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素直な木もち 作者:あずさ
「……でね、校庭の隅に大きな木があるでしょ? そこの木の下では素直になれるの! だから素直な気持ちを告白することができて、成功率が高いってわけですよ!」「……ん、……ちゃん、――遼ちゃん!」「――んぁ?」 一月ももう末。 学校はとっくに始まっているものの、冬休みボケとでも言うべきか正月ボケとでも言うべきか、なかなか身の入らないこの時期。 教師たちも残った範囲を終わらせるための消化活動に勤しんでいるためますますやる気が削がれる季節。 そんな惰性が拡散している真っ只中に、俺の目の前で、幼馴染みの愛美(まなみ)がものすごい膨れっ面をしていた。 まあ、何だ。とりあえず。「ひでぇ顔」「ひどっ……!? 何よー! 遼ちゃんの方がひどいんだから! あたしの話聞かないで!」 ひどい顔を崩してギャンギャン喚き散らした愛美は俺の机を思い切り揺らす。おかげで周りが何事かとこっちを見てきた。……何つー悪目立ちだ。こいつの奇行じみた反応は毎度のことだけど。 俺は欠伸をかみ殺して愛美を見上げた。さっきより頬がぱんぱんに膨れてやがる。ひまわりの種を袋ごと詰められそうだ。「あのな。俺は眠いの」「どうせ夜中にゲームしてたんでしょ」 打てば響くようなツッコミに目を逸らす。鋭い。さすが幼馴染み、俺の生活パターンをしっかり把握している。「遼ちゃんはたるみすぎ! いつまでボケっとしてんの? ていうか、あたしの話を聞いてってば」「とりあえずその『遼ちゃん』はやめろって何回言ったらわかるんだ?」「何で?」「高校生にもなってそんな呼び方してる奴いねぇよ……」 ようやく机を揺するのをやめた愛美は、きょとんと瞬き。ちくしょう、何で分かんねぇんだ。 確かに俺と愛美は幼馴染みだ。家もすぐ隣だし、物心つく前からよく一緒に遊んでいた。その頃は「遼ちゃん」って呼ばれても何の違和感もなかったさ。俺も「愛美ちゃん」って呼んでた時期があったわけだしな。 だけどよ、俺だってお年頃ってやつなわけで。もう高校生になって一年経つんだから、いい加減、やめてほしいわけだ。周りの奴らがニヤニヤして俺たちを見ているのがたまらなく嫌になる。 それくらいの空気を読んでもらいたいと思うのは、決して贅沢な願いじゃないだろ?「でも遼ちゃん……」「言うなって」 学習能力のない奴め。 俺がしかめっ面をすると、愛美は口を尖らせた。それから俺に背を向ける。怒って帰るのかと思ったが……よく考えなくても、こいつがそんな素直なはずがなくて。案の定愛美は帰ることなく、そのまま俺の背後に回ってきた。 そして、「……おい」 なぜか後ろから抱きしめてきやがった。「何やってんだ」「うーん」 俺の言葉が聞こえてないのか、手を這わせながら何やら唸っている。ていうかこれ、セクハラじゃねーの? どうしようか逡巡した俺の耳にクスクスと笑い声が届く。クラスの奴らが男女問わず俺たちを見て笑っていた。そう認識したとたん、体中の血液が倍の速さで一巡した気がした。 ああもう、だから、こいつは悪目立ちしすぎだ!「やめろって!」「きゃっ。……いったぁい! 何よ、突き飛ばさなくてもいいじゃない!」「うるせー貧乳」「なっ、はあぁ!?」 とたんに釣り上がる愛美の目。 俺はもう一度言ってやる。ああ、何度でも言ってやる。おまえが幼児体型を気にしていることなんてとっくにお見通しだ。「貧乳微乳無乳まな板ぺったんこ」「~~~何よぉ!」 愛美はその平らな胸を誇張するかのごとく張ってきた。しかしそれは空しさを強調するだけだとなぜ気付かない?「どうせ、どうせあたしは胸ないかもしれないけどっ。でも! 貧乳はステータスだって言葉を知らないの!?」「知りたくもねぇよ」「ううん、サイズなんて関係ない! 女性の胸はそれだけで神秘なのよ神聖なのよ! それを愚弄するつもり!?」「その神秘とやらをむやみに押し付けてくんじゃねぇ!」 ほらほらほら、なんて言ってくる愛美を力任せに押しのける。 幼馴染みってのは厄介だ。長年一緒にいたことで完璧に感覚が麻痺してしまったんだろう。こいつ、自分が女だってこと忘れてやがる。 ――それとも俺が男だと認識されてないのか? 何だかよく分からないが、少し腹が立ってきた。そもそも睡眠確保のための昼休みにこいつが勝手に押しかけてきたのが悪いんだ。俺はちょっと人の会話に気を取られてぼんやりしていただけだというのに、いちいちうるさく言ってきて。しかも「遼ちゃん」なんて恥ずかしい呼称を連呼して、周りの奴らから笑われるようなことばかりして。 「そもそもだ」「何?」「女性の胸は神秘だというのは百歩譲って認めてやるとしよう」「何で上から目線なの?」「それより何より、おまえ、女だったのか」 腹いせに鼻で笑ってやると、愛美がぴたりと動きを止めた。沈黙。心なしかその肩は震えているようにも見える。 周りの奴らも驚いたのか、小さなざわめきが広がった。中にはやっぱり笑い声も含まれているのが不愉快なわけだが……。 言い過ぎたか? 否。の、はずだ。だってこんな言い合いは日常茶飯事なんだから。時にはお互い、もっとえげつない言い合いをするときだってある。 怪訝に思っていると、愛美が勢いよく顔を上げた。それと同時に捻り潰されるんじゃないかと思うほどの力で腕をつかまれる。だけど痛いと感じる余裕はなかった。「遼ちゃんの、」 あ、やべ。 そう思うより早く、ぐるり。世界が回転した。「――馬鹿ぁっ!!」 愛美が走り去った後も俺は床に倒れたまま、しばらく起き上がれる気がしなかった。あいつはチビでガキだが、似合わないことに合気道の腕前は確かだ。……久しぶりに投げられたなぁ。昔から散々投げられていたせいで、とっさに受身を取れた自分が誇らしいやら恨めしいやら。 「遼ちゃん、大丈夫かー?」 ヘラヘラとした声音で同じクラスの岳大(たけひろ)が俺の近くにやってくる。俺はようやく上半身を起こした。昼寝のはずが永眠にならなくて良かったと思うべきだろうか。とりあえず遼ちゃん呼ばわりしたこいつのことはぶん殴っておこう。 「――痛ぇ!?」 しまった、宣言する前に手が出てしまったらしい。 そもそも、そもそもだ。俺が「遼ちゃん」呼ばわりを気にするのは、お年頃ということを抜きにしても訳がある。認めたくないことに母親似の俺は女顔、というやつらしいのだ。「女装をすればあたしより可愛いかもよ」と愛美が言ったほど。本気で嬉しくない。……一度、野郎に告られたというおぞましい経験があるしな。そのときは相手を問答無用で気絶させ、人生の汚点を綺麗さっぱり忘れさせてやったわけだが。 だから、そう。男から「遼ちゃん」呼ばわりされると俺は本気で生理的に虫唾が走り、気付けば容赦も慈悲も疑いようもなく手が出てしまうわけで。 ついでにこんなに口が悪くなったのも、女っぽさから遠ざかるためのささやかな反抗心からなわけで。 俺はむしろ色んな意味で被害者だと思うわけだ。「しっかし、何だお前ら。夫婦漫才?」「はあ?」 不快感。誰と誰が夫婦だこの野郎。「だって仲良しだったじゃん?」「そう見えたんなら眼科行け眼科。もしくは精神病院に行ってそのまま帰ってくんな」「遼ちゃんひどいっ」「殺(や)る」 呟きざまに一発。岳大は今度こそ言葉をなくしたようだった。代わりに漏れてくるのは濁ったような音ばかり。……俺、学習能力って必要だと思うんだよ。 周りの奴はいつものことだと思っているのかあまり気にしていない。そのことに対し俺が少しだけ同情してやっていると、他の男子が肩をすくめながら話しかけてきた。 「それにしてもお前もさ、投げられるならもうちょっと派手にいけよ」「何言ってんだよ。俺は華麗に投げられた自信があるわ」「いや、上手くいけば愛美ちゃんのスカートが翻りそうだったから」「死にさらせ」* * * いつもの他愛無い喧嘩、いや、むしろじゃれ合い。 そう思って全く気にしていなかった俺だが、あの日以来、愛美と俺が話すことはなくなった。というより会うことすらほとんどなかった。 ……避けられてる? 俺は至って普通に過ごしているつもりなんだが、それにしては愛美の姿を見ない。普段はあっちからうざったいくらいに構ってくるのに。 いや、別に。平穏でいいなと思っているから問題ねぇけど。本当に。「遼、おまえ最近遅刻多くね?」 話しかけてきた岳大に、机に突っ伏していた顔をのろのろと上げる。「……うるせ」 あいつと話さなくなってから約二週間。外の冷たい空気にさらされて真っ赤になった頬を憎々しく思いながら吐き出した言葉は覇気がなかった。はあ。今日はギリギリ間に合った……。 「今までそんなに遅れてなかったよな?」「……」「遼ちゃん? ――ふべらっ」 鉄拳。無意識に繰り出していたもんだから俺自身に罪はない。 確かに最近は遅刻が多い。だけど何でかって、そんなの言えるか? 愛美が来なくなったから、なんて言えるか? 普段は毎朝、愛美が俺の部屋に勝手に入り込んで無理に起こしていたから間に合っていただなんて……いやいやいや、それどこのエロゲーだよ! 俺が自分で現実を疑うわ! あいつの女としての神経を日々疑っていたわ! あいつが来なくなって、ようやく平穏さを実感した。朝、俺に馬乗りになってくる奴がいないという当たり前の日常を知った。 ああ有り難い、有り難いじゃないか! ――遅刻というツケが返ってくる現実には、情けなくて涙が出そうになったが。「なあ、実際のところ。愛美ちゃん、傷ついたんじゃねーの?」 言いながら岳大は紙パックのジュースを取り出す。冷やすつもりらしく、殴られた頬にそのジュースをあてがった。どうでもいいけど、あんなに痛い仕打ちをされても俺を敬遠しないなんて、タフな奴だ。まさかマゾじゃないよな? 「傷ついた、ねえ?」「幼馴染みでもさ、男も女も関係ない状態なんて小学生くらいまでだろ?」「だから?」「愛美ちゃんも女の子ってこと、おまえ忘れてねぇ?」「はあ? 何を……」 それはむしろ、愛美本人に言いたいっつーの……、……。 そういえば。俺が最後にあいつに言った言葉って、「おまえ、女だったのか」だったか。 いや、でも、それはほら。普段俺に対して女の色気のいの字もないようなあいつに対する嫌味で。皮肉で。「まあ、おまえら仲良かったから割り込む余地なんてないと思ってたけど。そんなこともないなら? 俺もちょっとくらい? 愛美ちゃんにアタックしてみようかなんて?」 「いちいち語尾上げんなうざったい。手始めに人生を終えてこい。話はそれからだ」「来世でしか取り合ってもらえない!?」「まだ足りない」「遼ちゃんの欲張り! ――あべしっ」 岳大。おまえ、それほど早く来世に行きたいのか。「……謝ってくる」 あの後も何度か岳大を締め上げて、結局、放課後。今日も愛美の姿を見なかった俺はとうとう行動に移すことにした。……別に岳大に発破かけられたからじゃない。それだけは断じてない。だから岳大、箒を持ったままニヤニヤ笑ってるんじゃねえ。 「結局行くのか? ふふっ」「きもい」「ぶほっ」 とりあえず構ってほしそうだったので顔面に直接プレゼントをお見舞いしてやる。「げほごほっ。……黒板消し?」「それで少しは面(つら)の汚れを落とせばいいのに」「むしろ汚れるよな!?」「おまえという汚点も消えればいいのに」「生まれてきてごめんなさい!?」 俺が廊下を出るときも何だか岳大が喚いていたが、「掃除をサボるな」と他の奴らに襟首を掴まれて教室の奥に引っ張り込まれていった。やれやれ、だ。 愛美のクラスはすぐ隣だ。俺はこっそり覗き込んでみる。このクラスも掃除中なのか、話し声や机を運ぶ音がずい分賑やかだった。 愛美は……いない。帰ったか? ふと、俺を見ている視線に気付いた。その視線を辿り、「……あ」 無意識に声が出ていて、思わず口をつぐむ。だけど相手にはしっかり聞こえていたらしい。片眉を上げたそいつは腕を組んだまま近づいてきた。おい、眼鏡が光ってるんですけど。 「何か用?」「あ、いや……」 むしろ先に見ていたのはそっちだろ? とは、とてもじゃないが言える雰囲気でなかった。俺はまだ来世の岳大と会う義理があるからここで死ぬわけにもいかない。穏便に、穏便に。「あんた、えぇと……この前、噂の話してたろ」「噂?」 女生徒――柳川爽香は瞬いた。相変わらず腕は組んだまま、視線をわずかに落とす。それからややして「ああ」とうなずいた。それとほぼ同時に柳川の目が細められる。それは品定めをしようだとか、獲物を狩ろうだとかいう鋭いものでなく、なんというか……ものの見事に「呆れました」というオーラを感じさせるものだった。 「わざわざ別のクラスに来て、そんなことを聞きにきたわけ?」「いや、別に……」 とっさに話題を考えようとして、つい聞いてみただけなんだが。何か言わなければ悪いような気にさせられて。「そんなことをする暇があったら他に勇気を出すべきことがあるでしょうに」「…………」 ええと、あれ、何だこれ。何で俺説教されてるんだ? 言葉に迷っていると、そんな俺を見た柳川が盛大に肩をすくめてみせた。どうでもいいけどこいつ迫力あるな。「退屈しのぎに二つ教えてあげる」 退屈だったのか。「一つ。噂は校庭の隅にある木について。たくさん植えられているけど、一本だけ妙に双方の間隔が空いている木があるでしょう?」「あー……あるな」「あの木の下ではみんなが素直になれるんですって。意地っ張りな二人もあの木の下で告白をすれば上手く結ばれるという噂」「……初めて聞いたぞ?」 ベタといえばベタベタすぎる噂に顔をしかめずにはいられない。 だけど柳川は小さく息をついた。――いや、別にお前自身を疑おうとかいうわけじゃねぇし。だから眼鏡光らせるなよ。軽く睨むなよ。思い切り睨んでほしいわけでもないが。 「マイナーな噂だからね。それに所詮、噂は噂。根拠なんて知らないわ。でも、そうね……霧生ヶ谷の高校に不思議な噂がない方が不思議というものじゃない?」「それは、まあ……そうだな」「それともう一つ。愛美なら図書室に行ったけど?」「…………」「何?」「俺、お前には逆らわないことにするわ」 何だか色々とお見通しされているのが怖い気もするが、味方なら頼もしい限りだ。 だけど俺が向かったときにはすでに、図書室に愛美の姿はなかった。入れ違いになったらしい。俺は重い足取りで教室に帰る――つもりだったが、岳大の高笑いが聞こえてきたのでそのまま玄関へ足を向けた。これ以上疲れるのはごめんだ。 靴を履いて外を出る。外は朝と同様、もしかするとそれ以上に冷え込んでいて、「寒い」を通り過ぎて「痛い」。急いで家を出たから手袋も忘れたんだ。全くもってついてない……。 「遼ちゃん!」 ふいに。 そう、突然に。 そんな声が背後から飛んできて、俺は動きを止めた。 まさか幻聴だったりしないだろうな。そんなに疲れてるかな俺。もし疲れているなら岳大に構いすぎたせいだろうな。「遼ちゃん、遼ちゃんってば!」 一応疑って振り向けば、紛れもなく愛美が走ってくるところだった。外気に触れている生足が寒そうだ。そんなことを思いながら突っ立っていた俺の目の前で愛美が止まる。走ったせいで乱れた息を整えながら、愛美は小さく笑ってみせた。 「もー。探してたのに見つからないんだもん。焦っちゃった」「えっと……?」 逡巡。 愛美の様子からして、怒っている様子は見て取れない。無邪気な笑顔だし、言葉に怯えも怒りも悲しみも感じられない。至っていつも通りだ。避けられているんじゃなかったのか? 「あのね」 困惑する俺をよそに、愛美はニコニコと口を開いた。しかし何を思ったのか、そのままフリーズする。さらにわずかに顔を赤くして視線を泳がせた。何だこの百面相。唖然としている俺を尻目に愛美は慌しく周りを見、 「ここじゃちょっと……。あっちの方に行こうよ、あまり人もいないから」 気まずそうに、例の木のある方を指差した。「……んで?」 周りに誰もいないことを確認してから口を開くと、愛美も緊張を緩めて俺を見た。「あのね、これ」 差し出されたのは、……紙袋? ちらと愛美を見やれば、愛美は無邪気にうなずいてみせる。俺にくれる、ということだろう。訳が分からない。分からない……が、また投げられたくはないので素直に受け取った。何だ、何が入っている? 実はやっぱりこの前のことを怒っていて、報復のために何か仕込んだんじゃないだろうな。開けたら爆発するとか。開けたら縮んで消えちまうとか。 だけどこのまま固まっているわけにもいかない。それに純粋な興味もあった。俺は一呼吸置いてから恐る恐る袋を開け…… 中から出てきたのは、深緑の毛糸の塊、だった。 いや、さすがにその表現は語弊がある。正確には、「……マフラー?」「うん」 惚けている俺とは対照的に、愛美は清々しいほどの笑顔だ。俺にこれを渡したことで達成感に満ちているのかもしれない。「今日はバレンタインでしょ? 毎年遼ちゃんにチョコあげてるけど、今年は何か違うことがしたいなぁと思って、初めて手編みに挑戦してみました! ほんとはセーターにしたかったんだけどね、寸法がやっぱり分からなくてマフラーにしたの。でもマフラーにして正解だったぁ~。セーターじゃきっと間に合わなかったもん」 ……ええと、その、つまり。もしかして、この前抱きついてきたのは、セーターの寸法を測ろうとしたから? ずっと会えなかったのは、マフラーを編むのに忙しかったから? …………う、わ。 やべぇ。俺、今、絶対顔赤い。 何も言わない俺を不思議に思ったのか、愛美が照れ笑いをしてみせる。 ちょ、待て待て待て。上目で見るな! ……なあ、こいつってこんなに可愛かったか? 俺、おかしくなったか?「遼ちゃん?」 だから遼ちゃんって呼ぶな。そう反射的に言おうとして口を閉ざす。照れ隠しとはいえ、言いたいことはそんなことじゃない。 ――ああそうだよ、普段こいつに憎まれ口を叩いているのだって結局は照れ隠しだよ!『あの木の下ではみんなが素直になれるんですって。意地っ張りな二人もあの木の下で告白をすれば上手く結ばれるという噂』 ふと、柳川の言葉が脳裏をよぎった。普段、意地を張ってばかりな俺でも……こんな頼りない噂にあやかれば、変われるか……?「――愛美」 俺は、息をのんで。愛美の両肩をぎゅっとつかんだ。……思ったより細い。「その……」 ――あああ! 駄目だこの空気! やっぱりこんなの俺の柄じゃねえ!!「遼ちゃん……?」「だあー! 遼ちゃんって呼」 ばさばさっ どさっ …… ………… 木の上の雪が、一気に俺たちの頭上に降り注いできた。突然のことで当然避けることもできず、俺たちはもろに頭から洗礼を受ける。一瞬、視界が雪まみれになった。 あまりのタイミングに俺も愛美も呆然。 何が起こったのか理解するのに時間を要し、俺たちはぼんやりと互いを見つめ合った。はらり、頭から雪がこぼれる。溶けて水滴になった雪がじわりと顔から伝い落ちる。 「……は」 ふいにこぼれたのは、俺の声。「はは、ははは! すげぇ、何だ今の」「ビックリしたねー。遼ちゃん、雪まみれ」「馬鹿、お前も同じだろ」 苦笑しながら、頭に積もった雪を払いのけてやる。だいたい払い終わると、水滴を含んだ髪を揺らし、愛美は「ありがと」と微笑んだ。 ……くそう、反則だ。「遼ちゃん、寒くない?」「……これ、あるから大丈夫」「あ」 俺が深緑のマフラーを握ってみせれば、目を丸くした愛美がクスクスと笑う。俺はすっかり毒気が抜かれ、愛美の頭にぽんと手を置いた。最後の照れ隠しだ。顔は見せねえ。 「ありがとな」「うんっ」 ――この木に、少しくらいは感謝してやろう……なんて思うのは、やっぱり俺の柄じゃないか?* * *「さーやかっ。なになに、何見てるの? 笑っちゃって怪しーいっ」「ん? あれよ、あれ」 ぼんやり窓辺で頬杖をついていた私に駆け寄ってきたのは、鶴ヶ丘ひかり。彼女が元気に溢れまくっているのはいつものことだから、さして驚くことなく現状を伝えてやる。するとひかりは素直に私の指差す方を見ようと身を乗り出した。大袈裟に手で双眼鏡の形を作りながら目を細めている。 「んんー? 愛美と……えぇと、幼馴染みの遼ちゃんだっけ?」「ひかりまで遼ちゃん呼ばわりはどうかと思うけど」 どうでもよさそうに呟いて、一息。「素直になれるという噂の木の下で、どうやら上手くいったようよ?」「え?」 間。 それから、大きな瞬き。「……え、あれって確か」「ひかりがこの前、『学校にそれらしい噂がないなんてつまんなーい』『ないなら作っちゃおっか!』『ねね、こんなのはどうっ?』って一人で盛り上がっていたやつね」 「え、言ったのは覚えてるけど! ええっ? 作った噂が関係あるの? 上手くいったって……なになに、どゆことー!?」「まあ、そうね……」 相変わらずテンションの高いこと。 苦笑気味に細く息を吐き出せば、気温が低いものだから白く曇る。それを見つめながら、私は小さく肩をすくめてみせた。「嘘も方便ってことじゃない?」
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