シェアワールド@霧生ヶ谷市企画部考案課

夏奉り

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夏奉り 作者:化野

 「夏奉りに行きましょう」 黒瀬は思い出したようにそう言った。
彼の執務室は青一色に染め上げられ深海の如き静寂の中にある。
黒瀬自身も青のスーツに身を包み、車椅子で巌の如くたたずんでいた。  
投げかけかけられた一言に静寂の中の淀みが反応する。
「夏祭りだあ?行くんなら俺よか奥さんをつれて行きな。男二人揃って行っても色気も何も無え」
 黒瀬の相棒、小島が静かに紫煙を吐き出した。
「いえ祭りではありません、奉りです。これは正式な依頼ですよ、護衛と助手の方が必要なのです」
 小島の方も何かを察したらしく姿勢を正して聞き始めた。
「ただの祭りじゃねえのか」
「無論、祭祀の一つには違いないでしょうな。ですが縁日とは少々趣が違います。私の魔術的素養が必要とされたのですよ。さて、今日が まさにその日です、運転を頼めますかな?」
「運転手役をやるだけで給料が出るなら文句の出ようもねえわな」
 小島はハットをかぶると黒瀬の車椅子を押して青い執務室から出て行った。

 果たして着いた場所は市の僻地、海岸沿いの海食洞の一つだった。
海に面した洞窟はしめ縄が張られ、静かに波を迎えていた。
その口は荘厳なカタコンベのようであり、大聖堂並のスケールを以て人間の矮小さを無言で知らしめる。
 その洞窟の前に地元民らしき人人が松明を手に集まっている。
彼らのなりは前近代的でその表情には精神薄弱者の朴訥さがうかがえる。
両目の間隔の広い、えらのはった顔をした彼らのうち、やや知能が高そうな神主姿の男が黒瀬と小島、二人の異邦人を迎えていた。
「あんたが、新しい司祭様だが?」
 小島にとってその男は酷く不吉に思えた。確かに朴訥ではある。何か言いようの無い精気のような生命の漲りを感じる。
だが何かが違う。小島と、小島の属する世界と異質な感じがする。
「左様です。来し方の因業の帳尻を合わせるために罷り来しました」
 黒瀬は男の異様な眼力を風のように受け流す。
「じゃ、来い。すぐ始める」
 神主は一方的に言い放つと背を向けて歩き始め、群集もそれについていく。
「では小島さん、おぶって下さい。このためにあなたを呼んだのですよ」
「構やしねえけどな、何が起るかくれえ教えてくれやしねえもんか?」
 小島は黒瀬の体を難なく背負うと一団についていく。車椅子は住民の一人が折りたたんで運んでいった。
「では道すがらお教えしましょう」
 そもそも大日町の住民は元来ここの民ではありません。彼らが記録に登場するのは戦中以後、真霧間源外翁が論文を発表し始めてからです。多くは植民地からの移民となっていますが、これは考えにくいでしょう。敗戦国に元植民地の民が果たして来ますかねえ?
 そして残りが戦争経験者で、男です。それも南方戦線の人間が多いですね。彼らは現地人の嫁をもらってここに来たそうです。
 ここはそうした移民の町なのですよ。霧生ヶ谷の中の人気の無い場所にぽつんとこの集落があるのはそのためですな。
 ここは暗礁が多い土地で、天然の漁礁になっておりますが、海の難所として知られておりました。彼らはこの市の住民が避ける暗礁で漁業をして生計を立てていたそうです。
 おっと、懐中電灯をそろそろつけた方がいいでしょう。松明では心元ありませんのでね。
 霧生ヶ谷市は、それ自体が巨大な魔法円となっております。魔を呼び寄せ、呪縛する術が幾重にも重ねられておりますね。
 同じ例では京都が挙げられますな、あれは都市そのものが風水によって組み上げられた魔方陣だというのはご存知ですかな?
 五山の送り火、大文字はその陣を活性化挿せる事により、魔を彼岸へと返す行事なのですよ。 
 最初に大の字、次に妙法、左大文字、舟形、鳥居です。これは東から西へと連なっておるのです。大の字は人の字にも繋がりますね。お盆で集った御霊をその大の字に見立て呼び集め、大文字の反対側に位置する左大文字へと妙法をまたがせて御霊を送るのです。
 妙法は南無妙法蓮華経、天台宗のお経で清めるわけです。そして舟形はあの世への船ですよ。密教においてはあの世は西方浄土といって西の海の彼方にあると信じられて来ましたからね。最後の鳥居は文字通りあの世への門です。船で乗り物を作り、鳥居であの世への門を開き、そのままお帰りいただくというわけです。
 迎え火で迎えた御霊をいつまでも現世にとどめておけばそれは祟りますからねえ。
 さて、縁日とは豊穣祭であると同時にお盆の供養祭でもあります。ここの町でも縁日はあります。ですがそれはどれも豊穣祭なのですよ。ただでさえ魔を呼び集める町です。放っておけばここは魔で溢れ返ってしまいますわな。ですから、どこかで呼び集めた魔をあの世に送ってやる必要があるのですよ。
 ですが、御霊であるならまだしも、古今東西魔物を集めたとなればこれは一筋縄ではいきません。魔を封じるには気枯れを防ぐために生気を奮い立たせる方法と、さらに強大な魔を召還して追い払う方法があります。
 前者は豊穣祭、即ち縁日で事足りますが、ここ大日町では後者を行っていたようですな。ですがある事情によって先任の方がお亡くなりになられましてね。私が後を継いだというわけですよ。
 さて、そろそろいいでしょう。降ろしてください。ああ、あとこの護符を放さない様に。

 黒瀬は長い長い話を終えるとそこは地底湖を望むちょっとした広間だった。鍾乳石の垂れ下がる天井は見上げるほどに高く、足音一つも大きく響くほどだ。前方に見える泉は黒曜石のように黒く底が窺い知れない。泉のほとりには祭壇が設けてある。
 黒瀬は車椅子に再び座り、懐から小袋を取り出し、中から小豆ほどの宝石を取り出すと、短く呪句をつぶやいて節分の豆のように四方八方に放り投げた。
「これにはヒトの匂いとテレズマ像投射…即ち一種の幻術がかけられています。お集まりの皆様、力を抜いて血脈の任せるままに御覧なさい。ゆっくりと見えてくるはずです」
「今年は御供はねえのけ?」
 群集の中の一人が尋ねる。
「これが御供の代わりです。古来の埴輪の例に習ってみました」
 群集がざわめく。いかん、話が違う、くとろおさまのお怒りにふれるたわけが…伝統の…
 黒瀬が小島に向かって目配せと舌打ちのような、小鳥がさえずるような特殊な発音で暗号を送った。
『小島さん、私が儀式を強制執行いたします。それまで、彼らの足止めを頼みますよ』
 小島は無言で頷き、仁王のように村人の前に立ちはだかった。
「おい、なんだか物騒な話をしてるじゃあねえか。ちょいと俺も混ぜちゃくれねえか?」
 村人は口々に雑言を撒き散らした。
「ささげるもん、ささげんと、くとろおさまはおこるだで」
「んだ、くとろさまを騙そうなんぞ考えるもんじゃね」
「何を捧げるんだ?人か?女か?事情は知らねえがな、こっちも手前らを大人しくさせんのが仕事でな、これ以上騒ぐってんなら四つに折りたたんでキッチリ収納するぞ」
 おおよそ脅しにもならない文句が悪鬼の如き表情と押さえに抑えた声で奇妙な迫力を持って伝わる。
 その小さな恐怖が村人の怒りに火をつけた。
「おれら、一年間、娘っ子の顔さ見てね、今日だけのためにがまんしてただ。おめなんぞみてえな都会もんにゃわからね」
「おめらよそもんが、このひのために、おんなが、血!うが、るるいえ、うがなぐる、いあ!いあ!」
 村人たちの瞳が真円に見開かれ、皮膚が奇妙にてかりだすや血気に逸った数人が小島に掴みかかった。
「話が早ええな、行くぞこの魚顔共がっ」
 小島は村人の一人を掴みかかった手を取って投げ飛ばし、ポケットに手を突っ込むと小銭を思い切り投げ飛ばした。それらの小銭は村人たちの顔にもろに刺さって血をにじませる。
 その間に黒瀬は抜け目無く呪文を唱え、祈祷をしていた。
「エル、アドナイ、エル、エロヒム、ザバオスシャダイアグラ…」
 その声と争いの音がいよいよ高まった時に黒瀬の一喝が全てを止めた。
「鎮まりなさい!ここをどこだと心得ているのです、掛けまくも賢き神前ですぞ!今日の御縁深き日を血で汚すというのならば…御前の怒りはあなた方にこそ落ちましょう!」
 普段から打って変わったような威厳に満ち満ちた声はいきり立った村人を静まらせるに十分な迫力があった。
 車椅子のその背から炎が立ち上るかのような鬼気迫る表情だ。黒瀬はそのまま祭壇の方を指差した。
「これでもあなたがたは、御前に奉げる白拍子として不足だと仰いますか」
 村人から感嘆の声が上がった。小島には何も見えないが彼らにはそこに何かが見えるらしい。
「こげな女っ子初めてみるだ」
「人には勿体なかんべ、くとろさまにとりなしてくだせ、お下げ渡してくれるよう、とりなしてくだせ」
 彼らには絶世の美女が見えているのだ。恐らく、彼らにしか見えないものが。
 黒瀬は静かに微笑むと粘質な声で囁いた。
「無論、あなたがたにも相応のものを用意しております。ですが、それはこの儀の運び次第ですな」
 村人たちは、黒瀬がいつの間にか焚いた香に気づいていたろうか。
「太鼓じゃ、祭囃子を鳴らせ!」
 男たちは一致団結した。それぞれに持ち寄った太鼓を叩き、笛を鳴らす。
それは野性的で荒々しく、そしてどこか陰湿な響きを持って場を異様な空気で包む。
小島は目配せと舌打ちによる暗号で黒瀬に囁く。
『よくもまあいけしゃあしゃあと言えたもんだな、全部手前が仕掛けたんだろうが。幻も喧嘩も鼻から解ってたな?』
 黒瀬も暗号ですばやく返す。
『最初にそう申しましたではありませんか。私はただ順当に儀式が進むよう取り計らっただけですよ。それよりも、あなたは湖に近寄らず 、目を決して開けないように』
 小島が了解のサインを出すと黒瀬は再び司祭の威厳を取り戻し、朗々と題目を詠じ始めた。
「この九戸呂神社の奥の宮はわだつみの神にして底の国に荒び疎び来る荒神である九戸呂男神に縁深き場所でございます。イザナギが穢れ落としをした時に生まれた九戸呂男神は皇祖神との戦いに敗れ、海の宮に流されたとあります。今宵の祭りはその九戸呂男神の悲しみを慰め、名誉を回復させる祈りにございます。どうかつつがなくこの儀式を終えられますよう」
 黒瀬は祭壇に向き直ると祝詞を唱え始めた。
「掛けまくも畏き 堅岩に常磐に深くまします くとろおの 大前に斉主恐み恐み白さく」
 村人たちの歌声が祝詞に合わせるように膨れ上がる。
「るるいえの大宮に静宮の仮宮として鎮り坐す 大神の高き尊き御恵みを仰ぎ奉り称え奉る氏子崇拝者諸 大前に参集はり侍りて 御縁深き今日の生日の足る日に年毎の例のまにまに一年一度の御祭仕奉ると清まはりて斉まはり」
 香の不可思議な匂いと不思議な旋律が合わさり洞窟までもが震えるようだ。
「氏子崇拝者深き神々 有らむ限りの術を尽くし 大神の再び帰り来まさむ事敬い給う事怠る事無く勤め尽くししかど その効験無く」  歌声はもはや絶叫に達し、すすり泣く声もそれに混じる。いまや地は鳴り、星は呪わしい位置に収まり天を飾る。
「せめても 斉まはり清まはりて 献奉る 御食御酒を始めて海川山野の種種の味物を机代に置足らして」
 そして静寂。歌声は静まり、笛も太鼓も何かを畏れるように小さく鳴り、その中に祝詞だけが響き渡る。
 地鳴りは収まるところを知らず、空気まで確実に震えていた。その場の誰もが大きな何者かの気配を感じた。
 数億年の時を経た木石のような胡乱な意識がゆっくりと近づいてくるのが解る。その名を唱える者の訴えに応じて久方ぶりの食事を取りに来たのだ。  祝詞と共に、すさまじい音が鳴り響き、水しぶきとともに何かが出てきた。
 小島には見えていない、目を瞑っているからだ。だが、それ故にか、その生き物の重圧がひしひしと感じられる。酩酊した時のように天も地も無くなる。
「称辞をへ奉り御心も平穏に聞こし食して 大前にて奉る歌舞の技を愛し嬉しと見そなわし」
 悲鳴と租借音。そして水しぶき。
「御氏子崇拝者を 大神の広き厚き恩頼を蒙らしめ給い 弥益益に世の人人の幸福を進めし給い子孫の八十続五十糧うぼさすらの如く立栄えしめ給えと恐み恐みも白す」
 ゆっくりと気配が遠ざかる。今日ここに招かれた何者かは去っていったのだ。二、三度拍手を打つ音、何かを振る音がすると、唱歌も鎮まった。儀式は終わったのだ。
「さて、あなたがたにも白拍子が要りますね?」 村人は黒瀬の顔に浮かぶ冷笑も気にせず急かし叫ぶ。 「はやくよこせ、お下げ渡しがなかんだら、お前等ただでは返さんぞ」
 黒瀬は車椅子を泉に向けて僅かに進めると椅子の側面にあるバッグから銀色の缶を取り出し、丁寧に開けて泉に流す。
 何を、と言いかけた村人の口が止まった。小島にも確かに見えた。湖面から出てくる生白い水かきのついた手が。  豊かな丸みを帯びた胸が、豊穣を現すかのように膨らんだ腹が、波打つ触手の黒髪に人魚のヒレをもつ美しい夜魔が。
「さあ、お迎えです。抱いてやりなさい、彼女らがあなたがたの帰るべき所に導いてくれるでしょう」
 黒瀬が言うまでも無く村人たちは一斉に湖面に向かって走り、そしてそのまま魚のように湖に飛び込んでいった。 水妖達は村人たちを迎え入れ、慈母の如く抱きしめ、妖婦のように怪しい笑みを浮かべるとそのままゆっくりと沈んでいった。
 後に残るは小島と黒瀬だった。
「さて、帰りましょうか、用事は済みました。これでもう、祭りをする必要も無いでしょう。これからの厄払いの行事は私のやり方で補いますからね」 
黒瀬は車椅子を反転させるとゆっくりと車輪を回転させていった。


「なあ、アレは何だったんだ。あいつらが何かしがの邪神に人身御供してたってのは解るさ。あの時最後に出てきた奴ら、ありゃお前貯水場にいたミュータント共じゃねえか。なんで生き残ってんだ?」
 あの呪わしい夏祭りから数日、季節もそろそろ秋に傾いてきた日の事だった。
「彼らは人ならざるモノとの混血なのですよ。本来ならばある年齢に達すればあるべき場所に帰るモノだったのです。さよう、人の外の世界にね。ですが、前任の司祭がそれをさせなかったのです。東南アジア辺りから買って来た女性をあてがう事によってね。ですが悪は栄えずとはよく言ったもので前任の司祭はヤクザの抗争に巻き込まれて殺されたのですな。ですから、私が彼らを元いた場所に返してやったのですよ。あのミュータント共ですが…小島さん、例の浄水場の監視カメラを見ていましたところ、あなたが彼らを倒す前に何匹か海に巣立 っていたのですよ。彼女らは上手く海に適応していたようなので、放置しておいたのですよ。あの液体はハイヌウェレの作った薬剤の余りですな。後始末をしていたら見つけたので利用させてもらいました。さて、何か疑問はおありですかな?」
 黒瀬は薄く微笑みながらそう言った。
「女ってな怖えな。虐げられてるように見えて気がついたら相手の手ん中だ」
「いいえ、我々男が懲りない愚か者というだけですよ」

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