シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

~Ⅰ~

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kiryugaya

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 黄色い街灯に群がる羽虫だけが動く、灰色の古ぼけたビルディングの林。六道区にあるひとつの雑居ビルの目立たない入り口から、地下へと通じる階段を下る。深い紺の宵の静寂は、コンクリートをそのまま固めただけの階段が鳴らすコツコツという音をより強調する。終わりにあるのは、この場に不釣合いな年代を感じさせる重厚な木の扉と、これも同じ材質で出来た看板のふたつ。月とヤドリギのレリーフが掘り込まれた看板は、遠方より訪れた客にこの先についての説明をするのが仕事。
 曰く、「BAR 下弦の月」。

「いらゅしゃいませ」
 店に入って扉を閉めた時に、やけにがっしりとした体躯の初老のバーテンからの挨拶が聞こえた。
 内は、明るすぎず、ほどよく暗い。とても古い洋楽が流れて、落ち着いた雰囲気。カウンターのバックには、洋酒・日本酒関係なく無節操に、しかしこれでもかというほどに並べられている。
 カウンター席に二人、若い男女が飲んだくれているだけで、他には客はいない。どうやら女の方が先輩で、男は愚痴をこぼし続ける先輩の相手をしているらしい。
 まぁ、関係のないことだ。
 私は皮の外套を上着かけに引っ掛けて、その二人から一つ離れたカウンター席に座って背中のバックパックを降ろした。
「…お客さん、ここはBARです。未成年に売る酒はありませんよ。」
 細い目に浮かべたにこやかな笑みを崩さないままに、一応といった態度で水を置くバーテン。
 失礼な。私はこれでも二十一だ。
 男は日本という閉鎖的な性質のある国には珍しく、銀髪に青い眼という異国の若者が些か古めかしい格好で現れたということに対しては、何も感じていないらしい。この国では極めて珍しい経験である。
「それは失礼を。何にしますか?」
 そうだな…では、ここ一帯に出没する怪異について、処理の仕事を何か一つ。
 グラスを拭く手が、一瞬停滞する。バーテンの細い目が、更に細まる。
「いや、なんのことやら…」
 とぼけないでもらいたい。ここが怪異を処理する仕事の斡旋所であることは知っている。
「…その話はどこから?」
 作業は先ほどまでと同じようにこなしつつ、今の天気を尋ねるように口を開く。だが、口調はいままでの穏健な老人のそれとは違い、老獪な練達者のそれへと変貌していた。
 真霧間源鎧とかいう知り合いから教えてもらったと、私の師匠から聞いたのを思い出したのだ。
 もっとも、ここへ来たのはこの市の妙な空気に引き寄せられたからだが…
「ほう、源鎧のな…。お前の名は?」
 スノリ・ヴェランド。
「…あの一辺倒のウルドの弟子か…」
 一辺倒とは?
「ウルドがお前くらいの若造のころ、この地で源鎧と霊子について研究をしていた。そのとき、ウルドは「フォッグ・バレー」というカクテルしか飲まなかったから、そう呼ばれていたよ。」
 …なるほど。よく「あれが飲みたい」と呟いていた謎がようやく解けた。
「閑話休題だ。仕事の話に戻るが、お前の実力の程は?」
 向けられるのは、私情の一切混じらない、商品を値踏みする目。
 正直、今の私にはそれが苦しい。それを確かめるために来たのだから。
 文字通りに刺さるような視線を前に、やっと言葉を紡ぐ。
 基礎は一通り習得したが、実際に怪現象の解決などを行ったことはない。
「…そうか。」
 その場にしゃがみこんだバーテンは、こちらからは見えない位置から、黒地に看板と同じレリーフの刻印された封筒を取り出した。そこには小さく四桁ほどのナンバーとおそらく報酬である「十万円」というメモがあるだけで、他には何も書かれていない。
「ここでは、最初の仕事は私が割り振ることになっている。内容は、請けるのでなければ見せられない。
…スノリ。請けるか否か、この場で答えてもらおう。」
 もちろん、私は迷わない。
 彼の手からひったくるように封筒を受け取り、バックパックの中へと押し込んだ。
 ふぅ、異国の斡旋所で仕事を得られるかは心配だったが、なんとかなったようだ…
「よっ、難しい話は終わった?」
 …!!??
 いきなり首筋に腕を絡め、耳元にとてつもなく酒臭い息を吹きかけながら声をかけてきたのは、先ほどから隣で後輩に愚痴を言い続けていた女。
 な、何なんだいきなり!
「何なんだって、つれないねぇ。あらとが酔いつぶれちゃって暇だから、長くて綺麗な銀髪のお隣さんと一緒に飲みたいなぁって。」
「『河童の溺れ水』の一升瓶を空にして酔いつぶれない人間なんてあなただけですよ、キリコ。」
 バーテンとしての柔和な表情に戻った彼をも呆れさせるとは、日ごろからタチが悪いのだろう、この酔っ払いは。
 用は既に済んだことだし、できれば早々に帰って準備をしたいところなのだが、逃がさないように首に両手を巻きつけられてはそうもいかない。
 仕方ない、少しでかまわないなら付き合おう。
「…言ったね。」
 …言ったが。
 ところで、このキリコという女が首に巻きつけた左腕を更にしっかりロックして、右手で「付喪神百年午睡」とラベルの貼られた一升瓶を握っていることについて、私は不吉な予感以外のものを全く感じられないのだが。
「よーし、あなたも遠慮せずに飲みなさーい!!!」
 こら、まて、何をする、やめろ、瓶を口に突っ込むな、やめ…

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