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会いたい、な。 もう一度。 お友達と言ってくれた。 大好きと言ってくれた。 あなたに会いたい、な。***** 霧生ヶ谷市北区にあるバス停、北区外縁堀通り前。 そこでちゃっかり無料配布の観光MAPをいただきながら、春樹たちはやって来たバスへ乗り込んだ。杏里が真っ先に座席の奥へ向かい、最後尾の窓際を陣取る。次に乗り込んだ爽真だったが、彼はふいに足を止めてしまった。 「爽真くん?」「……や、う」 言葉に詰まった彼はしばし葛藤しているようだった。顔が赤い。目が心なしグルグルしている。「瑞原、先行け」「え?」 譲られたほのかは突然の申し出に瞬く。爽真の後ろでは杏里が「早く座らないと危ないよ」とみんなを急かしていた。実際、扉の閉まったバスはエンジン音を震わせるようにしてのったり動き始めている。徐々に窓の外の景色がスムーズに流れ始めた。 杏里と爽真を交互に見やったほのかは、にこりと笑んだ。承知したとばかりに。「わかりました。では、先に座らせてもらいます」「ああ」 ホッとしたような、けれどどこか残念そうな。そんな表情でうなずいた爽真に、ほのかはおっとりと微笑を乗せる。「爽真さん、大丈夫ですよ」「ん?」「今はヘタレも人気な時代ですから」「…………」 ほのかの悪気はないのであろう励ましに、爽真はひどく落ち込んだ様子を見せていた。それに気づいているのかいないのか、ほのかは杏里の隣へ腰を下ろす。その隣へようやく爽真が座り、他の客もいたため、最後尾はそれで埋まってしまった。春樹は空いていた一つ前の席に腰を落ち着ける。 「オレ春兄のとな、うわっ」 春樹の隣へ座ろうとした大樹だが、バスが曲がったため思い切りバランスを崩した。慌てて近くの席へつかまっている。「大樹、大丈夫か?」「……ダイジョーブじゃねぇ。切符落とした」「ええ!?」 切符とは、杏里が事前に買うように指示した“モロキップ”のことだった。モロキップとは霧生ヶ谷市共通切符で、市電とバスが一日乗り放題出来るという代物だ。子供料金で三百円。一日でどこまでも行きかねない杏里にはもはや戦友と呼ぶに値する。だがギリギリで大人料金の四百五十円である春樹にとっては、価格の親切さよりも切符に描かれたモロモロのイラストの方が気になっていた。杏里の部屋にあったぬいぐるみもこれなのだろう。ちなみに“モロモロキップ”になると価格が上がる一方、乗り放題出来るものの幅がぐんと広がるらしい。以前、杏里と大樹が人力車に乗りたいと騒いでいたことがある。あの二人なら本当にやりかねない。しかし人力車の乗り放題って。一体彼らはどこまで行く気なのか。 ともかく、モロキップは不思議ツアーとやらには必需品。そんな戦友をなくすというのは正直痛い。大樹は慌てて座席の下を覗き込もうとし、春樹も探すのを手伝おうと腰を浮かせた。 そこへ、春樹の前に座っていた男がふいに腰をかがめた。「坊主、探し物はこれじゃねぇか?」「へっ?」 男が片手に持っていたものは、紛れもなくモロキップであった。モロモロが綺麗にウインクを決めている。「わ、それそれ! サンキューおじさん!」「いいや。それよりバスの中で突っ立ってちゃ危ねえだろうが。さっさと座んな」 半ば呆れたようにも笑った男に大樹はうなずき、彼は図々しくもその男の隣へ乗り込んだ。 男は三十代か、もしくはもう少し若いか。よれてしまったレインコートに帽子をかぶっている。それはやや奇妙な恰好であり、だが、男にはそれが不思議とよく合っていた。 大樹は切符を見つけてもらえたことで彼に多大な信頼を見出してしまったらしく、楽しげに話しかけ始める。「なぁなぁ、おじさんはどこ行くんだ?」「こら大樹! 年上の人にはもっと敬語を使えっ」「いいってことよ」「……すいません」 あっさり笑った男に大樹はますます顔を輝かせる。反対に、春樹は申し訳なくて深々とため息をついた。――大樹は人見知りとはほど遠く、むしろ人懐っこい。しかしそれは言い方を変えると、単に図々しくて馴れ馴れしいだけである。こういったやり取りはすでに何度も経験している。そのたびに春樹は肺の底から息を吐き出すはめになるのだ。 「で、で? どこ行くんだ?」「俺はちょっとした野暮用だ。坊主こそどこ行くんだ? ずい分楽しそうじゃねぇか」「オレ? へへー。あのな、日中にだけ出てるお店に行くんだぜ。オレはまだ行ったことないんだけど、友達がその店が消えるの見たって。不思議だろ?」「へぇ。そりゃ変わった店があったもんだ」 男の興味深そうな口調に、大樹が満足げに笑う。後ろで彼らの会話を聞きながら、春樹はわずかに瞬いた。男に馬鹿にした影もなければ、単に子供に合わせている風でもなかったからだ。 「何の仕事をされてるんですか?」 興味が湧いて尋ねると、男は思案するように一呼吸置いた。「探偵みてぇなもんだな」「マジで!? かっけー!」「そうかい? 別に期待されるようなもんでもねぇけどな」 苦笑した男だが、大樹はそんな言葉など半分も聞いていない。ひたすら羨望の眼差しを向けてはしゃぐばかりだ。探偵なんて縁のないものに出会えたことが新鮮なのだろう。 結局バスにいる間、大樹と男はずっと話し続けていた。というより大樹が一方的に話しかけ、男はそれを聞く形になっている。しかし大樹の楽しげな表情から察するに、男は流すわけでもなくきちんと話を聞いてくれているようだった。春樹は彼に同情と感謝の念を送らずにはいられない。あの元気とテンションに付き合ってくれるなんていい人だ。 やがて揺れを伴いながら、バスが一旦停止する。男は腰を浮かせた。大樹が残念そうに彼を見上げる。「もう行っちゃうのか?」「ああ。――坊主、いっぱい冒険するこったな」 立ち上がった男はあやすように大樹の頭をグリグリと撫で、低く笑う。「けどあんま無茶すんじゃねぇぞ」「へっ?」「守んなきゃなんねぇ奴がいるだろうが。坊主が怪我しちゃそれも満足に出来ねぇ。きちんと自分も相手も守ってやんな」 ちらりと最後尾へ目を向けた彼は、そう言葉を残し、バスを降りていった。仄かに煙草のにおいだけがそこに残る。「かっけぇ~……」 大樹は普段、頭を撫でられるとムッとした表情を見せる。子供扱いされているようで嫌なのだ。しかし今回ばかりは怒りも吹き飛んでいるようだった。キラキラと尊敬の眼差しを向けんばかりだ。バスが再び走り出してもその輝きは増すばかり。 「な、春兄。カッコ良かったよな!」「え? ああ……うん」 満面の笑顔で言われ、春樹は曖昧にうなずいた。実際、珍しいと思う。大樹の話なんて、大人からすれば子供の戯言にしか聞こえなくても仕方ない。それをあのように受け止めてくれる大人はなかなかいないだろう。不思議に溢れている霧生ヶ谷市だから、もしかするとああいう人も多いのだろうか。杏里の両親はそんなことはないようで、奔走しがちな杏里を心配し、春樹にしっかり見ていてくれとよく頼んでくるのだが。 「あ、二人とも。次の次で降りるよ」 ひょっこり身を乗り出した杏里が教えてくれる。いつの間にやら外観は少しだけ雰囲気を変えたようだった。手元の観光MAPに目を向ける。「次の次……は、もう霧谷区?」「ですね。ウドンが有名な北区と違っておソバが有名なんですよ」「へぇ……そうなんだ」「あれ、春兄ダイジョーブか? 顔色悪いぜ」 ひょいと顔を出したのは大樹だ。彼はいつの間にか春樹の隣に席を移動していた。ちょこまかと落ち着きのない奴である。「大丈夫」 心配させないように笑ってみせるが、春樹はわずかにその表情が引きつっているのだろうと思った。仕方あるまい。(あまり乗り物に強くないんだよなあ、僕……) ぐるぐると襲ってくる乗り物酔いに、春樹は早くも前途多難さを感じていたのだった。* * * バスを降りた一同はほのかの案内で公園を抜け、やたら草木が茂った森に足を踏み入れた。思ったより鬱蒼としている。日はまだ明るいのに、木々がそれを遮っているせいでやや薄暗い。 しかし自然が好きな大樹にとっては澄んだ空気が心地良く、何か変わったものはないだろうかとワクワクを隠せなかった。周りを見回してみると、何となく生き物の気配を感じる。ソワソワ、ザワザワ。あちらも突然の来客に落ち着かないようだ。 「ほのかちゃんはよくここまで来るの?」 春樹が足元に気を配りながら尋ねた。不思議を追いかけてどこまでも行く杏里はともかく、ほのかは特に行動派というようには見えない。そう思っての疑問だろう。 先の方を歩いていたほのかは小さくうなずいた。「はい、母が買い物好きで。霧谷区は子供服などが色々ありますから、よく連れてこられるんです」「そういえば新しくデパートも出来たよな」「そうそう。私のお父さんもそこでモログルミ買ってくれたの」「……モログルミ?」「あのぬいぐるみだよ。大きいのあったでしょ?」 思い当たる。大樹がぎゅうぎゅうしていたやつであり、モロキップのモデルであるやつだ。あそこまで抱き甲斐のあるぬいぐるみはそうそうないだろう。「そこで売ってんのか?」「うん、抱き枕としても使えるし結構人気みたい」「いいな、オレもほしい!」「……大樹、そんな目で見られても困るんだけど」 期待を込めて言うが、兄は渋い顔。「だいたいどうやって持って帰るんだよ、あんな大きなもの」「手で持ってけばいいじゃん」「アホか」 ――けっ、と毒づいたのは春樹でなかった。その向こうを歩く爽真だ。そこには思い切り不快感が溢れていて、大樹はムッと口を尖らせる。「何だよ?」「小六にもなってぬいぐるみなんて、ガキじゃあるまいし」「んな!? 別にいーだろー! ガキっていう奴がガキなんだからな!」「でも大樹、本当にあれを持って帰るのは大変だと思うよ。私も部屋の整理して、やっと置けるスペース見つけたくらいだし」「う……っ」 杏里の実体験に言葉を詰まらせる。だが納得は出来なかった。それほどのものだからこそ持って帰りたくなるというのに。どうして誰もわからないのか。あのフィット感、程よい弾力性、笑いが込み上げてくる間抜けな表情。フワフワのモチモチのグニグニなのに。いいのに。絶対いいのに。 しかし春樹は「そーゆうこと」とうなずき、その話を終わらせてしまった。大樹は唸り声だけ上げて諦める。春樹は意外と頑固なのだ。何だかんだいって自分はこの兄に勝てた試しがないのではないだろうか。 「……私が見たのはこの先で……」 目的地が近づいたのだろうか。ほのかが簡単に説明を添える。近くにいた春樹は真面目にそれに応えていたようだが、やや遅れて歩いていた大樹はふと後ろを振り返った。静かだと思ったら杏里と爽真が列から外れている。それどころかすっかり歩みを止めていた。 「? どーした?」 春樹もほのかもこちらに気づいていない。このままだと遅れるぞと注意しようとした大樹は、杏里のキラキラと輝く表情に気づいた。自然と大樹の好奇心も動かされる。 「ね、見て見て。キレイなちょうちょ!」「え、マジで?」 駆け寄ると――思い切り痛い視線にぶつかった。「別におまえを呼んでなんか……」 ムスッと立ち上がった爽真が――ふいに傾いた。自分たちが急な傾斜のすぐ傍にいたのだと今になって気づく。「っ!?」「爽真くん!?」「あ、おい……っ!」 慌てて爽真の手をつかんだ杏里も、彼を支える力などなく、ぐんと身体が前のめりに引っ張られる。大樹もとっさにその手をつかんでいた。『きちんと自分も相手も守ってやんな』 一瞬バスの男の言葉が脳裏をよぎったが、物理的法則に逆らえるはずもなく。「――っ!!」 足は地を滑り、世界が何度も転がった。
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