シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

恨むぜ神様

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恨むぜ神様 作者:せる

「お祭りへ行きましょう」
「……まず先に言うことがあるよな?」
 容赦ない揺すられ方に最悪な気分で目覚めると、目前には何故か幼馴染の姿。
 名を柚木一葉、俺こと美樹本信也と同じ、霧生ヶ谷市立南高校三年C組に通うクラスメイト。
 備考として外見はどこぞの令嬢だが、中身は筋金入りの大馬鹿野郎だ。
 漫画やゲームじゃあるまいし、勝手に他人の部屋に入るのは、住居不法侵入以外の何物でもないはずなのだが。
「これは失礼。謝罪も兼ねて、というかもう謝るのも面倒ですので早速」
「何が早速だ。そもそも文脈おかしいから……って、おい勝手にベッドに乗るな勝手に布団を剥ぐな勝手に服を脱ぐな!」
 おもむろに自分の服に手をかけようとするソイツに、俺はすかさず制止に入る。
(慌てたせいで朝の生理現象はすっかり収まっていたのが、唯一の救いか?)
 なんでもかんでも勝手にプラスへ考えるのは、マゾヒストへの入り口だ。俺は下らない自問をこの世の彼方まで投げ捨てる。
「で、だ。朝っぱらから、まだ始まってもない行事に連れて行こうとする暴挙は忘れてやるがな。お前、その格好で祭り行くつもりなわけか?」
「はあ、これでも結構気合入れたつもりなんですが。何か問題あります?」
 不可解、という表情で一葉は自分の見回した。
 俺も改めて見直せば、ヤツはもう夏休みなのに手首を隠すオーバーシャツだ。
 ワンピースみたいなネイビーのチェニックにはサッシュベルトがついていて、締められたソレとジーンズのせいで体のラインが妙にでている。
 朝からなんつーものを見せるのかと思いつつ、俺は視線を逸らして呟いた。
「いや、問題っつーか。……浴衣は?」
 口には死んでも出さないが、その表情は相当可愛かったに違いない。

  ***

 あのあとすぐに解散になった。祭りに行くには始まってからでも十分だし、一葉もそれは承知していたのかアッサリと家に帰っていった。
 待ち合わせの時間を決め、部屋を出る瞬間に振り向いた笑顔が焼き付いている。その意味は、日が沈んで一葉と再会した瞬間強制的に理解させられた。
「しかし俺は敢えて言おう。失言であったと」
「素直じゃないねー、二人ともあんなに可愛いのに」
 呟いた俺に答えたのは、隣でお喋りに興じている一葉と妹の春奈ではなく、待ち合わせ中にふらりとやって来た見知らぬ男。
 モデル並の身長と、暗がりなら女と見間違えそうになるほど線の細さ。年の頃は大学生だろうか。少なくとも俺より年下というわけではあるまい。

「ああ、信也くん。久しぶり……じゃ、なかったか。はじめまして、一葉ちゃんから君の事は良く聞いてるよ」

 サトルと名乗った青年がそんな挨拶を告げれば、間を置かずに一葉が到着。雰囲気が流れたので簡単な挨拶を返すと、すぐに移動が始まった。
 順序は右から俺、サトル、春奈、一葉。左は喧しいが、俺たちも会話がないというわけではない。
(つーか、この人良く喋るな)
「祭りってのはほんと良いね。楽しいってのもあるけど、何より貴重過ぎるのはこの浴衣姿だ」
「そういうのは、無言で感動してくれれば良いのです。ですよね、信也?」
「そうかなぁ。わたしは褒められて悪い気はしないんだけどね。ま、サトルの言葉じゃ効果薄いか」
「しらねぇ、俺は何もしらねぇ」
 敢えて多くは語るまい。サトルの言葉に、内心否定できないと全会一致で可決した、とだけ言っておけばいいだろう。 
 相変わらず往生際悪いわね、という言葉が聞こえた。声からして下手人は春奈だ。
「お前だけには言われたくねぇ。知ってるか、世間ではお前みたいなヤツをツンデレって言うらしいぞ」
「……ッ! 次ソレ言ったら挽肉にするから覚えとけっていうのっ」
「ははは、可愛いなぁ春奈ちゃんは。帰り僕の家に寄らない?」
「わたしが死んでも阻止します。それともこの場で細切れになりますか?」
 中々にカオスな会話だ。俺はわりとブルーで、一葉は相変わらずグレー。
 どっちかというと不景気になりそうなものだが、春奈とサトルには祭りの高揚効果があったらしい。
(いや、この人は素か、たぶん)
 随分と話し慣れている様を見て、そう思った。すぐ怒るくせに操縦の難しい春奈の扱いも上手い。元々こういう性格なのだろう。
 春奈をからかって気を良くしたのか、サトルは一葉にも言葉を向けた。
「細切れは勘弁してほしいね。何なら、一葉ちゃんも来る? 僕は三人でも大歓迎なんだけど?」
(……チッ)
 何故だか知らないが、一瞬苦味が広がった。理由も無く一葉の答えが気になる。
「天地がひっくり返っても在り得ませんね」
 サトルの軽口に一葉は首を振る。その答えは知っていた。自明の理だ、頷く方が在り得ない。
 むしろ、そんなことに一々反応した自分に嫌気がした。
 みなもがあんなことになったっていうのに、俺は一体どこまで気楽なのか。
 僅かな頭痛に、ため息を吐いた。思考は秒にも満たず、一葉は言葉の続きを紡ぐ。
「あんまり調子に乗ってるようなら、ここであの時の決着をつけて差し上げても――」
 そこで一葉は言葉を切った。あの時ってなんだ、と疑問の視線を向ければ、アイツは訝しげな視線を前方に送っている。
 その先にいた人物が、一葉に気付いた。

「――うげ」

 知らない顔。言葉を漏らしたのは年下っぽい少年だ。隣には同年代らしい少女。若干見たことがあるかもしれないと思い、南高の生徒だと当たりをつけた。
「……あら、守谷さん。ここで遭ったが百年目ですね。私今ちょっといい気分ですからお話でもいかがでしょう?」
「……へえ、夢人くんったらやっぱり一葉と知り合いなんだ。でも確かこないだ知らないって言わなかったっけ?」
 並んで不機嫌モードだった女二人が、突然笑顔に変わった。視線を辿れば、かなり美形の男子生徒が一人。甘い顔っていうか女性的っていうか。女子に中々モテそうだな、と何となく思った。
 尤も、コイツらの甘ったるい口調から鑑みるなら、好意的な関係ではないようだが。
 何故笑顔なのにそうなるかって?
 当たり前だ。天邪鬼とポーカーフェイスが微笑むのは、獲物を目前に舌なめずりしている時だと相場が決まっている。あのベビーフェイス、もしかしてこの鬼二匹相手にナンパかセクハラでも仕掛けたのか。
(もしそうなら、同情を越えて冥福を祈るしかないな)
 まあ、俺が割って入っても意味がない。君子危うきに近寄らず、だ。
「俺は行かんぞ」
「好都合です。信也にはしたない姿を見せるわけにはいきませんし。あ、どうしても見たいというなら、今すぐ二人で私の部屋に直行してもいいですけど?」
 はしたないって一体何をするつもりだ。どう考えてもおっかないの間違いだろうが。つーかお前と何かとか一生ねぇからいい加減諦めろ。
「つれませんね。ま、それならそれでその八つ当たりも兼ねるとしましょう。春奈さん、私が詰めますから、上手く仕留めてください」
 一葉は最後まで表情を変えずに歩いていった。ちなみに守谷なる少年は、春奈の問いかけが終わる前に走り去っている。その様もはや脱兎の如し。
 が、相手が夜叉二人では風前の灯にも程があった。
「オーケー、隠れて行く。サトルは信也と回ってて。何があっても時計回り、歩行速度は半分、破ったら死刑だから。じゃ、ちょっと狩ってくるわね」
 自分どころか俺より年上の青年まで呼び捨てにして、我が妹も人ごみの中に消える。一葉とは方向が違うが、アイツらは犬猿の仲なくせにチームワークだけは抜群らしい。お兄ちゃんとしてはショッピングと思いたかったが、あの足取りを見る限りどう考えてもハンティングだ。
「うーん、相変わらず春奈ちゃんは可愛いなぁ……。僕も行きたいけど、頼まれたからには回ろうか信也くん」
「はあ、可愛いっすか、アレ」
 つい生返事を返してしまった。確かに顔は身内補正をかけなくても良い線行っていると思う。が、何と言ってもアイツの自称は前衛的美少女だ。
(前衛だぞ、前衛。戦術だろう芸術だろうが確実にろくなもんじゃねぇ)
 前者なら常人じゃないし、後者なら人間じゃない。アレを可愛いと賞すには、アーミーナイフを鏡に使うくらいの図太さか包容力が必要になる。一葉も同様だ、むしろアイツはダイヤモンドで作ったクレイモアだが。
(どっちか片方で手に余るっつーのに、二人揃うと姦しいどころじゃねぇからな……)
 一葉はわりと静かだし、春奈も言うほど騒がしいわけではないのだが。なんというか、こう、色々と気が疲れるというか。
 野郎二人で夜店巡りなど楽しくもないが、考え直したらアイツらと一緒とか、酷い布陣にも程があったんじゃねーか、と思い直した。
「そっすね、久しぶりに楽しみますか」
 ある意味この状況、現状の要素が許す限りではかなり望ましいかもしれん。本来ならみなもと二人っきりのデートと洒落込んでるはずなのに、アイツは精神病院に入院中。
 被害者が一人も見つからなかったとはいえ血塗れで警察に捕まって、おまけに錯乱して会話もできないんじゃ、当分社会復帰なんて不可能なのは判っていた。
(恨むぜ神様)
 何について恨むのかも判らず、俺は胸中でため息を吐く。
「ま、ゆっくり回れとのご命令だ。そこら辺の列に並んでみようよ」
 何が楽しいのか、俺と二人になっても笑みを絶やすつもりはないらしい。
 サトルはそれ以外に表情が無いのだ、とでも言いたげな笑顔でモロ焼き屋の前に並んだ。
 仕方がないので俺も続く。周りを見渡せば、列のない店はない。が、この屋台の他と比べても長かった。
 五分以上経って順番が回ってくる。六個入りで三百円のモロ焼きを二つ買った。
「最初に沢山食べるのはどうかと思うけどねー」
 自分用に一箱だけ買ったサトルがそう言った。タコの代わりにモロモロの切り身が入った代物だ、六つも食べればそれなりに腹は膨れるのは確かだが。
「アイツ用っすよ。あんまり遅けりゃ冷めるでしょうがね」
 なるほど、と答える青年を横目に俺も自分のモロ焼きを口に運ぶ。齧るのも面倒だと思って一息に入れた。
(ぐ、あちぃっ)
 必要以上に加熱されたモロモロが、俺の舌に噛み付いた。恨むなら店主か、モロモロに生まれた自分を恨め。
「いやー、しかしこれはいい機会に恵まれたなぁ。君にはちょっと用事があったんだよね」
 モロモロの抵抗運動に悪戦苦闘していると、同じ時間に買ったはずのサトルは綺麗に平らげていた。
 男にしては珍しくハンカチなど取り出して、そんな不思議な事を言い出す。
「はあ、なんすか?」
 問い返す俺に、いや大したことじゃないんだけどね、と前置いてサトルは言った。
「あの子、僕が貰うから。君にはちゃんと挨拶しとこうと思ってね」
「――ぶっ」
 あまりに予想外の台詞に、危うくモロ焼きを吐き出しかけた。口元を手で押さえ、何とか喉の奥底まで追放する。何度目かの咳払い。
 サトルの言葉に、彼と腕を組んで微笑んでいる一葉を連想した。
(ライバル宣言って言いたいわけか。けどお生憎様)
 何がお生憎様なのかも分からず、俺は胸中で呟いた。けれどそう、確かにお生憎様だろう、それを俺に言ったって何の意味もない。
「……そんなこと言われても、返答しかねますね。一葉は俺の物じゃねーし、アイツが良いならいくらでも持っていってくれって感じなんすけど」
 早口に言って、しまったと思った。何故だか知らないが妙な焦りに突き動かされた。
 今の言い方じゃ、逆に所有権を主張したがってるようにしか聞こえない。言ったことは間違ってないはずなのに、俺は何だってあんな言い方を、
「く、くくっ」
「何かおかしいこと言いましたかね、俺」
 内心で恥ずかしさに沈みかけていた俺を、隣の笑い声が引きずり上げた。
 一体何がそんなのおかしいのか、それは大声で笑いたいのを必死で押し殺しているように見える。
「くく、ぷくく……いや、別に言ってることはおかしくない、けど。くく」
「……あ?」
(喧嘩売ってんのか?)
 流石に苛立ちを感じた。ついさっきあったばかりの人間に、意味も無く笑われて喜ぶ趣味はない。
 不機嫌が混ざったな、と自分でも分かる声音で問い返すと、サトルはゴメンゴメンと息を整えはじめる。
 コチラの不穏に気付いたのか、イヤに真面目な顔で俺を見た。
「いや、僕は春奈ちゃんのことを言ったつもりなんだけどね」 
「――ッ!」
 二度目の衝撃。サトルが何で笑い出したのか、一瞬で理解した。馬鹿でも分かる、俺は笑うどころじゃないが、確かにそれならば笑うしかない。
「妹さんじゃなくて、一葉ちゃんが真っ先に出てくるとはね。斜め上に見せかけてド本命っていうか、言われてみればソレしかないっていうか」
 恥ずかしいとさえ思わなかった。浮かんだのは、やっちまった、という意味もなく巨大な失点のテロップ。そう、それは確かに失点だ。笑い事じゃない深刻な大失敗。
 サトルの言葉が頭に入らないくらい、脳内会議の俺全員が馬鹿野郎と叫んでいる。うるせぇお前ら、俺も叫びたい気分なんだから黙ってろ。
「いやー、君たち兄妹は面白いなぁ。こんなところでミスリードしますかって感じ」
 何のことか分からないが、大方アイツもこの男の前で何かやらかしやがったのだろう。
 相当明後日なボケをかましたのか、埋めようも無い墓穴を掘ったのか……今回の俺に限って言うなら後者だが。
「……あー、あーあー、すんません。あの馬鹿ならいくらでも上げますんで、やっぱさっきのナシ」
「いやいや、お兄さんの許可も貰えたことだし、僕からは何も。――ところで、君からは?」
 言って、サトルは振り返った。文脈が繋がらないのに、何故その意味が分かってしまったのか。
 途方も無い嫌な予感に、俺は恐る恐る背後を見る。どうか、この予感が外れていますように、
「とりあえず、貴方は邪魔ですね」
(……恨むぜ、神様)
 天を仰いだ。聞き覚えのありすぎる声。
「ただいま戻りました。ちょっと二人きりでお話でも、いかがですか?」
 誰に向かって言ってるんだ、とは流石に言えるはずもなかった。

  ***

「あー、さっきの、守谷とかいう少年はどうなったんだ?」
「逃げました。存外足の速い人だった様子で」
「じゃあ春奈は」
「さあ、あの分なら迷子にでもなってるかと」
 意味のない会話をポツリポツリと交わしながら、俺は途方に暮れていた。
 ここは神社から僅かに離れた公園。祭りの気配は遠く、異界に迷ったような寂しさが満ちている。
 キーコ、キーコと座ったブランコを意味もなく揺すった。数年ぶりの、ブリキ板一枚のみのブランコはとうに俺が乗るようなサイズではなく、その小ささが無駄な思い出を呼び起こす。
 終わってもいないのに、後の祭りという言葉を連想した。喧騒から離れる、という行為は逃避に似ていて、どこか薄ら寒い感覚を覚える。
 春奈はまだあの中にいるのだろう。もし一人でうろうろしていたら、たちまち他人に呼び止められるヤツだが、サトルが探しに行っているらしいから任せても良いか。
 今更兄貴らしい心配をして苦笑を浮かべた。あの子僕が貰うから、なんて言われたときは欠片さえ思い浮かべなかったくせに。
 それで何とか決心がついた。正直訊きたくないが、このまま意味のない会話でお茶を濁させてはくれないだろう。
「……で、どこから聞いてた?」
「サトルさんの、僕が貰うから。くらいからでしょうか。なにやら声が掛け辛い雰囲気だったので、つい」
「チッ、最初からかよ」
 何がつい、だ。どうせ、俺の反応待ってやがったくせに。
「正直、嬉しいどころではありませんね。何で泣き崩れないのか、自分でも不思議ですよ」
「真顔で言う台詞じゃねぇっての」
 その横顔には、一片足りとも笑顔など存在しない。普段から笑わない女なわけでもない。けれど、そんな台詞を告げた今この瞬間で、一葉は完全に無表情だった。
 ソレも当然、コイツの表情など全て作り物だ。笑っていようが怒っていようが差異はない。
 真実はいつも言葉の方。どれだけ表情を偽ろうと、嘘だけは吐かないヤツだから。
 ああ、知っているさ。その無表情が、本当に喜んでいる証だってことくらい。そんな、ありえないほど判り難くて、どうしようもなく単純なヤツだって、そんなことはハジメから。
「ああ、忘れていました」
 途端に、笑顔。いつも通りの胡散臭い笑みだ。何故か眩しくなって俺は目を背けると、キーコ、キーコと音が聞こえた。次いで、隣から風。一葉がブランコを漕いでいる。
 何となしに視線を向けた。浴衣姿で、それほど気合入れているようには見えないのに、タイミングが良いのかスピードはどんどん上がっていく。っていうか、おい、まて、
「お前速過ぎ。危ねぇから、」
 止まれ、という言葉は間に合わなかった。棒立ちのまま最高速に達した一葉は、そのまま鎖から手を離す。向こう見ずなガキだってビビって動けなくなるようなスピードで、まるでゴミを手放すように。
「んの、馬鹿……!」
 身体が勝手に反応したとしか言い様がない。どう考えたって間に合わないのに、俺は一葉を抱き止めるべくブランコを蹴っている。
 視線の先には、一体どういう意図で設けられているのか理解できない鉄の柵。膝くらいまでしかないピンクに塗られたソレは、ちょうど一葉の着地地点だ。そこまでジャンプできるガキなんて想定外なんだろうが、アレにぶつかったら無事じゃ――。
 けれど、そんなことは杞憂だった。否、それがただの杞憂であることさえ解ってはいた。何故だかは知らないが、これくらいのことで柚木一葉がどうにかなるはずがないのだから。
 加速のついた一葉は、柵にぶつかる前にクルリと身体を反転した。柵に手を着く。タン、と衝撃を殺すようにもう一度跳ねた。
 それは在り得ない精度の、人間業じゃない飛び込み前転。まるで、その場で軽く回ってみました、みたいな気軽さでアイツは柵の向こう側に着地した。
 次いで衝撃。一葉しか見ていなかった俺は、見事に足元の鉄に引っ掛かって向こう側に倒れ込んだ。結局柵に突進したのは一葉ではなく、空を見上げるように寝転んだ俺を、諸悪の根源が冷めた目で見つめている。
「笑いたければ笑いやがれ」
「嬉しすぎて笑えませんね」
 差し出された手を握った。軽く力をかけて起き上がる。そのまま二人してピンク色の鉄柵に腰掛けた。
「信也。私からも質問、良いですか?」
「なんだ」
 あんだけ無茶した後だっていうのに、その声音は変わらない。けれど、何故か俺にはその言葉が震えて聴こえた。
「もし仮に、これは本当に仮の話ですが……みなもさんがいなくなったのが私のせいだったら、どうしますか?」
「――」
 質問の意図はわからない。けれど、一度もそれを考えなかったと言えば嘘になる。
 堂々と好意を告げるこの女が、たった今とんでもない暴挙をしでかしたこの幼馴染が普通でないことくらい、ガキの頃から知っていた。春奈に何かあったのも気付いていたし、サトルっていうあの男も何かしらあるんだろうってことくらい分かる。
 知らないのは俺だけだ。知らされていないのも俺だけだ。けれど、
「今更どうもしねぇ。お前が俺のマイナスになることなんざしねぇのは知ってるし、それでもそうだって言うなら、アイツが何かしたんだろ。どっちにしろ、もう終わったことだ」
 心から納得できているわけはない。俺はそれほど物分りが良い人間ではない。けれど、もし澄川みなもと柚木一葉のどちらかを選べと言われたら。どちらが好きか、ではなく――片方しか選べない、というのなら、俺は、
(俺はたぶん、コイツを選ぶ)
 みなもには本当に悪いと思う。好きだったのはアイツだと、もう別れてしまった今でも断言できる。けれど、好きだとか嫌いだとかは問題ではないのだ。恋愛感情なんてものは二の次でさえない。
 この関係は、そもそも愛や恋では語れないのだ。もっと深い、もっと致命的な腐れ縁。
 ……そう、柚木一葉が俺に向ける感情が、決して愛などではないように。
「そうですか。ま、仮の話ですけどね」
 まるで悪びれもしない風に一葉はそう言った。じゃあ訊くな、と俺は視線を逸らす。全く、恥ずかしいことを言ってしまった。
 そんな俺の挙動に、隣の女はため息を吐いた。呆れるような、楽しむような、そんな冗談交じりの声音。
「正直愛の告白として受け取りたいのですが。というかそろそろ、諦めませんか?」
「受け取らせねぇし諦めねぇ。代わりにコレでも食っとけ」
 言って、俺はずっと手に持っていた袋を突き出した。さっき倒れた時に若干地面についたが、たぶん砂は入ってないだろう。
 ま、形を保っているかまでは保証できないのだが。
「……。はあ」
 手から重さが消失。ゴソゴソと袋を開ける音。次いで、こりゃ酷いですね、という控え目な抗議。当然全部無視だ。
「潰れてぬるくなったモロ焼きで納得しろとは、意地悪というか外道というか」
「黙って食え」
 はいはい、と一定の咀嚼音。すぐに六つともなくなったのを気配で察した。
「言って良いですか?」
 わりと控え目な言葉。言うだけならオーケーだと返す。では、と咳払いする気配がした。
 瞬間、再び世界が反転した。
「て、てめ!」
 後頭部から背骨へと、縦に続く痛み。座った鉄柵に転がされたまま抑え付けられたのだと理解する。
 目前に、俺を押し倒す一葉の顔があった。
「アレで納得できるはずがありません、他の返答を要求します」
「そこを無理やり納得しろ! 大体お前、俺には手をあげねーはずだろうがっ」
「いや、何ていうか嬉しすぎて無理です。初めてじゃないんですし恨むなら揺れる台詞ばっかり吐きやがった自分を恨みましょう?」
「疑問系で言ってんじゃねぇ、いいから離せ話せば分かるっつか初めてじゃなかったらいつって何するつもりだ近い近い近いから!」
 拘束する腕を振り払おうと渾身の力を込めた。が、不動。この馬鹿力女めと内心で毒づいている間に、一葉の顔が目と鼻の先にまで接近していた。
「言って良いですか?」
「言うだけならオーケーだ」
 もはや意地。もはや矜持。先ほどと同じ質問に、ひきつりながらも笑みで返す。
 互いの呼吸が聞こえる距離。目前の無表情が、極上の笑顔に変わった。

「この、ツンデレめ」

 その後どうなったなんざ、言えるわけがない。
 恨むぜ神様、コンチクショウめ!

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