シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

夢魔の食卓2

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匿名ユーザー

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 霧生ヶ谷六道区の安ホテルに電話が鳴り響いた。
  Yシャツにスラックス姿の小島は煙草片手に受話器を取る。聞こえてくるのは数年来の相棒の声だ。
「黒瀬です。報告は読ませていただきました」
  小島が情報収集役ならば、黒瀬はそれを判断するブレインだ。
  黒瀬から連絡が来たということは、調査対象の殺生与奪の決断が下されたということだ。
「それで、上のほうの結論はどうなってんだ?」
 できれば女子高生を手にかけるような事はしたくない。だが、彼らにはやらねばならない責務がある。一度首を突っ込んだら後戻りはできないのだ。
「小島さん。状況は深刻です」
 黒瀬の声は地の底から響くような陰鬱な響きがあった。
「それで?」
 小島はすでに灰になった煙草を諦め、2本目に火をつける。
 小島の脳裏にギロチンが落ちるイメージが浮かぶ。できればこの先の話は聞きたくない。
「私の出した決定は完全駆除です。説明が必要なようですね」
 黒瀬の声は憂鬱そうだったが、それでもゆるぎない意志があった。小島も自分には彼を説得する権限が無いと知っていた。
だが、小島には説明を聞く権利が、黒瀬には説明する義理があるという暗黙の了解があった。
「ああ、ぜひ伺いたいもんだな」
 中国産煙草ダブルハピネスのきつい煙を思い切り吸い込む。
 女子高生を皆殺しにする話など正気では聞いていられない。
「小島さん、あなたから頂いた資料を分析した結果、今回の敵はある種の薬物を経口摂取する事により感染するようです。感染すれば、人間でなくなるのですよ」
 黒瀬はすでに持ち直していた。収支決算を読み上げるように淡々と分析結果を述べていく。
「知ってるさ。人間を人間じゃあなくさせるってえのが敵の定義だからな」
 彼らの倒すべき敵とはそういうものだった。
ゾンビやヴァンパイアのような、同類を増やす怪物共。
ゾンビになって人生の諸問題を放棄したいのでなければ、そんな怪物の放置できるものではない。
「そうです。敵の手段は稚拙ですが、放置できません。彼女らが妊娠していたのはご存知ですね。カルテを拝見させていただきましたが、これは通常の妊娠ではありませんな。成長が早すぎます。おそらく生まれてくるのは人間ではありません」
「だってんなら保護すりゃいいだろうよ。生まれてくるのはともかく、産んだ奴らは三年も施設に入れりゃ毒気も取れるさ」
 小島にもそれがどういう意味か解る。
若き母親たちの命を奪わない代わりに子供を殺し、病院に閉じ込める。残るのは廃人の群と悲嘆する家族だ。
だが、小島は生きていればやり直せると思っていた。それが希望的観測という奴であったとしても。
「ですが、彼女らの進路の先には浄水場があるのですよ。彼女らが生成した薬品を水道に流す可能性がありますな。九頭身川第5浄水場からは数千世帯が水を供給されていますからね。これはもはやバイオテロとみなすべきかと思います」
 水道水の汚染。古典的な手口だがその放置は惨禍を巻き起こすだろう。薬品混じり水道水を供給される家庭の数だけの化物が霧生ヶ谷市をうろつきまわる事になる。下手をすれば市全体を封鎖しなければならない。もっとひどい場合は日本列島が化物の前線基地になるだろう。
「爆発的感染が起こるってえのか。本当に少しのチャンスも残ってねえのか?」
 彼らの任務の失敗がどのような結果を招くか小島もわかっていた。それでも小島は人殺しは恐ろしかったし、可能ならば人死は裂けたかった。だが黒瀬は今こそ非情にならねばならない時だと思っていた。
 その一方で、錯乱した女子高生を山ほどバスに詰め込んで、それをそのまま病院に放り込むだけで済むのならばそれに越した事はないという事は二人の共通見解だった。
「残念ながら、そのような猶予は無いかと存じます。今回の作戦の主旨は『生死を問わず可及的に対象を無力化せしめ、即時確保』となりますから、可能であれば保護ということになりますが、そのような余力があるとは思えませんね」
 可能であれば保護。それが黒瀬の提案する妥協点だった。小島はそれに反対する理由はもはやない。
「…そうだな。それで俺の扱いはどうなる?俺はあくまで調査が任務だ。集団相手に戦う力なんぞねえ」
 小島はそのへんのチンピラなら倒せるだろうが化物と戦う力など持っていない。
「無論、戦力は既にそちらに派遣されております。小島さんは彼のサポートに当たって下さい。場所は…」
 黒瀬が告げたのは式王子山地の一点だった。
「誰が出張ってきるんだ?」
「同胞の気配を感じました。単式戦闘型…ふむ、この方向性はカフォードさんですな。記憶を失う以前のあなたが彼に指導をしていましたね。今でも面識は何度かおありでしょう」
 怪物の出現を察知しそれを調査できる部下を持つ黒瀬の同胞、それは人ではない。
「ああ何度かな。あいつが来るってんなら早めにカタぁつけられるってもんだ」
「では、お任せいたします。神に笑いを」
 彼らの別れの挨拶決まり文句だ。黒瀬がこれ以上は何も話すことはないと小島は知った。
「悪魔に慈悲を」
 かくして、抹殺の司令は実行される。
 
 

 達哉は自らの部屋で壁の一点を睨んで寝ている。
 そして頭の中で小島の話をひたすらに反芻していた。その真偽を疑い、自らの体験と照らし合わせてみる。
 何度考えても、何日考えても、寝ても覚めても、結論はたった一つだった。手持ちの情報が少なすぎる。手がかりは二つだけだ。20年前に来たという狂った科学者、尚美に投与されたという薬。
 どれも曖昧で裏の取れない話ばかりだ。常識的に考えて信用するに足りない与太だろう。しかし自力で真相を解明するということもできない。ネットや図書館で調べてみたが、やはり何も解らない。そうして彼のロジックは何度も円環する。自分では何も解らない。何一つ打つ手が無い。小島の言うとおり、ただ指を咥えて待っているしかない。悔しかった。
 自分が無力であることをまざまざと見せ付けられ、ただ言うなりになるしかない自らの姿を見せ付けられた。
自分には何もできない。誰にも何一つ影響を与える事ができないような気すらしてくる。
 達哉はズタズタになった自尊心と無力感、焦りと憎しみの中でただ煩悶するだけだった。
 胎児のように丸まってひたすらに爪を噛み、体を掻き毟り、すすり泣き、ベッドから転げおち、壁を殴って自分の拳を痛めた。
そうして意味も無く幼児のようにだだをこねた後、ふと、床に転がったケータイを手にした。
 尚美がいなくなって数日は何度も電話をかけた。結果は嫌というほどわかっている。呼び出し音のオンパレード。いつまでたっても相手の出ない電話はど不毛なものもないだろう。
  だが、彼は飽きもせずに女々しく尚美とのメールを見たり、履歴を見たりしてみる。そこから託宣を得ようかとするように。
突如彼の頭に電光が走った。留守番電話。
 そうだ。その可能性がある。たとえ薬で頭がやられていたとしても最後の意識で誰かに電話をかけたかもしれない。それが自分であるということもひょっとしたらあるだろう。
 空しい妄想だと自分でも解っていたが、指先は逸る。

留守録…2件

 尚美からだ。その瞬間達哉は大当たりの文字と舞う紙吹雪を幻視さえした。
 一件は失踪の直前、もう一軒はごく最近だ。どちらも彼が疲れ果てて寝ている時にかけられていた。あの時起きていたなら!

 再生、一件目。

「達哉、少し長い旅行に行くけど、心配とかいらないから。悪いけど今は訳は言えない。別にさあ、誘拐とかそういう犯罪じゃないから。なんていうかさ、話せる時が来たら解るだろうから。じゃあね」
  達哉は崩れ落ちそうになった。なんでもいい。とにかく元気でいるならそれだけでよかった。
次の録音も聞かねばならない。悪い知らせかもしれないと思うと心が挫けそうになるが、自分は聞く義務があるはずだ。

再生、二件目。

「あ、もしもし達哉?もう少ししたら帰れそう。ひょっとして大騒ぎになってる?もう大げさなんだから。えーっとねぇ、やっぱり言わなきゃなあって思うのよ。私、お母さんになるの。やあね、もちろん達哉のに決まってるじゃない。ああ、難しい事は心配しないで。ちゃんとうまく行くようになってるんだから。そうねえ、達哉も見に来てよ。えーっと、ここなんて言うんだっけ。登紀子ー?ああ、ごめんね。式王子山第五浄水場だって。たぶん中を探したらいると思うから。待ってるね」
  嘘だ。尚美はこんな喋り方はしない。声は尚美だが、まるで別の女になってしまったみたいだ。尚美はもっとつっけんどんで、そこが可愛くて。
  いや違う。妊娠、俺が父親に?俺はどうすればいい、いやなんでこんな事に。
 待て。落ち着け。落ち着いて出迎えてやれと小島のおっさんも言っていた。
  みんな、って事は他のいなくなった子たちもいっしょって事だ。それにいくら母親になるからって言ったって変わりすぎだ。人間は数 週間でここまで変わるとは思えない。自分の短い人生を参考にして考えたらだが。
 小島は尚美は薬を盛られたと言っていた。殺し合いになるかも、とも言っていた。
殺しあう?誰とだ?解らない。謎の科学者か?それとも、いなくなった女たちか?
誰だか解らないが、そいつが尚美を変えちまった奴だ。
 だとしたら…まず俺は誰に何をしたい?尚美に会わなきゃならない。
いつ?できるだけ早く
どこに?式王子山第五浄水場。
なぜ?彼女を一目見たい。このまま待つなんて俺にはできない。
どうやって?たしか電車が近くまで伸びてたはずだ。
 決まりだ。何がどうなっているか解らないが、このまま待てない。多分尚美はもう助けなんていらないんだろう。でも、俺が父親になるというなら立ち会わなきゃならない。
 尚美が悪い薬だのいかれた奴だのに何かされてるっていうならば助けたい。素手じゃ駄目だ武器が要る。何が起こるかわからない。もし全てが悪い冗談で、もし本当はなんてことの無いサプイライズパーティーで、そこにはいつもの尚美がいて、少し大きくなったお腹をさすってるだけならそれはそれでいい。武器はそのへんのゴミ箱にでも捨ててしまおう。
「何がいいだろうな…やっぱ職質とかされても捕まらないような奴で、しかも威力のある奴じゃなきゃ駄目だよな…」
 達哉は血走った目で倉庫に向かっていった。

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