シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

続・うどんが結んだ縁の形

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続・うどんが結んだ縁の形 作者:弥月未知夜

 何の約束もなく霧生ヶ谷市北区棘樹町――つまりうどんロードに足を向けるのは、彼女と知り合って以来初めてのはずだ。
 通えなくはないが住まいとは離れているし、彼女――粉子がいればはずれなくうまい店に連れて行ってもらえるのだからあえて一人で向かうことはない。
 なのになぜ今日一人なのかといえば、もうすぐ三月の中旬だからだった。ようするに、ホワイトデーが近いってことだ。
 生まれて初めて見込みのあったバレンタインが意外な不発――というと粉子に怒られそうだが、落胆したんだからしょうがない――終わった後しばらく意気消沈していた俺だが、今月に入ってからようやくバレンタインと対をなすホワイトデーの存在を思い出した。
 立て続けにある恋人たちのイベントの中でも、バレンタインとホワイトデーほどお菓子会社の陰謀が渦巻くものはないと思う。
 これまで縁はなかったが、ホワイトデーにもお菓子が深くかかわっているということくらい俺でも知っている。
 クッキーだか飴だか、ああ……マシュマロだったかもしれない。あるいは、何か雑貨でもいいかもしれない。
 あれやこれやと思いを巡らせ、あちこちに足を運んでどうしようか悩むのはある意味幸せな時間だった。
 クッキーボックスとハンカチくらいでどうかと心を決めつつあったのは一週間前。
 だが、いざ用意しようというところで俺は重大な事実に気づいた。クリスマスもバレンタインもうどんしか存在しなかった俺達の間に、クッキーやらハンカチは不要なのかもしれないと。

 

 粉子は霧生ヶ谷うどんマスターと呼ぶにふさわしいうどん好きだ。だからこそクリスマスもうどんで、バレンタインは手作りうどんをふるまってくれ、あの日からこっちのデートも当然のようにもれなくうどんがついて回った。
 用意する前に気付いた自分を褒めるべきか、気付かないで当日に何らかの診断を下された方がましだったのか、しばらくの間俺は悩んだ。
 悩んだところで答えは出ず、確定していたお返しの内容を白紙に戻すとさらに悩んだ挙句にうどんロードに足を延ばしたってわけだ。
 今日も全身タイツのモロウィンが精力的に活動している。この寒い中、ご苦労様なことだと強く思う。風邪も引かないのは馬鹿な行動をしているからウィルスを寄せ付けないのかもしれない。
「あー、どうすっかな」
 この道の客引きはすさまじいものなのだが、粉子と一緒にうろうろしていて見憶えられたらしくいまではあまり寄ってこない。
 俺は街に溶け込むタイツと客引きを横目に収めつつ、ふらりと先に進む。
 イベントごとがもれなくうどんづくしなら、もちろん粉子に返すべきものはうどんしかない。それが唯一絶対の答えだ。
 単純明快でわかりやすすぎて、かえって気付くのが遅くなった。気付いたら気付いたで、悩みは深くなる。
 うどんと一口に言っても、何うどんかと聞かれたら他の有名なうどんを切って捨てて霧生ヶ谷うどんを選ぶしかない。霧生ヶ谷うどんは多種多様で、しかも粉子はそのうどんを熟知している。
「それで、どこを選べばいいってんだよ」
 俺は彼女の案内で各店を巡っているが、まだうどんロードの全店を制覇するに至っておらず、いつだか手に入れたうどんMAPを手に俺は唸るしかない。
 かつて一ヶ月でそれを成し遂げた猛者がいるらしい。全店の全メニュー制覇をした勇者については――怖くて確認したことがないが、粉子だってその一員だろうなと思うが。
 ともあれ、この界隈だけで煩悩の数ほどのうどん店がひしめいていて、その中でどの店がホワイトデーにふさわしいのか俺には分からない。
 これまでに行ったことのない店にターゲットを絞っても、粉子には目新しくもないだろう。
 手にした地図にはうどん店ばかり列挙されている。行ったことはなくても、よく聞く名前もちらほらあり、気になる名前もあれこれあった。
「とりあえずどこか有名どころに入ってみるか?」
 俺は自問しつつ、足を進める。
 有名店は紹介の必要を感じないのか、粉子はいつもそれらを避ける。粉子としかうどんロードに来ないのだから有名店は未知の領域だ。
 日本一だの世界一だの宇宙一だのの看板にも興味を引かれるが、由緒正しいと聞く鬼百舌屋が一番ベターだろうか。うどんロードなら鬼百舌屋に決まりという友人が多い。
 辛亭も激辛志向で存在感が大きいらしい。辛い物好きのヤツが定期的に行かないと満足できないだのと言っていた。「金がないとしても、素人が賞金にチャレンジするのはお勧めできない」とも言っていたか。その調和した味がわかるほど通になるには、修行が必要だとか言うのでどういう店なのだと思うが。
 あとは――他にも色々聞いたが、インパクトが強いのはやっぱり狂気山脈か。だが彼女とメイドのいるうどん屋に入るのにはかなり勇気がいる。
 そういえば、うどんロードにも一軒だけの蕎麦屋というのも目新しいか?
 だけど蕎麦は、そもそもうどんじゃないしな。
 決めかねてふらふらする俺の動きはとても馴染みの店があるようには見えないだろうが、相変わらず客引きはあまり寄ってこない。
 時折寄ってきても、かつて彼女に教わった「馴染みがあるんで」の呪文で大抵切り抜ける。
 切り抜け損ねたのは、奇抜な人間にビラを渡された時だった。
「よろしくお願いしますご主人様」
 同時にかけられたのは異次元の言葉だ。凛とした響きの声を耳にした瞬間、思わず反射的にビラを受け取ってしまった。
 噂に聞く冥土喫茶狂気山脈、そこのメイドだった。初めて間近で見たが、メイド服だけで浮くのにモロモロの着ぐるみがさらに浮いている。
 全身タイツのモロウィンに比べたら格段にましだが、違和感が大きいよな。半分着ぐるみに隠れている顔は、まるで作り物のようだった。何より作り物めいてるのは――って、ガン見はやばいだろガン見は!
 俺はそそくさと彼女から離れ、頭を振った。
「なんつー破壊力だ。恐ろしい」
 うっかりするとまんまと客引きに引っ掛かっただろう。粉子と二人でもためらいがある狂気山脈への突撃に、一人で行くなんてとんでもねえ。
 なんとはなしに受け取ったビラを見てみると、俺の頭を悩ませるホワイトデーをターゲットにした内容だ。彼女と甘ーいひとときを、なんてなコピーに需要があるかどうか非常に怪しい。
「もしかしたらあるのかも知れんが……」
 メイド服貸し出しサービスはホワイトデー的には微妙だし、ホワイトデー限定のうどんにマシュマロトッピングとか、需要があるのか?
 まあ――何せここはイカレタ街、霧生ヶ谷だ。着ぐるみメイドがありなら、彼女とメイド堪能のホワイトデーもありだろう。マシュマロだけは全力で遠慮したいが。
 ついビラに目を奪われた俺は、ほどなく我に返る。そう、本日のミッションは俺達らしいホワイトデーのプランを考えることなんだからな。
 まったく、これはかなりの難問だ。
 あれこれ考えても、なかなかこれぞといった妙案は降ってこない。前提条件が特殊すぎるので、誰にも相談できないのもネックだ。
 何も決めかねてただ歩き続ける俺に近づくおっさんに気付いたのはその時だ。また客引きかと思ったが、どこにもそれらしき様子は見えなかった。つまり、幟をもってたり、半被を着てたり、はたまたビラなんてものを持っているわけでもなく、普段着の。
「粉子ちゃんのボーイフレンドじゃないか」
 おっさんは俺の目の前に来るなり親しげな笑みを見せ、そう言った。
「は?」
「今日は一人かい?」
 やたらとフレンドリーな問いかけに一人だと返事しつつ、こいつは誰だろうと首をひねる。
 彼女の――粉子の名前が出たってことは、いつだかどこだかで出会ったんだろうとは思うが、ちっとも思い出せない。
「ああ、誰だか分らんか。ほれ、この間、うちやで。あん時何人もいたもんな。お前さんはこっちをしっかりと見ちゃないか」
「あー、粉子のところの店の」
「生徒の一人だ」
 なるほどと俺はうなずいた。見覚えは全くないが、粉子の実家で出会ったのだとしたら無理もない。
 この街はよそ者にも人情深い人間が多い。俺にかつて声をかけた粉子もそうだし、このおっさんもそのようだった。
「よく粉子ちゃんとうどんや巡りしてるって聞いたけども」
「ああ」
「もしかしてケンカしたんじゃないだろうね?」
「まさか」
 単に暇なのか、俺達の関係に興味があるのか、おっさんは俺と歩調を合わせながら次々と質問を浴びせてくる。
「そうかそうか、そりゃあいい」
 ――まあ十中八九、暇なんだろうな。
 何がどうそりゃいいんだと思いながら、俺は愛想笑いを返す。
 こんなおっさんに構っている暇があれば、もう少し有意義に時間を使いたいんだが。こう、粉子が満足してのけるホワイトデーをだな……。
「うどん打ち教室に通ってるってことは、アンタ、うどん好きなのか?」
「うどんが嫌いな霧生ヶ谷っ子はそうそういないさ」
 ふと思い立って尋ねると、おっさんはしっかりはっきりうなずいた。
「てことは、詳しいな?」
「そりゃまあ。でも詳しさなら粉子ちゃんも負けてないぞ。若いけど、おやっさん直伝だから」
「粉子じゃ駄目なんだ」
 俺は目を丸くするおっさんに、恥を忍んで正直に打ち明けた。バレンタインのあれを知っている相手だから、他の誰かに話すよりは敷居が低い。
「なるほど、ホワイトデーねえ。おっちゃんの時代にはそんな色気のある催しはなかったねえ」
 おっさんは無精髭の伸びた顎をざらりとなでた。あのバレンタインが色気があるように思えるなんて、どういう青春時代を過ごしたんだこのおっさんは。
 まあそんなことよりも、だ。
「粉子の好きなうどん屋について知らないか?」
 おっさんは知っているとばかりに一つうなずく。
「粉子ちゃんのお気に入りは範囲が広いから選びきれないけど、お返ししたら間違いなく気に入りそうなものに一つだけ心当たりがある」
「それ、教えてもらえないか?」
 いいよーとおっさんは軽くうなずいた。
「じゃあおっちゃんについてくるんだ」
 張り切った声をあげ歩き出すおっさんを俺は追った。
 粉子のことを知っている相手のアドバイスをもらうことができるなんて想像もしていなかった。最初は何だと思ったが、偶然出会えて助かった。
 難問が解けた心地で俺は浮かれがちに歩を進めた。とはいえ、すぐに鈍ることになったが。
 それは――何が嬉しいのか上機嫌に先導していたおっさんの目的地が、そのうち知れたからだ。
「ちょっまっ、なん……っ!」
 それが姿を現すにつれ俺は動揺し、いやまさかそんな別のところだろと期待しつつ周囲を見回したが、おっさんは迷うことなくそこの目の前で足を止めた。
「なんでだよ」
「ここが一番間違いない」
 胸を張るおっさんの後ろの店は、つい先日粉子に連れてきてもらった場所――つまり彼女の実家である打ち放題うちやだった。
「聞いた俺が間違っていた」
「まあまあまあ」
 即座に身を翻そうとした俺の行動は間違っていないと思うが、俺が退路を確保する前におっさんが俺の腕を掴む方が早かった。
「ちょっと待てえ!」
 おっさんアンタどんだけ素早いんだよ!
 腕を引くも掴まれた力は意外と強く、びくともしないうちにおっさんは入口の扉を開ける。
「らっしゃーい」
「おやっさん、粉子ちゃんのボーイフレンド連れてきた」
 誰かこのおっさんの口をふさいでくれよ。
 今更逃げるのも失礼なので、俺は粉子父に頭を下げる。
「お、なんだ。約束でもしてたか?」
「いや別に」
 おっさんの手が緩んだ隙に腕を奪取し、俺はかぶりを振る。
「粉子ちゃんは今いないよな?」
「ああ」
 そんな事に頓着しない様子でおっさんは粉子父に尋ねている。
「帰りは?」
「今日は一日授業とか言ってたが」
「うんうん、そりゃあ都合がいい。おやっさん、あのな」
 俺が逃げないとみたかおっさんは粉子父のいるカウンターへ近づいて、椅子にどっと腰をおろした。
「おやっさん、粉子ちゃんへホワイトデーのお返しするなら、何がいいと思う?」
「ちょっ」
 付き合っている彼女の父親に、勝手にそんなことを聞かれた場合どうすればいい。俺の場合は、言葉を失わざるを得なかった。
 気に入りそうなものに心当たりがあるって、彼女の父親に聞くことかよ!
 思っても口は動こうとはせず、ちらりと俺を見た粉子父にひょいと頭を下げるのがせいぜいな自分が嫌になる。
「何ってそりゃお前――」
「決まってるよな?」
「まあ、そうだな」
 明確な物の名を口にすることなく、男と男は目線で語り合った。二人は何らかの意思疎通を完了させて同時にこっちを見られて、俺は正直ビビった。
「ホワイトデーっつのは、何日だったか」
「十四日、一週間もないわな」
「うーん。正直粉子の要求する域に達するのは無謀と思うが」
「……一体、何の話を」
 二人はにやりと唇を持ち上げ、異口同音に「ホワイトデーの話だ」と俺に告げる。
 おっさんがこっちに戻ってくるや、再び俺を引っ張る。カウンター越しに粉子父が俺の肩を叩いた。
「ま、愛情ってヤツでカバーだ。俺の修行は厳しいぞ」
「だ、だから何の」
「ホワイトデー、手打ちうどんのお返しが来たら粉子は間違いなく喜ぶ」
「手打ち……って」
 頑張れよとおっさんが逆の肩を叩いてきて、「おっちゃんも協力するから」と明るく言った。
 どうしてあんたらはそこまでうどんが好きなんだとこの場で少数派の俺が言えるわけがない。
「いや俺食うの専門で」
「誰でも最初はそうだ」
「料理なんてロクにしたことも」
「なに、全部お前さんに任せようなんて思っちゃないさ。素人なんだから、麺打ちに集中しな」
 婉曲な辞退の申し出は聞き届けられず、かといって全力で拒否るのも彼女の父に対して出来そうもなく――。
 粉子父及びおっさん、他多数のうちや常連客の協力のもと、粉子に内密でホワイトデーのお返しを用意することとなった。

 

 ロクに料理をしたことがない素人が一週間そこそこでまともなものを作れると思ったら大間違いなんだぜ。
 それを霧生ヶ谷うどんマスターに食べさせる暴挙に出て満足してもらえるわけなんぞないだろ?
 ホワイトデーのその日、粉子の父親まで巻き込んだ以上代案をでっちあげることのできなかった俺は、仕方なく粉子にそれを差し出した。
 「調味料の愛情込みでぎりぎり及第点」と評価を下した一杯を一応は全部平らげた粉子は、俺ににっこりと微笑みかけて、以下のように述べた。
「元雄、スジはいいと思うよ。来年はもっと期待してるね!」
 とてもいい笑顔は、彼女お勧めのうどん屋で一杯平らげた後と同一で、一応満足してもらえたのだと安心はした。
 したんだが。
 さらりと告げられた来年の希望に俺は気が遠くなった。

 

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