シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

若きヴェランドの蹉跌 Ⅰ

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六道区に並び立つビル群の只中にある、古ぼけた一棟の雑居ビル。
 その根元、くすんだコンクリートには不似合いな風格ある木彫りの扉が、見るものに少女がウサギに誘われたウロであるかのような印象を与える。なるほどその中は、ある意味別世界であると言っていい。
 扉の向こうは、重厚な茶褐色の木で構成された酒場。
 テーブルの数が十に満たない静かな店なのだが、珍しいことにテーブル席はほとんど人で埋まり、店内は喧騒に包まれている。
 控えめな照明が薄闇を朧に照らし、老木を削り出した趣味のいいカウンターはまるで映画の一場面のようなシックな雰囲気を醸し出している。
 そんな一席で、中身の半分くらいになったタンブラーグラスを前にした古めかしい外套に身を包んだ銀髪の青年は、その雰囲気に違和感なく馴染んでいた。
 憂いを帯びた横顔は、テーブル席で騒ぐ女子大学生たちの注目を一手に集めている。
 もっともその注目の視線も、憂いを帯びている理由を知れば違ったものになるかもしれないが。
「で、こんなところでくだを巻いているんですね?」
 仕方ないではないか。
 返答というより独白に近い格好で、球形の氷にため息を落とす。気泡を含まない水晶のような澄んだ氷は、無色の酒にやんわりと溶けては色のない流れを作っている。
 そう、それは昼過ぎのこと。
 霧生ヶ谷に滞在するようになってからはや一ヶ月、この酒場で斡旋される主な仕事である簡単な除霊や護符作りなどにも慣れ、日本という国にもそれなりに馴染んできたように思う。
 しかし未だ宿の定まらない私は、金がないという至って簡潔な理由からホテルから出ていくことを余儀なくされ、六道区南端にある雑木林に張ったテントを拠点として活動している。
 しかし、長期的に滞在するつもりならいつまでもテント生活というわけにもいかない。最近仕事の合間を見て、不動産屋に通うようにしていたのだが…
「外国人の方は、ちょっと…」
 一事が万事、この言葉で片付けられる。島国というこの国の特殊な性質を端的に表しているともいえるが、向けられる側としてはたまったものではない。
 いや、とはいえそのような偏見のない貸家もないわけではない。
 だが、そういった物件は大半が手の出せる家賃ではない。
加えて、金を工面できたとしても、身元確認だの何だのが必要となってくる。
「スノリ、ヴェランド…さんですか。職業は何を?」
「…(むぅ、怪異を知らない一般人相手に、ルーン術士などと名乗っても仕方あるまい。…しかし、そうなると私の職業は何だ?日中は魔術書の解読、鍛錬…ええい、仕事ではないではないか!となると、そう、あれならば一応は職業と主張できる!)
…狂気山脈で給仕を。」
「狂気山みゃ…」
「…」
「お引取りください。」
 羞恥に火照る顔を手のひらで覆いつつ、全力疾走でテントに逃げ帰ったことは、私のささやかな矜持のために言わないでおかせてくれ。
「職場が狂気山脈はないですねぇー。良くてもアルバイト暮らしのフリーターにしか聞こえないし。最悪、どうとられても文句言えませんよ?」
 カウンターの内側でグラスを磨く、子供っぽさの残る見習いバーテンは、皮肉とも面白がっているともつかない笑みを浮かべる。千年世の性格から言って、皮肉三で楽しんでいるのが七といったところか。
 しかし、言わないでくれ…
 思い出すだけで酒が不味くなる。
 言って、グラスの底に残った安酒をくっと飲み干す。アルコールの熱さが舌に残り、鼻腔を満たして落ち込みがちな思考を具合よく掻き乱してくれる。
「じゃあ、思い出しても不味くない酒を出したげますよ。」
 言うなり引き戸から数本のボトルを取り出し、メジャーカップへと注いでクラッシュアイス敷かれたミキシンググラスへ移す。
 上の空でその様子を眺め、私は思う。
 私は、本当にこの町でやっていけるのだろうか。
 ここへ来るまでにユーラシア大陸を横断した時、信心深い村も未だ多くあり、金にも宿にもそれほど困ることはなかった。そうでなくとも、ある程度の期間宿をとる程度のことで、問題など起きようはずもない。
 そんな腑抜けた根無し草が、足を地面に着ける方法を知っているだろうか。
 答えは、この様を見ればわかる。
 果たして、ここに留まるという選択は正しかったのか…
 ふと、下へ落ちていた視線を持ち上げると、白みのかかったブルーが目に入る。カクテルグラスと、腰に手を当てる千年世。
「ほらほら、私の特製ですよ。」
 気持ちはありがたいが、しかし今はそんな気分では。
「そう言わずに!」
 う、うむ、なら一口…
 カクテルグラスを手に取ろうとしたところで、ふと気づく。
グラスのすぐ横、さり気なく置かれた黒地の封筒。店のものと同じレリーフの刻印されたその封筒は、この酒場の裏の顔、怪異に関わる仕事の斡旋所である「下弦の月」が送る依頼書。
 これは…?
「西区の東にあるとある安アパートで、近所の犬や猫が、狼の群れにでも食い荒らされたような酷い状態で発見されたんです。仮にも街中、狼なんて出るわけがなく、野犬の群れにしても共食いは考えにくい。原因は、とある悪質な怪異。」
 長い人差し指を封筒に乗せ、浮かべるのは魅惑的な取引をもちかける悪魔の表情。
「この事件を解決できたら、プロの交渉人であるこの私が交渉してきてあげましょう。素性なんて気にしない所だし、元から安い家賃は更に格安に、敷金礼金なんてけち臭いことも言わせませんよ。」
 …はっ、お前は本当に私と同い年か?
「受け取らない、なんて選択肢はないでしょ?」
 受け取らない、などという選択肢が存在すると思うか?
 疑問や悩みの答えは出ない。しかし、さしあたっての宿のために動くことは、黙って塞ぎ込むよりはるかに生産的だ。
 封筒を手に取り、さしあたっての標であるそれの、口を開いた。


「あ、せっかくの自信作なんですから、忘れずちゃんと飲んでくださいよね。」
 あ、ああ。
 勧められるまま、カクテルグラスへと指をそえる。唇に触れる冷えたガラスのグラスから、つぅと口の中へと液体が滑り降りていく。
 舌に乗せ、鼻腔へと抜ける香りを味わい、そして飲み込む。
「…どうです?」
 …微妙だな。
「ええー?」

 

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