宵は黒く、霧は白く世界を飲み込むが、人間の喧騒はそれすらも追い払う。夜にも関わらず、いや夜故の活気なのだろうか。闇夜に咲くネオンサインという極彩色の花弁に群がる人の群れ。
薄っすらと乳白色の霧が辺りを覆っているが、慣れているのか誰もそれを気に留める様子はない。
その中を、布に包んだ道具を杖代わりにして、私はなんとか歩いている。
日ごろからあまり酒を飲まない、せいぜいワインを少し嗜む程度の私は、生活において二日酔いというものには縁がない。しかし、今日という日はその縁がない二日酔いに、嫌になるほどつきまとわれていた。
それもこれも、全てあの酔っ払い女のせいだ。
思い出しただけで頭がガンガンする。今日だけで、一体何度水路に落ちそうになったことか。
幻覚であろうが、こともあろうに亀にまで危ないと注意された。
ああ、地面がだんだん近くなって&
「っと。」
倒れかけた私の体を支えてくれたのは、長い黒髪のどことなく神秘的な空気を漂わせる、キリッとした美女。
「よっぽど参っているようですね。」
全くだ。
憮然として答える私に、なぜか笑う女。
この女と行動する理由を語るには、数時間ほど前まで記憶の糸を手繰らねばなるまい。
昨日バーテンに渡された封筒の中にあったもの。
それは、処理する仕事の内容だけが記された一枚の紙と、チャイナカフェのマッチ。
仕事の内容はともかくとして、マッチは何の意味があるのか。
私は疑問の答えも出せないまま、マッチに書かれた地図を辿ってそのチャイナカフェへと向かった。仕事を請け負った次の日&今日の日も暮れそうなころのこと。
そこでは、なんとも簡単なことに、答えの方からこちらへやって来たのだった。
「あなたが、仕事を請け負われた方でしょうか?」
店の奥の席から現れた女は、痛む頭でとりあえず信陽毛尖を注文した私と同じテーブル席に座って、茉莉茶頼んだ。
Miss.テリアス、と女は名乗った。
曰く、タロットを専門とした、占師らしい。
依頼人を名乗るこの女は、カップを片手に事件の概要を説明した。
最初は、定期的に訪れる常連が姿を見せなくなったことから始まったらしい。以前の占いで怪我や病気の相は出ていなかったが、時に行方不明者すら出るこの地では、人間一人が故なく行動を変えたところでそれほど珍しい問題ではないとそれほど気にしていなかった。
しかし、それが占いの客の中から二人、三人と出ては話は別。
テリアスの独自の調査によれば、その怪異は「霊子濃度の高い者」&言うなれば、霊的な現象に接触した者を狙う傾向にあるらしい。今の世に珍しい本物である女の占いは、霊子に対し確実に影響を及ぼし、そして怪異を招く。
このままでは、「占いに行った人は行方不明になる」などという迷惑極まりない噂が出る日もそう遠くない。そんなものをのさばらせては、商売上がったり。
要約すると、こういった内容のことを語った。
そしてカップの底に残った茶を飲み干し、勘定を済ませたテリアスは、怪異への道案内を申し出たのだ。
「何度も言いますが、私ができるのは案内だけです。この不思議は、私の知る方法では対応できない類のもの。そのために、貴方にお願いしたのですからね。」
もちろん、重々にわかっている。
肩を借りるという無様な状態のまま、出来る限り神妙に頷く。
「初仕事だからって、そんなに緊張することはないですよ。誰にでも、最初はあるんですから。」
&!?
私に関しては何も説明してないはずだが、なぜ初仕事と分かった?
「あら、すいません。仕事柄ヒトを見ることが多いので、占わなくてもそういうことはなんとなく分かるんです。」
&
&その通りだ、私は今まで一人で怪異の処理を行った経験がない。
加えて言えば、師匠の下で学んだ技術もまだ完全でない。道も中途の、未熟もいいところ。
「よければあなたが日本にまで来た理由、話していただけませんか?話せば楽になることもあります。」
依頼人とはいえ、そのような点まで干渉される謂れはない。敵意で鋭利に練磨した眼光をテリアスへ向ける。黒曜石のように底知れぬ深い黒の眼とが、数分か、数秒か、交錯する。
&まぁ、いい。
結局の所。折れたのは、私。
こういう押しの弱さも未熟故かと思う。
ただ歩くのも退屈だからな。
「はい、ありがとうございます」
やはり微笑みを絶やさないテリアス。
むしろ、私は完全にこの女に圧倒されているのだろう。まるで母親を相手にしているような気にさせられる。
ともあれ、私はぽつぽつと語りだした。
あれは、一ヶ月ほど前の事。
私は幼少より師匠ウルドの下で技術の修行を重ねており、既に様々な技術を習得していた。
とは言うもまだ会得したことは基礎のみであり、勿論師匠には遠く及ばない。完成には、まだまだ数十年の修練を必要とする。
しかし、師匠は仰った。
『今の内に身の程を知ってこい』
その一言で、私は旅路へ就くことになった。幾つかの国を渡ったが、仕事を見つける事すらできない自分を見せられるばかり。『一年は世界を回れ』との言葉に帰る訳にもいかない私は、僅かな蓄えを食い潰しながら、気がつけば霊子の流れに導かれてこの市へと訪れていた。
後は、ここが師匠の話に聞いた市だと思い出し、師匠のコネを使っていた。それだけ。
私は、自分の力では、何一つ行ってはいないのだ&
この二日酔いは自分でなんとかするにしても、私が怪異を相手にできるのか&?
こんな、私が&
&っ、やかましい、カエルの丸焼きなんて妙なものいらん!全く、人が思案している時に!試食もいらんからとっとと失せろ!
「あらあら、案外元気そうですね。」
悪戯っぽい微笑を浮かべるテリアスを恨めしげにねめつけ、しつこく試食を勧めてくる若いアルバイト少女を追い払い、小さな脇道に入った。
&ふと。
一つ角を曲がったそこには、人気というものが一切感じられなかった。ひとつ道をそれただけのはずが、まるで異界に入り込んだような印象を与える。いつの間にか異様に濃くなり視界を遮る霧も、そういった印象をより強調していた。路上を照らす街灯の黄の光も、とろけるように白い。
濃霧、人通りのない通路、これは&
「大丈夫ですよ、スノリさん。あなたなら。」
既に姿の見えないテリアスの声が切れた、ちょうどその時。
奇妙な笑い声が、響き渡った。
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