わたしは猫又である。
名前は――……シロと、いう。
* * *
霧生ヶ谷市の北区を根城に、わたしは日々、様々なものを見て回っていた。今までもそう過ごしていたし、そうするのが自然の流れのように感じられていたからだ。
ただ、最近はそうした生活に少し、ほんの少しだけ変化を見せている。
それは「人間の姿で」回る時間を作り始めたことだ。
今まで生きてきて、ただの猫であった頃にはもちろんのこと、猫又と成り果ててからも、これといって人間の姿になることはなかった。何せ必要がなかったし、人間の姿が便利だとも思えなかったのだから不思議はあるまい。
だが……わたしの正体を知る数少ない少年――名を日向大樹という――が、あるとき、何気なくわたしに話しかけてきた。
「なあなあ、シロは変身できるんだろ?」
「ああ」
「でもめったに変身しないよな。何で?」
「何故と問われても……必要がなかろう」
「んー……でもさ、せっかくできるんなら、使いこなせる方が良くね?」
「…………」
「例えばだぜ。猫の姿だったら餌も残ったものをもらったり、自分で取ってくることしかできないけどー。人間の姿だったら色々買えるじゃん。お金必要だけど」
「…………」
「それに猫の姿で喋られたらみんなびっくりするけど、人間の姿なら問題ないし」
「…………」
大樹はそれから、本当に何気ない調子で人間の利便性とやらを語ってみせた。時々偏っていたようにも思えるが、まあ、ある意味で一理あるものばかりだ。何より、人間の姿ならば、確かに人間の言語を繰り出しても不自然でない。猫又のわたしでも、少年と猫が会話を繰り広げているさまはハタから見て奇妙なものであるということは想像に難くないのだから。
だから。
わたしは、大樹の言葉に乗るのも一興だろうと、人間の姿に慣れることにしたのだ。
しかし問題がないわけではない。わたしは人間というものを、昔共に過ごした老夫婦くらいしかろくに知らなかった。かといって大樹を参考にするのも無理がある。姿形を変えることはできても、習性がいまひとつ分からないこともしばしばであった。何より迷うのが服装だ。猫に不必要であったそれは、一体どのような基準で選べばいいものか。いっそ何も纏わない方が楽でいいのだが、それは大樹やクロ(大樹経由で知り合った猫だ)にも止められたので禁じている。仕方なしに周りの人間の格好を真似ることが多いのだが――……
さて、今日はどうしたものか。
「……ふむ。これにするとしよう」
ガラス窓の向こうに飾られている服は、わたしと同様、色が白い。それが決め手となった。じっくりと見て姿を変える。
* * *
変化(へんげ)は上手くいったはずだった。慣れない内は無理をせず1番やりやすい女の姿になることに決めているし、ガラスに映った姿を見ても、いつも通り。失敗はない。
が、何だ。何やら人の目が多くわたしの方を向いている気がする。殺気の類ではないから気を荒くすることはないが……。はて、何かやらかしただろうか。
それにしてもこの服は動きにくい。ただでさえ服というものは窮屈さを覚えて、いまだ慣れぬ要因の1つであるというのに。この服は一層窮屈だ。次にこれを選ぶのはやめておこう。
「あ、シロ!」
甲高い声が耳に届く。見やると、大樹がわたしを見つけて駆けてくるところだった。慌しく走ってくるところが奴らしい。
大樹、と声をかける。嬉しそうにわたしを見上げた大樹が――動きを止め、数度瞬いた。
「? ? ??」
「どうした」
「や、いや……」
珍しく言葉を濁した大樹は、大きな瞳を丸くしながら、ことりと首を傾げてみせた。
「シロ、ケッコンすんの?」
* * *
純白のこのドレスは、ウェディングドレス、というものらしい。何もないときに着るものではないのだとか、好きな相手と共にいるときに着るものであるとか。
「なんだ。わたしは大樹が好きだぞ」
「や、オレもシロ好きだけどさ」
――やはり、人間は不可解だ。