シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

うどんが結んだ縁の形

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

うどんが結んだ縁の形 作者:弥月未知夜

 まったく、この街はイカレテルと思う。
 どこがと言えば全体的にとしか言いようがない。街中に蔓延する何とも言えない雰囲気に一年近く経ってもイマイチ馴染めない。
 この街に価値を見出せるのは、この街で生まれて初めての彼女が出来たことと、最高にうまいうどんに出会えたことくらいしかない。それ以外のほとんどにどうも好意的になれないのは、故郷が恋しいのとは少し違う――そう思う。
 晴れある俺生涯初の彼女は、この街――霧生ヶ谷の生まれだ。地方に位置するものの、政令指定都市なんぞになっている分、故郷よりも発展している、と思う。
 イマイチ自信がないのは、この街がイカレテイルからだ。発展しているくせに、霧生ヶ谷って所は何故か時代遅れにも不思議だとかいって迷信めいた噂が数多く、それを信じているヤツも多いらしいから。
 市をあげて不思議を観光の目玉に据えようとしている辺りからしておかしいだろう普通。
「いやいや、犬も歩けば不思議に当たるってのが霧生ヶ谷だから」
 かつて俺の疑問を明るく彼女は否定したが。
 大体そりゃ、棒に当たるの間違いだろが。
 そんな彼女が俺を呼び出したのは人生で初めてはっきりと見込みがあるバレンタインの当日だった。これまでは期待はすれども本命のチョコなんぞもらえた試しがなかったんだが、今年は違う。
 俺は張り切っていつもの待ち合わせ場所に向かった。待ち合わせ場所は、ほぼ俺たちが出会った場所とイコールだ。霧生ヶ谷市北区にあるうどんロードの入り口。
 デートの大半がうどんロード内なのは、互いにうどん好きだからだ。色気がないなんて言うんじゃねえ。この街はイカレテルと思うが、霧生ヶ谷うどんのうまさにはうどん好きの俺も一目置くほど別格のうまさだ。初めて食べたその日からこのうまさはやべえと肌で感じたくらいだ。
 そして彼女も俺に勝るとも劣らないうどん好きともなれば、毎回うどんでも文句がないというわけだ。
 うどんロードにはその名の通り煩悩の数ほどもうどん屋があるわけで、全メニューの数を総計すれば千を軽く超えるんじゃないだろうか。
 霧生ヶ谷うどんと一つにくくられていてもバリエーションは無数にあるようで、一店一店で趣向を凝らしたうどんが出てくるのだから侮れない。大学在籍中に名前からしてうまそうなものだけでも制覇したいと目論んではいるが、現時点でうどんロードに名を連ねる店の半数も制覇していないのだから道のりは遥かに遠い。
 気ままな一人暮らし、料理のスキルなんぞ端から持ち合わせていない。飯を炊くくらいならなんとか、目玉焼き程度なら作れるが、みそ汁を作るのはほど遠くインスタントがせいぜい。うどんロードを制したいと思うのならば三食欠かさず通えばいいのだろうが――正直に言おう、俺はうどんも好きだが、白飯もそれには劣らないくらい好いている。日本人だからな。
 ついでに言うと、うどんロードは俺のアパートから離れてるんで、毎食通うのは正直キツイ。

 

 いつもと変わらず激しい客引きの声をバックに俺はそわそわ彼女を待つ。なんせ今日は二月の十四日、期待をするなという方がおかしい。
 そのバレンタイン当日のデートの待ち合わせがいつも通りのうどんロードというのは色気がないが、そのどこかで俺的大イベントが待っているはずだ。
 本命をもらえるなら中身はなんでもいい。甘いものもそこそこいけるクチなんで、市販チョコでもな。手作りなら小躍りする自信がある。手作りといえば、マフラーだの手袋だのセーターだのって手もあるか。
 まあ、期待したところで手作りチョコがせいぜいだとは思うが。
 何くれなく想像しながらただただ彼女を待ち続ける。うどんロードは常にあり得ない活気に満ちている。客引きの声もさることながら、来る時にほぼ毎回のようにモロウィンに出くわすのは俺の気のせいじゃないはずだ。
 ほら、最近よく聞く地域振興のためのローカルヒーロー、それの悪役っぽい方。正義のモロ戦隊も時々見るが、ヒーローもののお約束なのか、断然悪役の数が多い。
 特にイベントの告知がされるわけでもなく、毎回のようにそれらを見る。やたらハイテンションなもんで最初は何事かと思ったぜ。いやマジで。帰省した時に集まったメンバーに話しても冗談だと思われたが、ヤツら本気で活動してるんだって頻繁に。
 ヒーローショーなんて大々的なもんじゃなく、観客がいようがいまいが関係なく本気で、心の底から、たぶん年中無休で。
 もちろん正体は不明だが、いろんな体格のやつを見るので相当数いるんだろう。そいつらがローテーションを組んでるのか、気まぐれに活動するのかしらねーけど、常にいるもんでこの界隈は余計に騒がしい。
 ――俺がこの街がイカレテルと思うの、間違ってないだろ?
 で、そんな活動的で数のいるモロウィンに対して、モロ戦隊の方は人手不足のようだからあまり見かけないって寸法だ。たまたま俺が見かけないだけかもしれないけどな。
 客引きの声を退け、時折奇声交じりで騒ぎを起こすモロウィンを無視するには相当なスキルがいる。この街にやってきた当初、いきなりのイタイ事態に目を奪われて言葉を失い、呆然と立ちすくむだけだった俺も今ではそのスキルを多少身につけた。
 いくらうまいうどんが食えると聞いたとはいえ受けた洗礼の激しさに回れ右をしかけた俺を引き止め、いろいろなことを詳しく教えてくれたのが彼女だ。
 打屋粉子。俺は密かに彼女に霧生ヶ谷うどんマスターという称号を与えている。生粋の霧生ヶ谷っ子。ずっと北区に在住となれば、うどんロードに詳しくなるのも当然なんだろうか。
 よほど近くに住んでいるらしく、俺を伴っていくどの店でも常連扱いなくらい通いこんでいる。どんだけうどん屋に通って生きてきたんだこの女は、と最初は思ってた。
 会ったこともないし、今のところ今後会う予定もない彼女の親父さんこそが、真の霧生ヶ谷うどんマスターらしく、彼女はその影響を色濃く受け継いでいるようだが。
 うどんロード入口でひそかに恐れ戦き踵を返そうとした俺を見かけた彼女は、一目で俺を外の人間だと見抜いて近付いてきた。
「うどん、好きなの?」
 第一声がそれだ。うどんマスターはうどんのことを第一に考えている――のかもしれない。いろんなことに度肝を抜かれていた俺は反射的にうなずいた後で、何だこの女はと思ったね。
「じゃ、案内してあげる。うどんロード通るにはコツがいるのよ」
 彼女は俺に呪文めいた言葉を授け、だが実際その言葉を口にすることなく多数の客引きに親しげな声をかけながら道を進み、一軒の店に俺を誘った。
「初めてなら、まずはここ。他にも初心者向けの店はあるけど、入り口にもわりと近いし」
 言った彼女はのれんをくぐり、勝手にオーダーをかける。
「久々だねえ粉子ちゃん――彼氏かい?」
「ううん、入口で固まって、そのまま帰ろうとしてたから連れてきた」
 あいよとオーダーにうなずいた店主が続けて問いかけると、まさしく事実を彼女は告げる。どうも、となんとなく頭を下げる俺。
「一見さんは圧倒されるわなぁ」
「この界隈、一見さんお断りとか?」
「いや、店の数が多いからどこも必死なだけだな。常連は引き留めないだろ?」
 なるほどと俺は納得した。彼女が俺に授けたのは「馴染みの店があるんで」の呪文だったからだ。そう口にする人間に実際それがあろうとなかろうと、小さな範囲内にうどん店ばかりが並ぶというこの界隈で真実はわからないだろう。
 馴染み以外を引き込もうという激しすぎる客引きは逆効果だろうとは思ったけど、あえて言わなかった。数が数なので逆効果なのは間違いないと思うが、そうでもしないと客が来ないとしたら辞めろなんて初対面の人間には言えない。
「ここはシンプルな霧生ヶ谷うどんが売りなの。余計な装飾一切なしの潔い見た目でさ。でもその分出汁にはこだわりがあって、深い味わいがあるから。豪勢なのもいいけど、いろんな店を回った後に最後に帰ってくるとホッと落ち着くって言うのかな、そういう感じのうどんよ」
「嬉しいこと言ってくれるねえ、粉子ちゃん」
 彼女の説明に、ようしおじちゃん気分がいいからかまぼこおまけしちゃおーと店主がノリノリでシンプルなうどんに余計な装飾をつけたことはいい思い出だ。
 店の特徴について解説する彼女にどれだけこの女はうどんが好きでたまらないんだと若干呆れつつうどんを待ち、よほど気分が良かったのか大胆な厚切りのかまぼこが五切れも乗せられたシンプルとはほど遠いうどんが出てくると売りを自ら崩してどうするんだおっさんと店主に呆れきった。
 若い娘の言葉に調子に乗るおっさんの作るうどんがどんなものかとあまり期待もせず口をつけたんだが――これがまあ、うまかったわけだあり得ねえほど。
 かまぼこさえもう少し薄く数も少なければ完璧の見た目。出汁は綺麗に透き通り、麺にはコシがあった。モロモロのすり身でできた団子は二つ。団子の味付けはそれこそシンプルで、されていても塩くらいじゃなかっただろうか。箸で簡単に崩せるホロホロとした食感。その団子に彼女が言った通りの深い味わいを持つ出汁がしっかりと染みていた。
 期待が低かったもんだから、衝撃は大きかった。うまいといわれるうどんは何度も食べたことがある。だけどそれまでに食べたことのない味だった。
 口にした瞬間にぞわりと全身総毛だったくらいだ。何だこの味はと、脅威を持って俺はどんぶりを見下ろしたね。
 一口出汁をすすっても違和感が深まるばかり。日本全国うまいと言われるうどんは数あるが、基本の調味料なんて知れたもんだろ。カツオやら昆布、にぼしなんかに、しょうゆや酒やみりん。みそ味ってのもありか。
 コシの強さも千差万別、地方によって味の好みの違いがあるらしいしいろいろ違いはあるだろうが、それでもなんとなくうどんの味は想像できるだろ?
 濃いとか薄いとかあっても、それでも。料理をしない分際で偉そうなことは言えないが、うどんの味の違いなんて使われる調味料の量の差ぐらいだと思ってた。
 一口すすって固まる俺に彼女は何かを察したらしい。
「霧生ヶ谷うどんには他にない特徴があるらしくって、それがモロモロが使われてることなのよね」
 モロモロって知ってると問われて俺が知らないと答えると、彼女はつづけてモロモロについて教えてくれた。
 冷めないうちにうどんを食べるよう俺にうながし、実際自分もそうしながら。
 モロモロって言うのは、霧生ヶ谷独特の食材で、熱狂的な信望者までいる――ちなみに後に知ったがその信望者がモロウィンだというのだからこの街はおかしいと思う――奇跡の味を持っているんだと。
 最初に聞いていたら信じられなかっただろうが、一口食った後はすぐになるほどと納得できた。
 今の時代、どこの名物でも気楽に食うことができるだろ。乾麺だって冷凍めんだって方法はいくらでもあるんだから。俺もうどん好きの一人としていろんなところのを食ったことがあった。
 でも、その中に霧生ヶ谷うどんなんてものは一切なかった。断言できる。それまでに食べたことがあればあれほど衝撃を受けなかった。
 ローカルでマイナーな、激烈にうまいうどん。それに俺の征服欲は刺激された。今後何らかの形で全国展開されることもあるかもしれないが、そうならないかもしれない。ならば、いろいろ食ってみたいと。
 俺は彼女の声に耳を傾けながらも、うどんを無心ですする。それから、彼女に尋ねることにした。うどんロードに数多くひしめくうどん店で、どこが他にお勧めなのか。
 たくさんあるのか眉間にしわを寄せて考えた彼女はいくつかの店名をあげ、だがその後に「そんなに気に入ったのなら他にも案内してあげる」と俺に告げて――それから時が経ち現在に至る。
 初対面の相手にあっさりと携帯の連絡先を教えてくれた彼女は気さくで、すぐに俺と打ち解けた。最初は単にうどん屋巡りすることが楽しくて、だがそのうちに物足りなくなった。くるくるよく変わる表情でうどんについて語る彼女を好きになってしまったのだと分析し、数ヶ月後思い切って告白、承諾を得た。
 うどんロード以外にも足を向けることになったのはそれ以降で、だけどほぼ確実に俺たちの地盤はうどんロードだった。うどんを食べるだけのために会うことなんてざらだ。正直、あまり恋人らしいイベントごとには縁がない。
 ――クリスマスのディナーも、ディナーというかうどんだった。天ぷらがてんこ盛りで、豪勢といえば豪勢だったが忌まわしい思い出だ。
 こじゃれた店に行っても腹が満たせるとは思えない量の食事が出るだけだと聞き知っているが――噂によると腹八分目に満たない量しか出ないらしいが、肉やら魚やらを白い皿にのせてソースで飾ったようなものを見ると普通女は喜ぶもので、そこに案内してくれた男に惚れ直したりなんだったりすることがあるそうだ――せめてクリスマスくらいは、見栄の一つや二つはってみたかった。
 彼女は恋だの愛だのにうどんに向ける以上の情熱を向けていないのじゃないかと思う。待ち合わせもいつもの場所、先導するのはいつも通り彼女。クリスマスだからちょっと豪勢にとはにかむ様はまあ可愛かったが、天ぷらうどんってどうなんだよと。無論うまかったが、どうなんだそれ。
 うどんを食った後で一応は派手派手しいイルミネーションを見に行きクリスマスらしさを楽しみはしたが、それからすぐに門限という名の壁に阻まれて彼女と別れ、俺は家に帰って枕を濡らした。
 思い出すのも忌々しいが、だが今日はバレンタインだ。流石にうどんでお茶を濁されることは――ない、とそう信じたい。

 

 彼女がやってきたのはクリスマスの悪夢をつい思い出し、期待が不安に変わりつつある頃だった。
「待たせちゃってごめん。寒かったでしょ」
 粉子は息を切らしながらやってきて、立ち止まると肩で息をした。白か黒かはっきりしろよお前と言いたくなるシマウマのようないつものコートが呼吸に合わせて揺れている。
「そんなに寒くないし、別にお前遅れたわけじゃないだろ」
「そりゃそうだけど」
 白く染まった息が空へと昇っていく。確かに寒くはあるのだろう。頬に当たる風は冷たいが、しっかり防寒しているから問題はない。
 取り出して確認した携帯の時刻は、待ち合わせ時刻に達していない。俺の言葉に彼女は早めに来ようと思ってたんだけどなあとぼそりと呟いた。
 今日の彼女も、いつも通り普段着だった。スカートをはいていることなんて滅多とない。今日も当然ジーパンに、地味な色合いのフリースのタートルネック――しかも、手ぶらだった。いつものことなんだけどな。
 遠出する時以外は手ぶら主義なのだと。ウェストポーチに最低限の物を積めてふらふらうどんロードを彷徨うのが日課だとか。
 今日もポーチの中身は財布でほぼいっぱいだろうし、コートもチョコレートの収まっていそうな膨らみがない。
「あー、今日は」
 バレンタインだと思うんだけど、なんて物欲しげなことを言うのは癪で、俺は言葉を濁す。
 まさかバレンタインまでうどんで攻めるのかとかなり落胆した。今晩も枕を濡らすことになるかもしれない。女々しいと言うなよ。俺がどれだけ期待していたのか、わかるだろ?
「――どの店に行く?」
 ほうらうまく誤魔化せた、と思う。
「あー」
 だけど彼女は何やら悟ったのか、珍しくどことは言い切らず、
「今日は、ついてのお楽しみで」
 そう言ってくるりと反転した。
 クリスマスの再来のように彼女は俺を先導して歩き始める。前回のイベントが天ぷらなら今日は何だ? 未だ足を踏み入れたことがない例のあそこ……か?
 まさかだろ?
 その名のとおり狂ったとしか思えない甘いうどんが出るという伝説の狂気山脈。なかなか可愛いどころがそろったモロメイド――メイドにモロモロの着ぐるみを被せたイカレタこの街ならではのメイドだ――が出迎えてくれるらしく、どうやら人気店らしい。だが、正直うどん的には邪道を行ってるんじゃないだろうか。
 だって、甘いうどんってどうなんだよ。
 でも彼女はもしかして、それをバレンタインの企画に選んだのか?
 お互いうどん好きの俺達らしいチョイスといえば、確かにそうなのだろう。だけど、例えば、実在するかどうかわからんが霧生ヶ谷うどんチョコバージョンなんて出てきたら――俺は裸足で逃げ出す自信がある。
 基本の調味料の斜め上を行きすぎだろ、チョコは!
 知らない人間ならあり得ないだろうと笑うだろうが、狂気山脈の噂を少しでも聞けばそれが「あり」に含まれることがわかってしまう。聞く限りそこはそういう店なのだ。
 彼女の後を追う俺の顔はおそらくひきつっていると思う。わかるだろ? 甘いものは嫌いじゃないが、うどんと夢の競演なんてしていただきたくない俺の心が。わからないなら狂気山脈の常連になれると思うので、ぜひモロメイドとやらで目の保養をするといい。
 いやだやめろやめてくれと俺が心の中で祈ったのが通じたのか、彼女が足を止めたのは普通の見た目の一軒の店の前だった。
 白い壁には何やらべたべたと白い紙が貼ってあり、それには達筆で読めないと言うよりは悪筆で読みにくい筆字であれこれ書いてある。
 『一打ち 三百円~(一時間まで)』
 辛くも読めた一行目で囲碁やら麻雀、将棋の店の類かと思ったんだが。
 続いて目を凝らすと『打ち放題 千五百円(材料費別途)。打ち方教室あり。一日コース(要予約)。初心者コース。中級者コース。プロフェッショナルコース。より上を目指す方には個別指導致します』と続き、どういうことかと首をひねる。
 材料費って何ぞやとさらなる情報を求めて上に上に視線を動かし、店名に衝撃を受けた。
 打ち放題うちや。なんだこの店は――というか。
「うちや?」
 いつもなら「この店はこんな店なの」と説明した後でひょいと店内に進む彼女が、今日はまだ何も言わない。ぼそりと呟く俺に振り返る彼女は気まずそうな顔。
「あー、そのー。私の実家」
「実家かよ!」
 俺は思わず反射的に突っ込んだ。その後でじわりとその事実が身にしみる。いや、大体、ひらがなとはいえ彼女の苗字と一緒だから親戚の店じゃないかとは薄々思ってたんだが……実家かよ。
 あまりにも予想外の展開だ。
 今、家に誰もいないのなんて続くならそれはそれでありだ――とは思う。でもそれがないのは、入口に木製の営業中の札がかかってるので間違いない。
「うん」
 気まずい顔ままうなずく彼女にどういうことだと詰め寄るのはまずい、だろうなあ。付き合っているとはいえ身軽な大学生の身分、しかも俺たちはクリスマスにある意味健全だが年齢的には不健全ではなかろうかといううどん屋デートをする程度の仲でしかない。
 当然いきなり彼女の両親に面会する覚悟もなかったし、そんなこと予想もしていなかった。
「ほら、今日、バレンタインでしょ」
 おずおずと言い出す彼女に俺はゆるりとうなずいてみせる。
「何にしようか考えて、思いついたのよね」
 俺が何を思いついたんだと尋ねる暇もなく、彼女はいつもの説明の後のように引き戸を開く。
「らっしゃーい」
 途端に聞こえた威勢のいい声に、彼女はただいまと返している。
 予想もしてなかったし覚悟もないがここで逃げ出すほど根性無しではない俺は、彼女の導きに従って仕方なく店内に入り込む。内心は真霧生ヶ谷うどんマスター(推定)のどでかい声にビビってはいたが。
 店内は、これまで通った店と同じくらいの広さがあった。よそと違うのは粉にまみれた調理台がたくさん並んでいること。調理台のいくつかにはエプロンだの割烹着だのを着た人間が何人かいて、その全員が粉をまき散らしながら麺を打っていた。張り紙から推測するに、教室の生徒だろうか。
 そんな中、カウンターだけは他店と同じように一般的なうどん屋の様相を見せている。そのカウンターの奥に粉子の父親ではないかと思われる店主らしき男がいた。彼女の年齢と考え合わせると五十代後半から六十代前半くらいか。手拭いで髪をまとめているが少しだけ白髪交じりの髪がのぞいている。
「おー、早かったな、粉子。そいつが、例の?」
「うん、そう」
 例のってなんだよと思いつつ俺はひょいと頭を下げる。いきなりすぎて気の利いたことは言えないが、せめて礼儀正しくしようと思って。
「釜揚元雄さん。いちおーしばらく前からおつきあい、しています」
 粉子は妙に丁寧な口ぶりで父親に俺を紹介し、
「元雄、私のお父さん、です。うどん一筋六十三年、打ち放題うちやの三代目店主になります」
 緊張しているのか俺にさえ丁寧に告げた。
「お、粉子ちゃんにいつの間に春が?」
「あらあんた耳が遅いのねえ。去年の春先から二人で一緒にあちこち行ってるから噂になってるじゃない」
 打ち方教室の生徒が手をとめて俺たちの方を見るので居心地悪くて仕方ない。粉子とも親しいらしい生徒たちは平均年齢が高そうな中高年の男女ばかりで構成されていて、こっち見んななんて言えねえし。
 俺は雰囲気に飲み込まれそうになりながら粉子に視線を移した。
「えーと、なんで、俺をここに?」
 いつも通りうどんを食った後別れ際に彼女が何か手渡してくれるんじゃないかと思い、後に狂気山脈でチョコうどんの恐怖に怯えたわけだが、現状はそんな俺の想像のさらに上を行っている。
 普通のうどん屋ではなさそうだが、うどん以外を置いていそうにないうどん教室の店にバレンタインに連れてくる意味って――まさか。
 俺の予想の斜め上の別次元あたりを突き走ってるんじゃない……と信じたい。信じたいが。
「せっかくだから手作りうどんをプレゼントしようかと」
 粉子はさらっと別次元の回答をくれた。
 彼女は俺にカウンターに座るように促し、衝撃の余り突っ込みすることさえできなかった俺は大人しくそこに座る。
 シマウマコートを脱いだ粉子は代わりにエプロンを身につけてカウンターの奥の厨房に向かう。
「麺は仕込んで寝かしてあるから、すぐできるよー」
「あ、ああ」
 うなずいたものの、内心は複雑だ。
 彼女の手料理という意味ではバレンタインに悪くないチョイスだが、それを公衆の面前(含・粉子父)で手作りうどんを食わなきゃならない俺って……クリスマス以上にアレじゃないか?
 アレってのはアレ、アレだよ。そこから発展する何かへの希望は一ミクロンもない。
「ほれ」
 うなだれる俺の前に粉子父がことりと湯のみを置く。
「驚いたろ?」
 粉子父はいきなり現れた娘の彼氏に対して好意的に見えた。
「はあ、まあ」
 胸の内に湧き上がり渦巻く思いを短い言葉に込め、俺はこくりとうなずいた。
「ウチは創業当時は普通のうどん屋だったんだが、ライバルが多すぎるってんで先代がこういう形式に変えたわけだ」
「は……はあ」
 俺が驚いたのはそこじゃねえから、なんて仮にも彼女の父親に言えるはずもない。
 ちげえよ、バレンタインにチョコじゃなくうどんチョイスするところに驚いてるんだよと言いたくてうずうずする口に湯のみを押しつけて俺は衝動をこらえる。
「先代――俺の親父はアイデアマンでなあ。当初はうまい霧生ヶ谷うどんがよそでいくらでも食えるのに自分で作り方をマスターするための店流行るわけがないと笑われたんだが」
「はー」
 苦労話もいらねえ。言えない俺は決してへたれじゃないと思う。思うだろ? そうなんだって。
 思えないならバレンタイン当日に付き合ってる彼女の父と突然対面して俺の気持ちを存分に味わうがいいさ。絶対何も言えやしないから。
 呆然と座り込む俺に対して、いかにして打ち放題うちやが麺打ち指導に特化した店に進化したか、粉子父は熱く語る。
「あー、また始まったよその話」
 生徒の一人が言うくらいだから語り慣れているらしく、目の前に立ちふさがる難題を一つ一つ乗り越えていく先代と粉子父の物語はこれマンガにすればソコソコ売れるんじゃねえのという完成度の高さだ。
 今では一目置かれ他店の跡取りが修行にやってくることもあるというエピローグ的締めまでおおよそ三十分。
「ハイお待たせ」
 フィニッシュを待っていたかのようなタイミングで粉子が俺の前に贈り物がわりの手作りうどんを置いた。
「もー、お父さんったら話が長くて困るでしょ」
「何言ってんだ粉子。お前が麺をゆでている間、暇じゃないようにかまってやってたんじゃねえか」
「苦労話をしたいだけでしょ? ほら元雄、伸びないうちにどうぞ」
「お、おお。いただきます」
 粉子父の長話から解放された俺はあわてて割り箸を手に取った。
「麺も出汁も、超オーソドックスだけど、モロ天だけはこだわってるから」
「へえ」
 手慣れているからなのか、手打ちとはにわかに信じがたい完成度の高い一杯が目の前に鎮座していた。ほんのり茶色に染まる出汁に、純白のうどん。具は薄切りのかまぼこ二枚にわかめ一つまみ。そしてこだわっているというさつま揚げのようなモロ天が丼を横切るようにドンと乗っている。
「モロモロのすり身に塩こしょうして醤油と酒で味付けしてあるの。あ、それからすりおろししょうがも。それにみじん切りにしたネギと玉ねぎ、細長ーく切った人参とピーマンを塩もみしたやつを混ぜて」
「お前の話も十分長いだろ」
「うるさいなあ。で、それを十分こねてから片栗粉混ぜて、形を整えて揚げたのよー」
 詳細に語られても料理をしない俺にはへえとしか思えないが、面倒くさそうだということだけはわかった。
「結構、手間がかかってるんだな」
「この一杯のために頑張りました!」
 にこやかに胸を張る彼女は、まあ、可愛い。頑張る方向性が激しく違っている気はするが――そんな風にうどん好きな彼女に惚れた俺の負けだろう。
「おいしい?」
 胸を張った後、緊張感を取り戻した彼女が恐る恐る問いかけてくる。
「ああ」
「ホント?」
「もちろん」
 いやほんと。惚れた欲目でもなく、彼女の手料理補正がかかっているわけでもなく、マジにうまい一杯だった。
「よかったー」
 俺の表情から嘘じゃないと悟ったらしい彼女はほっと息を吐く。安心した笑みを見ると、こういうのも悪くないかなと思えた。

 

 ――食後、片付けがあるから今日はこれでと別れを告げられるまでは、だけどな。
 俺はトボトボと家に帰り、色気も素っ気も夢も希望もなく、ギャラリーだけはたっぷりいたバレンタインを思い返して、その晩もひとり枕を濡らした。

 

感想BBSへ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー