シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

夢魔の食卓4

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 敵が来る。あの死神の眷属共が。
 中田登紀子は自身の食の王国が崩壊に差しかかりつつ在る事を悟っていた。
 彼女は彼女の王国の玉座に鎮座してその時を待っている。
 国が滅びれば王も滅びる。それは彼女が受け入れるべき苦き杯だった。
 ほんの半年前までは普通の女子高生だったというのに、ずいぶんと遠い所まで来てしまった。
だが、自分を偽る事はできない。おそらくはずっと前から気づいていたのだ。
牛丼に混入された薬物など切欠にすぎない。ただそう生まれついてしまったというだけだ。
 自分はあらゆる栄光や発展、およそありとあらゆる高尚なものに興味が無くただ現状が満足であればいい人間だと言うことを。
 苦しみを避け、現状に満足する。
それはごく小市民的な発想だったが、栄光を放棄するということは裏を返せばそれに伴う試練や苦悩を放棄し、さらには成長する事すら放棄して意思のない動物に成り下がるという事になりうるのだ。
現状に満足するということは、満足できないような状況に陥ったら破滅するか、どんな状況になっても幸福と感じるような精神を獲得するとううことに他ならない。
他の可能性もあったろうが、彼女はそこまで行ってしまったのだ。

 彼女が、今のような「どんな状況でも幸福と感じる」という能力、食を通じて人を進化させる能力を得た時、彼女は夢を見た。
その夢には人々を怪物にしてその軍勢を率いる女神と、その怪物を容赦なく虐殺していく死神がいた。
その夢を見て彼女は直感した。自分はもう人でないのだと。自分は怪物の側で、いつか死神が来るということを。

 あるいは、それでも踏みとどまる道もあったかもしれない。
もっと人の役に立つ使い道もあったかもしれない。
だが彼女はここまで来てしまった。自分の信念のままいかな敵が待っていようが、果てに待つのが生ゴミと怪物の王国だろうが彼女はここまで来てしまったのだ。もはや取り返しのつかない所まで。

 事実、彼女を打ち倒しに来る者はもう近くまで来ている。彼女の仲間を、否、一族を殺し、今自分のいる宮殿へと入ってくるのが解る。
 その存在が匂いとして感じられる。冷たい、化学薬品のような死の匂い。
 おそらく相手もこちらの存在を感じ取っているだろう。
 だが彼女は悲観していない。今こそ試練の時だと解釈していた。
この死神を退けられるならば、もはや自分が止められる事はないだろうと直感が告げていた。
 生き残った同胞は少ないが、今からなら再興も可能だ。
いや、自分が精製した薬物を水道水に流すこの計画が成功すれば失った同胞とは比べ物にならないほど多くの同胞が手に入るだろう。
 彼女は今始めて試練に挑む気になった。
 自分は滅びるだろう。だが、ただで滅ぶ気はない。
「よお、これまた随分といい趣味だな。遊びが過ぎるぜお嬢さんよ」
 獣は死神と狩人に対面する。

 殺菌施設に入った小島らはその変貌ぶりに呆れ果てた。
もはや驚きもおぞましさもない。それを通り越してしまっている。
 リノリウムの床は血管と薄い表皮で覆われ、1mほどの大きさのイソギンチャクのようなものが生えている。
そしてそのイソギンチャクの触手の先には果実が実っている。それは卵だった。中にはお決まりのしっぽの生えたタツノオトシゴ状の胎児だ。
 足元は皮膚と血管の苔、周りを見ればばかでかいイソギンチャク。そしてそのイソギンチャクからは胎児の入った葡萄がふさふさと実っている。
 つまることろ、これらは全て人間だったものだ。快楽を追求していった人間の末路だ。
その証拠に肉でできた樹木には蠢く目玉だの痙攣する指だのが残っている。
皮膚の絨毯には髪の毛が房で残っている。
 悪趣味が過ぎる光景にはただ呆れ果てるしかなかった。
「小島さんあんたの意見を聞きたい。ここまで広がってしまっては倒せないんじゃないのか?」
 小島は自棄気味に煙草二本を同時に吸うと、昏い目で呟いた。
「まずだ。そこの悪趣味な人間ツリーは片っ端から潰しとけ。こういう所にゃ災害救助用の斧があるってぇ話だ。それで片付けるぞ。攻撃してくるってんなら銃で黙らせろ。あとここを灰にできるくらいのガソリンも用意しとけ駐車場の車から取れるだろうよ」
 一端喋りだすと止まらなかった。延々と効率的な殺戮のアイデアが浮かんでくる。聞くほうも話すほうも実に気分の悪い話だった。
「そうだな小島さんのその通りしよう、だがここに本体はいない気がするんだ。これは一種の植物のようなものみたいだ。ここの塩素やら殺菌剤やらを栄養にして毒を排出してるんだな。でもこれじゃあ量が足りないはずだ。それに、毒はここでは水道水に混ぜられないみたいだな。この足元の血管を通って別の場所に向かってる」
 彼らは話しながら斧を探し、見つけ、次々に人木を潰していった。
 小島はまたハートエイクナイトを怒鳴るように歌っている。
「じゃあその先が本体なんだろうよ。ガソリンは用意できたか?」
 カフォードの分身たちが引っ越し作業のようにポリタンクを次々に積み上げ、そこらじゅうに中身をぶちまける。
「ああ。今点火するのか?」
 そして彼らはさらに奥に進む。倒すべき本体、中田登紀子に会うために。
「いや、十分に気化してなきゃあ駄目だ。なにより奴らのご本尊ってえ奴をこの目で見なきゃ気がすまねえ」
「見えてきたみたいだな、今回のターゲットが」
 それはギーガーの書き上げた機械と同化する女性像に良く似ていた。
「ああ。思ったとおり、最低だ。こりゃ失礼、そんなに睨まねえでくれねえか。なあ」
 中田登紀子は細長いタンクを取り込み巨大な肉塊として成長し、四肢と下半身を埋もれさせて上半身だけのトルソとして彼らの前に現れた。ショートカットだった髪は長い長い波打つ黒髪、のたうつ触手と化している。メデューサのような魔性の美が静かに、だが鋭くカフォードと小島を見下ろしている。
「よお、これまた随分といい趣味だな。遊びが過ぎるぜお嬢さんよ」

 

「やっぱり来ちゃったのね、死神さん。でもあたし、あなたをただで帰す気も死ぬ気もないわ」
 触手をもつ巨大な肉の球体から上半身を生やした登紀子は来訪者に言い放った。
「遠慮はいらねえってか。OK、派手にやろうぜカフォードっ」
 カフォードが静かに肯いた。
「ああ」
 それが開戦の合図だった。
 鋭い刃を備えた触手が幾千と視界を覆いつくす。
 小島は短くリズムをつけて舌打ちをした。カフォードも舌打ちを返す。戦闘中に会話するためのモールスのような暗号だ。
それを会話にするとこうなる
『この攻撃には俺が牽制、手前が迎撃だ。後はプラン通りにやりゃあいい』
『あんたが先、俺が後だな。了解した』
 小島はコートの中から小さな箱を取り出し放り投げた。
 すさまじい光が部屋全体を覆う。
 続いて銃声。
 光が薄れると銃撃によって千切り落とされた触手と悠然と銃をリロードするカフォードがいた。
 そして頭に穴の開いた登紀子が。
小島が投げたのはフラッシュ機能を改造した使い捨てカメラだった。投げた本人は目くらましの隙にどこかに隠れたようだ。
「まだ死んでいないだろう。芝居は通じないぞ」
「バレちゃった?」
 登紀子の頭が殴られたように跳ね上げられ、傷がみるみるうちにふさがっていくのが見える。
登紀子の下半身である肉の塊が震え、膨れ上がり洪水のようにカフォードを飲み込もうとする。
 カフォードが6枚の青いカードを宙に放り投げた。
「第三種セキュリティ装備をW級セキュリティ権限により使用」
 カードの一枚は瞬間的に膨れ上がりカフォードと登紀子の間を隔てる巨大な壁ができる。肉の侵略はそこで止まり、空しく壁を引っかくのみだ。
 青い半透明のガラスのような壁だが、強度は水族館の水槽並だ。
 さらに残りのカードが登紀子の体を切り裂いて無理矢理壁を作る。
 カードはギロチンの刃として登紀子の体を五分割した。
しかし登紀子はまたしても再生を成し遂げる。プラナリアのように5分割された体に一つづつ上半身が生えているのだ。
さらに彼とカフォードを隔てる壁に皹が入り、崩れ始めている。
「私は負けない、負けるわけにはいかないの」
 登紀子は触手の数を増やし、体積を増大させ壁を破壊しようと全力を尽くす。
それは彼女にとっても命がけだった。事実分裂した5体のうち2体は過剰な負荷により自滅していた。
 それに対しカフォードは淡々と己もまた自分自身を傷つけるであろう戦いを選択する。
「一般兵装SI526K75を装備」
 太めの角材にトリガーをつけただけのような無骨な代物が彼の手に収まった。
 それは異形の銃だった。
 本来戦車に使う、人間に当たれば一発でミンチになる弾丸、12.7x99mm NATO弾一発を発射するためだけの拳銃だ。
 しかも彼はそれを二丁拳銃で撃とうとしている。
 まず反動で狙いがそれて当たらないだろうし、なにより暴発の危険すらある。腕の脱臼はおろか骨折の可能性もあるだろう。
 そんなものでダンプカー並の怪物と戦う。
 まさに狂気の沙汰である。
 結界が崩れ、肉の洪水が彼に押し寄せると同時に彼は引き金を引いた。
反動でカフォードの腕は大きくは跳ね上がり、手首から先が消失した。
「後は頼んだぞ、他の俺と、小島さん」
 弾丸は大きく狙いを外れ、登紀子の巨大な下腹に大穴を開けただけであった。
 カフォードは肉に飲まれてすり潰されて体中の骨が砕けて死んだ。
「まだ…まだ終わってなよね、残りも殺さなきゃ」
 その一瞬の安堵に異物が投げ込まれる。
 それは穴の開いた缶だった。缶はカフォードによって開けられた穴に入り込み、ゆっくりと沈んでいく。
「いいや、俺が誰も殺させないさ。手前はここで終わりだ。あいつは立派に仕事を成したってえ訳だ」
 小島の声が天井から届く。鎖分胴で天井にしがみつき今までずっと隠れていたのだ。
「わからない、けど何かされたのよね私。これで、終わり?」
 小島は天井を蹴って鎖を解き、天窓を突き破って外に脱出する。
「そいつはお前さんが体の中から吹っ飛ばされても生きてられるかにかかってるな。さあてショウタイムさ」
 カフォードの一撃によって開けられた穴は登紀子の肉体を抉るに留まらず、その下の塩素タンクにも穴を開けたのだ。缶は塩素タンクにゆっくりと沈み、沸騰する薬缶のように泡立ち、やがて爆発を引き起こした。
 小島はすでに近くの電灯に鎖を巻きつけて着地し、さらに爆発範囲から遠ざかっていく。
「次亜塩素酸カルシウム、要はさらし粉さ。混ぜるな危険てえ奴だ。火葬の手間が省けたな」
 塩素とさらし粉によって引き起こされた爆発は気化したガソリンに引火し、全てを炎で清めていく。
 爆発から逃れるために地面に伏せていた小島の前に車が止まった。
 中にいるのはカフォードだ。
「終わったみたいだな、小島さん。生き残った奴らはどうなるんだろうな、あの高校生たちは」
 彼は中田登紀子と相打った個体ではない。カフォードにとって死は意味を成さないのだ。
「どうにもなりゃしないさ。なべてこの世は何もなし、さ。チャンスがあれば日の下に出れるようになるかもな」
 小島はゆっくりと煙草に火をつける。
 今夜はたっぷりと紫煙を堪能できるだろう。

 霧生ヶ谷市九等身川第五浄水場が炎に包まれた数時間後、霧生ヶ谷市の海岸に一人の女がいた。
 白いコートに白いワンピース。黒髪が夜明けの風に揉まれている。
手に下げた籠にはバスケットボールのような球体が5つ6つ。
半透明で葡萄のような色をして、中には小さな人魚が眠っていた。
「やっぱりブランクがあると駄目ね。次はもっと手間隙掛けて作らなきゃいけないわ」
 その目線ははるか遠く、今は消防車によって鎮火されつつある浄水場を見ていた。
「でもまあ、それなりに面白いものはできたわね。さあ行きなさい。あなたたちはもう町じゃなくて海を目指すの。どうせもう人と関わる意味なんてないでしょう?私も標本は十分に採ったから養ってあげる理由もないし。運がよければなかよしさんが見つかるかもね、遠いインスマスの海で」
 彼女は砂浜から海に足をつけ、人魚の卵をそっと海に流した。
彼女はいつまでも浪にたゆたう卵を見つめ続ける。
ハイヌウェレ。万物の母の名にふさわしい目で。

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