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一千年生きたカメ 作者:ふじみやいつや
もっしもっしかっめよーかっめさんよー…… 霧生ヶ谷名物の水路脇を、小さな女の子が歌いながら歩いていきます。 女の子は、水路の底を見ています。どうやら、何かを探しているようです。 霧生ヶ谷市に無数に張り巡らされた水路。そこには、いろいろな生物が住んでいます。今もどこからとも無く、カエルが現れました。「カエルさーん」 女の子は、突然現れたカエルに手を振ります。「ふぃらでるふぃあ・すたんれー知らない?」 カエルにそうたずねる女の子。しかしカエルは、少し動きを止めはしたものの、すぐに消えてしまいます。「うーん、どこかなー?」 女の子は首をかしげます。そして、また歩き出します。 もっしもっしかっめよーかっめさんよー…… と、そのときです。 水路の壁から突き出たパイプ。そこから、一匹のカメが転がり落ちたのです。「あーっ!」 そのカメを見て、女の子はおどろいたように声を上げました。「ふぃらでるふぃあ・すたんれー!」 うれしそうに笑顔を浮かべる女の子。しかし、カメはそれどころではありません。ここの水路は市内でも比較的深く、また流れも急でした。あっという間に、カメは流されてしまいます。 「まてまてまてーっ!」 女の子は笑顔で、はしゃぎながら流れるカメを追いかけます。ぱたぱた追いかける女の子の足の速さと水路の流れはほぼ同じです。 やがて水路の分かれ道がやってきました。ここで水路は二つに分かれ、流れも少し弱まります。 カメは左側の水路に流れていきます。女の子もそれを追います。「すぴーどあーっぷ!」 カメの流れが遅くなったのを見計らい、女の子は少しがんばって、カメを追い越します。ねらいは、この先の階段。点検のために水路に降りる階段です。 女の子は先回りして、その階段を下ります。水路の脇に作られた通路にしゃがみ込むと、女の子は水面に手を差し出します。 その直後、カメはその手に引っかかるようにつかまりました。「おおっと」 カメの重さと水流に少し引っ張られる女の子。しかし、ぎゅっと足をふんばって、カメを通路に引き上げました。 それは、サッカーボールくらいの大きさの、こげ茶色のカメでした。その甲羅には、何かでひっかいたような大きな傷がついています。 女の子は、そのカメの顔をのぞき込みました。「だいじょうぶ? ふぃらでるふぃあ・すたんれー?」 女の子は心配そうな顔をしています。 そんな女の子に、カメは言いました。「大丈夫じゃよ。心配してくれてありがとうよ」 カメはそう言って、はっはっはと笑い声を上げました。「最近はあちこち変わっていかんなぁ。ついこの間まで、あんな道無かったわい。なにやらおもしろそうだと思って行ってみたらあのザマじゃ」「この間って?」「そうじゃのう……人間が『戦争が終わったー』と騒いでいた頃かのう」「……?」 女の子にはわかりませんでしたが、それはもう六十年も前のことでした。「千年生きてるカメがいる」 それはこの街、霧生ヶ谷市に流れているいろいろなうわさの中の一つです。 この街には、通称「万年ガメ」と呼ばれるカメが住んでいます。 このカメはカメの中でも長生きな種で、「万年」は大げさなものの、平均でも百五十年は生きるという、世界一長生きする動物として知られているのです。市内には、三百年近く生きているであろうといわれるものもおり、市の職員や研究家が、より長く生きているものを探そうと必死で探していたりするのです。そしてその中に、三百年どころか、一千年近く生きているといわれるものがいる、というのが、この街にうわさとして流れているのです。 うわさにはいろいろとあり、そのカメは人の言葉をしゃべるらしいとか、戦争の時に敵の飛行機が撃った弾を甲羅ではねかえしたとか、実は今の市長が飼っていて、その神通力でライバルをけ落としてきたとか……とにかく、数え切れないほど多くのうわさ話が人々に伝わっているのです。 しかし、あくまでもうわさはうわさ。街に流れる多くのうわさ話と同じように、だれ一人として実際に見た人はいませんでした。あくまでも、「友だちの友だち」や、「母方のおばあさんの友だちのはとこが見た」という、話の元がはっきりとしない、そんなうわさ話だったのです。「ふぃらでるふぃあ・すたんれーのお話っておもしろいから大好き!」 万年ガメ、いえ、「フィラデルフィア・スタンレー」の話すお話に、女の子は笑顔で答えます。「わしもなぁ、話し相手が出来てうれしいわい」 落ち着いた低い声で、フィラデルフィア・スタンレーは話を続けます。「人間の言葉も、話し方も勉強したというのに、最近はだれも聞いちゃくれんかったからのう」「そうなんだぁ」 女の子は、フィラデルフィア・スタンレーの目を見てうなずきます。「でも、カメさんなのに人間の言葉覚えるなんてすごいなぁ」「なに、時間をかければ何でもできるわい」 はっはっは、と笑い、フィラデルフィア・スタンレーは言います。「お嬢ちゃんもな、やりたいことがあったらあきらめずにやってみるといい。最初はできなくても、あきらめんと続けていれば、いつかできるようになる。時間さえあれば、できんことはないんじゃよ」 「んー……」 その言葉は、女の子にはよくわかりませんでした。やりたいこと、と言われても、「チョコレートをいっぱい食べたい」とか「あさからよるまでもっともっとあそびたい」とか、そういうことしか思い浮かびませんでした。 「ようわからんか。まあ、すぐにわかるじゃろ。人間は頭が良いからのう」「……うん……?」 そうなのかな? と思いながら、女の子は、うなずきました。「さて、ちょいと腹が減ったのう。何かメシでも探して来るわい。今日はここでお別れじゃ」「えーっ! やだやだ! もっとお話聞きたい!」 そうダダをこねる女の子を見て、フィラデルフィア・スタンレーはまた、はっはっはと笑いました。「なに、またすぐ会えるじゃろ。わしがメシにありつけるまでに何度も会うんじゃないかの」「ほんと?」 フィラデルフィア・スタンレーは、首を縦に振りました。「まあ、十日でメシも見つかるじゃろうからの」「えっ? 十日も? それまでごはんぬきなの?」 おどろく女の子に、フィラデルフィア・スタンレーは首をかしげます。「人間はせっかちじゃのう、たった十日でメシが見つかるんじゃぞ? ここは本当に良いところだわい」 またもはっはっは、と笑い声を上げるフィラデルフィア・スタンレー。「また会ったときには、この街ができたころの話でもしてやろうかの」「うわぁ!」「それじゃ、元気での」「うん! はやくごはん見つかるといいね!」「そうじゃのう。じゃ、気をつけてな」 そう言うと、フィラデルフィア・スタンレーはのそのそと水路の方に歩いていきました。少しして、水路に飛び込んだフィラデルフィア・スタンレーは、そのまま水路の流れに流れていきました。 女の子は、それを最後まで見とどけます。 と、そのときです。「こら、なにしてる」 女の子の頭上から、声が聞こえました。女の子が上を見ると、スーツを着た、若い男の人が立っているではありませんか。「そんなところに入っちゃダメだよ。ほら、上がってきて」「はーい」 女の子は笑顔で、その男の人の言うとおり階段を上ります。「ぴょんっ、と」 最後の段をジャンプでとびこえ、女の子はまるで体操の選手のように、自慢げに両手を上げました。男の人はそんなかわいらしい女の子に、思わずほほをゆるめます。 「きみ、なにしてたんだい?」 男の人はしゃがみ込み、女の子に聞きました。 と、女の子は答えます。「ふぃらでるふぃあ・すたんれーとおはなししてたの」「ふぃら……なに?」 舌をかみそうな名前に、男の人は面食らってしまいます。そんな彼を見て、女の子は笑いながら言いました。「ふぃらでるふぃあ・すたんれー。カメさんだよ」「はい?」 男の人は、首をかしげました。「だから、カメさんとお話ししてたんだよ」「カメ……?」「あーっ! 信じてないでしょ!」 そう言って女の子はほおをふくらませます。男の人は、困ったように言葉をつまらせてしまいます。 と、「こら新人」 ぽこ。と、突然現れたスーツの女の人が、男の人を丸めた本で叩きました。「仕事中に幼女誘拐かね。それは非常によろしくないな」「そんなシュミありません! それに『あらと』ですってば!」 女の人の冗談に、男の人はムキになって怒ります。そんな彼を見て、女の人は大笑いです。「まあそれはそれとして……どうしたの?」「それはそれって……いやね、この女の子が水路に入ってたんで注意してたんですよ」「ほう」「で、なにしてた、って聞いたら『カメと話してた』って……」 そう言った直後、女の人の顔がきりっと引きしまりました。「ウソじゃないもん!」 大きな声を上げる女の子。その子に、女の人は近づきます。「だから……」「ちょっといいかしら」 真剣な表情の女の人に、女の子は気圧されてしまいます。「そのカメさん、どこに行ったの?」「……え?」「そのカメさんがどこに行ったか、教えてくれない?」「……あっち」 女の子は、フィラデルフィア・スタンレーが流れていった方を指さします。女の人はその方向を見ると、すぐに立ち上がりました。「新人、今すぐ追うわよ。千年生きたカメなんて、特別ボーナスものよ!」 そう言うと、女の人は「ありがとうね」と一言女の子に言って、すぐに駆けだしてしまいました。「だから『あらと』ですっ……てちょっと先輩、待ってくださいよぉ!」 男の人も、女の人の後を追うように走っていってしまいました。「……へんなの」 女の子は一言言うと、また歌いながら歩き始めました。 明日も、あさっても、もっと先も、ふぃらでるふぃあ・すたんれーとお話しするんだ! そう思った女の子の顔は、かわいらしい笑顔でいっぱいでした。
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