シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

とかれた恋心

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とかれた恋心 作者:あずさ

 

「頭痛が痛い」
 じわじわと日差しが突き刺さる夏の日。
 部屋の中は風通しが良いものの、目の前のブツのせいで気分は優れず、俺はテーブルの上に突っ伏した。うっすら汗ばんだ肌がべたりと張りつく。
「爽真さん、その日本語はおかしいです」
 不快を感じさせない涼やかな声が降り注いだ。目だけ上げて見れば、円卓の右隣に座る瑞原ほのかがこちらを見ている。長い髪を束ねるでもなく、それでいて暑そうでもなく。
「頭痛とは頭の痛みや症状を指しますから。その言い方だと重複してしまいます。頭痛がする、もしくは素直に頭が痛いと言った方がよろしいかと」
「……わぁったよ」
 ぐぅの音も出ない指摘に息を吐く。夏休みの宿題で重い頭がますます鈍くなるみたいだった。瑞原は丁寧な口調で話しかけてくる分、妙に反論する気力を失わせる。ニコニコと笑みを浮かべているのだから尚のこと。
 ちなみに瑞原は蛙軽井(あかるい)小学校の6年生、そして俺のクラスメートだ。家が割と金持ちらしいけど、こんなときに「そうなのかも」って思わせる。偏見だろうけど、金持ちって変な奴とか多そうだし。瑞原は別に変ってわけじゃないけど……同い年の俺らにも「さん」付けだったり、丁寧な口調なのは周りと比べればやっぱり浮くもんだ。
「ほのかって頭いいよね」
 弾けるような明るい声を上げたのは、左隣に座る一ノ瀬杏里。同じく俺のクラスメート。……今はまあ、ただのクラスメートだな。うん。
 杏里はやりかけの計算ドリルに鉛筆を放り投げた。それから大きく息を吐く。瑞原と違ってやはり暑いのか、髪を頭の上でまとめ上げているのが、俺から見るといかにも涼しげだ。
「そんなことありませんよ」
「あるある。ね、ここ教えてもらってもいい?」
「もちろんです」
 ――そう、今俺たちは夏休みの宿題をやっているのだった。俺の頭痛の原因もこれだ。暑い日に分数の計算なんて脳が溶ける。ドロドロに溶ける。
 ちなみに場所は杏里の家。何でわざわざ集まってやっているのかといえば、杏里が宿題を済ませたら不思議ツアーの会議をするのだと意気込んでいたからだったりする。……いいんだけどな、それは。杏里、楽しそうだし。いつもの二つ結びも可愛いけど一本結びも新鮮でいいな、なんて俺はぼんやり頬杖を突いた。
 ちらりと視線をノートに落とせば、杏里は俺より先に進んでいるらしくて文章題に突入している。
 ……不思議萌えってすごいな。ここまでやる気にさせるなんて。
「あのね、この問題なんだけど……」
 杏里が困ったように指でドリルを突付くもんだから、俺もつられて覗き込んだ。俺なら見ているだけで投げ出したくなるような文章が続いている。長い。うざい。ほんと溶ける。

『モロモロが分速100メートルで30分泳いでいました。
 途中で疲れたので立ち上がり、その後分速120メートルで跳ねながら進んでいたところ、40分で通りすがりのスイロカガチに食べられてしまいました。
 モロモロは何キロメートル進むことが出来たでしょうか。
 単位に気をつけて答えなさい』

 …………。
 …………。

 どこからどうツッコめばいいのか分からなくて、俺はしばらく固まった。
 えーと。何だろうかこれは。モロモロの速さは気にしたことがないから分からない。けどともかく、疲れたから立つって理屈はおかしいんじゃないだろうか。しかも跳ねながら進むって。しかもしかも、疲れているはずなのにペース上がってるんですけど。
「あれ、スイロカガチって何だっけ?」
「確か蛇のようなものだったと思いますが」
「ていうかこの問題、モロモロが食べられる必要性ってあるのか?」
「あれじゃない? 弱肉強食の世界! 総合学習を目指してるんだよ、きっと」
 本当にそうなのか疑わしいことを、杏里は平然と言ってのける。けど笑顔が可愛いからそれでいいや、と俺は納得することにした。うん、言われたらそんな気もしてくる。
「それで、これってどうやればいいのかなぁ?」
「問題文は長めですけど、聞かれていることはシンプルですよ。速さの公式を使えばそう難しくありません」
 言いながら、瑞原はノートにきれいな円を描く。その円を、真横に線を引いて2等分。次に、下半分に垂直に線を入れてまた等分。上に「き」、下2つに「は」と「じ」を書き入れた。それもやっぱり瑞原らしい丁寧な字だ。
「あ! 金のモロモロ・はしゃいで・地響き!」
「はい」
「……」
 にっこり笑う瑞原と、当たって「やった」と喜ぶ杏里。
 まるで呪文のようなソレは、蛙軽井小学校で言われている一種の語呂合わせみたいなものだ。「距離・速さ・時間」の公式を覚えるのに使っている。他のところでは無難に「はじき」や「木下はじめ君」なんて覚え方もあるらしい。俺としては「木下はじめ君」の方が、「“き”の下」と掛けている分、位置的にも分かりやすいと思うんだけど。それでもなぜか小学校では「金のモロモロ・はしゃいで・地響き」の方が流行っているのだ。確かにインパクトはあるのかもしれない。
 ちなみに渋い奴らだと「金さん・はしゃいで・時間切れ」なんて覚え方をしているらしい。遠野山の金さんがはしゃぎすぎて収録に収まらないことがあったことに由来するらしいけど、実際は怪しいところだ。
 ともかく、2年前に転校してきた杏里の方が霧生ヶ谷に馴染んでいるようで俺は少しだけ複雑な気分になった。いいんだけどよ、別に。杏里ならモログルミだって似合うしさ。いや、これはほんと。

「杏里、電話ー」
 部屋のノックと共に顔を出したのは杏里の母親だった。それにしても同時に開けたらノックの意味がないんじゃないだろうか。
 しかしいつものことなのか、杏里はあまり気にしていない。鉛筆を置いて首を傾げた。
「電話? 誰?」
「大樹くんよ」
「ホントっ? また遊びに来るのかな。――もしもし?」
 渡された子機を耳に当て、杏里が楽しげに話し出す。俺は思わず固まった。

 大樹。日向大樹。杏里が霧生ヶ谷に引っ越してくる前のクラスメートだとかで、ここにもよく遊びに来る。チビでガキで一つ上の兄貴にべったりなブラコン野郎だ。そんな奴なのに杏里とは妙に気が合うらしい。一緒になって騒いでいるのもよく見かけた。
 ……とにかくどっかのネジが抜けてるんじゃないかと思うほどアホな発言も多い奴だけど、確かに悪い奴ではないと、思う。けど、俺は好きじゃない。ついでに言えば兄貴の方も苦手だ。たった一つしか学年が違わないのに大人ぶっている感じがして。

「……頭痛が痛いとかけまして」

 ぼそりと瑞原が呟いた。だけど俺の耳には入らない。電話の内容が気になって仕方なかった。
 あっちが何を喋っているのかまでは聞こえないが、杏里の楽しそうな表情がやたら腹立たしい。

「え、うそ。今度は1人で来るの?」
 ――何ぃ!? 1人!?
「あは、大樹ってば進歩したじゃん。迷子にならないー?」
 ケタケタと楽しげな笑い声。

 ……1人って。1人って。兄貴は来ないってことだろ? てことは、何か。夜、あいつと杏里の2人っきりなわけか!?
 遊びに来たら2人とも盛り上がって遅くまで話すわけで、うっかりムードとか出たらどうすんだ、おい。そりゃあいつにそんな甲斐性はないと思うけど、あってたまるか、いやでももし万が一。
 それにあいつは抱きつき癖があるとか言ってたし杏里って時々妙に無防備なときもあるし!
 しかも上手くいけば杏里の寝顔を独り占め出来てしまうわけで!
 待て、そんなのうらやま、いやダメだろダメに決まっている!

 しかもしかも、杏里と大樹だ。兄貴の春樹がいないなら、夜でもこっそり不思議ツアーと称してホイホイ抜け出す可能性も捨てきれない。
 星空の下、ふと沈黙が降り立ち、ただ見つめ合う2人……。

『大樹』
『杏里……』

 …………。
 …………馬鹿バカ馬鹿、俺の馬鹿。やめろ想像するな、まずい、落ち着け。自分の想像で悶絶しそうになるなんて情けなさすぎる。とりあえずモロモロを数えてみよう。1モロ、2モロ、3モロ。はい深呼吸。
 ――よし、大丈夫。
 そもそも、杏里はともかく大樹はムードなんてある奴じゃない。ロマンとマロンの違いも絶対わかってないんだ。セクハラをセクシーな腹巻とか言う奴だ。ブラコンをブラックな結婚だと思っていた奴だ。

「じゃ、不思議ツアー行こうね!」
 杏里の弾けるほどの声に、俺はハッと我に返った。杏里は電話に夢中なのか、俺がぼーっとしていたことには気づいていないらしい。相変わらず楽しげに話している。
「うん、どこか行きたいとこある? ――亀? あ、しゃべる大きな亀さんか。ふむむ。
 任せて、ちゃーんと調べておくから!
 ……え? ふふー。杏里ちゃんをなめちゃいけませんよーだ。先週は南区で見たって友達の証言はあるんだから」

「――……」
「爽真さん、百面相してどうしたんですか?」
「ん? あ、いや別にっ」
 瑞原に顔を覗き込まれ、俺は慌ててドリルに目を落とした。意味もなくモロモロの落書きを描き殴ってみたりする。――やべぇ、顔赤くなってるかも。

 ……俺が1番好きな杏里の表情は、不思議に対してキラキラしているときで。それを俺より、いとも簡単に引き出せるのはあいつだって、気づいてはいたんだ。
 悔しいけど、その表情が見られるのは嬉しくて。わずかに頬が熱を持つ。

「ね。ほのかと爽真くんも来週の土曜日、不思議ツアー行くよね?」
「ええ、是非」
「…………」
 眩しいほどの笑顔を向けられて嫌と言えるはずもなく、俺は黙ってうなずいた。





 杏里が子機を戻しに部屋を出ると、瑞原がほうと息をついた。それには呆れが混じっていて、俺は何だかムッとする。何だよと目で問えば、瑞原はそっとジュースに口付けた。氷がだいぶ溶けて、コップの表面が水滴で濡れているソレ。
 水滴で濡れた手を瑞原は白いハンカチで丁寧に拭い、顔を上げる。
「頭痛が痛いとかけまして」
「?」
「爽真さんの恋心とときます」
「ぶっ!?」
「そのこころは」
 にこり。相も変わらず上品に笑う。

「どちらも、まだるっこしい」

「~~~~!!」
 うるせえ、とか。黙れ、とか。そんなことをこいつに言えるはずもなく。
 だいたい爽真さんはわかりやすすぎるんです、クラスで名前を呼ぶ唯一の女の子は杏里さんだけですし。そこまで頑張ったならもう一押しくらいしてみればいいですのに。そこでうっかり踏み止まってしまうのがヘタレの所以たるところです。押して駄目なら引いてみろとはよく言ったものですが、そもそも押しが弱すぎては望みも効果も高まらないと思いますよ。――そんな、一応悪気はないらしい言葉の滝に俺はひたすら撃沈するしかなかった。
 チリン、と涼しげに風鈴が鳴く。明らかに日差し以外による火照った体が少しは落ち着きを取り戻す。

 ……夏だ、なぁ。

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