シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

霧生ヶ谷太平記 一

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『霧生ヶ谷太平記 一』    作者:香月

 

 

 関船三艘。総櫓の押し走りだった。帆は畳んである。
「独魚」
 瀧瀬重三は声を上げた。甲板に、巨大な丸太が運ばれてくる。先端は削って尖らせ、鉄で補強してあった。
 敵の安宅船から、無数の矢が放たれてる。矢避けの盾を出して、それを防いだ。
 安宅船は、重三が率いている関船三艘よりも大型な船である。攻撃力、防御力共に優れているが、小回りが利かない。この海域に、安宅船は向かなかった。暗礁や岩礁が多く、すぐに船底を破られるのだ。しかし、敵はうまくそれらを避けて進んでくる。かなり腕のある船頭だ、と重三は思った。だが、船の選択を誤っている。
「引きつけろ。俺の指示があるまで、動くな」
 敵船が、近づいてくる。二艘の関船が前に出て、重三はその背後の関船に乗っていた。
 ぱらぱらと降ってくる感じだった矢が、徐々に勢いを得ている。しかしそんなことは気にせず、重三は盾の下を這い回りながら機を窺った。
 兵に動揺が走り始めるのがわかった。しかし、それは敵も同じことだ。敵の船から発せられる気が、いくらか弱っている。
 俺を、信じろ。そう呟いてた。
 敵船の上に、兵とは違う何かを見た。あれが、敵の指揮官か。こちらの意図が読めずに、確認するために前へ出たのだろう。
「放てっ」
 甲板から、独魚が放たれる。安宅船に接近していた二艘の関船が、総櫓の押し走りをやめ、別な動きを見せた。独魚は、お互いの船が速いほど効くのだ。
総櫓で助走をつけたのはそのためである。独魚が海面を滑る。等間隔で縛り付けられた縄で勢いを増し、敵船の腹に突き刺さった。
「縄を離せ。斬り込むぞ」
 重三は、矢倉に駈け上がった。先に取り付いていた二艘の兵達は、鉤爪を投擲して、敵船に乗り込もうとしている。
 接舷した。敵を最も威圧するのが、矢倉から敵船に飛び移るという方法なのだ。しかし、敵も備えは怠っていない。下手をすれば、飛び移った瞬間に串刺しである。
 雄叫びと共に、敵船へと跳躍した。突き出されてくる太刀を紙一重で躱し、甲板を転がった。立ち上がり様に、二人斬り倒す。
 水軍の兵は、邪魔にならないよう太刀を背負う。揺れる甲板の上で戦うために、構えもかなり低い。膝をつくことさえあるのだ。
 重三は、乱闘の中で、敵の大将を探した。
 二十人ほどが一塊になっている。次の瞬間には、駈け出していた。重三の背後をついてくる兵が何名かいた。重三は、振り返りもせずに人垣へと踊りこんだ。
 先頭にいた兵を斬り倒し、二人、三人と背後の者に任せる。見ているのは、敵の大将のみだった。
 堪えることができなくなったのか、敵の大将が前へと出てくる。止めようとする兵を振り払い、重三の方へと向かって来た。
 首を刎ねる。そのつもりで、太刀を薙いだ。しかし、防がれている。左腕を断ったのみだ。敵の大将が、甲板に膝をつく。
「武器を捨てよっ。これ以上、犠牲を出したくない」
 大音声だった。左腕を切り落とされながらも、意識が揺らぐことはないらしい。
 甲板に、太刀が置かれる。
「鹵獲しろ」
 太刀や弓矢が集められてくる。こちらの関船に載せて持ち帰るのだ。
「霧生ヶ谷水軍、瀧瀬重三という。お前は」
「舜真です」
「日本人じゃねぇな。高麗か」
「はい」
 舜真に縄を打とうとしていた兵を制した。高麗人に会うのは、初めてなのだ。
「首を、刎ねてください」
「そうするつもりだったが」
 武装は解除した。敵も抵抗は出来ないはずだ。
「話がしてぇ。陸地に戻るぞ。舜真の傷の手当をしろ」
 舜真の唖然とした表情を一瞥し、重三は駈け出した。関船に飛び移る。敵船に突き刺さった独魚を回収し、指示を出す。
 陸地の方へと、関船が海面を滑り始める。しかし重三の眼は、遥かな水平線に向けられていた。
 
 
 瀧瀬重三。霧生ヶ谷水軍の船頭だという。何を考えているのか、よくわからない男だった。
 舜真は、高麗の軍人だった。元軍との海戦で乗っていた船が沈没し、海に投げ出されたのだ。流されに流され、途中で舜真と同じように流れに乗ってきた小型船を見つけた。そこには、舜真と同じような者が多く乗っていた。大陸に戻ろうとしながらも、漂流している者を見捨てられず、海域を巡っていたのだという。
 もっと遠くまで流された者がいるかもしれない。誰かが、そう言い出した。
 国に戻りたい、という気持ちは薄くなっていた。高麗は元の属国で、奴隷のような扱いを受けている。それに、舜真は天涯孤独だった。徴兵されただけで、国に対する忠誠心も皆無と言っていい。戻ったところで、大切なものは一つもない。
 高麗を離れ、日本へと走った。途中で、日本の海賊に出くわした。死に物狂いで船を奪い、更に進んだ。日本のどこかに辿り着ければ良い、と思ったのだ。海賊との戦いの後から、舜真は皆に頭領と仰がれるようになった。
 最初は、九州に上陸しようとした。だが、そこに舜真達の居場所はなかった。少弐家と征西府の、大保原での戦を目の当たりにしたのだ。
 村上水軍の、義弘に会った。忽那水軍の、義範と安秋もいた気がする。彼らとは顔見知りだった。船を一艘貰い、そこから日本沿岸をひたすら彷徨った。九州を出ろ、と義弘にも義範にも言われたのだ。征西将軍宮と菊池武光の九州平定に、不穏分子は邪魔だったのだろう。
 幸い、この国の言葉は解していた。舜真さえいれば、何とか住む場所は確保できる。誰もがそう考えていた。
 暗礁や岩礁の多い海域を、大型の船で抜けるのは苦労した。天然の要害だ。ここに村を作れば、皆が水軍としてやっていける。日本で生計を立てることができる。それしか考えていなかった。そこに、霧生ヶ谷水軍の瀧瀬重三率いる関船が出てきたのだ。
 どこから出てきたのか、まったくわからなかった。巧妙な船隠しがあるに違いない。大型の船では反転するのも難しく、日本と高麗では船同士の交信の方法も違う。ぶつかるしかなかった。
「んなこたぁ、どうでもいい」
 重三が言った。
「どうでもいい、といいますと?」
「お前がどこからどういう理由でこの霧生ヶ谷まで来たかなんてどうでもいい、って言ってんだよ、舜真」
「しかし、私が他に離せることなどほとんどないのですが」
「遠い海の話が聞きてんだ。いいか、海ってのは、道だ。限りなく続く道なんだ。陸地じゃ考えられねぇ可能性と自由が待ってんだよ」
 重三の語り口が、いくらか熱を帯びていた。
「自由、ですか」
「そうさ。聞いた話じゃ、一年中焼けるように暑い国まであるらしいじゃねぇか。北には、氷で鎖された世界があるって話だ。世は、俺の想像が遥かに及ばねぇほど広いんだぜ。見たことねぇもんだってたくさんある。俺はそれを、いつか全部見て、感じてやりてぇんだよ」
 高麗にも、重三のようなはいた。舜真も、多くの話を聞いた。しかし、ある一定の線を越えた者は知らなかった。死んだのか、帰って来る気がなくなったのかはわからない。
 海は魔物だ、と誰か言っていた。まさにその通りだ。魔物と言う理由は、荒れる海を指すのではない、と舜真は思っている。重三のように、海に魅了され、命を落とす者が多いから、魔物なのだ。大きな危険と魅力を孕み、人に幻想を抱かせる。
「私と一緒に来た者達は、どうなるのですか?」
「自由だ。好きにすりゃいいさ。多少の銭ぐらいなら出してやらぁ」
「どうして、そこまで?」
「いつか、果てのない海に漕ぎ出すんだぞ。銭は出来る限り溜め込んでんだよ。必要かもしれねぇからな」
「そうですか。兵には何もないのですね。それなら、よかった」
 短い間ではあるが、頭領として仰がれた。この、霧生ヶ谷という地に上陸しようと決めたのも自分だった。その判断のせいで皆が処罰されるようならば、生きていられるはずがなかった。船の上で重三に負けた時は、どうすれば皆を解放してもらえるのか、必死で考えていたのだ。
「その代わり、条件がある」
「何でもします。皆を助けていただいた」
「ここにいろ。俺が出て行って良い、と言うまで」
「それだけ、ですか」
「おう。そのために、お前の兵にも銭を渡してやるんだよ」
 重三が、部屋を出て行く。その顔は、喜色に満ちていた。
 しばらく、そのままじっと座っていた。ここにいる。それは構わない。捕虜や奴隷というわけではないのだ。
 瀧瀬重三。そう、呟いていた。馳せ合った時の、凄まじい太刀筋が鮮明に蘇ってくる。高麗や元のような剣ではなく、反り返った太刀を日本人は遣う。武芸は、相当なものを持っているのだろう。船頭としての腕もかなりのものである。独魚を放つ機会を見落とさず、こちらの船には矢倉から飛びついてきた。
 縁を下り、庭に立った。ここは重三の屋敷なのだろう。家人や下女らしき姿も見かけた。
 屋敷を出て、しばらく歩いた。海に突き出した岩の上に立ち、ぼんやりと海を眺める。
 この向こうには、様々な国がある。舜真のいた高麗も、その一つだった。
「どこまで行っても、醜いだけだ、重三殿」
 日本の国も、南朝と北朝に分かれているという。高麗も、元も、その遥か遠方にあるという国も、きっと同じようなものだろう。夢であるうちは良い。だが、見ればきっと失望する。そう、思えた。少なくとも、舜真は重三よりも多くの国を知っているのだ。
 海に潜る、童の姿を認めた。小柄のような短刀を手に、懸命に水を掻き分けている。
「何をしている?」
 思わず、近づいて声をかけていた。童は驚いたような顔をしたが、すぐに海の中を指差す。
「鮑か。どれ、貸してみろ」
 短刀を受け取り、舜真は海に飛び込んだ。岩に張り付いている鮑を剥ぎ取り、海面に顔を出す。それを、童に差し出した。生のまま食らいついている。
「名は、何という?」
「藤乃」
 名で、童が少女であるということに舜真は気付いた。
「ほう。海が好きか、藤乃」
「重三殿が、言ってた。海は、自由だって。誰のものでもないって」
「その通りだ」
「みんな、あたしが海に出たいと言っても止めるんだ。けど、あたしも海に出たい。姉上みたいに、立派な船頭になりたい」
 藤乃が、宏遠な海を見つめながら言った。そういえば、重三も、自分を捕えて関船に戻った時、同じように海に眼をやっていた。
「藤乃の姉上は、船に乗るのか?」
「うん。霧生ヶ谷で一、二を争う船頭だって、みんな言ってくれる」
「それは、立派な姉上だな。重三殿よりも上なのかな?」
「姉上は、重三殿にだけは勝てないって言ってる。あたしは、船に乗ったことがないからわからないけど」
 藤乃の表情が、ぱっと明るくなった。近くの岩陰から、童が三名ほど、こちらを窺っている。藤乃の友達だろうか。
「呼んでやるといい。皆の分の鮑も、取ってきてやろう」
「おじさん、名前は?」
「舜真という。高麗から来た」
 藤乃が駈け出す。高麗、と言った瞬間、言葉では表せないような顔をしたのを、舜真は見た。
 海の向こうに憧れる少女。何となく、見てはいけないようなものを見てしまったように思えた。
 
 
 霧生ヶ谷水軍、総勢一千五百。関船一艘に百名ほどが乗り、それぞれが指揮をする。その上に立つのが三百を指揮する者達だった。重三は、その位置にいる。重三の他に、三百を指揮する者が四人いることになった。だがそれは形式上のことで、場合によって臨機応変に動くことになっている。頭領に都築正元を頂いている、ということが絶対であれば、それで良いのだ。
 重三が独断で受け入れた高麗人の処置を、先の会議で決めた。およそ、重三が思っていた通りになったと言えた。
 舜真がここに来て、十日が経つ。その間、舜真はずっと海辺にいる童達と戯れていた。重三はそれを、遠くから眺めている。
 あの童達は、身体が弱く、水軍に加えることができない者ばかりだった。
 霧生ヶ谷から一里ほど離れた島を、都築正元は拠点としている。重三は、そこから帰る途中だった。小早に乗り、海面を走っている。
 浜辺が見えた。岩場の方には、今日も舜真の姿が見える。重三が斬り飛ばした左腕を物ともせず、海に潜っていた。
「あの御仁は?」
 志乃が言った。重三と同じく、三百を指揮する立場にいる女船頭である。操船の腕は、重三に勝るとも劣らなかった。
「舜真殿だ。処遇を決めた高麗人達の頭領だよ。しばらく、俺の近くにいてもらうって決めた」
「海の、向こうか」
「あんたは、興味ねぇのかよ」
「重三殿のように、夢に生きることができる人間ではないのだ、私は」
 総髪を風に靡かせる志乃の眼は、陸地に向いていた。
 上陸し、重三はそのまま舜真の方へと歩き出した。志乃も、一歩下がったところをついてくる。舜真がこちらに気付いて、頭を下げていた。
「兵は、前に言った通りだ、舜真殿」
 舜真は、ただ黙って頭を下げていた。藤乃が駈けて来て、志乃に飛びつく。それで、やっと頭を上げた。
「舜真殿が、潜り方を教えてくれましたっ」
 志乃は、笑顔でただ頷いた。
「舜真殿、志乃と申します。妹がお世話になったようで」
「いえ。天稟があります。水中でも、決して方向を見失わないのです、この子は」
 藤乃と志乃が浜辺を去るまで、誰も言葉を発しなかった。海の、押寄せては引く様を、ただ眺めていた。
 舜真の服が乾いた頃に、重三は屋敷に向かって歩き出した。もう、夕暮れである。
「藤乃は、身体が弱いのですね」
「気付いたか」
「あれだけの天稟を持ちながら、漁にすら出ないとなると。海に、出たがっていました。重三殿と同じように」
「俺が行きてぇのは、もっと遠くさ。誰も見たことがない世界だ」
 海の音が遠ざかる。出来ることなら、ずっと水の上にいたい。重三の願いだった。
「私は、この霧生ヶ谷という土地が好きになりました」
「そりゃ、良かった」
「あまり嬉しそうではありませんね」
 重三も、霧生ヶ谷のことは好きだった。水軍の仲間達も。しかし、遥かなる海へと漕ぎ出したいという欲求を超えるものではない。いつかは、出て行く土地なのだ。好きだが、それだけである。
「ま、好きならそれに越したことはねぇよ。霧生ヶ谷水軍は、あんたを歓迎するぜ、舜真殿。あの海域を、でけぇ船で乗り込んできたんだ。大したもんだよ」
「私は、水軍の一員になるのでしょうか?」
「いや。時々、俺に高麗の話を聞かせてくれりゃそれでいい。ここにいろとは言ったが、それは霧生ヶ谷にって意味だ」
「何か聞きたい時は、いつでも呼んでください」
 面白い男を拾った。何となく、そう思った。もしかすると、いつか旅立つ時の裂く崖となってくれるかもしれない。
 今夜、酒でも酌み交わしながら、ゆっくり話しがしたい。想像しただけで、顔を綻んだ。
 
 
 重三が、舜真から離れて歩き出した。屋敷へ戻るのだろう。舜真は、まだ海辺にいたかった。
 霧生ヶ谷。高麗とは別な土地。舜真の心は、昂ぶっていた。こんなことは、今までに一度もなかった。
 もしかしたら、自分にも重三と同じように、遠くへ行きたいという願望があるのかもしれない。何となく、そう思った。もし旅立つ願望があるのならば、それは既に成就している。日本の、霧生ヶ谷に辿り着いたのだ。
 左腕を失った。舜真は、舜真でありながら舜真ではなくなったのだ。先が見えず、暗澹としていた。そこに、いきなり光が射し込んできた。
 瀧瀬重三という、友が出来た。藤乃という、小さな友も。
 腕の通っていない袖が、風に靡く。舜真は、心地良い風に身を任せた。

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