幽霊部員は皆勤賞 作者:あずさ
がらりと耳障りな音を立てて部室に入ると埃っぽさが際立った。まだ誰もいない。――部屋の隅にぽつんと佇む彼しか、いない。
こちらに気付いた彼は小さな微笑みと共に手を振ってくる。
「早いね」
「……ん」
彼の微笑み以上に小さなうなずきを返し、わたしは大きな猫のぬいぐるみを思い切り抱きしめた。
「あなたも、いつも早い」
「うん、ずっといるからね」
「……飽きない?」
「まさか」
嘘もやましさも感じさせないほど潔い答え。
普段はおどおどと気弱な様子なのに、こういう時だけは妙に力強い。
ああ、彼は本当に演劇が好きなんだな、なんて。わたしは当たり前のことを改めて感じてしまう。
――この穏やかな時間が、わたしは好きだ。
見えなくていいものが見えて、それを不気味がられて、いつも煙たがられていたわたし。
だから「見えなくていいもの」はわたしにとって邪魔なもので、いつも見えない振り、聞こえない振りを繰り返していた。時には生きている人間か死んでいる人間かも判断がつかなくて、全てを無視しようとしていたときさえあった。
だけど、わたしが偶然部室の前を通りかかったとき、彼はただ穏やかに演劇部を見つめていて。
その優しい眼差しに思わず足を止めていたわたしに向かって、彼はふわりと笑いかけ、
「ねえ。君は演劇、好き?」
……そう、尋ねてきたのだった。
そのときのわたしは、演劇なんて全然分からなかった。興味もなかった。
だけど彼の眼差しの先にあるものには興味が引かれて……気付けば、自分でも驚くほどの早さで演劇部に入部していた。
「もうすぐ夏休みだね。夏休みも練習、あるのかな」
「……ん」
「いいなあ」
彼の言葉には切ない響きが混じって溶けていた。
ちりん、と不恰好に取り付けられていた風鈴が揺れて空気を震わす。耳を澄ませていれば、グランドから聞こえる威勢のいい掛け声、吹奏楽の演奏、それらに我関せずと言わんばかりの蝉の声。
「ねえ、千葉さん」
声を掛けられ、わたしは言葉もなく顔を向ける。彼はほんの少しばかり眉を下げた。
「僕が無理矢理誘っちゃったみたいで少し申し訳ないかな、なんて思ったりもしたんだけど……」
そこまで言い、彼はまたふわりと笑う。
「部活、楽しい?」
「……」
「人外魔境」呼ばわりされるほどの偏屈が集まった巣窟。
変な先輩たちに、変な同級生たち。
わたしが「幽霊がいる」と言えば、怯えたり、ガンを飛ばしたり、中には写真を撮ろうとする人までいる部員たち。
だけど……わたしの言葉を疑う人は、いない。
「……ん」
わたしが小さくうなずくと、なぜか彼は、わたしよりよっぽど楽しげに笑ってみせた。
「あ」
ふいに部室のドアが開き、誰かが中に入ってくる。千葉さん、と声を掛けてきたのは部員の相川奈々だった。
「アーニャ」
「早いですね。あ、夏休みの予定、聞きましたか?」
「ん……」
曖昧にうなずき窓の外に目を向ける。
ちりん、ちりん。蒸し暑くなっている部室には似合わない涼しげな音。
ぼんやり見ているわたしにアーニャは首を傾げてみせた。だけどそれも少しの間で、アーニャはパッと顔を上げる。それから優しく微笑んでみせた。
「――そうだ。部活が始まる前に、少し部屋を整理してしまいましょうか」
「ん」
賛成。その意味を込めてわたしは抱えていた猫のぬいぐるみの片手を上げる。
それを見ていた彼がクスクスと笑い、「頑張って」と声をかけてきた。優しく細められた目を見つめ、わたしは黙ってうなずきを返す。
――それが、わたしの日常。
わたしの部には幽霊部員がいる。
少しおどおどした、だけど眼差しがとても優しい男の子。
彼は本当に演劇が好きなようで、演劇部が休みの日でさえ一人静かに部室にいる。もう十年以上、皆勤賞だ。
真剣な表情でわたしたちの練習を眺めている彼を見ると、わたしはいつも思わずにはいられない。
ああ……わたし以外にも、見えればいいのに。