シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

夢幻炎獄。あるいは、闇払う炎の少女

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

夢幻炎獄。あるいは、闇払う炎の少女:しょう

 

「……なんだろうね、これ」
 思わず、こんな言葉が口をついて出てしまったのは今目の前に広がっている光景があまりに常軌を逸していて、信じたくないという思いがあったからだろうと思う訳だ。幾ら信じたくないといった所で、今目の前にあるんだから信じざるをえない訳なんだけどね。それでも思わずにはいられない位に、その場景は存在として異常だった。
 喩えるなら炎の園。色とりどりの花の代わりに、炎がキバを剥き、流れる小川に代わり、炎の下が踊り、吹き抜ける涼風に代わって轟炎が駆け抜け、揺れる木々の代わりに炎が尾を振る。全てが全てクレナイに彩られた苦痛だけの世界。これが人の見ている夢だなんて信じられない。あるいは信じたくない。
 そもそも夢は心の投影だ。だから、必ずどこかに願望が混入する。喩えそれが悪夢であったとしても。此処にはそれがない。ただ見たそのままに燃え盛る炎だけがある。なら、ソレが破滅もしくは破壊への願望といえるんじゃないかといえばそうじゃない。そんな単純なものではない訳だ。少女がいた。喪服に身を包んだ黒い少女が炎の中に。
 この業火の中、身動ぎ一つせず、髪一筋揺らさず、眉一つ動かしてやいやしない。その顔には苦痛はおろか、ありとあらゆる感情が漂白されたように抜け落ちていた。涼しげにですらない。ただそこにいる。この狂った世界を当たり前のものとして受け入れていた。
 そこに、望みはなく、願いもない。その代わり、諦念も悲観もなかった。それはつまり、この炎がなければ、俺は少女の存在に気づく事はなかっただろうという事実。それに思い至った時、俺はこれが人の夢とは思いたくなかった。何か別の、そう無機物が見た幻なのだとさえ錯覚した。そんな筈はないのに。その少女が本質的に人間だと俺の人でない部分が告げているというのに。
 少女が初めて動いた。ゆっくりとこちらを向く。感情の見えない瞳が俺を射る。寒気が走った。危険だ、と警告が頭の中に迸る。後ろに飛ぶ。それだけでは足りないと、必死になって夢の外縁を手繰り、炎の熱気に炙られる感触を味わいながら空間を渡った。そして、俺はさっきまで自分がいた場所を炎の塊が喰らい尽くすのを見た訳だ。
 込み上げる吐き気を無理やりに飲み下す。バリウムみたいなどろりとした重い何かが喉の内側を引っかきながら転げ落ちていく。膝を突いてしまいたいのを、出来れば倒れこんでしまいたい、のを堪えながら俺は少女から視線を離さない。わずかに触れた夢の片鱗から流れ込んできたのは圧縮に圧縮を重ね縮退寸前の憎悪。煮詰めてろ過を繰り返し、純度の増した炎のイメージが俺を焼いた。厳重に封をした今でさえ、飛び出し俺を喰らい尽くそうと暴れもがいている。正直指一本動かすどころか、声を出すのだってつらい。なのに向けられる殺気は本物。掛け値なしに触れれば切れる刃物そのもの。もう一度さっきみたいな炎の塊が襲ってきたらかわす自信など微塵もない。つまりは、状況は最悪って訳だ。
 しばらくお互いに視線を絡めたまま動かなかった。まあ、向こうは、おかしな方法で攻撃を避けた得体の知れない相手に用心してのことなんだろうけれど、こっちが動きたくとも身動きできないのとは雲泥の差だ。全く、あそこで床が崩れさえしなければこんな目にも遭わずにすんでいただろうに。
「夢魔、ですか?」
 不意に問い掛けが来た。ただ、そこに感情の色は何もなく、俺というやや不可解な存在に対する一応の確認しか感じられなかった。
「半分は、ね」
「そうですか」
 少女の左腕が俺に向けて上がり、視線の高さに来ると宙で何かを掴んだ。右腕もあとを追い、左手の傍で何かを摘む。後ろへ引いた。キリキリと木の軋む音を聞いたようにも思う。少女は『射』の型を取っていた。無論その手には何もない。空だ。
 けど。
「確認するけど、半分は人間だからね。聞こえてる?」
「魔に属するに変わりはない。なれば、灯真家第十三代当主、灯真深鳥が滅する」
 ピタリと狙いを俺に定めたまま返答。取り付く島もないとはこのことだろう。
 退魔の一族というのが存在するって事は親父から聞いて知っていた。けれど、ここまで過激とは聞いてないぞ。いや、親父が夢魔をやめるときに世話になったのは、かんなんとかと言った筈だから、別物だろうか。それにしたって、傍若無人が過ぎるんじゃないかと思う訳だ。
「見逃してくれない?」
「問答無用」
 灯真深鳥は更に弦を引き絞る。まるで実際に弓と弦と矢が存在しているかのような、狙われている的ながら惚れ惚れするような型が出来上がる。故に、容易く幻は現にすり替わり、紅く燃える炎の矢が顕現した。
 まだ体の中でさっきの欠片が暴れていて、禄に体も動かない。夢を手繰ることすら出来そうにない。予測するまでも無く、未来予知の余地も無く、次の瞬間には矢に貫かれ、灰さえ残さず燃え散らかされていることだろう。諦めるつもりはさらさらないが、このままじゃ如何の仕様もないと思った訳だ。俺はしがない半夢魔で、相手は魔を祓うに執着した、多分その為にならどんな犠牲も厭わない、言ってしまえば殉教者。何よりも質の悪く融通の利かない存在だ。
 なら、精々足掻いて足掻いて少々みっともなくとも這いずってみるかと結論する。すると自然浮かんだのは笑みだった訳だ。
 灯真深鳥はそんな笑みも見慣れているのだろう、目を細めることも無く矢を放った。
 瞬間。
 俺の中の欠片が一際大きく脈動した。それだけでなく、世界そのものが揺れ、ひび割れた。突然の事に膝を突き、動けない俺のすぐ横を熱気と言うのも生ぬるい熱が過ぎていく。取り乱した心臓を殴りつけることで活を入れ、立ち上がった俺の目の前にはあまりな変貌を遂げた炎の園が広がっていた。ある意味草原を連想させていた炎が今は荒れ狂い天を突く二つの塔を形作っていた。絡みつき伸びるその先にはひび割れた空があり、暗闇が覗いていた。そこへ炎が、灯真深鳥の憎悪が吸い込まれていこうとしている。
 ぞっとした。氷水を掛けられたように全身が冷たくなりながら、言いようのない汗が吹き出てくる。
「……ま、て……」
 我に返る。ぼぅっとしてる場合じゃない。何とかしないととんでもないことになっちまう。
 ああ、そうだ。想像くらいは出来たはずだ。
「まち、なさい」
 行く手を阻むように灯真深鳥が立ちふさがる。苦痛に顔を歪め、それでもなお『射』の型を取る。俺なんかとは比べ物にならない痛みが襲っているはずだと言うのに……。
「邪魔しないでくれ。俺はあれを何とかしなきゃならない」
 指差した先では、空のひび割れが更にその範囲を拡大しつつあった。あれは灯真深鳥の夢の境界が崩壊しつつある証だ。ちょっと考えれば分かる事だった筈だ。
 俺が知る規格外の生き方をしている人と比べて高スペックを有する吸血鬼でさえ『いつか壊れてしまうよ』と同属に言われていたのだから。退魔の血筋とはいえただの人間がこんな煉獄のような場所にいつまでも耐えられるはずがないんだ。そもそも俺がこの夢に転がり込む羽目になった原因だって、突然吹き上げた炎に床が壊されたからじゃないか。予兆はあった訳だ、初めっから。
「あれはなに?」
「あのひびが完全に広がったらこの夢は壊れる。はっきり言えば、あんたは精神的に死を迎える訳だ。そして、あの炎はあんたの遺志のままに魔を焼き尽くすだろうね」
「それは、望むところです」
 正直に言う。壊れていると思った。まるで、常軌を逸し、正気を逸し、滅ぼすを極めつけた磨きに磨き上げ目も眩むような輝きを得た黒曜石。最早、それ以外には何の役にも立たない特化機械。
「私の命一つでこの地の魔をすべて滅ぼせると言うのなら、本望です」
 もうかける言葉を失うしかなかった。灯真深鳥にはどんな言葉も意味を持たない。
 けど、苛立ち紛れにこんな言葉をぶつけるの位は許されるだろう。魔という人と切り離せない不可分な隣人の完全な滅びを望むその結果がどうなるか位は。
「残念ながらね。そんないいものじゃないんだよ」
「戯言」
 矢が放たれた。見据えて、踏み込む。幾筋かの髪を燃え散らかしながら炎が行過ぎる。もう一度やれと言われてももう出来ない。
「聞けよ。夢ってのは心そのものだ。そして、心ってのは奥底で全部繋がってる。そこにあんたの憎悪が流れ込んだら、集団ヒステリーどころの騒ぎじゃないんだよ。あんたの憎悪は明確に方向性を持ちすぎている。そんなものの影響を受けたら誰も彼もが我を失い憎しみの虜になっちまう。魔女狩りが始まるんだよ。前例がない位に大規模な!」
 魔であろうとなかろうと、人であるかどうかも関係なく、ただ『怪しい』の一言が免罪符となって互いが互いに殺しあう。きっと最後には誰も残らない。何も残らない滅びへ転がるウロボロスな輪転だ。
「証拠は?」
 そこに俺は初めて灯真深鳥の揺らぎを見た。ようやく、けど確かに。
「聞くまでもないだろ。何よりもあんたが一番よくわかっているはずだ。あんな憎悪に普通の人間が触れたら為す術も無く引きずられて、訳も分からず流されるしかないって。そうだろ? 灯真深鳥」
 返事はない。
「なら、大人しくしていてくれると嬉しいね。ああ、そうだ。一つだけ。大事な人がいるなら、その人のことを考えててくれないかな。」
 困惑は波紋になる。それが、分かっているからなのか、分かっていないからなのかは想像するしかない訳なんだけど。どちらにしたところで、注釈をつけて説明を加えるしか出来ることはない。
「好きな奴がいるならそいつの顔を思い浮かべろって事。そうしてくれれば、あんたの心はその分強くなる。俺が今からやることの成功率も少しは上がるからさ」
 そんな訳で、俺は、火消しだなんて我ながら似合わないよなと思うような行動を始めた訳だ。

「もう二度とやるか……」
 むしろ、出来るかと言ったほうがいいのかもしれない。無知ってのは偉大だね。こんなにしんどいと分かっていたら、もう少しましな方法を考えたよ。それでも、もっと楽な、けど灯真深鳥の存在を無視した方法、例えば灯真深鳥の夢を切り離してしまうような、は取れそうにないけど、さ。
 まあ、終わったことはどうしようもないし、今後こんな事に出会わないで済む様心の底から祈るとしよう。
 そう、結局灯真深鳥の夢は元通り。元のままにクレナイ渦巻く炎の園。危ういバランスもそのままで、炎の園に佇む喪服の少女もこれっぽっちも変わりがない。
 俺がやったのは火消しと称した、その場凌ぎの間に合わせ。俺の中にあった欠片を複製に複製を重ねて壊れた部分にあてがっただけの事。同時に流れ込んでくる灯真深鳥の記憶や経験を触れる端から突っ返してやったんでひょっとすると灯真深鳥の中で妙に印象に残っている思い出というのが増えているかもしれない。必死だったんで、どんなものがあったかさっぱり記憶に残っていないのだけど、これはこれで幸運なことなのだろう、多分。灯真深鳥の記憶、いや誰のものであっても他人の記憶なんてものは不用意に触れるものじゃない。
 ただ、いい加減にいい加減を掛けてこねくり回した挙句にいい加減をトッピングしたらこうなるんじゃないかと言う感想を抱かせる人物像だけはなぜか残っている。かなり曖昧でピンボケ写真のようではあるけれど。それだけ強く灯真深鳥が想っているということだろうか。
「今すぐ消えるなら、今回だけは見逃す」
 ぐちゃぐちゃになった守屋夢人を必死で構成し直していると言うのに、非情な狩人はそんな警告を下す。決して譲歩ではない証拠に、視線だけで人を殺せるんじゃないかと言う勢いで俺を睨み付けていた。だから、きっとこれは灯真深鳥が現状許容できる精一杯の妥協。灯真深鳥は何一つ変わっちゃいやしない。何もかもは初めの通り。違うとしたら、今の灯真深鳥には指一本動かす力も残っていないことぐらい。の筈なのだけど、何が一体灯真深鳥をここまで駆り立てるのか。
「それは重畳。と言いたいところだけど、そういう訳にもいかないんだよね」
 ヨッコラショと年寄りくさい掛け声で立ち上がる。膝が震え、立ちくらみ視界がズズッと暗くなりかけるが踏ん張り堪える。倒れるのはまだ少し先、始めたからには、終わりまで、最後まで決着をつけて、見届ける義務がある。
 炎の中に踏み込む、灯真深鳥の前に立つ。熱い気もするが、無視を決め込む。
「!―――」
 灯真深鳥が『射』の型を取ろうとする。本当に信じられない。何でそこまでできるのか。殉教にしたって程度がある。一体何を求めていると言うのか。
 けどそこで思索を打ち切る。俺が考え心配することじゃないからね。
 警戒を深める灯真深鳥の前に俺は右腕をことさらゆっくりと上げていく。見せ付けるように親指と中指を弾こうとして、火花が散った。
 炎のあぎとガ右手すれすれの空間に喰らいついている。本当にどうしようもない執念だ。予想はしていたけど、さ。
 パチン。
 おとりの右手の代わりに左手を灯真深鳥の目の前で鳴らす。
「何を……」
「大丈夫大した事じゃないから。記憶を消すだけ。この騒ぎのね。安心していいよ。消すのはそれだけ。それ以外のものには指一本触れない。約束するよ」
 正確には触れたくないなのかもしれないけどね。どちらにしても記憶は消さなくちゃいけない。自己の崩壊の危機なんて記憶抱えていてもいいことなんて一つもない。むしろリスクが増すだけ。だったら、その場凌ぎであったとしても精々厳重に封をさせてもらうことにしよう。
「余計なことを……」
 抗議の声は黙殺して。
「これで終わり、目が覚めたら忘れているから。俺はこれで失礼するよ。……余計なお世話かもしれないけれど……、まあいいか。じゃ、さよなら」
 逃げるようにして灯真深鳥の夢から出た。背後で炎が荒れ狂う気配を感じながら。
 俺が最後に飲み込んだのは、言ってしまうと軽口だ。本当はこういうつもりだった。
『苦しければ、声に出して助けを求めるんだね。あんたみたいなのの傍にいるのは鈍いってのが相場だから叫ばないと気づいてもらえないよ」
 けど、思い違いをしていたと思い知らされた。灯真深鳥はそんなこと、百も承知千も承知。その上で、あの在り方を望み、挑み、求めていた。俺が何を言ったところで届かないし、何の意味も持たない。そんなことは、最初っから分かっていた筈なのにね。
 だから、きっと灯真深鳥はこれから先もずっとあの無限に続くとも知れない炎獄の中、たった一人で佇んでいるに違いない、とそう思う訳だ。

感想BBSへ」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー