シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

か、勘違いしないでよね

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匿名ユーザー

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か、勘違いしないでよね 作者:せる


「かーのじょ、そんなところでなにしてんの?」
 ブルーな気分で街を彷徨っていると、突然そんな声をかけられた。
 さっきまであった事を思い出す。とても他人に構っている余裕なんてない。
「わたし、これでも落ち込んでんのよね。ふざけた勧誘ならぶっ飛ばすからさっさと、」
 親指と薬指を合わせたまま振り返る。勧誘だろうがナンパだろうが、ちょっとでもわたしの足止めをする気なら容赦する気はなかった。
 が、
「はい、どうしましたかお嬢様?」
「サトル……アンタ、なにやってんの」
 時間を確認する。まだ日は落ちてなくて、周囲には人が大勢いる。確かに近くにうどんロードがありはするが、ここはまだ人間様の領域だ。
「いや、世界一可愛い春奈ちゃん見かけたら、無意識に話しかけちゃっただけらしいよ?」
(なにがらしい、よ。誘蛾灯に誘われる羽虫じゃあるまいし)
「っていうか、そういえばアンタ土曜の夜、何かあった? 一葉たちが何か騒いでたけど」
「……さあ、白い爺さんなんかと格闘してないことはだけは、確かな真実だったと思うけど。……」
 意味の判らない言い回しに、あっそとわたしは言い捨てる。言う気がないなら、別に聞きたいとも思わないし。
 けれど結局、わたしは何故か方向を変えて歩き出してた。足が向く先はうどんロード。コイツがここにいるというのなら、恐らく行き先はそちらだろう。もし避けたいなら、逆方向へ行かなければならない。つまり、どうやらわたしは追い払うつもりはないらしい。
「あれ、わたし正気なのかしら……まあ、アンタで良いわ。わたし今凹んでるから、ちょっと付き合え」
「はいはい、お嬢様のお誘いなら火の中でも水の中でも、勿論ベッドの中へでもどこでもお供しますよ」
 軽薄な台詞に頭痛を感じた。確かい知り合いではあるが、わたしは何だってこんなヤツを相手に話す気になっているんだろう――。
(きっと、塔が逆様なんだわ)
 意味もなく、そんな台詞が脳裏に浮かんだ。


 ***


「おーい、美樹本ー」
 その名前に、咄嗟に僕は後ろの席へ振り返った。
「なによ蓮田。女子にはさんをつけなさいよ、さんを」
「あん? お前だって似たようなもんだろ、ハルちゃんよー」
「こんの、木っ端微塵にされたくなければ、今すぐそこに直れっていうの!」
 にわかに騒がしくなった中心には、へいへいスミマセンと横柄な仕草で謝る男子生徒と、彼に食ってかかる女子生徒の姿。
 周囲はやれいつものかと、既に興味を失ってそれぞれの放課後に戻っている。
 けれど僕は我慢できなくて、二人のもとに割って入った。
「騒がしいな。蓮田くん、用件に入ったらどうだい」
 男子生徒、蓮田俊哉は僕の顔を見ると、うへっと妙な声で目を逸らす。人を見た瞬間挙動不審にならないでほしいものだ。
「はいはいすんませんね。相変わらず静くんはお厳しいことで」
 素直に謝れない人間なのは知っていた。だから、僕がその言葉の中で許容できないのはただ一つだ。
「僕をしずかと呼ばない。十条だ、じゅうじょう」
「……つっこむところはそこかよ」
 視線に力を込めると、彼はうなだれるように呟いた。何のこと分からないふりをして、僕はふんと視線を戻す。
 僕は自分の名が嫌いだった。静、なんて女の子っぽい名は。苗字は格好良い方だと思っているので、出来ればそちらで呼ばれたい。
「ちょっと、蓮田。あんたの用事はわたしなの、それとも十条さんなの?」
 告げる彼女の声音は涼やかだ。眇めた表情にも毒はない。けれど、彼女の口が僕の名前を言った瞬間、僅かに心拍数が上がったのを自覚した。
「ああ、そうだよそう。おまえだよおまえ、これだよこれ」
 不思議な言い回しで、蓮田は彼女に一枚の紙切れを突き出す。入部届けと書かれていた。
 それを見て 心底嫌そうに春奈は言う。
「ハ……何かと思えば、あたしに放課後までおべんきょーしろって? 自慢じゃないけど、頭の悪さには自信あるの。パスよパス」
 パスったらパスよ、と彼女は手元の下敷きで悠然と自分を扇いだ。足を組みかえるその優雅は、貴婦人のそれである。
 が、
「意味わかんねぇからどっちかにしろ、自慢じゃないなら自信をもつんじゃねぇよ。つか頭の悪さの何を信じるっつーんだお前は」
(概ね同感だ)
 そのつっこみには、流石の僕も遺憾ながら同意せざるを得なかった。
 ――何故遺憾に思うかって? それは、僕こと十条静が、美樹本春奈を好いているからさ。
「……アンタねぇ。一体誰を目の前にして、そんな、ふざけた、戯言囀ってくれてるわけ。天下御免の前衛型美少女、この美樹本春奈嬢のフルラッシュをそんなに味わいたいのなら――」
「美樹本さん、目がすごいから止めとこうね」
 ため息をついてそう言った。彼女の台詞を遮りたくなんてないけど、流石に学校で暴れるのは止めてもらいたい。無論、これは彼女の為を思ってのことである。彼女に惚れている僕としては、己を美少女と自称するのには内心では構わないのだけど、その枕詞には賛同できないのであった。
「悪いことはいわねぇから前衛はやめとけ……。大体、ただのメッセンジャーに八つ当たりするんじゃねぇよ」
 内心を言葉にしてくれた事に感謝しつつ、僕は彼の言葉に首をかしげた。思えば、彼が何の部に所属しているかさえ僕は知らない。
「ああ、なるほど。古徳さんのお達しなわけね……」
 けれど、彼女はそれだけで事情を読み取れたようだ。言葉を継ぐ表情は、疑問半分疲労半分。
「けど何であの人、そんなにわたしを入れたがるのよ。知ってるでしょ、理科の成績なんてニよ、ニ。近代科学なんて場違いどころじゃないわ。あたしメスシリンダーの使い方だって判らないんだから」
「だからじゃねえ? おまえちょっと馬鹿過ぎるから、更生させたくてうずうずしてんだろ」
 あ、馬鹿、と思ったときには遅かった。
 美樹本春奈は彼の言葉にドキリとするほど可愛い笑顔を浮かべて、何故か唐突に指を弾く。
 瞬間、蓮田はライナーが直撃したようにその場でひっくり返った。
「あら隠し芸? いきなり滑るなんてすごいわね。――ところで、今何て言ったのかしら?」
 わたし馬鹿だから日本語よくわからないのオホホホホ、なんてわざとらしい口調。
 イテテテと腰をさすっている蓮田を見下ろす目は、笑顔でありながら、虫を見るかのような冷たさであった。
(……素敵だ)
 思わずこぶしを握る自分は、少々趣味が悪いのかもしれない。

 

「そこまでやらなくても良いんじゃない?」
 美樹本春奈は、僕の目前でビリビリと入部届けとやらを破いていた。
 流石に可哀想になって蓮田を見る。彼の身柄は二人の男子生徒が回収、たぶん部室とやらまでドナドナしていった。
「乙女の純情を踏みにじった罰よ」
 そのフレーズは遣いどころを間違っている。思いつつも口には出さなかった。
 しかし、破いた紙を律儀に遠くのゴミ箱まで捨てに行く彼女は、それも回りに落ちているゴミも一緒に片付ける彼女は、正直言ってかなり可愛い。
 以前にオタクなクラスメイトが萌えがどうとか熱心に語っていたが、今なら彼とも熱く言葉をかわせる気がするほどだ。
 戻ってきた彼女は、席に座らずにそのままカバンを取った。じゃあ、わたしそろそろ帰るわね、と告げて踵を返す。
「あ、うん、また来週」
「ええ、また来週」
 素に戻る時以外は、わりと丁寧でお嬢様っぽい。たぶん意識して優雅な言動を心がけているのだろう。怒った時とのギャップが顕著で、そこがまたいいのだ、なんて一人で悦に入ったり。
(って、まてまて。今日は言うことがあったんだ)
 慌てて思い出して、僕は春奈を呼び止めた。そう、夏休みを目前に控えたこの時期だ。このチャンスを逃したら後がないかもしれない。
 そう、僕は今週の予定を、あくまでさり気なく彼女から聞きだしていたのだ。玉砕覚悟でも挑むべきである。
 大丈夫。二人きりははじめてだけど、春奈と一緒に遊ぶことは良くある。控え目に言っても、僕は彼女と親しい方のはずだ。勝算は十分あるはず、勇気を振り絞って、けれど悟られないように。
「あ、あのさ。明日か明後日、二人でどこかいかない? その、遊びに」
 うん? なんて仕草で振り返った彼女は、やがてフッと笑った。
 自然な、魂が抜けるような笑みだった。鼻時が出なくて良かったと、本気で安堵してしまうほどに。
「ええ、良いわよ? 明日、ちょうど買い物に行こうと思ってたの」
 その後、いくつか簡単に予定を詰めると、彼女は何でもないように帰っていった。
 僕はしばらく自分の席でぼんやりしていた。手がさり気なくガッツポーズを作っていたのは、決して罪ではないだろう。
(お前は良く頑張った、十条静)
 気付いたら、下校時間のチャイムが鳴っていた。

 

 僕は腕時計を見ながら、彼女が来るであろう方向を振り返った。
 通産十回目の動作にため息。来るはずがない、まだ予定時刻まで十分近くあるのだ。
 時計の針は遅々として進まない。周囲には僕同様誰かを待っているらしき人たちの姿があった。
 微妙な焦りを感じて、僕は内心で首を振る。春奈は約束を破るような娘じゃない。かといって僕のように、待ちきれずに早く来るような人間でもない。
 言うなれば、本当の意味で約束事には忠実な女の子だ。十二時といったのなら、その時間ピッタリに来るだろう。だから後数分ほど、僕には猶予が残されている。
 普段の僕はそれほど外見を取り繕う方じゃないけれど、今日ばかりは別だった。
 少し前髪が崩れているのが気に入らなくて、何度も髪を梳いてしまう。その自信の無い様を、近くで待つ人々が時々見ているのは気付いていた。
 若干凹んだ心に喝を入れる。大丈夫だ、何たって今日の僕に並ぶのは、憧れの美樹本春奈なんだから――。
「十条さん早かったのね。待たせたかしら?」
「あ、いや、全然待ってなんか――」
(……って)
 考え事に没頭していた気付かなかった。かけられた言葉に半ば自動的に返答。内心では何人もの僕が、ちゃぶ台をひっくり返すように騒いでいる。
 目前には、待ちに待った美樹本春奈が、魔法のように立っていた。
 紺単色のスカートと、白いカッターシャツにタイという出で立ちは、普段の元気な彼女とは違った落ち着きを演出している。
 擦れたジーンズにシャツ一枚、アクセントは右耳のピアスと首に下がるシルバーアクセだけの軽装。そんな僕の単調さとは、良い意味で違っていた。
 時計を見たのは咄嗟の反応。数分の猶予は、魔法のように消えている。十二時とんで三十秒。早く来るのも遅く来るのも邪道だと言う様な、いっそ潔いほどの正確さ。
 それを意識して、逆に落ち着いた。僕が好きな美樹本春奈というのは、確かに僕が考えている通りだった。
 呼吸するような鮮やかさ。本当はわざわざ作らなくても、言動の一つ一つがとても綺麗な、後ろの気になる女の子。
「――全然、待ってなんかないよ。僕も今来たところ」
 そう、とふんわり笑う彼女を見ながら、内心で気合を入れ直す。
 大丈夫、単調な服装なのは、僕にはそれが似合うから。美樹本春奈を前にして、無頓着に服装を選ぶほど常識知らずじゃないのだ。
「それじゃ、とりあえずお昼にしましょ? わたし一度、行ってみたかったところがあるのよね」
 彼女が誘ってくれるなら、地獄にだってついてくと思ってしまう僕だった。

 

 美樹本春奈が目指していた店は、六道区の一角にある紅蘭という飲茶カフェだった。
「なるほど。それでわざわざ四号線だったわけだね」
「そういうこと。ま、お目当てはこの店そのものじゃないんだけどね」
 僕の呟きに軽く答えると、彼女は気負った風もなく店の扉を開く。
 はじめての店でも、気負うような仕草は無かった。後に続くと、名前にあわせたような赤い内装。
 実のところ、僕はそれを知っていた。六道区の住人にはそれなりに馴染みの店だし、ある噂の為に他の区でも名が知れているのだから。
 僕たちはウェイトレスに案内されて、店のわり遠くへの席へ向かう。視界の端にその人物がいるのを見て、彼女の目的がそうなのだと確信した。
 座ってメニューを開く。僕の注文は決まっているので、殆ど眺めるだけ。
 盗み見るように春奈へ視線を滑らせると、彼女もコチラを見たところだった。
「どうしたの? 難しい顔して」
「うーん、実は……」
 もう一度メニューに視線を落とし、まるでそれが恥ずかしいことのように、小さな声で、
「わたし、あんまりお茶には詳しくないのよね。苦手な女が、紅茶好きだからさ」
 嫌いってわけじゃ、ないんだけどね。と萎むように言った。それは、紅茶が嫌いじゃないという意思表示か、その女のことが嫌いじゃないという照れ隠しか。
 苦味が胸に広がるのを自覚する。その情動をみっともないと思った。けれどそれ以上、僕は彼女の話を聞きたくなくて、
「じゃあ、僕のお勧めで良いかな? これでもお茶には詳しいから」
 早口に言って、ウェイトレスを呼んだ。
「特製ランチセットを二つずつ、それから……食後に祁門紅茶も二つで」
 微笑ましげな対応に何故か安堵しながら、二人の分を注文する。本当はジャスミンティーが評判なのだけど、あえて僕の好きな方にした。
 理由は考えたくない。嫉妬は、あまり綺麗な感情ではないのだから。
「キー……なんだっけ?」
「キームン。高級品とはあまり巡り合えなくてね。僕が知ってる限りじゃ、ここが一番美味しくて」
 言ってすぐ、知識をひけらかすようで恥ずかしくなった。男も女も、薀蓄が好きな人間なんて珍しい。
 心配になって彼女を見る。すると、
「へぇ……十条さん、詳しいんだ。わたしそういうのに疎いから、尊敬しちゃうわね」
 そんな、内心の杞憂が馬鹿らしくなるような笑顔で迎えてくれた。
(ああ、神様。僕は今日ここで死んだとしても、きっと貴方を恨みません)
 そんな大げさなことを本気で考えながら、料理が来るまで彼女と談笑した。

 

「あら、本当に美味しいわね。それに良い香り……ぬかった、これをあの女に独り占めさせるのは悔しい」
 食後のドリンクが運ばれてすぐ、春奈は小さく呟いた。僕は後半の言葉を無視できなくて、さり気なく問う。
「ふーん、その人、そんなに好きなんだ。僕も仲良くなれそうだね」
 あえて主語を省く。きっと、彼女の反応が知りたかったからだろう。結果は、
「ば、馬鹿、何でわたしが一葉のこと好きなんて結論になるのよっ。それに、あなたが構うような人間なんかじゃ、ないし」
 思考に沈んでいたらしい彼女は、僕の言葉に不意を疲れたように言葉を並べる。その反応に内心また沈み込みながら、仕方なく切り返した。
「……いや、お茶のことだけど?」
「あ、ああそう、そうね。そう、それなら、良いかも、別に」
 ごにょごにょと呟く姿は、いつものハキハキした春奈からは想像もつかない。見たくもない。
(一葉、ね)
 その名前を心の手帳に刻みつけながら、僕は思考を切り替えた。否、今必要なのは彼女の思考をソイツから逸らすことだ。
「さて、そろそろ目的を果たそう。お茶を飲みに来たんじゃ、ないんでしょ?」
 パン、手と叩いてそう言うと、春奈はきょとんとした目で僕を見た。
 その表情に、先ほどの羞恥が混ざっていないことを見取って、己の選択の正しさを確認する。
「あら、判ってたの? 口にはしなかったはずだけど」
「お茶が目的じゃないのに、ここを選ぶのはおかしいからね。美味しいって言っても、他の市まで評判が届くことなんてないから」
 なるほど、と呟くと彼女は立ち上がった。店の一番奥、来たときにも確認した女性が、今は一人で座っている。そこへ、平然とした足取りで向かった。
 黒い髪、黒い瞳、けれど日本人とはまた違ったエキゾチックな雰囲気。僕でも憧れそう美人なのに、意識しなければ視界から消える存在感のなさ。
 紅蘭とは全く関係がないのに、この店を有名にしてしまった女性だ。
「あなたが、テリアスさんね?」
 静かに茉莉花茶を愉しんでいる女性に、春奈は確かめるように話しかける。
 そう、彼女こそMiss.テリアス。知る人ぞ知る占い師だ。顔は知っていたけれど、流石に訪ねたことはない。
「ええ、いかにも。そういう貴女たちは?」
 黒曜石の光に射抜かれる。全てを見透かすような瞳に、僕は何故か罪悪感を感じて視線を逸らした。
 けれど、そんなのは僕だけ。肝心の春奈は、テリアスの妖気にさも気付かない風な平然さで答え返す。
「美樹本春奈よ。こちらは十条静さん。評判の占い師さんに、一度会ってみたかったの」
「これはこれは……珍しいお客たちさんね。これだからこの仕事は飽きません」
 テリアスは微笑む。僕は、笑えなかった。
 春奈が珍しいお客さんなのは一目瞭然だが、自分もそうだと言われて僅かに身が硬直。
 けれど、大丈夫だ、と思い直す。こんなのは社交辞令だ。いくら一流の占い師でも、言葉もかわさずに見抜かれてはたまらない。
 僕は曖昧な笑みを浮かべながら一歩下がる。テリアスに用事があるのは、彼女なのだから。
 そんな事百も承知だったのだろう、占い師は視線を春奈に定めた。二秒ほど見つめて、笑む。妖艶な微笑だった。
 唐突に、ずっとテーブルに置いてあったタロットカードを上から順に広げる。まるで彼女の為に準備していたのだ、とでも言いたげに、切る事さえしなかった。
 並べられるカードは三枚。僕に専門的な知識はないが、この並びくらいは知っている。
 けれど、テリアスは事もあろうに、カードを返す事無く喋りだす。
「ふふ、素直ではないのですね。本当は祝福したいのにできないなんて。けれど、過去は未来を縛るものではありません。貴女はただ知らないだけ。真実が貴女の元を訪れるでしょう。もう、間もなくです。試練もありますが、きっと素敵な方が助けてくれますわ」
 中心のカード――今を司るそれを手で返した。隠者のカードは確か、真実。続いて刑死者と節制が返された。僕には意味など判らない。
「そう、そうなの」
 一つ息をのんだ後、春奈は静かに言った。僕は視線を逸らす、たぶん、それは他人が簡単に触れて良いものではないのだ。
 春奈は、唐突をテリアスの伝票を手に取った。茉莉花茶が数杯、それなりの値段がついている。
「お代はコレで良いかしら。もしその言葉が真実だったら、またご馳走しにくるわ」
「あら嬉しい。再会の約束ということですね」
 その笑みは、占いが外れることなど考えてもいない。自信があるという意味ではなく、それが真実だと既に知っているような表情だった。
「それじゃ、そろそろお暇するわね。あ、十条さんも占ってもらう?」
 不意に話を振られてドキリとした。春奈は既にいつもの彼女に戻っている。ひどく楽しげな声だった。
「いや、僕は良いよ。未来は決めない主義でね」
 それは、珍しく格好をつける言葉ではなかった。テリアスを知っていながら話しかけたこともなかったのは、占いが僕には合わないから。実力が確かなら尚更である。
 哲学的な言葉だ、と占い師は笑った。少し恥ずかしくなって、僕は踵を返す。彼女の用が済んだのなら、ここにいる意味はないのだから。
 見えなくなる瞬間、テリアスが一枚カードをめくったのが判る。気付かない風を装う僕に、背後からの声。
「返された塔。大丈夫です、試練は未来を導く光ですから」
 だから、聞きたくないというのだ。
 僕は聴こえなかったふりをしてレジへ向かった。
 


 その後は、特に変わったことは無かった。彼女の買い物はわりとすぐに終わって、時間があまって映画によったりウィンドウショッピンをしたり。
 ようするに僕は春奈とのデートを心行くまで楽しんだ。彼女が気にする一葉とかいう先輩のことも、占い師の言葉も忘れてしまえるほどに。
 そして気付けば陽はとうに落ちていて、駅への帰り道にある公園で小休憩することとなった
 ベンチに座ったところで、缶ジュースのタブを開ける。僕は缶紅茶、彼女はオレンジジュース。二人で意味も無く乾杯した。

「うーん、久しぶりに遊んだわ……。ごめんね、容赦なく連れ回して」
 苦笑を交えて春奈は言う。確かに、中身の濃い一日だっただろう。
「いやいや、僕こそお礼を言いたいよ。こんなに楽しかったのは、生まれてはじめてかも」
 全くの本心だったが、彼女は冗談だと思ったようだ、そりゃよかった、なんてカラカラと笑う。
 その笑顔があまりにも眩しかったから、もう歯止めなんて利くわけが無かったのだ。
 そして僕は、気付いたら言っちゃいけない言葉を口にしようとしていた。
「美樹本さんって、好きな人とか、いる?」
 途端、面食らったように目を瞬いた。けれどすぐにははぁんなんて呟いて、その口にはニヤリとした笑み。
「そうねぇ、わたしはいないような、いるような。やっぱり、いないかなぁ?」
 クスクスと笑う。彼女の中では、それはとても面白い冗談だったのだろう。それが余計に、僕の心に突き刺さる。
「で、十条さんはどうなのかしら。すごく美形だけど、いい人いないわけ?」
 普段なら、その言葉に僕は喜んだだろう。けれど、当然今の僕にはそんな余裕などない。
 好きな人なら、いる。そう答えると、彼女はおかしそうに笑った。良いわねぇ、何て、いっそ憎くなりそうなほど楽しげに呟く。
 悔しかった。一体何が悔しいかも分からないのに、そう感じたのだ。だから、
「ねえ、春奈」
 僕は、彼女を名前で呼んだことはない。それに気付いたからか、彼女は一瞬疑問を浮かべながら、けれどすぐ笑顔に戻る。
 それだけではなくて、冗談めかしてこんなことを言った。
「なぁに? 静」
(……。もう、無理だ)
 それが、最後の一刺しとなった。

「僕、君が好きだよ」
「――――――は?」

 まるで時が止まったようだ。僕はそれ以上何も言えない。彼女は固まって動かない。
 けれど、時間はいつだって動いている。それは世界で一番強い祝福であり、呪詛だ。
 だから、いくら春奈が嫌がったって、ずっと沈黙してなんていられない。
「ちょ、ちょっと待った。待ってね、うん、落ち着きましょう。――その心は?」
「落ち着くのは君だ。愛の告白を茶化すんじゃないよ?」
 酷く冷静だった。否、緊張しすぎてパニックさえ起こせないから、自分が冷静になっていると勘違いしているだけだった。
 実のところ僕は自分が何を言っているか理解できていなくて、彼女は僕が何を言っているか理解できていなかった。
 待って、待ってよ、と繰り返す。言葉通り待った。こうなる事など分かっていた。だから、本当に何時間でも待っていられる。
「えっと、冗談じゃないのよね? うん、わたしだって、それくらい判る。ええ、判るわよ? けど、でも、あなたは――」
 彼女の言葉など読めていた。けれど、それを遮っても意味は無い。避けて通れない道なら、潔く迎えるのが道理である。
 そう、この展開は予想済みだったのだ。そう、予想できなかったのは、本当に偶然の、

「あら、春奈さん。こんなところで何を?」

 通りすがりという、邪魔者だった。
 視線を向ける。大事なところで割って入った、その闖入者を睨んだ。そこには、一組の男女。
「……一葉、それに兄さんまで、そっちこそ何してるのよっ」
 勢いよく春奈は立ち上がる。怒っているようで、安堵しているのが手に取るように分かった。
 そして、その名前を思い出す。今最も聞きたくない名前。
「はあ、ご覧とおりデートですが」
「馬鹿野郎、死にかけた直後に冗談いってんじゃねぇ」
 その女の隣にいた男性が、即座に返した。見覚えのある顔。そう、確か彼は春奈の兄だったはず。
「つれないですね。そのうち押し倒してしまいそうです。――はい、冗談ですから睨まない。で、そちらは?」
 視線で問われた途端、良く分からない感情に突き動かされて、僕は無意識に立ち上がっていた。

 

「デートですよ」
 突然立ち上がった十条静が言った言葉に、わたしは本気で驚いた。
 視線を向けると、十条は酷く冷たい表情で目を逸らす。そのまま一葉に向かって微笑んだ。
 どうしてその整った笑顔を、怒っているなどと思ってしまったのだろう。けれど、未だに整理できない私は傍観しかできなくて。
「柚木先輩さんですね。お噂はかねがね、お会いできて光栄です。僕は十条静、春奈さんのクラスメイトですよ。……で、何か用ですか?」
 それで読み取れた。何故だか分からないが、十条は一葉を敵視している。初対面の丁寧な挨拶なのに、その声音には棘しかなかった。
 当然、一葉は理解出来ないという表情。けれど、一体何から何を読み取ったのか。一瞬後にはなるほど、なんて小さく呟いて、十条に笑みを向ける。
「柚木一葉です、ご丁寧にどうも。一応、人の恋路を邪魔するほど性悪ではないつもりです。――という訳で、行きましょう信也。そろそろホテルな頃合です」
 突然現れて一体何を得心したのか。お邪魔でしたと言わんばかりに、信也を連れてずんずんと歩いて行った。
「待て俺にも解るように言えっつーかそもそも何ドサクサ紛れてホテルとか行かねぇし良いから引っ張るなつってんだろしかもおい待てこら止まれそっちはさっきの爺がいた方向だマジやばいってだから待ておい一葉人の話を――」
「良いから行きましょうやはり良心の呵責に耐えられそうにないのですさっさとサトルさんを回収しなければ大変なことになってるかもしれませんしせめて死体だけでも拾ってあげないと化けて出られたら七面倒にもほどがあ――」
 遠退く後姿。信也の抗議なんて耳も貸さずに、馬に蹴られて死にたくなかったらさっさと来るのです、とか何とか。って、つまりはやっぱりそういうことなわけ?
「ちょっと待っ――」
 思わず後を追おうとして、隣にいる人を思い出した。何一つ言葉を発しようとしてなくて、きっとこのまま追い掛けたって結局黙っているだろう。
(けど、十条さんは――)
 僅かな逡巡。振り返ると、去っていった二人を冷たい目で見送っていた。さっきの楽しそうな表情とは別人で、たぶんそれが一つの踏ん切りになった。
「ごめん、十条さん。わたしまだよくわからないけど」
「うん、行ってらっしゃい。またね」
 言葉を遮られる。続く言葉なんてあるわけなくて、それじゃまた、と出来るだけ普通に言って駆け出す。
(とりあえず、今はアイツら捕まえて問い詰めないと……)
 それが逃げであることには、気付かないふりをした。

 


 翌々日、月曜日の朝。珍しくわたしは暗い足取りで教室に足を踏み入れた。
 美沙はどうやらまだ来ていないようで、入って早々わたしを呼びつける輩はいない。
 もしかしたらと考えていたその人も、わたしを見て特別何か言うことはなかった。
「おはよう、美樹本さん」
「……うん、おはよう」
 軽い挨拶を交わして、わたしは自分の席に着く。目前で静かに予習をする十条は、まるで土曜日のことを忘れてしまったかのように平然としている。
 そのまま教師がやって来てホームルームに入るまで、一切何もなかったもんだから、もしかしたらアレは夢だったんじゃないかと思ってしまった。
「よーし、プリントくばるぞー」
 担任が気の抜ける声でプリントを置いていく。最前列から順に回されてくるそれは、一回見てそのままゴミ箱に行くような紙切れだ。
 どうせ大した物じゃない、なんて思いながらそれを受け取って、そのままわたしは硬直した。
 何故なら、どうあってもそのプリントは捨てられる代物じゃなかったからだ。
『放課後、校舎裏』
 決して印刷なんかじゃない文字で、短くそんな言葉が書かれていた。

 

(で、来てみた訳ですが)
 憂鬱といえばその通りな足取りで、わたしは校舎の裏庭へとやって来た。誰も見もしないのに景観として植えられた植物ばかりの、寂しい場所だ。
 普段は誰一人近寄らないはずなのに、今日は当然のように先客が一人。その人は、わたしに気付くといつも通りの態度で手を上げる。
「こっちだ。すまないね、呼び付けたりして」
「わたしもどうにかしないとって思ってたから。ま、ちょっと緊張はあるんだけどね」
 そう言って笑ってみる。たぶん、苦笑にしかなっていなかっただろう。一つだけ深呼吸して、表情を正した。
 こういうことは、先制攻撃に限る。わたしは十条の目を見据えて言った。
「ごめん、やっぱりダメだった。あなたのことは好きだけど、友達以外じゃちょっと考えられない」
 明るく笑い飛ばそうかとも思った。けれど、あの言葉が本気なら、わたしもきっと本気で返さなくてはダメなのだ。
 言い切って頭を下げる。悪いことなんてしてないけど、こうする以外にどうして良いか分からなかった。
 視線は足元へ下がり、十条がどんな表情かは解らない。少しだけ考えるような気配のあと、とりあえず顔上げてくれない? と一言。
 恐る恐る視線を戻すと、苦笑というには苦味の強い困り顔で、十条静は笑っていた。
「ま、それじゃしょうがないね。こうなるのは判ってたし、僕こそ悪かった」
 言い終えると、すっと差し出されたる右手。わたしは馴染みなんてないけど、ソレが握手を求めているってことくらいは分かる。
 その白い手を握り返した。冷たい手、或いはわたしの体温が高いのかもしれない。
「え?」
 その時、何があったのか分からなかった。気付いたら十条の右手が背中に回っていて、三秒くらいして抱き締められたという事実に気付く。
 耳元で、ありがと、という言葉を聞いた気がした。
 真実、抱擁は短かったかもしれない。別にイヤだとは一瞬さえも感じなかった。
 けれど、どうしよう、なんて間抜けなことを考えた瞬間、わたしたちは既に元の距離まで離れていて、それはきっともう二度と近付くことのない距離だった。
 十条はいつも通りの表情に戻っている。僅かに笑っているような、何も考えていないような、曖昧な口元。そんなところも、わたしは嫌いなんかじゃなかった。
「今のは仲直りのしるしってことで。それじゃ、また今度」
 ソレで終わり。拍子抜けするほどあっさりと、十条はわたしの横を通り過ぎる。未練どころか諦観さえ感じないようなポーカーフェイス。
 そういう人だって知ってはいても、わたしは理解できていなかった。
(まだまだってことね、わたしは)
 思うと同時にため息。すると、あ、そうだ。と背後から声が聞こえた。
「忘れてた。あの柚木って先輩に、謝っといて。嫉妬なんて僕らしくなかった」
 言われて気付いた。すぐに振り返って、その疑問を問う。どうも、ソレだけはすっきりしない。
「わかった。けど、なんで一葉にあんな風だったの? そりゃ、アイツはいけ好かないヤツだけど」
 わりと本気の質問。けれど十条は、へ? なんて妙な声で首を傾げる。そんなにおかしな質問だったかなと不安になった瞬間、なるほど、という呟きが聞こえた。
 まるで謎々を告げるような、意地悪な笑みを浮かべて、
「逆様の塔が、あの人だと思っただけだよ」
 外れだったけどね、と言い残して、今度こそ十条は校舎の影に消えた。
(良くわかんないけど)
「ちょっと惜しかったかな、なーんて……」
 こりゃ言っちゃいけないことだったか、と独り言を呟いた。
 どうしてだかさわやかに別れたはずなのに、心は全然晴れなくて。
 最後に十条の言った言葉が胸に突き刺さったまま、帰るしかなかった。

 

 ***

 

「そういうわけ、別に面白くもなんともないでしょ」
「いや十分面白かったけどね。けど、ちょっと質問」
 目前でうどんをすすっていた優男は、わたしの話を聞き終えると楽しくて仕方ないと言いた気な目をした。
「なによ、別に隠してることなんてないわよ」
 まだ若干ブルーに入っているな、と自分で思える声音で告げると、わたしも手元のうどんをすする。ちょっと伸び気味だけど、ちゃんと食べられる普通の味だ。そんなのは当たり前、ここは普通の人間が通ううどん屋なんだから。
(っていうか、人外が通ううどん屋なんて――あるか)
 忌まわしい連想。ブルーがレッドに変わる寸前で、現実の声に引き戻された。 
「いや、隠してるっていうか、なんで断ったのかなって。君の話し振り、かなり好意的な感じがしたんだけど」
 言って、またずるずる。若干七味を入れ過ぎな気もするが、まだ許容範囲の色をしているのは、わたしに合わせているのか否か。
 ついこの間知り合ったばかり、というより殺し合ったばかりの吸血鬼に、わたしは呆れた声で言葉を返した。
「なんでって」
 何でも何もないだろう。確かに十条かなり好きな人間に入るが、どう考えたって恋愛感情を抱ける相手じゃない。
「いや、だからなんで? その彼、カッコ良くて優しくて、しかもお茶の話詳しかったり、楽しそうな人じゃないか」
 十分恋愛感情抱ける相手だと思うけど? と首を傾げる吸血鬼。
「は?」
「え?」
 わたしは、意味が分からなくなって首を傾げた。それはわたしとしては当たり前の反応なはずなのに、彼にとってはソレこそ意味が分からないらしい。
 二人して首を傾げるさまは、外から見ればあからさまに滑稽だろう。けれど、そう。先の吸血鬼の台詞には、その擦れ違いの確信を突く致命的な誤解が潜んでいるような気がして。
 それは、そもそもコイツは一体何のことを指して、そんな場違いな台詞を吐けるのか、という根本的な疑問であり、
「え、ちょっと待って、あなた誰の話してるわけ?」
「……いや、待ってもなにも、十条静くんっていう、君のクラスメイトだろ?」
 聞き間違いかと思ったが、二度目なら間違いじゃない。そう、目前の吸血鬼は、よりによって、十条静のことを確か――。
「――彼? それ、言い間違いじゃなくて?」
「……リピート、ワンスモア」
 凍りついた言葉で、片言の英語を喋る吸血鬼。馬鹿なわたしでも、その意味くらいは分かる。
(繰り返せって言うなら、繰り返すけど、もしかして、コイツ)

 


「十条静さんは、女の子よ?」

 


「ぶははははははははっ―――!!!」
 突然、吸血鬼は在り得ないほど大声で馬鹿笑いしだした。
「ちょ、ちょっとどうしたよのアンタ? まさか、ついに極辛の後遺症が――」
「や、止めてくれ、ダメだ、頼むからそれ以上ぶっ飛んだこと言わないでくれ。ぶ、くく、くはは」
 あろうことか、さらに吹き出したソイツは、周囲の目を憚る事無くテーブルを叩き出す。正直狂ったかと思った。
(っていうか、コイツ十条さんのこと男だと思ってたのか――)
 そういえば、三人称代名詞は一度も使わなかったなと思い出す。彼女が自分のことを僕なんて言い出すクセについても、特に説明した記憶はない。
 振り返って思い出せば、自分の語り口は性別を特定するような話し方ではなかったかもしれない。十条のことを普通に話せば、そうなってしまうことに今更ながら気がついた。
「く、くく……ぶ、ふふ。君は、詐欺師の才能があるよ、ぷくく」
「……おーけー、判った。わたしの非です、認めます。確かにキチンと言ってませんでした」
 けれど、とそのまま言葉を繋いだ。だって、これはわたしだけの責任ではないはずだ。いくら名言しなくたって、なんだって男などと思い込むのだ。
(そりゃ僕なんて一人称だったけど、あの人は十分女の子らしかったはずだし、それは文脈で判るでしょうが)
 わたしの猜疑の視線に気付いたのか、サトルはどうにかして呼吸を落ち着けて、酷く改まった顔で言う。
「なんでも、なにもないと思うけどね。ほら、なんだっけ。君が最初に話し出したとき、もう一人いた彼。確か、蓮田くんか」
「え、ええ。いたけど、それが?」
 何故そこで蓮田が出てくるのか。アイツは、かなりちょい役で物語には全く影響しなかったはずなのだが。
 それがじゃない、と吸血鬼はまたもや笑いそうになりながら、そのミスリードを指摘した。
「静くんって、呼んだんだろ?」
「……、あ」
 その言葉で繋がった。そう、唯一性別を示す呼称。わたしが口真似をした蓮田俊哉はあの時、
『――はいはいすんませんね。相変わらず静くんはお厳しいことで』
(あんの、ばかぁ……!)
 確かに、そう言っていた。けれど本当に悪いのは、蓮田ではない。あんな些細なことまで記憶して、ご丁寧にリピートしたわたしが全面的に悪い。
「今日の教訓は、千里の堤も蟻の穴、でした。ぷくく」
「アンタね、どうでもいいけど、キャラ変わってるわよ……っていうか、この程度のミスリードに引っ掛かる方にも責任があると思うわ」
 はいはい責任転換責任転換、とヤツは口元を拭ってのたまう。正直殺意が沸いたが、尤もだと思ったので指を弾く真似はしなかった。
 


 ***

 

 席を立つ。周囲の視線を引いて居心地が悪いし、うどんが入っていた椀は既に空だ。さっさと外へ出るに限る。
 会計を終わらせると、ヤツもそのままついてきた。
 正直鬱陶しいなあと思いつつ、無気力状態のわたしは追い払う労力さえ惜しんで、そのままずるずると歩いている。
 相変わらず気分は真っ青だ。なんでか胸に刺さった痛みが取れない。十条が一葉のことを口にしたことが、どうして、忌まわしいことに思えるのだろう。
 やがて公園に差し掛かったところで、それまでプクプクと笑っていた吸血鬼が口調を変えた。そういえば、ここは土曜の夜と同じ公園だっけ。
「けど、春奈ちゃんは可愛いなぁほんと。もう惚れそう、っていうか惚れた。ねえ、僕と付き合わない?」
 唐突に言われた言葉に振り返った。いきなりそんなアリエナイ台詞を口走る神経が理解できない。
「ちょ、止めてよねそういう寒いこと言うの。冗談でも酷いわよ?」
 本気で寒気がして両肩を抱いた。足を止めて振り返る。何だってわたしが吸血鬼なんかと付き合わなきゃならないのだ。
「冗談なんかじゃないけど。いや、言い方が悪かったのなら真剣に申し込むよ? 美樹本春奈さんに、結婚を前提にした清き交際」
 挙句の果てに、お兄さんにも挨拶いかなきゃね、とかふざけた事を言い出した。
 同じ場所のせいだろうか、それがそのままあの夜へを連想して、一緒にいた一葉まで何故かフィールドバックして。
(そういえば一葉を見た途端、十条さんの言動はおかしくなったっけ)

 そんな、今更なことに気がついてしまった。

「ああ、そうか」
 全部繋がった。十条が一葉にどうとかって話じゃない。
 わたしの周りにいる人間が、ただ柚木一葉っていう存在に対して引き寄せられている、そんな当たり前の事実を忘れていただけ。
 そして、それは今ここにいる吸血鬼も全く例外じゃないのだ。
「――ああ、最低。戯言もいい加減頭に来るわね。アンタも一葉の顔知ってるでしょ。どう考えたってアイツの方が美人よ。……アッチじゃなくてわたしを口説いてる時点で、嘘偽り以外の何物でもないって事に気付かない?」
 自分の言葉に、さらに気分が沈んだ。
 兄である信也だって、学校の友人だって、わたしのことを好きだと言った十条静でさえ、アイツを無視なんかできない。
 愛だろうと憎しみだろうと関係ない。アイツはわたしから全部持っていっちゃうだけっていう、単純な事実。
 それにコイツは、何故だか知らないが一葉にキスまで迫っていたのだ。
 だから、目当ては最初から一葉に決まってる。なのにこんな、こんな……。
「ハ、くだらないわ。吸血鬼ってのはどいつもこいつも人の感情乱してばっかで、結局人間のことなんてただの、」
「ほんとに、そう思う?」
 静かに言われて、口を吐いて出た暴言が止まった。そう、暴言。たとえ何を言われたって、それだけは言っちゃいけないことだったはずなのに。
 けれど、今更止まれない。言ったことは取り消しなんて出来ない。何故か怖くなって、わたしは目を背けた。それでも、言ったことは続けるしかない。
 唐突に解ってしまった。それは、ずっと押し隠していたコンプレックス。些細なことで表層に出てしまうくらい溜まってしまった、汚れた感情の膨大な負債。
「…・・・思ってるわ。だって、比較にならないじゃない。わたしと一葉を知っていて、それで何でわたしを選べるわけ。アイツは綺麗で強くて頭も良くて特別で、それで」
 いつも優雅に、なんて嘘っぱちだ。本当はこんなにも小さい。本当はこんなにも汚い。
 一葉が悪いことなんて一つだってないはずだ。アイツはただ綺麗なだけ。
 その綺麗さに追いつこうと、わたしは色んなことに、精一杯見栄を張っていただけ。
 本物と偽物が並んでいたら、本物に目がいくのは当たり前の話だ。愛すか憎むかは、それから話でしかない。
 だからって本物が悪いのか? そんなわけがない。
 もしどちらかが悪いというのなら、それは綺麗な本物の隣に居座ってる、汚らしい偽物が一方的に悪いんだから。
(わたしは綺麗じゃなくて、頭も悪くて、弱くて、平凡で、偽物で、それから、それから)
 一生懸命隠していたものが、それで崩れた。
 マズイ、と思ったときには手遅れ。急に恥ずかしくなって顔を隠す。ああ、泣いたのなんて何年ぶりだろう。
 それとも、そんなに我慢したのが悪かったのか。なら、結局最初から最後までわたしがただ悪かったってだけの話だ。
「本当、わたしこんなところで何やってんだろ。笑いたければ笑うが良いわ。いっそ下らない感情ごと、この記憶を奪ってくれると嬉しいわね」
 失言の見本市だ。言ってはいけないと思えることから順に口に出る。流石の吸血鬼も怒ったのか、さっきから何一つ話そうとしない。
 その静寂がわたしを焦らせて、ドミノを倒すように言葉が決壊していった。殴ってでも止めて欲しいのに、きっとそれは叶わない望みなのだ。
「わかったでしょ。どういう気まぐれか知らないけど、わたしはこの通り、どこにでもいる弱っちいエサだわよ。食べる気がしないなら、さっさとどこへでも」
 きえてなくなれ、って言おうとしたら、後ろから誰かに抱き締められた。
「もう良いから。本当にごめん。不用意にドアを開けたことは謝るから、自分を傷つけるのはもう止めよう。僕は、君をそんな風に思ったことなんてないよ」
「口では何とでも言えるわ。わたしは知ってるんだから。一葉とわたしじゃ勝負にもならないなんて、そんなこと子供の頃から知ってるんだから」
 そう、それが真実だ。どんな言葉を重ねようと、埋まらないものはある。例え契約なんてなくたって、あの女には逆らえない。
 澄川みなもだって、そうやって兄の横からいなくなった。確かに彼女は善良ではなかったけれど、通り魔として捕まるほど悪人ではなかったはずなのに。
 だから、次にいなくなるのはきっとわたしなのだ。
 今回のことで判った。まるで笑い話だったはずなのに、些細なことで気付いてはいけないことに気付いてしまった。
 結局真実なんて単純なもの。汚い方が悪くて、弱い方が邪魔なのだ。美樹本春奈も澄川みなもも、結局偽物だから壊れただけ。
 だって、いう、のに。
「君は負けてもないし、偽物でもない。あの子と自分を比べたりするから、そんな間違った答えになる。あの子は人間じゃないんだから」
 吸血鬼だから? そんなことは知っている。それはただ、人間では覆せないっていう単純な力の差で、
「違う。吸血鬼でもあんな風にはならないよ。大体、吸血鬼がどうの言うなら、君と話している僕はどうなる?」
「……どうって、あんたもアイツと一緒なんじゃないの」
 言って、それだけはないと否定した。こいつを庇いたいんじゃない。
 ただ、あの存在から捻じ曲がった女と、どうしても同一視なんてできないだけ。
「あの子が綺麗なのは当たり前だ。あの子は世界で一番綺麗で、同時に一番おぞましい生き物なんだから」
(コイツ、今なんて?)
 咄嗟に振り返った。確かに一葉はとんでもないヤツだけど、何故いきなりそれほど大きな話になる?
「君が言ったんじゃないか。彼女は綺麗だって、それは外見のことじゃない。褒め言葉でさえない表現だ。気付いてるだろ? あの中身は、人間でも吸血鬼でもないほど、まっさらだってことくらい」
 ああ、そんなこと知っていた。
 ダイヤモンドみたいに単純なルール。どこにも無駄がないから、どこにも余計がないから、あの女はあんなにも透き通っている。
 綺麗とは美を表す言葉じゃなくて、そのモノの透明度を示す表現なのだから。
 そして、それは歴然の差異。色んな無駄を手放せないわたしじゃ、純度が違う。透き通ってないものは綺麗じゃない。
 外見なんて、大した問題ではない。例え一葉がわたしより強くて、頭が良くて、特別だったとしても、そんなのはパラメータの強弱でしかない。
 そんなものいつでもひっくり返せるものに、わたしは負けたなんて思わない。どうしてただのコンプレックスに戸惑った?
 わたしと本当に違うのは、その心の純度だけ。アイツほどにまっすぐになれないという、ただそれだけのことで。
 ……けどコイツの言葉が正しいなら、それは素晴らしいものなんかじゃない。
(あれ? じゃあどうしてわたしは、綺麗でなくては勝てないなんて思ったんだっけ)
 どこかで、酷く手順を間違えた。わたしは一体何を勘違いして、自分を偽物だなんて思ってしまったのだろう――?
「もう判ったはずだ。機械と人間を比べることに意味があるか? 君が汚いと思っているものは、どれ一つとっても汚くなんかない。ただ、沢山あるから綺麗ではないというだけだ。だから君の言葉は間違い、僕が君を選ぶ理由だって? そんなの、可愛いからに決まってるだろ」
 なんだ、そのふざけた慰め方は。可愛いって何よ、どっから出てきた。どう考えても人間様を舐めてるしょ、それって。けれど、
「――あれ、おかしいな。おかしいのに、わたし馬鹿だから、どこが間違ってるのか判んない」
 困ったわね、と小さく笑えた。確かに、そう、どうやらわたしは慰められたらしい。
 笑えたことで、理性が戻ったのだと理解した。収まりがつかなくて、意味のない言葉を口に出す。
「あー、あーあー。待って、ちょっと恥ずかしいわ。わたしもしかして泣いたっけ? 近くに斧とかないかしら。アンタさえ消せば、この汚点は消える気がするんだけど」
 軽口を叩くと、本当にそう思えてきた。同時に、体が燃えるような錯覚、どれだけ恥ずかしい言動を繰り返したか、あまり考えたくはない。
 頭が逃避を選択して、つい、わたしの為に死んでくれない? なんてことまで言い出す始末。
「……さっきの方がさらに可愛かった気がするね。喜びを攻撃で表現するクセ、直したほうが良いと思うけど?」
「か、勘違いしないでよね。別に嬉しくなんかないし。アンタこそ、可愛いとか、そういう歯に衣着せない喋り方を」
 直せ、と言おうとしたところで、何か忘れていることに気付いた。
(何かおかしいっていうか、無駄に熱いっていうか。あれ、そういえばわたし)
 さっき振り返りはしたけど、腕は振り払ったっけ?
「って、いつまで抱きついてんのさっさと離せ!」
 どうりで暑いはずだ。テンパっていたから気付かなかったけど、わたし今、コイツ相手に、どんな寝言口走った?
 かあ、と顔が赤くなるのがわかる。そう、あれはちょっとマズイ。思い返すと精神が崩壊してしまうほどマズイ。
 いくらなんでも、今もさっきも悲劇のヒロイン過ぎていた。アレはそう、きっと実写版の魔法少女くらいは恥ずかしいだろう。
「チ、気付かれたか……。もうちょっと役得あってもいいと思うんだけどなぁ」
 わたしが暴れると同時に、ヤツはその両腕を離す。
「そのまま三歩下がって両腕を上げなさい。おかしなことしたら張っ倒すからねっ」
 息巻くわたしに、危険を感じたらしいヤツは大人しく従った。
 三歩下がって万歳。これでいいですかお嬢様とか嘯く。どうやらふざけた口だけはとまらないらしい。
 頭に血が上ったせいか思い出す。そもそも、
「そうよ、そうだわ。わたしが泣く破目になったのは、アンタが笑えない冗談言ったからじゃないの。やっぱり、アンタ煙に撒こうとしただけでしょ」
 この詐欺師め、と睨んだ。思い返して身震いする、もう少しでこんなヤツの手篭めにされるところだった。
 テリアスの言葉を思い出す。コレが試練で、助けてくれる素敵な方がコイツだって? 絶対に信じない、今度文句言いに行ってやるんだから。
 想像がさらに火照りを呼んだ。きっとさっきのは気の迷いだ。
 ブルーになってるところにさらに弱点突かれて、それを上手く繕ったからって、それは自作自演というに決まっている。
「さ、流石見た目通りの優男ね。手練手管はお手の物ってわけ。でも今から、そのにやけ顔叩き潰してやるから」
 結局信用の問題か、なんて目の前の吸血鬼は呟いた。疲れた顔をするな、人を散々惑わして、トラウマまで発掘したくせに。
「それは真っ先に謝ったんだけどね。……どうせ死ぬなら、最後に一つだけ言っていい?」
 わたしの言葉に、呆れたようにため息をついた。良いだろう、最後なら許してやる。けど、最後じゃなくて最期なんだから覚悟しろっていうの……!
 そう殺意を込めて許可すると、コホン、とヤツは咳払いした。どんな言い訳だって聞いてやらないんだから、さっさと口にすればいいのだ。
 思いっきり睨む。けれど、ヤツはその最後の一言とやらを口にせずに、ただ見つめ返してきた。う、と視線を逸らす。見つめ合いなんて慣れてない。
 ただ、その視線には邪気がないような気がした。きっと、それも気のせいに決まっている。けど、邪気っていうなら、アイツには最初から何処にも邪気なんて。
(なら、そう。例えば、本当に誠実に謝るなら、別に許してやっても――)
 若干間が空いたせいで、少し冷えた思考が頭を流れた。
 確かにアイツの言葉で、わたしは長年の勘違いを正せた。
 他で負けてる部分なんていつでも挽回できる。むしろやってやる、そういう心意気がわたしの味だったはず。
 よく考えればわたしも悪かったかもしれない。それなら流石に地獄行きは可哀想、っていうか謝った方が良いかな、なんて思ったりして。
 だというのに、最後の最後でコイツは。


「この、ツンデレめ」


 その後どうなったかなんて、書くまでもあるかっていうのだ!

 


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