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3「お前、なんだって不思議マップなんて代物を考え出したんだ?」 どうやって課長に企画を説明しようか思いめぐらせていたら、その相手から先に口を開いた。本田はぱっと蓮川の顔を見て、密かに拳に力を込める。 先に切り出してもらえたのはありがたい。ふっふっふと本田は笑った。 よくぞ聞いてくれましたと内心快哉を叫ぶ。大学時代に兄からお前それ辺りかまわず言うのはやめろと言われて以来、語るのを控えていることを語ることが出来る――それは喜ばしいことだ。 食事を続ける上司が自分の笑みに気持ち身を遠ざけたことにも気付かず、本田は勢いで立ち上がり身を乗り出した。「それはですね!」「叫ぶな」 常に堂々としている蓮川も部下が叫んだことにバツが悪そうに周囲を見回しつつ、苦言を呈してきた。さすがに椅子ごと身を引かれると、本田だっては蓮川が嫌がっていることがわかる。だから、大人しく座った。 「お前なあ、小学生じゃないんだからいきなり叫ぶな」「はあ、すんません」「もう少し静かに頼む。つばを飛ばすなよ」「はい。で、えーとですね」 普通のトーンで話そうと心がけるとテンションも抑え気味になる。大事なのは勢いなのにと思うが、仕方ないと本田は割り切ることにした。「不思議マップというのはですね、最初は……あ、課長前の企画書って覚えてます?」「あれを覚えていたら、お前今度の人事考課が危ういぞ」「え、なんでっすか?」「なんでって、お前なあ……」 蓮川が呆れた顔で自分を見るので、本田はぽかんと間の抜けた表情を浮かべてしまう。それを見た蓮川は大げさに頭を振った。「まあ、休憩時間に説教もあれだな。で、前回のがどうしたって?」「参考にしたのはわたしたちのまち霧生ヶ谷なんですけど」「ほう」「あれに町について調べてみようっていう自由研究がですね」「自由研究?」「あ、社会研究でしたっけ?」「というか、その参考資料はなんだ」「えっ、課長って、霧生ヶ谷の生まれじゃなかったですっけ」「それがどうした?」 本田は限界まで目を見開いて、まじまじと上司を見た。正気を疑うような視線に蓮川は少々むっとしたようだった。「郷土史か何かか?」「小学校の社会の教科書ですよ。副読本ってやつ?」「聞かれてもわからんが」「覚えてないです?」 本田が聞くと、蓮川はため息を漏らした。「年代が違うんだよ、恐らくな。そんなたいそうな代物を見た記憶もない」「そーなんです?」「聞かれても困る。教科書の副読本だから、そういう研究のあれがあるわけか」 本田は蓮川の言葉がにわかに納得できなかった。だが重ねて言われるとそうだったのだと納得せざるを得ない。「そーですそーです。小四くらいだったかな、夏休みの宿題でそれが出て、そんで作ってみたんですよ、地図を」「ほう」「わたしたちのまち霧生ヶ谷のすんごいところは、伝承じみた歴史についてもしっかり書かれてるところなんですけど、そんでそれを地図にまとめたらいいかなって」 できるだけさらりと本田は説明した。ふむと相槌を打って蓮川は先を促してくる。「この町のはじまりの伝説の、仙人がどうとか、九頭身川が竜の頭の数に由来してるとかそういうのを一個ずつ書き込んでたわけですよ。そしたら面白くって」「で、それを市をあげて大々的にやろうってか」「面白いと思います」 本田が力強くうなずいてみせると、蓮川は再度頭を振った。「まさしく、小学生レベルの延長だな」「そこが売りっす」 呆れたような事を言われても本田は堂々とうなずいた。仮にも観光企画課のドンに出す企画なのだ。本田だって充分に検討してから立案したのだ。 そりゃあ確かに、昨日は勢いで書きすぎて蓮川に指摘されてしまったけれど。 今日のは、ものすごく自信があるのだ。「自慢げに言うことじゃないだろうが」 胸を張る本田に対して蓮川は茶をごくりと飲んだ。やれやれと大きな息を吐く。「あのな、本田。うちの仕事はな、市民の血税で行っているんだぞ。そういう馬鹿らしい理由で予算を使っていいと思うのか?」「それだけの効果は見込めると思います」「そ……、それなりの効果だと?」 本田が真面目に言ったのが意外だったのか、蓮川はらしくなく言葉に詰まった。「だから俺は不思議マップを全市に広げたいんです」「どのあたりが見込めるというんだ」「さっき渡した企画書、見てくださいよー。昨日よりもバージョンアップしてますから!」 胸を張ってどーんと拳で中心を叩くオーバーアクションに明らかに蓮川は引いたが、本田は構わず立ち上がって、「さあ帰りましょう課長っ」と促す。 周囲の視線が自分に集まっていることさえ気付いていない様子に蓮川は何度目かのため息を漏らして仕方なく後に続いた。←戻る ・ 進む→
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「お前、なんだって不思議マップなんて代物を考え出したんだ?」 どうやって課長に企画を説明しようか思いめぐらせていたら、その相手から先に口を開いた。本田はぱっと蓮川の顔を見て、密かに拳に力を込める。 先に切り出してもらえたのはありがたい。ふっふっふと本田は笑った。 よくぞ聞いてくれましたと内心快哉を叫ぶ。大学時代に兄からお前それ辺りかまわず言うのはやめろと言われて以来、語るのを控えていることを語ることが出来る――それは喜ばしいことだ。 食事を続ける上司が自分の笑みに気持ち身を遠ざけたことにも気付かず、本田は勢いで立ち上がり身を乗り出した。「それはですね!」「叫ぶな」 常に堂々としている蓮川も部下が叫んだことにバツが悪そうに周囲を見回しつつ、苦言を呈してきた。さすがに椅子ごと身を引かれると、本田だっては蓮川が嫌がっていることがわかる。だから、大人しく座った。 「お前なあ、小学生じゃないんだからいきなり叫ぶな」「はあ、すんません」「もう少し静かに頼む。つばを飛ばすなよ」「はい。で、えーとですね」 普通のトーンで話そうと心がけるとテンションも抑え気味になる。大事なのは勢いなのにと思うが、仕方ないと本田は割り切ることにした。「不思議マップというのはですね、最初は……あ、課長前の企画書って覚えてます?」「あれを覚えていたら、お前今度の人事考課が危ういぞ」「え、なんでっすか?」「なんでって、お前なあ……」 蓮川が呆れた顔で自分を見るので、本田はぽかんと間の抜けた表情を浮かべてしまう。それを見た蓮川は大げさに頭を振った。「まあ、休憩時間に説教もあれだな。で、前回のがどうしたって?」「参考にしたのはわたしたちのまち霧生ヶ谷なんですけど」「ほう」「あれに町について調べてみようっていう自由研究がですね」「自由研究?」「あ、社会研究でしたっけ?」「というか、その参考資料はなんだ」「えっ、課長って、霧生ヶ谷の生まれじゃなかったですっけ」「それがどうした?」 本田は限界まで目を見開いて、まじまじと上司を見た。正気を疑うような視線に蓮川は少々むっとしたようだった。「郷土史か何かか?」「小学校の社会の教科書ですよ。副読本ってやつ?」「聞かれてもわからんが」「覚えてないです?」 本田が聞くと、蓮川はため息を漏らした。「年代が違うんだよ、恐らくな。そんなたいそうな代物を見た記憶もない」「そーなんです?」「聞かれても困る。教科書の副読本だから、そういう研究のあれがあるわけか」 本田は蓮川の言葉がにわかに納得できなかった。だが重ねて言われるとそうだったのだと納得せざるを得ない。「そーですそーです。小四くらいだったかな、夏休みの宿題でそれが出て、そんで作ってみたんですよ、地図を」「ほう」「わたしたちのまち霧生ヶ谷のすんごいところは、伝承じみた歴史についてもしっかり書かれてるところなんですけど、そんでそれを地図にまとめたらいいかなって」 できるだけさらりと本田は説明した。ふむと相槌を打って蓮川は先を促してくる。「この町のはじまりの伝説の、仙人がどうとか、九頭身川が竜の頭の数に由来してるとかそういうのを一個ずつ書き込んでたわけですよ。そしたら面白くって」「で、それを市をあげて大々的にやろうってか」「面白いと思います」 本田が力強くうなずいてみせると、蓮川は再度頭を振った。「まさしく、小学生レベルの延長だな」「そこが売りっす」 呆れたような事を言われても本田は堂々とうなずいた。仮にも観光企画課のドンに出す企画なのだ。本田だって充分に検討してから立案したのだ。 そりゃあ確かに、昨日は勢いで書きすぎて蓮川に指摘されてしまったけれど。 今日のは、ものすごく自信があるのだ。「自慢げに言うことじゃないだろうが」 胸を張る本田に対して蓮川は茶をごくりと飲んだ。やれやれと大きな息を吐く。「あのな、本田。うちの仕事はな、市民の血税で行っているんだぞ。そういう馬鹿らしい理由で予算を使っていいと思うのか?」「それだけの効果は見込めると思います」「そ……、それなりの効果だと?」 本田が真面目に言ったのが意外だったのか、蓮川はらしくなく言葉に詰まった。「だから俺は不思議マップを全市に広げたいんです」「どのあたりが見込めるというんだ」「さっき渡した企画書、見てくださいよー。昨日よりもバージョンアップしてますから!」 胸を張ってどーんと拳で中心を叩くオーバーアクションに明らかに蓮川は引いたが、本田は構わず立ち上がって、「さあ帰りましょう課長っ」と促す。 周囲の視線が自分に集まっていることさえ気付いていない様子に蓮川は何度目かのため息を漏らして仕方なく後に続いた。
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