまでの耳にこびりつき、思考を腐食し停止させるだろう代物だった。幸いにもそれは二秒と続かず、『アレ』はフォークに貫かれ弱々しく蠢くだけとなった。なんだか、こうフォークから白い刺激臭がする煙が出ているのは何でだろう。フォークの先端溶けてきているしって、なんでそれを口に入れようと思うかな、久遠寺! 「まて、こら」と手を伸ばすがいかんせんテーブルを挟んで真向かいなもんだから間に合わない。ピッチャーコーヒーも邪魔だしな!  異常な位ゆっくりと『アレ』が久遠寺の口へと運ばれる様が見え、その間に俺の脳裏では、B級ホラーに出てくるモンスター並みに形容し難いブツに変貌する久遠寺の姿が幾つも瞬いた。以前天野兄弟(兄)に強制的に徹夜で鑑賞させられたB級ホラーコレクションパート8の影響だと思いたい。つうか、こんな時にまで電波送ってくなよなぁ。  一種の現実逃避に陥っていた俺は裂帛の気合に現実を取り戻す。見れば、スノリさんが寸前のところで、最早『アレ』でもなんでもなくただの不気味な『なまもの』と成り下がったそれが久遠寺の口に収まるのを手にした盆で阻止していた。  そして、手首のスナップだけで弾き飛ばす。言うまでもなく、位置的に俺のほうに向かって。微妙な放物線を描いて向かってくるそれを横目に恥も外聞もなくゴロゴロ転がって避ける。顔を上げると丁度それがコーヒーのピッチャーに飛び込むところだった。  ポチャン。  音はそれほど派手じゃなかった。が、その後がキていた。 「テケリリー」  どう考えても断末魔の叫びとしか思えない声がそれから迸った。這い上がろう、這い出ようともがくが、ピッチャーの中は広く、何よりそれはフォークに串刺しにされている。フォークは物理法則に従ってそれを道連れにピッチャーの底を目指す。バシャバシャとコーヒーが掻き乱され、それは不意に圧縮された空気が開放されたように泡だった。ピッチャーの中が白く染まり、何も見えなくなる。一際大きく泡立つとそれを最後にピッチャーの中の液体は静けさを取り戻していった。ただ、濃い褐色であったはずのコーヒーがそれはそれは見事なまでの真紅に変貌していたのを除けば。  暫く、誰も動かなかった。呆れているのか、驚いているのかは定かではないが、少なくともどうしたらいいか考えていたのは確かだろう。だから、最初に立ち直ったのが久遠寺だったのは妥当と言えば妥当だし、呆れるべきと言えば呆れるべき事だ。 「いいかな?」  固まったままのメイドさんを呼んだ。 「『アレ』を作った責任者を呼んでくれないか?」  ああ、そうのたまいやがった、この馬鹿は。 「どうかしたのか、ツカ」 「なあ、普通こういう場合、最初に謝罪するべきなんじゃないかと思うぞ」 「……ああ、そうだな」  久遠寺は席から立つと、未だ固まったままの人たちに向き直る。 「皆様、ご無事でしょうか? 大変お騒がせ致しましたが、この通り落ち着きましたのでご安心ください。大変失礼致しました」  食い物から離れると久遠寺は大概こんな感じで印象が豹変する。いやはや、いつもこうだと付き合っているこっちとしても楽なんだけどなぁ。 「これでいいか? ツカ」 「ああ、そんなもんだろ。後で、店の人にも直接謝ろう。出禁にならなきゃいいけどなぁ」 「……」 「おい久遠寺、飲むなよ」 「ム……」  図星かよ。 「わりぃ。これ何処に片付けたらいい?」  そばのメイドさんに尋ねる。 「え、あ、あの……」 「はいはい、厨房何処? 俺運ぶから」  未練がましい久遠寺の視線を断ち切ってメイドさんの案内で厨房へ。久遠寺にはそこから動くなよ、と釘を刺すのも忘れない。スノリさんにも監視をお願いしておく。  あーやれやれとピッチャーを抱えて厨房への扉を開けると鉢合わせをした、所謂この件の諸悪の根源と。  勇ましくヒールの踵が鳴る。翻るのは白衣の裾だ。 「アレ、激アルバイター君じゃない。どうしたの。ひょっとして『アレ』注文したのって、君?」  言いたい事は色々あるが無言でピッチャーを突き出す。 「わぁお。これは予想外の反応ね。ひょっとして溶けた?」 「ああ」 「おもしろいわねぇ。アクマロ保管しといて」 「承知した」  何処からかゴスロリファッションの少女が現れて俺からピッチャーを受け取っていく。 「じゃ、行こうか。アルバイター君」  バンバンと背中を叩かれながら店内へと戻った。 「謳い文句に偽りありだ。歌いもしないし、喋りもしない。ただ這い寄るだけの代物だ」  開口一番久遠寺はこうほざきやがった。  クレームの付け所はそこか? あんな得体の知れないモノを出されたことに対しては何もなしかよ。そもそもお前『アレ』に漬け方のコツ聞くんじゃなかったのかよ。それ食おうとした時点で間違ってるだろ。あー俺何言ってるんだろ。いや、そもそも霧生ヶ谷が誇るマッドサイエンティスト、笑う愉快犯:真霧間キリコにクレームつける時点で命知らずだとは思うが。しかし、なんか物凄く嫌な予感がするんだが……。  そう、混ぜれば危険って感じ。この場合言うまでもなく久遠寺とキリコ女史の事だ。  朱に交われば赤くなり、赤は朱より出でて朱よりも赤し。訳が分からんが相乗相生スパイラル。グルグル回って溶けて混じって『コンゴトモヨロシク』とやってくるのは碌でもないもの。そんな予感は大当たりして、久遠寺とキリコ女史は意気投合しやがった。 「一体何と一緒に漬け込めばあんなものになるんだ」 「んーまー、アクマロの食べ残しをちょっとばかり……」 「アクマロ?」 「こっちの話。じゃ、君はどんなのが良かったのかな、聞かせてみてよ」 「噂に聞く、歌って踊るアレだ」 「『アレ』ねぇ。もうちょっと改良してみますか。君今から時間ある? あるなら家に寄って欲しいんだけど」 「了解だ。では行こう」  あまりの成り行きに憮然として二人のやり取りを見ていたら、スノリさんと目があった。 「知り合いは選ばないといけないね」 「そうだな」  僅かに表情を正したスノリさんから返事は貰えたものの、顔にはきっちり、『君に言われるのは複雑な気分だ』と書いてあった。俺もそう思うよ、心底。 「それはともかく、ここの代金どうなるんだろう……」 「それなんだが、恐らく今不在にしている店長が戻ってきてから謝罪なり何なりという事になると思う。注文されたとは言え、明らかにあんなものを出したこちらの方に非があるからな。そのように伝えよう」  いやまあ、そう思うんなら注文自体拒否って欲しかったなと思わなくもないが、それでも。 「それ助かる。お礼に今度シュネーケネギンのチョコ持ってくるよ。この店でいいのかな」 「いや、それは君に悪い」  スノリさん、目が輝いています。口元緩んでます。ぶっちゃけ、むっちゃいい笑顔なんですが……。 「あー金はあれに出させるから気にしなくていいよ」  今現在進行中でキリコ女史と意気投合中の久遠寺を示す。 「君がそう言うならありがたく頂戴しよう」  心底嬉しそうなスノリさんであった。  さて、これからどうしようか。  久遠寺は当分動きそうにないし、一人で帰るかね。  なんて事を考えていたのが悪いのか、それとももうあのチョコレートの樹を見た時から決まっていたのかぐいっと体を引っ張られた。具体的に言うと首と肩の二箇所。 「なあ、久遠寺。なんでお前まで俺の首を引っつかんでるかな?」 「ツカ、付き合ってくれ」 「アルバイター君暇そうよね。客観的な意見も聞きたいから付き合いなさい」 「ヤダ」 「却下」  こいつら、ハモりやがった。  それから後のことはあまり思い出したくない。なんかこう人外魔境を通り越したロストワールドで世紀末な場所を見たような気もするが、多分見間違いの勘違いだ。頼む、そういうことにしといてくれ。 追記。  その後久遠寺は『アレ』の製造に励んでいるようである。俺としては早々に取りやめて、もう少し全うな方面に手を出して欲しいと願っているのだが、今でも時々真霧間邸に顔を出しているようなので、叶わぬ願いのようだ。 追記の追記。  スノリさんにチョコレートを届けに行ったら、いつぞのメイド二人組がまた妄想爆裂させていた。いい加減にしろ。 追記の追記の追記。  最後に上月のことを少し。  あいつは無事に帰ってきた。なんか白いワニの尻尾を引き摺って……。曰く、尻尾を切断した所で、白いワニの群れに囲まれ、絶体絶命の所を地底人に救われたらしい。で、協力して追い払ったとかなんとか。その際に地底人と友好を結んだとかで、友情の証としてフリントロック銃を貰ったと言っていた。見せてもらったが、確かに年代物の銃ではあったんだが、若干問題と言うか疑問が残った。かなり小さいのだ、それが。掌サイズの人間が持ったら丁度いいくらいに。  なあ、上月。  お前、一体、地下水路で何してきたんだ、本当に? 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山脈よりの声:しょう 「『アレ』を探してみようと思う」 「『アレ』って『アレ』か?」  久遠寺の言葉に疑問符を飛ばしつつ、俺は昼食のB定食を口に運ぶ。うん、うまい。今日はどうやら当たりの日だったらしい。  うちの大学は基本、近所のオバちゃんがパートでメシを作りに来ていたのだが、流石にそれだと不満が大きかったのか、今では日替わりで近所の飲食店から手伝いという形で料理人が調理に来ている。それはいい。美味いものが食えるなら、アルバイトでもプロでも関係ないからな。問題はいつ何処の店料理人が来るのか学生には知らされていないと言う点だ。以前、何故か北区のうどんロードにある筈の『辛亭』の主人が調理に来ていたらしく、(うちの大学は中央区の南の外れにある。言うまでもなく、うどんロードからはかなり離れている)メニュー全てが激辛に変貌した事があった。あん時は確か、デザートのお汁粉まで真紅な辛苦に染まったんだったけか。喜んで食っていたのは目の前にいる久遠寺くらいだったように思う。  後は、何食っても、それこそ飯も付け合せのキャベツも味噌汁も全部モロモロの味しかしなかったA定食って日もあったな。モロウィンの仕業だって話題になったが実際はどうだったんだか。  と、話がずれたんで元に戻すと。 『アレ』とは、ここ最近、真密やかに囁かれる噂話の元凶の事だ。なんでも夢に出て来るとか言うのだが、自分のことを『我』と呼び、モンゴルの方で騎馬隊を率いていたとか戦国武将に仕えていたとかのたまうらしい。あと空を飛ぶとか、固有結界を展開するとか色々詳細不明の『ナマモノ』だとか。  一応、『アレ』がなんなのかは一目でわかるし、時々名乗りもあげているそうだが、誰もそれを口にしない。呼ぶとやってくるとか、懐かれるとか諸説色々だが、好んで近寄るものではないようだ。 「でもよ、お前『アレ』自分で漬けてなかったけか。わざわざそんな奇怪なもん探さんでもいいだろうに」 「確かに漬けてはいるんだけどな、中々上手くいかなくてなぁ。湿度管理がまずいのかと思って家の中に入れると妹が煩いし、かと言って庭に出したままというのも、少々不安でなぁ。その辺りを聞いてみたいと思った」 「さよけ。ま、妹さんが嫌がるのはわかる気がするよ。普通『アレ』は家の中には漬けんだろうし、高校生の女の子にはあの匂いはきつかろうて」 「そうか?」 「そうだよ」  この久遠寺という男、髪を金に染めているんだが、これがまた良く似合うんだ。背高いし、目鼻立ちもハッキリしているし。黙っていれば美青年で通るだろう。ただ、趣味が料理なんで口を開くと大概食い物の事が出てくる。シュネーケネギンの新作がどうとか、安寿の羊羹の味の秘訣はどうとか。ついでに異様に凝り性なんで、ケーキやクッキーを焼くのは極日常で、カレーはスパイスの調合から始め、ローストチキンを焼くなら鶏を絞める所から始める。ある意味掛け値なしの馬鹿だ。所謂料理馬鹿。  しっかし、外見と中身がここまで食い違っている奴も珍しいだろう。本当、黙っていれば美男子で通ると思うんだがなぁ……。 「ま、その辺りは有珠ちゃんとよく話し合ってくれ。けどよ『アレ』ってわざわざ探さんでも呼べばやって来るんだろ?」 「それなんだがな、何度か試してみたんだが来る気配がなくてなぁ」 「そりゃいねぇってことじゃねぇの『アレ』。でなきゃ、上月にでも聞いてみたらどうだそういうのに詳しいぞ呆れるほど」 「もう聞いて、『アレ』を出す店を教えてもらった」 「……だったら上月と行けよ。わざわざ探すとか言ってないで」 「それがなぁ。シュウの奴なんか白いワニと出会える歌ってのを聞いたからリベンジしてくるって朝から地下水路行った」 「あーそう」  ……いやちょっと待て。うっかり流す所だったが今、かなりろくでもない事言わなかったか、こいつ。 「止めろよ、お前も」 「んー、絶対リベンジだって張り切ってたしなぁ。あいつ一人なら大丈夫だろうし、白いワニってのも一度食べてみたいと思ったし」  駄目だ、こいつ。食い物が絡むと正常な判断て奴がどっかに行っちまう奴だった。まあ、上月なら一人でも大丈夫だろうって部分には大いに同意する所があるんだが。一応携帯に掛けてみるか、電波届くかどうか怪しいけど。 『はい、上月です』 「おう上月」 『只今白いワニと格闘中なので、電話に出ることが出来ません。御用の方は発信音の後に伝言を入れてください』  わざわざ吹き込んだらしい。 「あ、上月。俺、石動。無事だったら、連絡くれ」  用件だけ吹き込んで切ろうと思ったら繋がった。 「ん、分かった」  で、切れた。とりあえず無事らしい。後ろで水の飛沫く音がしていたのが聞こえたのは、きっと想像通りの意味なんだろう。深くは考えまい。覚えていたら、アラトに救援頼んでやるから。 「どうだった」 「取り込み中だったよ」 「そうか、楽しみだな」  どっからそういう考えに思い至る、おい。何で俺の周りには天野兄弟を含めこんなのしかいないかと嘆息つきつき、B定食を片付けた。  かく言う訳で、賛同する理由はないが、さりとて拒否する理由も特に思いつかなかったので、久遠寺に付き合う事となった。『アレ』に興味がなかった訳ではないしまあそういう事だ。  で、路面電車に揺られてうどんロードの始まりの町、オドロキ商店街の中を歩いているのである。とにかくうどん屋ばかりで、呑気に通りを歩いていると普通客引きの店員に取り囲まれて身動き一つで出来なくなるのだが、こいつ‐久遠寺晶がいると事情は少し変わってくる。  こう、見守るというのか、期待に満ちた目で注目を集めるというのか、さざめきに似た囁きが広がり、まるで映画の十戒でモーゼが見せた奇跡の如く、商店街のメインストリートに道が開く。 「いつ見ても異常な光景だな、これは……」  なんでこうなるかというとそもそもは一年ほど時を遡る。  更なる町興しを、ということでうどんロードの店を出すうどん屋総数百八店が協力し合ってあるイベントを行った。スタンプラリーだ。それだけならまだ普通に聞こえるが、正気の沙汰じゃないのは一店一スタンプでスタンプ用紙がA2サイズという、四十八ヶ所参りと張り合うのかというような代物だった事だろう。無論開催期間は半年と長めに取られていたが、それにしたところで、殆ど毎日昼食をうどんにして達成できるかどうか微妙な線だ。  実際、終わってみれば百八店全て回り切ったツワモノは二十人にも満たなかったと言う。まあ、普通に考えたら、毎日昼食がうどんで満足できるか? 以前の問題に金がもたんよな。と、まあ、大体予想がついたんじゃないかと思うが、その数少ない達成者の一人が久遠寺晶だ。それも僅か一ヶ月足らず全店制覇を成し遂げた漢(ばか)である。霧生ヶ谷新聞にも取り上げられたので、少なくともうどんロードの関係者で知らないものはいない状態。お陰である意味一緒にいる俺は晒し者だ。 「相変わらず人気者だな」 「そうでもない。最近は全店全メニュー制覇や辛亭の裏メニュー常連なんかがいるらしいからなぁー」 「どこの化けもんだ、それは」 「さあ? 直に会った訳じゃないからな。聞いた話だと一人はゴスロリ少女で、もう一人はモデルみたいな大学生らしいが」 「なんだよ、その漫画みたいな組み合わせは」  いい加減奇妙な出来事には慣れたつもりだが、それにしたって奇妙というか珍妙に過ぎるだろう。大食いのゴスロリ少女に激辛好きのモデルってのは、おい。  とか考えていたら、目の前を文字通り目を疑いたくなるような美人な男が横切って、そのまま辛亭へ入店していった。ああ、確かにあれは目立つわ。薄暗かったら女と間違えそうなくらいだし。こりゃ本気でゴスロリ少女と遭遇してもおかしくないかもしれない。と、えーと。 「辛亭じゃ、ねぇの? 『アレ』つぅからそうかと思ってたんだが」 「俺もそうかと思っていたんだけど、違った」 「じゃ、ばあさんとこか」  一口で地獄が味わえると評判の店をあげる。 「いや、そっちも違う。あっちだ」  久遠寺の指差した店を見て眩暈と頭痛と立ち眩みに襲われた。そこには、ビラを配るメイド(無論言うまでもなくモログルミ装備済み)の姿があった。看板は永久凍土に覆われた山脈のデザイン。店名は『冥土喫茶狂気山脈』‐別名、誰が呼んだか霧生ヶ谷の超えねば為らぬ山。実際超えるには相当量の、並々ならぬ努力と忍耐と鉄の胃袋を必要とするが。メニューの一部を列記すれば、練乳苺ミルクうどん、うどんにキウィを練りこんだクリームキウィうどん、既にうどんでも何でもないだろうと言いたくなるコスモうどん。どんなかというと、一口サイズに油で揚げたうどんの塊の山の上に星型に抜いたニンジンとインゲンが乗っかっていて、ポン酢で食べるというものだ。これだけでも十分狂気の縁に片足立ちしているようなものだが、量がまた半端じゃなく多い。一品が確実に五人前はあるだろう。一人で食べきれば、狂気に肩までどっぷりと浸かれる事請け合いだ。  それでもそれなりに店が繁盛しているのは、モログルミ装備のメイドさんのお陰なのか、まともな味付けのメニューが存在するからなのか、それとも罰ゲームに最適だからなのかさっぱり分からない。この辺り霧生ヶ谷七不思議の一つだとか言うが、七不思議自体が増えたり減ったりするんでどうなんだか。とにかく、どう考えても『アレ』とは結びつかない狂気山脈の店内へと足を踏み入れた。 「お帰りなさいませ、ご主人様」  にこやかな笑顔と穏やかな声に迎えられる。あー、なんか首筋がぞわぞわする。でも、目の前のメイド二人は為り切っているんだろうなぁー。前、バイトで執事喫茶のウェイターやった時俺もそうだったし……。俺の場合は、アオイに無理やらされたから為り切らにゃやってられんかったってのもあるんで、ちょっと事情が違うって言えば違うんだが。 「お食事の準備が出来ております。こちらへご主人様」  店内は普通に品のいい調度品で飾られた喫茶店といった風で、それが余計にテキパキ動いているメイドが持っていたり、テーブルについている客が啜っているのがうどんという、チグハグなものだという事実を浮き上がらせていた。もっとも客にそんな事を言っても、『それがどうした』というような答えが帰ってくるのが関の山で、下手をすると『ひゃっほう』の叫びと共に何かが飛んでくる可能性さえあるから俺も口にしない。  大人しく席に着く。手の空いているメイドが何人か久遠寺に視線をやり、うっとりとした感じになる。黙っていれば美人だもんな、こいつ。口を開くと基本食い物の事がメインで残りの殆どは妹の事だよなぁ。後は……、なんかあったっけ?  うーん……。  で、すぐにメニューとお冷が持ってこられたのだが。はて? なんか見覚えのあるような? すると向こうも同じような事を思ったようで、暫し動きが停止する。無言のまま視線が交差。多分傍から見たら怪しい光景。モログルミに殆ど隠れているが、日本人にはありえない銀色の髪。そもそも瞳の色からして明らかに違う。顔の造詣は凛々しく深く、男装でもしたら道行く女性の半分以上が振り返らずにはいられないだろう。視線を下に落とせば、存在を主張して止まない我儘な胸がフリルの付いた布地を押し上げていて、押し上げられた布地の部分にはカタカナで『ユキ☆』と書かれたネームプレートが付いていた。顔を凝視したんで誰かは分かったんだけど、言うべきかどうか迷ったんで少し観察してみた。  さてはて、一方でその見覚えのあるメイドさんは「あ、ああ……」と洩らしたっきり、思考停止といった具合で固まっている。なので、 「あー、お久しぶりです。スノリさん」と、挨拶を取り合えずしてみた。いや俺もどういったらいいか思いつかなかったんだって、これが。  だからなのか、気まずーい空気が満ちる。例えると、沈黙と沈黙がガチでストリートファイとしているようなって、これだとかなり騒々しいな。むしろ、上月が黙って黙々と何かやらかしている嫌な緊張感といった方がしっくり来るかもしれない。とにかく妙なバランスで成り立ってしまった場の雰囲気はそれゆえに自壊する可能性はゼロに等しく、外部からの何らかの力を必要としていた。かといってこういう場合わざわざ話しかけてくるような特異なやつも少ない。 「修羅場かな、ヒカリちゃん」 「きらりよ? ……でも、どうかしら。ユキちゃんも恋愛に興味ないって言ってたけどスミに置けないわ」  こら、そこのメイド二人組み。妙な想像を働かせている暇があったら何とかしてくれ。スノリさん、卒倒しそうだぞ。  で、まあ、こういう場合空気を読まないというよりは読むつもりのない奴が一番強い。 「ツカ。知り合いか?」  流石久遠寺、そこに痺れもしないし、憬れもしないけど、助かった。 「前に言ったろ。杉山さんに追いかけられた時に助けてもらったって。この人だよ」 「ああ、なるほど。しかし確か男装の麗人という話だったと思ったが?」  うん、俺も疑問だった。けど、ワザと触れないようにしていたんだけど。空気読めよ。 「という事なんですが、なんでです?」  仕方がないので、はっきりと明確にわかりきっている地雷を目一杯踏みつけた。それはもう地雷源発見、全力全身突撃ーって感じで。青ざめていたスノリさんの顔が目に見えて引きつった。視線が不自然に宙を彷徨う。どう言ったらいいのか、それとも言わないほうがいいのかって感じで思案しているというのか、それとも単に動揺しているだけと見るべきか。 「込み入っているんでしたら別に無理しなくても」  助け舟のつもりで出した一言がどんと背中を押したらしい。 「いや、大丈夫だ。……実はここの所仕事がない所為で懐具合が寂しいんだ。それで、キリコ女史に何かないかと聞いたところこの店に連れて来られたと言う訳なんだ」  スノリさんの収入源と言うか仕事は、実際目にした今でもいまいち信じがたい面が多いのだが有体に言ってしまえば化け物退治だ。実の所、霧生ヶ谷では、俺を含めた住人は気付いていないだけで、怪奇現象と呼ぶに相応しい事象が頻繁に起きているらしい。でっかいチョコレートの木が生えるのもその内の一つに入っているんだろうか。あれの原因はこれ以上ない位にハッキリしているんだが? それは置いておくとして、その内の殆どは市役所の職員によって、事前にもしくは人目に触れぬよう事後処理されるらしいが、時々手に負えないほどの怪異が生じる。そんな時、声が掛かるのがスノリさんのような怪異退治を生業とする者達だ。驚いたことに結構な人数がこの街にはいるらしい。大抵は表の職業を持っているそうだが。調伏だけでは日々の生活に必要な糧を手にするだけの金額は手に入れ難いということなのだろう。そういう意味では、スノリさんは退魔一辺倒の表向き無職のフリーターさんなのであった。  と言うものの、この間杉山さんから助けてもらった時結構な報酬がキリコ女史から支払われるような事を言っていたように思うのだが……。そのあたりの事を聞いてみた。 「いや、その、現金ではなく……、現物支給ということで……」 「はあ、で、一体何貰ったんです」 「シュネーケネンギンのチョコレート食べ放題」  ……うん。俯き加減で顔を真っ赤にして恥らうように体の前で手をモジモジさせているメイド姿のスノリさんは確かに反則的なまでに可愛いと思う。思うが、かなり問題ありませんか、所謂社会人として。食欲優先させるなよ、久遠寺じゃないんだからさぁ。  何よりさっきからメイド二人組みの視線が痛いのですが? 「言葉攻めよ、言葉攻め」「キャー、ユキちゃん大胆」  こら、そこ更に突飛に飛躍した想像を勝手にしない。許可取ったらいいってもんでもないけどな。 「確かにシュネーケネギンのチョコレートはすばらしい。一級品のカカオを使用しているのは当然として、それを十全に生かすパティシエールの腕もまた一級だ。欠けてはいけない両輪をきちんと備えた店と言えるだろう」  言いたい事はそれだけか、久遠寺? 自分の興味だけで発言してんじゃない、ほれスノリさんだって困って……ねえよ、おい。 「やはり貴方もそう思うか。あの甘みと苦味の絶妙なバランス。口の中で絹がほどけていく様な柔らかな口どけ。どれをとっても筆舌に尽くし難い素晴らしい物だと思う!」  力説してくださった。しかも、目にはハートか、もしくは天使でも降臨なさったような恍惚とした光さえ生まれている。そのまま、久遠寺とチョコレート談義を始めちまった。寧ろシュネーケネギン談義か? とりあえず人の少ない時間帯でよかったな。そこのメイド二人組みもこっち見て妄想膨らませてる暇があったら注文取りに来るか、スノリさんまともに戻すかしてくれ。何が、二股だ。修羅場だよ!  なんか俺もう疲れた。なんでこんな所まで来て晒し者にならにゃならんのだよ。 「おーい。注文しなくていいのか? しないんだったらお冷だけで帰るぞ」  その後の反応は実に対照的だが。全く変わらない久遠寺と、羞恥で真っ赤になって半分パニクリながら「お、お伺いします、ご主人しゃま」とスノリさん。  なんか噛んでるし。この人本当に日常生活大丈夫だろうか? 人事ながら少し心配になる。 「では、『アレ』を。ツカはどうする?」 「じゃ俺は、……アイスコーヒーで」  ちょっと躊躇しながら注文を決めたのは、何か一品必ず注文するのが山脈での暗黙の了解なのだが、下手なものを注文すると地獄を見るのと,量が半端じゃないんで軽く死ねるからだ。俺が注文したアイスコーヒーにしたところで、ピッチャーに入ってくるのだから大差ないとも言えるが、他のものに比べれば味が普通な分ずっとかマシだ。俺は正直、あんこと生クリームに塗れたうどんを美味しく頂く自信は全くない。そういう訳でアイスコーヒーだ。チキンと言うな、一度チャレンジしてみれば俺の気持ちがよく分かるから。  それはともかく、久遠寺が『アレ』と口にすると店内のメイド達がざわついた。「『アレ』よ」「ついに『アレ』が……」「ご主人様が『アレ』をご所望よ」「えーあたし怖い」などなど。  おい、『アレ』ってなんなんだと言い出したくなるくらいの無秩序っぷりだ。暴れんのかよ、危険なのかよ。喋って踊るだけじゃなかったのか? ズーンと重くなる気分に追い討ちを掛けてくれたピッチャーに入れられたアイスコーヒーをストローでチューチューやりながら『アレ』が来るのを待つ。  俺と久遠寺はとりあえず無言。店内も妙に静まり返ってしまい、居心地が悪い。 「なんか妙な事になってないか?」 「ま、こんなもんだろうそう注文されるのもでもないようだしな」 「久遠寺。言う事はそれだけか?」  おかしいとは露ほども思わないんだろうなぁ。こりゃあ、もう他の事は目に入っていないんだろう。諦めてコーヒーを啜る。ああまったく。全然減りやしねぇ。  やがて、問題のブツが運ばれてきた。蓋のついた丼に入っているらしいのだが、何か異常だ。すぐに判明したが、スノリさんが抑えていた蓋から手を退けると、途端に蓋が勝手に踊りだした。持っているスノリさんの手が震えているのではなく明らかに中身が暴れて蓋が飛び跳ねている。テーブルに置かれるとよりそれがハッキリした。  カタカタと踊る丼の蓋の隙間から時折覗くのは紅い影だ。メイド達の怯えた視線が集中する中へ以前と蓋を取る久遠寺。お前のその神経が羨ましいというか、信じられんというか、とにかく呆れていいか?  果たして丼の中では『アレ』が蠢いていた。急に明るい光に晒されたからなのか、派手な動きは息を潜め、まるで様子を伺うように丼のそこに張り付いている。時折威嚇なのか、それとも丼の外に飛び出るための前段階なのか、全体をたわめてもいる。  断っておけば、それは確かに『アレ』の名を聞いた時、日本人なら真っ先に思い浮かべるであろう一口サイズに刻まれた白菜だった。 「……」  俺はといえば言葉を失い、と言うか思考停止しそうになるのを堪えながらスノリさんを見た。頭が痛くなった。  スノリさんは『アレ』に全神経を集中させていた。少しでも可笑しな動きを見せたなら即座に『アレ』と久遠寺の間に割り込む事ができるだろう。手にしているのがお盆って言う時点でかなり微妙でもあるが。そんなに危険なら始めっから出すなよ。今更言うのもなんだが。まあ、出て来たものはしょうがない。  問題はこれをどうするかなんだが、普通ならこのまま廃棄だろう。こんな得体の知れないモノはそうするに限る。が、久遠寺は一言『頂きます』と口にして『アレ』にフォークを突き刺した。その時生じた音を文字にするなら、『キシャー』だったか、「テケリー」だったか、とにかく人間には発音できないだろう異音であり、聞いたものを不快にさせずにはおかず、聞き続けたならば、いつまでの耳にこびりつき、思考を腐食し停止させるだろう代物だった。幸いにもそれは二秒と続かず、『アレ』はフォークに貫かれ弱々しく蠢くだけとなった。なんだか、こうフォークから白い刺激臭がする煙が出ているのは何でだろう。フォークの先端溶けてきているしって、なんでそれを口に入れようと思うかな、久遠寺! 「まて、こら」と手を伸ばすがいかんせんテーブルを挟んで真向かいなもんだから間に合わない。ピッチャーコーヒーも邪魔だしな!  異常な位ゆっくりと『アレ』が久遠寺の口へと運ばれる様が見え、その間に俺の脳裏では、B級ホラーに出てくるモンスター並みに形容し難いブツに変貌する久遠寺の姿が幾つも瞬いた。以前天野兄弟(兄)に強制的に徹夜で鑑賞させられたB級ホラーコレクションパート8の影響だと思いたい。つうか、こんな時にまで電波送ってくなよなぁ。  一種の現実逃避に陥っていた俺は裂帛の気合に現実を取り戻す。見れば、スノリさんが寸前のところで、最早『アレ』でもなんでもなくただの不気味な『なまもの』と成り下がったそれが久遠寺の口に収まるのを手にした盆で阻止していた。  そして、手首のスナップだけで弾き飛ばす。言うまでもなく、位置的に俺のほうに向かって。微妙な放物線を描いて向かってくるそれを横目に恥も外聞もなくゴロゴロ転がって避ける。顔を上げると丁度それがコーヒーのピッチャーに飛び込むところだった。  ポチャン。  音はそれほど派手じゃなかった。が、その後がキていた。 「テケリリー」  どう考えても断末魔の叫びとしか思えない声がそれから迸った。這い上がろう、這い出ようともがくが、ピッチャーの中は広く、何よりそれはフォークに串刺しにされている。フォークは物理法則に従ってそれを道連れにピッチャーの底を目指す。バシャバシャとコーヒーが掻き乱され、それは不意に圧縮された空気が開放されたように泡だった。ピッチャーの中が白く染まり、何も見えなくなる。一際大きく泡立つとそれを最後にピッチャーの中の液体は静けさを取り戻していった。ただ、濃い褐色であったはずのコーヒーがそれはそれは見事なまでの真紅に変貌していたのを除けば。  暫く、誰も動かなかった。呆れているのか、驚いているのかは定かではないが、少なくともどうしたらいいか考えていたのは確かだろう。だから、最初に立ち直ったのが久遠寺だったのは妥当と言えば妥当だし、呆れるべきと言えば呆れるべき事だ。 「いいかな?」  固まったままのメイドさんを呼んだ。 「『アレ』を作った責任者を呼んでくれないか?」  ああ、そうのたまいやがった、この馬鹿は。 「どうかしたのか、ツカ」 「なあ、普通こういう場合、最初に謝罪するべきなんじゃないかと思うぞ」 「……ああ、そうだな」  久遠寺は席から立つと、未だ固まったままの人たちに向き直る。 「皆様、ご無事でしょうか? 大変お騒がせ致しましたが、この通り落ち着きましたのでご安心ください。大変失礼致しました」  食い物から離れると久遠寺は大概こんな感じで印象が豹変する。いやはや、いつもこうだと付き合っているこっちとしても楽なんだけどなぁ。 「これでいいか? ツカ」 「ああ、そんなもんだろ。後で、店の人にも直接謝ろう。出禁にならなきゃいいけどなぁ」 「……」 「おい久遠寺、飲むなよ」 「ム……」  図星かよ。 「わりぃ。これ何処に片付けたらいい?」  そばのメイドさんに尋ねる。 「え、あ、あの……」 「はいはい、厨房何処? 俺運ぶから」  未練がましい久遠寺の視線を断ち切ってメイドさんの案内で厨房へ。久遠寺にはそこから動くなよ、と釘を刺すのも忘れない。スノリさんにも監視をお願いしておく。  あーやれやれとピッチャーを抱えて厨房への扉を開けると鉢合わせをした、所謂この件の諸悪の根源と。  勇ましくヒールの踵が鳴る。翻るのは白衣の裾だ。 「アレ、激アルバイター君じゃない。どうしたの。ひょっとして『アレ』注文したのって、君?」  言いたい事は色々あるが無言でピッチャーを突き出す。 「わぁお。これは予想外の反応ね。ひょっとして溶けた?」 「ああ」 「おもしろいわねぇ。アクマロ保管しといて」 「承知した」  何処からかゴスロリファッションの少女が現れて俺からピッチャーを受け取っていく。 「じゃ、行こうか。アルバイター君」  バンバンと背中を叩かれながら店内へと戻った。 「謳い文句に偽りありだ。歌いもしないし、喋りもしない。ただ這い寄るだけの代物だ」  開口一番久遠寺はこうほざきやがった。  クレームの付け所はそこか? あんな得体の知れないモノを出されたことに対しては何もなしかよ。そもそもお前『アレ』に漬け方のコツ聞くんじゃなかったのかよ。それ食おうとした時点で間違ってるだろ。あー俺何言ってるんだろ。いや、そもそも霧生ヶ谷が誇るマッドサイエンティスト、笑う愉快犯:真霧間キリコにクレームつける時点で命知らずだとは思うが。しかし、なんか物凄く嫌な予感がするんだが……。  そう、混ぜれば危険って感じ。この場合言うまでもなく久遠寺とキリコ女史の事だ。  朱に交われば赤くなり、赤は朱より出でて朱よりも赤し。訳が分からんが相乗相生スパイラル。グルグル回って溶けて混じって『コンゴトモヨロシク』とやってくるのは碌でもないもの。そんな予感は大当たりして、久遠寺とキリコ女史は意気投合しやがった。 「一体何と一緒に漬け込めばあんなものになるんだ」 「んーまー、アクマロの食べ残しをちょっとばかり……」 「アクマロ?」 「こっちの話。じゃ、君はどんなのが良かったのかな、聞かせてみてよ」 「噂に聞く、歌って踊るアレだ」 「『アレ』ねぇ。もうちょっと改良してみますか。君今から時間ある? あるなら家に寄って欲しいんだけど」 「了解だ。では行こう」  あまりの成り行きに憮然として二人のやり取りを見ていたら、スノリさんと目があった。 「知り合いは選ばないといけないね」 「そうだな」  僅かに表情を正したスノリさんから返事は貰えたものの、顔にはきっちり、『君に言われるのは複雑な気分だ』と書いてあった。俺もそう思うよ、心底。 「それはともかく、ここの代金どうなるんだろう……」 「それなんだが、恐らく今不在にしている店長が戻ってきてから謝罪なり何なりという事になると思う。注文されたとは言え、明らかにあんなものを出したこちらの方に非があるからな。そのように伝えよう」  いやまあ、そう思うんなら注文自体拒否って欲しかったなと思わなくもないが、それでも。 「それ助かる。お礼に今度シュネーケネギンのチョコ持ってくるよ。この店でいいのかな」 「いや、それは君に悪い」  スノリさん、目が輝いています。口元緩んでます。ぶっちゃけ、むっちゃいい笑顔なんですが……。 「あー金はあれに出させるから気にしなくていいよ」  今現在進行中でキリコ女史と意気投合中の久遠寺を示す。 「君がそう言うならありがたく頂戴しよう」  心底嬉しそうなスノリさんであった。  さて、これからどうしようか。  久遠寺は当分動きそうにないし、一人で帰るかね。  なんて事を考えていたのが悪いのか、それとももうあのチョコレートの樹を見た時から決まっていたのかぐいっと体を引っ張られた。具体的に言うと首と肩の二箇所。 「なあ、久遠寺。なんでお前まで俺の首を引っつかんでるかな?」 「ツカ、付き合ってくれ」 「アルバイター君暇そうよね。客観的な意見も聞きたいから付き合いなさい」 「ヤダ」 「却下」  こいつら、ハモりやがった。  それから後のことはあまり思い出したくない。なんかこう人外魔境を通り越したロストワールドで世紀末な場所を見たような気もするが、多分見間違いの勘違いだ。頼む、そういうことにしといてくれ。 追記。  その後久遠寺は『アレ』の製造に励んでいるようである。俺としては早々に取りやめて、もう少し全うな方面に手を出して欲しいと願っているのだが、今でも時々真霧間邸に顔を出しているようなので、叶わぬ願いのようだ。 追記の追記。  スノリさんにチョコレートを届けに行ったら、いつぞのメイド二人組がまた妄想爆裂させていた。いい加減にしろ。 追記の追記の追記。  最後に上月のことを少し。  あいつは無事に帰ってきた。なんか白いワニの尻尾を引き摺って……。曰く、尻尾を切断した所で、白いワニの群れに囲まれ、絶体絶命の所を地底人に救われたらしい。で、協力して追い払ったとかなんとか。その際に地底人と友好を結んだとかで、友情の証としてフリントロック銃を貰ったと言っていた。見せてもらったが、確かに年代物の銃ではあったんだが、若干問題と言うか疑問が残った。かなり小さいのだ、それが。掌サイズの人間が持ったら丁度いいくらいに。  なあ、上月。  お前、一体、地下水路で何してきたんだ、本当に? 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