シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

すこしふしぎ、始めました

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すこしふしぎ、始めました 作者:ちねさん



『すこしふしぎ、始めました』
 初夏の風にビラビラとはためくその貼り紙を、胡散臭げに眺める青年がいた。
 彼は疲れていた。遥かに年下の癖に横柄な上司は、副業にと励んだ彼の脚本を下品の一言で片付けた。お近付きになりたい女性にも冷たく電話を切られた。傷心を癒すべく一足早いランチに出てきて、彼は貼り紙に出会った。
 ビラビラとうるさい貼り紙の隅はまるで、『あんさん興味あんのやろ。来いや。食うてみいや。度胸試したるわ』と挑発してくるようだ。
 青年は改めて辺りを見回す。うどん屋ばかりのこの一帯で、ぽつねんと佇むそば屋。閑古鳥が鳴いているだけで、特に不審な点はない。木になるチョコレートを売ってる洋菓子屋だの、白ワニを養殖する所在不明な店だの、町に飛び交う怪しげな噂の対抗馬になれそうな雰囲気はない。
 ふと、初夏の直射日光より熱い視線を感じて振り返る。僅かに仰角だった青年の視線は、ぐぐっと降りて大幅な俯角になり少女の姿を捉えた。
 小学校高学年くらいの女の子が大きな瞳から猛烈な熱気のビームを発しており、貼り紙を焼き尽くさんばかりだ。青年は気圧されて思わずビームの軌跡から退いた。
「君……飢えてんの?」
 問えば、きょとんとした少女は瞬きの間に元気一杯の笑顔を咲かせた。
「はい!」
「有無を言わせぬ気迫……ま、いっか。おにーさん、可愛い子には優しくする主義なんだよね。ご馳走してあげる。『すこしふしぎ』、食べてみたいんでしょ?」



「おにいさん、何してる人? マッドサイエンス? マッドサイエンス?」
 青年が『すこしふしぎ』を二つ注文する間、少女は首をめぐらせて店内を熱心に観察していた。お眼鏡にかなったものは無かったらしく、対面の青年はようやくその興味のおこぼれにあずかった。
「……期待を裏切ってごめんね、普通の人だよ。便利屋。人手が足りないとか困ったことがあるとか、そんな時に手助けする仕事」
 ふーん、と少女は大きく頷く。
「じゃあ、この町に詳しいよね! 何か不思議、知ってる? ツアーできるような不思議!」
「ツアーねえ……冒険ってヤツね」
 うーん、と青年は頬杖をつく。
「俺は不思議を、気のせいだったってことにする立場だからなあ」
 少女は世紀の大犯罪を目撃したような顔をした。
「不思議をなくちしゃうのっ? だめ! そんなの、ぜーったいだめ!」
「だめって言うけど、例えばだよ? 君のだーいじなお友達が無邪気に不思議を追っかけてて、逆に危ない目に遭ったら心配するでしょ」
「怒る。ドキドキする」
 そのドキドキはワクワクと同義ですかと聞きたくなるのをこらえ、青年は難しい顔を作ってみせる。
「不思議も冒険も歓迎だよ。だけど危ない目に遭う人は少ない方がいいよね?」
「う……うん」
「よーし、いい子」
 小さい子の冒険心を下手に煽って怪我させたりした日には、青年の上司は笑顔で彼をモロモロの餌にするだろう。不思議は安全でいられて初めて不思議なのであって、危険が及べばその名は怪異に変わる。



 すこしふしぎ、お待ちどーう。と店員が運んできた皿を、青年と少女は揃って覗き込んだ。
 盛りソバに冷やし中華の具が載っていて、かけつゆが添えてある。
「……これが『すこしふしぎ』? まあ確かに不思議……っていうか変わってるけど」
 肩透かしを食らった気分で首を傾げる青年、その向かいでは少女が何やら熱いまなざしをカウンター席へ送り始めた。赤外線カメラに赤色で映りそうなその線をたどると、カウンターでは猫が前脚で器用にソバを掬っている。つるる、と噺家も顔負けのお手並みだ。
「あれが『すこしふしぎ』か?」
 微妙な不思議加減に眉を寄せつつ湯のみを手に取れば、茶柱が立っていた。飲み干しても立っていた。
「こいつは『すこしふしぎ』かも」
 窓の外を颯爽と歩き過ぎる白衣の女性が肩にチェンソーを担いでいる。その後ろをゴミ袋を抱えた若い男が『もう止めて下さいって言いましたよね』と息切らせながらついて行く。
「あれは『ひどくあわれ』だな」
 その背後の水路で巨大な、大学生サイズでマジョーラカラーの蛙が悲しげに啼きながら跳ねている。それを大口開けた白ワニが、五寸釘の刺さったまま背面ジャンプで追う。さらにそれを穏やかで人あたりのよさそうな老人が、ふぉふぉふぉと高笑いで追う。その手には水かきがついている。
「もうちょっと可愛いUMAがいい……」
 虚ろな目で呟く青年と対照的に、少女はきらきらと輝く瞳で猫観察を続けていた。箸は動かず唇はぽけっと半開きで、皿の上の『すこしふしぎ』はすっかり忘れられている。
「……こういう子がいるから、不思議は不思議のままにしとかないとね」
「えっ? おにいさん、何て言ったの?」
 ううん、と青年は笑って首を振る。



 のびきってしまった『すこしふしぎ』を女の子は頑張って完食した。
 会計に向かいながら青年は呟く。
「夏はおかしなモンが見えやすいからな。アンチ霊子目薬っていいかもな……」
「はい毎度ー。おつり四千円、ちょいと待って」
 少女はレジ脇のお土産コーナーに積まれた『モロ出汁巻き』が気になるようだが、青年はさり気なく商品名のカードを伏せた。
「ビタミンE配合にしよ。そうだ疲れてるからあんなモンが見えるんだ」
 釣りの千円札を一、二と数えていた店員が聞きとがめて指を出す。
「お客さん、これ何本に見える?」
「四本。良かった、水かきついてないね」
 あっはっは、まだ大丈夫っすよお客さん、またどうぞと笑いながら店員は釣りを渡して送り出してくれた。
「おにいさん、ありがとう」
 初夏の風にビラビラとはためく貼り紙の前で、少女がぺこりと頭を下げる。
「どういたしまして。不思議ツアー、楽しんでね」
「はいっ。『時そば』、ごちそうさまでした」
 たーっと駆けて行く小さな背中。見送りながら、突然に言われた古典落語の演目名に青年は固まっていた。
「……ああっ? 釣り銭詐欺っ?」
 振り返った青年の鼻先でビラビラはためく貼り紙には、『貸し店舗 テナント募集中』と書いてあった。

― 終 ― 
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