シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

消えない牙

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『消えない牙』       作者:香月

 

 安陪方輔は、殺気立つ仲間を必死で宥めていた。
 いつもなら行動を共にするところだが、今ばかりは相手が悪い。
「松風の奴っすよ。なめられたままで」
「そういう問題じゃねんだよっ」
 黒いスーツに深紅のネクタイという、制服にしてはなんとも変わった色合いだった。それが松風である。
 松風といえば、六道区にある馬鹿学校だった。不良も多いが、それ以上に馬鹿が多い。それも、手に負えない馬鹿だ。デジタル時計でないと、時間がわからない者さえいるという話だった。
 学校自体も、馬鹿が一点に集まるだけあって性質が悪い。それにプラスして、たった今北高を訪れているという男は面倒極まりなかった。
 言うなれば狂犬である。正確には元狂犬だが、その牙がそう簡単に抜けると、方輔には思えなかった。
 北区出身であるから、更に手がつけられない。普段の行動範囲が、方輔とそう変わらないのだ。
 見たことがある。相手の喉を、文字通り掻っ切っていた。それでも戦い続けたあの橘も驚異的だが。
「総長は何も言ってねぇだろ。だから手を出すな」
「何で……」
 不良学生の横の繋がりは無限である。それこそ、友達の友達の友達が、結局は自分の友達だということも多い。一般の学生より、年上だの年下だのということも厳しい。自由に生きているようで、あらゆるところに縛られている。
 そんな中で、治外法権的な性格さえ持つ権利を得ることは、どれだけ難しいことか。その学校にいる限り、上下関係というものからは逃れられないはずなのだ。それを成しえていた。そして、それ相応の実力もあった。
 何より、後輩を惹きつける。一種のカリスマ性なのだろう。狂信的な者も多かった。ただ、先輩にはとんでもなく忌み嫌われていた。年下の男が大きな顔をしていれば、気に食わないのは道理だろう。だが、手を出せない。故に治外法権なのだ。
 もっとも、喧嘩の実力だけで言えば、方輔も劣らない自信があった。しかし、倒してしまえるかどうかはわからない。
 第三要素の無い、その場だけの喧嘩ならば勝てる。だが、素人同士の喧嘩では、心理的な要素も多い。むしろ、精神的な優位に立った者が勝つ、と言ってもいい程だ。
「名前はなんていうんスか?」
「上木」
「普通っすね」
「名前に刺激を求めるお前の感性がわかんねぇ」
 上木は、その心理的優位性を得ることが上手かった。派手な容姿と前評判。抗争の度に、何か大きなことをやらかす度胸。要するにはったりだった。だが、それに打ち勝つことがなかなかに難しいのだ。
 無茶苦茶だ。こんな奴に勝てるのか。そういう疑問を持ってしまっては、もう上木には勝てない。必ず、揺さぶりをかけてくる。
 現に、それに屈しなかった者は上木を退けている。方輔が覚えている限りでは、橘祥子、赤松葉山、榎波慶次郎、の三人のみだった。
 ふと気付いた。上木を退けたのは、どれも同年代なのだ。橘祥子など、現に自分の上に立っている。失脚させてやとうとは思っているが、できるかどうかは疑問が付きまとう。橘と上木のみではない。橘と赤松がぶつかったこともあったし、榎波と橘がぶつかったこともあった。いずれも激しいぶつかり合いであったことは、言うまでもない。
 化け物揃いの年代に、自分は生まれたのかもしれない、と方輔は思った。どいつもこいつも、そこらで頭を張っている連中とは、一味も二味も違うのである。橘祥子の時代錯誤とも言える理念、上木涼成の命知らず、榎波慶次郎の峻烈さ。どれも理解できないものだ。赤松葉山だけは、単純に強い男だった。しかしこれも、理解の範疇を超えている。純粋に強いのだが、それが半端ではない。
 ただ、上木は既に引退している。この一年間も、何事もなかった。赤松も上木と同時期に引退し、霧生ヶ谷から姿を消していた。榎波慶次郎は、バイク事故で既に他界している。北区の有力者で、残っているのは橘祥子のみだった。
 嬉しいと思う反面、残念だという思いも、方輔にはあった。上に立ちたいのは事実だったが、張り合いがないのだ。
 自分がそういう性格ではないことは、重々承知している。だが、これだけは別なのかもしれない。特別な何かが、きっとある。
 そう考えると、上木に対する恐れは消えていた。何か、雲が晴れたような気さえしてくる。
 それを見計らったように、上木が教室の扉を開ける。誰かを探しているようだった。
「なぁ、方輔。真壁って知らないか。俺達と同年のはずなんだが」
 まるで友人のように、上木が話しかけてくる。悪い気はしなかった。
「知らねぇよ。そんなことより、上木。お前復帰しないのか」
「しない。なし崩し的にそうなることも、今は絶対に避けている。俺は大学に行きたいんだ」
「お前が大学? 高校に進学する気すらなかった奴が、大きく出たもんだな」
 軽口であって、そこに悪意はない。上木もそれを感じ取ったのか、怒るどころか少し笑った。この男も笑うことがあるのだ。もしかしたら、高校に入ってから、色々と変わったのかもしれない。無論、確認する方法はなかった。訊くつもりもない。
「人間って、成長する。俺でもな。いつの間にか、まともに大学行きたいと思うようになってたんだ」
「成長したってか」
「昔は、適当に土木でもやって、自由な時間に遊べばいいと思ってたんだが。よくわからないものだよ」
 方輔も、似たようなことを考えていた時期があった。だが、高校に進学したほうがはるかに楽だということを後から知ったのだ。
「松風からの進学は、厳しいんじゃねぇか?」
「そこは努力だろう。それに――」
 上木が、教室から廊下へと視線を変える。だがすぐに戻した。
「俺は劣等生だから、よくわかる。勉強できないと言ってる奴は、それ以上に勉強してないんだ。勉強できないから勉強しない、ではなく、勉強しないから勉強できない。言ってみれば当たり前のことだが、それに気付くことすらない。ひたすら、自分は勉強できないと思い込んでるだけだ」
 そうなのかもしれない、と方輔は思った。方輔もまた、勉強などしない人間だからだ。
 しかし、これに納得したところで、教科書に触れてみる気はやはり起きない。これが、勉強をしない人間なのだろう。
「怒らないのか、方輔」
「何が」
「これを言われると、勉強をしない人間は怒り出す。自分は勉強ができないんだ、って」
「しないし、できない。それはわかってる。んなことで怒りゃしねぇよ」
 また、上木は少し笑った。やはり変わったのだろう。人を寄せ付けない雰囲気も、どこか薄れている気がした。
「方輔。俺は、橘よりもお前の方が相性が良い、とずっと思っていた。悪辣なところも合わせてな。それは、間違いではないらしい」
「嬉しくもねぇや」
 言ってみただけだ。と言いながら、上木がまた廊下に眼をやる。教員を気にしているのだろうか。それとも、もっと別の何かを警戒しているのか。少なくとも、橘祥子である可能性は低い。あの二人は確かに相性が悪いが、眼が合った瞬間殴り合うということもない。それに、橘祥子の性格を考えても、こんな昼間の学校でことを起こすとは思えない。
「やっぱり、松風の制服で来たのはまずかったか。面倒くさかったから、着替えなかったんだが」
「あ? 少なくとも、この学校のアウトローが突っかかってくることはねぇと思うぜ。俺もさっきまで止めてたし、総長も手は出させないだろ」
「いや、目立つか?」
「そりゃあ、目立つことは間違いねぇけど」
 しきりに、廊下を見ている。よっぽど何か気になるらしい。
「本当に、真壁を知らないのか?」
「いや、さっきは真剣に考えてなかった」
 真壁。もしや、真壁順也のことだろうか。それなら、中学が同じだったから覚えている。このクラスでないことは間違いないが、ならどこのクラスだったか。
「思い出した、それなら」
 上木の姿が、ふっと消えた。その瞬間、教室の壁に何かがぶつかる。まさか、と方輔は思った。橘が止めていても、手を出す生徒がこの学校にいたのか。
 廊下に駆け出し、上木を探す。壁に押し付けられていた。
「あんた馬鹿じゃないの、制服で。殴りこみでもするつもり?」
「バイトの連絡を回さないといけなかったんだが、回そうと思った時にそいつの連絡先を知らないことに気付いたんだ。それで――」
「直接伝えに来たと? わからないなら、私でもひかりでも、この学校の知り合いに言いなさいよ。直接学校に来る馬鹿がいるかっ」
 何か見てはいけないものを見たような気がして、方輔は教室に引き上げた。それと同時に、笑いが込み上げてくる。
 あの女が誰かは知らないが、学年は方輔より一つ上だった。つまり年上の女だ。方輔の年上の連中が、何をしても上木を抑えることができなかったというのに、たった一人の女が上木を黙らせている。笑わずにはいられない。
 自分も、変わることがあるのだろうか、と唐突に思った。だとすれば、それはどういう変化なのか。
 上木のように大人しくなるのか、どうしようもない馬鹿となって死ぬのか。それはわからない。
 もしかしたら、自分でも気付かないような僅かな間に、人は変わるのかもしれない。少し物事の見方を変えたりするだけでだ。
「何笑ってんスか?」
「これが笑わずにいられるか」
 狂犬の牙は、既に抜けていた。いや、納めることができるようになっていたのだ。

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