シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

討魔物語 慈鳥

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討魔物語  慈鳥

作者:清水光


 濃い闇、光の届かない領域、世界はその根源的な部分をあらわにする。人間に何ができるというのか。文明がいくらか暗所を照らしだそうとしたところで、影は決してなくならない。怪異は騒ぐ。
 黒い黒い姿。闇よりいっそう闇らしい。翼を広げる。端と端はゆうに五メートルは離れている。まさかそんなものが存在するわけがない。そうだ――ただし現実には、という注釈つきで。
 異界が、霧閉ざすこの土地に、開こうとしている。その胎内に孕む魔を生み下ろす。肉を突き刺し、切り裂くという機能に特化し、禍々しい鈎爪みたいに、尖る嘴。羽ばたきは触れずして電柱をなぎ倒す。
「また、とんでもないものがでてきたものだ」
「そうね」
 まるで怪異の存在が日常で、その出現が当然だという口ぶり。彼らもまた尋常の者ではないのだろう。
 一人は女。葬式に出向くかのような黒一色の和装で、年は二十をいくつかすぎたといったところ。腰までのびた長い黒髪、そしてなにより異様なのはその右手に提げたひと振りの日本刀。つり目がちな瞳には深刻の色が映されている。
 一人は男。女と同じ闇装束――着流しにただし彼の方は武器を携えてはいない。腕を組み落ち着いた風で、女に従うようそのかたわらにたたずんでいる。彼もまた真剣なまなざしを、すぐそこにいる怪物へと向けている。
 そして一匹の鳥。彼もまた計らずしてよそおいは黒。その巨大な全容は余裕をもって二人の男女をつつみこむ。彼らの視線をものともせずに、悠然として低い所に浮かんでいる。風が吹き荒れていた。
「たぶん、最大クラス。十年か二十年に一度、つながりが強くなってきたときしか現れない」
「じゃあ、こいつをやれば、とりあえずのところ、今回のカーニバルはおしまいってことか」
 男の軽口に、女は振りかえった。彼女の視線に激しさはなく、むしろ優しく慈愛に満ちていた。怒っているというわけではないようだった。男はあっと間の抜けた声をあげてから、しまったというように口を押さえた。
「わりい。ついでちまった。乱暴でいけねえな。やるんじゃねえよ、帰ってもらうだけだ」
「魔なんてわたしたちが勝手につけた呼び名。彼らには彼らの世界がある」
「たしかに平和的解決にしくはねーよ。こっちだってむやみに争いたくはない」
 うんと、小さくうなずき、柔和な笑みをこぼすと、女は怪鳥へと向きなおった。
 草原。風にあおられ、緑が波打つ。深まる夜に人の姿は一切なかった。
 呼びかける。何も彼女は特別な言葉を知っているわけではない。退散や帰還の呪文、そんなものを唱えているのではない。あるいはそれらを知っているとしても、彼女は使わないかもしれない。強制は極力彼女の望むところではないから。
 ただ願いを込める。誰かが傷つくことがないよう祈りを紡ぐ。魔の力はあまりに強大で、時に人は彼らの存在だけによって損傷を受ける。いったいそんな結末を好むものがこの世界の、この街にいるというのだろうか?
 そして、今、彼女の前にいるのは、この怪異の土地、霧生ヶ谷でも一際強い存在だった。霊子には流れがある。周期的にその空気中濃度は変化し、魔の実在に影響を及ぼす。今年はそういう意味での当たり年だった。巨大な怪異が異界からさまよいでてくる。退魔師たちの仕事は忙しい一年。そんな一年でのとびっきりの魔、それに彼女は懸命に語りかけた。
 くわーと一声、息苦しそうに、黒い鳥は鳴いた。強い風が吹いた。
 ゆるゆると女は首を振った。男は女を守るように一歩進み出た。
「だめだ、こいつは話が通じない」
「うん。たぶん、戸惑ってるんだと思う。彼みたいな魔はこちらに出てくること自体が稀だろうから、それで」
「かもしれない。だとしても容赦はできないぞ」
「わかってる。強制的に無力化した上で、向こうに返す」
 本当に悲しそうに残念そうに、女は言った。異界から現れた魔か、この街か、どちらかを選べと言われたら、結局彼女は街を選ぶ。ここで生まれ、ここで育ち、ここで生きるものが、人も魔も、好きだから。なにより――
「いこう」
「ああ!」
 ――ここには彼女の愛しい人たちがいるから。
 女は鞘を投げ捨てた。まっすぐな刀身が現れる。薄い月明かりのもと、それでも輝きを放っている。魔鳥の姿と同じ、洗練された機能美を持つ。
 すっと細い指先で、女は刃先をなぞった。瞬間、刀は炎を宿す。
 男もまた空の手を引きしぼると、炎の矢を生み出す。宙空を鳥に向け、次々と放つ。
 降り注ぐ火矢の雨に対し、鳥は翼をふるっただけだった。たったそれだけのことで、炎は霧と掻き消える。
 だが、男の攻撃は目くらましにすぎなかった。真の攻撃は――そう、女はすでに鳥の近くまで踏み込んでいた。
 赤く輝く刀身を振りあげる。闘争となれば彼女は一切のためらいを捨てていた。油断や感傷は容易に隙を生じさせる。自らの罪悪を忘れ、眼前の生き死にに専念する。
 振りおろす。鳥は高らかに鳴き声を上げる。女は斬撃と同時に後ずさっていた。一瞬遅れて、凶悪な鳥の爪が残像を引き裂く。
 女は自身の燃え盛る武器を見つめる。たしかに手ごたえはあった。だが、それ以上に相手の底知れなさを感じ取った。
「だいじょうぶか」
「問題ない。でも、これまでで一番、強い。今のでいけたと思ったのに、まったく効いてないみたい」
「下弦から応援よんだ方がいいんじゃないか」
「ううん。なんとかなると思う。それに――」
「なに?」
「やっぱりわたし、灯真の血筋みたいだから。戦うの楽しいみたい」
 そういって、少しだけの自嘲を織り交ぜながら、それでも多くの愉悦をあふれさせ、黒服の女は笑った。その刀身にまとう炎が一気に膨れ上がった。
 草原を蹴って跳躍する。男はその急な突進に合わせたように、弾幕を展開させる。
 鳥はそのすべてを打ち払うよう、黒い翼を横になぐ。烈風、次いで、強靱なる翼の一撃。炎の矢はあっさりと吹き飛ばされる。女のからだに直接に打撃が襲う。
 密度をもった真紅の壁、それが翼の進撃をはばんだ。噴出する炎の渦。縦にした刀、そのまとう炎熱が盾をなす。
 女はふっと笑みをこぼした。反動を利用し、さらに飛びあがる。空高く、狂熱をその身に宿して。開いたままの片翼を叩き斬る。
 のたうつ巨体。炎使いの女は地上に降り立つ。鳥はなんとか反撃に移ろうとする。首を伸ばし、嘴を突きだす。だが遅い。女はさっと刀を繰りだす。切っ先と切っ先が真っ向からぶつかりあう。
 赤が走った。きらめく刀身を伝い、その炎は巨鳥へと燃え移る。熱にまみれてその怪物は叫んだ。苦痛に泣き叫ぶ。
「この力、わたしに流れる血、なにかを焼き尽くす力。すまなく思う。けれど、わたしはわたしの大切なものを守るために、戦いたい。ごめんなさい」
 人によっては女の言葉を、この期に及んで何のつもりだふざけるなとそういうかもしれない。今さらの謝罪など。
 けれど男は女のそのすべてを美しいと思った。薙ぎ払い焼き滅ぼす、運動する肉体、紡ぎだす言葉、それらすべてが、一篇の詩のようだと思った。その妻を愛しいと思った。
 おそらく彼女は泣いている。謝罪を口にしながら許しを求めてはいない。あらゆる闘争は身勝手なものだ。そうであるならば殺意を貫くべきかもしれない。それでもたぶん彼女は謝らずはいられないのだ、その心象において。
 怪鳥はもはやほとんど無力化されている。あとはもう異界へと送り返すだけだった。
 そのときにはもう何かが弛緩していたのかもしれない。だから、遅れた。とっさに反応することができなかった。そして結果的に一番最初に動けたのは――
「かーさま?」
 唐突にその場にいるはずもない人間の声が響いた。幼い女の子の声。
 女は思わず振り返っていた。背の高い草が揺れる。その声にたがわず、少女が顔を出した。向かい合う二人の顔は、よく似ていた。
 愛しいもの。女の一番大切な二つもの。ひとつはともに戦う夫と、そしてもうひとつ、彼と彼女の――娘。
「深鳥!」
 女はその名を叫んだ。
 男は混乱していた。たしかに寝かしつけてきたはずだった。それがなぜ? まさか抜け出してきたのだろうか。
「危ない!」
 その警告が遅かったのか早かったのか、わからない。ただしどちらでも変わらなかったことだろう。
 鳥は、自身のチャンスに気づいた。片翼を羽ばたかせ宙に浮こうとする。その高さはわずかなもので、けれど目的が果たせればそれで十分だった。
 自らに危害を加えたものを刺し穿つべく、凶悪なる嘴を女に向ける。おあつらえむきに彼女は背中を見せている。
 低空をすべってゆく。男の声に女は振り返ったが間に合わなかった。いやもしかすると回避するだけの時間はあったのかもしれない。それでも彼女はその行動を選択しなかった。そこには彼女の愛しい一人娘のすがたがあったから。
 男にはその光景を見ていることしかできなかった。別世界の、スクリーンの向こうの出来事のようだった。逃避の感情が入り混じっていたのだろう。現実を認めたくはなかった。
 その切っ先が、黒衣の胸に突き刺さって。深く貫き、朱を散らして。女のからだはゆっくりとうしろに倒れながら、それでも決してこれ以上は進ませないというかのように、両手を広げていた。
 醜い鳴き声が、夜に響き渡って――男は我を取り戻す。鳥は勢いのままよろよろと夜を滑空している。
 感情が暴走する。単純な事実に支配される。意味をなさない叫びが、男の喉をほとばしる。張り裂けんとする胸をおさえて、連続して炎の矢を発射した。
 怒りにまかせた射撃に、狙いは正確でなかったが、放たれた数は尋常ではなかった。本来の彼の能力を、はるかに超えていた。
 背を向け逃げようとしていた怪鳥へと突き刺さってゆく。あるいはそれもなんらかの効果はあったのかもしれなかった。けれどもまったく惨酷な事実――男と女の術者としての能力の差は絶大だった。
 追撃虚しく、黒い鳥は、夜の闇へと溶けていった。
 残されたのは二人の生者と、一人の死者。少女は血にまみれながら、動かない母へとすがりつく。すべてを理解できないまでも何かがおかしと思っているのだろう、泣きながら必死に小さな手で母のからだをゆすっている。
 男は静かに歩み寄ると、二人のすがたを見おろしていた――自らの妻と子を。だめだ、そんなことは言ってはいけない、思ってもいけない。視界がぶれる。再び重なり合った世界は赤い色に満たされている。深空、そう呼んでももう答える者はいないのだ。唇をかみしめる。もれでる言葉を、この暗闇しかない世界で、男はとどめることができなかた。
「深鳥、お前が――」

 今はもう十三年も前の昔話。

 

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