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「その後、彼女らは全身打撲に火傷に切り傷だらけの四人を警察に引き渡し、事件は終結を迎えたわけです。」 誰も音を立てない、何とも言えない沈黙。「…確かに、表現が困難な内容であったことは認めよう。だが、これのどこにわざわざ映像を流すまでの価値があった?単に、偶然無数の妖怪達に絡まれただけのただ運がないだけの強盗ではないか。」 無言での肯定。 さすがに、不機嫌な表情を浮かべるものが多い。 最初の男の台詞ではないが、この面子を集めて行うことなのか? しかし、その表情をも予定通りとでも言わんばかりに、王穿は口を開いた。「理由は、たった今自分で仰られましたではありませんか。」「今、だと?」「特別なことを言ったようには思えなかったが…」「なんてことはありません、『偶然無数の妖怪に絡まれた』です。逃げ道の、ほんの一キロばかりの距離の間に遭遇した怪異は都市伝説『杉山さん』、妖怪『猫又』、『ゲコカッパ三兄弟』、そして『雪女』。少し考えてみてください、こんなことが普通に起こりうると思いますか?」 普通、妖怪は例外を除き遭遇率は高くない。 毎日当然として会えるような存在なら、『不思議』でも何でもない。 しかも、彼らはそれぞれが全く別の目的で、偶然通りかかっただけ。 偶然、短い距離で四つもの怪異と接触する不自然さ。「例えば、物理の観点から言えば人間の体を物体が透過する可能性もありますが、有史以来そのような現象は一度も確認されていません。それはなぜか?単純に、起こる確率がゼロに近似できるほど小さいからです。これもそれと同じ。いくら怪異と遭遇する確立が他の土地より遥かに高いとはいえ、これは異常だと断言して差し支えないでしょう。」 先ほどまでの空気はどこへやら、円卓はいつの間にか緊張に包まれている。 王穿はコンソールを操作し、ディスプレイに表を表示させる。 グリッドの入った平面が、所々山や谷のように歪曲して盛り上がったりへこんだりした妙な表である。その凹凸の位置と高さは、気象図のように時々刻々と変化している。「陽・陰霊子はご存知ですね?霊子の濃淡は、怪異にとって非常に大きなファクターです。陰陽問わずに霊子が濃ければ濃いほど、無意識に不思議はそこに引かれます。さて、これは真霧間研究所の開発された霊子観測機を使って捕らえた、霊子の局在図です。高低で霊子の陰陽と強度を示すこの図は、現在霧生ヶ谷の西区を指しています。さすが霧生ヶ谷というべきか、霊子濃度は他の土地と比較になりません。」 キーを叩く音が響く。「ですが、その中ですら比肩するもののない存在。彼女の位置を示したのが、これです。」 狭くない部屋に、なんともつかない呻き声が広がる。「ブラックホール…?」「何とも適切な喩えですね。」 ブラックホールの重力と空間の関係を示した図を見たことがあるなら、なるほどこの図は容易に理解できるだろう。 凹凸のある山脈の一箇所に、錐で穿ったようなどこまでも深い穴が一本できていた。 それこそ、周囲の高低が平らに見えるほどの底無しの穴。「見ての通り、難しいことは何もありません。彼女は、異常なレベルで陰霊子を纏う性質を持った、一般人なのです。その異様に高い陰霊子濃度のせいであらゆる不思議が彼女およびその周辺に起こり、現れ、そして物事を捻じ曲げていきます。昼飯を食べに行ったら相席した人が妖怪で何かをやらかすことも普通のことでしょうし、もしかしたら伝説級の不思議に巻きこまれて店ごと神隠しに遭ってしまうかもしれません。彼女の周囲では、良くも悪くも物事はなんらかの方向にズレる。常識・定石通りの展開なんて在りえない。彼女の周囲では、石を落としたところでまっすぐ落ちるとは限らない。映像で、彼女よりも彼女が追っていた強盗に怪異が強く影響した点から推測するに、彼女が何らかの行動している場合には、霊子は『彼女の行動の対象』に対してまとわりつく性質を持っているのでしょう。要約するなら、『あらゆる物事に不思議を関与させる体質』とでも言いましょうか。詳しいところはまったくわかりませんが、彼女が非常に強い『陽』の性質を持つために、均衡を保とうとする世界が足し引きゼロになるだけの『陰』を曳き付けている、とする説が今のところ最も有力です。私達はこの性質を『歩く非常識』と呼んでいます。」「な、なんという…」「そんな人間離れした一般人がいてたまるか!」「いるんですから仕方ありません。」 しゃあしゃあと言い放つ王穿。 またディスプレイに映像が映し出される。 それは、先ほどの黒髪の女性の顔写真。 恐らく自動車免許あたりであろうと思われる背景なのだが、指でブイを作ってポーズをとっているあたりで異様さが漂う。「異様に気づいた我々が、あの周辺で霊子等に関与する存在がなかったか調べたところ、浮かび上がったのが彼女『南 暮香』です。」 顔写真が小さくなり、空いたスペースに情報が表示される。「二月五日生まれAB型、今年で二十五才。出生は大阪、親の転勤で幼稚園から大学までは三重県で過ごす。大学卒業後、フリーライターを目指してなんとなく選んだ霧生ヶ谷新聞に所属。極貧のため時折工事現場のアルバイトも行っている。知性・身体能力共に一般の域を超越しているが、ロクな用途に使用していない。」「…体重他いくつかのデータが不明と書いてあるが…?」「どこの機関にも、大学以前のデータしか残っていなかったためです。当然私達の機関でも独自に調査を行いましたが、しかし分かったのは、やはり彼女が全ての原因であったという確信だけです。向かわせた調査員は有能な男だったのですが、霧生ヶ谷でのことを尋ねると『アレが、赤くて喋るアレがあっ!』と叫ぶばかりで使い物になりません。」「アレ…?」「赤いのか?」「また、拾ったアウトローライセンスの名義を違法所持しています。霧生ヶ谷市に名義変更の手続き手紙が来ていますが、当然違法なので無視されています。」「アウトローライセンスか…違法所持は重大な犯罪だぞ?」 所持者に銃器携帯等を許可する、法の外に在ることを免許するモノ。 故に、アウトローライセンス。 その所持は、市への国への非常に大きな貢献、更に厳密な審査を重ねた上でようやく許される。「そう、ここは仮にも日本、銃器の携帯許可など不用意に得ていいものではない。」「いや、これはむしろちょうどいいのではないか?」「どういうことかね?」「それほどの大罪人なら、留置名目で研究することもできるのでは?」「なるほど、そういう手も…」「いえ、それは難しいですね。」「…先ほどから水を差してばかりだな、王穿。肝要な情報は先に提示できないのか?」 さすがにこれほど情報の提示を焦らし続けていれば、いいかげん王穿へ向けられる視線が険悪なものへ変わってきている。「すみません、性分なもので。」 だが、彼は悪びれもせず反省する様子もない。 古参らしい面子の表情は、この天狗の性質に慣れているためか、ほとんどあきらめのそれである。「その方法は可能には違いないのですが、非常にリスクを伴うのです。彼女にこの体質が発現したのは霧生ヶ谷に来てから。霧生ヶ谷という町が彼女に影響したのか、それとも彼女が元々持っていた力なのかはわかりません。そのせいか、彼女自身はこの体質についてはまったく気付いていないのです。」「それが?」「加えて、この体質が非常に不安定なものであることは明白です。精神の関与するこの霊的分野では価値観の変動程度でも十分な影響、変に接触して霊の説明などしてはどうなるかわかりません。消えるだけならまだしも、このブラックホールのような影響力がいかな方向へ向くか予測できないところが問題なのです。最悪、市全域どころか日本規模の深刻な霊災害を引き起こしてもおかしくありません。」「触れると爆発とは、爆弾のような女だな…」「ならどうする?そんな危険な体質とやらの持ち主を放置しておくのか?」「そういうわけにもいかんだろう。」「方法もないのにか?」 なまじ自己主張が強い政治家の集まりである、各人が勝手に話しはじめると収拾がつかない。騒然とする会議室。「…その体質は、利用できるな。」 水面に一滴の水を落とすようにぽつりと呟いたのは、その老獪から内閣府でも一番の実力者と目される初老の男。 この議会においての議長は特に決められていないが、その立ち位置にいるとすれば間違いなく彼だろう。その男が、この議会が始まって初めて口を開いた。 場は静まり返り、彼の動向へと注意を向ける。「いきなり何を言い出すのです。」「何が起こるかわからないようなものを、どうやって使う気ですか。」「そうだ、何に使うにしても、わざわざこんな不確定要素の塊を扱う必要がない。マイナスの方が大きくなるに決まっている。」 ざわつく円卓。不安は疑惑を呼び、疑惑は不信感を増幅させる。「黙れ。」 だが、騒然とした場をたった一言で有象無象を一蹴した。 彼の言葉には、実力者である出席者をも黙らせる力があった。「常識すら捻じ曲げるという言葉を信じるなら、それがどれだけ強大な影響力を持つかわからないのか?たとえばだ。どんな事件でもいい、あらゆる機関が手出しができないような、どうしようもないどん詰まりの状態にあったとしよう。その時、彼女…南女史の意識をそこに向けさせることができればどうなる? 」「どうなるって…不思議に巻き込まれるでしょう。」「そうだ。不思議と呼ばれる何らかの現象が、確実に事態に関与する。確かに運が悪ければ、監視の目をくぐり抜けた人食いの怪異が人質を強盗ごと皆殺しにしてしまうかもしれない。だが運がよければ、引き寄せられた怪異によって事態が好転するとは考えられないか。」「…なるほど!」「なに、どういうことだ?」「わかるか。つまり自由にとは言わずとも確立を改変できるということは、どうしようもない自体を打破できる可能性をもたらす。使いどころさえ誤らなければ、その価値は戦術核にすら匹敵するだろう。」 その台詞が終わると、先ほどとは違った種類のざわめきが広がった。「王穿君、専門家としての君に訊く。このような使い方は可能か?」「可能です。まったく、説明する前に全て考え出されたのでは、私の居る意味がありませんね。」「ふん、少々珍しい現象が見つかった程度でこの面子を集めるのか、という疑問を抱くだけの知性があれば、この体質は改革的な応用があるだろうと思い至るだろう。」「さて、問題は不安定な南女史をどう扱うかだ。率直に言え。どうするのが最も効果的だ?」 この厄介な問題に、王穿はあらかじめ用意して会ったようにさらりと答える。 いや、あらかじめ用意してあったのだろう。「つかず離れず、不用意に影響を与えず、また極端な影響を与えさせず、体質消失・変質を避ける。必要時のみ、不自然でないように誘導し対象へ注意を向けさせる。また不用意に影響を与えないよう、先ほどのライセンスも書き換え許可した方がいいでしょう。将来的な彼女の利用価値を考えれば貢献度という点でも問題ないかと思いますし、射撃の腕は確かです。かなり特異な性格ですが、銃で他人を傷害することをよしとするようなタイプの人間ではありません。表向きには『強盗逮捕の件でライセンス発行を考えていたところに書き換え申請が送られてきたため、渡りに舟だったためそのまま発行した』ということにでもすればいいでしょうね。ああ、元々の持ち主には既にライセンスは再発行されているので、そこのところも問題ありません。」「それしか手はないのかね、王穿君?」「現状で、日本政府にこれ以上の対応は不可能です。」 きっぱりとした断言の言葉。 その言葉に、男は頷く。「なら、そうすべきだろう。全員、担当する各部門からそれぞれの対応に当たらせるように。」 清々しいまでの断言は、一切の反論を許さない。まさに鶴の一声。「ご苦労だった、これで解散だ。」 そして、参加者達は申し合わせたように同時に席を立つ。 部屋を支配する音がまた換気扇の音へ移るまで、それほどの時間を要しなかった。 溶けるほど静かな会議室に、一人立つ影。 それは、王穿と呼ばれた青年。 いや、一人ではない。 その傍らには、いつどこから侵入したのか、一匹の白い狐が佇む。「王穿様。よろしかったので?」 当然のように、狐は口を利いた。 驚く様子もなく、王穿はその頭をよしよしと撫でる。「ああ。本当に、出し惜しみする自分の性格に感謝したのは久々ですよ。」 狐は心底嫌がっているが、気にしていない。「もし南暮香が1999年に霧生ヶ谷に居たら、世界は魔王アンゴルモアの手によって終わっていたかもしれない。そして終末予言が無数に存在する以上、その可能性は未来にもある。こんなことを言えば、恐れて彼女に関わろうとすら思わないでしょうからね。」「爆弾と先ほど言っていた人がいましたが、言い得て妙ですね。かなり生ぬるい表現ですが。せめて核弾頭くらい言わないと足りません。」 二人きりのためかいくぶん砕けた口調になってこそいるものの、王穿の表情におどけたところはない。そこに、冗談は欠片も含まれていない。「そもそも、あの南暮香がたかが変な体質を持っていると知った程度のことで揺らぐようなやわな精神構造をしていようはずがありません。」「まぁ、それを言ってしまうと色々と面倒なことになりますからね。人間にはあの程度の説明でちょうどいいのですよ。」「何せ、相手はあの暮香ですから。付け添えの体質などより、彼女の在り方自体の方がよほど『歩く非常識』の名に相応しいかと思います。」「たとえ特殊な体質などなかったとしても、彼女の前には人間も妖怪もないでしょう。いや、むしろあのような常識はずれな人間であるが故に、霧生ヶ谷という地に、バカ騒ぎの中央にあることを許されているのかも知れませんね。」 あらゆる怪異を引き寄せる騒動の中心、南暮香。 天狗の面へと変容した顔で、口の端を上げて笑う。「いやぁ、こんな面白い人間、五百年の人生の中でもそういませんでしたからね。せいぜい楽しませてもらいましょう。」「本当に、悪い癖です王穿様。」 彼は、気付いているだろうか。 そういう王穿自身もまた、彼女を中心とした騒動の脇役として引き寄せられた妖怪の一人なのかもしれないということを。 そして、二つの影もまた闇に溶けるようにして、どこかへと失せていった。 換気扇の止まった会議室は、静かに無人の闇を抱くのみ。
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