シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

人面魚は空を泳ぐ

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 人面魚は空を泳ぐ 作者:あずさ



 泡のように弾けて。煙のように流れて。
 人のざわめきも、目に刺さる光も、速打つ鼓動も。
 全部全部、消えてしまえばいい。



人面魚は空を泳ぐ

 周りを見渡せば、キャイキャイと楽しげに話すクラスメイトたち。
 中身は化粧品や好きな芸能人、昨日見たテレビ、入りたい部活、クラスの男子でめぼしい人がいるかどうか、先生がおじさんばかりでがっかりだの、教科書が重くて嫌になるだの。
 鮎沢紀美子(あゆざわ きみこ)は、その空気にいつまでたっても慣れることができなかった。
(……群れてるみたいですぞ)
 一人席を離れながらそんなことを思う。あれは、群れだ。高校生にもなってトイレにまで一人で行かない。行けない。どこへ行くにも複数で行動し、話の内容や思考までも周りを模そうとするだけの動物の群れ。
 そんなことに興味はなかった。何が面白いのか分からなかった。分かりたくもなかった。
 それならいっそ、その全てが一瞬で消えた方がきっと楽しい。物が壊れる瞬間というのはどんなに儚く美しいだろう。
(……外の空気でも吸いに行きますぞ)
 教室の音は、あまりにも味気なく耳に痛い。

「あ、卑弥呼さんが行った」
「紀美子ぞ」
 教室を出る間際の声に振り向き訂正すれば、目を丸くして体をのけぞらせるクラスメイト。
「あ……ご、ごめんなさい」
「……別にいいですぞ」

「……卑弥呼さんって暗いよねえ」
「何考えているのか分からない感じ」
「ていうか地獄耳すぎてびっくりした!」
「それにしても何で白衣着てるんだろ……」
 紀美子は今度こそ振り返らずに教室を出ていく。
 ……言うことが同じすぎて、やっぱりつまらない。


 特に行く宛があるわけではなかった。紀美子は人の音ができるだけ少ない方を目指して歩を進める。いっそ何もない場所はないか。ないなら作ればいい。ではどうやって作ろうか。場所は、手段はどうしようか。
(こうなったらやっぱり科学部ですぞ……)
 科学の力はすごいのだと、紀美子には根拠のない自信と憧れがある。幸いにも北高には科学部が立派に存在しているというではないか。なかなか怪しい雰囲気を醸し出しているようだが、それもまた本物らしくていいというものだ。

「科学部はどっちですぞ?」
 紀美子はふいに足を止めた。部活動そのものにはさほど関心を持っていなかったこともあり、活動場所がさっぱり分からない。科学部というくらいなのだから理科室を使用しているのだろうか。いや、しかしまだ部活動が開始される時間ではない。たとえ正解だったとしても今見に行ったところで掃除中か準備中だろう。
 どうするべきか廊下の隅で悶々と悩んでいると、ふいに近くの教室から派手な物音が聞こえた。びくりと大袈裟なほど肩を強ばらせ、しかしながら逃げることはせずに紀美子はおそるおそるその音へ近づく。
(テロですぞ? テロが起こったのですぞ?)
 怯えつつも思考は果てなき夢の彼方へ。現実から乖離しかけつつ紀美子は教室の扉をそっと開ける。あまりにも不安と期待が交錯しすぎた結果、まずはその教室がどんな部屋であるのか、プレートを確認することさえ忘れていた。

「お、いらっしゃーい」
「……」
 出迎えたのは魚らしきものの被り物をした人で、紀美子の思考は一瞬ばかり停止した。
 口の周りにはピンと張ったヒゲが数本、黄色い体に不明瞭な斑紋、つぶらで底の見えない真っ黒な瞳。それらの特徴からこの魚のような被り物はおそらくモロモロ――霧生ヶ谷に生息するドジョウに類した魚だ――を模しているのだろうと見当をつける。自信のなさに理由をつけるならばモロモロの顔がもはや人の顔として描かれている点だろうか。それもニヒルな笑みをたたえながらも無意味な凛々しさを感じさせる顔立ちである。市販でモロモロを模したぬいぐるみが「モログルミ」として存在するが、この被り物は明らかにそれと異なっていた。手作りなのかもしれない。
 隅ではもうもうと埃が巻き起こっている。おそらくこのモロモロが何か派手に物を落としたのだろう。むしろモロモロの頬辺りが薄汚れているので、まさにこの被り物を落としたのかもしれない。
 期待はずれだ。それも予想外の方向に。
「……何ですぞ」
「やあやあ、ここは演劇部だよ。どうぞどうぞ」
「入るつもりはないですぞ」
「みんな最初はそう言うんだよねぇ。あ、君一年生? いいねいいね、若いって才能の一つだよね。俺にも分けてほしいっていうか、むしろお前は若いっていうより頭が残念な感じに幼いとか言われるからさー。残念じゃなく若いってほんとうらやましいと思うわけですよ。だから演劇部に入りませんかねお嬢さん」
 部屋に入って早々一方的にまくし立てられるが、その半分も意味が把握できなかった。無意味な言葉の羅列。乱れた言葉の固まり。
 しかもちゃっかり椅子を用意し有無を言わせないうちに座らせるこの手際良さは一体……。
「あ、自己紹介まだだっけ? 俺は大間岳大(おおま たけひろ)という者でして一応演劇部に所属してるオチャメで安心が売りの男の子なんで今後とも是非ぜひよろしくしてもらえると嬉しいかななんて。ええと君は?」
「……名前ですかぞ」
「うんまあ、ペンネームでも源氏名でも真名でも呼ばれたいのなら何でもいいかな」
「鮎沢紀美子ですぞ」
「ほうほう、紀美子ちゃん」
「紀美子ぞ」
「うん、だから紀美子ちゃんね。オッケーオッケー。じゃあ早速この書類にサインいっちゃう? いってみちゃう? 新しい世界が開けるかもしれないね、こりゃドキドキだね!」

 ……。

「……紀美子、ぞ」

 ポツリと呟き、紀美子はまじまじと相手を見つめた。見つめたところで視界に映るのは黒々としたモロモロの瞳だけだったけれど。
 紀美子の奇妙な雰囲気と名前の響きが手伝って、初対面の人であっても必ず一度は卑弥呼と呼ばれた。だから自己紹介の後は訂正するのが癖になっていた。一発で正しく呼ばれたのは久しぶりだ。

「……」
「うん? どしたの紀美子ちゃん、難しそうな顔して。強制してるわけじゃないから不本意なら悲鳴あげて逃げても俺は許しちゃうよ? むしろ逃げないなら本当に入部届け書いちゃいそうな俺がいるよ? あ、名前ってどんな字だろ。公子、貴美子、紀美子……いっそローマ字でも顧問の先生は許してくれますかね、国際社会を先取りした俺ってば今日冴えてる。こんな自分の潜在的能力が恐ろしいわー。遼ちゃんに頭部殴られたのが効いたかもしれないな!」
「……」
「……もしかして俺空気読めてない? 外してる? ってか、もしや紀美子ちゃんもボケ属性!?」
「紀美子は鋭いつっこみ派ですぞ」
「マジっすか!」
 大袈裟にのけぞったモロモロが、そうかそうか、そりゃいいねえ、とこれまた大袈裟にうなずいた。被り物なので表情は見えないがどことなく嬉しそうだ。
「モロモロさんは、演劇部に入ってるのですかぞ」
「モロモロさんって……え、俺名乗ったよね。あれ、何これそういうプレイ?」
「何で演劇部なのですぞ」
「スルースキル高けぇ!」
 叫んだモロモロだが、紀美子がひたすら回答を待っているのを見たとたんにわざとらしく咳払いしながら姿勢を改める。一応空気は読めるらしい。
 モロモロはこてん、と可愛らしく――姿が姿なので不気味なだけだが――小首を傾げた。
「……えぇと、何で演劇部かって? そりゃまあ、楽しそうだったからねぇー」
「演劇なんて偽物でしかないですぞ」
「そだね」
 あっさりとうなずいたモロモロは、すっくと立ち上がった。紀美子が特に小さい部類だということもあるが、こうして目の前に立たれるとなかなかの迫力だ。モロモロの被り物が圧迫感に拍車をかける。

「そこのお嬢さん」
 唐突に紡がれた言葉は、今まで喋っていた声音よりもずいぶん低いものだった。
「私は魚でありながら泳げない身に墜ちました。泳げない水たちに、この世界に、果たして意味がありましょうか。この身に意味が、この魂に意義が宿りましょうか」
「……?」

「あえて言いましょう、断言してみせましょう。穢れた世界、色の失った世界、そしてそれに相応しい身でありながらも居場所の許されないおぞましい自分。なんと滑稽でありましょうか、なんと無意味でありましょうか!」
 ああ、だから。
「こんな世界ならば、こんな身であるならば」
 いっそのこと。

「全て、朽ち果ててしまえばいい」

「――あ、ちなみにこれハッピーエンドね」
 唐突にまた座り込みながら告げてきた声はすでに先ほどと同様、のんびりとしたものだった。迫力のはの字もない。
 紀美子はゆっくりと瞬く。張り付きそうな喉を無理にこじ開けた。
「……ものすごくダークっぽかったのですぞ。あれがハッピーエンドになるのですかぞ」
「うん、今度こいつ空飛ぶから」
「……」
 魚が。
 紀美子は呆気に取られて言葉をなくす。さすがにどうツッコミを入れていいかも分からなかった。
 だから迷ったすえに出てきたのは、ひどく的外れなもので。
「でも、……本当に消してしまった方が良かったのですぞ」
「ん?」
「桜は散るから美しいと聞きましたぞ。花火は弾け消えるからいいのですぞ。線香花火だって消え落ちないと風情がないですぞ。シャボン玉も弾けるから、風船は割れるから、人は死ぬから……」
 言葉は尻すぼみとなって消えていく。どう続けていいか分からず、紀美子は自然と俯いた。
 馴染めない世界。つまらない退屈な世界。そこに馴染もうともしないずるい自分。
 そんなものが在る必要がどこにあるというのだ。
 全部全部、消えてしまえばいいのに。その方がずっと潔くて素晴らしくて美しいのに。
 紀美子が何も言わなくなるまでただ黙って聞いていたモロモロは「ふーむ」と気の抜けた声を出しながらゆらゆらと左右に揺れた。落ち着きが無い。
「う~ん、感じ方は人それぞれだろうからその考えも否定しないけど。でも、俺としては消えるのが美しいんじゃなくて、その前に精一杯に咲いたり輝いたりしてるから、消えたときの余韻もまたひとしおってことなんじゃないかなぁとも思ってみたり?」
「その前……?」
「それにほら、終わり方ってのも派手じゃなくてやっぱり老衰がいいなぁ痛くないだろうしなぁ苦しいのは嫌だもんなぁとも思っちゃうわけで。消えればいいってものでもないと思うんだよ。なんていうか、始まりから終わりまで、それ全部で一つの流れっていうの?」
 紀美子はその場に固まったまま頭の中で彼の言葉を反芻した。多くの言葉の弾丸を打ち込まれて身動きが取れない。煙に巻かれたような、流れが変な方に向いているような、しかし何がどうおかしくてそうなっているのかも掴ませないような、……。
「……よく、分からなくなってきたのですぞ」
「うん、俺も。そもそも普段、そんな大層なこと何も考えちゃいないからさ」
 あっけらかんと言い放ったモロモロは無責任ながらも楽しげに笑う。
「まあよく分からない結論より、そうやって紀美子ちゃんが真剣に考えてくれたことの方が俺としては嬉しいんだけどね?」
「……どーゆう意味ですぞ?」
「真剣に考えたってことは、それだけ今の世界を身近に感じたってことじゃない?」
 そうなのだろうか。思いがけないことを言われ、紀美子は一時(いっとき)黙り込む。
 その沈黙を肯定と取ったのか、モロモロは満足げにうなずいてみせた。
「要するに、それなんだよね」
「?」
「現実と非現実の境界が曖昧になって溶けちゃう感覚、っていうのかな。自分がいたはずの世界が消えて、自分じゃない何かの新しい世界に飛び込んでみる感じ。そういうの、なんか面白いなって思ったのですよ。俺ってば夢見る男の子だし?」
「それで演劇部ですかぞ……」
「うん。ま、俺は大道具作る方が得意なんだけどな。ちなみにこのモロモロも俺が作ったんだけど、ど?」
「シュールですぞ」
「いやいやいや! ええー!? ……あ、いや、確かにこれだけ見たらそうかもしれないけど。言っとくけどこれが正しいイメージなのよ? 俺が下手なんじゃなくて原作がこんな無駄にクオリティの高さを窺わせる感じのを要求してきたのよ? 紀美子ちゃんも被ればきっと大空に羽ばたける気がしてくるから、いやこれマジで」
「……ずっとそういうのを作ってるんですぞ?」
「んー、そうなるかな。でも人数足りないときとかイメージの問題とかで演技の方もお手伝いすることは結構あるなぁ。梨奈ちゃんが書く脚本ってついつい男性が多めになっちゃうみたいだし……いや、脚本はちゃんとしてるけどね、うん……。まあ、表舞台に立つにせよ裏舞台で頑張るにせよ、なかなか面白いよ?」
 そう言ったときのモロモロは笑顔で(元からだが)瞳が輝いているように見えた。(これも光の加減で元からだ)
「モロモロさん」
「いや、だから俺モロモロさんなんて名前じゃ……」
 抗議の声はどうでも良かったので無視した。紀美子はまっすぐにモロモロの黒々としたつぶらな瞳を見つめる。

「――紀美子も、世界を消したいですぞ」

 ◆ ◆ ◆



「一年三組の鮎沢紀美子ですぞ。将来の夢はテロリストですぞ」
 がつん、と大きな音が聞こえた。はひっと短い声を上げて紀美子が視線を向ければ、そこには今の音にふさわしいようなガタイのいい男が机に突っ伏している。むくりと上げた額が多少赤くなっているようだったのでどうやら彼が額を机に殴打したらしい。
「何で演劇部に入部してくるのはこうも濃いんだろうか……」
「部長、部長。一年生が入ってくるのは嬉しいじゃないですかー」
「それはもちろんだ、歓迎している。……ただ何となく不安になっただけで」
 そう言った彼の表情は本当に疲れているようだったのでさすがの紀美子でも心配になった。何せここ演劇部は人が近づこうとすると「用がないならあまり近づかない方がいい」「お前人生やめる気か」「何だかんだいっていい奴だったよ……残念だ……」などと言われてしまうことが多々ある場所として有名なのだ。したがってそこに所属する彼の身に何が起きていても何ら不思議はない。そう例えばテロとか。テロとか。
「……大丈夫ですかぞ?」
「あ、いや……部長の岩名正志(いわな ただし)だ。よろしく頼む」
 いかにもスポーツマンな爽やかな笑みを向けられ、紀美子は返事とばかりに深々とお辞儀をした。それをキッカケに部長の後ろに座っていた少女が立ち上がる。
「私は二年の立川梨奈(たちかわ りな)です。演技自体はあんまりやらないというか脚本とか演出を担当することが多いかな? よろしくね卑弥呼サン!」
「紀美子ぞ」
 もはや慣れたもので即答にも近い修正を加えた。しかし相手は聞いているのかいないのか何やら楽しげだ。紀美子が入ってくるまで読みふけっていたらしき薄い本をそそくさと鞄にしまい込み興味深げな視線を向けてくる。敵意や悪意がないのは無駄に分かりやすく知れて、だから紀美子もさほど警戒せずに相手を見返した。
「卑弥呼サンは何で演劇部に入ろうと思ったの?」
「ああ、それは気になるな。今まで演劇の経験は?」
「ないですぞ。……ないと駄目ですぞ?」
「いや、そんなことはない。少しずつ覚えていってくれればいいし、興味を持ってもらえるだけでありがたいからな」
 正志の言葉はごつい体の割に、励ます――もっと言うなら不器用にあやすかのような口調で、まるで保父さんみたいですぞと紀美子は奇妙な感想を抱いた。
「じゃあ演劇部のメンバーを紹介しますか!」
 そう言った梨奈は素早く紀美子の背後に回り込み両肩に手を置いた。驚く紀美子の身体をぐるりと斜め向きに回転させる。そのおかげで紀美子の視線の先には正志の姿がばっちりとロックオン。
「まずは三年生から。部長はさっきも言ったからいいかな? こんなラグビーか柔道をやってそうなガタイと顔と名前だけど演劇が大好きで大好きで仕方ないから、分からないことがあったら何でも聞いてみちゃうといいと思います。生真面目だからいらないことまで延々と説明してくる可能性があるのでタイミングには要注意! あと中学生の弟さんと妹さんがいてすっごいお兄ちゃん属性」
「最後は余計だ。……まあ、よろしく頼む」
「はいですぞ」
「で、次」
 ぐるりとまた回転。忙しない。
 次に目に入ってきたのは眼鏡をかけた長身で細身の男性だった。おっとりと微笑まれ、紀美子の緊張も少しばかり解けていく。
「三浦弘明(みうら ひろあき)先輩」
「よろしくお願いします」
 先ほどと変わらぬ優しげな笑みで微笑まれ、紀美子も慌てて頭を下げる。
「先輩は学年トップの超優等生です。デフォで眼鏡と敬語なのがポイント」
 ポイントが限定的すぎますぞ……。
「それなのにおっぱい星人です」
「お……」
 ――聞き間違いだろうかと本気で悩んだ紀美子だが、部室内の空気は変わらず平然と時を刻んでいる。ただ、彼の眼鏡がわずかに鈍い光を放ったかのように見えた。それが本当だったのか単に目の錯覚だったのかを確かめることはついぞできないまま、彼は小さく苦笑気味に笑ってみせる。
「立川さん、おっぱい星人はやめてください。誤解を生みます」
「え……そーですか?」
「それではまるで巨乳好きみたいじゃないですか。俺は巨乳に限らずどんな胸もしっかり美味しく享受しますからそれではとんだ誤解です。女性の胸は全てにおいて素晴らしいのですから当然でしょう。ただ……あえて言うなら美乳が何よりも素敵だと思いますね。芸術と言ってもいい」
「分かりました、以後気をつけますっ」
 それでいいのですかぞ!?
 そうツッコむより早く、次に向けられたのは机の上に腰かけていた少女だった。一般的に背の低い方に分類されるであろう紀美子とほぼ同じくらいの背丈しかない。腰までの長い髪がフワフワと緩やかなウェーブを描き揺れている。その髪質は見るからにツヤツヤと美しく、小さな背丈でも不自然でないプロポーションが相まってまるでフランス人形のようだ。しかし紀美子に向けられた瞳は思いの外きつめで、紀美子はびくりと身をすくめてしまった。
「金宮有栖(かねみや ありす)先輩。幼女で女王様」
「梨奈ちゃん……誰が幼女ですって?」
 にっこり微笑む姿はいっそ天使のよう。しかしそれでいて紀美子は異様な威圧感をひしひしと身に打ち付けられていた。オーラが痛い。そして女王様呼ばわりは構わないのだろうか。
「やだな先輩、褒め言葉ですよぅ。あ、ちなみに有栖先輩は密かにファンクラブまであって、三日に一度は下校に連れ歩く男の子が変わると言われています」
「あたしだってそんなに暇じゃないわ。週に一度にしてるわよ」
「それでも凄いですぞ……」
「お願いだから、って言うこと聞かなくてうるさいんだもの」
 お願いされてしまうというのもまた凄い。少なくとも紀美子にそんな経験は生まれてこのかた一度もない。特に経験してみたいとも思わないが。
「ん? でも一昨日の男子と昨日の男子、すでに違わなかったか」
「一昨日? ……ああ、あいつね。踏んでくれってしつこいから蹴り上げて捨ててきたわ。うっとうしくて仕方ないったら」
 髪をかき上げ、小さくため息。その息には憂いやら色気やらが色々と混じって溶け込んでしまっている。とりあえず凄まじい毎日を送っているらしい。
「まあ頼もしい三年生はこんな感じということで。お次は二年生いきますよー」
 そう言ってくるりと反転させられた方向にいたのは、フワフワと柔らかそうな長髪の有栖とはまた違った、流れるようなストレートの少女だった。痛そうなくらいしっかりと茶色に染められた髪の毛は確かに腰以上に長く目立つのだが、それ以上にスカートが膝下を余裕で越えている。床スレスレだ。しかもいつの時代なのだろうか、何やら白く細長いものを口にくわえてヤンキー座りをしていた。紀美子にはよく分からないがきっとこれが「ガンをつける」という行為なのだろう。下から思い切り睨み付けられている。恐らく紀美子よりもずっと長身だろうに。
「彼女は折原桃子(おりはら ももこ)サン」
「……名前のギャップが激しいですぞ」
「ああ?」
「ひぃ!?」
 睨まれた。眼光がいっそう鋭くなった!
「桃子サンどうどう。こんなヤンキーなナリと口してるけど少女マンガが好きで涙もろくて中身は立派に桃子サンだというギャップにギャップの微妙にややこしい感じが売りなのですよ。ちなみにいつもくわえてるのはココアシガレット」
「悪いかよ!」
「いやいやとんでもない。ついでにヤンキーな彼がいるからこうなったんじゃないかとの噂が絶えず極妻なんてあだ名をつけられることも多々ある桃子サンですが彼氏はいかにも草食系な文学少年です」
「梨奈ぴょん、どうでもいい情報言い触らしてんじゃねぇぞごるぁ!」
 梨奈ぴょん……。
「で、それから若林薫(わかばやし かおる)サン」
「薫です。よ、よろしくね」
 そうっと陰から出てきたのはショートヘアのおどおどした、いわゆる「守ってあげたくなるオーラ」を全身で醸し出している子だった。怖そうなのが続いていたためによりホッとする。しかしなぜか身につけている制服は北高指定のものと異なり、どこぞのお嬢様学校風とでも言いたげな上品でやけに可愛らしいワンピースタイプのセーラー服である。
「何で制服が違うのですぞ?」
 演劇に使う衣装だという可能性もあるが、この部室内で彼女一人だけ衣装を着ているというのも奇妙な話だ。
 しごくもっともな疑問をぶつけた紀美子に、薫は顔を紅潮させて俯いてしまった。
「あ、あの、それは、その……」
「どうしたのですぞ」
「んー、卑弥呼サン、ナイス質問」
「ひゃあ!?」
 短い悲鳴にぎょっとして後退る。梨奈があろうことか彼女の制服を思い切りめくりあげていた。ここには普通に男子生徒がいるというのに、おっぱい星人もいるというのに、そんながっつりと……、
 ……、
 …………。
「……男の子ですぞ?」
 思わず呟く。――ツルペタだ。貧乳と呼ぶにも相応しくないほどまさしくツルペタである。ついでに補足するならブラジャーもしていない。
「ノンノン卑弥呼サン甘い。男の子じゃありません、男の娘です」
 梨奈の訂正に首を傾げずにはいられない。何がどう違うのだろうか。結局のところ、「彼女」――いや、「彼」の正体は女子の制服を着た男子生徒だ。涙目になってスカートを押さえるようにしているが、真っ赤になって声が上ずっているが、その姿はまるで狼に怯える女の子のようだが――結局のところ彼は遺伝子的にはっきりきっぱり男なのだ。
「うぅ、梨奈ちゃんひどいよぅ……」
「ごめんね薫サン。手っ取り早く説明するにはこうするのが分かりやすいかなぁって」
「お嫁に行けなかったら梨奈ちゃんのせいなんだから……」
「大丈夫、薫サン可愛いから! そこらの女の子より十分いけるって!」
「ボク男の子だよ、それでもいいの……?」
「むしろ良し!!」
 確かに二年生の中で一番女の子らしいかもしれない。それはそれでどうなのだろうか。
「さて、本当はもう一人いるんだけど今はいないから飛ばすとして、ラストは一年生なわけだけどー……まずはそこでふてくされたような顔をしているツンデレ美少年の菊井翼(きくい つばさ)サン」
「誰がツンデレだ!」
 噛み付かんばかりの勢いで後ろ側に座っていた少年が立ち上がる。背は低いとも高いとも言いがたいがどちらかといえば繊細で極端に筋肉質ではなく、締まった容姿に癖のない黒髪、紀美子のような青白さとも違う透き通るように綺麗な白い肌――なるほど、美少年と呼ぶのもあながちズレてはいない。
「先輩、その言い方やめてくださいって俺何度も言ってますよね!?」
「まあまあ翼サンも落ち着いて」
「先輩が変なこと言わなきゃ落ち着けるんですっ」
「翼サンのい・け・ず」
「ふざけてるんですか、喧嘩売ってるんですか……!」
「まあまあ、本当に聞いてって。頼りにしてるんだから」
「な……」
 どうどう、とたしなめられた翼が言葉に詰まる。頼りにしているという言葉が効いたのか、若干目のきつさが和らいだ。それでもどこか納得いかないらしく唸り声を上げそうな勢いで梨奈のことをじっと見ている。しかし梨奈は全く堪えた様子もなく、むしろあっけらかんとした笑顔で彼の肩をポンポンと軽く叩いた。ついでに調子に乗ってウインク付き。
「少しとはいえ先に入ってるわけだし、もし困ったことがあったら助けてあげてね。ほら、卑弥呼サンも同じ一年生同士の方が何かと気楽かもしれないし」
「よろしくですぞ」
 それは一理あるかもしれないので紀美子も素直に頭を下げると、そこでようやく翼の瞳がこちらを向いた。ムキになったことに対してバツが悪いのだろうか、彼はすぐに目を逸らし頬をかいた。
「ああ、まあ……。せっかく入部したんだしな、何かあったら言えよ」
「ありがとうですぞ」
「べ、別にお前のためじゃねーし! 頼まれたから仕方なくなんだからな!」
「……そうなのですかぞ」
「いや、で、でも別に嫌だってわけでもないからな!?」
 ……ツンデレですぞ。
「はいはい仲良くねー。最後に千葉七海(ちば ななみ)サン」
 もうすっかり慣れた回転。これでようやく最後かと紀美子も若干ホッとする。
 視線の先にいたのは、部室の隅で大きな灰色の猫のぬいぐるみを両腕で抱えた少女だった。顔をほとんどメタボのようなぬいぐるみに押し付けながらこちらを上目で窺ってくる。いや、厳密には紀美子の視線とは少々ズレているような……
「……いる」
 ――。
 ぼそりとした呟きは、部室内に冷え冷えとした空気を運び込んだ。むしろ放り投げたと言ってもいい勢いだった。
「い、いるって……、それは確かか?」
 何が、とは誰も聞かない。
 強張った正志の質問に、彼女はコクリと一度頷くだけ。表情は全くと言っていいほど変わらない。
 反対に正志は思い切り顔を引きつらせた。有栖は顔をしかめて両腕をさすり、桃子は適当な方を向いてガンをつけ、薫は短い悲鳴を上げて弘明にすがりつき、翼はげんなりとした表情で額に手をつく。思い思いの反応が連鎖し合ってどこかぎこちなくも生ぬるい風が吹き抜け――。
「ねね、それって紳士系? ヤンチャ系? それとも俺様系っ?」
「……女の人……」
「なんだぁ~……」
 なんだぁって。
 肩を落とした梨奈はいつの間にやら握り締めていたケータイをあっさりと手放した。どれかに該当していたら写メを撮るつもりだったのだろうか。撮ってどうするつもりだったのだろうか。
「あ、説明が遅れちゃったね。えっと七海サンはご覧の通り無口で無表情な霊感少女でございます。害はないから大丈夫、むしろ占ってもらえたりするかも?」
 特に占いに興味があるわけではなかったが、本人を前にしてわざわざ言うことでもない。紀美子はとりあえず頭を下げた。
「よろしくですぞ……」
「……」
 コクリ。やはり返ってくるのは無表情な頷きだけ。いや、ぬいぐるみの手をわずかに上げてみせていたようだからもしかすると歓迎されているのだろうか。分からない。
「……」
「……」

「すいません遅れちゃいましたー!」
 ガラリと扉が開き、場違いなほど呑気な声が部室内に響いた。それを契機に他のみんなもまた思い思いに動き始める。もう今の不思議な時間は過ぎ去ったことになったらしい。
 仁王立ちで彼を出迎えたのは当然ながら部長の正志だ。
「大間! もう新入生も来てるんだぞ」
「いやあ、はは、本当にごめんなさい。遼ちゃんにちょっかいかけてたら吹っ飛ばされて意識もついでに飛んでました。気づいたら掃除終わってるし他の奴らは掃除サボんなよって俺を責めるし俺泣きそう。部長、慰めてください」
「お前の場合は自業自得なことが多いだろうが……」
「というより遅れた罰として吹っ飛ばされて攻められた辺りの詳細を詳しく」
「梨奈ちゃん違う、なんか今の違う」
「うん、なんかもう岳大サンって素でバイいけそうだよね」
「素でそんなこと言わないでほしかったというか不本意であります隊長」
「だって言葉攻めとかすっごい得意そうだもの」
「むしろ今俺が梨奈ちゃんに言葉攻められてるよね?」
「あら……受けがお望み?」
「ええええ」
「そうよね、岳大サンってツッコまれるのが好きなんだもんね」
「梨奈ちゃんが言うとなぜだか卑猥!」
「失礼な」
「そもそも俺優しいって。紳士ですのに。こんなにも紳士ですのに」
「ははっ。ワロスワロス」
「傷つく!」
 とたんに騒がしくなる部室内だが、他の面々は慣れた様子で聞き流している。ここにいる限り必要なスキルらしい。
 残念ながらそのスキルはまだ完璧には身についていなかったのでボーゼンとしていると、ばっちり岳大と目が合った。ニパッと擬音がついてもおかしくない勢いで彼が笑う。
「おおっ、紀美子ちゃん。演劇部に入ってくれたんだ。いやはやお兄さんってば感激であります」
「何だ大間、お前の知り合いか」
「ていうか俺が誘い込んじゃいましたみたいな? 偉いでしょ? 褒めてくれちゃってもいいんですよ部長」
「……どうりで濃いと思った」
「何ですかそれ、部長まで俺を色物みたいに」
 ジト目になる岳大に、正志は仏頂面。紀美子はしばらくぼんやりしていた。瞬く。
 ――ああ、
「モロモロさんですぞ」
 あの被り物をしていなかったのですぐには結びつかなかった。
「紀美子ちゃん……今日は被り物ないのに。一応俺にも大間岳大という名前があるわけだからそっちで呼んでもらえるとお兄さん嬉しくてむせび泣いちゃうんだけどなぁ」
「大間産」
「魚から離れてない!?」
 がびんと奇妙な擬音を口走って飛び上がる岳大だが、着地の時点ではあっさり元の表情に。
「まあいいや。俺は大道具担当の大間岳大です、改めてよろしくねー」

「てかタケノコ、被り物放置してんじゃねぇぞコラ」
「え、どしたの急に。桃子ちゃん荒れてませんこと? 彼氏と喧嘩?」
「ちげぇよど阿呆!」
「岳大先輩が雑なだけです、来たら床が埃まみれでしたよ」
「翼ちゃんまで冷たい!」
「ちゃんって言うなぁ!」
「ちょ、翼ちゃんストップ、ストップ! 先輩に手を上げるのはどうなんざましょ!」
「……」
「七海ちゃん俺なら仕方ないってひどくない!?」
「うん、でも岳大くんだもんなぁ……ボクもちょっとフォローできないかも……」
「薫ちゃん見捨てないでぇ!」
「まあ岳大の場合は明らかに自業自得よね」
「同感ですねぇ」
「先輩たちまで! こんな可愛い後輩を見捨てるなんて鬼ですか! この鬼畜っ、外道っ! 俺泣いちゃう!」
「ああもう、お前ら一旦黙れっ!! ここは幼稚園か!!」

「なんかすごく脱線しちゃったけど」
 ――かなりの喧騒の中、どの口が言うのかという台詞をあっさり言ってのけた梨奈は悪びれなく笑顔を取り繕った。
「岳大サンに勧誘されたんですっけ? 卑弥呼さんはそれで入ろうと思ったの?」
 再びの質問に紀美子は一時(いっとき)考える。
「……紀美子は世界を壊したかったのですぞ。だから入ったのですぞ」
「ふうん……?」
 不思議そうに首を傾げる梨奈だが、紀美子は自分が間違っているとは思わなかった。今こうしている瞬間にもより強く確信を得たと言ってもいい。
 ここならきっと、様々な世界を壊してくれる。紀美子の常識から何まで覆してしまうことだって不可能ではない。
 全てがむちゃくちゃで、めちゃくちゃで、はちゃめちゃで。
「それに……」
 紀美子はちらりと岳大を見た。相変わらず大勢にどやされているが本人はむしろ楽しそうというか、全く堪えた様子がない。
 ――まあ、少なくとも、だってここは。
「もし間違った壊し方をしてしまっても、何とかしてくれそうな気がしたんですぞ」
 魚が空を泳ぐくらいには、何でもありの世界なのだ。

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