シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

ドッペルゲンガー

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ドッペルゲンガー 作者:弥月未知夜

「聞いてよー」
 敦子がそう言ったのは、大根と水菜のしゃきしゃきサラダが来た直後だった。
 サラダにはオリジナルらしい塩こしょうがよく効いたドレッシングがかかっていて、上にポテトチップスが散らされている。実においしそうだ。
「なに?」
 サラダを取り分けながら私は問い返した。
「今日昼にね。私、倉庫の前で荷物整理をしていたの」
「うん」
 我ながら見事な分けっぷり。元の大皿と同じように小皿に盛れたことに満足感を覚えながら、私は箸を手に取った。
「そしたら、本田くんが奥からやってきてさ」
「うん」
 軽く相づちをしながら、サラダを口にする。「CRY.CRY.CRY.」の料理は絶品。今日もいい仕事をしている。
 敦子も箸に手を伸ばしているけど、まだ食べる気はないみたいだった。
 本田というのは、敦子の職場――市役所経済観光局の同僚だ。会ったことはないけど名前は知っている。敦子がよく口にする名前だから。
 部署は違うけど同期で、同期メンバーで時折飲み会をしたりするらしい。その後で会うと必ず一番に「本田君がこうだったの」と始まるんだから覚えないわけがない。
 ぼうっとしているところのある敦子だから、自分では気付いてるのか気付いてないのかわからないけど、敦子が本田とやらを好きなのは間違いない。
「――で?」
 サラダを箸でつつくだけで食べないのはどうかと思うけど。文句を飲み込んで、私は先を促した。敦子の話を聞く限りでは、向こうも敦子のことが好きだと思うのよねー。
「今から外回りだって言うのよ。行ってらっしゃーいって声かけてね。荷物整理を続けてたわけ。そしたらさあ」
 敦子はぴたりと言葉を止めて、ついでに箸も止めた。上目遣いに私を見上げる顔は、何故か真剣そのもの。
「また、奥から本田くんがやってきたの」
 そして、潜めた声で彼女は続けた。私はその言葉に驚いて、ついでにサラダが気管に入りそうになった。
「大丈夫?」
「いや、それ聞きたいのはこっち&&白昼夢でも見た?」
 心配そうに聞いてくる敦子に、ごほごほむせながら私は答える。
「思わず頬をつねったら、痛くって。本田はまた今から外回りだって言って、普通に出て行くの。もうね、頭が混乱して」
 敦子は怪談が苦手だ。どれだけ苦手かというと、怖い話が始まったら部屋の隅に一目散にかけていって、両手で耳を塞いで聞こえないように大声で歌い出すくらい。
 我らが霧生ヶ谷市には不思議な噂が数多く、現在進行形でまことしやかに語られたりするんだけど。恋愛成就の神様のように明るい噂ならにこにことしている敦子だけど、側溝どくろとかの話が出たらアウト。
 耳を塞いで歌えば何も聞こえない、そう言い張っていつも聞かないようにしている。そりゃあ確かにそうだろうけど、その場の雰囲気ぶちこわし。最初は何事かって思ったものだった。
 その敦子が怪談めいた奇妙なことを口にすること自体が信じられない。
「で、どうしたの?」
 でもその割に、敦子はそんなに怖がってはいない様子なんだけど。不思議に思う私に向けてこくりとうなずいてから、敦子は情けない顔になった。
「あれはドッペルゲンガーだったのかなーなんて思って怖くってさあ。頭ん中でぐるぐる考えながら片付けを終わらせて席に帰ってそのまま仕事してたのね。そしたらさー」
 はあっと憂鬱そうなため息が一つ。
「本田くんが帰ってきたのね」
「うん」
「暗い顔してるなーなんて言ってきて。それからなんて言ったと思う?」
「さあ」
 敦子はまたぐちゃぐちゃと箸でサラダをかき回した。
「びっくりしたかって聞いてきたの!」
「びっくり?」
「ちょっとホラーな体験だったろって」
 ひーどーいーでーしょー。
 間延びした声で敦子はぼやいた。テーブルに突っ伏しかけて、慌ててそれをやめたのは賢明だった。危うくサラダに顔を突っ込むところだったから。
 それでもドレッシングが前髪に付いたものだから、慌てて敦子はおしぼりでぬぐっている。
「ホラーな体験って、どういうこと?」
 一度目の前を通り過ぎた男が、再び奥から現れた。それが人為的なものだとするなら、答えはそう難しくない気はするけど。
「だってねえ」
 若鶏のトマト煮込みを運んできた店員さんに何故か「ありがとうございます」とご丁寧に頭を下げた後、敦子が語ったのは大体予想通りの言葉。
 本田は一度敦子の目の前を通り過ぎて一度階段を下り、階下で奥の階段に向かってもう一度上がって、再び敦子の前を通ったんだと。何のためにって、敦子をからかうためによ。
 いい大人が何やってるんだ。中身は子供なのか本田っ。いやそれよりも、仕事中にそんな馬鹿なことするなよ公務員!
「私が怖いの知ってて、怖がらせようとするんだから。ひどくない?」
「そうねえ」
 いつか本田とやらに会ったら市民の血税を無駄にするなと絶対言ってやる。そう心に誓いつつ適当に同意して、私は鶏肉に手を伸ばす。冷えるまでに食べないともったいない。
 あー、それにしても好きな子をからかうなんて、お子様レベルじゃないのさ。いや、実際本田がどう思ってるかなんて会ったことないんだからわからないけど。いいとこついてるんじゃないかなー。
 それなのに敦子は真剣な顔つきで「もしかして私本田くんに嫌われたのかなあ」なんて呟いてる。
「単純にびっくりさせたかっただけじゃない?」
「そうかなー」
「そう、そう」
 いつまでもぐじぐじ悩まれても楽しくない。私は軽くフォローを入れる。
「嫌いな人にわざわざ声をかけるほど、暇じゃないでしょ」
「んー。そうだけど。そうかなあ」
「そうに決まってるって」
 重ねて言ってみせると敦子は納得したようにうなずいて、ようやく存在を思い出したかのようにサラダを口に運び始めた。

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