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「うわー。すげー」 ――考えるより先に飛び出していたのは、そんなありきたりな言葉だった。 兄の日向春樹ならば「いくら何でも月並みすぎる」と呆れた小言を突きつけてきたかもしれない。しかし大樹は残念なことにボキャブラリーに乏しい。もう一度同じ場面に出くわしても似たようなことしか言えないだろうし、素直に思ったことを口に出しただけなので――とりあえず「すげー」なのだ。それさえ伝われば問題はない。そもそも伝える相手もいない。 霧生ヶ谷市北区の、おどろき商店街へ差し掛かる手前のやや細くなった道。もう少し歩けば棘樹町、しかしここはまだ蛙軽井町。そんな中途半端な道端で、日向大樹は再び口を開いた。 「真っ白」 その言葉に反応したのだろうか。眼前の白い塊はくるりと優雅に振り向いた。つり上がった綺麗な瞳が向けられる。 肢体は細くしなやか。全身を雪白に染め上げ、伸びやかな尾は気だるげに地を撫でている。 猫、だった。「うーわー。すっげー! 真っ白!」 白い猫というのは決して珍しいわけではない。しかしここまで見事な純白の毛を大樹は見たことがなかった。それを美しいと評価することに異を唱える者は少ないだろう。ただし気の利かない大樹は結局「すっげー」と言うばかりだ。「すげー」よりは興奮しているのは確かだが。 猫はそんな子どもに一瞥を投げただけだった。くぁ、と上品さを失わない程度に欠伸をし、何の関心もなしに歩き出す。「なぁなぁ」 すっかりその猫が気に入ってしまった大樹はその後に続いた。それでも猫は大樹を見ない。「どこ行くんだ?」 やはり見ない。背筋を伸ばして歩き続ける。頑固のようだ。しかもプライドも高そうである。 が、大樹もめげない。これくらいで負けるものか!「なぁ」 見ない。「なー」 見ない。「なぁってば。なぁなぁ。なー。にゃー」“しつこい” それは愛想のない返事だった。だが大樹は反応をもらえたことでますます笑顔になる。口調もウキウキと弾んだ。「おまえ、名前は?」“……言ってどうなる”「呼べるじゃん」 ピタリと猫の動きが止まった。 つられて足を止めた大樹を、猫は疑うような眼差しで見上げてくる。猫の表情はこれほどにも動くものなのかと感心出来るほど。 その表情のまま猫は低く呻く。“おまえ、わたしの言葉がわかるのか” 問われ、――大樹はニッと笑ってやった。“ほう、動物の声がわかると”「おう、だからおまえの言葉もちゃんとわかるぜ?」“難儀なもんだな”「そっか? オレは楽しいけど」 商店街の中を一人と一匹はブラブラと歩いていた。周りは休日のせいもあってか活気に満ちている。満ち溢れている。溢れて零れんばかりに勢いづいている。 店の人々が群れながら客を引っ張りだこにしていて、その光景はもはや戦争であった。 だが、さすがに大樹がそのターゲットになることはなかった。ここにはズラッとうどん屋が並んでいるものの、なかなか子ども一人で入るような雰囲気ではない。さらに猫を連れているのであればさもありなん。 そんなわけで喧騒の中、大樹はとりあえず猫が踏み潰されないように気を配って歩くことにした。“少年、ちゃんと前を向け。潰されるぞ”「う、わかった」 ――心配されているのは、むしろ大樹の方らしい。「なぁなぁ、おまえの名前は?」“しつこい”「だってずっと『おまえ』って呼ぶのも嫌な感じだろー?」“名など忘れた”「え」 大樹は目を丸くした。名前とは忘れられるものだろうか。物覚えがあまり良くないと言われている大樹ですら自分の名前を忘れたことなどないというのに。 悩んだが、すぐにその悩みは放棄した。相手は猫である。猫ならそれほど名前を必要とすることがないのかもしれない。 代わりに名案が浮かんだ。「じゃあオレがつけていいかっ?」“……好きにしろ” どうも奇妙な間があったが、大樹は気にしないことにした。舞い込んだ仕事に瞳を輝かせ、頭を捻る。普段頭を使うことなど滅多にないので回転させるまでに時間がかかった。 「えーと、んー」 何かいい案はないか。猫の全身をざっと眺める。「白いからー、白ー、しろー、……シロ?」 猫はキュッと目を閉じた。緩やかに首を振る。“安直すぎて驚きだ”「覚えやすくて良くね?」“個性に欠けるじゃないか”「え、でもこの商店街のソバ屋にもネコがいてさ。黒猫でクロって呼ばれてんの。お揃いじゃん!」“その猫とわたしには何の関係性もないのだが”「そいつもまた可愛いんだーっ♪」“少年、人の話は聞くものだ”「おまえネコだろ?」“差別は良くない”「あ、じんしゅさべつ反対ってやつだよな! オレもそう思う!」“わたしは猫だ”「うん。うん?」 会話になっているのか、いないのか。恐らく、いやほぼ確実になっていない。それでも上機嫌で会話を重ねる大樹を、猫は呆れたように見上げた。そして立ち止まる。人気のない細い路地だ。表の活気とは別世界に思えるほど閑散とした雰囲気。人の熱気がないためか涼しくさえ感じられる。 猫はくるりと可憐な動作で辺りを見渡した。猫と、大樹。他には誰もいない。ちなみに当の大樹は何の疑問もないままついてきている。“少年”「ん? 何だシロ?」“……決定なのか。まあいい” 嘆息。 やけに人間らしいリアクションをとりながら、猫――シロは大樹と目を合わせた。大樹は自然としゃがみ込む。彼自身、小柄なせいで普段は見上げる体勢になることが多い。そのため長時間見上げているつらさがよくわかるのだ。 “少年は”「おう」「猫又を、知っているか」「…………へっ?」 大樹は瞬いた。一瞬思考回路の接続が上手くいかず、動きを止める。 大樹には動物や自然の言葉を聞くことの出来る不思議な能力がある。だから今まで目の前に佇むシロとも会話が可能であった。 しかし、今。 大樹の能力とは一切関係なく。 ――シロは、日本語を話さなかった、か?「シロ?」「問うている。猫又を知っているか?」 涼やかな落ち着いた声音。それは声変わり前の大樹よりもずっと凛とした響きを持っている。大樹は再び瞬いた。 ゆらり、とシロの尻尾が揺れる。緩やかなソレは、(あれ?) 二本に見えた。「聞いているのか」 焦れた声音で現実に引き戻される。どうでもいいが見つめてくる瞳は愛らしい。「へ!? あ、あぁ! えーと……何だっけ? マタタビ?」「猫又だ」「惜しい!」「どこがだ」 「またが一緒じゃん」「前後が違うだろう」「だからそれだけだろ?」「その違いは大きいだろうが」「だってまたが一緒じゃん」「だから前後が」――これらの不毛なやり取りを数回ほど続けた後、大樹は素直に首を振った。聞き覚えはある。しかし説明しろと言われれば、大樹の中にその答えは存在しなかった。 「シロが猫又? っていうやつなのか?」「ああ」 うなずき、ふむぅと一声。鳴いたのか喋ったのか曖昧な声を出したシロは細くても丈夫そうなヒゲをピンと伸ばした。「猫又は妖怪と言われている」「げ!?」「……何だ」「え、いや、だってさ」 オロオロと手をさ迷わせ、さらに視線もさ迷わせる。大樹はホラーものが苦手だった。だから怖いものには出来るだけ近づきたくない。何せ夜にトイレに行きたくなったら困る。ものすごく。 ちなみに霧生ヶ谷の都市伝説とされる杉山さんなんか完璧にアウトだ。人気のない通路で突然老人が出てくるだけでも恐ろしいのに、それが「ダメじゃなーい!」なんて叫びながら襲ってくるなんて。学校の先生より怖い。さらに言えば怒った春兄より怖い、と大樹はブルブル首を振った。 そんな大樹の様子に何かを感じ取ったらしい。シロが目を細め、にたりと口を三日月状に歪めた。「人を喰うとも言われているぞ」「にぎゃああ!? シロも!? シロも人食う!? オレ食べられる!?」「喰ってほしいなら考えないでもないが」「ひぃ!?」 大樹は思い切り首を振った。食べられたいという変わった趣味などない! クク、と猫は薄紅色の耳を微かに動かして笑う。「嫌なら喰わんさ」「へっ? ……そーなの、か?」「なんだ、残念そうだな。やはり喰ってほしかったか」「のおおおおぅ!?」「賑やかな奴だ」 そういう問題だろうかと大樹は涙目になってシロを睨みつける。騒がせているのはシロ本人だ。いや、本猫と言うべきか。「とにかくっ。とにかく、食べないんだな? ダイジョーブなんだな?」「ああ」「~~良かったぁ」 ホッと一息。思わず笑顔が零れる。 するとシロは苦笑した。カリカリと頭を掻いてから目を細める。「なんというか、平和な奴だな。言葉だけでよく信じられるもんだ」「シロだってオレが動物の言葉わかるって信じてくれたじゃん」「それは実際に会話が通じたからだろう」「シロもオレのこと食べてないじゃん?」「…………」 大樹が首を傾げると、シロはかなり微妙そうな表情を見せた。大樹は何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げる。一応大樹自身の中で今の論理は成り立っていた。シロは実際に大樹と会話が出来たから信じたという。そして大樹も、シロが実際に食べてこないのだからそれを信じればいい。――うん、おかしくナイナイ。 しばらくそのまま考えていたようだが、考えても仕方ないと思ったのか、シロは表情を崩した。「そもそもわたしは、猫又の中でもそう上の部類でない。この土地にはわたしより力の強いモノがたくさんいる。だから無闇に事を荒らす気にはなれんのだ。それにこの土地は霊子が強い……欲を出さなきゃ、人を喰わなくても十分生きていける力が得られる」 「へえ」 よくわからないが、話の腰を折るのも気が引けて大樹は首を上下に動かした。シロより強い奴らがいるというのも何となくうなずける。というのも、この霧生ヶ谷市には不可思議な伝承や噂が多く伝えられているのだ。大樹がここに遊びに来るのも、大樹の友人である一ノ瀬杏里がいわゆる「不思議萌え」で、大樹たちを巻き込んで不思議ツアーなるものを企画するためである。実際に何度か不思議を目の当たりにしたこともあった。元々大樹自身が不思議な力の持ち主であることもあり、大樹はさほど抵抗なくその不思議を受け入れることが出来ている。兄の春樹は「おまえは力の有無なんて関係なしに受け入れられると思うよ」と、大物なのかただのアホなのかわからない大雑把すぎる弟の性格を嘆いているのだが。 「まあ、わたしは平和主義なのだ。平穏はいいな。ちなみに煮干をくれる奴もいい」「へえ~」「で、だ。少年を見込んで……いや、正直見込めるものがあるのか甚だ疑わしいのだが、これも何か縁だろう。頼みがある」 何やら棘があるような気もしたが、大樹にはそれをきちんと指摘するほどの語彙力も判断力もない。曖昧に首を傾げる。「頼み?」「わたしの家を探してくれないか」 …………は?「家?」「ああ。フラフラと放浪している内にどうも迷ってしまったらしい。気づいたら道を忘れていて帰る家がわからない」 なんという。 思ってもみなかったお願いに、大樹は目を丸くした。腕を組み、シロをまじまじと見つめる。 何というかこれは……「迷子のこねこちゃん?」「仔猫などと呼ばれる若さではないのだが」「そうなのか?」 大樹には猫の年齢など知りようもない。言われてみれば喋り方が幼さとはかけ離れているような気もする。春樹も中学生の割にやたら所帯じみているが、このような喋り方や立ち振る舞いはしないだろう。 「どうだ、少年」 シロが耳をピクリと動かす。その姿はやはりどう見ても愛らしい猫の姿。 組んでいた腕を解き、代わりにその手を腰に当て、 大樹は笑った。「シロ。オレは『少年』って名前じゃないぜ。大樹だからな!」
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